中町信『模倣の殺意』(創元推理文庫)

 七月七日の午後七時、新進作家、坂井正夫が青酸カリによる服毒死を遂げた。遺書はなかったが、世を儚んでの自殺として処理された。坂井に編集雑務を頼んでいた医学書系の出版社に勤める中田秋子は、彼の部屋で偶然行きあわせた遠賀野律子の存在が気になり、独自に調査を始める。一方、ルポライターの津久見伸助は、同人誌仲間だった坂井の死を記事にするよう雑誌社から依頼され、調べをすすめる内に、坂井がようやくの思いで発表にこぎつけた受賞後第一作が、さる有名作家の短編の盗作である疑惑が持ち上がり、坂井と確執のあった編集者、柳沢邦夫を追求していく。(粗筋紹介より引用)
 1971年、第17回江戸川乱歩賞最終候補作「そして死が訪れる」を改稿して出版された長編デビュー作『新人賞殺人事件』を、雑誌発表当時のタイトルに戻し、改稿した決定版。

 裏表紙の鮎川哲也の言葉が全てじゃないかな。“近頃、これほど意外性に工夫をこらした作品は珍しい。ある意味で、私はクリスティの初期のある傑作を思い浮かべ、読み終えてしばし呆然としたのである。”ただしあくまでこれは当時の言葉であり、残念ながら今読むとそれほど意外性は感じない。手堅い作品なので、今読んでも退屈することはないが、そこ止まりである。意外性を求めるトリックを用いると、その上を行こうという作品が出てきてしまい、古い作品はどんどん取り残されてしまう。歴史的傑作となった作品は歴史的価値を加味して読まれるので作品が古びても読者が離れることはないが、傑作になり損ねた作品は歴史に名を残したまま忘れ去られていく。本書、そして作者は一部の愛好家で根強い人気を保っていたが、残念ながらそれ以上の評価を得ることがなかったため、歴史の中に埋もれていった。残念ながら10年早かったのだろう。




麻耶雄嵩『螢』(幻冬舎)

 梅雨。大学のオカルトスポット探検サークルの六人は、京都府の山間部に佇む黒いレンガ屋敷「ファイアフライ館」へ、今年も肝試しに向かっていた。そこは十年前、作曲家でヴァイオリニストの加賀螢司が演奏家六人を惨殺した現場だった。事件発生と同じ七月十五日から始まる四日間のサークル合宿。昨年とちがうのは半年前、女子メンバーの一人が、未逮捕の殺人鬼“ジョージ”に無惨にも殺され、その動揺を引きずっていたことだった。ふざけあう悪趣味な仲間たち。嵐の山荘で第一の殺人は呪われたように、すぐに起こった――。(帯より引用)

 過去に連続殺人事件が起きたファイアフライ館という舞台、そしてサークル合宿中に起きる連続殺人事件という設定は面白い。昔と比べて格段に読みやすい文章なので、読書のテンポもいい。これはと思って期待していたのだが、おかしな記述や、所々でぼかしたような表現がある。途中で違和感が生じ、物語に没頭できなくなった。こうなるともうダメだ。確かにあれには騙されたが、怒りしか覚えない。トリックのためのトリックであり、必然性は全くない。物語を曖昧にするだけの価値があったとは思えない。ストレートな本格ミステリか、いっそのこと『夏と冬の奏鳴曲』みたいな壊れた幻想ミステリを書いてほしかった。それだけの世界観を構築できるだけの舞台だったはずだ。何のためにこんな小手先のつまらないトリックを用いなければならなかったのか。こんな手を使うことしかできないのが、この作者の限界なのか。愚作といっていいだろう。傑作となり得るべき作品を、作者自身が壊してしまったのだから。




松田美智子『迷宮の女』(光文社文庫)

 この文庫に収めた短編のいくつかは、書けなかった事件の背景をベースにしている。主人公は、人生の迷宮に踏みこんだ女性たちばかりである。物語の状況設定にまさかと思われるものもあるだろうが、それでも小説の方が現実よりおとなしい。(略)彼女たちのしたたかさ、裏にある寂しさ、貪欲さ、好色さなど、本書の主人公にちりばめられたつもりである。(あとがきより引用)
 平成8年5月30日、幼い子供を道連れに無理心中を図った女は、実は警察官の夫から日常的な暴力を受けていた。しかし裁判所はそれをわかってくれない。「爪をかむ女」。
 ラブホテルで殺害された男性は、妻がおりながら手帳に167人のガールフレンドの名前のと電話番号が記入してあった。メッタ刺しだったことから怨恨の線を中心に捜査は進められたが、犯人は捕まらない。迷宮入りかと思われたが、1年後に事件は急展開する。「迷宮の女」。
 何人もの男を東京に棄ててきた女が実家に帰ってきた。母を除いて、誰もが冷たい視線を投げかける。母の実家が取り壊されたとき、地面の中から男性の人骨が出てきた。その男性は、かつて女が駆け落ちした男だった。「馬酔木の女」。
 一人の女に騙された夫と愛人3人が一夜限りの宴会を開いた。各自が話す女との関わり。女は3000万円の保険金詐欺で逮捕され、懲役5年の実刑判決を受けていた。「四重婚の女」。
 平凡な生活に疲れ切った主婦の目の前に現れた一人の男。女は男との不倫に溺れるが、ある日女の夫が殺害された。「渇く女」
 女には殺人、殺人未遂、誘拐、監禁、死体遺棄、詐欺の容疑があった。女と付き合いのあった男たちは、女の正体を知り、ある男は首を捻り、ある男は恐れおののく。女は全ての容疑を否認していた。「荒ぶる女」。
 女は愛人からアイロンを押しつけられたと民事訴訟を起こした。だが女は権利を主張しようとせず、今でも男を庇おうとする。担当となった女弁護士は裁判の末、和解で高額の賠償金を勝ち取る。満足のいく結果であったが、半年後に愛人だった男が女弁護士の前に姿を見せ、驚くべき事実を伝える。「拾われた女」。
 「小説宝石」「別冊小説宝石」に1995年から2000年に発表されたものをまとめた一冊。文庫オリジナル。

 うーん、ドキュメント・ノベルとあるが、全て実在の事件なのだろうか。「迷宮の女」の元になった事件は有名なのですぐにわかったが、他は全くわからない。「爪をかむ女」は事件期日があるので調べようと思えば調べられるが、他の事件は日にちが全く出てこないので、調べようにない。しかし、「四重婚の女」あたりはどう考えても実在事件とは思えないストーリーだ。「荒ぶる女」だってこれが全て立件され有罪となっていたら、死刑or無期懲役は免れないケースである。いくつかはかなりふくらませて書いたものもあるのではないだろうか。
 あとがきにもあるとおり、本書には女のしたたかさ、寂しさ、貪欲さ、好色さなどが書かれている。男にとって女はいつまでたっても可愛く、間抜けで、したたかで、そしてミステリアスである。男は女の全てを見ることができないのだろう。女は常に、隠された一面を持っている。そんなことを教えてくれる一冊である。
 ミステリファンには「四重婚の女」をお薦めしたい。事件の裏に隠された“事実”はちょっと驚くだろう。




東野圭吾『幻夜』(集英社)

 1995年、あの大震災の朝、水原雅也と新海美冬は出会った。
 雅也の父は自殺し、生命保険金も借金の支払いに消え、人手に渡った工場と家は崩壊した。あの震災で、雅也は借金の返済を求める叔父を殺し、美冬はその現場を目撃した。美冬は両親を亡くした。そして雅也と美冬は東京に出た。
 宝石店の店員から一つ一つ成功を勝ち取り、ステータスをあげていく美冬。その陰には、美冬の意のままに動く雅也の姿があった。そして美冬の魅力と魔力に虜にされ、棄てられていった男たちの姿も。「この世は闘い。味方は雅也だけ。生き抜くなら何でもする」、そう雅也の耳元でささやく美冬。「あたしらは夜の道を行くしかない。たとえ周りは昼のように明るくても、それは偽りの昼」。雅也は苦悩する。大震災からずっといっしょにいた女は、いったいだれなのか。そして美冬に疑念を抱く刑事は、過去を追い求める。

 帯に『名作「白夜行」から4年半。あの衝撃が、今ここに甦る。』とあるが、『白夜行』との関連性は考えなくてもいいだろう。
 『白夜行』でもそうだが、長い年月の物語、クロニクルものを描かせたら東野圭吾は本当にうまい。登場人物を思うがままに操り、読者の予想を超える物語を提供してくれる。ただ、読者をも悠々とコントロールするその姿に、作者がもつ底意地の悪さが見えてくるのは私だけだろうか。本書を読んでいる途中は物語に引きずり込まれるのだが、読了後は物語から受ける感銘よりも、作者に振り回された腹立ちの方が強い。
 東野圭吾は、高度なテクニックでさまざまな作品を書ける作家だけど、結局テクニックだけで書いてしまう作家でしかない。ベストセラー、傑作、力作、話題作を書くことはできるが、代表作というものが書けない作家で終わってしまうだろう。石ノ森章太郎みたいに。




戸松淳矩『名探偵は最終局に謎を解く』(創元推理文庫)

 一雄、純平、友彦というおなじみの三人組は、デパートの幽霊屋敷で首吊り死体を発見してビックリ仰天。ところが警察が駆けつけると、死体はどこかに消えていた。一雄たちが犯人ではないかと疑う警察だったが、首吊り死体のペンキ屋亀井戸と、友人である指物職人の圭次郎が事件直前に喧嘩していたことがたれ込みで判明。圭次郎は警察に引っ張られたのを皮切りに、圭次郎の親方が入院。しかも入院先の病院で火事が起き、ロビーに掛けてあった安物の時計が盗まれた。しかも六日前には病院の事務室からカレンダーが盗まれており、そのどちらにも、稲穂の束が一掴み残されていた。それからも、価値のないものを盗む事件が大安の日に必ず起きる。江戸の義賊稲田小僧が甦ったのか。事件の謎を解くのは、若き天才棋士。
 『名探偵は千秋楽に謎を解く』『名探偵は九回裏に謎を解く』に続くご町内ミステリ第三弾。1987年に「獅子王」で連載された「隅田川幽霊グラフィティ」を加筆修正、初めて本にまとめられる。

 前二作と同様、ユーモアたっぷりのご町内本格ミステリ。下町の風景や人情がたっぷりとこめられているのも心地よいし、流れるようなテンポも快調。ご町内(のみ)を揺るがす大事件とその鮮やかな解決も変わらない。大掛かりなトリックや仰々しい殺人事件がないため、一見物足りなさを覚える向きがあるかもしれないが、根底にある本格ミステリの面白さはどちらもいっしょである。読んで楽しくなる本格ミステリはなかなかないだろう。ベストには入らないが、なんとなく忘れられないような一冊。

 どうでもいい突っ込みだが、解説(名前は何かのアナグラム?)はちょっとピント外れ。探偵役の棋士のモデル探しは結構だが、本書を“将棋を扱ったミステリ”の系譜に連ねようとするのにはさすがに無理。だいたい、『刺青殺人事件』が“将棋を扱ったミステリ”に入るのか? それだったら『刺青殺人事件』は“囲碁を扱ったミステリ”にも入ってしまうだろうし、『カナリヤ殺人事件』は“ポーカーを扱ったミステリ”になってしまうぞ。




殊能将之『キマイラの新しい城』(講談社ノベルス)

 不動産会社社長、江里陸夫は、フランス北部にあった中世の古城、シメール城を日本まで運び、ここ千葉県のテーマパーク内に再建させた。シメール城は十三世紀、稲妻卿と渾名されていたフランスヴァンデ地方の小領主の長男、エドガー・ランペールが第七回十字軍遠征からの帰国後、隠遁所として建てた城である。そのランベールの亡霊が江里に取り憑き、「自分は誰もいない部屋の中で殺された。自分が殺したのは誰かわかるまでは成仏できない。専門家を連れてきて調べろ」と言いだした。困った重役たちは石動戯作に白羽の矢を立てる。しかし事件の現場状況も容疑者も、すべて社長の頭の中にしかない。困った石動は一つの奇策を思い立つ。シメール城の中で、当時の状況を再現してみたのだ。駆り出されたのは重役や秘書、側近たち。しかもその再現劇の終わった後に、現実の殺人事件が起きた。

 面白いけれどね、これは本格ミステリを扱ったコント。本格ミステリであることに間違いはないけれど。“この話を書けるのは殊能将之の他にいない!”と帯の惹句に書かれているけれど、確かに殊能以外にこんな作品を書こうとは思わないだろうな。本格ミステリを茶化すつもりはないんだろうけれど、皮肉が混じっていることは確か。読んで笑えれば、それでいいんじゃない。



【元に戻る】