黒木曜之助『実録・県警最大事件』(弘済出版社 こだまブック)
茨城新聞の記者だった作者は、1954年に茨城県鹿島郡で起きた、一家九人毒殺人事件のスクープを取るべく、あの手この手の取材を続けてきた。その手口から、帝銀事件との関連も調べられた本事件であったが、警察は記者に悟られること無く、犯人がMであることを突き止めた。しかし宇都宮で捕まったMは、護送される途中で毒を飲んで自殺してしまい、動機については永遠の謎となってしまった。
時は流れて昭和48年、作家となった黒木のところに、立花と名乗る人物が現れた。立花は黒木に手記を手渡す。そこには驚くべき真実が隠されていた。
「茨城一家九人毒殺事件」は、1954年10月11日午前5時頃、茨城県鹿島郡の農家が全焼し、焼け跡から、主人、妻、長男など一家8人と女中の計9人が死体として発見された事件である。司法解剖の結果、全員が青酸カリで毒殺されていたことが判明。無理心中説もあったが、聞き込みで、前日に保健所の者と名乗る白衣の男が、一家の聞き回っていたことがわかり、毒殺放火事件の判断に絞られた。事件の手口から、帝銀事件との関連も噂された。その後、家の自転車が乗り捨てられていた場所から、名前入りのワイシャツが発見。11月6日、捜査本部は、神奈川県横須賀市出身のM(42)を指名手配。Mは窃盗や詐欺などで前科8犯、計24年を刑務所で過ごしてきた。7日、Mは塩原温泉の旅館から逃亡したが、山狩りで発見され、逮捕される。しかし身柄の移送中、持っていた仁丹ケースの二重底に隠していた青酸カリを飲んで自殺した。殺人の手口や動機は不明のままとなった。
黒木曜之助は、筑波昭の名前でも知られている。小説は黒木名義、ノンフィクションは筑波名義と分けていた。
本作に銘打たれている「実録推理」シリーズはかなり多く書かれており、黒木曜之助の作品群の中でも重要な位置を占めるシリーズであった……らしい。現実の事件や歴史の謎を題材とし、自由奔放な解釈を付ける作品群とのことである。ノンフィクションのように未解決事件の犯人像に迫る、といったような類のものではない。
本作では事件から19年後、立花という正体不明の男が現れ、黒木に手記を手渡す。戦争に取られた立花と、残された婚約者との悲恋。婚約者の姉がたどる、当時の独身女性にはありふれていたかも知れない、しかし本人にとっては過酷な運命。何のことはない、ただの恋愛ドラマかと思ったら、米軍やCIAなどが出てきて、事件は一気に『日本の黒い霧』化していく。下山事件なども絡んでいく、「茨城一家九人毒殺事件」の真実が明かされる。
当然のことながら、ここまで来るとどこが「実録推理」なのだろうと首をひねってしまう。ありがちな陰謀史が構成されているが、これを本当の「推理」と捉える読者はまず居ないだろう。それを面白いと読むか、つまらないと読むかは読者の好みだが、個人的にはちょっと馬鹿馬鹿しく感じられた。よくこんなこと考えつくなあ、というレベルの陰謀史であり、感心すると言うほどのものではない。これを一部実名でやってしまっていいのだろうか、という疑問はあるが、今ほどうるさくない時代の小説だから許されたのだろう。
それほど面白い作品ではないのだが、あえて言おう。ミステリファン、特に新本格ファンなら、一度手に取ってほしい。この時代に、こんな結末を迎える作品があるとは思わなかった。前例はあったような記憶がある(手塚治虫にもあったような……)ものの、それにしてもこれはひどい(褒め言葉)。個人的には、ここだけで元を取った気分になる(苦笑)。まあ犯罪マニアにとっては、余り取り上げられることのない「茨城一家九人毒殺事件」が詳しく書かれている点で、読んでみてもよいと思う。
この作品で黒木は、事件を推理してもらうために、警視庁の居木井警部と推理作家の木々高太郎にインタビューを行っている。このとき、教えてもらったのが「津山三十人殺し」と「巣鴨若妻殺し」であったことが、筑波名義の『巣鴨若妻殺し』に書かれているとのことである。
【参考資料】
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