北村薫『街の灯』(文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ)

 時は昭和7年。相模の士族の出身、上流階級の花村家に若い女性運転手がやってきた。令嬢である「わたし」の送り迎えを主に担当する彼女の名前は、別宮みつ子。「わたし」はサッカレー『虚栄の市』の主人公にちなみ、彼女をベッキーさんと呼ぶことにした。「虚栄の市」「銀座八丁」「街の灯」を収録したシリーズ短編集。

 舞台、時代設定、小道具など、北村薫らしさ満載。いったい何が“北村薫らしさ”なのかといわれると困るのだが、そうとしか形容しがたい雰囲気の作品である。そのせいかどうかはわからないが、“本格ミステリ”としての面白さはほとんどない。当時の時代や、その中で生きる人々の姿が生き生きと書かれており、小説として読む分には面白いのだが、たとえ殺人事件が出てきたとしても、ミステリを読んだという気がしない。北村ワールドの小説を読んだ。それ以上の感想はない。




関田涙『蜜の森の凍える女神』(講談社ノベルス 第28回メフィスト賞)

 ゴールデンウィークの1週間前、中学三年生の菊原誠は、姉のヴィッキー、姉のクラスメイトである森下吉乃とスキー場のある仙人平の別荘へ遊びに行くことになった。ところが二日目は大吹雪。車が使えなくなったサッカー同好会の大学生6人が避難を求めてきた。その夜、リーダー格の大学生の提案で始められた“探偵ゲーム”。探偵役のヴィッキーはその挑戦状を受けた。しかし翌日の早朝、その大学生が密室の中で殺害されているのが発見された。さらに警察の調書中、被害者の恋人が砒素入りのお茶を飲んで死んでしまう。彼女が犯人で、自殺したのか。それとも別に犯人がいるのか。

 途中で挟まれた「ヴィッキーからの挑戦状」にふくまれた言葉が全てじゃないだろうか。

 当を得ない間怠っこしい比喩、だらだらとした無意味な描写、間の抜けた観察眼、バレバレの伏線、面白味のない構成、おまけに中学生の作文のような文章ってなわけだから、読み続けるのはとっても苦痛だったでしょう。
 手の平がしっとりと汗ばむようなスリルとか、トイレに立つのを躊躇っちゃうような怖さとか、地の文を飛ばしてまでも先を読みたくなるようほどの魅惑的な謎、なんてのがあれば、多少の粗は許せるんだけど、生憎そういうのが決定的に欠如しているから、悲しいことに救いがないわね。


 まったくもってその通り。作者には自虐趣味でもあるのか。
 無理に難しい言葉を使う理由もわからないし、“余り新しくない仕掛け”も不必要。伏線も見え見えだし、だいたいこの条件なら、動機は無視しても犯人を特定できない方が不思議。警察が一番最初に考えそうな犯人像だと思うのだが。
 雪の山荘で、しかも“探偵ゲーム”という舞台、さらにエキセントリックな女子高校生探偵という設定を用意したのなら、少しは派手な事件、トリックなどを用いそうだが、事件もトリックも悪い意味で現実的。変な言い方だが、俗物的と言い換えてもいいぐらい。そのアンバランスさが読者に退屈感しか与えていない。悪い意味(いつまでもこんな設定使うなよ)で流行の舞台を用意しながら、中身が生々しすぎる現実しかないというのは、考え物だね。
 なんか悪口しか出てこないが、面白かったのが折り返しの四コマ漫画「名探偵ナミダくん」だけだったのだから仕方がない。ただ、このような探偵とワトソン役で、次作にどんな作品を持ってくるかは気になるので、とりあえずもう一冊は読んでみようと思う。




小林久三『錆びた炎』(角川文庫)

 世田谷の一角に威容をほこる稲村総合病院から、内科に入院していた五歳の男の子が誘拐された。その子は血友病患者で、残された時間はわずか72時間。それまでに助けないと、男の子の命が危ない。犯人は男の子の両親ではなく、病院のワンマン経営者との取り引きを求めた。捜査本部が置かれた経営者の屋敷に、身代金要求の電話が鳴る。要求額は「まず3600万円」。“まず”ということは、その後も取り引きを求めるつもりなのか。3600万という中途半端な数字は何を意味するのか。自分に責任はないと言い張る経営者だったが、最終的に金を出すことに同意する。犯人はいかにして身代金を取るつもりなのか。事件を担当する遠丸警部の目には、鳥かごに入ったシャム猫が見えていた。
 同じ頃、ホテルの一室で若い医師が殺害された。ホテルの従業員たちは、同伴していた女性がシャム猫の入った鳥かごを持っているのを目撃していた。関係がなさそうに見える誘拐事件と殺人事件に、どんな繋がりがあるのだろうか。

 誘拐サスペンスの傑作といわれてきた作品。手元にありながらずっと放っていたのだが、何となく手にとって読み始めたら、止めることは出来なかった。こんな面白い作品を放っていたのかと思うと、自分に腹が立ってくる。
 身代金の取引相手を、誘拐した子供の両親ではなく、誘拐先の病院の経営者にした時点で既に設定の勝利だろう。ワンマン経営者が金を払うのかどうか。誘拐犯の真意は何か。誘拐事件に隠された裏。関係ないと思われる殺人事件との関連。誘拐犯はいかにして身代金を手に入れようとするのか。いくつもの謎が絡み合い、そして結末で一気に解れてゆく。読者に考える暇を与えないサスペンスとスリル。手に汗にぎる展開とは、まさにこの事である。読者は驚くばかりだろう。誘拐サスペンスにこのようなトリックがあったとは。一つ一つの状況説明や内面の描写に、事件を解くヒントが隠されているのだ。作者は読者に手がかりをさらけ出している。しかし読者が気付くことはないだろう。一級品である。
 現代の作家だったら、この作品を倍のページ数で書くと思われる。被害者たちを取り巻く環境や、登場人物一人一人の心情、犯人を追う刑事たちの心中をより深く書こうとするだろう。それはそれで面白いものが出来そうな気もするが、本作よりは劣るに違いない。重いテーマを抱えながらも、さらっと書き流してしまうテクニックこそが、今の作家に求められるものじゃないだろうか。
 近年評判にあがる作品には、リーダビリティを無視しているものも多い。わざと難解に書くことが、読者に受けるとでも思っているかのようだ。そして本作のように、一気に読めてしまう作品を軽視する流れがあるのではないだろうか。「読みやすい=単純な作り」ではない。万人に読みやすい作品を書くことが、最も難しいことだろう。

 本作品は発表後、血友病に関する知識の古さを指摘されたそうである。うーん。例え知識が古かったとしても、本作品の面白さには何ら影響しない気もするが、しかし72時間以内に助けなければならないという設定がミスだったとしたら、やはり問題があるのだろう。解決する方法は難しそうだが。



黒田研二『闇匣』(講談社ノベルス)

 目を覚ましたとき、真っ暗な部屋の中で、椅子に縛り付けられていた。関口勉は、努めている一流音響会社、岡部音響の社長、岡部正幸が住む町へやってきた。正幸の一人娘、杏奈との結婚を認めてもらうためであった。ところが泊まったホテルの部屋で衝撃を受け、気が付いたら暗い部屋の中にいたのだ。闇の中から聞こえてきたのは、幼馴染みである軽部龍一のものであった。勉、龍一の同僚で、かつては勉の恋人でもあった大寺枝理が死んだと伝えられ、勉は驚く。龍一はさらに語り続ける。一年前の今日、勉の妹の薫は川に転落して死んだ。あのときいっしょにいたのは龍一、枝理、勉の三人。龍一は語る。薫は何者かに殺されたのだと。薫が好きだった龍一は、復讐のためにこんな手段を取ったのだ。龍一は勉に問いかける。真相を教えてくれ。さもなければ、婚約者を殺す。勉は必死になって当時を思い出し、真相を求める。

 一応密室本なのだが、どこが密室なのかはさっぱりわからない。まあ、“密室本”なんてあくまで便宜上のことであり、これは黒田研二の新作なのだと考えればそれでいいのだろう。
 肝心の出来はというと、作りすぎて今一歩というところが正直なところか。元々人工的な世界でのトリックを主眼としている作者だが、やりすぎると興醒めしてしまう。非現実がファンタジーとなれば酔いしれることが出来るのだが。
 人工的な世界を作り出すために、無理をしている部分も目立つ。婚約者がいながら昔の恋人からもらった腕時計をしているというのはとても信じられない。●●と××が協力するというのも過去を考えると無理がないだろうか。作品として信じられないのが、28ページの最後の行。お前が何故驚くんだ、と突っ込みたくなる。
 心の闇をえぐり出すにしても、ずいぶん残酷な方法だ。もう少し、後味がよい結末は迎えられなかったのだろうか。
 まあ、駄作とはいわないが、不出来な一作といっていいだろう。




横溝正史『比丘尼御殿 お役者文七捕物暦』(徳間文庫)

 江戸の町に怪しい噂が乱れ飛んでいた。この江戸のどこかに比丘尼御殿というのがあり、御殿の主の比丘尼御前が家来に命じ眉目よい男をかどわかす。男に妖しい媚薬を与え、さんざんおもちゃにしたあげく、ものの役に立たなくなるか、御前の方で飽きが来ると江戸の町へ捨ててしまう。帰ってきた男たちは、いずれも憔悴しきって、放心状態になっており、明確な記憶が残っていない。南町奉行大岡越前守も捨ててはおけぬと密かに探索を始めていた。もと歌舞伎役者の文七もまた、事件の裏にただならぬものを感じ、一人で調べ回るのだが。

 『蜘蛛の巣屋敷』に続くお役者文七シリーズ二作目。昭和34年の連載作品。
 「人形佐七」シリーズなどと違い、主人公は士分とはいえ、市井の一種の冒険児。タイトルに“捕物暦”とあるが、謎解きよりも文七の冒険談という趣が強い。
 探偵小説界の巨人でありながら、実は生粋のエンターテイナーでもある作者のこと。面白い物語を作り出すことに関しても、超一流である。比丘尼御殿とはどういう屋敷なのか。囚われの身になった文七はどうなったのか。そして、文七が探り当てた比丘尼御前の正体は。単純明快なストーリーではあるが、横溝正史流の耽美な世界が、一般向けに希釈されているものの、目の前に繰り広げられていく。簡単なトリックではあるものの、謎解きも忘れていない。読者は安心して、作者が産み出す物語の流れに身を任せていればよい。読者が面白く読むことが出来る。そんな、当たり前の事実を作者は忘れていないのである。



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