別役実・朝倉喬司『犯罪季評』(朝日文庫)
「グリコ・森永事件」から「宮崎勤事件」の時代――昭和の最終局面から平成へ、衝撃的な犯罪事件が集中して発生した。いじめ、家庭の崩壊、年少者の自殺、情報社会の政治の諸相……次々に生起する事件を俎上にあげて、「劇場犯罪」の現代を解明する。朝日ジャーナル連載の“犯罪批評対談”。(粗筋紹介より引用)
「朝日ジャーナル」1984年12月28日号~1989年7月28日号まで、季節ごとに18回にわたり連載されたものをまとめたオリジナル文庫。
犯罪世界を読み解くプロ同士の対談集。ただ、個人的にはただの井戸端会議をまとめたものに過ぎないという印象しかない。様々な事象を取り上げているけれど、時代を読み解くというほど深い分析をしているわけではないし、事件の深層に迫るほどの取材をしているわけではない。マスコミが取り上げた事件について、勝手なことを言い合っているに過ぎない。
犯罪ものは一人で書くと深層心理までどんどん突っ込んでいくものだが、対談にするとどんどん脇にそれていくものらしい。かえって勉強になった。
中嶋博行『違法弁護』(講談社文庫)
横浜本牧埠頭の倉庫街で、警官が射殺された。女性初の経営弁護士(パートナー)を目指し、ロー・ファームに勤務する弁護士・水島由里子。彼女は、貿易会社の法的危機管理を担当するうち、巨大な陰謀に気づく。「依頼人」は、古ぼけた倉庫に何を保管していたのか!? 乱歩賞作家の現役弁護士が描く、傑作リーガル・サスペンス。(粗筋紹介より引用)
1994年、『検察捜査』で乱歩賞を受賞した作者が、1995年に書き下ろした作品の文庫化。
茶木則雄の解説が、なかなか的を射ているのではないか。『検察捜査』は日本でもリーガル・サスペンスが誕生したと騒がれたが、本作は当時の書評でほとんど読んだ記憶がなかったし、年末のベストテン関連でもほとんど触れられていない。読んでみるとなるほどと思える部分はある。はっきり言ってしまえば、ヒロインが全然魅力的でないのだ。美人で腕利きだが、恋愛よりも仕事を取るタイプの女性というのは、男から見たら鼻持ちならない女性にしか映らない。今でこそこういう見方は減っているだろうが、それでもこういう偏見はなかなか無くならないものだ。実際、私から見てもヒロインが全然魅力的ではない。途中、事件に振り回される彼女を見て、思わず喝采の声を上げてしまうほどだ。
解説の茶木は、これはアンチヒロインものだと書いているが、そうとはあまり思えない。主人公である水島由里子は、結局は大きな権力に振り回される存在だ。いってしまえば、劇に出てくるヒロインとして、人形のごとく演じているに過ぎない。この作品の最大の欠点はそこにある。ヒロインが人形にしか見えないところだ。だからこそ、読者はこの主人公に思い入れを抱くことができない。作品にのめり込むことができないのだ。
作品そのものは、前作『検察捜査』で指摘された枚数足らず、説明不足といった欠点(これは乱歩賞に枚数規定があるのだから仕方がないのだが)を修正し、リーガル・サスペンスものとして十分通用する作品に仕上がっている。ただ、事件そのものを描くことが中心となってしまい、そこに関わる登場人物たちの描き方がやや疎かになっている。事件の謎やその解決、さらには最後のひっくり返し方などがうまいだけに、その点がとても残念だった。
この作品は、『検察捜査』で注目され、第3作『司法戦争』で大化けする作者の過渡期に当たる作品であったのだろう。だからといって、読まれなくてもいいという作品ではない。少なくとも、私には十分面白かった。弁護士という世界の今をまた一つ知ることができたのは、とても嬉しい。
夏樹静子『霧の向こう側』(新潮文庫)
高校時代の親友である立子と衿香は、インテリア・コーディネーターと、ファッション・コーディネーターとして、お互い励まし、競いあいながら第一線で活躍していた。しかし二人の行手には、人間関係の罠や悪意に満ちた仕事への妨害など、思いがけない障害が次々と待ち受けていた。その上、衿香のピルケースの中身がすり替えられ、大型車に追いかけられ……。新鮮なサスペンス・ロマン。(粗筋紹介より引用)
1990年1月~1991年7月、雑誌「マダム」に掲載。1992年に単行本化された作品の文庫化。
あー、全然だめ。衿香が命を狙われるという部分は一応サスペンスになっているけれど、犯人は見え見え(登場人物が少ないから)だし、何の工夫もない。立子の方はサスペンスにすらなっていない。会社を興して、不倫をして、仕事も順調だったが、ちょっとしたことで引っかけられたり、トラブルが起きてあたふたするだけ。仕事の方では、背伸びのしすぎにしか見えないし、世間知らずな女の自業自得劇。読んでいて腹が立ったよ。人間関係の罠や仕事の妨害なんて、どこにでもあることじゃないか。そんなのにあたふたしているだけで、人に頼りっぱなし。自分で解決策ぐらい考えろよ、といいたくなる。
久々に、駄作の言葉を贈ろう。
貫井徳郎『さよならの代わりに』(幻冬舎)
劇団《うさぎの眼》の看板女優が、上映中に控え室で殺害された。事件と前後して現れた、真犯人の存在をほのめかす謎の美少女。駆け出しの僕は、彼女と共に事件の真相を追い始める。彼女に振り回され、時折見せる曖昧な言動に戸惑いながらも、僕は、その不思議な魅力に次第に引きつけられていく。しかし、彼女は、誰にも言えない秘密を隠していた。(粗筋紹介より引用)
「ポンツーン」2003年1月~2004年1月まで連載された作品。帯の言葉は、長谷川京子。
一応殺人事件はあるものの、どちらかといえば主人公とヒロインの青春物語に近い。それが悪いというわけではないし、貫井らしい結末を持ってきているとは思うが、物足りなさを覚えたのも事実。結局私が読みたかったのはミステリであり、感動物語ではなかったようだ。この手の物語は嫌いではないし、むしろ好きな方なのだが、貫井の手に掛かると、何となく作り物めいたところが今ひとつ没頭できなくなってしまう。
この人の代表作が今でも『慟哭』になってしまうのは、テクニックは向上したけれど、それ以上に作品に対する情熱が無くなってしまった部分にあるんじゃないだろうか。感動してください、泣いてください。そんな意図がどうしても見えてきてしまう。がらっと違う傾向の作品をじっくりと書いてみたとき、この人は生まれ変わるんじゃないかと思う。
夏樹静子『湖・毒・夢』(新潮文庫)
一人暮らしの父親が旅行から10日経っても帰ってこない。警察に届けたら、それらしい白骨死体が見つかった。「歯」。
ラブホテルでホステスが、農薬入りのジュースを飲んで死んだ。一緒にいた男性は、宮内庁勤務の初老の男。当然疑いがかかるが、事件は意外な方向へ転回する。「毒」。
常に会社社長である夫に虐げられてきた妻。浮気相手の子供を、社長の子供であるとして遺言状を書かせた愛人。そして社長は、自宅で階段から転落死した。「夢」。
一人暮らしの男が飼い犬とともに殺された。見つけたのは養子である女性。容疑はもう一人の養子にかかった。警察は犬を解剖して死亡時刻を推定する。「犬」。
大勢の釣り客の前で、男性が車ごと湖に転落して死亡した。彼には永年付き合っていた不倫相手がいた。「湖」。
月刊誌に掲載された短編をまとめ、1988年に単行本化された短編集の文庫化。
珍しく一文字だけのタイトルばかりだが、「毒」「犬」「夢」は単行本にまとめられたときに改題されたとのこと。一文字として統一したという以外の意味があったのかは、ちょっとわからない。そのうち3編を表題にした意味も不明である。
どの作品も、ちょっとしたアイデアを手堅くまとめたという印象しかない。ちょっと面白かったのは、「毒」における毒殺トリックだろうか。
夏樹静子『駅に佇つ人』(講談社文庫)
船が波にさらわれて転覆した。救助を待つ途中、前畑聖子は隣にいた50歳の男性から、子供を認知する遺言を託される。聖子は子供の母親へその遺言を伝えたのだが、子供は男性と血のつながりがなかった。「雨に佇つ人」。
ユキ子は取材で松江の老舗旅館を訪れる。無事に取材が終わり帰ろうとしたとき、女将の旦那が人を殺害したと耳にする。先日に気になる話を聞いていたユキ子は密かに事件を追いかける。「湖に佇つ人」。
国会議員の妻である圭子は、ある殺人事件で起訴された塾教師の市原へ面会に行き、そして叫ぶ。私は事件と無関係である、と。市原は自供を翻し、無罪を訴えるようになる。しかし証拠はそろっていた。「駅に佇つ人」。
志摩へ旅行に来た季江子は、交通事故の目撃者になる。運転手の女性は軽傷だったが、助手席の男性は死亡した。普通の交通事故かと思われたが、男性はプレイボーイという評判があり、警察は捜査を始めた。「闇に佇つ人」。
1987年に講談社から出版された作品の文庫化。
大切なものを守ろうとする女性の様々な姿を描いた短編集。女性心理の描写は相変わらず巧みである。手慣れているというか、安定しているというか。新味はないが、読んでいて退屈はしない。
ただ、「駅に佇つ人」の展開はちょっと目を引いた。主眼はあくまで愛する男を助けようとする圭子の姿であろうが、その裏に隠されたもう一つの謎にはびっくりした。
江戸川乱歩『ふしぎな人』(光文社文庫 江戸川乱歩全集第21巻)
短編「妻に失恋した男」。リレー小説の問題編を書いた「秘中の秘」「魔王殺人事件」。少年もの「奇面城の秘密」「夜光人間」「塔上の奇術師」。幼年もの「ふしぎな人」「かい人二十めんそう」「かい人二十めんそう」を収録。
ポプラ社、角川文庫、創元推理文庫、そして講談社の乱歩推理文庫と、乱歩を読み続けてきたせいもあってか、今回の光文社文庫版全集は買う気が全く起きなかった。今回買った理由は、本として初めてまとめられた幼年ものが収録されているからに過ぎない。中身は他愛ない作品であり、コメントのしようがない。幼年もの以外はいずれも再読、というか、乱歩は何十回読んだかわからないぐらい読んでいるので、今回はさすがに読む気が起きなかった。それでも「夜光人間」は割とお気に入りだったので、久しぶりに読んでみた。
今回の全集は作品の発表年代順にまとめられているので、大人ものと少年ものがごっちゃになっている。こういう形で並べられるのはあまり面白くなく、できれば大人ものと少年ものは分けてほしかったところだが、たぶんそうすると少年ものが売れなくなってしまうのだろう。
乱歩推理文庫の頃は、少年ものでもそれなりに面白く読めたのだが、今回「夜光人間」を読むとさすがにきつかった。子供の頃の純真さが無くなったのか、と思ってしまい、今更ながら自分が年を取ったことを実感してしまう。この荒唐無稽さについていけなくなった自分が寂しい。
光原百合『最後の願い』(光文社)
新しく「劇団φ」を立ち上げるため、一緒にやっていく仲間を捜している度会恭平。度会はその途中で、色々な謎と遭遇する。
文芸サークル誌10周年パーティーの席で、もうすぐ結婚するお嬢様は、会員からもらった薔薇の花をちぎっていた。「花をちぎれないほど…」
僕の携帯にかかってきた間違い電話は、今時珍しいくらい清楚な女性からのものだった。「彼女の求めるものは…」
デザイン事務所の社長は、かつての同級生でライバルの売れない画家が死ぬ寸前、画家の妻に睡眠薬を飲ませた。「最後の言葉は…」
女優が語る、小学校時代の謎の事件。「風船が割れたとき…」
洋館の持ち主が語る、ある家族の崩壊の一幕。「写真に写ったものは…」
僕は先輩から、忘れ物を渡したいという人がいると紹介される。しかし僕には、落とし物をした記憶がない。「彼が求めたものは…」
いよいよ開幕する劇団φの初回公演。コヤ入りした日、管理人から劇場に美しい女性の幽霊がいると聞かされる。「…そして開幕」
ここまで謎が薄いと、とてもじゃないがミステリと呼べないんじゃないか、といいたくなるような短編もある。いくら「日常の謎」とはいえ、ちょっとなあと文句を言いたくなるところもあるが、これがこの人の持ち味、資質なのだからどうしようもない。いやなら読まなければいいだけの話だ。
相も変わらずの、善人たちが繰り広げる物語。まあ、中には陰惨な事件がないこともないが、それでも事件全体がオブラートに包まれたようなイメージしか浮かび上がってこないのは、この作者ならではか。この作者、陰惨な殺人事件が起きるような物語を絶対書かないだろうな。
こういう心温まる物語を好む人には格好の作品なんだろう。だけどこの手の話が胡散臭く見えて仕方がないようになってしまった自分にとっては、温い作品集でしかない。この辺は、好みの違いとしかいいようがない。どちらかといえば、自分が偏屈になってきたというだけなのかもしれないが。この作者に望むのは、好みが違う読者をも引きつけるだけの作品を書いてほしいということだ。
夏樹静子『誤認逮捕』(講談社文庫)
ポリバケツの中から出てきた女の手首は、失踪届の出ていた女子大生のものだった。彼女の日記には、デートやセックスの記録が、相手の男のイニシャルと一緒に出てきていた。「手首が囁く」。
労務者風の男性が、レストランで逆上し、店長や客の主婦が重傷を負った。一見、発作的犯行のようにみえたが、逃走経路を計算してあったかのような逃亡が気になった。「郷愁の罪」。
桐子は吉森との旅行中、不倫関係にあった湖島を殺害しようと旅館をこっそり抜け出すが、結局何もできず旅館へ戻る。ところが吉森は殺害されていた。「誰知らぬ殺意」。
「田処銀吉」の名がOL殺人事件の容疑線上に挙がった時、佐伯警部補は一瞬鳩尾の奥に鈍痛に似た圧迫感を覚えた。田処は一ヶ月間の暴行未遂事件の容疑者であり、状況は完全なクロだったが、実は狂言だった。もう誤認逮捕はしたくない。「誤認逮捕」。
マンションでOLが殺害された。恋人関係にあった上司は、会社の別の女の子と旅行していたというアリバイがあった。しかし、新聞記者の峯田は首を傾げる。その女の子は、峯田と一緒に過ごしていたのだ。「風花の女」。
歌手の卵だった川奈輝雄が殺害された。容疑者に、プレイボーイだった彼の女友人の一人が上がるが、彼女にはアリバイがあった。「高速道路の唸り」。
東京発博多行きのひかりの中で、女性の死体が発見された。最も有力な容疑者には、アリバイがあった。警察の、必死の捜査が続く。「山陽新幹線殺人事件」。
いずれも警察の捜査を中心とした短編が収録されている。どちらかといえば女性の恋愛を中心としたサスペンスを中心としたものが多い著者にしては、珍しい短編集ではないか。アリバイや奇妙な動機などを中心とした本格推理小説集。手堅くまとめられているし、警察や容疑者周辺の描写などもさすがと思わせるものがあるが、手堅すぎて新味に欠けるところがある。
多島斗志之『不思議島』(徳間文庫)
伊予大島の中学教師・二之浦ゆり子は、島の診療所に赴任してきた青年医師・里見了司に無人島めぐりに誘われ、十五年前の悪夢が蘇ってきた。当時十二歳のゆり子は何者かに誘拐され、夜の孤島に置き去りにされたのだ。身代金を支払った父親は無事ゆり子を救出したのだが、結局、犯人不明のまま時効となっていた。なぜかこの過去の事件に拘る里見の意図は? そして、驚くべき事件の真相とは?(粗筋紹介より引用)
1991年に徳間書店より刊行された長編の文庫化。
寡作ながらも大仕掛けのある優れた作品を数々提供してくれる作者だったが、このような本格長編推理小説を書いているとは知らなかった。勉強不足である。
誘拐事件の真相が一つ一つ暴かれていくその推理も楽しいが、瀬戸内海の小島という閉鎖性をうまく取り扱い、描ききった作品ともいえる。ヒロインの描かれ方や考え方などが、読んでいて特に印象に残った。それでもこの作品があまり取り上げられないのは、やはり作者の名前があまり広がっていないことと、作品がやや地味であるためなんだろうと思う。これが別の作家だったら、エキセントリックな名探偵を配し、派手な解決シーンを入れているかもしれない。そうすれば本格ミステリとして盛り上がり、もう少し取り上げられただろう。ただ。この作品の叙情性を考えれば、これで正解だったといえる。ゆっくりと作品を味わいたい人にお勧め。
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