司田武己『手塚治虫バカ一代』(集英社インターナショナル)
石川栄基。京都市にある古本屋の主人。滅多に開かないその古本屋には、手塚治虫を初めとした古い漫画がひしめき合っている。そして彼は、手塚治虫ファンクラブ・京都の会長であり、日本一の手塚コレクターであった。
石川栄基はバンドマンを経て、京都で古紙回収業を始める。そのうち、「ちり紙交換」の方法を考案。一年も経たないうちに中古一トントラック10台を買い集め、従業員を雇う。三年後には月の売り上げ1000万円を超えるようになった。手塚ファンであった石川は、ちり紙交換で回収した古本の中にあった「おもしろブック」「少年」「冒険王」などのマンガ雑誌やマンガ本を集めるようになる。そして昭和50年、京都でマンガ専門の古本屋を開業した。
その後石川は手塚治虫ファンクラブ・京都を設立。会報「ヒョウタンツギタイムス」や復刻本を発行していく。手塚の死語、石川は「漫画少年」掲載版『ジャングル大帝』を復刻した。「黒人差別の会」などの抗議運動を跳ね返しながらである。
手塚治虫という男に魅せられた男の執念。本当に手塚バカ一代である。それだけの魅力が、手塚作品にはある。人生を賭けてもいい、そう思わせる魔法が。手塚ファンならずとも、この執念には恐れ入るだろう。一人のファンが、ここまでする事が出来るだろうか。帯にあるとおり、“手塚先生は僕の人生だった”という言葉が、全てを物語っている。人生そのものだからこそ、ここまですることが出来たのだ。一人の神様に魅入られた男の伝記、それが本書である。
本書にはもう一つの姿がある。マンガ専門古本屋の歴史だ。もちろん、石川が取り扱った古本屋のみのことであるが、粗である石川のことを語るのは、そのまま一つの歴史になるだろう。
巻末には手塚全集未収録の「大自然と空想」「空気のたらぬ國」「午后一時の怪談」の短編3本が載っている。これだけでも手塚ファンには貴重なはずだ。
麻耶雄嵩『名探偵 木更津悠也』(光文社 カッパノベルス)
名探偵とは何か。神。選ばれし存在。絶対の頭脳。類い希なる自制心。そして羨望の眼差しで見つめるワトソン役。木更津悠也は名探偵として存在し続ける。
京都の町に出没する白い幽霊に導かれるように、4つの事件が発生した。木更津悠也は、いかにして事件を解決に導くのか。
「ジャーロ」他に掲載された4短編を収録。
麻耶雄嵩といえば、一癖も二癖もある本格ミステリの書き手だが、短編でもそれは変わらない。ただ本短編集に限っていえば、スタイルは本格ミステリの王道と変わらない。事件が発生し、誰もが見落としそうな手がかりから名探偵が謎を解く。名探偵自身も、いわゆる名探偵と世間一般で言われている名探偵そのままの姿である。ではどこが違うとかというと……これは読んでみてもらうしかない。多くのところで既に書かれていることであるし、ネタバレとは違う内容ではあるが、やはり自分の目で確認してもらった方が驚くはずだ。
名探偵とは何か。こういう切り口からの本格ミステリというのは面白い。私は後期クイーン問題などには興味がない。名探偵とは事件の謎を解き明かす存在。それ以上でもそれ以下でもない。罪を裁くということは、名探偵の仕事ではない(例外もあるが)。では、どうすれば名探偵は名探偵と呼ばれるようになるのか。切り口を変えれば、まだまだ面白い本格ミステリに出会うことが出来そうだ。
古めかしい洋館戸梶邸で資産家の主人が刺殺された。相続問題で揺れている戸梶邸であったが、関係者にはみなアリバイがあった。切り取られた犯行現場のカーテンから、事件の謎を解く木更津。「白幽霊」。ちょっとした手がかりから一気に解決まで進む推理と、その手がかりを提示する実朝の姿が面白い。
半年前から失踪したままの友人。学園近くで発生する白幽霊は失踪した彼女ではないか。そしてまた、彼女の友人が部室で殺害された。「禁区」。この作品も、事件を解決する手がかりが素晴らしい。誰もが見過ごしそうな手がかりであるし、それが再現させた芝居でわからせるという手法も見事。本短編集のベスト。
木更津の元へ現れた依頼人は、酔っぱらって交換殺人を受託したというサラリーマンであった。自分が殺すはずだった男性が殺害されている。しかし自分は犯人ではない。次に危ないのは、殺害を依頼してしまった妻だ。だから、犯人を捜してほしい。木更津が見つけた意外な事件の真相は。「交換殺人」。事件の推理そのものはかなり苦しいが、交換殺人という古典的なトリックに、一風変わったアイディアを加えた工夫は買いたい。
埋められていた死体は、一年前に失踪した女子大生であった。彼女の父親から依頼を受けた木更津は、事件解決に乗り出す。手がかりは、時間外に返却された一本のビデオテープ。ところが、父親まで殺害された。「時間外返却」。二番目の殺人の動機はちょっと無理があると思うし、事件解決の爽快感も今一つ。ただ、名探偵とは何かというスタンスを極限まで追求する木更津が面白い。
馳星周『長恨歌 不夜城完結編』(角川書店)
武基裕。残留孤児二世として日本の地を踏んだ、生粋の日本人。しかし、それは偽りの経歴。両親はともに中国人。戸籍を改竄し、日本人として日本の地を踏むことができたのだ。かつては普通の企業で働いていたが、リストラ後は新宿の韓豪の下で働いている。そしてまた、公安の麻取、矢島茂雄のスパイとして落ちぶれている。
韓豪と日本の暴力団東明会との話し合い中、謎の二人組が韓豪たちをショットガンで皆殺しにした。近くで見張りをしており、現場を目撃した唯一の人物である武の元に、矢島、東明会、韓豪の部下が事件の謎を追えと迫る。手掛かりのない武は一人の情報屋を矢島に紹介してもらう。歌舞伎町のかつての大物、劉健一だった。
事件の謎を追う武は、打ち合わせに入ったクラブで幼なじみの中国人女性と出会う。経歴を偽っている武は、自分がその幼なじみであることを打ち明けることができない。
誰が事件の黒幕なのか。振り回される武の前に降りかかる様々なトラブル。武は安らぎを求めることが出きるのか。
「野性時代」2004年2月号~10月号連載。『不夜城』『鎮魂歌』に続く不夜城シリーズ完結編。
『不夜城』『鎮魂歌』と立て続けに出版した頃の馳星周の勢いとパワーはものすごいものがあったと思う。ただ、その後となるとどうだろうか。話題に上がったのはせいぜい大藪賞を受賞した『漂流街』や直木賞の候補作ぐらいじゃないだろうか。いやな言い方をすれば、馳は処女作をピークとしている。もちろん作品の完成度でいえば『不夜城』を越えている作品はあるだろうが、衝撃度という点では及ばない作品ばかりである。馳はこのまま転がり落ちるのか。
『長恨歌』は「不夜城完結編」のサブタイトルがあるとおり、劉健一などが登場する。主人公は経歴を偽った偽日本人武基裕。様々な人や組織から駒として扱われながらも、必死にあがく姿は読者の共感を呼ぶ。時が過ぎ、新たなる新宿の姿が描かれている。普通に読めば、面白いジャパニーズ・ノワールだと思うだろう。
だが、『不夜城』『鎮魂歌』をすでに読んでしまったものから見たら、やはりこれは『不夜城』の二番煎じでしかない。二番煎じという言い方が悪ければ、焼き直しだ。時が過ぎようとも、登場人物が変わろうとも、やっていることは全然変わらない。景色が変わろうと、全体を流れるトーンは一緒のまま。完結編とあるからには、やはり何か違うものを見せてほしかった。
馳星周はどこへ行くのか。というより、行く場所があるのか。今のままでは、『不夜城』の作家で終わってしまう。数多くのハードボイルド・冒険小説作家は、デビュー作よりインパクトのある作品を書き続け、巨匠という地位を築いてきた。しかし、一部の作家はデビュー作を越えることができず、そのまま並の作家へと堕ちていった。才能のある作家だと思うので、馳には今後新たなる代表作を書いてほしい。
山下武『探偵小説の饗宴』(青弓社)
夢野久作から小栗虫太郎、海野十三、浜尾四郎へと主菜は続き、東西名探偵生みの親のカクテルに酔い痴れて、埴谷雄高、香山滋、山本禾太郎が卓上狭くする探偵小説の満漢全席―――いざ喰らえ!(帯より引用)
筆者が探偵小説について様々な雑誌・新聞に書いた文書に、埴谷雄高、香山滋、山本禾太郎についての書き下ろし132枚を足した評論集。
“饗宴”という言葉がぴったり来る評論集。夢野などの戦前探偵小説に関する文章から、清張や夏樹静子についての文章、内外ミステリの解説など色々な視点からの文章が面白い。しかし圧巻は書き下ろし三編。「探偵小説的『死霊』論」「海鰻荘主人・香山滋」「『小笛事件』の謎―山本禾太郎論」である。古書好き、探偵小説好きの文学者らしい視点が、読者を作家の世界へ引きずり込む。探偵小説って、これだけ煌びやかな世界なんだと思わせる一冊である。
最期に読んでいて心に打たれた文章を一つ。といっても、これは山下武ではなく、埴谷雄高の言葉であるが。
埴谷は戦後の推理小説界の本格物偏重の傾向を傾向を危ぶみ、「探偵小説とはかくのごときものという定義づけが、探偵小説の枠を拡げる方向にでなく、却って、狭める方向に動く」「探偵小説とはこのようだという定義にこだわるのは、探偵小説が本来もっている多様な性質を狭める危険性がある」と語った。
岡山ペンクラブ編『岡山人じゃが2 〈ばらずし〉的県民の底力』(吉備人出版)
2004年12月に出版された『岡山人じゃが―ばらずし的県民性論』の第二弾。第一弾は岡山県人自らがそれぞれ得意の分野で人物を選び出して論じた、岡山県人論集ともいうべき本で、県内書店でベストセラーに入るほどの売れ行きとなった。
第二弾もまた、いろいろな分野で岡山県人を論じたユニークな作品集となっている。中国銀行を築いた銀行マン守分十、日中交流に尽力した文化人吉備真備や雪舟・犬養木堂他、津山の洋学者宇田川玄真など日本の近代化をリードした岡山ゆかりの洋学者たちなどが紹介されている。
今回ここで取り上げたのは、「第六章 探偵小説から県民性を推理する(やこ無理じゃろ?)」を紹介したいからである。執筆者は青山融。岡山弁研究の第一人者で、『岡山弁JAGA!』(アス)などの著作がある。全国のテレビで出演したことがあるほか、地元ではテレビ・ラジオのレギュラーを持ったこともあり、岡山弁の講座も各地で開いている。そして、ミステリ好きとしても知られている。
とはいえ、いくら何でも探偵小説から県民性を推理するなんて無謀すぎる。本人もそのことは十分に承知しており、だからカッコ書きで「やこ無理じゃろ?」と逃げを打っている。ちなみに「やこ」とは「~なんか・~なんて」という意味の岡山弁の助詞である。
そしていきなり登場するのは『サユリ・マイ・ミステリー』。おいおい、と思う人も多いだろうが、それは読んでみてのお楽しみ。そして岡山県内を舞台にしたミステリの紹介が続く。トラベルミステリー流行のおかげで、殺人事件が起きるようになったが、岡山も例外ではなく、様々な場所が舞台となっている。岡山県内に移り住むまでは、岡山が舞台かどうかなどと気にしたことがなかったため、意外な作品が岡山を舞台にしていることに結構驚く。戦前を代表する翻訳家延原謙と妹尾アキ夫が津山出身だとは知らなかった。水車館が岡山県にあるというのも覚えていなかった。
そして最後に辿り着くのは、当然横溝正史。そして横溝正史疎開時代のエピソード、さらに舞台紹介へと続く。そして最後に執筆者が辿り着いた結論とは……、たったこれだけかい(笑)。これも一つのどんでん返しか。
はい、最後は笑わせてもらいました。
これ、全国の本屋でも買うことができるのかな? こういう視点でミステリと県民性を論じるのって、面白いですよ。他の県でも、誰か書いてくれないかな。
道尾秀介『向日葵の咲かない夏』(新潮社)
明日から夏休みという終業式の日、小学校を休んだS君の家に寄った僕は、彼が家の中で首を吊っているのを発見する。慌てて学校に戻り、先生が警察と一緒に駆け付けてみると、なぜか死体は消えていた。「嘘じゃない。確かに見たんだ!」混乱する僕の前に、今度はS君の生まれ変わりと称するモノが現れ、訴えた。
―――僕は、殺されたんだ。
半信半疑のまま、僕と妹・ミカはS君に言われるままに、真相を探る調査を開始した。(帯より引用)
『背の眼』で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビューした著者の受賞第一作。
帯の言葉が凄い。「分類不能、説明不可、ネタバレ厳禁! 超絶・不条理(でもロジカル)ミステリ」。おまけに『本気で「物語をつくる」ってのはこういうことさ!』とまで書かれると、一応は読んでみようかという気に……ならないな、これは。ここまで煽られた帯に何度騙されたことか(笑)。本格ミステリ大賞にノミネートされなければ、手に取ることはなかっただろう。
読み終わるまでが凄く苦痛だった。書かれている文章そのものは平易だけど、内容を理解するのが難しい。表面的に書かれていることは理解できるのだが、主人公や登場人物の考え方・行動が理解できない。ロジカルな部分の後に、ホラーというか不条理な文章が続き、物語がひっくり返る。何が真実なのか、わからなくなるばかりだった。
最後で幾つかの謎が解けるのだが、全てを理解することは不可能だった。これって単に私の読み込みが浅いだけ? 「物語をつくる」って、皮肉な意味で使われているとしか思えない。不条理ミステリという部分だけは納得するな。“ロジカル”な部分があるのも事実だけど、選考委員はよくこれをノミネートしたものだと感心してしまう。たぶん、私には気付かない素晴らしいところがあるのだろう。こういうのが好きな人には、はまるんだろうね。
生理的に受け付けない作品。まともな評価でないことは承知しているけれど、理解できない気持ち悪い作品を無理に褒めたりしようとも思わないし、美点を見つけようとも思わない。もちろん、これは個人的な意見であり、この作品を褒める人もいるはずだ。好き嫌いの別れる作品、という評価でいいだろうか。
夏樹静子『デュアル・ライフ』(新潮文庫)
若き日の過ちを償いたい、将来を誓い合いながら、心ならずも裏切った恋人に償いをしたい。死の病の恐怖から解放された男は、周囲に流されるだけだったこれまでの人生を振り返り、虚しさをおぼえる。――女は一人で生きていた。あまりに過酷な現実に耐えるためか、男の記憶を全て消し去って。20年ぶりの再会から始まった二人の二重生活は、何とか軌道に乗るように見えたが……。(粗筋紹介より引用)
「サンデー毎日」1993年8月1日号から1994年4月24日号に連載。1994年11月、毎日新聞社より刊行された作品の文庫化。
義父から地方ゼネコンを引き継いだ男が、癌の恐怖から解放され、思い出したかつての恋人。偶然の再会から始まった二重生活(デュアル・ライフ)。男にとっては実に都合のよい設定である。妻とかつての恋人(=愛人)という二人の女から見たら、勝手すぎると言いたくなるだろう。これを書いたのが女性である夏樹静子というのが面白い。
これを書いていたとき、夏樹静子は原因不明の腰痛で椅子にも座れないぐらいの状態であったらしい。ほとんどの連載を延期してもらっていた中で、唯一書き続けたという本作品は、作家夏樹静子と、主婦である彼女の二つの生活を投影したものであったのかもしれない。主人公をあえて男性にした理由はわからないが、彼女の隠された本音がそこにあるのだろうと思われる。残念ながら私には見つけられなかったが。
本書はミステリではない。身勝手な男による都合のよい夢の具象化と、その結末を書いた作品である。都合のよすぎる夢はいつか壊れるものであり、主人公にしても例外ではない。もしかしたら夏樹静子は、腰痛による作家生活・主婦生活が壊れてしまう恐怖を、本書に投影することで、逆に逃れようとしていたのかもしれない。
山村正夫『名探偵紳士録』(ごま書房 ゴマブックス)
(前略)
名探偵はもはやミステリー・ファンだけの憧れのヒーローではなくなった。テレビのクイズにも、明智小五郎や金田一耕助が出題される時代である。ポピュラーな名探偵の名前は、今や一般常識になっていると言ってもさしつかえない。そうした知識に疎いようでは、今後は現代人としてのセンスに欠けるということになるかもしれない。
本書はその意味での広範囲な読者を対象に、内外のおびただしい作品に登場する名探偵を一堂に集め、彼らの個性的なキャラクターや探偵法の特色などを、紳士録風に紹介したものである。私立探偵あり、女流探偵あり、現役の刑事や警察官ありで、さまざまなタイプに分かれ、文字通り、世界の名探偵のせいぞろいと言っていい。
これまでにも、彼らについて触れた類書はあるが、まだ一冊にまとまったものはなく、その意味で本書が決定版になるのではないかと、いささか自負している。それに、推理作家諸氏や大学ミステリー連合の諸君のベスト・テン、名探偵年表、名探偵クイズなどを付して、その点でも楽しんでいただけるように工夫したつもりだ。
したがって、一般の読者には名探偵のガイド・ブック、マニアの読者には格好の名探偵辞典となるはずである。ミステリー通と自負される方は、索引に挙げた名前のうちはたして何人知っているかを試してみられるのも一興だろう。
(後略)
(「まえがき」より抜粋)
1977年3月刊行。執筆協力スタッフ、青山学院大学推理小説研究会。
名探偵の国籍、初登場年、主要登場小説、生みの親、職業or勤務先、そして名探偵を取り巻く経緯やエピソード、探偵法、さらには生みの親である作家のエピソードなどが2~3ページに渡って、名探偵のイラスト入りで書かれている。登場する名探偵は内外合わせて48人。海外ではコロンボを除くとカート・キャノンが一番新しいというのは、1977年に編集されたわりには少々古いセレクトである。国内では中村雅楽、物部太郎、吉田警部補といった珍しいところが掲載されている反面、若さま侍、むっつり右門という意外なセレクトもある。
「まえがき」では『彼らについて触れた類書はあるが、まだ一冊にまとまったものはなく』と書かれてあるが、すでに藤原宰太郎『世界の名探偵五十人』という類作があるので、必ずしも「決定版」と言い切れるものではない。名探偵のガイド・ブックというからには、もう少し新しめの名探偵を入れてほしかったところである。
内容としては、可もなく、不可もなくといったところか。大学の研究会が協力しているにも関わらず、マニアックな視点がないのには好感が持てる。それに『黄色の部屋』のルールタビイユが、連載初期は違う名前だったといったエピソードが載っているところは嬉しい。
本書で嬉しいのは、付録に載っている「映画に出演した名探偵たち」「名探偵年表」である。ブラウン神父が映画になっていたとはびっくりした。それに『刺青殺人事件』も映画になっているんだね。これは一度見てみたい。
一度読んでみても損はしない。そんな一冊ではある。
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