有栖川有栖編『有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー』(角川文庫)

 有栖川有栖が秘密の書庫を大公開!? 古今東西の名作ミステリ、しかも極めて入手困難な10作品がこの一冊に! 幻の本格ミステリ漫画、つのだじろう『金色犬』、台湾の傑作鉄道ミステリ、余心楽『生死線上』、ロバート・アーサーの『五十一番目の密室』にはなんと日本初訳、エラリー・クイーンによるまえがき・あとがきも収録する。巻末には収録作品について語り合う北村薫氏との対談も。『北村薫の本格ミステリ・ライブラリー』と併せ、この二冊を読まずして本格ミステリを語るなかれ。(粗筋紹介より引用)
 「I 読者への挑戦」は犯人当て。巽昌章「埋もれた悪意」、白峰良介「逃げる車」、つのだじろう「金色犬」。
 「II トリックの驚き」はその名の通り驚いたトリックもの。ロバート・アーサー「五十一番目の密室」、W.ハイデンフェルト「「引立て役倶楽部」の不快な事件」、ビル・プロンジーニ「アローモント監獄の謎」。前二作にはエラリー・クイーンのルーブリックとあとがきも。
 「III 線路の上のマジック」は鉄道ミステリ。余心楽「生死線上」、上田広「水の柱」。
 「IV トリックの冴え」はIIより凝ったトリック作品。海渡英祐「「わたくし」は犯人……」、ジョン・スラデック「見えざる手によって」を収録。
 2001年8月、刊行。

 若いころに恩を受けた亡き元社長の息子を探すために、会社社長がテレビで呼びかけた。ところが現れたのは二人。会ったのは赤ん坊の時で、しかも自身が闘病中であったため、覚えていることはほとんどない。唯一の証拠は、当時のもぐり産婆が持っていた手形。そして産婆が殺された。巽昌章「埋もれた悪意」。法月綸太郎が京大推理研の犯人当て小説で「史上一、二を争う初期の傑作」と述べた作品。謎の設定と、関係者の証言の矛盾点からすべての解決を導き出す推理に脱帽。
 150km/hのスピードで走るポルシェ。スピード違反で追いかけるパトカー。ポルシェから降りた運転手は個人医院に飛び込み、薬棚から青酸の瓶を取り出して飲み干し、死んでしまった。自殺か。しかし運転手は三か月後に結婚が決まっていた。白峰良介「逃げる車」。コピーライターの作者が同志社大推理研時代に即興で書いた犯人当て作品。意外なトリックに驚かされる。
 新宿の高台にある屋敷で、真っ赤な目をした金色の犬が男をかみ殺して消えたという。殺されたのは、歩くことができず車椅子の資産家が結核になったので、財産を狙いに集まった親族の一人であった。さらに第二、第三の殺人が。少年探偵、ジョニー弘田が謎を解く。つのだじろう「金色犬」。『少年』1968年2月号の付録で、当時ミステリに凝っていた作者がシリーズ化を考えていたが、廃刊でとん挫し、今まで単行本未収録だったという。しっかりとした骨組みの本格ミステリ。もしシリーズ化していたらどうなっていただろうと考えるのも面白い。
 密室派探偵作家のゴードン・ワゴナーはハリソン・マニックスに、自分が考えた五十一番目の密室トリックは、過去に類似のものはなかったと自慢する。片田舎の近代中の小住宅で、ドアも窓もすべて内から厚板で釘打ちされている。暖炉の煙突は人が通れない狭さ。床はコンクリート、壁は石で積み上げられで隙間がない。数週間後、ワゴナーは自分が話した設定の小住宅で、椅子に座った首のない死体で発見された。切り落とされた首は大型コップに載せて本棚に飾られていた。ロバート・アーサー「五十一番目の密室」。作品名とトリックは有名だが、実際の短編を読まれたことがない作品としては一、二を争うだろう。実現可能なトリックの奇抜さと、結末の不気味さが印象的な短編。
 インドで開かれる「第一回世界名探偵会議」のために皆が出かけたため、英国の別荘で休んでいた〈引立て役倶楽部〉の面々。近所にある山荘で拳銃による他殺死体が発見される。ドアも窓も完全に閉まっていて、隙間すらない密室殺人。倶楽部の面々は、それぞれの探偵の思考パターンを真似ながら解決に挑む。W.ハイデンフェルト「「引立て役倶楽部」の不快な事件」。デュパンの「私」が会長、ワトソン博士、ヘイスティングズ大尉、ランドルフ判事、ニッキー・ポーター、リカルド……いわゆるワトソン役の面々が集まって事件に挑むパロディ作品。これもタイトルだけ有名で、なかなか読むことができなかった作品。完全密室殺人事件であるが、トリックは推理クイズでおなじみのもの。まあ、笑って楽しむ作品である。
 アーサー・ティーズデイルがアローモント監獄で死刑を執行される日。ティーズデイルは絞首台で首に輪を掛けられ、落とし戸が開いて落下した。しかし奈落を覗いてみると、ロープの先には何もかかっておらず、黒い頭巾が床の上に落ちているだけで、ティーズデイルは消えていた。バックマスター・ギルーンという謎の男が解き明かした真実は。ビル・プロンジーニ「アローモント監獄の謎」。ハードボイルドの名無しのオプシリーズで有名なプロンジーニだが、短編はトリッキーな作品も多い。あまりにも強烈な謎ではあるが、本作ははっきり言ってバカミス。北村薫が言うように、映像にしたらバレバレ。それをぬけぬけと書いてしまうところに味がある。
 マネジメント業を営む中華民国人の漢端(ハンルエイ)とスイス人の妻のべリアは、商談相手の李立勉(リーリーミエン)に呼ばれた。チューリッヒ発ジュネーヴ行きの快速列車内で起きた殺人事件で李が重要参考人として警察に疑われているので、かつて警察に協力して事件を解決したことがある漢端に助けてほしいと頼んできた。余心楽「生死線上」。作者はチューリッヒの台北貿易事務所で働く傍らミステリや純文学を執筆。有栖川が香港で手にした雑誌に掲載されていたのが本作だという。台湾人がスイスを舞台にしたトラベルミステリ、しかもアリバイものの短編を書いているというのは珍しいが、骨組みはしっかりとした佳作である。シリーズがあるなら読んでみたい。
 梅津工業社長の梅津定吉が河岸で死体となって発見された。捜査の結果、列車から降りるために早めにデッキに行って扉を開けたとき、ちょうど鉄橋に差し掛かって揺れたため、誤って落ちた事故死とされた。その列車の車掌だった河合五郎は転落に気付かなかったことを上司に叱責されたが、悔しくなって調べていくうちに不審な女性がいたことを知り、警察に投書する。上田広「水の柱」。作者は国鉄出身の作家で、本作は鉄道ミステリ連作短編集の一編。正直言って地味な作品ではあるが、鉄道で働く人たちの仕事内容がよくわかる作品であり、骨組みもしっかりしている。ただ最後はちょっと首をひねってしまうのは、丁寧に作られた作品なので勿体ない。
 秋山康子という人妻が殺害された。容疑者は、康子の夫義行の元恋人、小村美枝子。動機はあるし、死亡推定時刻のアリバイは酒を飲んでいたという証人のいないもの。おまけに小説に応募するという形で書かれた犯行計画を描いたノートまで警察の手に渡り……。海渡英祐「「わたくし」は犯人……」。アリバイトリックばかりを集めた短編集『閉塞回路』の中の一編。作者自身も気に入っていると書いているが、アリバイトリックをうまく使った好短編。トリックの斬新さに振り回されるのではなく、あくまでトリックは本格ミステリの一部を構成しているだけに過ぎないということを実証したような作品。
 アマチュア探偵として広告を出したサッカレィ・フィンのところに、アンソニイ・ムーン画廊から依頼が来た。彼が抱えている画家のアーロン・ウォリスのところに殺害の脅迫状が届き、しかもそれが今夜九時だという。マンションの十二階のフロアに住むアーロンを部屋の外でアンソニイと一緒に見張っていたフィンであったが、九時が来ても何も起きなかった。しかし午前一時すぎ、部屋に入ろうとするとチェーンがかかっていた。扉をぶち破ると、中でアーロンがゴムチューブで首を絞められ殺されていた。しかも時間は二人が見張っていた午後八時から九時の間だという。ジョン・スラデック「見えざる手によって」。『見えないグリーン』で有名なジョン・スラデックのミステリ第一作。こちらも密室殺人事件であるが、トリックはあまり好きになれないものである。それ以上にわからなかったのが結末。皮肉った文章なのだが、全く意味が分からなかった。

 このアンソロジーを読むと、作者も本格ミステリばかりでなく、色々な本を読んでいるのだな、やはり作家になる人は色々な本を読むのだろうな、などと思っていまう。通常だったら見落としてしまいそうなところまで目を配り、本格ミステリに目の色を変えてしまうのは凄い。  個人的には、つのだじろうと「五十一番目の密室」に感動した。前者は、つのだろうじろうがこのような本格者の漫画を描いていたとは全く知らなかったことに。そして後者は、名前とトリックだけが有名で、肝心の短編を読んだことが無かったので。
 ハイデンフェルトについては「脇役クラブ~」のタイトルで覚えている。藤原宰太郎の推理クイズ本でタイトルと狙いだけは知っている。
 世の中には、色々な本格ミステリの佳作が埋もれていることを教えてくれるアンソロジーである。




佐藤友哉『エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』(講談社ノベルス)

 青春は美しくない。私の場合もそうだった。二年B組に現れた転校生。校内で発生した密室。それらを起点として動き出す、不可解な連中。コスプレを通じて自己変革する少女。ぐちゃぐちゃに虐められる少女。人間しか食べられない少女。ドッペルゲンガーに襲われた少女と、その謎を追う使えない男。そして…予言者達。私は連中の巻き起こす渦に呑まれ、時には呑み込んで驀進を続けた。その果てに用意されていたのは、やはりあの馬鹿げた世界。…予言。あの時の私は、それで何を得たのだろうか。ま、別に知った事じゃないけどさ。(粗筋紹介より引用)

 鏡稜子は、『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』の主人公、公彦の姉であるが、本作品の時間軸は、前作から過去に遡っている。
 前作より「進化した」、独りよがりな内容。細切れに見せられる、読者を無視したストーリー展開。知っている人さえ知っていればいいとでも言いたげな、説明のない単語の数々。ご都合主義の塊。人形以下の扱いしかされていない登場人物群。それでも、小説にパワーがあるから困ったもの。“わからないやつは来るな。オレたちだけで盛り上がろう”的な小説であり、無理に付いていく必要はない。付いて行くには、読者も壊れる必要がある。何も読者は、そこまで作者に合わせる必要はない。
 と書きましたが、誉め言葉です、一応。読者が貶すことが、この作者への誉め言葉だと思う。




三好吉忠『〈現場報告〉「少年A」はどう矯正されているのか』(小学館文庫)

 少年法改正の賛否両論の意見、家庭裁判所、鑑別所、少年院などの実態をレポート。作者は元京都家庭裁判所総括裁判官、いまは弁護士。
 何で買ったのか記憶がない。未読本の山の中から出てきたので、薄い本ということもあり、一気に読み切る。それなりに参考になりました。議論の中に“被害者側の立場の声”があまり反映されていないのが残念。問題提起こそはあるが。




河口俊彦『新対局日誌第4集 最強者伝説』(河出書房新社)

 河口俊彦のライフワーク第4集は1989年。大山康晴から二上達也に連盟会長が交代。羽生善治が19歳にて竜王奪取などと、色々と話題の多い一年だった。
 この巻には、竜王戦の大山vs羽生の対局が載っている。帯では、「大巨人と超新星が生涯に一度だけ戦った本当の「勝負将棋」とは? そこで放たれた最高級の名手とは?」とある。▲6六銀は、棋史に残る一手だろう。
 まだ大山がいて、中原・米長がいて、谷川がいて、そして羽生たちの世代が活躍しだして……、本当に豪華な時代だったといえる。そして、ベテラン棋士も、個性派棋士も頑張っていた。将棋が面白かった時代であると同時に、棋士が面白かった時代でもあった。




森英俊編『ミステリ美術館 ジャケット・アートでみるミステリの歴史』(国書刊行会)

 ホームズのライヴァルたちが活躍した1910年代から、クリスティー、クイーン、カーら本格派の巨匠が君臨した大戦間〈黄金時代〉、第2次大戦後の新展開、P・D・ジェイムズ、E・ピーターズ他、現代の人気作家まで、欧米ミステリ100年の歴史を、460点の貴重な原書ジャケット・アートでたどる、ミステリ・ファン待望の夢のコレクション!!(作品紹介より引用)

 ミステリコレクターである森英俊が集めたコレクションのなかから、460点のジャケットアートをオールカラーで収録。「第1展示室 ミステリの巨匠たち」「第2展示室 ジャケット・アートで見るミステリ史」「第3展示室 ミステリ・ア・ラ・カルト」「第4展示室 翻訳ミステリの世界」。
 これだけ並べられると圧巻。これを見て、値段さえ考えなかったら手に取りたいと思わない読者はいないだろう。
 ジャケットを眺めるだけでうきうきしてくる本。さらにゲスト・エッセイも興味深い。次は日本の作品でやってくれないかな。




北村薫編『北村薫の本格ミステリ・ライブラリー』(角川文庫)

  エラリー・クイーンが16歳の新人作家レナード・トンプソンに期待を込めて送った手紙に、傑作「ジェミニ―・クリケット事件」の入手困難だったアメリカ版。それから西條八十の「花束の秘密」まで編者・北村薫ならではの多岐にわたったライン・ナップ。そのうえ有栖川有栖氏、田中潤司氏と語り合った古今東西のミステリ逸話も収録。あっと驚く謎物語が、たっぷり詰まった一冊だ。『有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー』と合わせてミステリ・ファン必読のアンソロジーが誕生した!(粗筋紹介より引用)
 「I 懐かしの本格ミステリ――密室三連弾プラス1」は密室トリック。レナード・トンプソン「酔いどれ弁護士」(「スクイーズ・プレイ」「剃りかけた髭」「エラリー・クイーンからのルーブリックと手紙」を収録)、ロバート・アーサー「ガラスの橋」、ローレンス・G.ブロックマン「やぶへび」。
 「II 田中潤司語る-昭和30年代本格ミステリ事情」はそのまま田中潤司が当時の本格ミステリを語る。
 「III これは知らないでしょう――日本編」はどちらもワセダ・ミステリ倶楽部機関紙『PHOENIX』に収録されたもの。深見豪「ケーキ箱」、新井素子+秋山狂一郎+吾妻ひでお「ライツヴィル殺人事件」。
 「IV 西條八十の世界」はその名の通り、西條八十の本格ミステリと訳文。西條八十「花束の秘密」、ロオド・ダンセイニ「倫敦の話」「客」、カーリル・ギブラン「夢遊病者」。
 「V 本格について考える」は作者が考える本格ミステリ。都筑道夫「森の石松」、マヌエル・ペイロウ「わが身に本当に起こったこと」、吉行淳之介「あいびき」。
 「VI ジェミニー・クリケット事件(アメリカ版)」は、短編集で結末を変える前のアメリカ版作品。クリスチアナ・ブランド「ジェミニー・クリケット事件」(アメリカ版)。
 2001年8月、刊行。

 酔っぱらいの刑事弁護士、ウイリアム・グレイが、射殺された被害者と同室にいた夫の無実を明かしてほしいという依頼にこたえ、法廷でそのトリックを暴く。レナード・トンプソン「スクイーズ・プレイ」。江戸川乱歩が『探偵小説の謎』で、『ユダの窓』のトリックに対してアメリカのある少年作家が挑戦したと、著者名やタイトルを明かさずに言及された作品。作者は16歳とのこと。グレイの造形などは他作品の模倣ではあるものの、オリジナルの密室トリックが主眼であり、トリックは面白い。
 射殺された被害者と同室にいた高名な刑事弁護士の父の無実を明かしてほしいという依頼にこたえ、法廷でそのトリックと真犯人を暴く。レナード・トンプソン「剃りかけた髭」。部屋のある部分の不自然な状況と、被害者の行動からトリックを暴くところが面白い。個人的には前作より出来がいいと思う。
 上記二作には、「エラリー・クイーンからのルーブリックと手紙」が付けられている。
 小説家を脅迫している若い女性が、小説家の山小屋に行ったまま行方不明となった。家の周りには二フィートも雪が積もり、彼女の行きの足跡しかなく、他には何の跡もなかった。小説家は心臓が悪く、力仕事は全くできない。山小屋の中には彼女の痕跡すらなかった。彼女は四か月後、渓谷の淵に沈んでいるのが発見された。未解決のファイルに収められていた事件を、ド・ヒルシュ男爵が解き明かす。ロバート・アーサー「ガラスの橋」。タイトルはガラスのナイフを水差しに入れて隠した探偵小説に倣い、誰の目にも見えない橋を通って死体を運んだという比喩を指している。頭の中に絵に浮かんでくる鮮やかなトリックではあるが、いくら表面が少し硬くなっているとはいえ、本当に痕が残らないのかはちょっと疑問である。
 新聞社の社長である女性が、寝室で編集長の男性との電話中、拳銃で撃たれて重体となった。関係者二人が供血している中、警察は部屋の中の手がかりを探した。ローレンス・G.ブロックマン「やぶへび」。タイトル通り、残された手がかりが“やぶへび”となる話。藤原宰太郎の推理クイズでよく出てくる手がかりも登場する。なお、ロバート・アーサーが「五十一番目の密室」(『有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー』所収)で本作のネタバレをしているので注意。
 「田中潤司語る」は貴重な話を聞いて嬉々とするマニアの二人の姿が面白い。もちろん、話そのものも面白いのだが。
 登山クラブの大学生が、試作の鉄製テントを中腹に建て、調子の悪かった女性一人を残して次の日に山へ登ったが吹雪で引き返し、ようやくテントを探し当てると内側から鍵がかかっており、無理矢理開けると中は大乱闘の後のように散らかっており女性が全身傷だらけで倒れており、「誰にやられ…」と言葉を残したまま死亡。死因は鈍器による打撲。15cmの丸窓以外には隙間はない、密室殺人だった。深見豪「ケーキ箱」。ワセダ・ミステリクラブの機関誌に掲載された作品。某有名作家の名作を思い起こすようなトリックだが、こちらの方が早い。小説の出来はともかく、トリックは面白い。
 『ウインター殺人事件』から一か月後の話。ライツヴィルで発生した殺人事件。釣橋の向こうで登山服を着た男が、体の前面だけが強い打撲を負って死んでいた。手首に縛られた痕があり、後頭部を殴られていたがこれは気絶する程度のものだった。そばにあったリュックサックや、中にあった飯盒や缶詰もぶつかり合ってつぶれていた。新井素子+秋山狂一郎+吾妻ひでお「ライツヴィル殺人事件 ファイロ・ヴァンス捕物控その十三」。角川書店の編集者である秋山狂一郎が学生時代にワセダ・ミステリクラブの機関誌に掲載した作品が原作。当時『バラエティ』(角川書店)という雑誌で、新井素子が文を書き吾妻ひでおが絵を描く連載エッセイ(後に『『ひでおと素子の愛の交換日記』でまとめられる)があり、秋山が編集者であった。ある話の流れから本作が掲載されることとなり、新井が文章で突っ込み、吾妻が絵を描いた。読者への挑戦状もあるのだが、完全に悪乗り作品で、読むのはしんどい。
 銀座の食堂で、二日おきぐらいに晩飯を食べた人がトマインという毒で気分が悪くなり、全部で11人にのぼった。しかしコックたちは長年働いているものばかりだし、食堂そのものも病理研究所からお褒めの言葉をもらうぐらい綺麗。材料も問題はない。店主を憎んでいるような人もいなかった。店主から相談された理学士の草薙が謎を解く。西條八十「花束の秘密」。ジュブナイルということもあって謎自体は大したことはないが、西條八十が本格ミステリを書いていた、ということ自体に驚く。
 バクダッドの都のある遠い遠い国で、(サルタン)大麻喫用者(ハシーシユイータ)に語ってもらった倫敦(ロンドン)の話。西條八十が翻訳したロオド・ダンセイニの散文詩「倫敦の話」。不思議なムードが漂っているのは、翻訳の力が大きいからかもしれない。
 倫敦のレストランにやってきた一人の若い男。彼は二人前の座席を予約していた。しかしもう一人はなかなか来ない。しかし若い男は、空いた椅子に話しかける。西條八十が翻訳したロオド・ダンセイニの散文詩「客」。これまた不思議な話だが、結末はどう解釈すればよいのか。
 夢遊病者の母と娘の話。西條八十が翻訳したカーリル・ギブラン「夢遊病者」。わずか2ページだが、これも不思議な作品としか言いようがない。
 従兄が連れてきたのは森の石松の子孫という男。興味を持った作者は、清水の次郎長の身内である森の石松が殺された真相を推理する。都筑道夫「森の石松」。正直言って、清水の次郎長も森の石松も、名前しか知らない。当然わかっているものだと思って作者は書いているため、背景がどうなっているのか掴み切れない。一応歴史ミステリだが、そういうこともあってあまり楽しめなかった。
 友人の事務所を出た私は、地下鉄の駅の入り口手前で一人の男を見かけた。すれ違って歩き続けると、今度は映画館の前で同じ男とすれ違った。いや、同じ男だが服装は違っていた。驚きながらも歩き続けると、今度はナイトクラブの手前でまた同じ男と出会った。翌日、同じ時間に歩いてみると、また同じように三度同じ男とすれ違った。それが一か月続いた。マヌエル・ペイロウ「わが身に本当に起こったこと」。何とも不思議な話だが、解説を読んでもピンと来なかった。察しが悪いのか、私は。
 レストランで食事をした後、奥にあるホテル「あいびき」に入った男女のカップル。吉行淳之介「あいびき」。これはすごい傑作。ショートショートなのに全然想像もつかなかった結末に呆然とした。
 老刑事弁護士のトマス・ジェミニ―は、犯罪者の家族を世間の目から守るために心血を注いでいた。ジェミニ―の家は気の毒な子供たちに開放され、子供たちはジェミニ―・クリケットと呼ばれた。そんなジェミニ―が、四階のかんぬきが内側からかかった事務所の部屋で殺害された。クリスチアナ・ブランド「ジェミニー・クリケット事件」。短編集に入っているのは英国版。そして今回収録されているのは米国版。ちょっとした、そして大きな違いが結末にある。やっぱりブランドってすごいと感じさせる。

 何と多岐に渡るラインナップだろうか。さすが北村薫というべきか。本格ミステリの楽しさを詰め込んだ一冊。本格ミステリって何だろうと色々考えさせられるが、そんなことより類まれなる読書家が選んだ優れた作品を読んで楽しめればそれでいい。




殊能将之『鏡の中は日曜日』(講談社ノベルス)

鎌倉に建つ梵貝荘は法螺貝を意味する歪な館。主な魔王と呼ばれる異端の仏文学者。一家の死が刻印された不穏な舞台で、深夜に招待客の弁護士が刺殺され、現場となった異形の階段には一万円札がばらまかれていた。眩暈と浮遊感に溢れ周到な仕掛けに満ちた世界に、あの名探偵が挑む。隙なく完璧な本格ミステリ。(粗筋紹介より引用)

 面白いのだが、傑作というには違和感がある。評価は高いのだが、高い評価を付けたくない。矛盾しているのはわかっている。
 パロディとは違う気がする。名探偵という存在の実在化。本格ミステリが触れようとしない部分への領空侵犯。
 作中作であり、過去の事件でもある「梵貝荘事件」がこてこての本格、館ものであるだけに、現代の石動戯作との振り子の幅が異様に大きい。それを本格ミステリの枠内でやってしまうのだから、作者の腕には恐れ入る。しかも、本格、名探偵へのリスペクトがはっきりと見えているから、最後のシーンに微笑んでしまう。
 結局、悔しいのかな。作者にしてやられてしまったことに。
 否定による存在の肯定と物語の構築。この手法がどこまで続くのか、楽しみである。
 鮎井郁介の過去の作品も読んでみたいと思うのは、私だけではないはずだ。




篠田真由美『桜闇』(講談社ノベルス)

 桜井京介シリーズ短編集。新刊で買って、今頃読むという黄金のパターン。収録作品は、「ウシュクダラのエンジェル」「井戸の中の悪魔」「塔の中の姫君」「捻れた塔の冒険」「迷宮に死者は棲む」「永遠を巡る螺旋」「オフィーリア、翔んだ」「神代宗の決断と憂鬱」「君の名は空の色」「桜闇」の10作。
 長編と長編の間に入るエピソードあり、過去を語る話ありなど、桜井シリーズファンには欠かせない一冊。勿論、それぞれが独立した短編として読める……ばかりではないか。他の作品とトーンが違う「オフィーリア、翔んだ」が個人的に好み。



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