霧舎巧『五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し』(講談社ノベルス)
ゴールデンウィーク真っ直中の5月4日、学園からようやくメールアドレスをもらった羽月琴葉は、同級生の小日向棚彦を誘い、パソコンを使うために霧舎学園の門をくぐった。琴葉のアドレスには、心当たりのない送信者から一通のメールが届いていた。「好きな人の誕生日に、ピンクのペンで描いたハートの絵を送り、相手の人もその子が好きだったら水色のペンで矢が突き刺さった絵を描いて、その子の誕生日お返しする」という伝説が書かれていた。そして偶然パソコン教室にいた頭木保とともに、三人は隣の準備室で死体を発見する。その女性の裸の死体は、全身がピンク色に塗られており、左の乳房に刺さっていた矢は水色に塗られていた。
ラブコメミステリシリーズ、予想通りというか、よくやるよというか、五月編。となるとあと10冊はあるわけだよねえ。しかも毎月伝説があるらしいし。よく考えつくよ、全く。呆れるを通り越して、この発想に感心してしまうわ、本当に。この馬鹿馬鹿しさに付き合いたくなる自分って、変態かも。
ラブコメ部分については、昔読んだことがあるような場面をつぎはぎしたという印象しかない。昔、こんな恋愛にあこがれていたんじゃないかね、作者は。そうとしか思えないよ。そりゃあ、恋愛にドキドキは必要かも知れないけれど、もうちょっと現代のラブコメをリサーチするべきだと思うね。まさかと思うけれど、『金田一少年の事件簿』と『名探偵コナン』しか読んでないとは言わさないよ。ラブコメを書こうとしているわりに、二人のやり取りの書き方が下手なんだよねえ。前作からの流れだと、もう少し「好きなのかな?」みたいな感じを引っ張るもんだと思うけれど、いつのまにかべた惚れ状態になっているし。
トリックについては、実験してみたのかな。いくらなんだって、誤解させるには無理があるよ。形や濃さを統一させるには、よほど苦労すると思うんだけどね。まあそれ以前に、こんな写真でアリバイトリックというのも少々ちゃちだと思うが。ライバルが『金田一少年の事件簿』というつもりなら、もっと大掛かりなトリックを使うべきじゃないのかな。青い鳥文庫のパソコン通信探偵団だって、もっと複雑な事件を取り扱っているだろうに。そういえば、八重樫って、留学中? おかしいな。前作の流れからどうしてこうなるのかがわからない。前作の「めー」以上の初歩的ミス。イニシャルHは間違いだと思う。
霧舎巧のミステリ感覚がずれているんだなと思うようなことがあとがきに書かれている。アリバイ崩しが苦手と書いているのはいいけれど、「読者を最後のページまで引っ張っていくのは、やはり魅力的な謎と、論理的な謎解きでありたいと思う」ってのはおかしくないかい? アリバイ崩しだって、魅力的な謎だし、論理的な謎解きだぞ。
あとがきでよけいなツッコミ。“九分九厘、確実なこと”ということは、残りの九割一厘は違うんだな。
内藤陳『読まずに死ねるか! PART.3』(集英社文庫)
おなじみ面白本ガイドブック第3弾。久しぶりに読んだけれど、やっぱりこの人はいいわ。面白い本を面白いと書いてくれるから。訳の分からない講釈と蘊蓄しか頭にない評論家よ、見習いなさい。
鳥飼否宇『非在』(角川書店)
植物写真家・猫田夏海は、海岸でボトルに入ったフロッピーディスクを拾う。そこには未確認生物を探索するサークルが、人魚や朱雀が棲む謎の孤島で遭難した顛末が記されていた…。横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞第1作。(粗筋紹介より引用)
時間がないから、簡単なコメントのみ。
謎そのものはあまりにも単純なので、推理を楽しむという点では面白くないのだが(気付かないカメラマンたちの方が不思議だ)、人魚伝説を本格ミステリに絡めた部分はうまいね。もうちょっと読みやすいといいんだけど、ごちゃごちゃして整理できていない感じがする。かなり気になった点を一つ。普通ワープロを打つのは一括変換か自動変換だから、わざわざ言葉遣いや漢字まで変えるようなことはしないと思う。作りすぎたかな。
伊坂幸太郎『ラッシュライフ』(新潮ミステリー倶楽部)
未来を喋るカカシが殺害されたという奇妙な出だしから始まる連続殺人事件を描いた奇妙な本格ミステリ『オーデュポンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞した作家の受賞後第1作。
自らのポリシーに反することはしない泥棒が別の泥棒と鉢合わせ、バラバラのまま歩く死体、神様の仕組みを探るために教祖を解体する信者たち、偶然から拳銃を手に入れた失業者、金で買えないものはないと信じる富豪。無関係のはずの五つの物語が、最後に一つに収斂する。
粗筋が描きにくい(単に手抜きをしたいだけともいう)ので、帯の言葉使って書いてみたけれど、ちょっと違う気もする。つまり、帯の言葉が違うんじゃないか、ということ。この帯からだと奥田英朗の『最悪』『邪魔』みたいな展開が予想されるんだけど、全然違う。確かにつながるんだけどね。これ以上書くとネタバレになってしまうのでやめよう。
前作でも思ったが、人物造形に存在感が感じられない。失業者とか金で買われた感のある女画家とか、結構せっぱ詰まっている人物たちが登場するんだが、どうもみんなふわふわしている。この奇妙な感覚はいったい何なのか。
前作ほど印象の強い設定がないため、淡々と物語が進む。短い章で物語がころころ変わるが、それなりに読みやすい。この物語とこの物語がこうつながるんだな、と考えながら読み進み、そして終わる。おいおい、なんだ、こりゃ。しかも途中でぷつっと切れた物語もある。わけがわからない。結局、何を書きたかったんだろう。この訳のわからない部分が、この作者の特徴なのかもしれない。
結局自分でもわからないまま感想を書いている。大した設定でも、物語でもないのに、なんか惹かれる部分があるんだよな。アタイヤの『細い線』を思い出した。いったい何だったの、という終わり方が。全然中身は違うんだけど。
「ラッシュ・ライフ」とはジョン・コルトレーンのジャズナンバー。豊潤な人生という意味らしい。もっとも、他の意味にも引っかけていたけれどね。
笹本稜平『天空への回廊』(光文社)
作者は『時の渚』で第18回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞。その前に別名義でカッパ・ノベルスからデビューしている。
日本人アルピニスト真木郷司は、厳冬期のエベレスト単独無酸素登頂を果し、ノースコルへと下る途中だった。突然、オレンジ色の火の玉が飛来し、エベレスト北西壁の最上部に激突した。激突の衝撃で雪崩が起き、登攀ルートにいたアメリカ隊を襲う。その中には、郷司の親友、フランス人のマルク・ジャナンもいた。
アメリカ隊隊長クリフから火の玉の正体を聞く郷司。それは、80年代後半に打ち上げられた軍事偵察衛星だった。問題は、その動力源にプルトニウムが使われていることだった。放射能汚染の恐れはないものの、風評被害を恐れたアメリカは中国と連携を取り、当分の登山を禁止し、クリフに避難者の救助と衛星の回収を要請する。クリフは郷司に「天空への回廊作戦」と名付けられた回収作戦の部隊隊長就任を依頼した。親友マルクを捜すために、郷司はその依頼を受ける。
火の玉は隕石であるというのが“公式”発表であったが、アメリカ国防省汚職事件の記事を巡る裁判でネパールへ左遷させられていたWP通信のマイケル・ウェストンは、この発表に疑問を抱き調べていくうちに、衛星が墜落したことを探り当てていた。
行方不明になっていたマルクは奇跡的に生き延び、ネパール側で救助されていたが、意識不明の重体だった。うわごとでつぶやく「ブラックフット」とは何か。その時、マルクは正体不明の男に殺されそうになった。マルクの妹であり、郷司のことを思っているクロディーヌと知り合うことが出来たマイケルは、「ブラックフット」の謎を追う。それはアメリカ政府の暗部ともいえる冷戦の遺物であった。
秘密裏に回収を企てるアメリカ政府。次々に起こる不可解な事件。様々な国や組織の思惑が重なり、郷司たちは命の危機に陥る。犯人グループの真の狙いは何なのか。
山岳冒険小説というと『北壁の死闘』や『遥かなり神々の座』がすぐに思い浮かぶが、それらの名作に勝るとも劣らない傑作。いやー、まいったね。こんな凄い作品、今までスルーしていた自分が情けない。やっぱり“サントリーミステリー大賞”の肩書きが邪魔をしていたね。勿体ないことをした。今年のベスト10間違いなし。ベスト5も充分有り得る。
設定には強引な部分があるが、そんなことは些細なこと。この圧倒的なスケール、どうだ。誰が敵で誰が味方か。一難去ってまた一難。人間たちの小賢しい思惑を吹き飛ばす吹雪。立ちはだかる山、山。これでもかとばかりに主人公郷司を襲う苦難の数々。肉体的には既に限界なのに、気力だけで敵に、山に立ち向かう郷司。冒険小説の王道。文句なし。
主人公ばかりでなく、脇役たちもいい味を出している。マイケルやマルク、クロディーヌはもちろん、クリフやシャヒーン、ニラなどもう一度会いたい人たちばかりだ。人間味あふれるアメリカ大統領もいいねえ。
多くの国、組織、人物を取扱いながらもスピーディーに、読者を戸惑わせることなく進められる腕にも脱帽。無理と思わせながらも一歩ずつ進行していく黒い計画の書き方もうまい。そしてエベレストの描写もうまい。名前だけに頼ることなく、山の厳しさ、雄大さを書ききっている。所々で人々の交情シーンが書かれることによって物語に緩急をつけるところもお見事である。
先に設定の強引さを述べたが、二転、三転どころか四転、五転するドラマの作り方はちょっとやりすぎの感がある。特に最後はよけいじゃなかったかな。一番盛り上がったあのシーンが、かき消されてしまったのは勿体ない。あざとくても、一歩手前で終わるべきだったと思う。また、計画のわりに犯人たちが小粒に見えてしまうのはマイナスポイント。
まあ、そんなことは些細なことだ。これを読まずして、今年のミステリは語れない。近年の冒険小説でも5本の指に入れたい。スタンダードすぎるぐらいスタンダードな、山岳冒険謀略小説の傑作。山岳冒険小説は、この小説抜きでは語れなくなるだろう。
大沢在昌『新宿鮫VIII 風化水脈』(光文社 カッパノベルス)
“新宿鮫”こと鮫島は藤野組の真壁と再会した。真壁は中国人組織の幹部呉を射殺し、王に重傷を負わせていた罪で刑務所に入っていた。真壁は刑務所に入る前から付き合っていた雪絵といっしょに暮らし、とりあえず“安全な”仕事に就いていた。しかし、兄弟分であり世話をしてくれている矢崎が何かを隠しており、自分が蚊帳の外に置かれていることにいらだちを感じていた。自らが考えるやくざの姿と異なる今のやくざに、真壁は爆発寸前であった。
鮫島は、頻繁に起きる高級車窃盗事件を追っていた。Nシステムの網をくぐるためには、都内にナンバー等を変える“洗い場”が存在するはず。その一ヶ所と思われるガレージを張り込んでいる途中、駐車場で働く老人大江と知り合う。新宿の片隅でひっそりと生きる大江に、暗い過去を嗅ぎ取る鮫島だった。
その窃盗事件の黒幕は、矢崎と王であった。矢崎が隠していたこととは、真壁が重傷を負わせた王と手を組んで荒稼ぎをしていることであった。
鮫島はガレージのある古家に一人で潜入した。そこで見つけたものとは。
鮫島、真壁、大江、雪絵、王……全ての糸は一点で凝集する。新宿という街に流れる時の中で、必死に生きた人たちの思いはどこへ行くのか。
読み終わってまず思ったのは「原点回帰」。鮫島が、新宿に帰ってきた。シリーズものの宿命ともいえるマンネリ化、閉塞感を打破すべく色々な手法を模索してきた大沢在昌がたどり着いたのは、原点に還ることだった。
自動車窃盗という地味な、そして現代的な犯罪を追いつつ、過去の新宿を知り、そこに生きた人々の思いにも触れる鮫島。鮫島はスーパーヒーローではない。ただ警察官という職業が好きなだけだ。不祥事だらけで組織が硬直化した警察を嘆くわけでもなく、自分が信じる警察官の生き方をそのまま続けるのが鮫島だ。そんな鮫島の生き方が、全然正反対の立場にある真壁との心の通じ合いにつながるのだろう。また、大江との交情にもつながるのだと思う。
鮫島や真壁ばかりではなく、大江、雪絵と母、王などの姿が物語の流れを削ぐことなく書かれている点もすばらしい。新宿に住む人たちを書くことで、新宿という街を浮き彫りにしている。それは現在の新宿だけではなく、過去の新宿も鮮やかに蘇り、私たちの心を打つ。風化していた水脈は、今再び浮かび上がってきた。
とにかく面白い作品なのだが、最後が駆け足になったところが惜しい。最後こそ、もっとページを費やすところではなかったか。最後、動から静への余韻が流れるところをもっと楽しみたかった。
本作、新宿鮫の一つの到達点であり、集大成だろう。晶との関係に結論が出されるし、メインキャラクターが全て登場し、登場部分が少ないものの見せ場を作ってくれる。真壁自体が第一作に登場するキャラクターだ。新宿に帰ってきた鮫島は、いったいどうするのだろうか。次作が楽しみである。
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