ブラウン・メッグズ『九人の失楽園』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 ミステリマガジンに連載されていた瀬戸川猛資「夜明けの睡魔」に載っていたのを見て、どうしても読みたかった作品。その割に、古本屋で購入してから5年は経っているのだが。
 アメリカマサチューセッツ州にあるマザー・スクールは、中学・高校一貫の進学校である。1950年卒業生、ホーバート・コーデル・ミルン二世。彼はマザーを成績最優秀者として卒業後、ハーヴァード大学へ進学。そしてタイム社に入社したが、42歳の今では、サンフランシスコのタイムズ・ユニオンでしがない音楽批評家をやっている。ある日新聞を読んでいると、マザー時代のクラスメイトで有名な建築家、オーキンクロスが射殺されたという記事を見付ける。九人の卒業生は、みな成功を勝ち取っていた。実業家、テレビスター、証券会社の役員、パイロット、外交官、開業医、オルガン奏者。彼だけがエリートコースから脱落し、誰からも音信を断っていた。翌日、同級生の一人でテレビスターのシムが、自宅のワインセラーで餓死しているのが発見された。次期大統領候補を目指す実業家のマレーから、パラダイス事件で脅迫状を受け取ったことを知らされる。ミルンは、恋人サンディと共にニューヨークに飛んだ。ミルンはかつてのクラスメイトたちと再会し、情報を得ようとするが、それと並行してクラスメイトが次々と殺されていく。脅迫状にあるパラダイス事件とは何か。そして事件の真相は。
 サスペンスミステリだと思っていたけれど、ストーリーだけを見ると単純な連続殺人もの。本格というにはアンフェア。一人称の主人公が、大事な情報を隠している。中年男性の悲哀を感じさせる部分は読ませるが、それだけでこの作品を評価するというわけにもいかない。ただ、何とも形容し難い雰囲気を漂わせていることは事実。アンニュイなミステリ。意味は不明だが、そういう表現がピッタリ来る。中年男性を落ち込ませる小説だよ、これ。ありきたりすぎるテーマ、ストーリーなのに、ちょっと独特の雰囲気からそれなりに読ませる作品。




藤岡真『ゲッベルスの贈り物』(創元推理文庫)

 終戦間近の1945年、秘密兵器《ゲッベルスの贈り物》を届けるため、帝国海軍の飛良泉大佐は、ドイツを出発したUボートに乗っていた。その途上で艦内に届けられたドイツ降伏。
 そして時は現代。CMプロデューサーの「おれ」こと藤岡真は、幻の人気アイドル“ドミノ”を探すことになった。“ドミノ”は、テレビ局に届けられたビデオ映像から人気が沸騰したが、時々届けられるビデオ映像以外、誰も実際の姿を見たことがなかった。一方、「わたし」は人気俳優、アナウンサーなどの有名人を次々と殺害していく。藤岡は“ドミノ”を探し当てることが出来るのか。秘密兵器《ゲッベルスの贈り物》とは何か。謎の殺し屋である「わたし」は、なぜ連続殺人を続けるのか。

 幻の“怪作”がとうとう文庫化。実際に読んでみると、これは面白い。出版当時、なぜ話題にならなかったのかが不思議なくらいである。どちらかといえばB級映画のノリだが、巻き込まれ型ユーモアサスペンスの佳作。一つ間違えると簡単に崩壊しそうな設定だが、作者は巧みにバランスを取って、物語はエンディングまで進んでゆく。さりげなく張り巡らされた伏線もなかなか。読み終わってから、読者はこの小説が本格推理小説であることに気付く。所々の仕掛けが、結末でうまく機能していないところもあるが、ささいな傷だろう。
 『六色金神殺人事件』(徳間文庫)が、ごてごてしか飾り付けのデコレーションケーキとすれば、本作はシンプルなショートケーキ。前作はかなり胃にもたれたが、今回は後味よし。

 ずっと“ゲッペルス”だと思っていたが、ドイツ語の発音でも“ゲッベルス”なんですね。一つ、勉強。




舞城王太郎『暗闇の中で子供』(講談社ノベルス)

 あのメフィスト賞受賞作『煙か土か食い物』の続編。主人公は、奈津川家の三男、三郎。前作に引き続いて起きる連続殺人事件。失踪した奈津川二郎が背後にいるのか。体内になぜか札束が入れられる事件も続き、さらに誰もが首をひねる連続惨殺事件が起きる。三郎は連続殺人事件を通じて出会った一人の少女に惹かれる。事件の真相は。

 前作が奈津川家一族の物語なら、本作は三郎の恋愛物語。とはいえ一筋縄ではいかない。前作と同様、暴力と自分勝手な思考はフル回転する。非常に読みづらい文章、脈絡のない展開、辻褄の合わないストーリーが続くのに、作品の持つ圧倒的なパワーが読者をねじ伏せる。あまりにも残虐なシーン、馬鹿馬鹿しい真相すら、笑い話で済まされてしまう。そして主人公が最後に迎える感動の一幕。いやはや、恐れ入った。この文体と物語を生み出したというだけで、ミステリ史に怪作として残るだろう。一歩間違えば落書き以下の評価を受けてもおかしくないはずなのに、危ういバランスの上でストーリーを成り立たせている。
 とはいえ、前作の続編という形を取ったからこそ可能な物語である。前作を読まないと全く付いていけないという設定には、疑問が残る。
 奈津川家一族から離れたときに、初めてこの作者の評価ができるだろう。いずれ二郎、一郎の物語が作られるだろうから、それまでは作者の世界を漂いながら愉しめばよい。




雫井脩介『虚貌』(幻冬舎)

 1980年夏、岐阜県美濃加茂で、運送会社を経営する一家が襲われた。社長夫婦は斬殺、長女は半身不随、長男は大火傷を負った。犯人は解雇された元従業員3人と少年1人であり、残された様々な証拠から簡単に逮捕された。そして21年後、事件の主犯とみなされ、無期懲役の判決を受けた男が仮釈放された。彼は、彼を支援してくれた人物とともに、姿を消した。
 年が明け、男の仲間1人が殺害された。現場には、仮釈放された男の指紋があった。男は引きずり込まれただけなのに、他の3人に主犯に祭りあげられていた。そのことの怨みが犯行の動機と思われた。当時から事件に疑問を持っていた刑事は、癌であと僅かの命と宣告されながら、捜査陣に加わった。さらにもう一人の仲間が殺された。そこにも、男の指紋があった。警察は、男の行方を追うのだが。

 幻冬舎創立7周年記念特別作品第3弾。通常の単行本と、どう位置づけが違うのかはさっぱりわからないのだが、作者も、出版社もかなり気合が入っているものと思われる。読んでみての感想をひとことで言えば、“力作だけど中途半端”というところだろうか。
 物語の軸となる事件は、21年前の事件の犯人が次々と殺されていく連続殺人事件である。しかし物語はそれだけではない。刑事の娘であり元アイドルで今は売れないタレント、タレントの恋人のカメラマンであるかつての少年、青あざに悩む刑事など、いくつかのサイド・ストーリーがからみ合いながら、物語が進んでゆく。登場人物の心情や動きは丁寧に書かれており、新しい犯罪小説の傑作かと期待を持たせる。ところが物語が進むに連れ、ハテナと首をひねる展開が続いてゆく。どう、表現したらよいのだろう。雲を掴む……違うな。終わってみたら蜃気楼だった……これも違う。表現し難いのだが、とにかくもやもやが残る。途中まで心情が丁寧に書かれていたのに、最後の方になると事件の急展開に作者も読者も付いていけなくなっているのだ。その大きな原因は、某トリックの使用にある。現実には可能なのかも知れないが、やはり“禁じ手”だろう。中途半端なトリックの使用で、犯罪小説としての面白さがかなり損なわれてしまった。“虚貌”というタイトルに相応しいのかも知れないが、釈然としないものが残る読者は、私だけではないはずだ。
 結末もあやふやなままで終わってしまい、作者が一体何を書きたかったのか、わからないままである。たたみ込み方が今ひとつ。そんな印象を持った作品である。




山田宏一『映画的な、あまりにも映画的な美女と犯罪』(ハヤカワNF文庫)

 様々なスクリーンの美女を取り上げながらの、フィルムノワール史。一応ミステリマガジン連載時には半分だけ読んでいたが、内容はほとんど忘れていました。映画をほとんど見ない私でも充分楽しめるのだから、ノワールものが好きな人にはたまらない1冊じゃないかな。




中島河太郎 権田萬治編『日本代表ミステリー選集3 殺しこそわが人生』(角川文庫)

 気長に買いそろえていた選集が、これでようやく全部揃った。この選集は、戦後~昭和40年代までに発表されたミステリ短編の中から90編を収録、12巻に揃えたもの。本格、ハードボイルド、サスペンスなどありとあらゆるジャンルの傑作が揃っているので、お薦めのアンソロジーである。本巻に収録されているのは以下。
 梶山季之「遺書のある風景」
 遠藤周作「生きていた死者」
 樹下太郎「散歩する霊柩車」
 坂口安吾「心霊殺人事件」
 木々高太郎「幻想曲」
 西東登「老人と犬」
 鷲尾三郎「文殊の罠」
 都筑道夫「ロープウエイの霊柩車」
 石原慎太郎「弔鐘」
 仁木悦子「霧のむこうに」
 中島河太郎「<推理ノート>日本の名探偵紳士録」

 100~150円で買おうなんて考えるから、10年近くかかるんだよな、揃えるのに。同じく角川文庫から出た「新青年傑作選」の5巻、「宝石傑作選」の2巻、4巻がまだ揃っていません。見かけましたらご連絡を。こちらも100~150円で探しています(おいおい)。



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