『小説推理新人賞受賞作アンソロジーII』(双葉文庫)

 庭のある一戸建てと、優しい夫と、可愛い猫と。子供はいないが、美由紀は幸せだった。第18回受賞作、永井するみ「隣人」。
 退屈から脱出できるという言葉で買った携帯電話にかかっていた女性は、謎の言葉を控えるようにいった。第19回受賞作、香住泰「退屈解消アイテム」。
 試験前日にかかってきた友人からの電話。殺人犯として警察に追われているというものだった。第20回受賞作、大倉崇裕「ツール&ストール」。
 仕事で急遽江戸へ発った武士。世話になった侍のところへいったが、それは見たことのない侍だった。第21回受賞作、岡田秀文「見知らぬ侍」。
 若き狂言作者が師匠鶴屋南北から聞いた、大店の若主人の子供が拐かされた事件の真実と、その恐るべき顛末とは。第22回受賞作、翔田寛「影踏み鬼」。  過去5年間(出版当時)で新人賞を受賞した作品を収録。歴代選考委員から応募者へのアドバイス、永井するみへのロングインタビューを収録。

 ラインナップを見てみると、現在ミステリ界で活躍している人が多い。ミステリ界への登竜門として、小説推理新人賞も成長したのだということがはっきりとわかる。
 「隣人」は事件を通して女性心理の裏側を描いたもの。こう言うのを描かせるとうまいのは最初からだったんだね。
 「退屈解消アイテム」は携帯電話から始まるサスペンス。この結末は少々やりすぎのような気も。
 「ツール&ストール」は巻き込まれ型クライムコメディ。テンポのよいノリが楽しい。
 「見知らぬ侍」は江戸時代を舞台にした陰謀もの。この人も化けそうだね、そろそろ。
 「影踏み鬼」は大傑作。本作品集のベスト。




鮎川哲也『ブロンズの使者』(創元推理文庫)

 苦節八年、遅咲きの文学青年が得たF賞受賞作に盗作疑惑が生じた。「ブロンズの使者」。
 人妻の依頼を受け、尾行していた男性は奇妙な行動をとったあげく、投身自殺に巻き込まれる。「夜の冒険」。
 道楽息子の家のパーティーで宝石盗難事件が起きた。しかも後日、その道楽息子が殺害された。「百足」。
 貝マニアの翻訳家が殺害された。同じ貝マニアの作家が容疑者として浮かび上がるが、肥った弁護士は作家の元妻の犯行ではないかという。「相似の部屋」。
 女流推理作家が死んでいた。降り積もった雪に残されていたのは、作家と発見者である編集者の足跡だけ。警察は自殺と判断したが、弁護士は自殺でない証拠を見つけてくれという。「マーキュリーの靴」。
 タワー東京のてっぺんに昇った元人気歌手が上着だけを残して消えた。「塔の女」。
 肥った弁護士の依頼を受けた「わたし」が、三番館のバーテンに事件の謎を解いてもらう三番館シリーズ第三集。

 こういうことを書くと非難を浴びそうな気がするが、私は鮎川哲也という作家が一部ファンがいうほど凄い作家とは思っていない。同時期に活躍した本格推理作家である高木彬光、土屋隆夫あたりと比べたら、ずっと下の方に位置すると思っている。本格ミステリ一本を書き続けてきたことには感嘆するが、逆に他の形式の作品を書けなかったのではないかとも思っている。
 本作品集を読んで特に思うのだが、この人が書いているのは推理クイズの小説版でしかないんじゃないだろうか。「探偵小説とは割り算の文学である。事件÷推理=解決」といったのは土屋隆夫であるが、この言葉から文学の部分を差し引いたのが鮎川哲也という気がしてならない。鮎川哲也は、推理とは関係ない無駄な部分を極力排除しようとしている。本格ミステリという形式を考えたら、それはそれで正しいことだと思うのだが、推理以外の部分を楽しみたいと思うのは私だけだろうか。事件の裏には、関わった人それぞれのドラマがある。それを楽しみたいと思うのは私だけなのかもしれない。
 本作品集でも、たとえば「マーキュリーの靴」は、消失トリックを扱った作品でもかなり優れたものだろう。ただこの作品はそれだけではなく、事件の結末まできちんと書いているからいいのだ。「ブロンズの使者」はシンプルに書きすぎて失敗した例。謎そのものが見え見えなせいもあるが、結末の呆気なさは本格ミステリに拘った失敗である。本来なら被害者の心情などをもっと膨らませるべきだっただろう。
 鮎川哲也の長所と欠点が混在する作品集、それが三番館シリーズなのだと思う。




夏樹静子『女優X 伊沢蘭奢の生涯』(文春文庫)

 “ああ、私も女優になりたい!" 夫も愛児も故郷の津和野も棄てて、松井須磨子亡きあと、築地小劇場から新時代の女優たちが輩出するまでの約十年間、日本の新劇界を支えて華々しく活躍し、そして彗星のごとく、忽然と逝った伝説の大女優・伊沢蘭奢(らんじゃ)。謎多き女優の波瀾の人生を感動的に描いた著者初の伝記小説。(粗筋紹介より引用)

 伊沢蘭奢は明治22年11月16日、島根県津和野町の紙問屋、三浦五郎兵衛の次女として誕生。家業が行き詰まって11歳で一家離散後、東京の伯母宅に身を寄せ、日本女学校を卒業。同郷の薬種問屋である伊藤家に嫁ぎ、男子佐喜雄を産んだ。
 夫の仕事の関係で息子と離れ東京に住む。そこで文芸協会の公演「人形の家」を見、松井須磨子の熱演ぶりにうたれると同時に、主人公ノラに感銘を受ける。夫の縁戚にあたる福原駿雄(後の徳川夢声)と交渉を持ち、女優への憧れを捨てきれず大正5年10月に協議離婚。東京に出て上山草人の「近代劇協会」に参加。「ヴェニスの商人」の侍女役で初舞台を踏む。
 大正8年、島村抱月の死と松井須磨子の自殺。さらに上山夫妻が渡米したことにより、パトロン・愛人だった内藤民治のすすめで畑中寥坡の「新劇協会」に加わり、女優として数々の舞台に立つ。また三浦しげ子の芸名で松竹蒲田へ入社し、映画に出演している。昭和3年の舞台「マダムX」ヒロイン役で大喝采を受けるが、6月7日に脳出血で倒れ、翌日死亡。享年38。

 不勉強なことに、伊沢蘭奢という女優がいたことすら知らなかった。この時代に夫と子を捨てる形で東京に出て、女優として一世を風靡するというのは、よほどの苦労をしてきたのだろうと思うが、夏樹静子の淡々とした筆はそのあたりの苦労をあまり感じさせない。女優としての一生よりも、女優としての道を選んだばかりに離ればなれになった息子、佐喜雄への慕情について多く描かれている。作者らしい視点だと思う。伝記文学は誰が書いても面白く読める……かどうかはわからないが、少なくとも私は面白く読んだ。
 写真で見る彼女はとても美人で、彫りの深い顔立ちは舞台映えしただろうなと思う。性についてもかなり奔放で、当時出版された自叙伝には、ソビエトへ旅立った愛人のことを思い、秘所へ手を伸ばすなどのシーンが描かれている(当時のことなので、さすがに伏せ字だが)。




蘇部健一『六とん2』(講談社ノベルス)

 メフィスト章受賞作で物議を醸したあの『六枚のとんかつ』の第二弾……という触れ込みなのだが、実際はグループA、B、Cでカテゴライズされた短編集。グループA「最後の事件」「三色パンの秘密」「甘い罠」は、『六枚のとんかつ』に登場した保険調査員もの。グループB「午前一時のシンデレラ」「行列のできるパン屋さん」「姿なき目撃者」「見えない局面」は『動かぬ証拠』と同様、犯罪の証拠が最後にイラストで提示される半下石警部もの。グループC「誓いのホームラン」「地球最後の日?」「叶わぬ想い」「きみがくれたメロディ」はノンシリーズ。
 グループAは『六とん2』というタイトルにするため、無理矢理書いたとしか思えないような作品ばかり。インパクトがあったのは、名探偵古藤が消えたという冒頭の文章くらい。古藤が名探偵という印象は全くないのだが(笑)。
 グループBは何とか読めるというところ。グループA、Cにもイラストを使った作品が含まれているのだから、いっそのこと半下石警部ものでそろえた方が、短編集としてのトーンは保てたと思う。「見えない局面」のアイディアは面白いが、一般的なものではないだろう。
 グループCのうち、「誓いのホームラン」は作者らしい後味の悪さ。鬱になりそうな作品をよくぞ考え出せるものだ。「地球最後の日?」はオチが未だにわからない。別にわからなくてもいいけれど。
 「叶わぬ想い」は、『届かぬ想い』のアナザバージョン。なんでまあこんな展開を考えつくのだろうと、つくづく不思議に思ってしまう。私は基本的にハッピーエンドが好きだから、こういう作風は苦手だね。
 「きみがくれたメロディ」は、珍しく感動系のちょっとSF作品。本作品集でベストを選ぶならこれか。

 『六枚のとんかつ』がそれなりに売れたから(他の作品は増刷されているのだろうか?)、こういうタイトルを付けさせられたんだろうなあ。もしくは、保険調査員もので統一しようとしたが、アイディアが出なかったため、こういう形になったのかも。この作者の場合、あとがきの裏を読まないとならない。もうちょっとポジティブに考えて書けばいいのに、と思ってしまう。二番煎じという作品集を自ら書いてしまうところが、この人の凄いところなんだろう。




石持浅海『セリヌンティウスの舟』(光文社 カッパノベルス)

 荒れ狂う海で、六人のダイバーはお互いの身体をつかんで、ひとつの輪になった。米村美月、吉川清美、大橋麻子、三好保雄、磯崎義春、そして僕、児島克之。
 石垣島へのダイビングツアー。その大時化の海で遭難した六人は、信頼で結ばれた、かけがえのない仲間になった――そんな僕らを突然襲った、米村美月の自殺。彼女はダイビングの後の打ち上げの夜に、青酸カリを飲んだ。その死の意味をもう一度見つめ直すために、再び集まった五人の仲間は、一枚の写真に不審を覚える。青酸カリの入っていた褐色の小瓶のキャップは、なぜ閉められていたのか? 彼女の自殺に、協力者はいなかったのか? メロスの友、セリヌンティウスは「疑心」の荒海に投げ出された!(粗筋紹介より引用)

 石持浅海は、特異な状況を設定するとともに、登場人物の性格付けをやや変わったもの(こういう表現が正しいかどうかは自分でも疑問だが)にすることにより、推理を繰り広げることができる場を作り出し、本格ミステリを仕立て上げてきた。問題は、その登場人物の性格を読者が受け入れることができるかどうかにあると思う。私の場合、『月の扉』『水の迷宮』『扉は閉ざされたまま』に出てくる一部の登場人物の性格・行動には、疑問符を付けたくなる部分があった。それでもまだ、受け入れることができるだけの書き方をしていたと思う。しかし、今回の『セリヌンティウスの舟』は駄目だ。あんな身勝手な理由で自殺する事自体が私には許せないので、延々と繰り広げられる推理を楽しむ気分にはなれなかった。とても高貴な人たちとは思えないんだよね、彼らが。自殺した友人をネタにして、酒を飲みながら延々語り明かしているだけにすぎない。
 自殺の動機に対する個人的な嫌悪感を抜きにしても、本作は薄味な仕上がりだと思う。謎そのものが小さいので、長編推理を支えるだけの骨組みにならない。途中で語られる様々な仮説も、ちょっと考えれば有り得ないものばかりなので、推理そのものの面白さに欠ける。エンドも滅茶苦茶だよね。かけがえのない仲間に対する仕打ちか、あれが。
 本作は題材の選択自体が失敗だったのだろう。



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