中嶋博行『司法戦争』(講談社)

 沖縄で最高裁判所判事が殺害された。最高裁判事が殺害されたのは初めてのことだった。個人の恨みか。最高裁内部の争いか。それとも裏に何かあるのか。検察庁から判兼交流で最高裁に出向している調査官、真樹加奈子は、検察庁時代の元上司から判事殺害の真相を密かに探るよう命令され事件の調査に乗り出す。そこで起きる新たな殺人事件。検察庁ばかりでなく、法務省、警察庁、内閣情報調査室が入り乱れての調査、真相究明争いが繰り広げられる。

 人物造形が下手である欠点は解消されていないものの、緊迫感あるストーリーと圧倒的なスケールにすぐ引き込まれる。読み終わって、心地よい満腹感に浸ることができた。
 リーガル・サスペンスは、日本では書くことができないと思っていたけれど、中嶋博行が登場してからその認識が変わった。アメリカでの自動車PLに関わる巨額訴訟、日本初の最高裁判事殺害、検察、警察、内調などの思惑、日本司法制度の問題点、弁護士自由化、特許権、陪審制度などありとあらゆる要素を詰め込まれているが、ただ羅列されているわけではない。それらが密接に絡み合い、消化不良を起こすことなく一本の物語に仕上がっている。現役弁護士だから、問題点をただ列挙するのは簡単かもしれない。しかし、材料の数に負けることなく料理を作り上げることは、実力がなくては不可能である。今、ここにある一冊を読むことで、中嶋の腕が一級品であることがわかるだろう。
 惜しいことは、これらの内容と比すると結末のスケールが小さいことか。ただ、そこには人間の叫びが隠されている。ぜひとも読んでもらいたい。




舞城王太郎『世界は密室でできている。』(講談社ノベルス)

 福井県西暁町に住む西村由起夫とルンババ(本名番場潤二郎)は、目の前でルンババ12の姉が飛び降りて死んでしまうのを目撃した。由起夫13歳、ルンババ12歳の時だった。それから2年後、中学三年生の二人は東京へ修学旅行に向かう。都庁舎の前で遭遇したのは不倫の男女による壮絶な痴話喧嘩。止めに入った由起夫は女性のパンチを食らって昏倒。そのまま埼玉にある女性の家に連れて行かれた。女性の名前は井上ツバキ。エノキという妹がいた。

 いつの間にか名探偵になっていたルンババと由起夫による青春エンタテイメント。12歳から19歳までの人生が、意味もなく挿入される密室事件を解決しながら語られていく。
 相変わらずの舞城節。だけどよくよく考えてみると、中身はあんまりないんじゃないか。青春小説部分と密室部分には関連性はほとんどない。ルンババと由起夫の人格形成に関わっているわけでもない。じゃあ何のために密室事件が複数存在するんだ? 文体と小説のリズムを保つためだけじゃないだろうか。それでいて、読んでいるときはどんどんページを捲ってしまう。結局術中にはまっているじゃないか、自分。ただ、この文体にも飽きが来たな。
 中身の薄さを文体が救っている気もする。いつまでもこの手法で続けられるとは、作者も思っていないだろう。そろそろ新しいものを出さないと、デビュー作から成長が見られない作家で終わってしまう。




高橋克彦『ゴッホ殺人事件』上下(講談社)

 パリで美術品修復の仕事をしている加納由梨子の母親が、東京の自宅で自殺した。自殺に心当たりのない由梨子は母の死に不審を抱く。母親が借りたという貸金庫には、ドイツ語で書かれたリストが残されていた。ゴッホの作品を箇条書きしたものらしかった。
 モサドの情報部員、アジムとサミュエルはナチスドイツの戦犯を追っていた。彼はナチス将校の命により、美術品を押収していたという。しかも最近、大量の荷物を送ってもらったらしい。しかし目的地に着いたとき、彼はすでに事故で死んでいた。そして美術品と見られる荷物は彼の別荘からは消えていた。ただ、一通の封筒が忘れ去られていた。送り主の宛先は東京だった。
 パリに戻った由梨子は、オルセー美術館のゴッホ研究者マーゴにそのリストを預ける。リストは確かにゴッホの作品だった。しかも今まで世に出ていない作品ばかりが50点である。もし発見されれば、天文学的な数字になるだろう。マーゴは以前から、ゴッホは殺されたのではないかという疑問を抱いていた。マーゴと由梨子はゴッホの謎を追って調査に出かける。アジムとサミュエルは、封筒の送り主が由梨子の母親であることを突き止めていた。さらに大量の荷物がゴッホの未公開作品であることも探り出していた。ゴッホを調査中、偶然マーゴと由梨子を見かけた二人は後を付けるが、彼らとは別にマーゴたちを尾行しているグループを見つけ、由梨子と接触することを決めた。
 ゴッホは本当に殺されたのか。由梨子の周りで事件が相次ぎ、関係者が次々と姿を消す。打ちひしがれた由梨子の元に電話がかかってくる。それはかつての恋人、塔馬双太郎からだった。

 日本ミステリ史に燦然と輝く浮世絵三部作。それに続く西洋絵画三部作がスタートするとなれば、見過ごすわけにはいかない。「IN POCKET」に長く連載していた作品がようやく纏まった。
 ゴッホに関する作品は多いらしい。協会賞を受賞した秀作、小林英樹『ゴッホの遺言』では、一枚のスケッチが贋作ではないかという疑問から、画家である作者はゴッホの自殺の真相にたどり着いている。先ほど亡くなった長井彬にも『ゴッホ殺人事件』という著作がある。ゴッホ作品の真贋については、数多くの著作、研究がなされているようだ。ただ、作中で塔馬が語った「なぜゴッホの作品は生前1,2点しか売れなかったのか」という疑問。これについてはどうなのだろう。塔馬、すなわち作者高橋克彦が語る限りでは、そういう研究は皆無らしい。確かに不思議である。生前と生後でこれだけ評価が異なる画家も珍しい。本作が書かれた動機は、まさにそこにあるだろう。
 とはいえ本書は学術論文でも研究書でもない。ミステリである。一つの事件を発端として、徐々にゴッホの謎に迫る過程には絵画を知らない人にもわかりやすく、それでいて迫力がある。緩急を付けた物語の展開も絶妙で、読者を退屈させず、かつ読者を疲れさせない。読者の手を止めさせない、面白い、面白いミステリである。
 ただ、首をひねる部分が一つ。やはりゴッホともなれば、これだけのスケールが必要なのかもしれない。しかしこれだけの壮大な計画が、たった一人の名探偵の手によって解決されるというのはどうなのだろう? これだけの壮大な計画が、こんな単純ミスから全貌が明らかにされてしまうという展開に、あっけなさが残る。
 ストーリーテラー高橋克彦の本領を発揮した、面白い作品。逆に面白さと読みやすさに徹した部分があるため、傑作とか秀作という表現からかけ離れてしまった部分があるのは事実(こういう語法が正しいのかどうかも疑問だが)。どういう表現で評価したらいいのか、難しい。まあ、とりあえず、「この本は面白い」と言い切ろう。




岩崎るりは『水琴館の惨劇 銀猫堂奇譚』(トクマノベルズ)

 舞台は明治時代。水が滴り落ちて美しい音色を奏でる水琴窟が数多くある水琴館。江戸時代からの素封家で今は没落寸前である御影家の屋敷である。過去の因習に縛られた水琴館で起きる連続殺人事件。惨劇の幕が開いたとき、水琴館に訪れたのは愛猫家にして「春画の女王」とも呼ばれる男装の麗人、星ゆらら。

 あらすじを書く気力がないのでこれだけ。いい加減だなあ。耽美ミステリーとあるが、男装の麗人が探偵役で、探偵役が猫を愛でているというところがなんとか耽美らしい雰囲気を出している程度。「春画の女王」らしきシーンもほとんどなく、やや看板倒れ。男装の麗人という設定だが、麗人という雰囲気が文章から伝わってこない。耽美を目指したけれど、筆力が追いついていないというところ。登場人物ももう少し整理すべきだろう。
 ミステリ部分は勉強が必要。本格じゃないのだから、無理はしない方がいい。京極夏彦や藤木稟の路線を狙っているのだろうが、謎解き路線よりサスペンス路線を目指した方がいいのではないか。
 あえて厳しめに書いたが、努力の跡は見られる。耽美部分とミステリ部分を融合させようとする狙いは買ってもいい。あとは少女マンガの小説化という印象を受け取られない独自の部分を出すことができるかどうか。では、頑張ってください。




大澤孝征『犯罪少年 凶悪な10代後半、驚愕の10代前半』(ザネット出版)

 作者は元検事の弁護士で、「やじうまワイド」「ブロードキャスター」などでコメンテーターとしても活躍している。近年増え続ける少年犯罪は、戦後平等主義の負の遺産であると論じ、鋭い口調で現代を斬っている。最後の章は、自らの検事時代、弁護士時代を語った自叙伝にもなっている。
 徒競走で最後、みんな横並びでゴールするみたいなことは確かにおかしな平等主義だと思う。ただ、増え続ける少年犯罪の一端を教育にばかり押しつけるのは間違いだと思う。道徳とは教えられるものではなく、自ら学んでゆくものではないか。子供は大人の姿を見て育つ。大人が悪いから子供が悪くなると言うのは簡単な理屈ではないだろうか。腐敗しきった今の日本の姿を見て、子供たちがぐれてしまっても仕方がない部分があると思う。どちらが悪いという問題ではなくて、どちらも憂うべき問題なのである。そこの観点が少々抜けているのではないか。
 少年法の早い改正には賛成。とにかくまず被害者を、被害者遺族を救済する観点から法律を見直すべきだ。厳罰主義はよく批判されるが、なぜ悪いのか。もちろん温情も必要だろうが、時には厳しく接するのが法律であり、裁判所であるはずだ。
 最後の自叙伝は蛇足。タイトルと全くあわない。
 論説は鋭いのだが、何をやりたいのかまとまらずに終わった一冊。焦点をもう少し絞るべきではなかったか。




浦賀和宏『浦賀和宏殺人事件』(講談社ノベルス)

 密室本執筆に悩む作家浦賀和宏。そんなとき、女子大生がホテルで殺害される。女子大生は浦賀和宏に会いに行くと家族に言い残していた。

 浦賀和宏、切れています。ミステリファン、出版社、編集者、メフィスト賞などに不満ぶちまけ、言いたい放題。作家の本音が見えてくる。作中作「イエロー・マジック・オーケストラを聴いた男たち」もすごい。こんなばかばかしい密室短編、「メフィスト」でも載せないだろうな。
 切れるだけ切れちゃって、最後にきちんとミステリの仕掛けを入れるところはお見事。最後になってタイトルの意味がようやく分かる。単純だが、なかなかうまい仕掛けである。
 浦賀和宏は最初の2冊しか読んでいない。青臭く、かつ独りよがりな文章が好きになれなかったが、本作品はそういう欠点は影を潜めている。視点が今ひとつ整理されていない欠点は残っているが、登場人物も少ないしそれほど苦にはならない。浦賀和宏の作風を受け付けなかった人に特に読んでほしい作品。




高田文夫他『コミックソングレコード大全 爆笑音盤蒐集天国』(白夜書房 笑芸人叢書)

 笑いとともにあった歌! 爆笑音盤蒐集天国
 ここでしか見られない珠玉の音盤や、驚異の珍品の数々。エノケン、ロッパの時代から、あきれたぼういず、クレージー、ドリフ、マキシン、可朝、鶴光、所ジョージ、とんねるず、ビートたけし、渥美清、コント55号、おーっと三木鶏郎、大瀧詠一、青島幸男他、これ1冊でコミックソングの全てがわかる、最強のレコードコレクションBOOK。
 日本レコード史を彩った膨大な音盤の中から、
1.スタンダードなコミックソング作品、2.コミックソングのセンスで創作された作品、3.ジャンルの壁を越えて、コミックソング的な要素を強く感じる作品、4.笑芸人が謳っていてジャケットに芸人らしさが漂う音盤、5.笑芸界の重鎮達の音楽面での跡を追う、6.テレビ笑バラエティ番組の関連ソング
 この観点で、本誌編者が選びに選んだ約2000枚!一挙290ページ、オールカラー!2度はない、一撃必笑の企画。監修、笑芸人編集長、高田文夫。(粗筋紹介より引用)

 お笑いは人々の心の中に、そして生活に密接に結びついたものなのに、どうしても軽く見られる傾向にある。「笑う門には福来たる」というぐらい、「笑い」は幸福への道標であるのに、どの文化の世界においても、一段低いものとして受け止められてしまうのはなぜだろう。それは歌の世界でも同様。「コミックソング」という名称を見ると、なぜか通常の歌より不真面目なものと見られてしまう。当然コミックソングというジャンルそのものに対するランクは低く、そしてまともに研究されたことのないジャンルである。
 本書は今までまとめられたことのない「コミックソング」を一堂に会し、様々な歌手・ジャンルから出されたコミックソング、さらにはお笑い芸人が謳った真面目な歌までをジャケット込みで収録。貴重なEP盤からSP、LP、そしてCDに至るまで、戦後のありとあらゆるレコードを収録。ここまで貴重な一冊は、もう出ないだろう。見かけたら、すぐに買うべし。




永田洋子『続・十六の墓標』(彩流社)






斎藤肇『たったひとつの』(原書房 ミステリー・リーグ)

 少年は早退先の病院から出ようとしたときある人物から呼び止められた。ある人物である浦川氏は彼にこう言った。「君さ、人を殺しただろ?」 浦川氏は少年がネット上の掲示板に書き込んだ内容からそう思ったと言うが。なぜ浦川氏はそう思ったのだろう。「たったひとつの事件」「恥ずかしい事件」「はじめての事件」「壁の中の事件」「どうでもよい事件」「閉ざされた夜の事件」「すれ違う世界の事件」「浦川氏のための事件」を収録。

 最初の作品はケメルマン「九マイルは遠すぎる」を髣髴させる短編なのだが、読み進めるうちにわけがわからなくなっていく。事件は起きるのだが被害者とも犯人とも関係ない人物に起きた謎の出来事や、挙句の果てに事件が数行語られるだけであとは何の関係もない話すらある。「限界本格推理」と帯にあるが、本当に「本格」なのだろうか。へそまがりと作者は書いているが、確かにへそまがりのようだ。曲がりすぎて、何がなんだかわからなくなってしまっている。私には理解不能な作品。




加賀美雅之『双月城の惨劇』(カッパ・ノベルス)

 パリ警察名予審判事ベルトランがある事件の捜査依頼で「双月城」を訪ねる直前、密室の城内の「満月の部屋」で、首と両手首切り取られた無惨な死体が発見された。死体は双子の城主カレンかマリア、どちらかのもの…。(粗筋紹介より引用)

 ベルトランという探偵役からもわかるとおり、ジョン・ディクソン・カーのバンコランもののパスティーシュ。これはかなり出来がよい。雰囲気もよし、大時代的な登場人物もよし。双月城という舞台もうまく書けている。最初の密室殺人事件は大がかりすぎて推理しづらい欠点があるものの、なかなかのものである。二番目の事件は計画した割に綱渡りな所があることが気にかかる。総合的に評価してもなかなかのものだろう。二階堂黎人の推薦文は大げさだが、読んで損はない。黄金時代を思わせるスタンダードな本格推理小説である。
 フェアプレイのつもりかも知れないが、手掛かりを露骨に示すのはいかがなものか。できればもう少しカムフラージュするべきかと思う。
 それとこれは私が当時の貴族をよく知らないので見当違いかも知れないが、一族の不名誉よりも一族の血筋が絶える方が貴族にとって問題となるのじゃないだろうか。一番目の事件の動機がちょっと引っかかる
 できればパスティーシュばかりではなくオリジナルの作品も読んでみたい。次作が楽しみな作家がまた増えた。




河口俊彦『新対局日誌第5集 升田と革命児たち』(河出書房新社)

 中原が谷川を破って二度目の名人復位。棋聖戦で屋敷五段が中原に挑戦し、18歳で史上最年少のタイトルホルダーとなる。王位戦で佐藤康光五段が谷川に挑戦するも、3勝4敗で惜敗。絶好調の谷川は王座戦で挑戦者になり、中原を破る。そして竜王戦でも挑戦者になり、羽生を破ってタイトル獲得。屋敷は森下を破って棋聖を防衛。南が米長を破り王将復位。棋王戦は羽生が南を破って奪取。
 こうしてみると、色々な世代の棋士が頑張っていた。中原や米長がまだタイトル戦に出ていた。谷川が三冠王になった。「花の五十五年組」もまだ踏みとどまっていた。しかし、一番凄いと思ったことは、68歳の大山康晴が5連敗後に4連勝でA級を死守したことである。やっぱり大山は化け物だった。
 この巻で一番面白いのは、羽生vs吉田利勝七段の順位戦。吉田が順位戦で時たま見せた、相懸かりや横歩取りにおける不思議な感覚の指し方は、盤に並べたいと思わせるものがあった。今ではこういう棋譜を残す人がいなくなった。そして将棋がつまらなくなったと思う。
 そして年度が替わり、升田幸三元名人が亡くなった。
 この頃の棋譜はやっぱり面白かったなと実感。とはいえ順位戦が盛り上がらなかったせいか、今ひとつだった気もする。



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