樹下太郎『散歩する霊柩車』(光文社文庫)
ある日、男のもとに一通の手紙が配達された。差出人の名は麻見杉夫。読みすすむうちに男の胸を不安がよぎった。これは自分に宛てた遺書なのでは…?告別式の終わったあと、夫の麻見弘は不貞を働いて自殺した妻の相手を捜すべき、霊柩車を走らせる。ユーモア小説を得意とする著者が放つ異色の短編推理傑作集。(粗筋紹介より引用)
「夜空に船が浮ぶとき」「散歩する霊柩車」「ねじれた吸殻」「悪魔の掌の上で」「泪ぐむ埴輪」「孤独な脱走者」「雪空に花火を」「日付のない遺書」を収録。
樹下太郎の初期短編集。使われている謎、トリックは簡単なものである。こういう作品を本格と呼ぶのは間違いだという人もいるだろう。しかし、読み応えは樹下の方がずっとある。「人が書けていない」という批評は嫌いだけど、「人が書けている」小説は面白いよね、本当に。
辻真先『天使の殺人[完全版]』(創元推理文庫)
このミステリの犯人は天使です。しかし探偵役もまた天使が務めます。一方、このミステリは「犯人捜し」の物語であると同時に、死者と探偵が誰なのか判らず、しかも「天使の殺人」の作者さえ判らない、という作品なのです。どうしてそういうことになるのかは、直接本文をお読みください―――実験推理のパイオニア・辻真先の代表作を、幻の戯曲版と合わせ[完全版]として文庫化!(粗筋紹介より引用)
曲者、というよりは曲芸師といった方が近い気がする辻真先の超絶技巧作。被害者、犯人、探偵がわからないという設定をよくぞこれだけ、こんがらがらずに書けるものだと感心してしまう。しかもこの手の作品の場合、物語のつじつまを合わすのに精一杯で、肝心の物語そのものが面白くないというケースが見受けられるが、本作は物語そのものの面白さでも引っ張るのだから大したもの。これほどの作品が、今回初めて文庫化されるというのは、作品以上に奇妙奇天烈な物語。しかも今回は戯曲版まで含まれているのだから、お買い得この上なし。とにかく読んでみて、作者の素晴らしい腕に拍手しましょう。
多岐川恭『長崎で消えた女』(講談社ノベルス)
探偵事務所を営む二本松秋彦は、かつて勤めていた会社の役員、新開賢三の依頼を受ける。裏工作費二億円を持ち逃げしたかつての上司、網野孝行を捜し出してほしいと。秋彦は網野の潜伏先と思われる長崎へ飛ぶ。捜査の途中で、逃げ出した人妻の行方を追っている女探偵の藍川真奈と知り合い、ともに行動をするようになった。しかし秋彦は、殺人事件に巻き込まれた。
多岐川恭晩年の作品。読み進めていくと、探偵の秋彦があまりにもアホに見えてくるが、実際にアホなんだからしょうがないか。そのじれったさもまた一興。見た目は単純な事件に見えて、思ったより手が込んでいる。それでいて、読む方に負担を与えない文章はさすが。読みやすさと面白さが同居している。肩肘張らずに読むには、ちょうどよいかも知れない。ただ、秋彦が追っている事件と真奈が追っている事件がもう少しうまく絡み合ったら、評価は上がっただろう。老練な手腕の作品だが、それ以上でないのが残念。
グレアム・グリーン『第三の男』(早川epi文庫)
作家のロロ・マーティンズは、友人のハリー・ライムに招かれて、第二次大戦終結直後のウィーンにやってきた。だが、彼が到着したその日に、ハリーの葬儀が行なわれていた。交通事故で死亡したというのだ。ハリーは悪辣な闇商人で、警察が追っていたという話も聞かされた。納得のいかないマーティンズは、独自に調査を開始するが、やがて驚くべき事実が浮かび上がる。20世紀文学の巨匠が人間の暗部を描く名作映画の原作。(粗筋紹介より引用)
読了はしたけれど、全然のれなかった。やっぱり映画を見ていないと面白くないね、これは。あの有名な音楽を思い浮かべなから読むべき一冊だった。
歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』(角川書店)
東京近郊で連続する誘拐殺人事件。被害者たちの父親の名刺がすべて、なぜか私の子供の部屋にある。そのとき父親がとった行動は?衝撃の長編サスペンス!(粗筋紹介より引用)
前半部は面白く読ませるが、後半の展開は私には突いていけない。一時期流行ったゲームブックを読まされている気分になった。
なぜ物語で読者を感動させないのだろう。最近のミステリにはそんな不満がある。小説形式で読者を驚かせるのは、食傷気味である。
歌野の作品がそうだと言っているわけではないのだが。スタンダードな面白さを求めていた私にとっては、やはり肩すかしを食らったと言うしかないのだ。前半部の展開がうまいだけに、なおさら残念なのである。
霧舎巧『名探偵はもういない』(原書房)
不可解な連続怪死事件。名探偵はさまざまな証拠を丹念に積み上げ、犯人像を絞り込んでいく。二転三転するスリリングな推理の醍醐味を味わわせてくれるのは、なんと「あのひと」だった! 「読者への挑戦」もある本格推理。(粗筋紹介より引用)
面白い本格を書こうという意欲はわかるし、意気込みは十分に伝わってくる。とはいえ、「人間が書けていない」という部分が悪い方へ出ちゃった作品かな。登場人物の印象がころころ変わってしまうような書き方は直した方がいいと思う。特に前半部の木岬の書き方はふらついている。甘すぎるメロドラマが必ず入るのもどうか。
本格としてみる分には面白い。謎の設定もさることながら、この趣向は楽しめた。やられた、と思った。だが、相変わらずの詰め込みすぎ。アイディアが整理整頓されていない。作者は謎を消化することに必死になっている。名探偵の推理に登場人物が振り回されるのはしょうがないが、読者まで置いてけぼりを食らうのではたまらない。早回しの紙芝居を見せられている気分になった。
スタンダードな本格作家として期待しているんだけどな。下手に“新本格”という言葉にとらわれない方がいい物を書けると思う。
最後にあとがきの部分。「ちなみに《本格》と《新本格》の違いは何かといいますと、私の感覚では、読後(読んでいる途中でも)、ああ、作者はこれが書きたかったのか、と思えたら《本格》。ああ、これがやりたかったのか、と思えたら《新本格》です。微妙な違いですが、わかりますか?」と書かれているんですが、この論法でいくと泡坂妻夫や折原一とかは《新本格》になるんじゃないのだろうか。一度、このあたりを詳しく書いてほしいものだ。
植垣康博『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)
感想は後日。
坂口弘『続あさま山荘1972』(彩流社)
坂口弘から見た永田洋子の性格付け(僅かに触れているだけだが)が興味深かった。なんとなくだけど、やっぱり永田洋子って、理論は全くないけれどプライドが高くて勝ち気なんだな、という気がする。本人は全くそのことに触れないけれど。『十六の墓標(続)』を読んでいないけれど、ダッカ事件などでの奪還メンバーに坂口弘、坂東国男、植垣康晴が入っていて、永田洋子が入っていなかったことは、本人のプライドを大きく傷つけただろうなあ。何が真実かはわからないが、この本も真実の一つなのかも知れない。詳細な感想は後日。
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