『絵本 源氏物語』(貴重本刊行会)
1日1~3巻ずつ読んで、ようやく読了。平安時代の貴族の生活ってあまり好きではないのだが、なぜか『源氏物語』だけは好きだなあ。さすがに訳本を読む気力はないけれど。
多岐川恭『射殺の部屋』(桃源社ポピュラーブックス)
「射殺の部屋」「念入りな事件」「街の悪夢」「過去への花束」「さようならの宿」「男の試験」「四人の仲間」「私設独房」を収録した短編集。山椒は小粒でぴりりと辛い、という所か。スイスイ読めるので気を許していると、最後で思わず膝を打つタイプの本格推理短編集。単純な仕掛けだけれども、それを生かしているのが設定と文章。本格を生かすも殺すも、やはり演出次第。いくらトリックが面白くても、舞台がまずければ魅力は半減するからね。個人的には、三度も殺人現場の第一発見者となった男の話「念入りな事件」が好み。
河口俊彦『新対局日誌 第三集 十年後の将棋』(河出書房新社)
河口俊彦のライフワーク第三集は1988年度。高橋、南、中村、塚田などの「五十五年組」の勢いが衰え、田中寅彦が棋聖を、森けい二が王位を取るなどおじさん族が逆襲。しかし新たに始まった大型棋戦、タイトル賞金2700万円の竜王戦は「五十五年組」の島朗六段が米長邦雄九段をストレートで下し、タイトルを奪取。谷川浩治は名人を取りつつも、王位と棋王を失う。そして下からは羽生善治、村山聖、森内俊之、佐藤康光といった「チャイルド・チルドレン」が上がってくる。まさに戦国時代であった。「対局日誌」のスター棋士と言われた石田和雄、前田裕司、鈴木輝彦、室岡克彦、桐谷広人などもまだ頑張っていたが、徐々に将棋は「美学」よりも「勝負」優先になり、つまらないものになっていた頃である。このころの棋譜はほとんど並べているのだが、あまり印象に残っていない。手得、駒得など実利を優先するような将棋に、魅力を感じられなかったのは確かである。この頃は、アマチュアトップの将棋を並べる方が面白かった。たくさんの刺激があった頃だった。
山田風太郎『山田風太郎コレクション2 忍法創世記』(出版芸術社)
時は室町後期の南北朝時代―。隣接しながら敵対関係あった大和の柳生と伊賀の服部は、奇妙な形で和合しようとしていた。たがいに三人の男女を選び交合合戦を行い、敗者が勝者に嫁入りもしくは婿入りする、というのだ。だが、この試合は、やがて三種の神器を争奪する南朝と北朝の代理戦争へと発展していくのだった…。柳生に剣法、伊賀に忍法が誕生した由来を描く、その名も『忍法創世記』!忍法帖と室町ものをつなぐ幻の長篇、待望の初刊行。(粗筋紹介より引用)
読んでいる途中は、なぜこんなに面白い作品が今まで単行本化されていなかったのだろう、と思っていた。確かに南北朝末期、三種の神器をめぐって南朝内で争うという設定が時期的にまずかったのかと思っていたが、それだけではなさそう。大胆に推測すると、山田風太郎本人は忍法帖ものを書くことに飽きが来たのではないだろうか。この作品が忍法帖ものの最後の長編であることも、推測の根拠の一つとなっている。つまり、封印の意味で本作品を単行本化しなかったと考える。
物語は面白い。本当に面白い。ただ、私が今まで読んだ忍法帖ものと比較すると、話が複雑。三種の神器を争うという話に本格的に踏み込む前に戦いが始まってしまう展開が異色。さて、これからという時には既にどちらも半分以上が死んでいるのである。展開を間違えたのでは、と思ったぐらい。しかもそこまでに物語の半分以上を費やしている。そのせいか、最後の方が駆け足気味。伊賀と柳生の絡みや、タイトルに相応しい伊賀の忍術、柳生の剣法の始まりの部分で力が入りすぎてしまったか。
刊行自体はとても嬉しいし、ぜひ読んでほしい作品。ただ、山田風太郎の魅力が空回りしてしまった作品でもある。
黒岩重吾『腐った大陽』(講談社 ロマン・ブックス)
佐伯加津子には、宮内社長の死が自殺とは信じられない。どこかに落莫とした翳りはあったが、そんな宮内は加津子を愛していたのだ。しかも、コールガールという、いまわしい過去を、彼女に忘れさせた恩人でもあったのだ。
〈私には、宮内が殺されたとしか思えない〉
愛する人の死の真相を追求する加津子の前に、次々と姿をみせるのは“背徳者”の群であった。社会の仮面の裏に隠された“腐った太陽”の醜さ。
やがて、真犯人をつきとめた加津子は、復讐のガス栓をひらく……黒岩文学、独自の素材をえて、哀しき美貌の女性の愛が描きだされる。(粗筋紹介より引用)
この本の初版が1965年。『背徳のメス』が1960年だから、連載ものがまとめられて出版されたのがこの本と考えていいのだろうか。
黒岩の推理小説全集にも載っている長編だが、はっきり言ってしまえば通俗ミステリ。一応事件があって、謎があって、推理があって、解決するのだが、メインストーリーは加津子という女が事件の真相に翻弄される姿であるし、推理にしろお粗末なもの。松本清張以前の探偵小説ファンが読めば、呼んでいる途中で落胆してしまう内容。清張の頃はまだまだ本格推理小説と呼べる内容でもあった社会派推理小説が、単なる通俗ミステリに堕落してしまって大量生産されるようになったということを代表するような作品である。
女性の愛が描かれた、と書くほどご立派な作品ではない。くだらなさを知りたい人以外にはお薦めしない。
真保裕一『トライアル』(文藝春秋)
7年前に失踪した兄が競輪選手である彼の目の前に現れた。八百長を示唆する電話との関連は:「逆風」。事故後、なかなか調子が出ず、成績が下がりっぱなしの夫の鞄から出てきた金属片は何を意味するのか:「午後の引き波」。雨の日にしか勝てないオートレース選手である彼に、出場妨害の電話が来るのはなぜか:「最終確定」。地方競馬の厩舎に入ってきた中年の男。彼は怪我をした馬や気性の荒い馬を次々に直していく。彼の正体は:「流れ星の夢」。以上、ギャンブルをテーマにした4編を収録した短編集。
真保らしい綿密な取材は健在。ギャンブルに携わる男たちを書いたハードボイルドである。取材内容を巧く物語に溶け込ませており、構成もさすが。ただ、長編の真保と比べると、やや薄味か。長編:短編という枚数の比以上に薄さを感じる。そつなく仕上がっているが、真保ならもう一つランクが上の作品を書けるのでは、という不満は残る。
ちなみに1998年出版。新刊で買って今頃読むというのは、何度も書くが勿体ない話だろうな。
はやみねかおる『そして五人がいなくなる』(青い鳥文庫)
夢水清志郎は名探偵。だけど、ものわすれの名人で、ものぐさで、マイペース。こんな名(迷)探偵が、つぎつぎに子どもを消してしまう怪人「伯爵」事件に挑戦すれば、たちまち謎は解決…!? 94年刊の再刊。(粗筋紹介より引用)
さりげなく本格で、さりげなくメッセージなんだよね、この人は。できれば大人物を書いてほしいけれど、一生書かないだろうね。子供たちの“先生”なんだから。
週刊ギリシア神話編集部編『週刊ギリシア神話』(日本文芸社)
昔から神話ものは好きだったので、出版当時にすぐ購入。例によって例の如く、ずっと積ん読状態だったもの。週刊誌風な作り方は、関係がややこしいギリシャ神話の登場人物、物語をやさしく理解するには都合がよい。安っぽい作り方になっているけれどね。もう1冊あるんだよな、積ん読状態の神話ものは。
『谷川vs羽生100番勝負』(日本将棋連盟)
谷川浩治と羽生善治、将棋界を代表する二人の激闘100番全棋譜の紹介。谷川、羽生のベスト自戦記、谷川vs羽生の戦いの歴史、谷川vs羽生の序・中・終盤大分析など。
さすがに棋譜は並べていません。目で追うだけです。まあ、羽生が七冠王になるまでの棋譜はほとんど並べているので、問題はなし。谷川、羽生のベスト局の選び方にも個性が表れて面白い。それ以上に興味深いのが序・中・終盤の分析か。序盤を高橋道雄九段、中盤を島朗八段、終盤を真部一男八段が分析している。この人選はベスト。これだけでも読む価値は充分にある。実利の高橋、感性の島、そして浪漫の真部が己の主張を通しながら二人を分析するところが面白いのだ。
二人の勝負は、これからも続くであろう。次は前人未踏の200番勝負を望みたい。
大崎善生『将棋の子』(講談社)
故村山聖九段の一生を書いた『聖の青春』(講談社)に続く将棋ノンフィクションで、今年度第23回講談社ノンフィクション賞を受賞した。
筆者と同郷、北海道出身の成田元奨励会二段の奨励会入会から挫折、退会、その後を中心に書くことにより、奨励会の厳しさ、将棋の厳しさ、そして将棋の暖かさを知る一冊。
中心に取り上げられているのは成田二段だが、むしろ筆者である大崎善生のこれまでの将棋人生を語ったものといえるかも知れない。中心軸に成田二段、それを取り巻くのが数々の元奨励会員、それらを覆っているのが日本将棋連盟職員、『将棋世界』編集長して関わってきた筆者の将棋人生である。
将棋を全く知らない人でも問題なし。少々感情移入しているところがあるが、奨励会員たちのドラマに感動するだろう。
1937年に始まった実力名人制(それまでは世襲制だった)以後、名人位に就いたのは木村義雄、塚田正夫、大山康晴、升田幸三、中原誠、加藤一二三、谷川浩治、米長邦雄、羽生善治、佐藤康光、丸山忠久の11人だけ。いちばん新しいプロである佐々木慎四段の棋士番号は240番なので、将棋のプロになったのは240人である……わけではない。棋士番号は1977年4月1日付で生存中(引退含む)の棋士に付けられた番号だから、棋士番号がなくて順位戦に参加した棋士25名を含めると265名。プロ棋士が名人になる確率は4%。
将棋のプロになるためには、奨励会に入らなければならない。ほとんどが10代前半で奨励会に入り、将棋漬けの日々を送る。今では、最低でもアマの四段以上の実力がないと、奨励会に入ることは出来ない。今では年間20~30名が奨励会に入る。地元では“天才少年”と呼ばれる彼らも、奨励会では周り全てが“天才少年”の集まりなのである。そんな彼らが熾烈な競争を繰り広げても、1年間でプロになれる人数はたったの4名。半年毎に行われる三段リーグで上位2名だけがプロになれるのだ。そして年齢制限。時々変わるが、現在では満23歳の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる。ただし、最後にあたる三段リーグで勝ち越しすれば、次回のリーグに参加することができる。以下、同じ条件で在籍を延長できるが、満29歳のリーグ終了時で無条件で退会。
三段リーグでは毎回ドラマが生まれる。26歳の年齢制限ぎりぎりであがった岡崎洋五段や中座真五段、本書には出てこないが、31歳(入会年度が早いため、31歳制限が適用されていた)の年齢制限ぎりぎりであがった野田敬三五段、伊藤能五段。彼ら以外にも、たった1勝で、たった順位一枚の差で四段になれる人もいれば、三段のまま退会を迎えてしまった人もいる。
大崎善生の功績は、今まで狭い世界の中でしか書かれなかったドラマを外に広めたことにある。『聖の青春』が売れなかったら、この本が出版されることはなかったであろう。奨励会での悲喜こもごもは将棋雑誌などでいくつも書かれていることである。何度も書くが、これらのドラマは将棋ファンの中でしか語られなかった。誰もが、そして将棋界に関わる人たちでさえも、将棋、将棋界は特殊な世界と思いこんでいたのではないだろうか。81枚の枡と、40枚の駒が織りなす人間模様と情熱、青春を、これからも大崎には書いてほしいと思う。
河口俊彦『新対局日誌 第2集 名人のふるえ』(河出書房新社)
佐藤康光、森内俊之、先崎学が四段デビュー。中原vs米長の四度目の名人戦。「渋い」の象徴ともいえる桐山清澄が棋聖を獲得、防衛。そして芹沢博文、板谷進と行った個性派棋士が若くして亡くなった。年度末、大山康晴がA級陥落の危機を迎えたが、最後に維持を見せ、残留した。
懐かしい棋士の名前でいっぱい。この頃は中原、米長といった旧世代もまだ活躍していたし、五十五年組も猛威を振るっていた。後に棋界を制す羽生・佐藤・森内・村山といった新生代の棋士の活躍が始まった。谷川浩司も孤軍奮闘していた。しかし、群雄割拠の時代で、棋界は戦国時代の様相を示していた。
いつ読んでも面白いなあ。連載初期の分も復刊しないかな、って前回も書いたな、これは。
この頃は、順位戦ではしっかりがんばるベテランたちがまだ大勢残っていた。将棋界は、順位戦のランキングが給料も含め、すべてのものを言う。だからこそ誰もが、順位戦だけは力を入れる。力を入れたからといって、必ずしも勝つわけではないが、普段は勝ちまくっている若手に一発入れた将棋の面白さは格別である。順位戦こそ、将棋界のドラマがある。河口敏彦の筆は、トップ棋士ばかりでなく、下位でがんばっている様々な棋士の生き様を書き記している。
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