死刑判決を受け、上訴中に死亡した被告人





 1980年以降、一審ないし二審で死刑判決を受け、上訴中に死亡して公訴棄却されたケースを集めています(なお1980年以前ですと、上告中の1965年5月3日に自殺したケースまでさかのぼります)。亡くなった順に並んでいます。死刑の求刑を受け、判決が出る前に死亡したケース、二審で無期懲役に減軽された後に死亡したケースは含みません。
 名前は一部被告を除き、全て頭文字をローマ字で表記しています。新聞等から名前を判断しているため、誤りがあるかもしれません。
 いずれも新聞記事等の参考文献より引用しておりますので、実際の判決内容とは異なっている可能性があります。





被告人
事件概要
罪 状
判 決
判決理由
備  考
A・T  A被告(47)は1974年11月17日午後10時頃、大分県別府市の国際観光港岸壁から運転していた乗用車を海中に転落させ、車の中に残っていた妻(40)と妻の連れ子である長女(12)次女(10)を溺死させた。A被告は脱出して助かった。A被告は3人に、6つの生命保険会社との間に3億1千万円の保険金をかけていた。旧姓はYで、Aは妻の姓である。 殺人、詐欺、恐喝 1980年3月28日
大分地裁
永松昭次郎裁判長
死刑
 A被告は一貫して無罪を主張。車を運転していたのは妻であると訴えた。物的証拠はなく、検察側は目撃証言やかつての刑務所仲間に計画を打ち明けたこと、車の水抜き穴のゴム栓を外していたなどの事前工作が行われていたことなどを間接証拠として立証した。
 傷跡などから妻は助手席に座っており、ハンドルを握っていたのはAであるという検察側の鑑定結果は、弁護側の反対尋問で多くの矛盾点が浮かび上がっている。公判でAは弁護人を差し置いて自ら尋問したり、自分に不利な証言をした相手を怒鳴ったり胸ぐらをつかんだりするなどの傍若無人な態度をとり続けた。
 判決で裁判長は「本件犯行はまれにみる計画的、残忍なものであり、全く情状酌量の余地がない。極刑が相当である」と述べた。検察側の鑑定、証言などをすべて採用した。
 Aには保険金詐欺で懲役8年の実刑判決を受けた他に強姦、脅迫などの前科がある。マスコミ先導型の事件であり、Aはテレビに出演して無罪を訴えた後、スタジオを出てすぐに逮捕されている。Aは一審判決後、主任弁護士を損害賠償で訴えている。
1984年9月4日
福岡高裁
山本茂裁判長
被告側控訴棄却
 控訴審でもA被告は無罪を主張したが、判決は一審を支持した。
1989年1月13日、肺がんで死亡。61歳没。1987年10月に手術のため、八王子医療刑務所に移監されていた。
K・H  K被告は、職を転々とするK被告のための生活苦や、K被告からの暴力に耐えかねた妻(当時37)との間で離婚話が出たため1989年8月9日午前5時ごろ、マキリと呼ばれる漁業用刃物で就寝中の妻のほか、長女(当時14)、長男(同13)、二男(同10)、三男(同6)の首を切るなどして失血死させた。 殺人 1990年11月16日
盛岡地裁
守屋勝彦裁判長
無期懲役
 心神耗弱状態だったとする弁護側の主張を退けたうえで、「自ら真剣に自殺を考えた無理心中」と判断。  
1992年6月4日
仙台高裁
渡辺達夫裁判長
一審破棄・死刑
 検察、被告双方が量刑不当を理由に控訴。
 裁判長は「被告は漠然と自分も死んだ方がよいなどと考えただけで、無理心中事件ではなく、身勝手で自己中心的性格に起因する事件」と述べた。自己を正当化するなど、悔悟の念がないことなども理由として挙げられた。
1992年10月16日、くも膜下出血に伴う脳こうそくで死亡。45歳没。11月13日、最高裁第三小法廷で公訴棄却決定。
M・S  借金の返済に困った土木作業員沢本信之被告、同M被告、無職F被告は、フィリピン人のスナック従業員2名(当時24、28)が不法滞在のため、銀行口座を持たずに現金を自宅に保管していると考え、殺害して奪うことを計画。1998年12月25日、偽装結婚を持ちかけ、二人が住んでいた三重県松坂市のアパートに上がり込み、首をネクタイで閉めて殺害。現金13,000円とネックレスなど四点(計25万円相当)を奪った。
 沢本、M両被告は1998年5月末、名古屋市内のパチンコ店に押し入り、従業員を殴って頭に6ヶ月のけがをさせたうえ、現金約1,920万円を奪った。
強盗殺人、住居侵入、強盗致傷 2000年3月1日
津地裁
柴田秀樹裁判長
死刑
 裁判長は事件がテレビで盛んに報じ続けられたことから、「被害者の母国に与えた影響も大きく、遺族も極刑を求めている」などと量刑理由を述べた。また強盗致傷事件についても言及した。F被告についても「(沢本、M被告に比べ)刑事責任は少し軽いとはいえ、罪責は誠に重大」とし、「三人が平等で一心同体の立場だった」とする検察側主張を認めた。「死刑は究極の刑で、生命の貴さは被告人にも与えられる原理だが、犯行は法の予想する最も重い部類に属すると言わざるを得ない。あまりに執ようで冷酷非情な犯行。自らの生命をもって償うしかない」と述べた。  森本信之(旧姓沢本)被告は2004年12月14日、上告棄却、死刑確定。F被告は2001年5月14日、名古屋高裁で無期懲役に減軽され、そのまま確定。
2000年10月8日、収監先の名古屋刑務所で病死。51歳没。10月11日、名古屋高裁で公訴棄却決定。


N・Y  熊本市の自営業N・Y被告は1997年11月21日午前10時半頃、熊本市の開業医の男性(当時53)宅に侵入。しかし男性の妻(当時47)に騒がれたため登山用ナイフで脅し、医院の通帳と印鑑、現金約200万円を奪った。さらに持参したパンティーストッキングで首を絞めて殺害。午後1時半頃、同市内の銀行で現金1,650万円を不正に引き出した。N被告は遺体を車で運び,午後6時半頃,阿蘇・根子岳のふもとに埋めた。N被告は同居していた女性から700万円以上の借金があった。 強盗殺人、死体遺棄、住居侵入、有印私文書偽造・同行使、詐欺容疑 2000年5月26日
熊本地裁
原田保孝裁判長
死刑
 N被告は「顔見知りの被害者に、金の無心に行ったが断られ殺害した。強盗目的ではない」と、強盗殺人や計画性を否定した。
 裁判長は判決で「金を奪う目的で登山ナイフ、パンティーストッキング、書き置きの下書きを準備した」と計画的な強盗殺人と断定。「情交関係にあったなどと虚偽を主張し、謝罪するどころか被害者の名誉を傷つけた。実母を殺害して仮出獄後、約4年半で事件に及んでおり、矯正は困難」として「残虐性や結果の重大性、社会に与えた影響などから極刑はやむを得ない」と結論付けた。
 N被告は1983年8月、母親(当時56)の頭を木の棒で殴って殺害した容疑で逮捕され、1986年2月、懲役12年の判決を受けていた。
 法務省福岡矯正管区は3月29日までに福岡拘置所所長ら35人を内規に基づく注意処分にした。
2001年2月23日、福岡拘置所内で精神安定剤と睡眠導入剤を大量に飲みこんで自殺を図り、急性薬物中毒で死亡。46歳没。3月7日、福岡高裁で公訴棄却決定。  2000年7月、熊本市の京町拘置支所から移送後、不眠を訴えたため福岡拘置所の医師が強力な精神安定剤と一般的な睡眠導入剤を毎晩計2、3錠を処方。夜勤の職員が就寝直前に薬を渡し、口に含んだことを確認、さらに飲みこませた後にも舌を上げて確認していた。しかしN被告は錠剤の一部を飲み込んだ後、吐き出して居室内の菓子箱へ大量にため込んでいた。持ち物検査や居室検査では菓子箱を対象としておらず、薬を発見できなかった。


N・H  岡山県赤磐郡のタイル工事会社F社長のN・H被告は、山陽町の団地を開発している大手住宅会社Bが発注する団地内のタイル工事を一手に担っていたが、1992年6月中旬、タイル工事の一部を以前自分の会社に勤めていた従業員らのタイル工事会社Aが受注するなどしたため、「後発の業者に仕事を奪われた」などと思いこんだ。同業者の参入で次第に減少したため経営に不安を感じ、同業者らの殺害を計画して知り合いの暴力団幹部から拳銃を入手した。
 1992年7月10日午前8時頃、タイル工事会社Aの社長の男性(当時46)に電話をかけ、「わしの仕事を取った。話があるので来い」と呼び出した。25分頃、訪れた男性に向けて発砲し,左腕骨折の重傷を負わせた。その後、団地内にある親会社Bの事業所に入り込み、土木造園会社Cの社員の男性(当時48)に数発発砲して射殺した。続いて親会社Bの新築現場で土木造園会社C社員の男性(当時45)に発砲し射殺した。さらに土木造園会社Cの事務所に入り、作業員の男性(当時39)に発砲して射殺した。
 N被告が経営するタイル工事会社Fとタイル工事会社A、土木造園会社B、土木造園会社Cはいずれも親会社Bの下請けで顔なじみだった。会社Fは会社Cからも孫請けの形でタイル工事を受注していたが、その年の春頃から仕事の一部を会社Aに発注するようになり、会社A社長の男性らを恨んでいた。N被告はここ数日何度も会社Cや親会社Bの事務所を訪ねて抗議していた。
 N被告は現行犯逮捕されたが、呼気から多量のアルコールを検出。また当時睡眠薬を常用していた。
殺人 1999年2月16日
岡山地裁
楢崎康英裁判長
死刑
 N被告の責任能力の有無が焦点となり、精神鑑定が2回実施された。1回目は複雑酩酊の状態にあったが、精神病的状態ではないとして責任能力はやや減退していたとした。双方が不服として行われた2回目は、完全に責任能力はあったとした。
 弁護側は「被告は発砲した時の記憶がほとんどなく、心身喪失状態か、少なくとも心神耗弱状態だったのは間違いない」として、無罪もしくは減軽を主張した。また被害者側へ弁償をしている(金額不明)。
 裁判長は、「被告の記憶の欠落は激しい興奮時にしばしば見られるもの。アルコールによる単純酩酊は疑われるが、犯行直後の言動や捜査段階の具体的供述から、責任能力が通常人より著しく減退していたとは認められない」と判断。「怒りに任せ感情を爆発させた行動は、思慮に欠け短絡的。冷酷、非情な犯行だ」とした。そして「死刑は冷厳な極刑でやむを得ない場合の究極の刑罰であり、その適用には特に慎重であるべきとしても、被告の責任は極めて重大であり、死刑を選択するほかないと判断した」とした。
 
2002年1月22日、肝臓がんのため死亡。58歳没。3月6日、広島高裁岡山支部(片岡安夫裁判長)で公訴棄却決定。  


N・S  山口益生被告、N・S被告は元暴力団員の男性(当時43)ら3人とともに1994年3月、岐阜県加茂郡の古美術商宅に押し入り現金100万円などを奪った。しかし暴力団員の男性が威圧的な態度をとったことから殺害を計画。仲間1人と共謀して4月、四日市市内の山口被告のマンションで男性の首をアイスピックで刺したうえ、現金400万円を奪って絞殺した。
 1995年3月末、四日市市にある古美術商の男性(当時50)を同様の方法で殺害、現金約430万円を奪った。遺体はともに丸山ダムに捨てた。
強盗殺人、死体遺棄、強盗、殺人、窃盗 1997年3月28日
津地裁四日市支部
柄多貞介裁判長
死刑
 裁判長は判決理由で「遺体を捨てて犯行の隠ぺいを図った。執ようかつ残虐。被害者の無念の情は筆舌に尽くし難い。被告人両名は反省を示し、死刑の適用には慎重さが求められることを考慮しても、両名は極刑にすべきだ」と述べた。  山口益生被告は2006年2月24日、最高裁第二小法廷で死刑確定。2016年現在、再審請求中。
1997年9月28日
名古屋高裁
土川孝二裁判長
一審破棄・地裁差戻
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 裁判長は「極めて重い刑に処せられることが予想される裁判では、弁護人は被告に少しでも有利な事情を主張する必要があるが、両被告の利害は対立するため、同一の弁護人では立証活動はできない」と述べた。そして「両被告の利害が反するにもかかわらず、国選弁護人が一人では十分な弁護活動ができない」として、国選弁護人の選任権を持つ裁判所の訴訟手続きの違法性を指摘し、津地裁へ差し戻した。
1999年6月23日
津地裁
柴田秀樹裁判長
死刑
 裁判長は「最初の事件で、山口被告はN被告の指示で首を絞めた。二番目の事件では、犯行の持ち掛けから実行まで、N被告が主導的役割を果たしている」などとして、N被告に死刑、山口被告に無期懲役を言い渡し、両被告の刑事責任に軽重を付けた理由を述べた。
2001年6月14日
名古屋高裁
小島裕史裁判長
被告側控訴棄却
 N被告の弁護側は「犯行時は脳こうそくの影響で判断力が低下していた」と新たに刑事責任能力について争い、責任の程度も「山口被告と同じかむしろ軽いはずだ」として無期に減軽するよう求めた。
 裁判長は「主従関係は認められず、刑事責任に差異は認められない」と指摘した。そして「身勝手な動機による冷酷で残忍な犯行。周到な計画的殺人で、真摯な反省の態度も見られず、極刑もやむを得ない」と述べ、N被告の控訴を棄却し、山口被告に死刑を言い渡した。
2002年7月2日、病死。63歳没。7月19日、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)で公訴棄却決定。
Y・M  暴力団組長Y被告、組員F被告、A被告、未成年のB被告は資産家から金を奪おうと共謀。Y被告の指示で、F被告とB被告が2人で1991年7月29日未明、神戸市北区の不動産会社社長の男性(当時75)方に押し入り、拳銃で脅して約20万円を奪ったうえ、男性と長女(当時42)を兵庫県姫路市内の暴力団事務所に連れ込んだ。Y被告ら4人でさらに金を要求したが拒否されたため首を絞めて殺害。犯行を隠すために遺体を焼却炉で焼いた。 強盗殺人、死体損壊、銃刀法違反、火薬類取締法違反、強盗予備、覚せい剤取締法違反、道路交通法違反 1999年1月27日
神戸地裁姫路支部
死刑
 公判でY被告は「犯行を指示したことはなく、実行にも関与していない。殺害場所に使われた事務所に、たまたま居合わせただけ」と起訴事実を全面的に否認したが、ほかの3被告は起訴事実を認めた。最終弁論で弁護人は「捜査機関は別件の容疑で身柄を拘束し、暴行により本件の自白を強要した。違法捜査で引き出された証拠はすべて無効だ」として無罪を主張した。
 判決で裁判長は、「首謀者で責任は重大。極刑を選択するほかない」として求刑通り死刑を言い渡した。被告側の無罪・自白強要主張については「指示は明らか。自白の強要もなかった」と退けた。逮捕の端緒となった拳銃・実砲押収による銃刀法、火薬類取締法違反容疑については、違法が積み重なった捜査と認定され、無罪とした。
 F被告は求刑死刑に対し無期懲役判決が二審で確定。B被告は求刑通り無期懲役が最高裁で確定。A被告は懲役13年判決(求刑懲役15年)が一審で確定。
2001年9月27日
大阪高裁
白井万久裁判長
検察・被告側控訴棄却
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 判決で裁判長は「証言や状況証拠から、Y被告が犯行の計画立案者で、共犯らに指示、命令した首謀者だ」と無罪主張を退けた。そして「完全犯罪を期して行われた計画的犯行で、被害者の受けた苦痛、恐怖、絶望感は想像を絶する」と述べた。銃刀法違反、火薬類取締法違反罪については一審判決と同様、違法捜査を理由に検察側控訴を棄却した。
2003年5月31日、がんで死亡。56歳没。6月25日までに最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)で公訴棄却決定。
U・K  韓国籍の無職U・K被告は、広島県福山市に住む女性(当時79)が1987年1月に大阪へ芝居見物に行った際、金をすられて困っていたのを広島県福山市まで送り届けたのがきっかけで、福山市内で一人暮らしの女性方に転がり込んだ。女性は、1985年に夫と死別後、貯金や老齢年金で暮らしていたが、U被告は毎日パチンコ通いをし、金をせびるので、女性は長女らに別れ話の相談をした。長女らは、嘘の口実でU被告を1988年5月末から数日間大阪に行かせ、その間に女性を別のアパートに転居させた。帰宅したU被告は女性の居場所を聞くため、福山市にある長女と長女の夫が経営する食堂に押しかけたが、夫は相手にせず警察に通報した。
 夫らを逆恨みしたU被告は殺害を計画。無職男性2人と共謀し、1988年6月12日午前8時頃、夫婦が経営する食堂にタクシーで訪れ、玄関で夫(当時56)と口論。U被告は持っていた牛刀で、夫とそばにいた妻(当時54)、そして止めに入った夫の実母(当時77)の首や腹などを刺して殺害した。
殺人 1991年6月25日
広島地裁福山支部
田川雄三裁判長
死刑
 弁護側は犯行時には心身耗弱だったと主張した。
 裁判長は心神耗弱の主張に対し、「軽度の知能障害はあったが、是非善悪の理解はできた」と退けた。そして「極めて残忍な計画的犯行で動機は短絡的で自己中心的」と、求刑通り死刑を言い渡した。
 一審、二審で計4回の精神鑑定が行われており、鑑定の結果が分かれている。共犯2人は傷害致死ほう助の罪で実刑判決が確定している。
1998年2月10日
広島高裁
荒木恒平裁判長
被告側控訴棄却
 弁護側は、「被告は善悪の判断能力が欠如しており、心神喪失か、少なくとも心神耗弱だった」などとして控訴した。
 判決で裁判長は「極めて短絡的で人命軽視の犯行。犯行の準備もしており、意識も清明だった」として、求刑通り死刑を言い渡した一審判決を支持した。
2004年7月22日、食べ物をのどに詰まらせて病院に運ばれ、急性心不全で死亡。73歳没。9月8日、最高裁第三小法廷(金谷利広裁判長)で公訴棄却決定。  U被告は広島拘置所に収容されていたが、2002年11月に脳梗塞を患い、同拘置所で治療を受けていた。心神喪失状態にあるとして、2004年7月20日に公判手続きが停止されていた。
S・A  土木建設作業員S・A被告は栃木県小山市のアパートに長女、長男と住んでいたが、2004年6月ごろ、中学の先輩である塗装工の男性が失業したため息子2人を連れて同居を始めるようになった。しかし男性が生活費などを入れず、さらに暴行を受けたことなどから不満がたまり、その鬱憤を男性の息子2人に向け日常的に暴力をふるうようになった。7月8日、兄弟は児童保護施設に一時保護されたが、男性は祖母へ預けると伝えたため帰宅した。しかし男性は息子2人を連れて、そのままS宅に居続けた。
 S被告は2004年9月11日午後2時30分ごろ、兄弟を連れて車で出かけたが、二人が騒いだりしたことに腹を立てて市内のガソリンスタンドで暴行。父親への発覚を恐れ翌12日未明、同市の思川に架かる橋で、車内で眠っていた兄弟(当時4、3)の手足をそれぞれつかんで車外に運び出し、約5m下の川に投げ入れ水死させた。
 またS被告は9月10日頃、自宅アパートで父親とともに覚せい剤を注射した。父親はS被告へ覚せい剤を融通していた。
殺人、覚せい剤取締法違反 2005年9月8日
宇都宮地裁
飯渕進裁判長
死刑
 弁護側は「覚せい剤の使用によって、心神耗弱か、それに近い状態だった」「短期間の約束で居候し始めた兄弟の父が、我が物顔で自宅に居続けたことで経済的、精神的に追い詰められた。S被告が抱えていた、同居生活に対する不満は、酌むべき事情となりうる」として減軽を求めた。
 判決はS被告が詳しい犯行状況を記憶している点や、地検などの調べに対して「犯行は覚せい剤のせいではない」などと供述した点を踏まえて、責任能力は完全にあると判断。「同居生活の不満を緩和、解消するために、(兄弟の父親に)退去を求めるなど根本的解決策を十分に講じなかった以上、責めの大半は被告が負うべきだ」と指摘した。そして「人命を軽視した自己保身、身勝手な犯行で情状酌量の余地はない」と述べた。
 さらに裁判長は、兄弟を一時保護した同県南児童相談所に対して「虐待が明らかな兄弟に、具体策を講じなかったのは、その在り方が問われかねない誠に遺憾な対応」と厳しく批判した。
 父親は覚せい剤取締法違反で2004年11月22日、宇都宮地裁(飯渕進裁判官)で懲役1年6か月(求刑懲役2年6か月)の実刑判決を受けた。控訴したが後に取り下げ、確定している。
2006年6月4日、東京拘置所で病死。肝硬変によるものと思われる。41歳没。6月21日、東京高裁(池田修裁判長)で公訴棄却決定。  2006年4月、宇都宮拘置支所から東京拘置所に移されたが、その頃から風邪をこじらせており、5月30日の控訴審初公判が延期されたばかりだった。


W・M  無職W・M(♂)被告は、牛乳販売業Y・M(♂)被告、無職T・T(♀)被告、無職U・S(♀)被告、左官業T・M(♂)被告と共謀し、交通事故を偽装して保険金を奪おうと計画。2001年6月24日夜、福島県いわき市平薄磯の県道で、観光目的で連れ出した栃木県藤原町の女性(当時77)をY被告がワゴン車で轢いて殺害した。T・T被告はワゴンを運転していたY被告と連絡を取り合い、ワゴンに向けて女性の背中を押したとされる。被害者の女性とT・T被告は約30年間にわたり同居していた。T・T被告は被害者を殺害後、合わせて349万円の保険金を受け取っているが、仲間に一部を渡したり、家電製品の購入したりなどに使い、いっさい弁済はしていない。
 2001年5~7月、W被告は郡山市の無職Y・M(♀)被告、呉服販売業の男性と共謀。保険金目的で知人女性の殺害を計画。女性名義の共済加入申込書を偽造し、女性の夫名義の銀行口座を開設した。ところが呉服販売業の男性と仲間割れになり、9月21日、三春町の空き家で男性(当時63)に睡眠導入剤入りの鍋料理を食べさせ、眠り込んだところに頭からポリ袋をかぶせて殺害。Y・M(♂)被告とともに福島県田村市内の山中に遺体を遺棄し、翌22日、男性から奪ったキャッシュカードで、白河市の金融機関から現金68万円を引き出した。
強盗殺人、殺人、死体遺棄他 2006年6月15日
福島地裁郡山支部
田中聖浩裁判長
死刑
 W被告は公判で、保険金殺人事件ではT・T被告が主犯であると主張。呉服商殺害事件ではY・M(♀)被告のほう助犯だったとし、殺害の実行行為者はY・M(♂)被告であると、二つの事件について従属的な立場であったと主張した。
 裁判長は保険金殺人事件でW被告が主犯、呉服商殺害事件では殺害の主要部分を担っていたと認定し、被告側の主張を退けた。そして「短期間のうちに同時並行的、連続的に計画を敢行していく様に戦慄さえ覚える」と指摘。その上で「もう1人の殺害計画が進行中で、被告らが逮捕されなければ実行に移された可能性があった。規範意識の鈍麻と冷酷で残虐、狡猾な性格は矯正が著しく困難だ」「共犯者に責任を転嫁しており、反省しているとは考えられない」と死刑選択の理由を述べた。
 Y・M(♂)被告は一審無期懲役判決(求刑同)がそのまま確定。
 T・T(♀)被告は一審無期懲役判決(求刑同)が最高裁で確定。
 U・S(♀)被告は一審懲役13年判決(求刑懲役15年)が最高裁で確定。
 T・M(♂)被告は一審懲役6年判決(求刑懲役7年)がそのまま確定。
 Y・M(♀)被告は一審懲役15年判決(求刑無期懲役)が二審で確定。
2008年2月28日
仙台高裁
木村烈裁判長
被告側控訴棄却
 W被告は一審同様、保険金殺人事件ではT・T被告が主犯であると主張。呉服商殺害事件ではY・M(♀)被告が発案、殺害の実行行為者はY・M(♂)被告であり、自らは共同正犯であるが従属的な立場であったと主張した。そして無期懲役への減軽を求めた。
 判決では2人の殺害について〈1〉計画を全般的に立案した〈2〉共犯者を誘い込んで犯行グループを組織した--などとして「終始主導権を握って犯行グループを指揮していた」と判断し、「主犯とはいえない」とする弁護側の主張を退けた。そして「不合理な弁解をしつつ責任転嫁しており、反省の情や謝罪の気持ちは認められない」「一連の事件の主犯で、人の生命を一顧だにせず金銭に執着し、反省の情は見られない」「責任は重く極刑をもってのぞむほかない」と述べた。
2008年8月21日午後6時頃、胃がんのため拘置先の宮崎刑務所で病死。59歳没。9月10日、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)で公訴棄却決定。
C・S  岩手県一関市の女性店員C・M被告は2007年6月11日午後8時頃、訪問客を装って自分の車で一関市の寺を訪れ、隣接する居宅の居間で、知人である住職の男性(当時59)の胸などを包丁で刺して殺害。母(当時81)に対しても頭を灰皿で数回殴り、包丁で首や胸などを刺して殺害。その後、現金約15万円を奪った。凶器となった包丁は北上川に捨てたが、見つかっていない。C被告の実家が遠応寺の檀家で、寺に父親らの墓があった。C被告は2人と顔見知りで、寺にも何回か訪れたことがあった。 強盗殺人 2008年10月8日
盛岡地裁
佐々木直人裁判長
死刑
判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
 公判前整理手続きで争点は犯行の計画性や強盗目的の有無、動機面の情状酌量に絞られた。弁護側は「強盗目的で寺へ行ったが断念した。男性の侮辱的な言葉にカッとなって殺害した後、金品を盗んだ」と計画性を否定。殺害は強盗目的ではないとして、改めて殺人と窃盗罪を主張し、「借金で精神的に追い込まれていた」として情状酌量を求め、極刑の回避を訴えた。
 裁判長は一連の客観的な犯行事実により、争点の強盗目的があったことを認定した。犯行については「計画的に強盗目的で寺に行き、断固たる殺意に基づいて殺害を貫徹した。何度も刺すなど情け容赦ない一方的な攻撃の非情さは、筆舌に尽くしがたい」と強い口調で非難。殺害後の隠滅工作に及んだ行動について「良心の呵責を感じる人間のものといえない」と指摘した。そして「強盗目的はないと弁解するなど責任回避し、罪責を見つめて反省する態度は十分とはいえない」とし、「これまでの犯罪とは無縁な生活や飲食店稼働の誠実さなどから更生可能性を最大限酌量しても、罪刑のつり合いを持たせるほかない」と述べた。
 
2008年12月28日、独居房の窓枠にシーツを結びつけて首吊り自殺を図り死亡。46歳没。2009年1月8日、仙台高裁で公訴棄却決定。


M・H(44)  名古屋市の無職M・Hは2017年3月1日午後8時ごろ、近所に住む無職の夫婦宅に侵入。夫(当時83)と妻(当時80)の首を包丁で刺すなどして殺害。1,227円が入った財布を奪った。 強盗殺人 2019年3月8日
名古屋地裁
吉井隆平裁判長
無期懲役
判決文「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい)
 裁判員裁判。検察側は強盗殺人で起訴。被告側は強盗殺人を否定し、殺人と窃盗を訴えた。
 裁判長は、物色範囲が小さいことと、恨みによる犯行の可能性があることから、強盗殺人ではなく殺人と窃盗の罪を適用。さらに完全責任能力はあるものの知的障害の影響が見られる▽計画性が低い▽自首が成立する――ことを挙げ「死刑の選択が真にやむを得ないとまでは認められない」と結論づけた。

2020年1月9日
名古屋高裁
堀内満裁判長
一審破棄、差戻し
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 裁判長は「複数の事情を総合的に判断せず、強盗殺人罪の成立を否定したのは事実誤認」と指摘。「強盗目的を前提に、改めて裁判員を含む審理・評議を尽くすべきだ」と結論付けた。
2020年9月14日
最高裁第二小法廷
三浦守裁判長
被告側上告棄却、差戻し確定
 
2023年3月2日
名古屋地裁
森島聡裁判長
死刑
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 裁判長は、被告が経済的に困窮しており、殺害後直ちに夫婦宅を物色していた点を重視。「殺害時点で強盗目的があった」として強盗殺人罪を適用した。また、「軽度知的障害の影響があるとしても限定的」と完全責任能力を認めた。そして、「殺害の態様は執拗かつ残虐で、強い殺意が表れている。落ち度のない2人の生命が奪われた結果は極めて重大だ。生活保護費の大半をパチンコに費消するなど自業自得で酌むべき事情はない」と非難した。
2023年12月13日、控訴中に膵臓がんで死亡。49歳没。2024年1月9日、公訴棄却決定。  2022年2月21日にステージ4の末期の膵臓がんで、肝臓にも転移し手術や放射線治療は不可能で、余命は長くないと宣告されていた。がんを宣告される1年前の健康診断(1年に1回行われる)にて、肝臓の数値が悪いと言われ、3~4カ月に1回のペースで採血検査を受けていた。


【参考資料】

 朝日新聞、産経新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞、北海道新聞、中日新聞、共同通信、時事通信、中国新聞、西日本新聞、河北新報他