エリザベス・フェラーズ『さまよえる未亡人たち』(創元推理文庫)
土木技師である青年ロビン・ニコルは、休暇を利用してスコットランドのマル島へ訪れる。そこで知り合ったのは個性的で魅力的な四人の〈未亡人〉。もっとも彼女たちの一人を除いては、実際には夫がいたのであり、旅行中は〈未亡人〉と称していたのだ。ロビンは彼女たちや一人旅をしている娘と楽しい数日間を過ごすが、宿泊先のホテルで〈未亡人〉の一人が亡くなった。彼女が飲んだ酔い止めの薬に、青酸カリが混入していたのだ。その酔い止めの薬は、別の未亡人の持ち物であった。これは自殺なのか、他殺なのか、事故なのか。他殺としたら、彼女を殺したのは夫か。それとも〈未亡人〉たちの一人なのか。他殺としたら、犯人の狙いは死んだ未亡人だったのか。それとも別人だったのか。捜査を進めるロビンの目の前に、〈未亡人〉たちの真の姿が明らかになっていく。
トビー&ジョージシリーズで近年再評価を受けた著者のノンシリーズ本格ミステリ。
主人公ロビンの暴走する推理が楽しい。名探偵役が一つの推理を立てると知らなかった事実やミスにより崩れていき、また新たな推理を立てていく、という展開はよくあるパターンなのだが、ありふれたパターンを楽しく読ませるという技術は、力がなければできるものではない。特に事件そのものがシンプルなら、なおさらである。簡単な筋立てのストーリーで、本格ミステリの謎解きという醍醐味を味わうことができるのは、大木名寄湖二である。スコットランドの風景を楽しむことができるのも、本書の大いなる魅力の一つである。
問題点を挙げるとすれば、主人公が恋に悩んで暴走しすぎる部分と、〈未亡人〉たちの書き分けが今ひとつなところだろうか。特に後者の欠点は、謎解きをいっしょに楽しみたい読者からしたら、謎を整理することが難しくなるので、大いなる減点対象だろう。
近年、フェラーズの評価が高くなっていることはとても嬉しい。まだまだ訳されていない傑作が数多くあるだろうから、これからも発掘していってほしい。
生垣真太郎『フレームアウト』(講談社ノベルス)
1979年秋、ニューヨーク。フリーの映画編集者であるデイヴィッドは、自分の作業スペースから1本の16ミリフィルムを手に取った。ラベルには〈The Shot-TAKE 2〉と書かれている。映してみると、白いドレスの女が無表情のまま手に握った何かを振り下ろし、赤い液体が飛び散り、朱色の花がドレスに広がりながらフレームアウトしていく姿があった。デイヴィッドはその美しすぎるフィルムに邪悪なものを感じる。このフィルムはスナッフなのか。デイヴィッドは出演していた女優、アンジェリカ・チェンバースの行方を追う。第27回メフィスト賞受賞作。
「メフィスト賞史上最大の挑戦!! この仕掛けを看破できるか!」という帯の惹句に惹かれて購入。ただ“仕掛け”と書かれると例のトリックしか浮かばないわけで。もうこのトリックは某作家以外禁じ手にしてほしいぐらい、食傷気味である。読んでみると、これもよくあるトリックとの組み合わせだった。最後を曖昧にすることにより、読者の不安を増幅させようとしているが、この狙いが成功しているとはとても思えない。
文章そのものは悪くないし、映画に関する蘊蓄も適度に配置されている。ただ、とても読みづらい。映画やミステリに対する愛情が全く見えてこない。人工的な世界を産み出すために、人工的な言葉を連ねているだけである。作者の感情や芸が見えてこない小説に、読者が愛情を寄せることはない。感情(と偏愛)ばかりが先走る一部の新本格ミステリ(新・新本格?)には困ったものだが、愛情のない小説よりはましである。
筆力そのものはかなりのものと思えるのだが、何かしてやろうという意欲が見えてこない。仕掛けもどこからかの借り物のように思える。作者が書きたいことはいったい何なのか。もっと明確なメッセージを持って書いてほしい。
スナッフ・フィルムとは、実際の殺人の現場を撮影したフィルムの俗称である。
石崎幸二『あなたがいない島』(講談社ノベルス)
常陽大学医学部精神科が主催した「無人島問題」のイベント。心理学研究のために主催されたこのイベントは、持ち物が一つだけ持ち込むことが可能。しかし島には食べ物、水、電気などは完備しており、着替えや洗面道具などは“持ち物”に含まれない。人が大切と思うもの、余暇の過ごし方、娯楽の成立過程などの心理調査を行うという。この奇妙なイベントの案内が送られてきた櫻藍女子学院高校ミステリィ研究会の御園ミリアと相川ユリは、特別顧問の石崎幸二を無理矢理誘い、伊豆諸島の古離津等へ。ところが、そのイベントに持ち込んだ石崎のパソコンは壊され、携帯電話は紛失。CDプレイヤーは残されていたが、CDが無くなっていた。さらに携帯電話や、K談社ノベルスまで。そしてとうとう、参加者の一人が行方不明になった。
処女作『日曜日の沈黙』は個人的にとても面白く、今後が期待された作家だったのだが、二作目となるとさすがにこの作風に付き合うのは疲れる。ミリアとユリの、かなりお馬鹿ながらも、本格ミステリファンを皮肉るような掛け合い漫才が実に楽しいのだが、これだけの長さになるとちょっとくどい。似たようなネタでしつこく押すことが良い結果を産み出すこともあるが、今回の場合はマイナスに働いたようだ。
ただ読みやすさという点では前作より遙かに上回っている。その分、かえってくどくなったのだが。
肝心の謎の部分であるが、まあコンパクトに纏まっている方ではないだろうか。ミリアや石崎が犯人を追いつめる部分は、ヴァン・ダインのパロディながらもなかなか面白い展開であるし、イベントの真の意味なども結構うまく考えられている。これでもう少し伏線をうまく張ってくれたら良かったのだが。また、謎自体は軽い。この作風にはピッタリなのかも知れないが、せっかく無人島が舞台なのだから、もう少し凝った謎を一つぐらい付け加えてもよかったのではないだろうか。
ミリアとユリの狙いすぎるくらいなボケにどこまでついていけるかが、好みの分かれ目となりそうな作者である。キャラクターに頼らない本格ミステリ作品を一度読んでみたいものだ。
浅暮三文『殺しも鯖もMで始まる』(講談社ノベルス)
北海道の中央に位置するD平野で、イワナ釣りに出かけた村上の爺さんの愛犬が、川のそばでいきなり穴を掘り始めた。不思議に思った爺さんが掘ってみると、そこにあったのは死体だった。掘られた形跡のない空洞の中で、老マジシャンは餓死していた。ダイイング・メッセージと思われる「サバ」とは一体何を意味するのか。マジシャンの弟子たちとマネージャーが集まった通夜の夜、雪の山荘で密室殺人事件が起きる。そこに残されていたダイイング・メッセージは「ミソ」だった。複雑な事件の謎を解くのは、奇妙な警句を口に出す葬儀社の社員、樫村だった。密室本。
密室、ダイイング・メッセージ、雪の山荘、素人名探偵。本格ミステリの要素をかき集め、結びつけたら出来上がり。その程度の作品でしかない。ミステリに無縁な人が一生懸命勉強して、とりあえず形式だけを覚え、本格ミステリを書きました。そんな印象しかない。もう少し本質も勉強すべきではないだろうか。
2mも地下にある死体を犬が探し当てることができるだろうかという疑問もあるのだが、そこは許せる。しかし、被害者がなぜ「サバ」というダイイング・メッセージを残したのか。その本質的な部分が全く明かされていない。というより、「サバ」というダイイング・メッセージから犯人を導き出せる解釈を考えることができ、有頂天になったのだろう。土の中なんだから、犯人がメッセージを消す恐れなんかないはず。なんで犯人の名前を直接書かないんだ?
土の密室も、上しか調べないなんてことはないはず。むしろ横穴がないかどうか、警察なら調べるはずだが。
探偵役の青年がいう奇妙な警句も、一つ二つぐらいなら面白いのなら、全編その調子で出てくるのは、うっとうしくてしょうがない。話の進行を妨げるだけである。
色々なところへ捜査にとばされる山崎の行動も不可解。交通費を掛けるぐらいなら、地元の警察署に尋ねた方がよっぽど早いし、経費削減になるぞ。今時そんな行動、取らないって。
普通だったら面白い部分も挙げるんだけど、本作ではせいぜい土中密室というアイディアぐらい。表面をなぞったら出来上がった作品という評価以外はあげられないな。
クレイ・レイノルズ『消えた娘』(新潮文庫)
1986年に発表された作者の処女作である。1940年代のある日、イモジン・マクブライドは夫が買ったハドソンを運転し、夫の紙幣2500ドルを持って、テキサス州アガタイトを通りかかった。車の中には衣服や宝石類、油絵にロザリオ、そして助手席に18歳の娘、美しいコーラがいた。夫のハービーは凄腕の実業家だったが、浮気が絶えず、とうとう愛想を尽かして娘とともに家を出たのだった。アガタイトの手前で故障した車の修理を待つ間、イモジンとコーラは役所前の広場で待っていた。コーラは5セントを持って、向かいの店にアイスクリームを買いに行った。そのまま1時間、1日、10日、1年、10年……。イモジンは広場のベンチでコーラが帰ってくるのをずっと待ち続ける。
ストーリーはシンプルである。アイスクリームを買いに店に入ったまま消えた娘を、母はずっと待ち続ける。それだけである。その他の主要登場人物は、コーラが入った店の店主と保安官ぐらい。たったこれだけのストーリーと登場人物で、優れた心理サスペンスの作品を産み出すのだから、この作者、ただものではない。とても処女作とは思えない。もともと書き始めていた長編の1エピソードだったものをふくらませたものである。処女作らしい硬さや回りくどさはあるものの、そんな欠点を跳ね返すぐらいの面白さ、緊迫感がここにある。
多分どこのベストにも選ばれていないだろうが、「こんな作品があるんだよ」と語りたくなってしまう。今までの小説に、こんな不思議なサスペンス作品があっただろうか。読者の心に残る珍品として、これからも語り継がれるだろう。
逢坂剛『無防備都市 禿鷹の夜II』(文藝春秋)
渋谷のシマは、渋六興業と敷島組が競っていたが、最近は南米マフィア組織マスダが手を伸ばしてしのぎを削っていた。渋六興業は社長であった碓氷が名誉会長に引いたため、周囲の攻勢を受けて壊滅するとマスダの幹部は予測していた。しかし、渋六興業は今もマスダと対抗している。それは、裏から支える禿富の存在が大きいと見られていた。禿富鷹秋、影で禿鷹と呼ばれているこの男は神宮署生活安全捜査班の警部補だった。最近赴任してきたばかりだが、渋六興業にどっしりと根を下ろしていた。大幹部だろうが平気でこき使う悪徳刑事だが。
敷島組からマスダに鞍替えした幹部の宇和島は、バー〈みはる〉のママ、桑原世津子に、渋六興業からマスダへの鞍替えを迫っていた。そこへ入ってきた禿富は、宇和島を叩きのめしてしまう。しかし宇和島にも警察とのつながりがあった。同じ神宮署の刑事課長代理である鹿内である。鹿内は、子飼いの部下を使い、禿富を叩きのめしてしまう。やられて黙っている禿富ではない。まずは子飼いの部下たちの素性を突き止め、一人一人に徹底的な復讐を遂げていく。一方マスダも、禿富を消すために上海から殺し屋を呼び寄せ、禿富の愛人になった世津子をさらう。
前作『禿鷹の夜』に引き続き、稀代の悪徳刑事禿富の活躍、というか傍若無人な振る舞いが光る。前作を読んだときは、禿富のことを「ただの考えなし」と書き、つまらない作品と切り捨ててしまったが、大変失礼しました。思いっきり、訂正します。禿鷹シリーズ、面白いです。この二作目、お薦めです。前作を読んでなくても大丈夫だが、禿富や渋六興業の水間、野田、坂崎などのキャラクターも続けて登場しているので、やはり前作から読むことをお薦めします。
なぜここまで面白くなったかというと、作者が禿富というキャラクターを完全に掴んだからじゃないだろうか。もしくは禿富というキャラクターに私がようやく慣れたか。この禿富、自分の感情は全く面に出さない。何を考えているのか、さっぱりわからない。自分さえよければそれでいい、という感じもするが、そのくせ変に義理堅いところがある。やられたら数倍やり返すという執拗さにも、ようやく慣れてきた。前作ではわからなかった禿富の魅力に、登場人物の水間たちも含め、ようやくわかりかけてきた。それが、本作の面白さにつながっている。登場人物の、そして読者の感情を、松国警視が最後に語ってくれている。それが何かは、自分の目で確かめてほしい。将来的には、百舌シリーズのように警察の腐敗を暴く展開になるのだろうか。暴くという言い方はおかしいのだが。
「じぶくり伝兵衛」シリーズも二冊目が面白いようだし、公安官シリーズも二作目はミステリ史上に残る大傑作である。逢坂はシリーズものに慣れてくると面白さが倍増する。「禿鷹」シリーズもそれを証明してくれた。痛快無比の面白さとは、この本のような作品である。
大沢在昌『砂の狩人』上下(幻冬舎)
二ヶ月で三件の連続殺人事件が発生した。しかし、ある特殊な事情からマスコミには“連続殺人”であることは伏せられていた。一つは、被害者の喉頭部に携帯電話が挿入されていたこと。そしてもう一つは、被害者はいずれも指定暴力団組長の子供であることだった。三人は、いずれも父親とは無関係の生活を送っていた。他につながりがない彼らが組長の子供であるという情報を入手できる立場にあるのは、警察関係者しかいない。警察庁の上層部は、この事件の犯人を極秘に捕まえ、闇に葬ろうとした。警察庁刑事局捜査第一課、時岡恵美警視正が選んだ男は、かつて未成年の連続殺人犯を射殺して警察を追われた、〈狂犬〉と呼ばれた刑事、西野だった。西野の知り合いである芳正会組長の娘、幸が殺されたとき、西野は動くことを決めた。中国人の仕業と勘違いした暴力団が狩りを始め、さらに中国人グループが報復に出る。緊張感の漂う新宿で、西野は真実を見つけだすことができるか。
「新宿鮫」シリーズとは別の新宿を書いた、「狩人」シリーズ二作目。といっても、前作『北の狩人』(幻冬舎文庫)と共通する登場人物は、脇役である新宿署四係の佐江刑事だけであり、話にもつながる所はほとんどない。
骨太のプロットは感嘆もの、硬質なストーリー展開は読者をひきずりこむし、主人公以外のキャラクターの造形も際立っている。こんな物語を読むと、暴力団の組長や右腕たちの方が、警察よりもピュアに見えてくるから不思議だ。多分、実際にそうなんだろう。暴力団の方が、実力主義社会なのだから。芳正会組長のボディガード原の組長一筋、という行動パターンには清々しささえ覚えてしまう。話が横道に外れてしまったので元に戻すが、帯の惹句にある「過激にヒートアップ、ノンストップ1200枚!」は嘘じゃない。騙し合いと殺しまくりの展開に胸糞悪くなるが、やめられない、止まらない。凄いよ、本当に……下巻の途中までは。
下巻後半からの展開は、評価が別れるところじゃないだろうか。展開は唐突すぎるし、硬質なストーリー展開とは異質のストーリーが流れてくる。大人の物語にガキの戯言が入るようなものだ。こんなやつらのために命をかけ、死んでいった登場人物が可哀想になってくる。己の力で動いていると思っていた人物が、実はただの将棋の駒だったと気付いたとき、彼はいったいどう思うだろう。
うーん、登場人物に感情移入しすぎかな。まあそれぐらい、結末というか、事件の真相に違和感を抱いてしまった。読み終わったとき、こんなやつに犯行が可能なの? とまで思ってしまったのだが、どうだろうか。
まあ、登場人物にああだこうだ言えるのは、それだけ人物が書けている証拠。ストーリーに文句が言えるのも、それだけ骨組みがしっかりしているから。主人公の感情が前面に出てくることが多かった今までの大沢作品とは、ひと味違った作品に仕上がっている。大沢の新しい代表作になるかも知れない。乾きすぎているせいか、個人的には好きになれない作品だけど。
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