香納諒一『贄の夜会』(文藝春秋)

 〈犯罪被害者家族の集い〉に参加したふたりの女性が殺された。ハープ奏者は両手首を切り落とされ、もうひとりは後頭部を石段に叩き付けられて――。
 刑事の大河内は被害者の夫の行動に疑問を覚えるが、なぜか公安部からストップがかかる。また、〈集い〉にパネラーとして出席した弁護士は、19年前に起きた少年猟奇事件の犯人だったことを知る。洗脳によって社会の暗闇に潜みつづける真犯人は……。猟奇的殺人鬼とプロの殺し屋がぶつかる時、警察組織の腐敗を目の当たりにした刑事も孤独な一匹狼として暴走を始めた。
 執筆に6年を費やし、かつてないスケールとスピードで展開する待望のサスペンス巨編!(帯より引用)
 「別冊文藝春秋」第237~259号に掲載された作品の、大幅加筆修正。

 デビュー当時、ハードボイルドを書いていたころの香納諒一は結構好きだった。処女作『時よ夜の海に瞑れ』や『石の狩人』『春になれば君は』あたりの鮮烈さは今でも覚えている。途中から本がどんどん分厚くなっていったことについていけなくなったが、それでも異色青春ミステリ『あの夏、風の街に消えた』はもっと評判になってもよかったと思う佳作である。『贄の夜会』が結構話題になっていたので手に取ってみたが、なるほど、これは力作である。
 アウトローな刑事、プロの殺し屋、そしてかつての猟奇殺人者。一人だけでもじゅうぶん物語の主人公になりうる個性的なキャラクター3人の物語がそれぞれ並行して進んでいるのだから、圧倒的なボリュームになるのは当然。しかもそこに警察機構や被害者遺族などの社会的問題まで絡んでくる。実力のない作家だったら、全てがバラバラに進んでしまい、ただ長編が3つ入っているだけの作品に終わってしまうところだが、実力派香納諒一はそんな難問を易々とクリアしていた。さりげない表現の中に伏線を張り、三人を一つの物語へ内包し、時に離れ時に繋がりながら、物語は少しずつカタストロフィへ向かっていく。一人の過去物語など、普通だったら脱線部分にしかならないが、それすらも本線を構成する部品に仕立て上げてしまうその腕には脱帽した。三つの物語が一つに集約する爆発点までのじらしを受けるようなサスペンス、そこからクライマックスまで一気に駆け昇るスリル。作者の代表作と成り得る作品であり、2006年を代表する作品である。
 ただ、この作品には大きな不満点もある。肝心の“犯人”に対する描写があまりにも少なすぎることである。三人の主人公の内面をここまで掘り下げたのなら、“犯人”の内面ももっと掘り下げてほしかった。この作品を読み終わった後に、唯一残るもやもや感はそこである。最後100枚ぐらい使っても構わないから、とことん“犯人”の本性を過去まで含めて描ききるべきではなかったか。“犯人”一人だけで十分小説の主人公として成立するだけのキャラクターなので、実に勿体ないことだったと思う。




中平邦彦『棋士・その世界』(講談社文庫)

 将棋差しが棋士と呼び名が変わっても、勝負に賭ける内実は変わらない。想像を絶する驚くべき才能が激突する。厳しい勝負の末の喜び、悲哀、孤独。一途で誇り高く、しかも心やさしい男の世界。今まで誰も書き得なかったその世界と人間像を、生き生きと、鋭く、暖かく、爽やかに活写した快著。巻末に将棋百科を付す。(粗筋紹介より引用)
 神戸新聞夕刊、1973年7月2日~10月13日分連載に補筆して収録。1974年に刊行。1979年に文庫化された作品。

 著者は神戸新聞社の記者として、長く将棋・囲碁を担当。特に神戸を中心とする藤内門下(内藤国雄九段、谷川浩司九段など)とは付き合いが深い。
 その土地土地で“天才”と呼ばれた人たちが集まり、奨励会を勝ち抜いたものだけが晴れて“プロ”の名前を名乗ることができる。そんな“天才”たちの集まりである将棋界には、個性的な棋士が多い。そんな人物像を“凡才”の目で書いた一冊。棋譜という形を通して、プロ棋士の凄さを知ることができても、そのプライベートまではなかなか書くことのできなかった(らしい)時代に、地方紙に書かれた素晴らしい一冊。棋士という存在の凄さと不思議さ。勝負に対する執念と悲哀をここまで書ききった作品は、この頃そうはないだろう。将棋と棋士に対する愛情が深くなければ、ここまで書くことは難しい。まさに名著といっていい。
 すでに著者は「個性的な棋士がどんどん少なくなっている」と嘆いているが、実際は違った。確かに破天荒なことをする棋士は減ったし、ステロタイプな棋士たちが存在することも事実。それでもトップになる人たちはどこか違う。勝負に賭ける執念というものは、いつの時代でも変わらない。ただ、見える形が昔と若干異なるだけだ。




久住四季『トリックスターズM』(電撃文庫)

 天乃原周がまどろみで見た夢、それは予知夢であった。仮面を付け、法衣を着た人物が男性が襲いかかる。仮面を外した顔に、見覚えはない。その夢は誰が見た夢なのか。経験上からいえば、ごく近しい人物。城翠大学教授で、魔術師でもある佐杏冴奈ゼミの元ゼミ生5人の中の誰かである可能性が高い。未来視とは、確定した未来を見る力。周はそんな未来を変えようと動き出す。一体、被害者は誰なのか。いつ、どこで襲われるのか。城翠大学学園祭2日目。推理小説研究会、被服研究会、MIDの三サークル合同企画「マスカレイド」がその舞台。
 人気シリーズ「トリックスターズ」第4作目。

 作者紹介に「あ、そうか!」「わ、やられた!」「え、そんなのってあり!?」という類の裏切られる痛みが大好きな著者が放つ渾身の四作目……と書いている。確かに今までの作品はいい意味でいい意味で裏切られることが多かったが、今回は悪い意味で裏切られた。「犯人はわかっている。問題は“いつ”“どこ”で“誰”が被害者かだ」とある帯の言葉は大いにそそるのだが、その謎が単純すぎるというのが残念。「マスカレイド」という舞台そのものの設定も面白いのに、隠された謎そのものはアッという間に解かれてしまうし、本筋とは少々かけ離れたところにしかないというのも、本作品でがっかりした要素の一つである。設定や小道具を見る限りでは面白くなりそうなのに、料理が失敗したというのは勿体ない。
 まあ、祭りはもう一日あるらしいので、それには付き合ってみようと思う。




折原一『行方不明者』(文藝春秋)

 埼玉県蓮田市で、ある朝、一家四人が忽然と姿を消した。炊きたてのごはんやみそ汁、おかずを食卓に載せたまま……。両親と娘、その祖母は、いったいどこへ消えたのか? 女性ライター・五十嵐みどりは、関係者の取材をつうじて家族の闇を浮き彫りにしてゆく――。
 一方、戸田市内では謎の連続通り魔事件が発生していた。たまたま事件に遭遇した売れない推理作家の「僕」は、自作のモデルにするため容疑者の尾行を開始するのだが――。(帯より引用)
 『沈黙者』以来5年ぶりになる「~者」シリーズ、書き下ろし作品。

 実話をネタに叙述トリックを駆使して繰り広げられる「~者」シリーズ、久々の最新刊。片方の物語の進行役は、『冤罪者』『失踪者』などに出てくるノンフィクション作家五十嵐友也の妻であるみどり。もう片方は、書き下ろし長編を頼まれた売れない作家の「僕」。二つの物語が交互に並べられている時点で、あとはどのようにして二つの物語が重なるかを読者は楽しめばよい。
 ただ、折原一の作風をちょっとでも知っている人からしたら、作者が今までどういう風に仕掛けたかを知っているわけである。結局そういう眼で読んでしまうわけだから、物語そのものの面白さを素直に感じることができなくなってしまう。結局、どこに仕掛けがあるか、そんな眼で読んでしまうわけだ。事件の謎そのものに、仕掛け以上の面白さがあればよいのだが、残念ながら本作はそこまでいかない。得体の知れない男がサスペンスに巻き込まれる程度では、読者はもう驚かなくなっている。作者は色々と苦労しているだろうが、自らの作風に縛られている感があるのは残念だ。
 どこまで固執するのかわからないが、いいかげんこのスタイルは休止した方がいいと思う。このままでは、作品のマンネリ化は避けられない。




逢坂剛『禿鷹狩り 禿鷹IV』(文藝春秋)

 渋谷、神宮警察署の鼻つまみ、禿富鷹秋、通称ハゲタカ。彼を抹殺するために、ある人物が送られてきた。ヤクザも南米マフィアも手玉に取る男の前に、最強の刺客があらわれる。
 「週刊文春」2005年1月27日号~2006年1月19日号掲載。禿鷹シリーズ最終巻。

 極悪警部補、禿富鷹秋。殺しても死なないような男なので、まさかこのシリーズがたった4冊で終わってしまうとは思わなかった。最終巻はタイトル通り、禿鷹を狙う最強(?)の刺客が登場。それでも精神的優位は常に禿鷹のほうにあるのだから大したもの。だからこそ、この終わり方はとても残念である。
 ここからは勝手な深読みだが、作者は当初ここでシリーズを終わらせるつもりではなかったと思われる。プロローグから出てくる登場人物の扱いが、あまりにもおかしいからだ。物語のヒキとなるはずのプロローグで出てくる登場人物だ。もっと、うまい使い方をするはずだ。連載の途中から路線を変更したに違いない。他にも、結末の唐突な終わり方、とってつけたようなエピローグなど、辻褄を合わせたような部分が目立つ。途中途中のエピソードは面白いのに、読み終わった後に釈然としないものが残るのは、作者によるいきなりの方向転換が原因に違いない。
 せっかくの人気シリーズ、強すぎるくらい個性的なキャラクターが出てきたシリーズを、ここで終わらせてしまったのは勿体ない。一匹狼による、巨悪へのアウトローな闘いを、もっと見たかった。




薬丸岳『闇の底』(講談社)

 少女を犠牲とした性犯罪が起きるたびに、かつて同じような性犯罪を犯した前科者が首なし死体で発見される。サンソンと名乗る者からの犯行声明文とともに、首切りシーンを写した映像が警察、マスコミに送られ、日本中が騒然となった。少女殺人事件を追っていた刑事の長瀬は、父親のような存在である藤川管理官の要請で、サンソン事件の捜査に加わることとなる。かつて幼い妹を殺されたことがある長瀬は、当時の犯人と同じ境遇を持つ前科者を殺害していく人物を捜査することに迷いを見せ、内なる怒りを隠せなくなる。果たしてサンソンの行為は正義なのか、それとも……。
 『天使のナイフ』で乱歩賞を受賞した作者の受賞第1作。

 前作『天使のナイフ』は少年犯罪を取り扱った社会派ミステリだったが、本作品は少女殺害事件を取り扱っている。近年、特にクローズアップされてきている犯罪であり、タイムリーな話題でもある。とはいえただ時代に合わせた大罪を持ってきたというわけではなく、少女殺害事件という犯罪そのものに深く切り込みつつ、ミステリの形をしっかりと保った作品である。
 少女殺害事件ではどうしても被害者やその遺族の悲しみ、そして加害者側の性癖・前科などが注目されてしまう。少年犯罪とは異なり、同情される立場、非難される立場がはっきりしているわけだ。普通だったら、そのような立場の人物や、犯人に怒りを覚えながら事件を追いかける刑事を中心に書けば、一冊の物語を仕上げることはそれほど難しいことではないと思う(もちろん、出来は別として)。しかし、罪を犯した加害者にもスポットを当て、押さえきれない性衝動や刑期を勤め上げた人物にも着目し、ある意味すべての立場を公平に書き上げるというのは、ノンフィクションならまだしもフィクションでは結構難しいことだと思う。登場する人物に感情移入しすぎることなく、あくまでミステリの枠内で物語を押さえた腕には感心した。
 ただ、人物を綿密に描写することなく、ミステリとして成立させようとした分、逆に物語として呆気なさが残ってしまったことも確かである。結末については賛否両論があるかも。私はこの結末もありだと思っているが、読者によっては肩すかしを食らった気分になるかもしれないし、もっと書き込んでほしかったと思う人がいるかもしれない。謎とストーリーのどちらも満足することができるようになれば、この作者は大ベストセラー作家になる。そこまではもう一歩という段階だろう。
 犯罪ものを取り扱う場合、前にも書いたがどうしても片一方に感情移入しがちになる。そこをいかにしてセーブするかといったバランスのよさを作者は持ち合わせている。あとはミステリとしてこだわるのかどうかといった部分を、どう物語に反映させるか。そこをクリアすれば、作者は大作家への階段を駆け上がることができると思う。
 ちょっと色々と書いたが、私はこの作品、2006年度の収穫だと思っている。サンソンの感情、被害者遺族の感情、そして様々な刑事の感情が過不足なく描かれているし、少女殺害事件という犯罪へのアプローチも悪くない。サンソンの正体は予想がつくかもしれないが、動機や結末など、作者の企みを全て見破るのは難しい。読んで損はない作品である。




蒼井上鷹『出られない五人』(祥伝社 ノン・ノベル)

 東京郊外のビル地下にあるバー〈ざばずば(the bar's bar)〉に集う男女5人。脳溢血で急逝した愛すべき酔いどれ作家・アール柱野を偲び、彼の馴染みの店で一夜語り明かそうという趣旨の会合だった。だが突如身元不明の死体が目の前に転がり出たところから、5人に疑心暗鬼が生じる。殺人犯がこの中にいる!? 翌朝まで鍵をかけられ外に出られぬ密室の中、緊張感は高まっていく。しかし5人には、それぞれ、出るに出られぬ「理由」があったのだ……。(粗筋紹介より引用)
 短編「キリングタイム」で小説推理新人賞を受賞した作家の、長編第1作。

 処女短編集『九杯目には早すぎる』が好評だった作者の処女長編。期待値は高かったが、残念ながら今ひとつだった。
 舞台は改築直前のビルの地下にあるバー。酩酊作家アール・柱野の馴染みの酒場で語り明かす5人。といってもこの酒場、すでに主人が亡くなっているので空き家の状態。しかも当日はビルのシャッターに鍵がかけられていて、外へ出ることができない。お膳立ては揃っているし、そこに出てきた謎の死体で大騒動。十分面白い設定のはずなのだが、読み終わってみると首をひねってしまうのはなぜか。作者は驚かせよう、アッと言わせようと色々ひねりを入れてくるのだが、どうもそれがことごとく空回りで終わっているのが、その原因だと思う。ネタとしてはそれなりに面白いのに、演技や口調が今ひとつで笑うに笑えない芸人を見ているようだ。しかも芸人は笑わそうとさらに熱演するのだが、それがことごとく裏目に出てしまい、余計に白けてしまう。それと同じ空気が、本書に漂っている。
 こういう設定の作品なら、登場する人物のいずれもが何らかの事情を抱えているのは当然だろうし、それにまつわるエピソードと本編が絡んでくるところに面白みがあるのだが、その絡み方が今ひとつ。それにどんでん返しを多用したのも失敗した原因か。最後のほうは筆が急いでしまい、理由がよくわからない行動も目立つ。
 センスは感じられるのだが、それを面白く見せる方法を間違っている。そんな印象を感じさせる作品だった。読者とのキャッチボールを繰り返すことによって、その欠点が解消されるようになれば、もっと面白くなる作家だと思う。




はやみねかおる『ハワイ幽霊城の謎』(講談社 青い鳥文庫)

 夢水清志郎のもとに舞いこんだ、新たな依頼は、なんとハワイから! ハワイの大富豪、アロハ山田家を、幽霊の呪いから守ってほしいというのだ。しかもなんという不思議な縁か、100年前、アロハ山田家の先祖は、清志郎の先祖(?)夢水清志郎左右衛門にも出会っていた! 南海の楽園・ハワイを舞台に、現在の夢水清志郎と過去の清志郎左右衛門がみんなをしあわせにするために謎を解く!(粗筋紹介より引用)
 人気の「名探偵夢水清志郎事件ノート」最新作。

 今回の夢水シリーズは、作者の言葉を借りると番外編ということになるらしい。舞台はクリスマスのハワイ。夢水清志郎が、45年前の幽霊城から子供が消失した謎を解き、清志郎左右衛門は移民した一家を守るために砂浜の大魔術を演出する。
 ミステリとしてのこのシリーズは、現実ではあり得ないような(だが実現不可能というわけではない)大仕掛けのトリックを楽しめればそれでいいと、私個人は思っている。もちろん作者はフェアプレイ精神に則っているので、「やられた」「お見事」と思うことはあっても、「卑怯!」「インチキ」と貶すようなことはない。
 そして清志郎の推理を通じて、人がしあわせになるのを読むことができるのは、本シリーズの大きな特徴だ。人がしあわせになる物語を読むと、自分までもがしあわせになったような気分になる。そんな暖かさを兼ね備えたシリーズだから、余計なことを考えずに作者の意図する流れに乗っていればいい。
 ところで次回作は「卒業」なんですか? このシリーズは、ずっと続けてほしいんですけれどね。それと来春登場の新シリーズ「夢水清志郎の名探偵ものしりクイズ」って、本シリーズが終了したことに伴う新シリーズなのか、それとも別シリーズになるのか……。

 どうでもいいけれど、本編で出てくる『超マニアッククイズ』の推理小説編、自分もこの番組に出てみたいぞ。それと「『鮎川哲也と十三の謎』と『黄金の13』をあわせた二十五冊は、とってもおもしろいから読んだほうがいいよ」という清志郎のセリフ、知らない人が見たら「なぜ二十五冊?」と首をひねるんじゃないだろうか?



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