黒岩重吾『休日の断崖』(新潮文庫)
石原工業取締役営業部長十川隆造は、自らが先頭を切って傘下におさめた高柳工業の専務として、翌日単身東京へ出発することになっていた。十川はその夜、親友である日本建設新聞社長川草成に、家出をして半年になる娘冴子の行方について、そして愛人であるキャバレーMの百合子との手切れを依頼する。出発の日、会社の部下や友人、行きつけのバーのマダムなどに見送られ、十川は大阪駅から二十時三十分発の出雲に乗って、東京へ旅立った。ところが十川は二十三時三十分頃、新和歌の浦の崖から落ちてなくなっていた。十川の妻泰子は「夫は神経衰弱にかかっていた」と警察に証言し、自殺として片付けられようとしていた。しかし十川の自殺を信じられない川草は、親友の死の真相を探り当てようと決心する。家庭内の不和、重役間での権力闘争、会社乗っ取り工作の裏側など様々な背景が、川草の前に浮かび上がってくる。それらの裏側にある本音とは。そして真実とは。自らが作り上げた業界紙にピンチが訪れようとも、川草は親友のために真相を求め続ける。
1960年に浪速書房より刊行された本書は、1960年上半期の直木賞候補に挙がっている。大学卒業後様々な職業を転々としながら小説を書き続け、そしてようやく本書で長編デビューとなった、いわば作者の出世作といえよう。作者が今まで培ってきたもの、溜めてきたパワーが一気に放出されたのが本書である。
人生の悲喜こもごも、浮き沈み、華やかな舞台の裏側、成功の裏の影。どんな人間にも暗い部分が隠されている。作者が書きたかったのは、そんな人の心の闇であり、かつ闇の中の脆さだと思う。闇を書く上でもっとも適した舞台が推理小説だったのだろう。だからこそ黒岩重吾は推理小説家として売り出し、作品を書き殴っていった。しかし本書は書き下ろしであるせいか、はたまた長編デビュー作であるせいか、作品の作りや各々の心理描写などが丁寧だ。後日書き殴られた、ツッコミ所満載の“長編推理小説”とは雲泥の差の出来である。
事件があり、一応のアリバイトリックなどもある犯人さがしの小説だが、あくまで主眼は十川や彼を取り巻く人々の心である。笑顔の中の涙、酒の席と仕事の席での二面性、柔らかな微笑みに隠された邪悪な笑い。弱者と強者しか存在しない世界での、人の心を描く。川草の十川に対する絶対的な友情による行動がメインとなっているから、心の闇はよりいっそう引き立つのである。
有栖川有栖『迷宮逍遙』(角川書店)
文庫本の解説や評論集、ブックガイドに所収された文章を纏めた一冊。まえがきにもある通り、作業なしで印税が入るのは羨ましい。
有栖川有栖って、本職の方は面白くないのに(ここ2年くらい読んでいないから、近年の作品が面白かったらごめんなさい)、こういう文章を書かせると本当に面白いね。それなりに面白い作品を、もっと面白いように見せることのできる、いい解説ばかりだ。それに「この作品はこういう視点から見ると別の発見がある」という書き方がうまいし、読書欲がそそられる。誉めすぎじゃないかと思う部分もあるけれど、解説の書き方として実に素晴らしい文章を集めた一冊だろう。
ただ一点残念なこと。文庫解説などをそのまま転載して集めた本なので、「真相に触れている箇所があるので~」との注意書きが載っている文章も中にはある。ところが出典は巻末に纏まって書かれているので、「真相に触れている」のはどの作品のことなのか、いちいち巻末を見なければならない。実に不親切な作りである。せめて文庫化の時には直してもらいたい。
ただ、これを本格ミステリ大賞の評論・研究部門にノミネートしたした人の感性は疑ってしまう。少なくとも“評論”や“研究”ではないだろう。本人も“評論”と意識して書いたとは思えない。結果として評論に見える文章があるのは事実だが。毎度ながら、この候補作選考の過程が不思議である。
多島斗志之『龍の議定書』(講談社文庫)
中国の鄧小平と台湾の蒋経国を握手させる。反目しあっている両国の総主席を、孫文ゆかりの地である神戸の〈移情閣〉にて握手させる。そんなイベントの依頼が、取扱高世界一の広告代理店、宣通に持ち込まれた。依頼主はシンガポールで金融、貿易業を営む実業家、劉偉南。劉は華僑の中でも一大勢力を誇る〈客家〉グループの役員であり、中国・台湾融和を目指す一策としてこの案が出されたのである。宣通の総合事業局企画部長、塔原玄三はこの一大イベントに取り組むが、中国・台湾融和を好まないと思われるものからの妨害は始まった。さらに調べていくうちに恐ろしい秘密が浮かび上がってきた。中国革命はフリーメーソンの陰謀であり、しかも国父である孫文はフリーメーソンに毒殺されたという秘密である。真実はどこにあるのか。この歴史的なイベントの結末は。
1985年8月に講談社ノベルスから出版された『〈移情閣〉ゲーム』を大幅に加筆・改稿・改題した作品。「ミステリマガジン」の日本ミステリ評欄で、新保博久が『〈移情閣〉ゲーム』の事を大絶賛していたので、いつかは読もうと思っていたのに、ここまで引っ張ってしまった。設定だけは出版当初から知っていたので、楽しみだったんだが。
実査のところ、設定は傑作だけど、日本を舞台とした謀略小説を書こうとしたら、この程度が限度なのかな、とちょっとだけ失望。主要登場人物が小さすぎるんだよね、物語のスケールと比較して。とはいえ、壮大なスケールに見合う登場人物を作ったら、伊達邦彦みたいに荒唐無稽なヒーローが誕生してしまうわけだが。その辺のバランスが難しい。
あれこれ動き回る人物が、例え広告代理店のやり手であったとしても、歴史的なイベントというスケールから比較すると、なんというか小さな人物に見えてきてしまうわけだ。こういう企画を成立させようとするのなら、打ってつけの配置だとは思うんだが。やはり国家規模の大きな組織を背景とした人物が動き回らないと、納得できないようになっているようだ、自分は。考え方の違いなんだろうけれど。
そういう個人的な主観を排除したら、充分面白い作品だと思う。これほどの作品が世間で評判にならなかったのが不思議なくらい。骨組みはしっかりしているし、題材も抜群。取り上げているテーマは人物さえ入れ替えれば今でも充分成立する。いや、今の時代こそより現実味のある設定といえよう。ひっそりと出版されたこともあり、話題にならなかったのが悔やまれる傑作。それが本作の位置づけだろう。今からでも遅くはない。ぜひ読んでほしい。必ず気に入るはずだ。
千街晶之『怪奇幻想ミステリ150選』(原書房)
古今東西の怪奇幻想ミステリ150冊を、年度別に纏め、粗筋と書評を載せたガイドブック兼評論集。笠井潔、山田正紀との対談、評論、コラムなども収録。
怪奇幻想ミステリを、「論理によって織りなされた、妖しい悪夢の世界への入り口」と書いたのはうまいな。怪奇幻想ミステリという定義付けが難しいジャンルを纏めようとした試みは高く買いたい。ただ、それ以上のジャンルの細分化を図れず、結局時代別に分けることしかできなかった点は、やや期待はずれであった。そもそも定義付けすら成されていない現状で、ジャンルの細分化を図れということが無理なのかも知れないが。しかし、ホラーやSF、歴史ミステリなども怪奇幻想ミステリに含んでしまっているガイドを読むというのも、違和感があることも確かである。
このガイドブック兼評論に収録されている作品の流れを見ると、結局はリアリズムの否定から怪奇幻想ミステリが成り立っているような感がある。違うのかな。うーん、何か曖昧なジャンル作品を集めた、曖昧なガイドブックという気がするよ。元々怪奇幻想小説って、つかみ所のないようなところがあるけれど、本ガイドブックもそんな感じ。選ばれたラインナップはなかなかだと思うし、一冊一冊の批評も充分面白いんだが、纏まってみると結局わからない。まとめの評論があるようで、実はまとまりすらないガイドブック。誉め言葉のつもりなんだが。
ガイドブックなので個人的な趣味で読んだ本をカウント。ちょうど50冊だった。海外作品は本当に弱いな。そろそろ勉強がてらにこのガイドブックを活用すべきかも知れない。出版当時とはいえ、入手可能かどうかのデータまでを詳細に書いてくれているのはありがたい。重宝すべき一冊ではあろう。
皆川博子『虹の悲劇』(徳間文庫)
長崎おくんち祭りの途中で事故が発生した。長崎諏訪神社の七十三段の石段に爆竹が投げ込まれ、見物客の人なだれが起きた。その事故で、石段に座っていた東栄ツーリストのツアー客の大半が事故に遭い、そのうちの一人、斎田栄吉はもう一人の女性とともに帰らぬ人となった。コンダクターの原倫介は、亡くなった斎藤が前日から急に怯えだしたこと、しきりに東京へ帰りたがっていたこと、常に誰かに付き添ってもらうようにしていたことなどの疑念を、斎田の実子である石玉光雄に話す。もしかしたら今回の騒動は、斎田を殺害するために引き起こされたのではないか。石玉は疑惑を探るために九州へ飛んだ。
佐世保市の主婦、白坂蓉子は美容室を経営する叔母を殺害した。
一見何でもない二つの事件は、実は密接に絡み合っていた。
1982年に書き下ろされた一冊。実力ある作者なので、読み応えは充分にある。ただストーリーの方はというと、無理が目立つ。事件の裏に隠れていた事実が浮かび上がるという構図は悪くないのだが、そこからの展開が急すぎる。中盤までに紙数をオーバーしそうになり、慌てて結末を付けてしまったような性急さである。今だったらいくらでもページ数を費やすことは可能だろうが、発表当時はそのようなことは認められていなかったのだろう。結末の付け方が強引すぎるのも、とにかく結末をページ数内に収めてしまおうとしたためだろう。
各章を“赤の章”橙の章”と虹の七色になぞらえているのだが、その意図を掴むことができなかった。情けない読者である。
朝鮮人の強制執行という隠れたテーマは、もっともっと書きたいところだっただろう。あっさりと書かれているが、内容はあまりにも重い。日本人が隠してしまおうとしているテーマであり、そちらの方にもっとページを費やしてもよかったと思われる。
読み応えはあるのだが、しかし……という位置づけの作品だろう。まだまだ膨らますことのできるテーマを、これだけのページ数で押さえるには無理があった。
高木彬光『初稿 刺青殺人事件』(扶桑社文庫 昭和ミステリ秘宝)
現在はハルキ文庫で流通している(私は角川文庫で読んだ)『刺青殺人事件』は雑誌発表版に大幅な加筆を行ったものである。幻と言われた雑誌初出時のオリジナル版『刺青殺人事件』に、神津恭介が活躍する短編「白雪姫」「影なき女」「鼠の贄」「原子病患者」「妖婦の宿」を収録。
初出と加筆後の作品を比較するというのは、いろいろな楽しみがあるものだが、本書の場合はそこまで楽しむことができなかった。神津と松下の関係なんかは当初はここまで親密ではなかったのだな、といった発見などはあるが、やはり初出は若書きだったということが判明してしまった。もちろん、紙不足だったという事情はあるかも知れない。それを除いたとしても、初稿の作品は、歴史的価値こそあるものの、現在流通している作品と比べれば劣る作品である。トリックなどの骨格こそは変わらないものの、小説としての面白さが段違いである。現在流通している『刺青殺人事件』にも蛇足と思われる部分(林澄江が登場するところなど)などはある。ただ初稿作品は、あまりにもふくらみが足りない。事象とデータと解析しか与えられていない作品で終わっている。乱歩や正史はそういう作品の方を好んだのかも知れないが。
高木彬光の考え方ということも含め、いろいろと面白いデータが得られるだろう。そういう点では、非常に有意義なテキストであったといえる。
短編についてはミニコメントで。
「白雪姫」は神津の気負いすぎが目立つ一編。トリックも機械的すぎて面白味に欠ける。
「影なき女」は与えられたデータが少なすぎるので、解決部分の爽快感が今ひとつである。「妖婦の宿」と同様に、本短編も探偵作家クラブの犯人当てコンテストに書かれた作品だったと思うが、その旨が書かれていないのは解せない。
「鼠の贄」は本格ミステリとホラーの融合に成功した傑作である。もちろん発表当時はホラーという面からの考察はなされていなかっただろうし、作者もそこまで考えていたかどうかは疑問である。
「原子病患者」は当時だったからこそ書くことができた作品。本格ミステリが時代と無縁ではないといういい好例である。
「妖婦の宿」は本格ミステリ史上に残る名作といってよいだろう。高木彬光が作者だからこそ、神津恭介が名探偵だからこそ成立することができた作品。
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