氏 名 袴田 巌
事件当時年齢 30歳
犯行日時 1966年6月30日
罪 状 強盗殺人、現住建造物等放火、住居侵入
事件名 袴田事件(清水市一家4人殺害事件)
事件概要 (以下は起訴内容を中心に書いており、袴田さんは無罪となっている)
 清水市の味噌製造会社に務める工員・袴田巌(はかまた いわお)さんは、1966年6月30日午前1時過ぎ、従業員寮からくり小刀を持って味噌工場にある専務方に侵入し物色していたが、専務の男性(当時42)に見つかったため、数回刺して殺害。さらに、物音で起きた妻(当時39)、長男(当時14)、次女(当時17)も次々に刺して殺害した。そして専務が保管していた売上金204,915円と小切手5枚(額面合計63,970円)、領収書を奪った。さらに工場内にあった混合油を持ち出して遺体に振りかけて放火し、木造平家住宅1棟(332.78m2)を焼毀した。長女(当時19)は祖父母の家に泊まっていたため、無事だった。
 被害者宅には多額の現金・預金通帳・有価証券などが残されており怨恨による犯行と考えられていた。しかし金袋がなくなっていることが判明。7月4日、元プロボクサーで同工場に勤務している袴田巌さんの部屋から血痕のついたパジャマを押収。大々的に報道されたが、実際は二度の鑑定が不可能なほどの微量であった。8月18日、捜査本部は袴田さんを逮捕。連日密室で12時間以上に及ぶ過酷な取り調べの結果、21日後に袴田さんは「自白」した。9月9日、起訴された。
一 審 1968年9月11日 静岡地裁 石見勝四裁判長 死刑判決
控訴審 1976年5月18日 東京高裁 横川敏雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審 1980年11月19日 最高裁第二小法廷 宮崎梧一裁判長 上告棄却 死刑確定
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拘置先 東京拘置所(2014年3月27日、釈放
裁判焦点  1966年11月15日の一審初公判で、袴田被告は「自白は強要された」と全面否認し、無罪を主張した。
 公判当初、犯行の着衣はパジャマで、そこに返り血と放火用の混合油が付着しているとされたが、パジャマの血痕はきわめて微量で、再鑑定ができなかった。また、混合油の成分の同一性に関する鑑定には、強い疑問が生じていた。
 事件から1年2か月後の1967年8月31日、血の付いたズボンなど5点の衣類が、麻袋に入った状態で、すでに捜索済みであったはずのみそ工場のタンクの中から見つかった。衣類から被害者4人のうち3人の血液と、袴田被告の血液が付いていると鑑定された。補充捜査が行われ、9月12日にズボンの切断面と一致する端布が、袴田被告の実家から発見された。9月13日に公判が急遽開かれ、検察側は冒頭陳述における犯行時の着衣をパジャマから5点の衣類に変更した。
 判決では、供述調書45通の内44通について、「自白獲得にきゅうきゅうとして物的証拠に関する捜査を怠った」と捜査手法を批判し、任意性がなく証拠とすることができないとして排除し、1966年9月9日付の供述調書のみ証拠として採用した。また、犯行当時着用していた衣類については「虚偽の自白を得」たとして、捜査について厳しく批判した。
 1967年8月31日に、味噌タンクに隠された麻袋から見つかった白ステテコ、白半袖シャツ、ねずみ色スポーツシャツ、鉄紺色ズボン、緑色パンツの「5点の衣類」について、袴田被告の実家で見つかった端布とズボンの切断面が一致したことから、袴田被告が事件当時着用していたものと断定。また、半袖シャツについていた血痕が袴田被告と同じB型であり、当時右肩を負傷していたことから袴田被告のものとした。そして犯行当時は「5点の衣類」を着ており、その後パジャマに着替えて放火をしたと認定した。くり小刀については、刃物店の証言により袴田被告が購入したものと断定した。そして従業員の証言により、火災鎮火直前に袴田被告が現れるまで誰も袴田被告を見たものがいないことから、事件当時のアリバイがないと断定した。動機については、母・子と三人一緒に住むためのアパートの敷金・権利金がほしかったと認定した。
 以上の証拠より袴田被告を犯人と認定し、残忍非道、鬼畜の所為と批難。社会一般に与えた影響も大きく、極刑以外の判決はないとした。
 なお一審判決については、主任裁判官を務めた熊本典道氏が、自白を取った方法や信用性、また凶器とされるくり小刀と袴田死刑囚との結びつきに疑問を呈し、合議体(3人)で行われた当時の審理で無罪を主張し、1対2で敗れたことを2007年3月に明らかにした。
 また第二次再審請求審で、公判に未提出である否認調書が14通、自白調書が20通あることも判明している。
 控訴審で弁護側は、(1)被害者らにかけられた油は誰にでも購入可能なものであり、石油缶の蓋に血痕がなかったことなどから工場にあった混合油ではない (2)味噌タンクから発見された「5点の衣類」は袴田被告のものではない。特にズボンは小さすぎて、袴田被告がはくことはできない (3)また事件当時は味噌の残量はわずかであり、袴田被告がタンクへ隠したとしてもすぐに発見されるため、袴田被告が隠すのは不可能 (4)くり小刀1本では犯行が不可能 (5)途中でパジャマに着替えて放火するなどの行動は飛躍がありすぎる (6)侵入経路、脱出経路等についても疑義を示した。
 1971年11月20日、「5点の衣類」の装着実験が実施されたが、ズボンが小さくて袴田被告は履くことができなかった。その後2回、同様な実験が行われたが、どちらも履くことができなかった。
 判決で横川敏雄裁判長は、(1)については鑑定人尋問により、工場内の混合油と同じ成分である可能性が相当高いと判断。公判では質問に窮した点も見られたが、工場内の混合油が減少していた証言などより、工場の混合油が使われたと判断した。(2)については、ズボンについていた「B」の文字がB体(肥満体)を示すと判断し、事件当時は履くことができたが、生地が1年以上も水分・味噌成分を吸い込んだあと長期間証拠物として保管されている間に自然乾燥して収縮したものであり、さらに被告が拘留中に運動不足によって体重増加したものと認定した。(3)(4)(5)(6)についても退けた。そして、ズボンが袴田被告のものであること、他の衣服も袴田被告のものである疑いが強いこと、シャツに被告と同じ血液型の血痕がついていたこと、パジャマに被害者らと同じ血液型の血痕及び混合油がついていたこと、アリバイがないことを挙げ、被告を犯人と断定し、控訴を棄却した。
 最高裁は、原判決に事実の誤認がないとして、上告を棄却した。
第一次再審請求  1981年4月20日、静岡地裁へ再審請求。11月13日、日弁連が袴田事件委員会を設置して支援を開始した。
 弁護側は、(1)「確定判決を導いた決定的な証拠」である「自白調書」の内容は各証拠や諸事実と異なる (2)犯人の出入り口とされた裏木戸の上部に留め金がかかっており、人の出入りは不可能。検察の再現模型実験は捏造 (3)「5点の衣類」が隠されたタンクのみその量は少なく、隠すことは不可能。事件1年後の発見経緯も不審 (4)遺体の傷はくり小刀と医一致しないと主張。裏木戸の再現鑑定や実験、5点の衣類のみそタンク実験、自白調書の鑑定など各証拠として提出した。
 1994年8月8日、静岡地裁(鈴木勝利裁判長)は「確定判決の有罪認定を覆す可能性が高い新証拠があるとは認められない」として、再審請求を棄却した。
 弁護側は即時抗告。
 東京高裁の抗告審では、警察がすでに捜索済みだったタンクから見つかったことを重視し、被服学の大学教授など専門家に血痕の付き方の不自然さを証明してもらうなど3種類の鑑定を新証拠として提出した。さらに、凶器とされたくり小刀についても、動物実験により4人を殺害する凶器とはなり得ないことを示すビデオを提出した。弁護団は、袴田死刑囚が親族らにあてた手紙(約10年分)の文面を弁護団が分析を加えた「人格証拠」も提出した。
 東京高裁は衣類の血痕について、被害者のものと一致するかについてDNA鑑定を行ったが、年月の経過で劣化が進んで鑑定不能に終わったことが、2000年7月13日に明らかになった。
 2001年8月3日に提出した最終意見書では、(1)凶器と認定された「くり小刀」で4人を殺害するのは困難(2)見込み捜査に基づいて自白が強要された(3)犯行時の着衣とされたズボンは、袴田死刑囚がはけるサイズではない。また、血痕の付き方も不自然(4)犯行後の脱出口とされた裏木戸から出入りするのは不可能だった――などの点を指摘し、「新証拠を総合評価すれば、静岡地裁判決の誤りは明らか」と主張した。
 2004年8月26日付で東京高裁は、弁護側の即時抗告を棄却した。安広文夫裁判長はまず、確定判決の証拠構造を検討。「犯人が衣類を脱いでから衣類同士が接触して血液が付着する可能性は否定できず、一部に不自然な付着があっても、確定判決の認定に疑問は生じない。水分やみそ成分を吸ったズボンが乾燥して、証拠として保管中に収縮したと認定した確定判決は正当。証拠構造は相当に強固で、ねつ造証拠との主張は仮説の域を出ない」と指摘し、自白以外の証拠で袴田死刑囚が犯人と認定できる、と判断した。さらに弁護側の提出証拠について、再審開始の要件である「無罪や軽い刑を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したとき」にあたらないと判断。いずれの証拠も「明白性」「新規性」の要件を満たしていないと認定した。そして、「新旧の全証拠を総合的に評価しても、確定判決の事実認定に合理的な疑いは生じない」と述べた、
 弁護側は最高裁へ特別抗告。補充書で弁護団は、みそタンク内から見つかり犯行時の着衣とされた衣類の中にブリーフが2枚ある点などについて検討が不十分と主張し、証拠がねつ造された可能性を改めて指摘した。2度目の補充書では、東京高裁が新証拠と認めなかった「自白調書の内容はうそ」とした心理学的鑑定(浜田鑑定)について、「何の具体的な理由も示さず排斥した」と批判。同鑑定の供述分析手法を積極的に評価した最近の判例を挙げながら「高裁判断は鑑定を否定するだけの論理性を備えていなければならない」などと同鑑定の採用を求めた。2007年6月25日には、静岡地裁の一審判決を担当した元裁判官の熊本典道さんの陳述書を上申書に添付した。3度目の補充書では。繊維業者の協力などで実験を繰り返し「ズボンなどが死刑囚のものでないことを科学的に証明した新証拠」を提出した。2008年3月4日、最終意見書を提出した。
 2008年3月24日付で最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は、特別抗告を棄却する決定を出した。4人の裁判官全員の意見。小法廷は「憲法違反など特別抗告できる理由がない」と棄却の理由を述べた。そして新証拠を含む全証拠を総合して、再審を開始すべきかどうか職権で検討。弁護側提出の新証拠のうち、みそタンクから発見されたズボンについて、「タンク内でみそ漬けにされ乾燥して縮んだためはけなくなった」と述べた。また、捏造の指摘について、「タンクに残っているみその中まで捜索していなかったので、衣類が隠されていたとしても矛盾はない」と述べた。また、タンクは捜索直後から約8トンのみその仕込みに使われ、衣類はみそ取り出し作業の最後に発見されたことを指摘。「仕込み作業後にタンクの底に衣類を隠すことは不可能。衣類は縮み具合から長期間みそ漬けになっていたことは明らかで、発見直前にタンクの中に入れられたものとも考えられない」と判断した。逃走経路とされた裏木戸の再現実験までして「自白通りの逃走は不可能」などと弁護側が主張した点についても、「論理に飛躍があり、客観的証拠による犯人性の推認を妨げる事情とはなり得ない」と否定するとともに、「確定判決は自白を除いた証拠のみで袴田死刑囚を犯人と認定している」と指摘した。そして「確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じる余地はない」と結論付けた。
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恩赦出願  1989年3月に恩赦出願をするも保留のままである。
 2005年11月14日には、弁護団が本人を代理して減刑を求める恩赦を法務省の中央更生保護審査会に出願した。15日の紀宮様の結婚式に合わせたものである。こちらも保留のままである。
 2019年3月20日、弁護団は刑の執行の免除を求め、静岡地検に3度目の恩赦を出願した。こちらの保留のまま、回答を得られていない。
 2020年1月15日、4度目の恩赦を出願した。
第二次再審請求  2008年4月25日、静岡地裁へ第二次再審請求。袴田死刑囚は心身の状態から本人による弁護人選任が難しいため、姉の秀子さんが申立人になった。みそタンクから発見された5点の衣類について、当時と同じ状態を再現し、人血が付いた衣類をみそに浸す実験を行った。すると20分で5点の衣類と同じ状態になった。約7カ月浸すと、今度は5点の衣類より色が濃い状態になったという実験結果を新証拠として提出した。また、5点の衣類の一つであるズボンについて、袴田死刑囚にとっては太もものサイズが小さすぎてはけないことを示す鑑定結果を、第一次請求で最高裁に提出したが触れられなかったため、新証拠として再度提出した。
 再審は死刑囚本人が死亡するか心神喪失が認められない限り本人以外は請求できず、秀子さんが請求したことに対し、静岡地検は疑義を呈してきたが、東京家裁が2009年3月、秀子さんを袴田死刑囚の保佐人として認めたことから、地裁、地検、弁護団による3者協議が2009年7月24日を皮切りに行われた。
 2009年12月14日の3者協議で弁護団は、みそタンクから見つかった「5点の衣類」について、同種の衣類をみそ漬けにした実験結果を「新証拠」として提出した。
 2010年9月13日、弁護団の要請に応じ、検察側が5点の衣類のカラー写真や捜査報告書のコピーなど、計29点の資料を初めて開示した。また、二審東京高裁判決ではサイズ・体形を表すものと認定されたズボンに記された「B4」という記号について、「Bは色を示す記号」とするズボンの販売関係者の供述調書も今回開示された。また開示された捜査報告書からは、地裁判決の証拠となった衣類の共布(補修布)が実家から発見される8日前に、捜査員がズボンの製造元から同じ生地のサンプルを入手していたことと、発見して6日後にも、再びサンプルを受け取っていたことが分かった。
 12月6日の3者協議で検察側は、袴田死刑囚が事件時にはいていたとして有罪の根拠になった衣類のカラー写真30枚や関係者の供述調書など証拠8点を新たに開示した。
 2011年2月25日の3者協議で検察側は、袴田巌死刑囚がはいていたとされるズボンの製造会社から県警が当時入手したサンプルの布(5cm四方)を初めて開示した。サンプルは捜査記録では2枚存在するが1枚は不明で、弁護団は「不明の1枚は警察の偽装工作に使用された可能性がある」と主張している。サイズの問題に関連し、弁護団はズボン製造会社の元役員の男性の陳述書を提出し、証人申請も行った。
 3月25日の3者協議で検察側は、犯行着衣とされるズボンの縫製を担当した洋品店関係者5人の供述調書のうち、3人の調書を新たに開示した。一方、残り2人の調書については存在しないと回答。犯行着衣の「5点の衣類」を撮影した写真とネガや、ズボンの生地サンプルについても、同様に「存在しない」と説明したという。
 5月13日の3者協議で検察側は、当時静岡県警が撮影した証拠写真が入った冊子で、「現場編」「着衣編」「解剖編」の3冊を開示した。
 7月1日の3者協議で検察側は、5点の衣類に関連して、ズボンの寸法札、パンツのサンプルの証拠を開示した。それぞれの製造業者が1967年9月、検察に任意提出したものだが、検察側は公判に提出しなかった。このうち、ズボンの「B」の横に「色」と書いてあることが分かる写真も開示された。また、衣類に残った血痕のDNA型鑑定を実施する方向で合意した。
 8月23日付で静岡地裁は、検察側、弁護側それぞれが推薦した専門家2人を鑑定人に選任してDNA鑑定を実施すると正式決定した。
 8月29日の3者協議で、袴田死刑囚が着ていたとされる衣類5点に加え、被害者である男性(当時41)のズボンと下着など6点を含め、計11点について、血痕のついた部分を約2cm×約1cm大に切り取り、半分にして双方の鑑定人が持ち帰った。また静岡地裁は、弁護側が開示を求めた資料に対し、(1)存在の有無(2)あるのに開示できないならその理由――の2点を11月11日までに回答するよう検察側に要請した。しかし静岡地検は、期限までに回答することができず、11月16日に意見書を提出した。この中で袴田死刑囚の供述を録音したテープが存在することを明らかにしたが、再審請求には関係ないとして、テープの開示は拒否した。他に現場検証の写真などについても「新証拠の新規性や明白性を判断する上で関連性がなく、取り調べる必要性もない」として開示を拒んだ。一方、未開示だったみそ製造会社従業員の供述調書など計約120点は、新たに証拠提出するとした。
 11月21日の3者協議で検察側は、地検から従業員寮の部屋を家宅捜索した際の写真や、袴田死刑囚の犯行着衣とされている5点の衣類に関する捜査をした警察官の供述調書などの証拠を開示した。地裁は録音テープについて、12月2日までに録音時期を明らかにするよう検察側に要請した。11月30日付の回答書で、テープは起訴後の1966年9月21日に録音されたことが分かった。さらに、公判に未提出である否認調書が14通、自白調書が20通あることも新たに判明した。
 弁護側が承認申請し、地検が反対して保留となっているズボン製造会社の元役員の男性に対し、地検は11月21日に男性を電話で呼び出して調書を作ろうとしたため、弁護団は即日「裁判手続きを軽んじる行為」と批判する緊急申し入れ書を地裁に出した。地検は「無用の紛議を避けるため」呼び出しを撤回した。
 12月5日、静岡地裁は未開示証拠176点を開示するよう、静岡地検に勧告した。地検は同日、勧告を受け入れることを決めた。開示勧告の対象は、県警が袴田死刑囚の取り調べを録音したテープ1本と、供述調書など約30通、現場の写真とネガ計約80枚、凶器とされた小刀など。
 12月12日の3者協議で検察側は、未開示だった計176点の証拠を開示した。
 12月15日、静岡地検は2008年4月から2011年2月までに新証拠として提出した再審請求書など8件について「新規性や明白性を欠く」と反論する意見書を静岡地裁に提出した。犯行時の着衣とされるズボンの寸法札の表示について、弁護団の指摘通り、「B」と記載された表示をズボンの型とした確定判決の事実誤認を認めた。だが、サイズが小さすぎてはけなかったとする弁護団の主張には「ズボン製造会社の証言などから、ズボンをはくことは十分可能で確定判決の結論を左右しない」とした。衣類がみそ工場で発見された状況を再現した弁護団の実証実験についても、「衣類がみそに漬かっていた状態を正確に再現したものではなく、その証明力はほとんどない」と主張した。
 12月22日、静岡地裁はDNA鑑定の結果を地検、弁護側に伝えた。衣類の血痕について、弁護側推薦の鑑定人は(1)被害者の着衣と5点の衣類についたDNAが一致しない (2)5点の衣類からは、被害者の着衣から出ていないDNA型が複数認められる (3)血縁関係のない、少なくとも4人以上の血液が分布する可能性が高い――との点から、「被害者の血とは確認できない」と判断したのに対し、検察側推薦の鑑定人は、人血かどうかや血液型の問いに「検討しなかった」と回答。またDNA型は、髪の毛、唾液、触った時に残る皮膚細胞からも採取できるため、地裁は血液のDNA型かどうかを明らかにするよう求めていたが、その点も「不明」とした。被害者の男性専務のものとされた血痕から抽出されたDNA型を女性のものと推定。しかし、「5点の衣類」のうちの緑色パンツの血痕から検出したDNA型の一部は、被害者のものとみられる複数の衣類から検出したものと一致したと指摘。「被害者の血である可能性が排除できない」との見解を示し、双方食い違う結果となった。
 2012年1月23日の3者協議で、弁護団が実施を求めていた袴田死刑囚自身のDNA型鑑定について協議し、実施する方向で一致した。
 2月10日、静岡地裁(原田保孝裁判長)は袴田死刑囚本人のDNA型と血液型の鑑定を実施することを正式決定した。鑑定人は昨年、犯行着衣とされる衣類のDNA型鑑定を担当した専門家2人。静岡地裁は3月1日、鑑定人と協議し、今月中旬までに本人の同意を得た上で、袴田死刑囚の検体を採取することを決定し、14日に採取した。
 4月13日、弁護側の鑑定人の結果が、袴田巌死刑囚のものとされてきた衣類の血痕が、本人のDNA型とは違うことが明らかになった。検察側は試料の古さなどから鑑定の正確性を疑問視しているが、鑑定は「いかに試料の劣化や汚染を考慮しても、不一致は必然性がある」と指摘した。16日には、検察側の鑑定人の結果も、袴田死刑囚のDNA型と一致しないことが明らかになった。
 5月8日、弁護団は地検の意見書に対する反論書を静岡地裁に提出した。
 9月27日、袴田死刑囚の「自白」録音テープを分析していた浜田寿美男・奈良女子大名誉教授(法心理学)の鑑定書が明らかになった。鑑定書は袴田死刑囚の供述を、「真犯人しか知り得ない『秘密の暴露』ではなく、無実の人が語る『無知の暴露』だ」と述べ、無実を示していると指摘している。
 9月28日の3者協議で、二人のDNA鑑定人を11月に地裁で証人尋問することを確認した。
 11月2日に弁護側推薦鑑定人に対する弁護側の尋問が、11月19日に検察側推薦鑑定人に対する検察側の尋問が、それぞれ非公開で行われた。12月26日に弁護側推薦鑑定人への検察側の反対尋問が、2013年1月28日に検察側推薦鑑定人に対する弁護側の反対尋問が、それぞれ非公開で行われた。
 2013年3月1日の3者協議で、5点の衣類の真偽を検証する証人尋問を、5月24日に実施することが決定した。また、袴田死刑囚の否認調書に登場する関係者15人の供述調書計63通が存在することを静岡地検が認め、そのリストを公開したが、調書そのものの開示は拒否した。
 3月29日、地検と弁護団はDNA型鑑定の結果に関する意見書を地裁に提出した。
 5月24日の3者協議で、5点の衣類に関する変色実験を実施した弁護側証人に対する尋問が非公開で行われ、証人は「5点の衣類と同じものを短時間で作り出せる。5点の衣類は1年以上もみそ漬けになってはいない」と証言した。
 7月5日、静岡地裁は静岡地検に、袴田死刑囚の否認調書に登場する関係者20人の供述調書や捜査報告書計130通を開示するよう勧告した。
 7月26日の3者協議で地検は、当時の関係者の供述調書など130通を新たに開示した。この中には、同じ社員寮だった同僚2人が事件当時、静岡県警の事情聴取に「サイレンを聞いて部屋を出ると、袴田(死刑囚)が後ろからついてきて、一緒に消火活動をした」と話した調書があることが後にわかった。「事件前日の午後10半ごろから鎮火が近いころまで袴田死刑囚の姿を見た者はいない」とする確定判決と食い違う一方、袴田死刑囚の「事件当時は部屋で寝ていた。火事を知り(この同僚)2人の後から出て行った」という主張と一致する。2人の消息は不明。
 9月13日の3者協議で、弁護団、静岡地検双方による最終意見書の提出日程が12月2日と決定した。
 9月30日付で地検は、犯行時に着ていたとされる衣類がみそタンクの中から発見された当時の状況が書かれた県警の捜査報告書など書類3通を開示した。
 10月17日、地検は、衣類が見つかる前のみその仕込み作業などについて記載された捜査報告書1通を開示した。
 12月2日、弁護団、静岡地検双方の最終意見書が静岡地裁に提出された。12日、地検は追加の意見書を提出した。これについては弁護側が抗議している。
 12月2日、静岡地裁の村山浩昭裁判長らは、袴田死刑囚のいる東京拘置所を訪問。拘置所職員を通じて、再審請求の関係で意見聴取に来たことを伝えたが、「どうしたって死刑になるんだから」と断られた。
 12月16日、静岡地裁で申立人の最終意見陳述が行われ、秀子さんは早期の再審開始を求めた。地裁は、地検が出した12日付の捜査報告書と16日付の意見書について、最終意見書の提出後であることを踏まえ「信義則に反する」と述べ、証拠として採用しなかった。
 2014年3月27日、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は、犯行着衣とされた「5点の衣類」をめぐるDNA型鑑定結果を新たな証拠と認めた上で、「(袴田元被告を)犯人と認めるには合理的な疑いが残る」として再審開始を決定した。刑の執行停止に加え、拘置の停止も認める異例の決定となった。法務省によると、死刑囚の再審が決定したケースで、拘置の執行停止が認められたのは初めて。
 村山裁判長は決定理由で弁護側鑑定について、「検査方法に再現性もあり、より信頼性の高い方法を用いている」と指摘。「検察側主張によっても信用性は失われない」と判断した。そのうえで、犯行時に元被告が着ていたとされる着衣は「後日捏造された疑いがぬぐえない」と指摘。DNA型鑑定の証拠が過去の裁判で提出されていれば、「死刑囚が有罪との判断に到達しなかった」と述べ、刑事訴訟法上の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にあたると結論づけた。さらに「衣類以外の証拠も犯人性を推認させる証拠が弱い」と指摘。「捏造された疑いがある重要な証拠で有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄拘束されてきた」として、「再審を開始する以上、死刑の執行停止は当然」とも指摘した。
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 静岡地検は、拘置の執行停止決定を不服として、静岡地裁にこの決定を停止するよう申請すると同時に、東京高裁に決定の取り消しを求めて抗告したが、静岡地裁は静岡地検の申し立てを退けた。抗告に対する高裁の判断には時間を要するため、地検が釈放を指揮し、袴田元被告は同日午後、逮捕から47年7カ月ぶりに釈放された。3月28日、東京高裁(三好幹夫裁判長)は、拘置の停止を認めた静岡地裁の判断を支持する決定をした。上告されなかったことから、釈放の決定が確定した。
 静岡地検は3月31日、決定を不服として東京高裁に即時抗告した。同地検の西谷隆次席検事は抗告の理由について、「DNA型鑑定に関する証拠の評価などに問題がある」「証拠について、合理的な根拠もないのに、警察によって捏造された疑いがあるなどとしており、到底承服できるものではない」とコメントしている。
 2014年8月5日、東京高裁と東京高検、弁護側による初の3者協議が開かれ、検察側は今まで存在しないと言っていた5点の衣類のカラー写真のネガが存在することを明らかにし、謝罪した。東京高検は、犯行着衣とされた「5点の衣類」の写真ネガ約90枚を東京高裁に提出した。
 袴田さんの取り調べ時の48時間分の録音テープが発見され、証拠開示された。いつの録音かは不明。その中に、逮捕から5日後の袴田さんが5分間、弁護人と接見する会話が含まれていた。支援団体は静岡県警に質問状を出したが、審理中を理由に回答はなかった。
 2015年12月7日、東京高裁(大島隆明裁判長)は、再審開始決定の決め手となった弁護側のDNA型鑑定の有効性を確認する再現実験を実施する決定をした。弁護側が実験への協力を拒否したため、高裁は検察側が推薦した大学教授を鑑定人に選任した。
 2016年3月に検察が開示した逮捕当日(8月18日)の静岡県警の身体検査調書に、袴田さんが逮捕後に「犯行時に被害者に蹴られてできた」と供述した右足の脛の傷が記載されていなかったことが判明。弁護団は証拠捏造の疑いを指摘し、改めて再審開始を求める意見書を5月16日に東京高裁へ提出した。
 再審の決め手となったDNA型鑑定の手法を検証した大阪医科大の鈴木広一教授は、鑑定手法は再現できないとする検証経過報告書を2017年6月5日付で提出。6月29日の3者協議で弁護側は、鈴木教授の検証手法について、裁判所が依頼した通りに行われていないとして非難する意見書を提出。また検証結果については「特別なたんぱく質を使用しても、DNAは検出されることを明らかにした」との見解を示し、地裁の再審開始決定は揺るがないと主張した。
 9月26日と27日、DNA型鑑定をした本田克也・筑波大教授と、それを検証した鈴木広一・大阪医大教授の鑑定人尋問が行われた。
 11月6日の3者協議で大島裁判長は、最終意見書を来年1月19日までに提出するよう指示した。その上で「年度内に決定を出す」と明言した。2018年1月、検察側と弁護側は最終意見書を提出した。
 2018年6月11日、東京高裁(大島隆明裁判長)は「DNA型の鑑定結果を信用できるとした地裁の判断は不合理」として検察側の即時抗告を認め、静岡地裁の再審開始決定を取り消した。なお、「年齢や生活状況、健康状態などに照らすと、再審請求棄却の確定前に取り消すことは相当であるとまでは言い難い」として、死刑と拘置の執行停止は取り消さなかった。
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 袴田元被告側は6月18日、最高裁に特別抗告した。
 最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は2020年12月22日付の決定で、再審開始を認めない東京高裁決定を取り消し、高裁に審理を差戻した。5人の裁判官のうち3人の多数意見で、高裁決定の取り消しは全員が一致。林景一、宇賀克也裁判官は「差戻しではなく再審を開始すべきだ」と反対の立場をとった。死刑の執行停止と釈放は維持される。
 小法廷は、「5点の衣類」に付着した血痕の色について検討。衣類発見時の実況見分調書には「濃赤色」などの記載がある一方、弁護側による再現実験では、みそ漬けにした衣類に付いた血痕は6カ月後に黒色に近くなったとし、血痕の色は専門的知見に基づき検討する必要性があると指摘した。その上で、弁護側が高裁段階で主張した醸造中のみそが褐色化する「メイラード反応」について検討。弁護側が提出した意見書は、血痕が黒っぽく変化したのも主に同反応の影響だとしたが、高裁はこの点について審理を尽くしておらず、「袴田さんの犯人性に合理的な疑いを差し挟む可能性が生じ得るのに、影響を過小評価した誤りがある」と結論付けた。
 一方、地裁が再審開始決定の最大の根拠とした衣類に付着した血痕のDNA型鑑定結果は「DNAが残存しているとしても極めて微量で劣化している可能性が高い」として証拠価値を否定した。
 2021年3月22日、東京高裁、弁護側、検察側との第1回3者協議を開き、犯行時の着衣とされた5点の衣類に残る血痕の変色状況を争点とすることを改めて確認した。弁護団は最高裁の決定後、改めて再現実験を実施。いずれの条件でも血痕の赤みは消えたといい「検察側で赤みが残る条件を明らかにできないなら、速やかに審理を終結させるべきだ」との意見書を提出した。
 6月21日の3者協議で、弁護団は約60通りの実験で4週間もあればどういう条件であっても赤みが残らないで黒くなることが確認されたという実験結果を新証拠として提出した。
 7月3日、検察側は食品衛生学などの専門家2人の意見をまとめた報告書を高裁に提出し「当時のみその色が淡色にとどまっていることから、血痕の赤みを失わせるような化学反応が進行していたとは認められない」と反論した。
 8月30日の3者協議で弁護側は検察側の報告書に対し、検察側が以前に行った実験でも血痕は1カ月で黒くなった点との矛盾を指摘し、さらなる説明を求めた。
 弁護団は11月1日付で、5点の衣類の血痕について、「みその塩分などで血液中の成分が変化し、赤みが残ることはない」とする鑑定書を東京高裁に提出した。弁護団が今回新たに提出した法医学者らの鑑定書は、メイラード反応とは別の化学反応で、ヘモグロビンの変化による血液変色を分析した。その結果、みそに漬かると赤みの要因となるヘモグロビンが酸化して数週間で赤みが消えるとし、「衣類をみそに1年以上漬けた場合、赤みは残らない」と結論づけた。
 11月22日の3者協議で、検察側は「実験に対して反論する報告書を2月末までに出す」などと述べた。
 2022年2月24日付で検察側は意見書を提出。検察側の独自実験では衣類の血痕をみそに約5カ月間つけても赤みが残ったと指摘。そのうえで「衣類にしみこんだ血痕は化学反応が起こりにくい」と説明し、弁護側の鑑定書は「血痕の色調変化について論理的な推論がない」と訴えた。東京高検は昨年9月にみそ漬け実験を開始した。静岡地検の一室を利用し、定期的に観察を続けている。この実験で、条件次第では5カ月間みそに漬けた血痕に「顕著な赤み」が観察できたと指摘。血液の量やみそ漬けになるまでの乾燥の程度が、血液の色調変化に影響を及ぼす可能性が高いと分析した。
 3月14日の3者協議で弁護側は、検察側の実験は「条件設定に問題があり、信用できない」と反論した。検察側は、真空パックの中で5か月間漬けていたという。協議では、弁護団の鑑定書を作成した専門家らに対する証人尋問を6月以降に実施する方針が決まった。
 6月27日の3者協議で、専門家への証人尋問を7月22日と8月1日、同5日に行い、11月には検察側実験を視察することが決まった。
 7月22日、弁護側鑑定書を作成した旭川医科大の清水恵子教授と奥田勝博助教に対する証人尋問が非公開で行われた。血痕の付着した衣類を1年間みそ漬けにした場合、血中ヘモグロビンが変質し、さまざまな化学物質と混合して血痕は黒褐色になると証言した。赤みが残るとして検察側が独自に行っている実験については、みその発酵が進みにくい真空パックや脱酸素剤が使われている点などを挙げ、自然界と懸け離れた極端な条件設定をしており「意味がない」と指摘した。
 8月1日、検察側が請求した法医学者2人の証人尋問が非公開で行われた。弁護側によると、法医学者2人のうち1人が検察側の再現実験で「血痕の赤みが残ると推論できる」と答えたが、根拠は示さなかったという。もう1人は「みそタンク内は酸素濃度が薄く、血痕の化学変化の速度が遅くなる。1年2カ月後でも赤みが残る可能性はある」という趣旨の説明をしたという。一方、弁護側が別の法医学者に依頼して高裁に提出した「血痕は黒褐色に変わる」とする鑑定書に対しては、そのメカニズムは否定しなかったが、実験の結果は「血液」についてで、布に血液が付いた「血痕」でも当てはまるか疑問だと証言した。
 8月5日、弁護側が申請した物理化学の専門である北海道大学の石森浩一郎教授への証人尋問が非公開で行われた。弁護団によると石森教授は、最大の争点となっている犯人のものとされる衣類についた血痕の色の変化について、「時間がたつと赤みはなくなる」とする弁護側の鑑定書の内容に異論はないと証言したという。
 9月26日の3者協議で東京高裁は、12月2日までに最終意見書を提出するよう、検察側、弁護側に求めた。大善文男裁判長は今年度中に決定を出す意向を示した。
 11月1日、東京高裁の大善文男裁判長ら裁判官2人が静岡地検を訪れ、弁護団立ち合いのもと、事件発生から「5点の衣類」が見つかるまでの時間と同程度、みそにつけた布を引き上げ、写真などに収めたということです。弁護団は2日に記者会見で、検察側の実験結果について「赤みが残っていなかった」との見解を明らかにした。
 12月2日の3者協議で、弁護側と検察側双方が最終意見書を提出した。検察側は高裁が再審請求を棄却する決定をした場合は「刑の執行停止を取り消した上で、身柄を収容すべきだ」と主張した。弁護側は意見書で、みそ漬け実験や専門家による変色メカニズムの鑑定を踏まえ、みその弱酸性と塩分濃度で血液成分のヘモグロビンが変質してさまざまな物質を生じさせ、最終的に限りなく黒に近づくと説明した。血痕に赤みが残る衣類について「犯行着衣との認定に合理的疑いが生じたのは明らか」とし、再審を開始すべきだと訴えた。一方、検察側は意見書で、男女15人から採血し、脱酸素剤や真空パックなどを用いたみそ漬け実験で、血液量の多いサンプルの血痕周辺部分などに赤みが観察されたと指摘。「凝固、乾燥などにより全体に化学反応が起こりにくくなり、赤みが残りやすくなった可能性がある」とし、弁護側実験は無罪を言い渡すべき新証拠に当たらないと主張した。
 12月5日の3者協議前に袴田巌さんが大善文男裁判長と面会し「事件はない」「俺はもう無罪になっている」などと語ったという。 その後、東京高裁で3者協議が非公開で行われ、弁護団が最終意見陳述をして審理が終結した。弁護側は最終意見陳述で、みそ漬け実験結果や専門家の尋問を踏まえ、「血液成分のヘモグロビンが分解、酸化して赤みを消失させるほか、血液のアミノ酸やたんぱく質もみその成分と化学反応を起こして変色が進行する」と説明。検察側の実験は乾燥した血痕を使うなど赤みが残りやすい条件になっていると批判しつつ、大半で赤みが消失したとした。一方、検察側は陳述しなかった。
 2023年3月14日、東京高裁(大善文男裁判長)は静岡地裁の再審開始決定に対する検察側の即時抗告を棄却した。また地裁の死刑執行及び拘置停止を支持した。衣類に付着した血痕を1年以上みそに漬けた場合、醸造中のみその中で糖とアミノ酸が反応して褐色物質が生じる「メイラード反応」などにより、みそ漬けされた血痕は限りなく黒に近い褐色化がより一層進むなどとした教授らの見解や、これを基本的に支持する別の教授の見解は十分信用できるとし、その通り認定した。また検察側は2021年に行った実験結果の写真を出して「周辺部に赤みが残った」と主張したが、高裁は「撮影用の白熱電球を用いて赤みが強調されている」と指摘。立ち会いの際に白熱電球を使わずに撮った弁護側の写真の方が「裁判官が肉眼で見た状況をより忠実に再現している」と述べ、5点の衣類がみそ漬けされていたタンク内の条件より血痕に赤みが残りやすい条件の下で実施されたといえるにもかかわらず、試料の血痕に赤みが残らないとの実験結果が出ており、弁護側鑑定の見解を裏付けるものと判断。以上から、弁護側の実験報告書について、衣類の血痕には赤みが残らないことを認定できる新証拠と認定。他の証拠と総合し、確定判決の認定事実に合理的な疑いを生じるとした。そして衣類の証拠の重要性や、袴田さんが衣類をタンクに入れることが事実上不可能であることなどから、確定判決の認定に重大な影響を及ぼすことは明らかだとした。そして確定判決で根拠とされた主要な証拠は、それだけでは袴田さんが犯人だと推認させる力がもともと限定的か弱いものでしかなく、実験報告書などの新証拠で証拠価値が失われるものもあると判断。そして5点の衣類は、袴田さん以外の第三者がみそタンクに隠した可能性が否定できず、さらにこの第三者には捜査機関も含まれ、事実上捜査機関の者による可能性が極めて高いとした。
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 東京高検は3月20日、最高裁に不服を申し立てる特別抗告を断念したと発表した。再審開始の判断が確定した。東京高検の山元裕史次席検事は「承服しがたい点があるものの、特別抗告の申し立て理由があるとの判断に至らなかった」とコメントした。
その他  2004年2月20日、袴田死刑囚は精神障害で判断能力が不十分であるとして姉の秀子さんが、静岡家裁浜松支部に袴田死刑囚の成年後見人の申し立てをした。
 2008年6月27日付で東京家裁は、申し立てを却下した。審判書は、袴田死刑囚について長期の拘置で拘禁反応があるが、コミュニケーションや生活の能力に問題はないと判断。精神障害の程度については、成年後見制度で「後見」に次いで症状が重い人が対象の「保佐」に当たるとした。12月19日、東京高裁(園部秀穂裁判長)は一審決定を破棄し、審理を差戻した。
 2009年3月4日までに東京家裁は、袴田巌死刑囚について成年後見制度を適用し、姉の秀子さんを保佐人に選任した。現行の成年後見制度が死刑囚に適用されるのは初。東京家裁は袴田死刑囚について、妄想的思考などの精神障害があると判断。成年後見人が必要な心神喪失状態とは認められないが、心神耗弱状態にあるとして保佐開始が相当とした。
 2012年4月25日、姉の秀子さんは、袴田死刑囚の成年後見人になることを求める申立書を東京家庭裁判所に提出した。2013年5月21日付で東京家裁(小西洋家事審判官)は、必要な鑑定ができず、後見開始の審判ができない」として却下した。
 7月10日、東京高裁(園尾隆司裁判長)は「精神鑑定ができていない」との理由を示し、即時抗告を棄却した。
 9月30日付で最高裁第一小法廷(横田尤孝裁判長)は、「単なる法令違反の主張で特別抗告の事由に該当しない」と判断して棄却した。
 川崎市多摩区の川崎新田ボクシングジム会長で第31代OPBF東洋太平洋バンタム級王者のである新田渉世さんは袴田さんの支援活動を続け、2006年5月、東日本ボクシング協会が再審支援委員会(輪島功一委員長)を発足させた。以後も支援活動を続けている。
 世界ボクシング評議会(WBC)は2013年11月にタイで開かれた総会で袴田死刑囚の支援を表明。2014年1月、袴田死刑囚が釈放された場合、「名誉チャンピオンベルト」を授与することを決めた。米国では、殺人容疑で逮捕され19年間の投獄後に無罪となった元ボクサー、ルビン・カーター氏にWBCがベルトを授与した例がある。
 釈放を受け、2014年4月6日、WBCは名誉王者のベルトを贈った。東京・大田区総合体育館で行われたベルト授与式には、入院中の袴田さんに代わって姉の秀子さんが出席。マウリシオ・スライマンWBC会長から現役時代の袴田元被告の写真が入ったベルトを受け取った。
 2004年、『宣告の果て~確定死刑囚・袴田巖の38年~』(静岡放送)が放映。日本民間放送連盟賞報道番組部門最優秀賞を受賞した。
 高橋伴明監督による『BOX―袴田事件』が2010年夏に公開された。無罪の確証を持ちながら死刑判決を書かざるを得なかったと告白した熊本典道元判事の苦悩を軸に描かれた。主演は萩原聖人、袴田死刑囚には新井浩文が扮した。
 2016年2月、ドキュメンタリー映画『袴田巌 ―夢の間の世の中―』が公開された。
 2024年10月、ドキュメンタリー映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』が公開される。
 2010年4月22日、超党派の衆参両議院57人による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」が発足。民主、自民、公明など所属に所属する超党派の衆参両院議員7人が発起人となり、代表には牧野聖修・民主党衆院議員(静岡1区)が就いた。
 2014年3月18日に再始動し、会長に塩谷立衆院議員(自民、静岡8区)が就いた。
再審一審 2024年9月26日 静岡地裁 国井恒志裁判長 無罪判決
再審控訴審 2024年10月9日、静岡地検が上訴権を放棄、無罪確定。
再審公判  2023年10月27日の再審初公判で、静岡地裁の国井恒志裁判長は「被告人」の呼称を使わず、「袴田さん」と名前で呼んで審理を始めた。
 地裁は事前に、袴田さんは心神喪失の状態にあるとして出廷免除を決めたため、代わりに姉の秀子さんが被告側の席に座った。起訴内容の認否を問われた秀子さんは「巌に代わって無実を主張します」と述べた。
 冒頭陳述で検察側は、被告が犯人だと主張。その大きな根拠となる3点として、1点目に犯人がみそ工場関係者だと強く推認されること。根拠としては、被害者宅から従業員用の雨合羽が見つかった▽ポケットに凶器とされた「くり小刀」のさやがあった▽工場の混合油の缶から約5・65リットルなくなっていた上血が検出された、などと指摘し、犯人の事件当時の行動を、被告が取ることが可能だったとした。2点目に、みそ工場の醸造タンクから発見された「5点の衣類」が、被告が犯行時に着用し、事件後にタンクに隠匿したものであること。衣服の血痕には赤みが残っており、弁護側は1年以上みそ漬けされた場合は血痕に赤みが残らず、衣類はタンクから発見される直前にみその中に入れられたと主張するが、検察官は、血痕の赤みも残り得ることを主張、立証すると述べた。3点目に、被告が犯人である事情がある。被告は事件直後、左手中指に鋭利なもので切ったとみられる傷を負っていて、被害者をくり小刀で突き刺すなどした際に小刀で負った傷であると考えられる。また、被告が事件直後に着ていたパジャマから他人の血液型の血や、混合油が検出されており、犯行後にパジャマに着替えた時などに付着したと考えられる。小刀の販売店員は、28枚の顔写真の中から見覚えがあるとして被告を選び出している。以上から、全体として被告の犯人性が裏付けていることを立証すると述べた。
 弁護側は、袴田さんの人生を奪った責任は、重要証拠を次々に捏造して違法捜査を繰り返した警察にあり、無実を示す証拠を隠蔽した検察にあり、それを安易に見逃した弁護人や裁判官にもある。再審の形式的な被告は袴田さんだが、ひどい冤罪を生んだ司法制度も裁かれねばならない、と訴えた。そして犯行状況から、1人での犯行は不可能と述べ、さらに犯行時刻が深夜1時なのに被害者らがワイシャツや腕時計、石付きの指輪をしていたのはおかしい。さらに家には物色された痕がなく、押し入れには現金や小切手の入った袋があったのにそのままとなっていたのもおかしいと訴え、事件は複数の者が怨恨によって起こしたものだと主張した。さらに、警察は当初から証拠を捏造し、異常な長時間の取り調べで自白させ、虚偽の証拠を作ろうとしたが、有罪判決が得られるか不安になり、新たに捏造したのがみそタンクから発見された5点の衣類であると訴えた。そして再審請求審で血痕の色などで捏造が明らかになったのに、検察官は5点の衣類にしがみついていると非難した。そして検察官は事件全体を虚心で振り返り、袴田さんの有罪立証は不可能だと呼びかけ、袴田さんが無罪だと主張した。
 11月10日の第2回公判で弁護側は、初公判での検察側の主張では、「どこから侵入したのか」「どこで刺したのか」「金品の奪い方」の3点について、明らかにされていなかったと指摘した。そして検察側が主張する「犯人がみそ製造会社の関係者の袴田さんである」という点について、証拠などをもとに反論した。弁護側は、「合羽はごわごわと音がする、雨も降っていない中、夜に侵入するのに着る理由がない」と指摘。また、検察が凶器と主張する「くり小刀」は、被害者の傷の深さなどから凶器と考えられない上、さやと刃物が同一の物かについての捜査がしつくされていないと反論し、雨合羽やくり小刀については警察側の捏造とまで言及した。
。  混合油の缶についても、血がついていたのは缶の側面のみで、底や取手に血がついていないので不自然。さらに、何の油が使われたのか確定していないのに、減っていたというだけで「混合油」というのは疑問があると指摘した。今回新たな証拠として、袴田さんが当時履いていたとされるゴム草履の実物を提示。ゴム草履に血液も油も付着されていないのは、袴田さんが犯行に及んだとすると不自然と指摘した。そして弁護側は事件現場の状況などから「みそ工場関係者が1人で起こした事件ではなく、外部の複数人によるものだ」などと訴えた。袴田さんが犯人と同じ行動を取ることができたとの主張に対しては「単なる可能性にすぎない」と指摘した。
 11月20日の第3回公判で、検察側が犯行時の犯人の着衣とする「5点の衣類」に関し、5点の衣類のうちズボンと同じ生地の布端が袴田さんの実家から見つかったことを挙げて「衣類が被告(袴田さん)のものであることを決定づけている」と主張。半袖シャツの右袖にある2か所の損傷と、袴田さんが負傷した右腕の位置が概ね整合するとして「5点の衣類」は犯行時に袴田さんが着用していたと説明。さらに、袴田さんがみそタンクに衣類を隠したことについて、袴田さんの業務内容から衣類を隠すことは極めて自然で、新しいみそが仕込まれるまでに衣類を隠したと主張した。また、袴田さんが事件前に5点の衣類に酷似したものを着用していたとする工場従業員の目撃証言があることなどから、「合致する衣類を入手するのは困難。捏造は非現実的で不可能だ」と強調した。
 12月11日の第4回公判における「5点の衣類」に関する証拠調べで、検察側は、袴田さんが、衣類が見つかったみそタンクの担当をしていたため、隠匿しても「不思議ではない」との同僚従業員の供述を読み上げた。確定審や再審請求審で取り調べられた供述調書や捜査報告書などを提示した。
 同日、弁護側は5点の衣類に似た白や緑の生地を1年2カ月間、みそに漬ける実験をしたところ、みその色に染まることが確認されたと主張。実際の5点の衣類は元々の生地に近い白や緑のままで見つかっているとし、「1年2カ月もみそに漬かっていないことをはっきり示している。(袴田さんが逮捕された後である)発見直前に入れられており、捏造した証拠だと誰でも分かる」と訴えた。さらに5点の衣類は再審請求審で2度にわたり、事件からしばらくたって捜査機関がみそタンク内に入れた捏造の可能性が高いと判断されていることを指摘し、「検察側の主張・立証は確定審から何も変わっておらず、有罪立証を断念すべきだ」と述べた。
 またこの日、確定判決が袴田さんの犯行着衣とした「5点の衣類」のうちズボンとステテコが展示された。弁護側は、ズボンの下にはくステテコの方が大きいことなどと指摘した。
 12月20日の第5回公判で、検察側は、袴田さんが事件後に着用していたとされるパジャマに血液や、放火に使われたとみられる混合油が付着していたと指摘。被害者の血液型と一致する血液も確認されたとした。その上で、袴田さんが事件後に、検察側が犯行着衣と主張する「5点の衣類」から「パジャマに着替えた可能性が考えられる」と説明した。質屋の利用を重ねていたなどとして袴田さんには金品を入手する動機があったと主張。殺害された専務が自宅に持ち帰った売り上げの金額を聞き、「結構入っているじゃないか」などと他の従業員に話していたなどと指摘した。また、袴田さんが事件直後に、左手中指に鋭利なもので切ったとみられる傷を負っていたことについて「被害者をくり小刀で突き刺した際にできた傷と推察できる」と説明。刃物屋店員の証言を踏まえ、くり小刀は袴田さんが購入したことが疑われるとした。
 弁護側は、パジャマから血痕が検出されたとする検察側の鑑定結果に「肉眼では血痕かさびか、しょうゆのしみか判断できない僅かなしみ」だったとし、当時の技術で微量の血液から血液型を鑑定することはできず、「鑑定結果は信用できない」と反論。「混合油が検出された」とする静岡県警の鑑定は別の専門家らに否定されており、「混合油は検出されていない」と主張した。刃物屋店員は後に弁護団に証言を否定する告白を行っているとし、左手の傷については「(現場の)消火活動中に負ったもの」と反論。現場に現金があると知っていたことについても、「従業員なら売上金の所在を知っているのは不思議ではない」などと述べ、強盗殺人の動機とするには「論理の飛躍が限度を超えている」と批判した。
 2024年1月16日の第6回公判で、弁護側は5点の衣類のうち、右袖に穴が開いた灰色のスポーツシャツを法廷に提示し、その下に着ていたとされる白色半袖シャツの写真も併せて示した。その上で、スポーツシャツと半袖シャツにできた穴の数の違いや、半袖シャツについた血痕の位置が不自然などと主張。さらにズボンの傷と、おおむね整合する位置にある袴田さんのすねの傷について、逮捕直後の身体検査で確認されず、約1か月後の身体検査で傷が確認されたことから、取り調べ中の暴力などで捜査官がケガを負わせた以外ありえないと主張。ズボンのすねの傷は、袴田さんの自白に合わせて作られた「ねつ造された証拠」と反論した。また弁護団は、検察が再審請求審で開示した被害者4人の遺体を撮影した写真を解析した結果、首や腕に縄で縛られていた痕跡がうかがえると主張。4人とも身動きが取れず、胸や背中を中心に刺されていたことから、「事件当時、4人は起きていて、縄などで縛られ、身動きが取れない状態で殺害されたものであり、(事件は)複数犯で犯行動機は金銭目的でなく怨恨だった」などと述べた。
 1月17日の第7回公判で、弁護側が当時の取り調べの録音約1時間分を再生し、犯人と決め込む警察官や検事が自白や謝罪を迫り、袴田さんが「関係ないものはない」と否認する音声が法廷に流れた。そして弁護側は、「袴田さんを犯人と決めつけ、自白を迫った」と捜査を批判した。
 弁護側は、被害者4人は縄などで縛られ、身動きが取れない状態で刺された」とする新たな論点についても立証。遺体の写真を示したが、法廷の大型モニターは消され、傍聴席には見えなかった。また5点の衣類の血痕について弁護団は、発見当時に警察官は血痕の色を「赤紫色」と記しているほか、第二次再審請求審で開示されたカラー写真を見ると赤みが鮮明に残っていると説明した。弁護団と検察側の合わせて九つの実験は、1年以上みそ漬けにすれば衣類のみその色は濃くなり、血痕の赤みは消えることを指し示すと指摘。専門家の鑑定で血痕の赤みが消失するメカニズムも明らかになったとした。 そして再審公判で「血痕に赤みが残り得る」としている検察側に対して、「1年以上みそ漬けにされていたことが間違いないという証明をしなくてはいけない。赤みが残る可能性があるという程度の立証では、到底合理的な疑いを超えた証明とは言えない」とけん制した。
 2月14日の第8回公判で弁護側は、袴田さんが現場へ侵入・逃走したとされる経路を巡り、侵入・脱出方法についての実況見分調書や捜査報告書は内容が虚偽だと主張した。侵入口とされる高さ1.55メートルの柵には有刺鉄線が張られ、踏み台がなければ乗り越えられず、屋根から降りる際に使ったとされる水道管も針金で留められただけでもろかったと疑問視。脱出口の裏木戸は閉まっていたと強調し、観音開きの扉が互いに接する部分が燃えていないと説明した。捜査報告書については「実際は開いている上の留め金が写らないように撮影していることが明らか」と訴えた。そして、「捜査機関は何の問題もなく侵入できるとしていたが、虚偽だ。袴田さんがこうした方法で侵入した痕跡はどこにもない」と述べた。
 袴田さんの「自白」では奪った現金のうち約5万円を知人女性に預けたとされている。事件後、番号部分が焼けた約5万円分の紙幣が入った清水署宛ての封筒が清水郵便局で見つかり、紙幣2枚に「イワオ」と書かれていた。弁護団は、知人女性が捜査でも確定審でも現金の預かりを一切認めていないことも踏まえ「郵便局で発見された金は警察の捏造証拠」と批判した。検察側は「本物の被害金が発見された場合に対応に窮することになる」と捏造を否定。被害者の遺体に縄などで縛られた痕があり、従業員ではないみそ会社外部の複数人による犯行がうかがわれるとする弁護団の見立てに対しては「(痕や縄が)見えると主張しているだけで根拠は何もないに等しい。事実無根と言っても過言ではない」とした。
 検察側は、被害者宅での放火に使われた油はみそ工場にあったものだとし「みそ工場関係者による犯行」と改めて主張。弁護側の再審公判での訴えを踏まえても「被告(袴田さん)が犯人であることは揺らがない」と述べた。また検察側は、当時の取り調べの録音を計約20分間再生し、袴田さんが「取調官から誘導されずに供述している場面もある」と主張した。録音の中で袴田さんは被害者宅の裏木戸から逃げたことや、犯行時の服装が「シャツ」と「黒のズボン」だったことを説明。警察は当初、犯行着衣はパジャマと考えており、検察側は「取調官の想定と異なる供述が含まれている」と主張した。
 2月15日の第9回公判で、検察側は「5点の衣類」について再審公判で新たに提出した7人の法医学者らによる共同鑑定書を示した上で、みそタンク内は酸素濃度が低いため、化学反応が進まず、血痕に赤みが残る可能性があると指摘。再審請求審で検察側が実施した実験では長期間みそ漬けされた布の血痕が赤く見えるケースが実際にあったとし、「犯行着衣だという事実を否定されることはない」とした。 弁護側は法医学の専門家2人による意見書を新たに提出し、血痕の赤みが消えるのに必要な酸素量は極めて微量で、タンク内には赤みが消える酸素量が十分あったと反論した。そして「検察側の共同鑑定書は科学的な証明ができておらず、赤みが残る抽象的な可能性を指摘しているに過ぎない」と訴えた。
 3月25日の第10回公判で、検察側の証人が出廷。池田典昭九州大名誉教授は弁護団の鑑定について、5点の衣類が見つかったみそタンク内の酸素濃度や衣類の乾燥の程度など、血痕が黒色化するのを阻害する要因について「検討していない」と指摘。池田氏は、弁護団の実験について血痕の問題なのに、血液の実験のみだったとしたうえで、「みそタンクの中という特殊な環境にあるにもかかわらず、酸素濃度などについて考慮せず結論づけている」と述べたうえで、「弁護側の『赤みが残っていないからねつ造』というのはおかしい」と発言した。一方で、5点の衣類のカラー写真の印象について「長期間漬かっているようには見えなかった」と漏らし、検察側のみそ漬け実験は「衣類を袋に入れているが(実際の)麻袋ではない」「中途半端なのは確か」「法廷証拠ならもっと緻密にやるべきだった」と異例の批判を展開した。神田芳郎久留米大教授らの共同鑑定に加わることを断ったことも明かした。
 合同鑑定書をまとめた神田氏は尋問で「(弁護側の実験について)とても納得できなかった。決定を読んで納得できるか(他の法医学者に)アンケートを採ってみれば、と検察に言った」と振り返った。事件当時のみそタンク内の酸素濃度などの条件が不明確だとして「赤みが残ることも残らないことも完全に証明するのは不可能」とも強調した。
 3月26日の第11回公判で、前日に続いて神田氏が出廷。検察側が再審請求審段階で実施した血痕のみそ漬け実験について、神田氏は「主観だが、私には1年2カ月たっても赤みを保持しているように見えた」と改めて説明。ただし神田氏は、試料そのものではなく写真で確認したという。「赤みは残らない」と結論づけた弁護側鑑定について「仮説が否定された」と述べた。反対尋問で「赤みが残る可能性があるというなら、なぜ実際に化学変化を確かめる実験をしなかったのか」と弁護団に問われると、神田氏は「2カ月しかなかった」と検察側から求められた鑑定の作成期間では難しかったとの趣旨を答えた。
 続いて、第二次再審請求差し戻し審で弁護側鑑定書を作成した旭川医科大の清水恵子教授と同大の奥田勝博助教が出廷。清水氏は、事件直後のタンクには少量のみそしかなく、血痕を黒く変色させる酸素に触れられる状態で、その時点で衣類が投入されていれば血痕が「黒ずんでいたと考えられる」と指摘。みその原料が追加された後もタンク内には十分な酸素があり、「血痕はさらに黒ずんでいたはずだ」として、長期間漬けても「赤みは残り得る」とした検察側の主張に反論した。また、「鼻血は赤いけど、鼻の穴に残った血はすぐ黒くなります。若い女性は月に1回、自分の血液を見ますが、最初は赤いですけど、洗濯機に放り込んで少し置いたら洗う時にはもう黒ずんでいますよ。男の人は奥さんに聞いてください」と例示した。そして清水氏は、検察側の共同鑑定書について「(仕込み時に)衣類の上に完成みそが載せられたかのごとく記載しているが、不自然で不合理」とした。検察官の反対尋問にも「赤みが残らないということは何があっても揺るぎません」などと断言。そして 「『赤みを帯びたままの可能性もある』というのは普遍的事象から逸脱した稀な事象のこと。それがあったというのなら実証するべきです」と清水氏は検察側の鑑定人を厳しく指摘した。
 奥田氏は、厚みのある布に血痕を作り、みそに近い塩分濃度の液体に浸して色調の変化を観察する実験を実施した結果、「数日以内に(血痕は)黒褐色化した」と証言した。そして血液や空気のほか、5点の衣類を入れた麻袋、みその原材料、みそのそれぞれに含まれる酸素の絶対量を示し、酸素は十分な量があり、絶対量が足りないと酸化は完了しないが、濃度が薄いことは時間がかかるだけだと語り、 「(血痕が黒くなるのに)1年2か月という時間は染みこむまでには十分すぎる時間」と述べた。
 さらに血液に含まれる鉄分に詳しい北海道大の石森浩一郎教授も出廷し、みそ漬け血痕が黒くなるメカニズムを化学的に示した清水氏らの鑑定を「問題ない」と評価。検察側が化学反応の阻害要因を十分に検討していないと批判している点について「(弱酸性と高い塩分濃度の)この二つのファクターで十分。赤みは残らないと言える」とした。
 27日の第12回公判で石森氏への尋問が引き続き行われたのに続き、検察、弁護側双方の証人計5人が同時に出廷し、一堂に会した5人に裁判官、検察側、弁護側の尋問を次々受ける「対質」が行われた。
 裁判官が、赤みが残るかどうかそれぞれの見解をただしたのに対し、神田氏は、「みそタンク内の条件があまりにもわからないので、赤みが残る可能性がないとはいえない。弁護側の専門家が『赤みが残らない』と断言していることに違和感がある」と主張した。これに対し、清水氏は、「血液が体の外に出たあと、みその成分にさらされれば化学変化が進行して黒く変化する。当時のみそタンク内の条件を100%再現するのは不可能だが、私たちは科学的に推論し、確率論的に起こりえる結論を提示している」と反論した。  4月17日の第13回公判で、「5点の衣類」のうち、白色半袖シャツに付着した血痕と袴田さんのDNA型は「一致しない」と結論づけた本田克也筑波大教授(当時、現名誉教授)の鑑定について、弁護団は「多くの事実や証拠との総合評価により、衣類が捏造証拠であることを動揺の余地なく裏づけている」と指摘。その上で、信頼性が担保された機器や検査キットをマニュアルに従って使用したことなどを強調した。再審請求審で検察側がとりわけ批判した血液由来のDNAを抽出するための「細胞選択的抽出法」については、「裁判所からの鑑定事項にできる限り誠実に応えようと考案した」と経緯を説明。「真に科学的な批判か否かが、慎重に見極められなければならない」と訴えかけた。
 検察側は、5点の衣類は古く、みそにも漬かっていたとして「血液由来のDNAは劣化が甚だしく、そもそも鑑定困難」と述べた。さらに、捜査や裁判の過程で唾液といった血液以外の生体試料が付着する機会が多くあったと問題視。細胞選択的抽出法は血液由来のDNAを「効果的に抽出する手法とは言えない」と批判し、鑑定が由来不明のDNAなどを評価した可能性が「極めて高い」とした。また、捜査や公判の過程で第三者のDNAが付着した可能性があるとも主張した。
 4月24日の第14回公判で、検察側は「衣類は事件発生から40年以上にわたり常温で保管されていた。血液由来のDNAは劣化が甚だしく、そもそも鑑定が困難だ」と述べた。また衣類に第三者が触れる機会が80回以上あったとして、実際に触れている写真などを示し、弁護側のDNA鑑定は、別の由来のDNAが衣類に付着している可能性があること。また、「本田鑑定」で採用されている「選択抽出法」では、血液だけを分離することができないことや、他の専門家を経由していない不自然さなどの恣意的なやり方は、信用性に欠けると改めて、指摘した。
 弁護側は、袴田さんが1958年に収容先の東京拘置所で作成した「血染めの衣類は私のものではない」などとする意見書を読み上げた。
 5月22日の第15回公判で検察側は、事件当時、親類宅にいて無事だった長女の遺族の意見陳述書面を代読した。遺族は「当時の事実を再度精査し、真実を明らかにしてもらいたい。この事件で尊い4人の命が奪われたことをどうか忘れないでほしい」と指摘した。観光バスで東京見学をしたり、船で釣りを楽しむなどしていたという専務一家。事件後、長女は「さみしい。独りぼっちになっちゃった」と話していたという。長女はテレビも見ない生活で、遺族は袴田さんの再審請求についても「全く理解していなかったと思う」と書面で振り返った。「長生きしたい」とも話していたという長女は、静岡地裁が2014年3月に再審開始を認め、袴田さんが釈放される直前に、病気で亡くなったという。事件で生き残った長女を犯人視するようなインターネットの書き込みが多数あるといい、遺族は「一度に家族4人をなくした悲しみと恐怖が分かるでしょうか」と訴えた。
 続いて行われた論告で検察側は、まず犯行着衣とされた「5点の衣類」を除いても「被告人(袴田さん)が犯人であることを示す証拠が多数あり、被告人の犯人性は相当程度推認される」と主張。「犯人は味噌工場関係者であり、事件当夜、味噌工場に出入りしたことが強く推認される」「犯人は事件当夜、味噌工場から雨合羽や混合油を持ち出すなどして味噌工場に出入りしたことが強く推認される」との前提から、「被告人は事件当夜、味噌工場の従業員寮に居住し、十畳間に一人で居たもので、このような犯人の行動を取ることが可能だった」との見解を示した。また、袴田さんが事件後に複数箇所負傷していたことや袴田さんのパジャマから本人以外の血液型の血痕や混合油が検出されたことを理由に、「特に被告人には犯人であることと整合する複数の事情が認められ、これらの証拠関係を見ただけでも被告人が犯人であることは相当程度推認される」と述べた。さらに、「5点の衣類」についても、「血痕の付着状況や血液型に鑑みても、犯行時に付着した被害者及び犯人の血液であると考えて自然」との理由から、「犯行着衣である」と断言。事件前に袴田さんが着用していた衣類と酷似していたことなどを挙げ、「複数の証拠から「5点の衣類」が被告人のものであることも認められる。被告人が「5点の衣類」を犯行時に着用し、犯行後に1号タンク(衣類が発見された味噌タンク)に隠匿したことが推認され、発見経緯にも何ら不自然な点はない」と話しました。
 弁護側が「「5点の衣類」は捜査機関によりねつ造されたもの」と訴えていることに対しては「何ら合理的な根拠もなく主張しているに過ぎず、非現実的で実行不可能な空論」と斬り捨て、「ねつ造したと言うのであれば、(味噌会社の)内部告発などによってねつ造行為自体が発覚する危険をも冒して敢行することになるが、およそ想像しがたい」などとして強く否定。そして、再審開始を認めた裁判所の決定に対しても「科学的・専門的分野にわたる事項について証拠評価を誤ったために下されたものと言わざるを得ない」と非難した。
 その上で、「未成年2人を含む4人を殺害し家屋を全焼させ売上金を強奪した事件で、極めて悪質な犯罪だ」と主張。被告人が被害者を複数回刺し、4人のうち3人が生きていたにもかかわらず、犯行を隠すために放火し全員を殺害した、と指摘。そして「犯行は強固な殺意に基づいた極めて冷酷で残忍なものというほかない。遺体は見るも無残な状態で発見されていて、反抗の冷酷さ・残忍さを如実に表わしている。生命軽視の態度は極めて顕著であり、強い非難に値する。被告人は33年あまり死刑囚として身柄を拘束され、心神喪失の状態にあると認定されているが、4人が無残に殺害されるなどした事件であり、被告人の身体拘束等の事情は量刑事情を何ら変更されるものではなく、罪責は誠に重大」として、死刑を求刑した。
 最終弁論で弁護側は、袴田さんが過去に家族に宛てた手紙や日記などで繰り返し無実を訴えてきたと述べ、「われわれは巌さんに真の自由を与えるため、これから全身全霊をかけて最終弁論を行う」と宣言した。
 弁護団は「5点の衣類」に付いていた血痕の赤みについて、検察側の主張は「全くの蒸し返し」と批判。請求審で「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」と評価された「みそ漬け実験」の結果を踏まえ、「専門家による鑑定などで、1年以上みそに漬けられた血痕に赤みが残ることはないことが明らかになった」として、「発見された衣類の血痕に赤みが残っていたことは極めて不自然であり、衣類は1年以上みそ漬けにされていたものではない」と述べた。また、検察側の主張について「検察側の専門家による共同鑑定書や証言は血痕に赤みが残る抽象的な可能性を指摘しているに過ぎず科学的な反証になってない」とした上で、「検察官は完全に立証に失敗している。有罪の立証に踏みきり、裁判を長期化させた検察の判断は厳しく批判されなければならない」と強調した。その上で、「衣類は発見される少し前に隠されたのであり、拘束されていた巌さんが隠すことは不可能だ。捜査機関が巌さんを有罪にするために隠したとしか考えられない」として、証拠がねつ造されたと主張した。
 検察から証拠開示された取り調べの録音テープについて、「捜査機関がみそ工場の従業員だった巌さんに目を付け長時間の取り調べを続けて自白を強要したことが、白日の下にさらされた。まさに巌さんは犯人に仕立て上げられた」と述べた。さらに、今回の事件は1人の犯人が金を奪う目的で行ったという検察の主張について、「実際の事件とはまったく異なり犯行の動機は怨恨だった。犯行時間帯は夜だったが被害者4人が全員起きていて、犯人が複数犯だったことは間違いない」と主張した。
 また衣類の血痕と袴田さんのDNA型は一致しないとした鑑定結果も袴田さんの無実を示すとしたほか、衣類以外の証拠についても証明力を疑問視。過去に県内で起きた「二俣事件」や「島田事件」などを例に挙げて捜査機関による証拠捏造は繰り返されてきたとして、「衣類は捜査機関が巌さんを有罪にするために隠したとしか考えられない」などとして、証拠がねつ造されたと主張した。さらに地裁に対し「5点の衣類や自白、その他の証拠が捏造だったと認め、証拠から排除することを躊躇してはならない」と促した。その上で、「もう一度この場で確認します。袴田巌さんは無罪です」と述べ、「捜査機関が証拠をねつ造した結果、巌さんが4人を殺害した犯人とされてしまった。誤って死刑囚にされることは国家の重大な犯罪行為で、巌さんの58年の人生を完全に奪ってしまった」と述べ、検察に対し、直ちに袴田さんに謝罪するよう求めた。また裁判所に対し、「日本の裁判所がどのように正義を実現するか注目されている。この裁判で明らかになった捜査機関の不正や違法な行為をはっきりと認定していただきたい」と求めた。そして最後に、「この事件が『間違った』原因の調査と、繰り返さないための対策、さらに、速やかに間違いを改めることができる方策を早期に実現しなければならない」と訴えた。
 最終意見陳述は、袴田さんに代わって出廷した姉秀子さんは、まず、袴田さんが逮捕されたあと母親に宛てた手紙の内容を引用し、「けさ方、母さんの夢を見ました。夢のように元気でおられたらうれしいですが、お母さん、遠からず真実を立証して帰りますからね」と読み上げた。その上で、「巌は47年7か月、投獄されておりました。獄中にいるときは、辛いとか悲しいとか一切口にしませんでした。釈放されて10年たちますが、いまだ拘禁症の後遺症と言いますか、妄想の世界におります。釈放後、多少は回復していると思いますが、心は癒えておりません」と述べた。そして「私も一時期夜も眠れなかったときがありました。夜中に目が覚めて巌のことばかり考えて眠れないので、お酒を飲むようになり、アルコール依存症のようになりました。今はというより、ずいぶん前に回復しております」と述べた。最後に、「58年闘ってまいりました。私も91歳、弟は88歳でございます。余命いくばくもない人生かと思いますが、弟巌を人間らしく過ごさせてくださいますようお願い申し上げます」と声を震わせながら訴えた。

 9月26日の判決で国井恒志裁判長は無罪を言い渡した。
 判決理由で、検察を含めた捜査機関による三つの証拠捏造があったと認め、証拠から排除。その他の証拠では「袴田さんを犯人と認めることはできない」と結論づけた。
 三つの証拠捏造は(1)確定判決が唯一任意性を認めた検察官作成の「自白調書」(2)事件から1年2カ月後に現場近くのみそタンクで見つかったシャツやズボンなど血染めの「5点の衣類」(3)袴田さんの実家から「発見」されたズボンの共布。5点の衣類は共布の存在と結びつき、これまでの裁判では袴田さんを有罪とする中心的な証拠と位置づけられてきた。
 判決理由で国井裁判長は(1)について、検察官が清水署で警察官と代わる代わる虚偽を交えて追及的な取り調べを繰り返していたと指摘。連携によって非人道的に獲得されたとして「実質的な捏造」と判示した。最大の争点だった(2)は、弁護団をはじめとする各種みそ漬け実験や、長期間みそに漬けた血痕の赤みが黒褐色化することを示した化学鑑定や法医学者らの証言を踏まえ「発見の近い時期に捜査機関によって血痕をつけるなどの加工がされ、タンク内に隠された」と判断した。(3)については、押収経緯にも検察官の立証活動にも「看過できない不合理」があると指摘。捜索前に捜査機関が持ち込んだと考えるしか説明できず「捏造と認めるのが相当」とした。
 一方、弁護団が無罪を証明するとしたDNA型鑑定の証拠価値を否定。袴田さんの自白に「無知の暴露」があると分析した心理学鑑定も「論理の飛躍がある」として退けた。怨恨による、みそ会社外部の複数人の犯行との主張を巡っては「怨恨目的との合理的な疑いは生じず、犯行は単独で遂行可能だったと認められる」と述べた。
 判決文を読み終えた裁判長は、袴田さんの代わりに出廷した姉・ひで子さんに、検察官には無罪判決を不服として控訴する権利があることを説明。「再審の初公判でひで子さんは巌さんに『真の自由を与えてほしい』と願われました。無罪判決が言い渡されましたが検察は控訴する余地があり、審理は続く可能性があります。無罪が確定しないと意味がありません。裁判所は、真の自由を与えることはできない。ただ、巌さんに自由の扉をあけました。このあと検察の控訴によって閉まる可能性がある。判決まで、ものすごく時間がかかったことについて、申し訳なく思う。有罪か否かを決めるのは検察でもなく裁判です。確定するにはもうしばらくお待ちいただきたい。真の自由までもう少し時間がかかりますが、ひで子さんも末永く心身ともに健康であることを願います」と謝罪した。

 10月8日、最高検の畝本直美検事総長は、死刑が確定した袴田巌さんに無罪を言い渡した静岡地裁の再審無罪判決に対し、控訴断念を発表した。畝本検事総長は談話で、証拠捏造と認定された点を「強い不満」としつつ、控訴断念を表明。「袴田さんが長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなり、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております」と謝罪した。
 静岡地検は控訴期限の1日前である10月9日、控訴する権利(上訴権)を放棄したと発表。袴田さんの無罪が確定した。
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