陳舜臣『三色の家』(講談社文庫)

 海岸通りでひときわ目立つ三色の建物は海産物問屋の同順泰公司である。ここの三階にある干場でコックの杜自忠が殺された。出入り口二ヶ所には家人がいたのに全然気付かぬという。杜の人生は苦難に満ちていた。公司の人生は苦難に満ちていた。公司の主人の親友である陶展文の鋭い推理と調査が始まる。神戸を舞台にしてのびやかに描く長篇推理。(粗筋紹介より引用)

 陳舜臣の乱歩賞受賞作『枯草の根』の陶展文が再び登場するが、舞台はぐっと遡り、昭和8年である。『枯草の根』に登場したときの重みこそないが、鋭い推理力と暖かい視点は全く変わっていない。
 今みたいな“分厚い”長編が書けなかった時代だったからだとは思うが、戦前の神戸という舞台なのに、描写が短すぎる。舞台や登場人物を簡単に説明したと思ったら、アッという間に事件が起きる。舞台の雰囲気を楽しむことなく、人物の動きを把握することなく。シンプルイズベストというのが私の評価点の一つなのだが、あまりにもシンプルすぎるのは物足りない。もっとページがほしかったところである。
 事件の謎そのものもまたシンプル。陶展文の推理はあるものの、どちらかといったらネオ・ハードボイルドに近い味があるかもしれない。事件の謎と同時に人の心の謎を追いかけるというか。推理による結末は、殺人事件にも関わらず爽やかさが感じられる。苦悩による闇がいっぺんに消えてなくなった、そんな爽快感である。そこにあるのは陶展文を初めとする登場人物の、そして作者の暖かさである。
 もっと長い枚数で読んでみたかった。




深谷忠記『毒』(徳間書店)

 柳麻衣子は滝山健仁病院脳神経外科病棟に勤めている看護士。10日前に運ばれてきた脳梗塞の患者、松永祥男という虫酸が走る患者がいるため、最近は出勤が億劫である。松永は他の患者に暴言を吐く、看護士に性的嫌がらせをする、そして妻を奴隷のようにこき使って暴力を振るうなど、周囲の誰からも嫌われていた。病棟である日、筋弛緩剤がのアンプルが盗まれた。警察の捜査でも、犯人は見つからなかった。そしてとうとう、松永が殺害された。死因は筋弛緩剤を注射されたことであり、容疑者として医者の高島真之が逮捕された。真之は麻衣子の恋人で、しかも数日前には看護士へのセクハラを巡り松永と喧嘩したばかりであった。しかも真之は中学校当時、松永の息子とシンナー遊びをしていて、息子が事故死したという過去があった。

 本書は二部構成。第1部「伏流」は、事件が起きるまでの登場人物による様々な想いと背景が書かれている。その丁寧な描き方は、サスペンスを盛り上げるのには非常に有効である。特に松永の描写は、本当に嫌われ者そのものであり、こいつなら殺されても仕方がないと思わせるものである。ややステロタイプな描き方ではあるが。
 逆に第2部「湧出」は、殺人事件が起きてから解決までである。第1部がかなりゆっくりとした時間の流れを書いていたのに対し、第2部はかなり急スピードの展開。確かに第2部の展開は、次々と起きる「衝撃の事実」を描くためには必要であるスピードなのであるが、第1部に慣れきった身にはややとまどいを覚えてしまう。セカンドギアでゆっくり走っていたのに、いきなりトップギアに入れられると、車は振動するし、同乗者は車に酔ってしまう。そんな心地の悪さが、この作品にはある。
 第2部の仕掛けはありきたりの手法なれどよく考えられているものであり、どんでん返しに慣れた読者でも作者の狙いを最後まで読み切るのは難しいだろう。
 設定も謎も仕掛けもいいのに、途中の描き方を間違えてしまった、勿体ない作品。




紀田順一郎『古本屋探偵の事件簿』(創元推理文庫)

 「本の探偵――何でも見つけます」という奇妙な広告を掲げた東京神田の古書店「書肆・蔵書一代」主人須藤康平。彼の許に持ち込まれる珍書・奇書探求の依頼は、やがて不可思議な事件へと進展していく……。(粗筋紹介より引用)
 昭和戦前の一代稀書、堀井辰三『ワットオの薄暮』が図書館から紛失した事件を扱った「殺意の収集」。
 戦前の動物本探求の依頼から、かつての古書界の名物だった老人の行方を捜す「書鬼」。
 明治初期の風俗書探求の依頼から、放火事件の謎を解く「無用の人」。
 戦後に出版された後発禁となり、裁判にまでなった『女人礼賛』の刊行者を捜してほしいという依頼から、戦後のの失踪事件を追いかける「夜の蔵書家」。
 以上、古本屋探偵もの4編、全てを収録。
 「殺意の収集」「書鬼」は1982年に三一書房から出版された『幻書辞典』に収録された中編。「殺意の収集」は1983年「別冊文藝春秋」に発表された中編。「夜の蔵書家」は1983年、『われ巷にて殺されん』のタイトルで双葉ノベルスから出版された長編の改題。

 大分前に買い、1ヶ月ぐらいかけてようやく読み終わった。なんか、読み続けたいと思わせるものが特になかったからだな。
 古本屋やコレクター、それに古書にまつわる部分は面白い。興味のない人から見たら、こんなものになんでお金をかけ、読むかどうかわからないものを必死に収集するんだろうと思われてしまいそうな、古書コレクターの生態が、実に生き生きと、そしてちょっぴり哀しく描かれている。どこの世界でもマニアという存在は、周りの人から見たら奇妙な存在に移るだろうが、古書マニアは特に奇妙な存在としてうつるのではないだろうか。その古書マニアの生態を知るという意味では、楽しい一冊。
 ただ、事件の謎を解くという部分においては、少々地味で楽しめなかったというのが本音。肝心の「探偵」部分が、読んでいても乗り切れなかった。何が悪いのかと言われても困るのだが、古書の部分が面白すぎて、それに見合う「事件」を書くことができなかったからじゃないだろうか。ロス・マクドナルド風の、私立探偵小説みたいな雰囲気はあるのだが。
 本書は解説にある紀田順一郎と瀬戸川猛資との対談も楽しい。結局、古本屋・古書に関わる部分の方が、本を読んでも、解説を読んでも面白い。結局題材に負けてしまっているというのが、正直なところじゃないかな。




打海文三『時には懺悔を』(角川文庫)

 佐竹は、数年前に退社した大手の探偵社アーバン・リサーチの元上司・寺西に頼まれ、探偵スクールのレディ-ス一期生・中野総子の代理教官をすることになる。その日の実習は、やはりかつての同僚・米本の探偵事務所に盗聴器を仕掛けることだったが、事務所に忍び込むと、そこには米本の死体が転がっていた。佐竹は中野を助手に、米本が殺された謎を調査していくが、やがて過去に起きた障害児の誘拐事件の真相に迫っていくことになる……。
 濃密な親子の絆を描く、感動の物語。大傑作ミステリー!(粗筋紹介より引用)
 1994年9月に書き下ろされた単行本の文庫化。『灰姫 鏡の国のスパイ』で第13回横溝正史賞優秀作を受賞しデビューした作者のブレイク作。

 表向きの主人公は佐竹であるが、実質的な主人公は明野新(9)である。脊椎にひどい損傷を負って生まれた二分脊椎症。背骨は90度も折れ曲がり、両下肢機能は全廃。しかも髄液が異常に溜まって脳の発達を妨げる水頭症にもかかっている。視力はほとんどなく、手も使えず、言葉も話せない。父親である明野哲夫が育てている。この哲夫と新の生活や二人を取り巻く環境などが細かいディテールで描かれている。ここまで描かれたら、彼らを愛するしかない。もう反則だよ、これは。感動するしかないじゃない。ハードボイルドだけど、ヒューマンドラマに近いといった方がいいかもしれない。もちろん物語の構成力と描写力が優れているから、素直に感動することができるのである。ただ実際にあった話を引き写しするだけでは、人の感動は得られない。
 ただ、聡子の描き方にはちょっと疑問があるかな。純粋無垢な障害児に愛情を抱いてしまうのは有り得る話だけど、育てるとなるとそんな簡単にはいかないと思うけれどね。まあ、別れた子どもがいるという設定だから、意気地の大変さは分かっていていっているのだろうと思うけれど。自分には哲夫みたいな覚悟はないから、ついこんな事を考えてしまうのだが。
 新の生活を追っていくうちに、殺人事件の真相なんてどうでもいいと思ってしまうけれど、もちろんそうはいかない。殺害された人間にだって生活はあったわけだし、殺人は罪だ。そのことにも、作者はきちんとした回答を与えてくれている。
 ということで、素直に読んで感動すればいいんじゃないかな、これは。もちろん、あざといと感じる人がいるかもしれないけれど、それはそれで一つの感想だから否定はしない。ただ、自分は感動したよ、と言いたいだけのことである。



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