大藪春彦『熱き逃亡者』(角川文庫)

 拾ってもらった組長を殺害し、情婦と駆け落ち。しかも金庫から2億円の現ナマを持ち出した片山。逃亡の果ての結末は。「雨よ、もっと降ってくれ」。
 博打で一千万円以上の借金を背負っている安西一郎。羽田空港の貨物搭載係として働いて4ヶ月目。ジェット機墜落事故のどさくさに紛れ、ダイヤの原石やドルを奪って大阪に逃走した。しかし、追っ手は少しずつ迫っていた。「負け犬」。
 親の遺産を先取りして航空会社を作ったが、客が来ずに倒産寸前だった北島のもとに黒川という客が来た。ところが黒川は、ジェット・コマンダーに載っている途中で運転手の北島を眠らせてしまう。目を覚ました北村が見たのは、南の島で王となっている黒川だった。「人間狩り」。
 惚れた女のために組を抜けてタクシー運転手になった沖田。しかし元は中堅幹部で、しかもヘロインを持ち出していた沖田を組が見逃すはずもなかった。「逃亡者」。
 金に不自由せず、人生に退屈しきっていた大月昌也。バカにされた女を見返すため、特訓を重ねクラブ・レースで優勝することができたが、女が誘拐されたことを知る。さらに昌也自身も誘拐され、連れてこられた場所は。「女狩り」。
 拳銃を持った二人の男が街に入った。その目的は。「拷問」。
 自衛隊上がりの警備員杉田は、現金輸送車を運転中、強盗たちに襲われ、現金を奪われる。そのとき、犯人たちはなぜか杉田のことを「仲間」と呼んだ。そのため、警察に連れていかれたが、証拠不十分で釈放される。警備会社を解雇された杉田は、復讐を誓った。中編「切札は俺だ」。
 1960年代に書かれた作品を集めた短編集。

 大藪初期作品集。後半の作品を除き、いずれも逃亡する男たちを主人公にしている。大藪作品といえばやはり追いつめる側、計画を冷静に履行する立場の男たちが主人公であることが多いので、このような逃亡する男たちというのは珍しいシチュエーションである。しかし、追いつめられた男たちが最後に放つエネルギーは、他の大藪主人公と変わらない輝きを持つ。むしろ追いつめられた分、爆発するパワーは今までの数倍となっている。
 例外といえば「負け犬」の主人公、安西か。安西は負けばかりの人生を徹底的に歩んでいる。その人生が最後まで変わることはない。大藪らしからぬ一生を辿る、可哀相な人物である。
 「人間狩り」「女狩り」は島での人間ハントもの。今の日本では考えられない設定であるが、戦後すぐならこういう設定も十分リアリティがあったのだろう。
 「拷問」は大藪らしいオチが効いた作品。ただ、これも今の日本では実行不可能であることを付記しておく。
 「切札は俺だ」は大藪流正調ハードボイルド。やられたら、それ以上のことをやり返すという姿は、初期~中期の大藪作品によく見られる姿である。順調に行きすぎるところがかえって不満か。中編の限界だろう。




いしいひさいち『COMICAL MYSTERY TOUR 4 長~~いお別れ』(創元推理文庫)

 4コマ漫画の奇才、いしいひさいちはミステリファンとしても知られており、ミステリネタを取り扱った作品も少なくない。本作品集は、前3作に続く、ファン待望の一作。国内・海外における近年の傑作をパロディ化した作品を集める。
 ホームズ全作品をパロディ化し終わったので、もしかしたらもう出ないのではないかと思っていたが、「ミステリーズ」「ジャーロ」などであれだけ書いていれば、本が出るほど作品が溜まるのも当然か。それにしても、あれだけの連載を抱えていながら、よくぞこれだけのミステリを読み、さらにパロディにすることができるものだと感心してしまう。ただ、海外作品を中心に、原作を読んだことがない作品が多いので、オチなどにピンとこない作品があるのだが、それは仕方がないところか。
 ミステリファンでなくてもクスッと笑い、ミステリファンならニヤッと笑い、原作を読んでいればさらに爆笑してしまう作品集。いしいひさいちはやっぱり天才である。




夏樹静子『黒白の旅路』(講談社文庫)

 妻ある中年男と伊豆の山中で睡眠薬心中を図った女子大生立夏子が蘇生してしまった時、傍らの男はナイフを突き立てられて殺されていた。どんな事情が秘められているのか。身の証を立てようと謎を追う立夏子の前に、次々露呈される奇怪な事実。愛の複雑さが生む悲劇を澄明なタッチで描いた、傑作推理長篇。(粗筋紹介より引用)

 夏樹静子の代表作を挙げるとき、この作品も挙がることが多い。そういう意味では非常に楽しみにしていたのだが、途中までは今ひとつ。立夏子が蘇生後の行動がちょっと単調なのだ。逃避行、調査、理解者との行動などがありきたりと言ってしまえばありきたり。よくあるパターンといってしまうと語弊があるかもしれないが、いつかどこかで見たことがある状況である。ちょっとがっかりしていたが、クライマックスに近づくにつれ、少しずつ面白くなり、物語に引き込まれていった。こうも簡単に素人にぺらぺら喋るなよ、と思いながらも、事件の意外な真相が解かれていくところは巧い。特にクライマックスは、やられたと思ったね。あまり意味がないと思っていた描写や心理などが、最後の方に結びついてくるのはさすがだった。確かにこれは、愛の複雑さが生んだ悲劇である。クライマックスにおける犯人の供述が、とても哀しい。
 なるほど、これは代表作に並べられる作品である。女性心理の描写とサスペンスの引き出し方が巧い。これで序中盤がもう少し盛り上がる要素があれば、と思うと、その一点が残念である。




津村秀介『西の旅 長崎の殺人』(祥伝社 ノン・ポシェット)

<被害者は、誰を殺したのか?>長崎の一流ホテルで置きた殺人事件に興味を抱いたルポライター浦上伸介は、被害者野山が「長崎駅近くのホテルで女を殺したらしい(・・・)」と漏らしていたという情報を入手した。この情報を追うことこそが、野山を殺した犯人に辿り着く早道と思われた。が、該当する殺人事件は皆無であった。では、被害者は誰を殺し、誰に殺されたのか……!?(粗筋紹介より引用)
 1989年10月、祥伝社ノン・ノベルより刊行された作品の文庫化。

 津村作品のシリーズ・キャラクターである浦上伸介が事件の謎を解き明かす、津村秀介お得意のアリバイもの。前半は犯人さがし、そして後半は犯人のアリバイ破りが中心となっている。
 発端はちょっと面白い。夫婦が泊まったホテルの一室で男が殺害された。しかしその男は夫ではなく、全くの別人だった。これには興味をひかれた。モンタージュが作られるが、そこで捜査は行き詰まる。ところが浦上たちは犯人である夫婦を簡単に見つけてしまう。地の利があったとはいえ、かなり安易。まあ、実際の事件なんてそんな物かも知れないが。おまけに事件の動機まで簡単に探り当ててしまうので、そこで完全に興醒め。後半はアリバイ破りに費やされるのだが、前半の呆気なさに比べると、歩みが遅すぎてもどかしい。
 アリバイ破りそのもののトリックは結構考えられて作られているのだが、これだけのトリックを考える頭脳を持っているのなら、まず最初に疑われないような行動をとれよ、と言いたくなる。この辺のちぐはぐさが、好きになれない。
 知り合いからもらったので、浦上伸介シリーズを初めて読んでみたが、こんな程度なのかなと思ってしまった。読者の眼を引きつけようとするのは巧いが、そこ止まり。流して読まれるのを目的としているのなら、成功しているかも。




建倉圭介『DEAD LINE』(角川書店)

 サンフランシスコ生まれの日系二世、ミノル・タガワはカリフォルニア大学で電気工学を専攻していたが、日本とアメリカの戦争が激しくなった1943年、日系人強制収容所に入れられる。父・母・妹は人質交換船で日本に帰るが、ミノルは日系人部隊に入り、1944年5月に欧州戦線に従事。ドイツ軍に囲まれたテキサス大隊を救出した。しかし9月に負傷し除隊。特級射手章とパープル・ハート勲章(名誉戦傷章)をもらった。その代わりに、左目の視力を失い、心に深い傷を負う。ペンシルベニア大学に編入後、旧友の推薦により世界初の電子式汎用計算機エニアックの開発プロジェクトに入る。ジャップと呼ばれる偏見の中、彼は研究に没頭し、成果を次々に上げていく。プロジェクト顧問である数学者フォン・ノイマンとの交流、さらに大学時代の旧友エリザベスの話より、ミノルはニューメキシコ州ロスアラモスで原子爆弾が開発されていること、そしてその標的が日本であることを察知する。エニアックを巡るスパイ戦に巻き込まれ、設計図の窃盗犯、さらに殺人犯の汚名を着せられたミノルは、ロスアラモスに潜入。投下が間近なことを知ったミノルは、酒場で知り合った日系混血のダンサー、エリイ・サンチェスとともに日本への密航を決意する。ミノルは「降伏」を政府にすすめるために、エリイは連れ去られたわが子を取り戻すために。残された日はわずか。二人は北米大陸を横断し、アラスカを経由して千島列島へ。しかし原子爆弾の情報が漏れたことを知った米軍は、彼らを捕まえるべくチームを派遣した。

 建倉圭介は1997年に『クラッカー』で第17回横溝正史賞佳作を受賞してデビュー。翌年に『ブラック・メール』を発表後、8年間の沈黙を破って本作を発表……という経歴になる。建倉圭介という作家で思いつくことは、『クラッカー』がパソコンを取り扱った作品であるということと、ドラマ化されているということぐらいだ。
 「ミステリマガジン」で西上心太が絶賛しているので、読んでみることにしたのだが、これが大当たり。帯を読んでもそれほど期待できなかったのだが、いい意味で裏切られた。「心をゆさぶられる戦争冒険小説の大傑作」という言葉に偽りはなかった。
 前半のエニアック開発の部分から一気に引き込まれる。ミノルが加わったことで、確実に性能がアップするエニアック。専門用語が飛び交いながらも、わかりやすい説明なので読んでいても面白い。しかし、個人の技能だけではどうにもならない人種差別の壁が浮かび上がる。プレスバー・エッカート、ジョン・モークリー、フォン・ノイマンといった実在の人物や架空の人物との交流を通し、エニアック開発に没頭しながらも、ジャップという偏見が永遠につきまとうミノルの苦悩。能力がありながらも周りから評価されないという姿に、当時の日本人に対するアメリカの真実が見えてくる。エッカートなどミノルを高く評価する人物も出てくるが、それはごくわずかだ。実績を目の当たりにしても、個人の能力を評価せず、人種に対するステレオタイプの偏見しか持ち合わすことができないという事実は、人の持つ固定観念が簡単には無くならないという寂しさがある。また、国が進める情報操作、そして情報に洗脳されて何も疑おうとしない国民の恐ろしさを浮かび上がらせる。カルト宗教にはまる人々を、私たちは笑うことができないのだ。
 作者は戦時下のアメリカだけを取り上げるのではなく、後半で他の民族、そして日本における人種差別・民族弾圧についても触れている。自らの人種差別には怒りを覚えながらも、自らが行ってきた人種差別については何も知らない。無知の恐ろしさ。それがこの作品に流れているテーマのひとつであり、それはラストまで貫かれる。
 原子爆弾の情報を日本に伝えるために、ミノルはエリイと逃避行を決断する。ここからのサスペンスあふれる展開が凄い。原子爆弾投下というデッドライン。二人の必死の逃避行。情報が漏れたことを知った米軍による必死の追跡。視点を次々に切り替えることにより、物語は一気に加速し、サスペンス度は一気に盛り上がっていく。そして逃避行で触れ合う人々を通して知る民族弾圧と人種差別。極限化の状況における人との暖かな触れあい。そして個人の想いを全て切り裂く戦争の悲惨さ。様々な人種・立場の人物を縦横無尽に配置し、繰り広げられるサスペンス。最後まで手に汗握る展開。ここまでやってくれれば文句のつけようがない。そしてエピローグにおける冒険の余韻は、最後まで心に残るだろう。人物配置の巧みさは、結末にまで渡っている。
 唯一引っかかるのは、後半部における既視感か。私は特に気にならなかったが、誰かが指摘するかも知れない。確かに原爆投下を巡る冒険小説はいくつか存在する。私は読んでいないが、粗筋だけで判断すると、佐々木譲の某作品は立場こそ違え、設定が似ているかも知れない。しかし読んでいくうちに、そんなことは全く気にならなくなると断言しよう。それぐらい、この作品は面白いのだ。
 相変わらずのへたれな感想のため、この作品の良さをストレートに伝えることができなくて作者に申し訳ない。時間がなくて、と言い訳をするけれど、とにかく面白かった、感動したって早く言いたかった。それぐらい見事な作品。今年のベスト10には間違いなく入るだろう……と言いたいんだが、問題は作者の知名度が低いことかな。『審判』も作者の逆知名度が災いして、あんな順位で終わったからな(と勝手に決めつける)。この作品を読まずして、2006年度のミステリを、そして冒険小説を語るな! とここで煽っておく。




笹本稜平『駐在刑事』(講談社)

 殺人事件の取調中に容疑者の女性が自殺したことで、警視庁捜査一課から青梅警察署水根駐在所所長へ左遷させられた江波淳史。組織に縛られ、駆け抜けてきた結末による挫折と自責の呪縛。傷だらけだった江波は、地元住民の暖かさと、奥多摩の自然によって少しずつ癒されていく。
 山から落ちて死んでいたのは、旦那の借金を背負わされてしまった女性。事故死か、自殺か、他殺か。江波が山中で出逢った若い女性は、山岳ガイドとして女性と親しく付き合っていた。「終わりのない悲鳴」。
 小学5年生の真紀が江波に、島本画伯の様子がおかしいと訴えてきた。真紀とともに島本画伯の家に行ってみたら、島本画伯の姿はなく、血痕が残っていた。「血痕とタブロー」。
 山で知り合った矢島遼子の父親が行方不明になった。老人性鬱病で俳諧癖のある父親が発見されたのは、ワサビ田がある小屋の中だった。隣には若い男の死体。そして手に持っているのは血痕の付いたスコップだった。「風光る」。
 池原孝夫とともに槍ヶ岳北鎌尾根を縦走する池波。途中で一緒になったのは中学二年生の少年。家出をしてきた彼はなぜ登頂にこだわるのか。「秋のトリコロール」。
 真紀とクラスメイトが拾ってきた犬。プールと名付けたその犬はとても賢かった。ところがそのプールが男に浚われた。浚った男が乗っていた車は、前科二犯の暴力団員の持ち物だった。遼子が写真で見つけたプールの持ち主は、殺人事件の被害者だった。「茶色い放物線」。
 トンネルで故障したまま放置されていた車の持ち主は、青梅に住む大学助教授。先日買い物に出かけたおりに盗まれていた。車に乗っていた7歳の息子とともに。「春嵐が去って」。
 冒険小説の旗手が挑んだ異色の山岳警察小説。2004年~2006年、「小説現代」に掲載された六編を収録。

 笹本稜平の新刊は、前作『マングースの尻尾』に続く連作短編集。2004年に『太平洋の薔薇』で大藪春彦章を受賞した前後から、原稿依頼が多くなったと考えればよいのだろうか。『極点飛行』も連載だったし、取材が必要と思われる分野ばかりなのに、よくぞこれだけの量を書き続けられたものだと感心してしまう。
 本作は、作者にしては珍しい山岳警察小説。人との触れあいと捜査が中心となっているが、サントリーミステリー大賞受賞作『時の渚』も私立探偵小説だったし、こちらの方面の作品を不得手としているわけではないようだ。逆の言い方をすれば、フィールドが広いということである。頼もしい。
 本短編集は、心に深い傷を負った江波が山や人を通して少しずつ癒される姿が描かれている。もちろん警察小説なのだから、事件も起きる。人との暖かい触れあいがどれだけ素晴らしいものなのか。自然とはなんと厳しく、美しいものなのか。事件の捜査を通しながら、江波は少しずつ人の心を取り戻していく。定型かもしれないが、短編を一つ読み終わる事に、感動がゆっくりと心に染みていく。
 警察小説であるから、もちろん事件があり、謎があり、そして解決がある。現場に残された意外な証拠から、江波は鮮やかに事件の謎を解き明かす。特に「秋のトリコロール」では、「日常の謎」もので時々見られる”とんでもはっぷん連想ゲーム”みたいな推理に驚かされる(念のために書くが、本作品が本格ミステリであるとはこれっぽちも思っていない)。
 作者にしてみれば新境地といったところか。新しいジャンルを開拓できたようだ。続編を楽しみにしたいシリーズである。
 個人的には今年の収穫の一つであるし、ベスト10に入れたいぐらいだが、インパクトに欠けるので、多分年末のベストには選ばれないだろうな。




夏樹静子『訃報は午後二時に届く』(文春文庫)

 ゴルフ場経営者殺害事件の容疑者は工事を請負った造園会社社長。彼の家から血のついたクラブと軍手が発見され、容疑は深まるが、失踪、擬装自殺で逃亡。やがて彼の留守宅に死後切断と思われる彼の小指が速達小包で届く―ゴルフ場経営の利権にからむ殺人事件を題材に、巧妙なトリックを駆使した長篇推理。(粗筋紹介より引用)
 東京新聞、北海道新聞などに連載。1983年に文藝春秋より単行本化された、作者の代表作。

 夏樹静子作品の代表作と呼ばれる作品群はある程度読んできたつもりだが、どれか一冊を選べといわれたら、間違いなくこの作品を挙げるだろう。「週刊読売」昭和60年11月17号の特集“作者の自選する自作ミステリー”アンケートで、夏樹静子は本作品を挙げたとのこと。作者自身もお気に入りの作品なのである。
 主人公である大北耕助が、女からの間違い電話で深夜に誘い出されるところから始まる。そして大北は殺人事件の容疑者となる。被害者は、ちょうど大北は誘い出された時間に殺害されたのだ。しかも大北には動機もあった。アリバイトリックは数あれど、アリバイ奪取トリックというのはなかなかない。うまい描き方である。証拠が大北の自宅から出てきたが、大北は失踪し、しかも偽装自殺まで行う。このあたりまでは巻き込まれ型サスペンスかなと思わせるが、大北の小指が妻である志麻子のところに送られ、しかも身代金が要求される。大北の偽装と思われたが、小指は死後切断であった。ここでの死後切断という事実は、当時読んでいて衝撃的であったことを覚えている。
 途中、大北を慕う被害者の次女、千春とのロマンスが挿入されるところは夏樹静子らしいが、それを抜きにしても緩急の付け方が素晴らしい。千春は独自で事件の謎を追いかけるが、警察の捜査とは別に事件の裏面が別の角度から照らされる描き方も、よくある手法であるが成功している。
 サスペンスとトリック、二転三転するプロット、そして複雑な事件の謎と推理、解決。さらにはゴルフ場利権を扱った社会性、さらに主人公とヒロインのロマンスなど、全てが過不足なく奇跡的に融合した傑作である。
 この作品は、北海道新聞に連載している頃から読んでいた。一日ごとの引きがうまく、次の日が待ち遠しかったことを覚えている。その後、文庫本で再読したが、作品の面白さは変わらなかったし、作者の巧さに感心した。今回読んだので、10回目ぐらいになると思うが、読み始めると時間を忘れてしまうくらいである。何度読んでもいいものはいい。




石持浅海『顔のない敵』(光文社 カッパノベルス)

 鮎川哲也編『本格推理12』(光文社文庫)に掲載された「地雷原突破」を初めとする、「対人地雷」シリーズ6編「地雷原突破」「利口な地雷」「顔のない敵」「トラバサミ」「銃声でなく、音楽を」「未来へ踏み出す足」を収録した短編集。さらに『本格推理11』(光文社文庫)に掲載された処女短編「暗い箱の中で」を収録。
 『本格推理』は途中でやめてしまったので、「対人地雷」シリーズを読むのは初めてである。名前は聞いていたが、「対人地雷」という言葉やものが、本格ミステリとどう絡むのかが想像もつかなかったのであるが、読んでみると作者の巧さに唸らされる。「対人地雷」という兵器の恐ろしさと、その兵器を除去するために取り組む人々の苦労、そして「対人地雷」を取り巻く現実などを、下手な主張を振り回さずにしっかりと書きながらも、作品そのものは本格ミステリとして成立しているのである。思いつけば簡単なことなのかもしれないが、その思いつくまでが大変だっただろう。作品としてのコンセプトを統一したまま、六編の本格ミステリ短編を書き上げたその腕に拍手したい。
 登場人物が各作品でラップすることも見逃せない。例えば「地雷原突破」で出てくる坂田は、過去に遡った「顔のない敵」「銃声でなく、音楽を」に登場する。「利口な地雷」で探偵役を務める小川は「トラバサミ」にも登場。「顔のない敵」で少年だったコンは「未来へ踏み出す足」では立派な青年となって登場する。「地雷原突破」ではどうしようもなくいやなやつだったサイモンは、「銃声でなく、音楽を」では異色な、そして目を離すことのできないキャラクターとして登場している。他にもラップする登場人物は多い。様々な考え方を持つ人たちが、色々な作品でクロスすることにより、対人地雷に対する取り組み方・考え方・行動をあらゆる角度から照らし合わせている。
 肝心の“本格ミステリ”度であるが、こちらは長編と同様の保証付き。通常では考えられない極限状態の中で繰り広げられる論理的な推理。前半三作と比較すると、最近に書かれた後半三作の方にやや強引さが見られるのは残念であるが、面白さに変わりはない。短編でも、切れ味鋭い作品を残しているのはさすがだ。
 処女短編「暗い箱の中で」は、閉じこめられたエレベータで発生した殺人事件の謎を解く。動機はかなり強引だが、“なぜ”の部分で繰り広げられる推理は面白い。
 日本ミステリ短編集史に残る傑作であり、2006年度を代表する一冊。さすがに1位には選ばれないだろうが、ベスト10には入ってくるだろう。石持浅海の原点である。




加賀美雅之『風果つる館の殺人』(光文社 カッパノベルス)

 恋人のメアリー・ケリイに付き添って、ケリイ家の屋敷・通称『風果つる館』を訪れたパトリック・スミスは、膨大な遺産を巡る諍いに巻き込まれる! 発端は、奇怪極まる遺言状。一族はやがていがみ合い、パットとメアリーの運命にも暗雲が立ちこめる。そんななか、この地に伝わる伝説の巨人の影が、見えない襲撃者が、人間業とは思えぬ殺害現場を造り上げていく――。パリ警視庁の名予審判事シャルル・ベルトランが、この難事件に挑む!(粗筋紹介より引用)
 「Kappa One 登竜門」でデビューした作者の第三作目。

 前二作は、時代がかったセリフもそんなに気にならなかったのだが、本作は一つ一つが気にさわった。特に解決部分でパットが「ああ!」を連発させるのを見ると、こいつは驚く感嘆詞がこれしかないのかと思ってしまう。それに修飾語が大げさすぎ。「凄惨な惨劇」とか連発されるとさすがに引いてしまう。過剰な修飾語などを減らせば、1/4は薄くなるんじゃないかと思ってしまった。
 「人間業とは思えぬ殺害現場」を多用するのはかまわないが、その解決に「偶然」が連続して使用されるのは興醒めでしかない。せっかくの不可能犯罪の面白さが半減してしまう(前回は違うことを言っていた気もするが)。不可能犯罪は、冷酷な犯罪者が徹底的に計算したものを、名探偵によって華麗に解き明かしたとき、その“不可能”さが倍増するものなのだ。もちろん例外もあるが。
 事件の骨格そのものが、参考文献にも挙げられているけれど、某作品そっくり。登場人物のガジェットはあとがきにもあるとおり『犬神家の一族』だが、事件全体のパターンは某作品そのものである。これ以上登場人物を増やされても困るが、もう少しカモフラージュする方法は思いつかなかったのだろうか。
 この作品、ベルトランが到着したら、アッという間に事件が解決してしまう。そこに推理は存在しない。まあ、生き残った登場人物を見れば犯人の名前はすぐに浮かぶだろうが(苦笑)、現場をちょっと見ただけで犯人と犯行方法がわかってしまうというのは、「伝説の巨人の影」までが登場するような本作の場合、不可能度数が大幅に減ってしまいマイナスに働いたと思う。
 こうやって書いていると、作品の粗ばかりがどんどん見えてくる。ほめるところを探したいのだが、今回は全く見あたらない。先人が作った本格探偵小説という型から一歩もはみ出すことなく、先人が辿った道をただなぞるように歩くだけ。そこには新しい工夫が全く見受けられない。一、二作ならオマージュとして許されるだろうが、さすがに三作目となると、どこかに新しいものが必要だろう。しかも本シリーズは、カーが産んだバンコランもののパスティーシュとして発表されているのである。大作家の名探偵を借りているのだから、そこに何らかの付加価値がない限り、先人を越えることは難しいし、賛同を得られることもない。
 少なくとも面白い本格探偵小説を書こうという意欲はあるのだから、過去に頼るばかりではなく、もっと新しいものを産み出そうという努力をしてほしい。

 最後に一つ。これを言っちゃいけないのだろうが、一人目が殺害された時点で、すぐに明かすんじゃないか?




大藪春彦『戦場の狩人(ウェポン・ハンター)』(光文社文庫)

 戦争カメラマンの星島弘は、「死の商人」ゴールドスミス一派に恋人をなぶり殺しにされ、復讐を誓う。だが相手は世界の兵器市場を操る大物だけに手が出せず、しばらくその手下として忠誠を励んでみせる。飛行場の墓場から大量の飛行機部品を奪うなど、実力をつけた星島は……。最新の資料を駆使し久々に著者が書き下ろした問題作!(粗筋紹介より引用)
 1984年、光文社文庫のために書き下ろしされた一冊。ウェポン・ハンター・シリーズ第1作。

 大藪が長篇を書き下ろすのは『野獣死すべし』『傭兵たちの挽歌』以来ということでいいのだろうか。めったになかったことであるのは間違いない。以後、大藪は星島を主人公としたウェポン・ハンター・シリーズを書き下ろしていくことになる。
 簡単にまとめると、粗筋紹介にもあるとおり星島が恋人を殺された復讐を遂げる話なのだが、そのスパンが長すぎ。途中途中の説明が長すぎて、物語の流れを損なっている。それに「最新の資料を駆使」とあるが、大藪にしては珍しく資料に振り回されている印象の方が強い。資料や舞台背景を説明するのに手一杯となり、肝心の物語がごくわずかといった結果になっている。
 世界的なカメラマンとなり、かつ死の商人となった星島の活躍は、これからも続く。ヴェトナム戦争以後、どれだけ傷ついても戦争をやめない人類をあざ笑うかのように。




樋口有介『彼女はたぶん魔法を使う』(創元推理文庫)

 元刑事で、刑事事件専門のフリーライター・柚木草平は、月刊誌への寄稿の傍ら元上司の吉島冴子が回してくれる事件の調査も行う私立探偵である。今回冴子から持ち込まれたのは、女子大生・島村由美が轢き逃げされた事件。車種も年式も判別したのに、車も犯人も発見されないというのだ。早速被害者の姉・香絵を訪ねた柚木は、轢き逃げが計画殺人ではないかとの疑惑を打ち明けられる。柚木が調査を始めたとたん、次の殺人事件が発生した。調査で出会う女性はみな美女ばかりで、事件とともに柚木を深く悩ませる。人気私立探偵シリーズ第一弾。(粗筋紹介より引用)
 1990年、講談社より刊行。

 樋口有介は結構好き。作品全てを読む、とまではいかないが、この人の青春ものや柚木ものは極力追いかけるようにしている。この人の描く作品は、どれも人物が魅力的。主人公から脇役に至るまで、登場人物がみんな輝いているんだよね。作品によって描かれる姿は違うけれど、魅力的なことに代わりはない。
 本作品に出てくる柚木草平は、大好きなキャラクターの一人。とにかく格好いい。字面だけ見るととてつもなく気障な科白を、いとも簡単に口に出し、それが決まるキャラクターって、なかなかいない。しかもそれが無意識に出ているのだからなおさら。外見に関する描写は全くないけれど、普通の人なんだろうな、と思ってしまう。だけど、内面から出てくる格好良さが外に滲み出ているというか。だからこそ、周りの女が放っておかないのだろうと思う。柚木はいつも美女と出会い、悩んでばかりいるけれど、まあ自業自得だ。
 このシリーズ、柚木というキャラクターばかりに目がいってしまいがちだけど、描かれている事件は結構ハード。人の醜さを浮き彫りにしているものが多いのだが、それがさらっと流れてしまうのは、やはり主人公のキャラクターと言動なんだろう。深刻になりそうなところでうまく救いの手が入っている。
 柚木シリーズは、日本のハードボイルド史を語るうえで、描かせない作品群である。今回、創元推理文庫に再録されることとなったのは凄く嬉しい。シリーズ続刊も近刊として予定されているようなので、とても楽しみである。
 このシリーズは再読なのだが、読んだのは文庫新刊のときだったかな。もう10年以上も昔になるのか。そういえばこの本が単行本で出た頃、樋口有介は直木賞に一番近いミステリ作家という呼ばれ方をしていたよな。この人には直木賞を取ってほしかったと心の底から思ってしまう。直木賞そのものの価値云々を抜きにしてね。



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