近藤史恵『巴之丞鹿の子―猿若町捕物帳』(幻冬舎文庫)

 江戸の町で、若い娘が続けて殺された。彼女たちは、いずれも鼠色の鹿の子の帯揚げをしており、しかも同じ帯揚げが首に巻き付いていた。この帯揚げは人気役者水木巴之丞が芝居中に身に付けていたものであり、江戸の町で流行っていた。水木巴之丞がこの事件に関係があるのか。南町奉行所同心玉島千蔭は事件の謎を追う。
 町娘お袖は、実は呉服屋の主人が手をつけ捨てた女中の娘だった。ここのところ、お袖は憂鬱だった。息子の行状に手を焼いた呉服屋は、お袖と働き者の手代を夫婦にし、息子の代わりに跡を継がせようというのだ。しかしお袖にはそんな気持ちはこれっぽちもない。ある日、草履の鼻緒が切れて困っているところを通りすがりの侍、小吉にすげてもらう。ところがむしゃくしゃしていたお袖は、思わず侍を蹴ってしまう。それがもとで、小吉と付き合うようになる。

 時代小説がここまでぴったり来ることに驚き。それでいて、近藤史恵の世界はキッチリと守られている。特にお袖のキャラクターに、らしさが見えてくる。
 連続殺人事件の謎は、ありがちのネタなので今ひとつだが、今回はとりあえず登場人物の顔見せといったところだろうか。
 時代背景、江戸の風俗などもしっかりと書き込まれており、それでいてこの短さでまとめ上げるのはさすがといえよう。とにかく行数を費やしてばかりいる昨今の風潮に反するかのようなこの本の薄さながら、中身は逆にずっと濃い。今後の展開が非常に楽しみなシリーズといえよう。




坂口弘『あさま山荘1972』(上)下(彩流社)

 感想は後日。




横溝正史『金田一耕助の新冒険』(光文社文庫)

 主に角川文庫に収録された改稿長編の原型作品群を集めた作品集。収録作品は、「毒の矢」「トランプ台上の首」「貸しボート十三号」「支那扇の女」「壺の中の女」「渦の中の女」「扇の中の女」「迷路荘の怪人」。
 長編作品の方は全て読んでいるので、そちらを思い出しながら読み返した。そのせいか、原型作品は頁が足りない印象を受けた。解決部分が駆け足になっていることも、原因の一つに挙げられよう。事件の謎と捜査に頁を費やし、いざ結末となるとあっさりとしている。作者本人も、もう少し頁があったらと思っていたのかもしれない。それが、長編化への動機の一つと思われる。
 長編作品と原型作品を比較することは、横溝正史の料理方法を知る上でとても参考になる。もちろん、原型作品を読んでも充分に面白い。横溝正史は、超一流のストーリー・テラーだということを再認識させられた。




黒武洋『メロス・レヴェル』(幻冬舎)

21世紀の日本。人の心は荒れ果て、出生率はますます低下。秩序を取り戻すため、政府は「ファミリー法」を制定していた。19時までに家に戻り、政府に報告しなければならない。夕食は一緒に取り、決められた栄養分は必ず取らなければならない。秩序を取り戻し、よりよい“社会”と“未来”を作るため、政府は自由を制限する方向に走っていた。
 そんなある年、政府はある大会を開催することになった。その大会の名は「メロス・レヴェル」。応募者の中から選ばれた10組のペアが、それぞれ競い合う。競い合う内容は一切わからない。ペアは、片方がメロス、片方がセリヌンティウス役を自ら決める。そしてメロス役が競い合う。レヴェルはI~Vまであり、Vまで勝ち抜いたたった1組が優勝となる。優勝者には、100億円の分割受け取り、もしくは50億円の一括受け取り。いわゆる名誉と金が手にできるのである。しかし敗者には過酷なペナルティが待っていた。メロス役がさいころを振って出た目の機能、いわゆる視覚、聴覚、嗅覚、味覚、両手、両足のいずれかをセリヌンティウス役は失うのである。勝ち進むほど、ペナルティもきつくなる。時には死すらも掛ける必要があった。太宰治『走れメロス』で、メロスとセリヌンティウスは命を掛けて絆を確かめ合った。選ばれた10組のペアは様々であった。老夫婦、新婚夫婦、親子、恋人、親友etc.。中には飼い犬と飼い主のペアもあった。10組のペアは、絆を確かめ合い、勝ち進むことができるか。

 命を掛けた生き残りゲームをテーマにしたミステリには、貴志祐介『クリムゾンの迷宮』や高見広春『バトルロワイアル』などがあるが、本作はペアを組んだ相手役の身体機能を奪うという設定が新しい。人心荒廃など深刻な問題が最初に出てくるので、社会派要素が強いかと思われたが、途中からは「メロス・レヴェル」での争いが中心となり、やや肩すかしを食らう。
 出場者の過去や背負っているものが手短に、しかし要領よく纏めて紹介されるので、ゲームの動きがわかりやすいし、誰が優勝するかという興味も湧く。それが逆に、感情移入できるキャラクターが存在しないという欠点にもなっている。そのため、身体機能を奪うという残酷さがより際立っていく。絆の大切さを問うはずの大会が、逆に絆のもろさを露呈する大会になっているというのも、皮肉といえば皮肉である。もしかしたら、『走れメロス』のアンチテーゼなのかもしれない。
 作者はあえて主人公を設定しないことにより、何かを訴えたかったのかもしれない。その何かがわからない。それは絆だろうか。このような“ゲーム”の愚かさだろうか。将来への不安だろうか。作者はただ「メロス・レヴェル」というゲームを思い付いたから書いた、とは思えないのだ。作者に突き放されたまま物語は終わってしまい、心の中でもやもやが残る。
 内容や文章に粗さが残るが、光るものを持っている作者である。前作と本作は、同じ世界に存在している。もしかしたら、点ではなく、線になるのかもしれない。とにかく、次作も期待してみたい。




横溝正史『金田一耕助の帰還』(光文社文庫)

 主に角川文庫に収録された改稿長編の原型作品群を集めた作品集。収録作品は「悪魔の降誕祭」「死神の矢」「霧の別荘」「百唇譜」「青蜥蝪」「魔女の暦」「ハートのクイン」。
 長編作品の方は全て読んでいるので、そちらを思い出しながら読み返した。そのせいか、原型作品は頁が足りない印象を受けた。解決部分が駆け足になっていることも、原因の一つに挙げられよう。事件の謎と捜査に頁を費やし、いざ結末となるとあっさりとしている。作者本人も、もう少し頁があったらと思っていたのかもしれない。それが、長編化への動機の一つと思われる。
 長編作品と原型作品を比較することは、横溝正史の料理方法を知る上でとても参考になる。もちろん、原型作品を読んでも充分に面白い。横溝正史は、超一流のストーリー・テラーだということを再認識させられた。




氷川透『人魚とミノタウロス』(講談社ノベルス)

 プロ作家志望の氷川透は、高校時代に最も影響を受けた同級生である生田舜と再会する。現在、生田は精神病院の研修医であった。翌日、生田と合う約束をした氷川は、生田が勤める病院を訪れる。そこで遭遇したのは事件であった。病院内の面接室で、身元も分からないほど焼けただれた死体が発見されたのだ。病院内に生田の姿は見当たらない。焼死体は生田なのか、それとも別人なのか。捜査に当たる高井戸警部、北沢刑事、そして調布署の新人、千歳刑事。三度事件に遭遇した氷川をあてにする高井戸たち。その日の夜、氷川は論理に論理を重ねた推理を北沢と千歳に披露する。

 氷川が繰り広げる推理には、特に異論がない。というより、目立ったキズさえ見つからなければ、推理が正しいかどうかをわざわざ確認する必要性を私は感じない。
 それはさておき、数学の証明問題のように、一つ一つの可能性をつぶすやり方には感心するが、読んでいてちっとも面白くないのには困ったものである。小説としての抑揚、盛り上がりがまるで存在しない。この書き方は小説ではない。学術論文のレポートである。トラブルメーカー型のアイドル刑事の配置など、物語を面白くしようとする努力は見受けられるが、肝心の結末がこれでは、どうしようもない。
 途中で入る「記述者なんて初めてだ」とか、「なんで氷川のことを考えなきゃいけないんだ」みたいなくすぐりは悪ふざけもいいところ。肩の力を抜くためなのか、フィクションを強調したいだけなのかはわからないが、下手な楽屋落ちを見せられた気分になる。
 千歳刑事の造形や、北沢と千歳の絡み方なども、類型的、というか他の作家からの借り物で終わり。消化不良を起こしている。
 いつも思うのだが、作者には「推理」の面白さを書くのではなく、「推理“小説”」の面白さが書けるようになってほしい。数学の解答を延々と見せられたって、読者は退屈するばかりである。 なぜ火を使ったか、どこにも書かれていないんですよね。火を使う必然性がどこにもないんですが。というより、火を使うのが不自然。これは大きなキズかな。いや、ここに書いているんだよという方、ご教授下さい。




月森聖巳『願い事』(ASPECT NOVELS)

 作者はもともと、伊東麻紀という名前でファンタジーなどを書いていたらしい。
 精神科医、神名木透哉は、鏡を拳で叩き割ったことが原因で病院に駆け込まれてきた18歳の女子大生、戸来美音子の診察を受け持つようになる。最初は精神分裂症と診断した透哉であった。ところが診察を続けた結果、美音子は離性同一性障害、いわゆる多重人格の持ち主であることに気付く。美音子の過去や周辺を追ううちに、衝撃的な事実が次々に明らかになっていく。離婚寸前の両親、母親の自殺、父親の再婚、義母の不可解な事故死、因習に縛られた地方の名家。透哉は美音子の心の奥底に潜む妖精、「エレーヌ」の存在を知ることになる。一方、「エレーヌ」は美音子の別人格を用い、一人の少年とつきあい始め、次第に虜にしていった。少年は、「エレーヌ」の指示に従い、次々と殺人に手を染めていった。「エレーヌ」の目的は何か。正体は。透哉は美音子を救うことができるのか。
 帯に「2000年期待の大型新人デビュー」とあったことと、なんとなく“匂い”がしたので購入した1冊。しかし読むのは、今頃なわけ。
 多重人格を取り扱ってはいるが、主題になっているわけではない。「エレーヌ」の怨念を軸にしたホラー小説である。帯にある「ビリー・ミリガンと山村貞子が出会うとき、サイコ・サスペンスとスーパーナチュラル・ホラーがひとつに融合する」という言葉は、納得できるところ。旧家の因習に縛られた部分はなるほど、ナチュラル・ホラーなのだな、と思ってしまうし、後半の息を呑む展開はサスペンスとして充分迫力がある。大森望の帯の言葉は、珍しく嘘ではない(おいおい)。もっとも、ホラーとしての怖さはあまりなかった気もするが。まあ、サスペンスとホラーの融合は難しいと言うことだろう。なんて書いちゃっていいのか、おい。
 それはともかく、読み終わった感想をひとことで言ってしまうと、“留保付きで”面白い。読んでいる途中は面白いし、読了感も悪くないのだが、どうも首をひねってしまう。
 首をひねる大きな理由は、神名木透哉という主人公の曖昧さだろう。ころころスタンスが変わる、意見が変わる。精神科医で、現実主義者という設定の割に、“妖精”の存在とか“降霊術”なんかも簡単に信じてしまうところが、読んでいて不自然。自分の信念を持っているという設定なのに、人の意見に振り回されすぎ。優柔不断を通り越して、こいつの方が別の人格を持っているのではないかと思うぐらい、性格が変わる。しかし、主人公なので、読者もこの人物に振り回されてしまう。その結果、歯車がどこか欠けているような噛み合わなさに繋がっている。
 最後の方向性がどうもずれているのも気にかかる。物語は完結しているのだが、変な話、to be continued の世界なのだ。『黄色い部屋の謎』に出てくる「黒衣夫人の香水」みたいな終わり方である。←どんな終わり方だ。とにかく、え、なぜ、と思う読者もいるに違いない。
 多重人格の取扱い方もなんか変な感じがするんだけど、医学的に正しいのだろうか。とくに最後の決着は、すごくまずいんじゃないかと思うが。
 とまあ、色々疑問点をあげたが、最初に書いたとおり、読んでいる途中はとても面白かった。次の作品も期待できるぞ、って思ったが、なんかあったんですかね。予告にあった次作も出る気配がないし、HPもいつのまにか消えているし。




喜国雅彦『本棚探偵の冒険』(双葉社)

 古本好きにはたまらないエッセイ。本に興味がある人は思わずにやりとするエッセイ。本に興味がない人から見たら、呆れられそうな気もするが、それはどんな趣味でも一緒か。




ミスター高橋『流血の魔術最強の演技―すべてのプロレスはショーである』(講談社)

 プロレスにストーリーがあることを今更書かなくても、という本。プロレスファンが読む本じゃないよな。ショックを受けるプロレスファンは居ないだろうけれど。新日本に怨みがあるからといって、あんたが書いちゃまずかろう、レベル。せめて30周年まで待てばよかったのに。これで記念大会に呼ばれなくなるぞ。新日本の歴史を彩る名レフリーだったのに。




若木未生『ハイスクール・オーラバスター 不滅の王』(集英社コバルト文庫)

 〈炎将〉せん司(字がわからん)との戦いがいよいよ本格化。そのわりに地味だな、展開が。それより許せないのは、愛すべき神原亜衣ちゃんがワンシーンしか登場しないこと。詐欺だぞ、これは(笑)。めずらしく数字も上下も付いていなかったので1巻本かと思ったら、やっぱり続編がありました。
 ミラージュはさすがに読むのを諦めたが、このシリーズは完結まで追いかけるつもり。あと5年はかかるんだろうな、きっと。まあ、永遠の未完『ガラスの仮面』の新刊を待つよりはいいか。




七北数人編『阿部定伝説』(ちくま文庫)

 1936年5月18日、荒川区の待合で宿泊していた50歳位の男の死体が見つかった。首を紐で締めて殺されたあと、下腹部を切り取られていた。男性は料理屋の主人(42)で、1週間前から待合で主人と居続けた元女中(32)が犯人と断定された。元女中は20日逮捕された。この元女中が、阿部定である。
 本書は、様々な小説、映画などの題材となった阿部定“伝説”の深化をたどったものである。予審調書や自筆の置き手紙などの資料を集成。さらに定をモデルにした短編3本を収録。
news report 1936.5.19~6.10
I 予審調書(全文)
II 証言・対談・その他資料
  「畳屋のお定ちゃん」久保久美・仙子
  「阿部定と語る」太田金次郎
  news report 1941.5.18~1947.12.11
  「阿部定・坂口安吾対談」
  「阿部定さんの印象」坂口安吾
  「智照尼と阿部定」竹内金太郎
  「料亭「星菊水」就職時の挨拶状」阿部定
  「私は石田を殺さない」阿部定
  「「勝山ホテル」女将宛置手紙」阿部定
III 阿部定ロマネスク
  「世相」織田作之助
  「聖淫婦」宇能鴻一郎
  「鬼灯〈ほおずき〉」森真沙子

 編者あとがき
 解説瀬戸内寂聴

 阿部定を知らない人は少ないと思うが、事件の全貌を知る人は少ないと思う。「阿部定事件」を、そしていかにして伝説となったかを知るには、格好の一冊である。我々が阿部定に対していかに間違ったイメージを持っているか、この本を読むとわかるだろう。とくに予審調書はお薦め。ただの調書なのに、普通の小説よりもずっと面白い。恋愛小説の一級品である。
 1971年に勤めていた勝山ホテルを失踪した後、阿部定の消息はわからない。2002年2月現在、彼女はまだ96歳である(あとがきより借用)。



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