樹下太郎『目撃者なし』(光文社文庫)
時代は昭和35年。坂口受信機の販売部事務課に勤務する水品尚策。坂口受信機の部長の本堂明彦の紹介により、33歳で憧れのホワイトカラーになったがいいが、セールスに失敗し、現在は事務課で「ぬりえやさん」といわれる売り上げ伝票のグラフ化、統計を担当していた。しかし、最近の合理化の流れに乗ることができず、悩む毎日であった。ある日、10歳年下の妻、しのぶが交通事故にあった。怪我そのものは1週間程度の軽いものだったが、事故にあった場所が問題だった。目黒方面には彼女の親戚も、知り合いもいないはずだった。病院に駆けつけた尚策だったが、しのぶは謝るばかりで目黒にいた理由を何も言わない。三日後にしのぶは退院したが、結局理由も言わず、翌日彼女は自ら失踪した。「十日後に帰る」という言葉を残して。尚策は彼女の行方を捜すが、逆に自分の触れられたくない過去を暴かれる羽目になった。
樹下太郎のお得意、サラリーマンサスペンスの力作。とはいえ、当時の評価では、という但し書きがつくだろう。その時代を舞台にし、なおかつ舞台をテーマにする分、時代が経つにつれ古びて見えてしまうのは仕方がない。ただ、名作と言われる作品はその壁を乗り越えてきた。ところが、社会派サスペンスの分野に属する樹下太郎の作品の場合、その壁を越えるものがあるかと言われると難しい。サラリーマン、ホワイトカラーの悲劇を実に巧に描いているのだが、それ以上のものが見られない。時代の描写がうますぎた分、時に流されてしまう作品になってしまった。人の心に隠れたサスペンスを書くのがうまい作家だが、やはり時代という壁を越えるだけの作品を書くのは難しい。そんなことを考えさせられる作品である。
だからといってこういう作品が埋もれたままいいというわけではない。もっと再評価してもいいはずの作家である。亡くなられたのは惜しいが、この際、どこかで復刊、もしくは選集などを企画してもらえないだろうか。
藤岡真『六色金神殺人事件』(徳間文庫)
保険調査員である江面直美は青森への出張からの帰り、吹雪に遭い、津本町という町に入り込む羽目になった。丁度そのとき、津本町では「六色金神祭」という祭りが開催されていた。東京から人気女優や俳優まで呼ばれ、レポーターまで来ているという大々的な村興しの祭りだったが、雪で交通が遮断され、陸の孤島状態であった。なし崩し的に祭りに参加することになった直美であったが、「六色金神伝紀」の見立て通りの連続殺人事件が起きる。不可能犯罪としか思えない連続殺人。いったい犯人は誰か。そしてなぜ見立て殺人を行うのか。
「伝奇ミステリ」と謳われているが、立派な本格。売り出し方がちょっと勿体ない。見立て殺人という趣向は実に面白いのだが、さすがに事件が不可能すぎ。ここまでやられると、逆にこのパターンかと思ってしまい、と興ざめしてしまったのは事実。ところが事件は意外な方向に進む。けれどもこれもやりすぎではないか。残念ながら、人物の整理がついていない分、読者が話の展開についていくのに結構苦労するのだ。そのため、あっと驚く仕掛けがあっても、思ったほどの効果が得られていない。あれもやりたい、これもやりたい、とネタを積み込みすぎたのではないだろうか。寺田ヒロオと赤塚不二雄ではないが、この小説からだったら、もう2,3作本格ミステリが書けたように思える。
久しぶりの執筆で張り切ったと思えるが、ちょっと残念。しかし、ここまで情熱を吐き出してしまうと、次は落ち着いたミステリが書けるのではないだろうか。その時が、この作者の本当の姿を見ることが出来ると思う。
加納朋子『螺旋階段のアリス』(文藝春秋)
大手企業を早期退職して、新たに私立探偵事務所を始めた仁木順平、50歳。慈雨書を開いて三日目にして初めてドアを開いたのは、17,8にしか見えない猫をつれた美少女、市村安里沙。しかも探偵助手志願だという。猫をつれてあらわれたその姿は、まるで『不思議の国のアリス』さながら。しかし、そんな安里沙に助けられながら、仁木は依頼された事件を解決していく。
「螺旋階段のアリス」「裏窓のアリス」「中庭のアリス」「地下室のアリス」「最上階のアリス」「子供部屋のアリス」「アリスのいない部屋」の7編を収録。
加納朋子お得意の、日常の謎型連作短編集。とはいえ、舞台が私立探偵事務所という分、いつもより謎の具合がちょっぴり複雑でディープ。そして『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』と事件を絡めながら、会話が進んでゆく。
加納朋子という作家は、日常の世界に「非日常な存在」を少し溶け込ませ、それを日常の世界で解決してゆく。コップになみなみとついだ水の中に一滴の醤油を垂らすと、最初はパーッと散るが、やがて水と同化し、コップは透明な水の状態に戻る。そんな感じのミステリ。しかし、パーッと散る一瞬がとても綺麗で、鮮やかである。それが加納朋子の魅力である。今回の「非日常な存在」は安里沙。自称人妻、20歳。名前以外の正体は不明。しかしいつの間にか探偵事務所の風景に溶け込んでいる。このさりげなさを描くのが非常にうまい。7つの短編からどれを選ぶかと言われたら、「地下室のアリス」を選びたい。「子供部屋のアリス」も捨てがたいけれど。これって、実体験としか思えないぐらい描写が細かい。
ここ2,3作はちょっとスランプ気味だった感のある加納朋子であったが、本作品集は読後感が実に爽やか。推理の謎も充分満喫できるし、久々の改作。お薦めである。
辻真先『デッド・ディティクティブ』(講談社ノベルス)
新興宗教集団「ダイゴ」の主要メンバーを乗せた船が嵐の中で沈没し、シンボルである転法輪レンゲ以外は死んでしまった。ところが、その船の中では事件が起きていた。謎の食中毒事件が起きた。スポークスマンである錆岡は消えてしまった。大師である多聞は首切り死体になっていた。さらにレンゲは殴打されていた。多聞の愛人であった柳みすずは、冥界で「罪を認めるか」と責められた。しかし、みすずは無実であることを、自分自身は知っていた。冥界を歩き、閻魔までにたどり着いたみすずは、無実であることが証明された。しかし、レンゲ以外にすでに死んでいた他の人物もレンゲを殴打していないということが、閻魔の裁判で判明していた。ではいったい犯人は誰なのか。数多い亡者の中から三名が探偵役として名乗り出た。いったい、真相はどうだったのか。
設定が実に面白い。作者の言葉を借りると、「取材不要(というより不可能)のトラベル・ミステリ」である。ところが、せっかくの素晴らしい設定に、真相の方が負けているのが惜しい。“玻璃の鏡”というアイテムまで出てくる「誰もうそを付いていない不可能犯罪」にこのネタを使われてしまっては、興醒めである。この手が出てしまった以後、いかに真相を論理的に追求しようとも、蛇足でしかない。この手を使うしかなかったのかもしれないが、実にもったいないことである。この手を上回るトリックを生み出していれば、辻真先の作品の中でも、希有の傑作となったであろう。
辻ワールドらしく、所々でニヤッと笑ってしまう小ネタを用意してある。これは、辻作品を読んだ方なら懐かしいと思えばいいし、辻作品を読んでいなくても、こういう仕掛けを使っていたのか、と分かるネタである。こういうのは読んでいて実に楽しい。
舞台にふさわしいトリックさえ生み出していれば。そう思うと実に惜しい作品である。
はやみねかおる『魔女の隠れ里』(講談社 青い鳥文庫)
笙野之里で企画している推理ゲームのアドバイサーをたのまれ、夢水名(迷)探偵は桜の咲く里をやってきた。ところが、ついたとたんにとどいたのは、『魔女』と名乗る人物からのメッセージ。そしてすぐに、謎の推理ゲームがはじまって…。『魔女の隠れ里』のほか、雪霊の薮の謎、羽衣母さんの謎もある、名探偵夢水清志郎事件ノート第4作。(粗筋紹介より引用)
読む順番、バラバラだな。ただ、バラバラでも順当に楽しむことが出来るのが、本当の名探偵ものミステリだと思う。順番に読まないとわからないようだったら、マンガのように巻数を付けるべきだ。そのほうが親切というもの。
小説の方は、大人でも楽しむことが出来るジュヴナイル。だけど、重いテーマを絡ませるのがうまい。子供に考えさせたり、大人になったら「ああ、こういうことを言っていたんだな」ということを絶叫するでなく訴えるというのは、至難の業だと思う。子供が好きでなかったら、書けないよね、きっと。
真木武志「ヴィーナスの命題」(角川書店)
第20回横溝正史賞最終候補作品を全面改稿して刊行された。新聞記事での綾辻行人の推薦文が、「青春小説としても本格ミステリとしても、非常に愛すべき作品だと思う」というものだったので、買うまでは期待していたのだが、買った瞬間に後悔した。
舞台はとある高校。夏休みのある日、学園のグランドに生徒の死体が発見された。窓からの飛び降り自殺と判断され、事件はそれで終わった。しかし、本当に自殺だったのか、それとも他殺だったのか。彼を取り巻く人たちは推理を始めたり、行動を取ったりするのだが。
綾辻行人、有栖川有栖、小野不由美推薦。三人とも絶賛しているのだが、いったいどこが絶賛すべき内容なのか分からない。綾辻行人曰く、「十二分にこの作品を「楽しむ」ためには、「読み解いていく」ことに対する読者側の相応の積極性と、おそらくはあるレベルの知性・感性が要求される」。人を馬鹿にするなと言いたい。これでは、「読み解けなかった」読者には知性、感性がないということではないか。そんな作品ではない。作者の独りよがりでしかない小説である。
この小説を読むには「積極性」ではなく「忍耐」と「努力」が必要である。ころころ変わる視点。いったい誰の台詞だか分からない独白。舞台設定の説明のないまま進む会話。リアリティにはこだわらない私だが、それでもこんな高校生いるはずないよと言いたくなるぐらいリアリティのない登場人物群。登場人物の会話、思考が人間のものとは思えない。頭の中でこねくり回す屁理屈と、斜めに構えた視点で進む物語。小説以前の話である。
こういう作品が好きな人もいるのだろう。それは否定しない。しかし、読者は高い金を払って本を買うのである。そのことを忘れ、ただ感情を羅列した作品を見せつけられてはたまらない。これだったら、今時の「切れる17歳」の方がまだ理解できる。
ミステリはエンタテイメントである。哲学でも倫理学でもない。読み通すだけの努力を強いる小説は、単なる出来損ないに等しい。
井上ひさし『四捨五入殺人事件』(新潮文庫)
講演会をひきうけたのはよかったが、つれていかれたのはテレビもない山の中の温泉旅館、しかも折からの大雨で村に一つしかない橋が流された。陸の孤島で身動きできない二人の作家の前に突然起こる殺人事件。殺された旅館の女主人は、昔苛斂誅求をほしいままにした領主の末裔だった。事件の背後には、何世代にもわたる怨念が……。推理小説嫌いも必読の「文庫封切り版ミステリー」。(粗筋紹介より引用)
1975年7~9月、「週刊小説」に連載。1984年に新潮文庫に初めてまとめられた。
「殺人事件」とあるけれど、ミステリ味は薄い。坂口安吾や筒井康隆のように、純文学作家がミステリに挑戦した、というニュアンスの作品とも思えない。あくまで「殺人事件」を題材にした小説という感が強い。
井上ひさし流の社会風刺、そして皮肉とユーモアに溢れた佳作である。舞台をアレンジして、芝居にすれば結構受けるんじゃないかな。
石崎幸二『日曜日の沈黙』(講談社ノベルス)
第18回メフィスト賞作品。『ミステリィの館』だの、「お金では買えない究極のトリック」だの、いかにもといった設定にあまり期待がもてなかったが、いい意味で裏切られた。これは面白い!
とはいえ、面白がるのはひねくれた本格ファンだけかもしれない。探偵役?の石崎と同じく探偵役?のミリア、ユリとのやり取りは、本格ファンなら、激怒するか、何を今更と思うか、そうだよなとニヤッと笑うか。本格のお約束を全て小馬鹿にしているのだ。これを読んであなたはどう反応するか楽しみ。石崎みたいに脱力するか、それとも怒り出すか。
よくある設定ともいえるホテルでの連続殺人劇、というか芝居。そしてミステリ研究会や作家たちによる推理合戦。ありきたりすぎて失望するかと思いきや、作者は背負い投げを食らわせる。そしてこの連続殺人芝居の裏に隠された「お金では買えない究極のトリック」の意味。こういうことやるよな、という一種「アホ」なネタをトリックに使い、見事に本格に仕立て上げたその腕に脱帽。実は作者が本格を愛していることにここで初めて気付く。作者のことばにあるとおり、「驚愕」と「笑い」で読者を包み込んでくれる。上手い。
ただ、本格嫌いにとってはこの作品、馬鹿馬鹿しいの一言で片づけるかもしれない。そういう危険性は高い。けれど私はこの作品を断固支持したい。
しかし、解消されない疑問が一つ。どうして石崎幸二がモニターに選ばれたのか、それがわからないのだ。他の登場人物には、それなりの意味があるのに、石崎だけはどうしても不明である。そこさえすっきりしていればなあと思う。惜しい。
西澤保彦『転・送・密・室』(講談社ノベルス)
分身・時間移動・未来予知――密室やアリバイどころか、ミステリーの世界観そのものを破壊する諸要素が存在するのに、「論理的解決」は有り得るか!?超能力犯罪と対決するのは、3つ編みにリボンをつけた中学生にしか見えない美少女・神麻嗣子(かんおみつぎこ)と、売れないミステリー作家・保科匡御(ほしなまさお)!大人気シリーズ最新刊!(粗筋紹介より引用)
「現場有在証明」「転・送・密・室」「幻視路」「神余響子的憂鬱」「「擬態」密室」「神麻嗣子的日常」を収録。
超能力者問題秘密対策委員会出張相談員(見習)神麻嗣子シリーズ最新短編集。あとがきに「本格パズラー」とあるが、残念ながら本格ではない。事件をジグソーパズルと考えたとすると、普通はそれぞれのピースの一つ一つ形が異なり、それぞれが正しく合わさるようになっている。ところがこのシリーズでは、ピースの形がどれも同じで、しかも完成する絵が作者にしか分からない。ようするに、唯一絶対であるという推理の材料が存在せず、解釈すればどのようにでも解くことができる「本格」という印象しかない。厳密に言えば「本格」ではない作品集である。
しかも「基本的にはどの作品からお読みいただいても差し支えありません」とあるが、それは間違い。確かに差し支えないが、最初から読まないと面白さが半減する。タックシリーズでもそうだが、キャラクターが成長しており、時々過去の関係が省略されてしまうので、読者が戸惑ってしまうのだ。
近作の「なつこ」シリーズでもそうだが、最近の西澤保彦は奇抜な設定とキャラクターに頼っており、論理の面白さという点を疎かにしている感がある。もちろん、読めば読んだで面白いのだが、物足りなさが残るのも事実。一度、キャラクターや奇抜な設定に頼らないで勝負してほしい。このままでは、西澤保彦はファンからしか受け入れられない作家になってしまう。
若木未生『ハイスクール・オーラバスターミレニアムBOOK NEO』(集英社コバルト文庫)
短編「シャドウ・イーター」、年代記、ストーリー年表、個人面談キャラクターインタビュー、全員集合座談会、若木未生インタビューなど、まさにミレニアムに相応しい一冊。
オーラバファンとしてとても嬉しい一冊。こういう登場人物の本音が垣間見られる座談会などは待ち望んでおりました。さらに書き下ろし短編が素晴らしい。神崎さん萌えの私にとってはもうたまりません。今度、亮介とのデートだけで短編1本を書いてほしいな。
霧舎巧『ラグナロク洞 《あかずの扉》研究会 影郎沼へ』(講談社ノベルス)
著者の言葉では〈嵐の山荘〉ものとあるが、正確には〈洞窟〉もの。岐阜県、濃尾平野から飛騨山脈に入り込む途中の山の中にある「影郎村」を訪れる自称名探偵鳴海雄一郎と他称ワトソン役二本松翔。ところが洞窟に閉じこめられ、しかもそこに死体が。
この作品から読んだら、一体この登場人物たちは何者だろうと思うに違いない。薄くなったので少しは冗長な部分が減ったかと思ったら、肝心の登場人物説明が簡略しすぎ。しかも今回は舞台設定の説明があまりにも曖昧。付け加えて言えば、下手。前半部分を数回読み返し、ようやく一部を理解できたぐらい。事件と状況説明、さらに加えて本人の心理描写がごちゃまぜに書かれているので、なにがなんだかわからないのだ。小説の作り方からしてなにか勘違いしていないか。
事件の途中で「密室論」だの「アリバイ論」が出てくると、「もっと真面目に事件を解けよ」と言いたくなるぐらい、事件と関係なく探偵(=作者)の趣味を押しつけてくることが多いが、この作品では「ダイイング・メッセージ講義」。その講義が犯人特定のヒントになってはいるが、だからといってその講義が絶対必要かといえば、Noといいたい。結局、探偵(=作者)が登場人物と読者を無視して満足しているに過ぎない。いい加減やめてほしい。この研究会の面々、さらに作者は事件をゲームと勘違いしているのだ。読者から見たら、不快そのものである。
今回、面白いトリックを使ってはいるが、やはり演出方法に問題があり。ごく一部のマニアが喜びそうな部分とエッセンスだけで小説を作るから、つまらないものが出来てしまう。自分の嗜好を書くことも大事だが、もっと大勢の読者に読まれるということを考えてほしい。
小浜逸郎『なぜ人を殺してはいけないのか』(洋泉社 新書y)
結構話題になった本であり、新刊ですぐに購入していたのに、なんとなく積ん読状態だった。読んでみると、結構面白い。「人はなぜ生きるのか」「自殺は許されないことか」「売春(買春)は悪か」などの倫理に関わる10の難問が設定されている。その八番目、九番目の設問が「なぜ人を殺してはいけないのか」「死刑は廃止すべきか」とある。
ここに設定された10の設問は、そのいずれもが論理的に解答が出る設問ではなく、さらに感情的な回答(この当て字はわざと)になりやすい。「売春(買春)」=「悪」とすぐに答を出す人は多いだろう。「人を殺してはいけない」なんて当たり前と思い、それ以上突っ込むことはまずしない。「戦争責任」になると、被害者意識、加害者意識が過剰に出てくる。この本ではそれらを極力排除しようと試みている。もっともそれは、一つ間違えると「問題の回避」と受け取られやすい手法である。根本的な問題を詭弁で回避しているなあと思う設問もあるし、逆になるほどなあと思う設問もある。いずれにしろ、一度読んでもらいたい。それから、私たちが自分で考えることが大事である。
なおこの人、「死刑」には賛成している。死刑賛成・反対論議はすでに議論が出し尽くされていると思うし、事実その範囲からははみ出していない。結局感情問題であり、信条問題である。賛成・反対論者が歩み寄るというのは、かなり難しいと思う。被害者対策が心理的、物質的に充実され、なおかつ仮釈放なし無期懲役が導入されたとしても、死刑はなくならないと思う。さらになくすべきではないと私は考えるが、それについてはいずれ稿を改めて、自分の考えを述べていくつもりである。
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