日本推理小説大系第2巻『江戸川乱歩集』(創元推理文庫)



【初版】1960年4月10日
【定価】380円
【編集委員】江戸川乱歩、平野謙、荒正人、中島河太郎、松本清張
【解説】松本清張
【収録作品】

作品名
「二銭銅貨」
初 出
 『新青年』1923年4月号
粗 筋
 私と同様に貧乏である松村は、私が煙草屋のおつりでもらった二銭銅貨を持って行く。銅貨の中には南無阿弥陀仏の暗号文が隠されていた。数日後、松村は私のところに紳士盗賊が隠した五万円という大金を持ってきた。
感 想
 乱歩の処女作。小酒井不木の賛辞つきで発表された。日本ならではの独創的な暗号トリックもさることながら、トリックが解けた後の展開こそ見るべきものがある短編。トリックを思いついたからただそれを小説化すればよい、というのではなく、どうすれば効果的かなどといった点についても見本を見せた名短編。乱歩の代表作の一つであり、『週刊文春』が1985年に実施した内外ミステリベスト100を選出するアンケートでも日本編13位に選ばれるなど、日本を代表する名作短編である。
備 考
 

作品名
「二廃人」
初 出
 『新青年』1924年6月号
粗 筋
 冬の温泉場。火鉢を囲む二人の廃人。斎藤氏が戦争の時の体験談を語ると、井原氏は夢遊病の最中に犯した殺人について語り、罪の意識に苛まれて一生を棒に振ったとこぼした。
感 想
 告白譚が意外な方向へ話が進むという、後に乱歩がいくつかの作品で使うパターンの原型。舞台、人物が疑惑をより深化させているのは、とても第4作目とは思えない筆使いである。乱歩としても会心の出来ではなかったか。
備 考
 

作品名
「D坂の殺人事件」
初 出
 『新青年』1925年新年増刊号
粗 筋
 喫茶店の窓から、通りの向こうにある古本屋を眺めていた主人公。ここの女房は美人なのだが、体中に叩かれたような傷があるという噂。そこへ現れたのは知り合いの明智小五郎。不審な様子に疑問を持った二人は古本屋へ向かうが、そこには女房の死体が。独自の調査を続けた主人公は、犯人が明智小五郎であると推理したのだが。
感 想
 日本で一・二の知名度がある名探偵である明智小五郎のデビュー作。いや、最近は三、四ぐらいか? まあ、それはどうでもいいが。シリーズ化するつもりはなかったと乱歩は後に語っているが、明智の描写はやけに細かいし、特徴付けをしているところを見ても、レギュラー名探偵にするつもり満々だったと思われる。職業作家になるためにも、海外の探偵小説家を見習い、レギュラー名探偵を持つ必要性を感じていたのだろう。
 前半の章が「事件」、後半の章が「推理」となっているが、後半の章は互いに推理を繰り広げているだけで、密室殺人などを解く物理的トリックと心理的トリックの解釈などは面白いが、一般受けするものとは思えない。あくまでマニア向けの短編。ちなみにD坂とは団子坂のこと。
備 考
 

作品名
「心理試験」
初 出
 『新青年』1925年2月号
粗 筋
 頭脳明晰だが貧しい大学生蕗屋清一郎は、同級生である斎藤の下宿先である老婆が金を貯め込んであるところに隠しているという話を斎藤から聞き、綿密な計画を立て殺人を実行し、金を奪う。警察は斎藤を犯人として捕まえるが、予審判事の笠森氏はある理由から蕗屋にも容疑の目を向けた。笠森が心理試験を行うことを知った蕗屋は対策を練り、それは効果を発揮したかに見えたが、偶然訪れた明智小五郎はその結果を見て蕗屋が犯人であると指摘した。
感 想
 「D坂の殺人事件」で犯人を自白させるのに用いた連想診断が推理のもっとも重要な部分でありながら、具体的に書く余裕のなかったことを断り書きしているが、それを充分に書いたのが本作品。ドエトエフスキー『罪と罰』を下敷きとし、作者自身は意識しなかったとは言え倒叙形式を用いることにより、心理的トリックをより効果的に表現することができた名作。犯罪は発覚の恐れない範囲については単純かつあからさまにという蕗屋の完全犯罪理論、完全犯罪方法論も含め、戦前の短編本格探偵小説を代表する傑作であり、日本における倒叙ミステリの祖であり、かつ最大傑作の一つ。
備 考
 

作品名
「赤い部屋」
初 出
 『新青年』1925年4月増大号
粗 筋
 秘密クラブ「赤い部屋」。部屋の四方で天井から部屋まで掛けられている深紅の垂れ絹。緋色のビロードで張った深い肘掛け椅子に座る7人。真ん中にあるのは、緋色のビロードで覆われた一つの大きな丸いテーブル。明かりはテーブルの上にある燭台に刺された三挺の太いろうそく。今晩の話し手である新入会員Tがゆっくりと話し始めた。それはTが今まで犯してきた、「絶対に法律に触れない人殺し」によって100人近くを殺してきたという告白であった。
感 想
 谷崎潤一郎「途上」に触発され、プロバビリティの犯罪をこれでもかと並び立てていくT、いや、乱歩。勿体ないと思えるほど、殺人方法をたくさん書いているのだが、こればかりは乱歩が言うとおり、数多く並び立てたからこその面白さと不気味さであろう。怪奇探偵小説の傑作。結末の付け方は、後の乱歩でもよく見られる趣向である。「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」にふさわしい作品。
備 考
 

作品名
「屋根裏の散歩者」
初 出
 『新青年』1925年夏期増刊号
粗 筋
 世の中に退屈している高等遊民郷田三郎は、引っ越しした新築の下宿屋で、屋根裏に上って各部屋を覗くという変態的な趣味に没頭する。その犯罪的嗜好は進み、ついに同じ下宿人である遠藤を毒殺するのだが。
感 想
 この作品の面白さは色々あるが、一つは主人公である郷田三郎の変態嗜好、一つは屋根裏を散歩するという誰にでもできる冒険趣味、一つは人の表と裏を垣間見る覗き趣味、一つは殺人方法。さらにこの作品は倒叙ミステリとしても傑作である。「心理的証拠」の手法を新たな形で示した乱歩の腕に脱帽。明智小五郎らしさもよく出ている。
備 考
 

作品名
「人間椅子」
初 出
 『苦楽』1925年10月号
粗 筋
 美人閨秀作家である佳子のところへ届けられてきた手紙。それは、醜い容貌を持つ家具職人が、ホテルからの依頼で丹精込めて作り上げた椅子の中で生活を始め、さらに椅子に座る女性からの触覚、聴覚、嗅覚のみの恋に明け暮れる毎日を記したものであった。
感 想
 本格探偵小説の傑作も書いている乱歩だが、やはり乱歩の持ち味はこういった「奇妙な味」作品にあることを証明する名作短編。乱歩ならではの美学、乱歩ならではの恋愛譚、そして乱歩ならではの結末を味わうことができる。
備 考
 

作品名
「鏡地獄」
初 出
 『大衆文芸』1926年10月号
粗 筋
 彼は小さい頃から鏡やレンズなどに興味を持ち、中学の頃には病的とも言えるほどのレンズ狂となった。親の資産を受け継いだ彼は中学卒業後、庭に実験室を作り、レンズに没頭する。ある日、唯一の友人であるKは彼の使用人に呼ばれた。実験室にあったのは大きな球。その中にいたのは、狂った彼であった。球の内部は全て鏡となっていたのだ。
感 想
 鏡やレンズに興味を持っていた乱歩らしい怪奇短編。球の鏡というのは後にテレビ番組でも実際に試されたそうだが、こればかりは実在の世界を知らなかった方が良かったかな、と思わせる。全く想像できない不気味さを物理的に作り出した世界の構築こそが、乱歩の求める美学ではなかったか。
備 考
 

作品名
「芋虫」
粗 筋
 須永中尉は戦争で砲弾を受けたため、両手両足は根元から切断され、顔全体も見る影が無くなり、耳も聞こえず、話すこともできず、両眼のみが残る芋虫のような状態だった。奇跡的に生き残った須永と妻の時子は田舎に引きこもり、肉欲のみの生活を続けた。
感 想
 乱歩自身は「極端な苦痛と快楽と惨劇を描こうした小説」と語っており、反戦小説であることを否定している。あまりにもグロテスクで、そして妖しい美に包まれた怪奇小説。
備 考
 『改造』のために書いたものだったが、反軍国主義に加えて金鵄勲章を軽蔑するような文章があったことから、掲載を拒否。『新青年』掲載時のタイトルは「悪夢」。伏字だらけの掲載だった。戦時中、乱歩作品で唯一発禁となった。

作品名
「陰獣」
初 出
 『新青年』1928年8月増刊号~10月号
粗 筋
 探偵小説家の私は、上野の博物館で妙齢の婦人・小山田静子と知り合う。静子の項には最近できたらしい赤痣のミミズ腫れがあった。私のファンだという静子と文通をはじめ、静子の年の離れた夫である実業家の小山田六郎のことなども探り出した私だったが、数か月後、静子から相談を受けた。探偵小説家の大江春泥が実はかつて捨てた恋人で、復讐を果たすという手紙を受け取った静子を救うために、私は春泥の行方を捜し始める。
感 想
 乱歩作品の中でも一、二を争う傑作。作者自身を彷彿させる登場人物を出し、しかもそれをトリックに用いたという斬新な作品。ある意味、乱歩お得意の裏返しとリックの集大成ともいえる作品であったが、本格ミステリならではの謎ときに乱歩美学ともいえる世界観を纏わせた、奇跡の作品だろう。
備 考
 『一寸法師』連載後に断筆し、1年半後に発表された作品。当初は『改造』のために書いたが、枚数が4倍以上になったので、『新青年』へ掲載。掲載誌を三版まで刷らせるという、雑誌界空前の大反響を巻き起こした。

作品名
「押絵と旅する男」
初 出
 『新青年』1929年6月号
粗 筋
 電車で旅をする主人公の目の前に、押絵を持った男が座る。男は主人公に押絵を見せ、続いて双眼鏡を覗かせようとするが、間違って逆さまに覗こうとした主人公を男は慌てて止めた。
感 想
 押絵の中に溶け込むという一種のファンタジー要素も加味された幻想怪奇小説。乱歩のレンズ趣味も効果的に生かされ、不思議な余韻を残す仕上がりとなっている。乱歩が「ある意味では、私の短篇の中ではこれが一ばん無難だと云ってよいかも知れない」「私の短篇のうちでも最も気に入っているものの一つである」と書くのも納得できる傑作である。
備 考
 横溝正史が『新青年』の編集長時代、放浪中の乱歩を追いかけて名古屋のホテルで寝物語をしたとき、一つ書いたが発表する気になれなくて破り捨てたと言って横溝を悔しがらせた作品。1年半後、改めて書いて発表した。

作品名
「石榴」
初 出
 『中央公論』1934年9月号
粗 筋
 警察官の私は山奥にある温泉へ避暑に行ったが、そこで同じ探偵小説好きの紳士、猪股氏と出会って仲が良くなる。その翌々日、猪股氏は"TRENT'S LAST CASE"を読んでいた。猪股氏はこの本が大好きだという。探偵小説について語り合った二人だったが、猪股氏に促される形で私が話し始めたのは、10年ほど前に関わった「硫酸殺人事件」であった。
感 想
 当時権威のあった『中央公論』掲載ということで、力の入った中編。『トレント最後の事件』に触発された乱歩が、いつもの裏返しトリックを用いる。二人きりで語り合うというのも、「二廃人」など乱歩の好きなパターンである。通俗長編で名を馳せた乱歩にしては地味な作品のように見えるが、結末の部分に乱歩の美学も垣間見え、隠れた逸品と言った味わいがある。
備 考
 

作品名
「月と手袋」
初 出
 『オール讀物』1955年4月号
粗 筋
 シナリオ・ライターの北村克彦は、高利貸しの股野重郎に呼ばれて家に来た。重郎との妻・あけみとの不倫を責められ500万円の慰謝料を請求され、さらに平手打ちを食らった。克彦は怒り、逆に重郎を殺してしまう。克彦はあけみを重郎に変装させ、警官のパトロール中に一緒に殺害される瞬間を目撃するというアリバイトリックを考え出す。そしてそれは成功するかに見えたが。
感 想
 トリック自体は本人の『偉大なる夢』からの流用だが、倒叙ものに仕上げることでかえってサスペンス感が増している。乱歩にしては渋い佳作。
備 考
 

作品名
『化人幻戯』
初 出
 『別冊宝石』昭和29年11月、『宝石』昭和30年1月-10月号連載(途中休載有)
粗 筋
 会社重役の息子である探偵小説マニアの美青年、庄司武彦は、同じ探偵小説マニアである大河原義明元侯爵の秘書となった。武彦は、若くて無邪気な大河原夫人、由美子に惹かれていく。秋、大河原氏夫妻は武彦と熱海の別荘へ出かけた。レンズ狂の夫妻が双眼鏡を覗いていると、岬の崖から男が飛び込んで亡くなった。それは大河原夫妻の客人である青年であった。警視庁の箕浦刑事は他殺ではないかと疑い、知人の明智小五郎に相談する。
感 想
 乱歩が一度は書きたいと願い、始めた長編であったが、いつしか注目が犯人とその動機の方に移っているのは残念。せっかくのトリックが今一つで、しかも密室トリックがあまりにもチープだったのも原因と思われる。しかしそれ以上に問題なのは、毎月の締め切りに追われたことだろう。こうやって考えてみると、結局乱歩という人には本格探偵小説の長編が書けなかった人だったと思ってしまう。本格という言葉に潔癖でありすぎたのか、それとも通俗長編の呪縛から抜けられなかったのか。
 犯人像があまりにも魅力的であり、いっそのことそちらを中心に書くべきで、明智に謎を解かせるべきではなかったと思ってしまう勿体ない作品。
備 考
 

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