小川哲『地図と拳』(集英社)
「君は満州という白紙の地図に、夢を書き込む」。日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。奉天の東にある〈李家鎮〉へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。(帯より引用)
『小説すばる』2018年10月号~2021年11月号連載。大幅な加筆・修正のうえ、2022年6月、集英社より単行本刊行。同年、第13回山田風太郎賞受賞。
山田風太郎賞を受賞して気になっていたところ、珍しく立ち寄った本屋で帯を見て即座に購入。最近はネット通販が主だったので、表紙に惚れたのは久しぶりである。
日清戦争が終わり、満州の権益をめぐってロシアとの対立が深まりつつあった1899年から物語は始まる。主な登場人物は以下。元通訳で後に南満州鉄道株式会社の実力者となり、軍と衝突して退社後は戦争構造学研究所を設立する細川。その細川を通訳にしてロシアの動向を探っていた密偵で、後に日露戦争に出征する高木。ロシアの鉄道網拡大のために北満州の地図を作りに派遣された測量士たちに同行し、満州へ布教しに来た宣教師のイヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ。奉天の東にある荒野の“李家鎮”を収めている、李白の子孫と自称する李大綱。叔父に騙されて家族で李家鎮に移住し、後に李大綱が作った「神拳会」に入会し、不思議な能力を身に付けた後は李大綱の後釜を継ぐ楊日綱こと孫悟空。東京帝国大学で気象学を研究中に満鉄から依頼され、地図に描かれている青龍島が存在するかどうかを調査するうちに細川の部下となり、満州へ渡る須野。その息子で、温度や湿度、風速などを誤差なく言い当てられ、帝国大学卒業後に満州へ渡る須野明男。孫悟空の末娘ながら父親を憎み、後に抗日運動に参加する孫丞琳。明男の大学の一年先輩で、共産党の末端組織に参加するも逮捕されたところを細川に助けられて満州にわたり、研究所に入る石本。憲兵中佐の安井。当然ほかにも様々な人物が登場し、1955年に物語の幕は閉じる。
満州を舞台とした群集歴史空想小説。序章から終章までの期間は半世紀以上。様々な人物の視点を通じて物語は進み、様々な立場と思惑と役割が時代を動かしていく。よくぞまあ、これだけのスケールがでかい作品を仕上げることができたものだと素直に脱帽。ただ読み終わってみると、いったい何を書きたかったのだろうという思いを抱いてしまう。そして結論、満州・仙桃城という幻の都市を書きたかったのだと気付く。
あるものは満州に夢を抱き、ある者は満州に恐れを抱き、ある者は満州を憎む。戦争と侵略の表と裏、地図や建築、都市計画などが入り混じり、一つの歴史が様々な視点から描かれる。ある意味壮大な叙事詩ともいえるが、惜しむらくは読者が感情移入すべき、核となる主人公が存在しないこと。物語が拡がり過ぎて、散漫な印象を与えてしまっていることは否定できない。もちろん満州を核にするのならば、様々な立場の人物を書くしかなかったので、このような形になってしまったのは仕方がないことではあるが、それでももう少しやりようがあったのではないか。
それと気になったのは、孫悟空という人物。詳しいことは控えるが、正直言ってこの人物はイレギュラー過ぎたと思う。はっきり言って、物語から浮いている。ここまでの異能な人物を、たいして活躍もさせずに終わらせてしまうのは少々勿体なかった。
とまあ、不満が残る部分はあるものの、トータルで見ると壮大なスケールの傑作であることは間違いない。分厚い本だが、面白さは一気読み確実である。2022年の収穫の一つと言えるだろう。拳によって地図を書き換えようとする国家や人物が次々と現れてきている2022年の今だからこそ、読まれるべき作品である。
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