夏樹静子『ビッグアップルは眠らない』(講談社文庫)

 ニューヨーク行き旅客機が、突然炎に包まれた。やがて、日光中禅寺湖で女社長が足を滑らせて転落、水死した。続いてニューヨークで商社マンが殺害された。一見、何の関係もないと思われた事件の接点は。そして第三の事件が。「ビッグアップルは眠らない」。
 参拝客で有名な輪光寺があるT市で、銀行強盗事件が起きた。捜査は難航したが、やがて番号を控えた札が現れた。それを使ったのは、輪光寺の寺務所に務める職員だった。犯人は寺の中にいるのか。「足の裏」。
 会社課長の作田が行方不明になった。不倫相手である安子は不安感を覚える。そして作田は変死体で見つかった。「漆の炎」。
 銀行支店長の元に恐喝の脅迫状が届いた。身に覚えがない支店長は警察に届け、脅迫状の指示通りに金を用意するが、犯人は現れなかった。ただ、近くに現れた人物で見たことがあるような人物がいたため、早速似顔絵が作られた。同じ頃、似たような脅迫状が別の2人にも届いていることが判明した。似顔絵から、ある人物の名前が浮かび上がる。「誓約書開封」。
 佐武は電車で偶然千代美を見かけた。千代美は佐武が会社寮入札で北海道に訪れた際の旅館の芸者であり、毎日のように肌を合わせていた。「すれ違った面影」。

 手慣れた感じの作品5編が収録されている短編集。いずれも退屈せずに読むことはできるが、それ以上のものがあるというわけではなく、人気作家の職人の腕を見せつけたものでしかない。もちろん、このレベルの短編を書き続けることができるだけでも大したものだが。
 印象に残るのは、表題作における犯罪の仕掛けと、「足の裏」における意外な展開だろうか。とくに「足の裏」は、銀行強盗から発生した意外な事件の結末に、ちょっと呆然としてしまった。
 プロがプロの腕を発揮した短編集である。




夏樹静子『蒸発 ある愛の終わり』(角川文庫)

 蒸発――それは不毛の現代人が抱くほのかな憧憬と、現実からのがれるための満たされぬ自己主張だろうか。その果てに広がる未知なる人生を求めて。――
 順調に飛行していたボーイング機から、人妻、美那子が煙のように消失した。密室状態の旅客機の中からなぜ! 愛人関係にある新聞記者、冬木は失踪の謎を追って彼女の郷里に向かった。が、そこで待ち受けていたのは、美那子をかつて愛していた男の蒸発と、続いて起こった殺人事件だった。
〈なぜ失踪しなければならなかったのか〉冬木の疑惑は深まっていく……。
 現代人の愛を、叙情豊かに描いた長編推理の傑作。日本推理作家協会賞受賞作。(粗筋紹介より引用)。
 1973年、第28回日本推理作家協会賞受賞作。書き下ろしによる、夏樹静子初期の代表長編作。

 カッパノベルスでも読んでいるし、双葉の協会賞受賞作全集でも読んでいる。それなのに、冒頭のボーイング機から美那子が消失する場面を除き、ストーリーを全く覚えていなかった。これはショックだったな。
 昭和40年代後半からの、新しい長編推理小説の形。伝統的な謎解きの形を取りながらも、登場人物の心情を深く掘り下げていく。昭和20年代主流の謎解きと、昭和30年代主流の社会派。その双方の持ち味をミックスさせて、長編推理小説の新しい形を作っていったのは、夏樹静子と森村誠一だったといえる。
 本書でも、謎解きの魅力は十分に語られている。冒頭から登場する消失トリック。そして二つのアリバイ・トリック。いずれも魅力的な謎である。ただそこにあるのが、「論理的な推理による解決」ではなく、「足で歩いた捜査による解決」であるのが、本格ミステリファンには受け入れられにくいところではないだろうか。
 この頃流行った蒸発というキーワードを中心に、幾つかの愛のかたちを登場させていく。やはりこの女性心理の巧みな描写が、この人の持ち味だろう。そして、推理の要素を絡ませていくことにより、一つの作品を生みだしていく。
 本書は一部登場人物の行動に無理があること、冬木の妻がほとんど登場しないことなど不満な点もあるのだが、夏樹静子本来のテーマである、女性を主軸としたサスペンスの原点ともいえる作品である。夏樹静子の本格的なスタートは、この作品にあるだろう。




森村誠一『致死海流』(光文社 カッパノベルス)

 犬吠埼沖に漂う若い女性の死体――着衣の状況、潮流から彼女は八丈島航路「フリージア丸」の乗客・宇根沢望と判明した。一方、八丈富士登山中、行方不明となった岩井輝子は絞殺死体で発見された。彼女も「フリージア丸」に乗船していた! しかも、同行の男は単身、帰京している。宇根沢と岩井の接点を求めた捜査陣は、二人のユースホステル会員証をもとに、和歌山県勝浦にとんだ。そこに残された宿泊名簿から、掲示は重大な手がかりをつかんだが……。アリバイと密室のトリックに真っ正面から取り組んだ著者久々の書き下ろし本格推理!(粗筋紹介より引用)
 1978年、カッパノベルスから発売された、著者5年ぶりの書き下ろし作品。

 森村誠一は今でこそ色々なタイプの小説を書いているが、乱歩賞受賞作『高層の視角』から長く本格推理小説を書き続けていた作家である。本書はそんな森村誠一が久しぶりに書き下ろした本格長編推理小説であり、密室とアリバイトリックが立ちはだかると書かれているから結構期待を持って読んでみた。その結果はというと、どうも今ひとつという感は否めない。
 物語の途中で解明される密室トリックは単純でしかも簡単に警察にわかってしまうのが期待はずれだが、アリバイトリックはそれなりに考え抜かれたものである。警察という組織集団の中で、様々な刑事たちが賢明に事件に取り組む姿も、今まで氏が書いてきた様々な本格推理小説の姿と変わらない。では、何が気に入らないのか。それがわからないから苛立たしいのだが、読んでいて退屈だったことは事実だ。読者を引きつけるアルファが足りなかった。それは謎解きのカタルシスだろうか。そう思うしかない。
 書き下ろしで、本格推理小説の形にこだわった分、小説の面白さが削られてしまった。結果として、本格推理小説の魅力も失われてしまった。そんな気がする作品である。

 ただこれ、『森村誠一読本』で傑作と呼ばれた作品らしい。本が手元にないので、後日確認しよう。昔誰かが、これは傑作だと評した記憶がある。どこがよかったのかなぁ……。




多島斗志之『CIA桂離宮作戦』(徳間文庫)

 極寒の地シベリアを肥沃な穀倉地帯にする!!――これは建国以来のソビエトの夢だ。その実現のためにソ連は「気候改造」を計画している、との情報をキャッチしたCIAは、日本の内閣情報調査室に共同作戦を提案してきた。内閣室長稲月修造とCIAのバリンジャーの作戦は、来日中のソ連国家計画委員会議長ミハイルを誘拐して尋問しようというものだ。そして、その場所に選ばれたのが、京都の桂離宮だったが……。(粗筋紹介より引用)
 1987年3月刊行『ソ連謀略計画(シベリア・プラン)を撃て』を改題。

 ソ連による気候改造計画を阻止するため、来日中のソ連要人を誘拐して尋問する。一歩間違えば国際問題に発展するような計画であるが、計画そのものはとても単純である。シンプル・イズ・ベスト。単純な計画ほどわかりやすく、騙されやすい。
 そしてまた、物語もシンプルに創られている。最近の作家なら、計画に関わる人たちの生い立ちや背景、内面などをもっと深く掘り下げていくだろう。……掘り下げると描けば聞こえがいいが、実際は無駄なページの使い方でもある。登場人物に感情移入させるために、余計なことを書いているだけのことだ。本書のように最小限の描き方でも、必要なことさえ描いてあれば、読者は登場人物に共感し、物語に没頭することができるのだ。
 今から20年近く前に発表された作品である。ソ連やKGBが出てくるなど、時代設定は古い。だからといって、物語自体が古びているということはない。時代設定さえ把握してしまえば、あとは物語の魅力に取り憑かれることは間違いない。
 ただ、あまりにもシンプルすぎるという声が挙がるかもしれない。特に最近の重厚な冒険小説になれてしまった人から見たら、物足りなさを感じるだろう。あと、このタイトルはあまりにも陳腐。もうちょっと何とかならなかったのか。絶対タイトルで損をしている。




大沢在昌『秋に墓標を』(角川書店)

 千葉・勝浦の別荘地で、松原龍は静かな生活にこだわり続けていた。ある日、浜辺で杏奈という女と出逢い、捨てていた恋愛感情を呼び起こされる。エージェントから逃げ出してきた杏奈を匿おうとするが、彼女は失踪してしまう。龍は己の恋愛感情と杏奈とのあるべき距離を確かめるために彼女を追う。
 殺し屋、CIA、FBI、チャイニーズマフィア、警視庁、複雑に絡む巨大な悪の罠、龍が心の底から求めていたものは!?
 男と女の新しい関係を、いままでにない形で描くハードボイルドの新境地。(帯より引用)
 「野性時代」1994.12~1996.9、「カドカワミステリ」1999.12~2002.2まで連載。

 新刊で買って、今頃読む。まあ、いつものことだ。
 大沢流、女を追いかける男のセンチメンタル・ハードボイルド、といったところ。主人公のどこに惚れるんだ?と登場人物に聞いてみたくなってしまうところだが、それはもてない読者の僻みだろう。
 読んでいる間は面白いし、先の展開が気になって仕方がないのだが、読んでしまうと意外に呆気ない。事件に関わる組織がでかい割に、関わる人物が皆間抜けに見えてしまうのは問題だろう。そのせいで、物語に緊迫感が足りない。それでも読者を引っ張る力はさすが大沢とうなってしまうのだが、力業だけで終わってしまうのは残念だ。
 連載で書いている間に、どんどん構想が膨らんでしまったのだろうな。前半のしっとりとしたムードで終われば、それこそ新しいハードボイルドになったのかと思うと、残念だ。




蒼井上鷹『九杯目には早すぎる』(双葉社 FUTABA NOVELS)

 朋美に頼まれた蓑田が尾行していた男は、寿司屋でどんぶりの中に寿司と茶碗蒸しをぶちまけて、かき混ぜてぐちゃぐちゃにしたものを食べた。第58回日本推理作家協会賞短編賞候補作「大松鮨の奇妙な客」。
 不倫相手との逢瀬から帰ってきた男は、夫相手に不倫をうまくごまかすことができたが。ショートショート「においます?」。
 インターネットで小説を公開していた相尾につきまとうストーカーの正体は。「私はこうしてデビューした」。
 朝から食卓にギネスがある幸せ。ショートショート「清潔で明るい食卓」。
 お気に入りのバーでつきまとうようになった初老の客にいらつく男。「タン・バタン!」。
 ストーカーに悩む美人ミステリ作家に男が提案したのは、替え玉を用意することだった。ショートショート「最後のメッセージ」。
 バーテンダー見習いのノリオは花粉症だった。憧れである客の女性からいい病院を紹介してもらったが。「見えない線」。
 美人バーテンダーに向かって客が言った。「九杯目には早すぎる」、と。ショートショート「九杯目には早すぎる」。
 日曜の夕方、佐伯は近所に住む上司に見つかり、居酒屋で飲む羽目になった。そうしたら、上司にも自分にも予期せぬ事態が生じた。第24回小説推理新人賞受賞作「キリング・タイム」。
 酒や酒場にまつわる9つの短編を集めた、作者のデビュー作。

 本屋で見かけ、思わず手に取ってしまった短編集。久しぶりに本が私を呼んでくれた。「酒や酒場にまつわる」と書いたが、実際のところ酒にあまり関係のない話もあるから、ちょっと強引なつなぎ合わせか。まあ、そんなことはどうでもいい。
 この作者、一言でいえば、肩すかしがうまい。振りかぶったときはカーブの握りなのに、バッターの手元に来たときはなぜかシュートしている。そんな感じの、奇妙な味わいがたまらないのだ。例えば「大松鮨の奇妙な客」。尾行されていた男が寿司屋で奇妙な行動をとる。ミステリファンなら、有名なトリックを思いつくだろう。ところがどっこい、作者は……、おっとこの先は読んでからのお楽しみ。まあ、肩すかしを食らって、呆気にとられたまま終わる作品もあるのだが。
 「キリング・タイム」にしろ、「大松鮨の奇妙な客」にしろ、事件に巻き込まれる登場人物の慌てぶり・情けなさが何ともいえない笑いを醸し出している。また逆に、犯罪に手を染めようとしている登場人物のみみっちさ、せこさもいい味わいだ。コメディとも違うのだが、ブラック・ユーモアやサスペンスでもない。うーん、なんといえばいいのか。「奇妙な味」としかいいようがない。異色作家短編集の「奇妙な味」とも違う味ではあるが。
 ショートショートなら表題作を選びたい。本格ミステリファンなら当然思い浮かぶあの作品が、作中でうまく使われている。
 作品の出来に波があるところや、状況説明や人物描写が今ひとつでわかりにくい(「私はこうしてデビューした」は書き直しさせたいね)などの欠点もあるけれど、この人は化けるよ、絶対。さすがに本作品がベストに入るとまではいわないが、今から注目しておくべき作家であることは間違いない。



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