日下圭介『61年目の謀殺』




【小 説】
 南房総、館山市洲崎岬にあるペンション「青い帆」で、ノンフィクション作家柏木連蔵が殺害された。柏木は原稿を執筆するとき、このペンションに十日ほど宿泊してゆく馴染み客だった。滞在するときはかならず泊まる部屋で、後頭部を鈍器で殴られていた。
同業である滝村健治は翌日の新聞でそのことを知ったのだが、不快な予感が広がっていた。前日は遠くまでドライブをしており、帰宅したのは深夜だった。しかも「青い帆」から少し離れたところで不審なクリーム色の車が止まっていたという目撃談があり、滝村の車もクリーム色だった。
 滝村は新聞記者、フリールポライターから昭和史に題材を求めたノンフィクションを中心に書くようになった。滝村と柏木は、柏木がかつて総合月刊誌の編集長をしていたころ、ときおり仕事をもらった間柄だった。
 不安で怯える滝村の元に警察が事情聴取に来た。実は10日前、四谷の割烹料理店で口論をしたばかりだった。警察の問いに対し、滝村は口論の原因について説明する。
 口論の元は、柏木が「歴史展望」という月刊誌で予告を出した「佐分利公使の影」という400枚の原稿にある。滝村は10年前、佐分利事件について独自に取材しまとめた原稿を柏木の元へ持ち込んだのだが、柏木は原稿を預かったまま、結局月刊誌に掲載しなかった。そして今回発表する原稿は、滝村が集めたデータや解釈をそのまま使ったものであった。しかも柏木はそれを認めたうえで、名前を出すからいいだろうなどと受け流していたため、口論となったものだった。
 その夜、滝村の家に「佐分利の事件の真相を知っているのか」と電話がかかってきた。
 数日後、口論をした料理店で飲んだ帰り道、滝村は背後から襲われ、黒い布を顔にかぶせられた。「佐分利の事件のこと、なにを知っているんだ」。首を絞められた瞬間、若い男が助けてくれた。商事会社の社長秘書だった。お礼を言いに行ったら、社長から社史の執筆を依頼される。


【作 者】
 日下圭介は、1975年に『蝶たちは今……』で第21回江戸川乱歩賞を受賞。朝日新聞整理部に在職中だった。その後、土日のみに作品を書いていたが、1984年に専業作家になった。
 昭和4年から5年にかけての経済恐慌を背景にした『黄金機関車を狙え』、昭和7年の五・一五事件の背後にうごめく人間を書いた『チャップリンを撃て』など、昭和初期の不穏な社会情勢を題材にした長編推理を物している。
 『61年目の謀殺』(現、徳間文庫)は、1991年5月、毎日新聞社より刊行されている。
 ここで出てくる佐分利事件とは何か。1929年、すなわち本書が書かれた1991年より61年前に起きた事件である。


【事 件】
 1929年11月29日払暁、帰国中の中国公使・佐分利貞夫(48歳)は箱根宮下の「富士屋ホテル」197号室で、謎のピストル自殺を遂げた。佐分利は前夜0時過ぎに同ホテルに到着し、明朝は早く上京するから6時半ごろに起こすように頼んだ。ところが、朝になり、女中が声を掛けても返事がない。支配人を呼び窓から197号室に入ると、佐分利はすでに朱に染まってこと切れていた。検死の当初、他殺説が有力だった。左利きのはずの佐分利が右手にピストルを握っていたこと。銃弾はこめかみに射ち込まれていたが、発射口の傷口が射出口よりも大きかったからであった。東大医学部で遺体は解剖され、銃口を密着して射撃するならば、発射口の傷口が大きくなることが確認され、自殺と断定された。この年の7月、張作霖爆殺事件の責任を負って田中義一政友会内閣が総辞職。浜口雄幸民政党内閣が成立すると、外相には幣原喜重郎が就任し、佐分利貞夫は中国公使に任ぜられた。田中内閣時代に険悪化した日中関係打開のため、佐分利は蒋介石の南京政府と精力的に折衝、多大の信頼をかちえたという。帰国した佐分利は帝国ホテルに止宿、日中外交の転換を策して、条約改正への進言を政府に行ったが、確たる反応が得られなかった。佐分利は懊悩した末、ついに命を断った。佐分利貞夫自殺の報を聞いた中国側の動揺は、当時非常なるものがあったと、後に佐分利を継いで代理公使となる重光葵が回想記に記している。また佐分利貞夫には別の死の要因もあったという。佐分利は3年前に愛妻・文子(日露戦争の外相・小村寿太郎の娘)を亡くしていた。2人の間には子供がいなかった。前年に東京・駒込の吉祥寺で亡妻の法要を営んだ佐分利は、自己の得度式もすませた。その際、佐分利は義兄の拓務次官・小村欣一に向かって、これで自分の葬式も終えたつもりだから、死んでも葬儀はしないで欲しいと語ったとのこと。自身が尽力した外交政策が迎えられないのを憤り、佐分利貞夫は愛妻の後を追う決意をしたものと見られる。自殺直後、抗日派中国人による暗殺説、大陸浪人らの暗殺説などのさまざまな噂が流れた。

事件・犯罪研究会編著『明治・大正・昭和 事件・犯罪大辞典』(東京法経学院出版)より引用)



【補 足】
 事件について簡潔に、わかりやすくまとめられているのでそのまま引用したが、大事な点が抜けている。軍部や右翼による暗殺説である。
 実は当時、最も広く流付したのが、軍部や右翼による暗殺説であった。佐分利の中国に対する協調政策は、軍部や右翼から軟弱と決めつけられていたのである。 新聞では「明日は午前10時15分東京着の電車で帰るので、六時半には起こしてほしい。顔をそりたいので、七時に理髪師をよんでおくように」とオーダーし、床についていたという。
 検死報告では右耳の上部3pの箇所から左耳の後ろ7cmの箇所に抜け、枕に入っていたとなっていたが、解剖の結果左のこめかみに、貫通時にできる焦げ跡が見つかったことから弾丸は左のこめかみから右に貫通していたと訂正されていた。佐分利の甥である一武は、事件現場に着いたとき「現場は相当荒らされていたので検事にピストルの指紋をとったのかと尋ねると自殺だからとってないと答えられ憤然とした」と語ったという。その後警察は解剖をしなおし、弾丸は右のこめかみから左へと貫通していることがわかった。焦げ跡は、理髪師が顔をそるときに誤ってつけたものだと発表した。
 ここで佐分利自殺説の疑問点を井出守『迷宮入り事件の謎』(雄鶏社 ON SELECT)から引用したい。

  • 佐分利は左利きだった。ではなぜ右こめかみ、右手に硝煙反応はあったのか。
  • 警察はなぜ指紋を取らなかったのか。
  • ピストルは六連発の大型のコルト銃だが、佐分利が携帯していた銃はもっと小型である。ホテルへは風呂敷包み一つの軽装備でやってきた佐分利は、どこにピストルを忍ばせていたのか。
  • 理髪師をオーダーした人間が自殺をするか。さらに当日には、農林大臣と会食する予定が入っていた。
  • 遺書がない。
  • きちんとした性格で、身だしなみに人一倍気を使う男が、浴衣に赤い細帯姿で死んだのも不自然である。

     窓もドアも鍵がかかっていたが、ドアの横にある窓には、一つだけ鍵が開いていた窓があったという。
     こうやって書き並べると、本当に自殺であったのかという疑いが沸き上がっても当然であろう。日下圭介も、そんな一人であったと思われる。


    【小 説】
     滝村のアリバイは、喫茶店で相席になった女性が証明してくれる。首にギブスをはめた27,8歳の若い女性。滝村はアリバイを証明するためにその女性を探してもらおうと探偵事務所を営む友人、久坂充弘に頼もうとしたが、警察はあっさりとその女性を見つけてくれた。警視庁の捜査一課巡査部長、倉原真樹だった。彼女は柔道の稽古中、首の骨をはずして休職中だった。
     倉原はかつて、佐分利事件のホテルの女中だった女性に会ったことがあった。そのため、今回の事件の背景にある佐分利事件に興味を持つ。その女中が言うには、開いているとされた窓も内側から鍵が掛かっていたという。 久坂もまた、佐分利事件に関連がある人物を知っていた。23年前、巡査を辞めて探偵社の助手をしていたころ、ある女性から高根沢善隆という人物の調査をしてほしいという依頼を受けた。彼女の小さいころに両親は離婚したが、苗字が高根沢であることぐらいしか知らないという。それが偶然、小さいころの思い出の中にある父とそっくりの人物を見かけた。その人物の名前が、高根沢善隆であることを偶然知ることができた。もしかしたら父のことを知っているのではないか、と。その善隆の父は高根沢嘉平といったが、彼は佐分利公使が死んだ夜に富士屋ホテルに泊まっていたという。


    【感 想】
     重要容疑者のアリバイを証明してくれた若い女性が、実は警視庁の巡査部長だったというのは、ミステリならではのお約束ではあるが、その巡査部長が佐分利事件に関心を持っていたという偶然まで重なるのは、いささか都合が良すぎる。しかも実在の事件では掛かっていなかった窓の鍵を、女中のたったひとことで掛けてしまったことにしてしまうのは、問題ではないだろうか。ミステリであり、あくまで小説上の世界なのだから、どんな設定を考えようと構わないが、現実の事件を引用しながら一部の事実をねじ曲げてしまうというのは、乱暴すぎるところがあるし、読者に対しても誤解を招きかねない。いくら「この小説はフィクションである」などと書かれても、反則行為であろう。
     さらに重要容疑者の友人も、佐分利事件に関連がある人物を知っている。ご都合主義もここまで来るとなると、興醒めするだけである。


    【小 説】
     警察が調べていくうちに、柏木が書いた原稿がなくなっていたことがわかった。
     倉原は久坂たちと調査を始める。その過程で、滝村が高根沢嘉平の孫娘を世話していることを知った。男女関係はなさそうだが、なぜ世話をしているのか。倉原は孫娘である志津子と会うが、会談中に志津子の飼い猫が死に、志津子と倉原にも激しい傷みが襲った。なんとか救急車を呼び、一命を取り留めたが、原因は倉原が持ってきたケーキにあり、しかも薬物が混入されていたという。退院した志津子は倉原と話しをしたいと部屋に呼ぶ。倉原は志津子の部屋を訪ね、鍵は開いていたので入ったが志津子はいない。結局帰ることになったが、翌日志津子の死体が浴槽から発見された。死亡時間は倉原が部屋の中にいた時間だという。倉原は最重要容疑者として警察の尋問を受けることになった。


    【感 想】
     佐分利事件の真相のカギを握る人間が、次々殺されていく。あまりにも安易なサスペンスである。事件の謎解きも、推理ではなく、犯人が勝手に転び自分を追いつめていくだけでしかないので、本格ミステリとしても、サスペンスとしても面白味に欠ける。今回の事件は、犯人が「藪をつついてヘビを出す」だけの殺人を繰り返すだけであり、あまりにもお粗末である。この事件の解決と時を同じくして、佐分利事件の真相も明らかになるのだが、こちらもあっけなさしか残らない。こんなに簡単に明かされてしまうのでは、せっかくの「謀殺」が意味をなさない。


    【結 論】
     戦前に起きた謀殺事件の真相を探ろうとするものが現代で殺されるというテーマを書くというのなら、現実に起きた事件を使う必要はないのである。むしろその方が、登場人物を動かしやすいだろう。
     ただ安易に佐分利事件を使ったというのなら、作家としての実力を疑ってしまう。暗黒の中の昭和史を浮かび上がらせようとするのなら、スポットライトの当て方を間違えている。本書のような扱い方はあまりにも安易である。設定を考えるのが大変だから過去の事件をひっくり返し、使えそうな題材から一本の長編を仕立て上げたと見なされても仕方がない。
     言っちゃ悪いが、凡作。そういう結論にさせてもらいたい。実在事件を安易に使用した凡作といういい例である。

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