蒼井上鷹『二枚舌は極楽へ行く』(双葉社 双葉ノベルス)

 友人同士による飲み会。妻で事故をなくした夫は密かに毒を盛り、犯人の告白を迫った。「野菜ジュースにソースを二滴」。
 僕の身代金は五千万円だって。ショートショート「値段は五千万円」。
 ヘルパーの静が勤めていたりくの部屋に、札束が隠されていた。「青空に黒雲ひとつ」。
 バーで飲んでいた男は、売れない役者。「天職」。
 酔うと名人スリになってしまう男が失敬してきたのは鍵。ショートショート「世界に一つだけの」。
 十七年後にこの酒をここで飲もう、二人はそう約束した。「待つ男」。
 この人は、平凡な私のどこが好きなんだろう。ショートショート「私のお気に入り」。
 恋人の部屋に行ったら、彼はシャワーを浴びたまま死んでいた。ショートショート「冷たい水が背筋に」。
 新進ピアニストだった弟は殺されたとき、右人差し指を切り取られていた。「ラスト・セッション」。
 私がこの街を訪れたのは、小学校卒業以来だった。ショートショート「懐かしい思い出」。
 バーの女の子に渡した「ミニモス」には、盗聴器を仕掛けていた。ショートショート「ミニモスは見ていた」。
 元同僚の妻から、夫が帰ってこないと電話があった。そして夫は死体で発見された。「二枚舌は極楽へ行く」。
 「小説推理」掲載作品に書き下ろしを加えた短編集。

 「小説推理賞新人賞受賞作や協会賞候補作を収録した処女作『九杯目には早すぎる』でミステリファンから注目を浴びた作家、早くも三冊目。作品間に微妙なつながりを持たせたり、各編毎に参考文献を載せるなどの仕掛けもそのまま。
 小心者のドタバタぶりや、奇妙な味わいが何ともいえない面白さを醸し出していた作者なのだが、本書を読むとそろそろ欠点が目立ってきた、という感がある。「ラスト・セッション」みたいに仕掛けがピタッと決まれば面白いのだが、残念ながら「野菜ジュースにソースを二滴」みたいに着地が決まらない作品も見られるのだ。アッと言わせようとストーリーをひねるのはいいのだが、途中で内容がわからなくなったり、結末が分かりづらい(ショートショートにとくに多い)ところが目立つ。奇妙なシチュエーションを設定するのはいいのだが、もう少しわかりやすい構成を心がけるべきだろう。
 執筆速度が速いせいか、粗製濫造になっているのではないか、という不安が何となくある。勿論、単純に筆が早いだけかもしれない。アイディアが溜まっていただけかもしれない。それでも、腰を落ち着けた作品を読んでみたいと思うのだ。今のままで終わってしまうには勿体ない。




桐野夏生『天使に見捨てられた夜』(講談社文庫)

 失踪したAV女優・一色リナの捜査依頼を私立探偵・村野ミロに持ち込んだのは、フェミニズム系の出版社を経営する渡辺房江。ミロの父善三と親しい多和田弁護士を通じてであった。やがて明らかにされていくリナの暗い過去。都会の闇にうごめく欲望と野望を乾いた感性で描く、女流ハードボイルドの長篇力作!(粗筋紹介より引用)
 1994年6月、講談社より単行本として刊行された作品の文庫化。

 乱歩賞受賞作『顔に降りかかる雨』に続く長編。前作の主人公である村野ミロがふたたび登場する。前作は正直それほど好きになれない作風だったが、本作はそれ以上。女性が女性であるという生身の姿をそのままさらけ出したハードボイルドって、どうも苦手だね。軟派系ならまだ読めるんだけど。ミロという女性が好きになれないし、他にも出てくる女性登場人物のほとんども好きになれない。別に差別する意識はないんだけど、無意識にそういう目で見ているのだろうか。
 失踪したAV女優を探し出す過程で、様々な過去や色々な問題とぶつかり合うというのはハードボイルドの定型であるし、描き方も悪くないと思うんだが。これはもう生理的にダメだった。




鳥飼否宇『樹齢』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 植物写真家の猫田夏海は北海道の撮影旅行の最中、「神の森で、激しい土砂崩れにより巨木が数十メートル移動した」という話を聞き、日高地方最奥部の古冠村へ向かう。役場の青年の案内で夏海が目にしたのは、テーマパークのために乱開発された森だった。その建設に反対していたアイヌ代表の道議会議員が失踪する。折しも村では、街路樹のナナカマドが謎の移動をするという怪事が複数起きていた。三十メートルもの高さの巨樹までもが移動し、ついには墜落死体が発見されたとき、夏海は旧知の<観察者>に助けを求めた!
 <観察者>探偵・鳶山が鮮やかな推理を開陳する、謎とトリック満載の本格ミステリ!(粗筋紹介より引用)
 2006年8月発行、書き下ろし作品。『非在』などに出てくる<観察者>鳶山シリーズ。

 本格ミステリ大賞にノミネートされたから読んでみることにした。そうでもなければ、鳥飼否宇の作品を読もうとはこれっぽちも思わなかったに違いない。この人は二冊しか読んでいなかったのだが、ゴチャゴチャして読みにくいというイメージしかない。今回、そのイメージとはかけ離れた読みやすさにビックリした。成長したのか、それとも作品にあわせて書き方を変えていたのか。すんなりと読むことはできた。
 話の序盤でアイヌネタが出てきたので、これはやばいんじゃないかと思う。アイヌネタの作品って、いいイメージがないからね。日本の教科書じゃ、アイヌが大和民族に侵略されたって話はほとんど出てこないし、政治家は今でも日本は単一民族国家だと思いこんでるし。読んでいるうちに、漠然とした不安は消えていったのでホッとした。まあ、これは本筋からかけ離れた話。
 街路樹だけでなく、巨樹までが動くというファンタスティックな謎なのだが、解決方法があまりにも現実的すぎるというか、物理的すぎるというか。まあ確かにこの方法なら可能なトリックなんだけど、ちょっと肩すかしを食ったというか。舞台も悪くなかったから、期待しすぎたか。連続殺人事件のトリックそのものも、聞けば少々がっくりくるところがある。ただ、それらを払拭する驚きを与えてくれたのは、今回の事件の動機かな。これはやられた。
 それでも個人的には、舞台と解決に落差を感じてしまうね。悪くはないんだけど、というところか。今回のような物理トリック、一昔前のノベルスに出てきそうなレベルのものとしか思えない(やや偏見な見方だし、実例を挙げろといわれても思いつかないんだが)。




多島斗志之『二島縁起』(創元推理文庫)

 瀬戸内で海上タクシー業を営む寺田の元に、奇妙な依頼が持ち込まれた。五つの島々をまわって数人ずつ客を拾い、合計二十五人を輸送してほしい、但し目的地は全員が乗船するまで秘密だというのだ。当日、客たちは次々と<ガル3号>に乗り込んできたが、彼らには顔を隠そうとするなどの気配が見られ、しかも航海中、<ガル3号>は六隻の船に進路を妨害される。寺田は不審な船を振り切ろうとするが――潮見島と風見島、瀬戸内海に浮かぶ二つの島の対立に心ならずも巻き込まれた寺田の前に、今度は不審死の謎が立ち塞がる。冒険小説趣向や歴史の謎を取り入れた傑作ミステリ、初文庫化。<多島斗志之コレクション>第二弾。(粗筋紹介より引用)
 「小説推理」1995年5月号~7月号に掲載、その後双葉社から刊行された作品の初文庫化。

 この頃の多島斗志之って、いいものを書いているが大ヒットが生まれていなかった時期だろうか。
 今でこそ瀬戸内に住んでいるから海上タクシーって知っているけれど、中国地方に来るまではそういうものがあると言うこと自体知らなかった。
 海上タクシードライバーという主人公の設定がいいし、ごく近い距離にあるふたつの島の確執という展開も、ミステリファンにはわくわくさせるものがある。冒頭の秘密からはじまる逃走劇にも迫力があるし、その後に起きた不審死の謎も意外なものだった。本格ミステリとしての味わいがあり、歴史の謎という趣向もある。最後は海洋冒険小説といってもいいアクションもある。全体を流れるトーンは、主人公の寺田を探偵役としたハードボイルドなのであるが、さまざまなジャンルをミックスし、それでいて破綻することなく綺麗に仕上がった傑作とよんでよいだろう。発表当時、これほどの作品が特に騒がれなかったというのは不思議なくらいである。
 寺田を主人公とした短編集『海上タクシー<ガル3号>備忘録』も文庫化された。とても楽しみである。




鮎川潤『犯罪学入門』(講談社現代新書)

 日常の平安を脅かす様々な逸脱行動や組織の暴走……具体的事例をふまえつつ、常識ではとらえがたいその内実、方との関連、社会の対応など幅広い知識を提供する。(表紙より引用)

 作者の鮎川潤は大学教授。専攻は犯罪学、逸脱行動論、社会問題研究。
 その名の通り、犯罪学というものについての入門書。殺人、薬物犯罪、性犯罪、企業犯罪、少年非行、犯罪者の処遇、被害者学などについて書かれている。
 とまあ、一応読んでみたんだけど、全然興味がわかない。自分は犯罪という行為を調査することに興味はあるけれど、学問としての興味はないということだね。ただそれがわかったというだけ。




馳星周『雪月夜』(双葉社)

 組の金二億円をかすめ取り、ロシア人娼婦とともに敬二は消えた。敬二を追って、裕司は根室へ戻ってきた。裕司が最初に訪れたのは、根室でくすぶっていた幼なじみであり、敬二と仲のよかった幸司のもとだった。6年ぶりの再会。ヤクザの息子だった祐司。露助船頭の息子だった幸司。裕司は幸司を殴り、幸司は裕司に嘘をつく。裕司は幸司のものを奪い取り、幸司は裕司のものをかすめ取る。二十数年、二人は憎しみあいながらも常に一緒だった。
 二億円を持つ敬二を追っての捜査が始まる。地元ヤクザ、悪徳刑事、ロシアの元スパイ、地元有力政治家などを巻き込み、二億円を求めて、街が狂気に染まった。
 「小説推理」1999年6月号から2000年8月号連載。

 新刊で買い、文庫本が出てから読む。まあ、いつものことだ。
 舞台が変わっても、登場人物が変わっても、やることは一緒。暴力、狂気、破滅。最初のころからほとんど変わっていない。それがこの頃の馳星周だったような気がする。雪と氷に閉ざされた根室の街で繰り広げられる欲望のぶつかり合いは、何もかも真っ白に染める雪と、何もかも奪い取る寒さの中で、マグマのように熱いが、全ては根室の寒さに吹き飛ばされてしまう。雪が降る夜の月はとても綺麗だが、ずっとその場にいることは出来ない。
 なんかここまで書くと、根室という街が誤解されるんじゃないかい(苦笑)。読んでいる途中は悪くないけれどね、どこから切っても馳星周、みたいな作品だった。




夏樹静子『夏樹静子のゴールデン12(ダズン)』(文春文庫)

 日本のミステリー界の旗手として、世界的にも名を馳せた著者がつねに完成度の高い作品を書き続けて25年。その作家生活25周年を記念して全短編の中から選りすぐったベスト12編を収録した作品集。作品は著者、文芸評論家の権田萬治氏、実兄で作家の五十嵐均氏によって選ばれた。選考の経過は巻末に鼎談として収録する。(粗筋紹介より引用)
 偶然の事故で4ヶ月の我が子を死なせてしまったあゆみ。夫にも言えなくて……「死ぬより辛い」。
 自分を虐げてきた若社長を殺すため、同じ特急に乗った秘書の恩田。しかし練り上げたはずのアリバイトリックは、踏切事故によって崩れ去っていった。「特急夕月」。
 京都絹織物の織元の社長が首を吊って死んだ。折からの不況による自殺と思われたが、総額5億円の保険契約を結んでいたことが判明し、他殺説が浮上した。容疑の濃い妻には完璧なアリバイがあった。「一億円は安すぎる」。
 金融業者殺人犯を追い、疎開先だった山村へやって来た刑事。「逃亡者」。
 銀行強盗で奪われた金は、全てナンバーが控えられていた。その金がついに出てきた。使った人物は、全国的に有名な寺の職員だった。警察は彼をマークするが、犯人は全くの別人だった。しかし、彼は自殺した。「足の裏」。
 極端な冷え性のため、15年以上も毎晩妻の手足をさすって暖めている夫。しかし夫には愛人と子供がいた。「凍え」。
 愛人の妻を殺したとして起訴された若い女性。里矢子が弁護士として付いた最終弁論で、女性は今までの供述を覆し、無実を主張。実際に殺したのは愛人自身であると主張した。さらに失踪していた愛人が現れ、その事実を認めたため、女性は無罪になった。ところが愛人の裁判で新たな展開が。女性弁護士朝吹里矢子シリーズ。「二つの真実」。
 殺害されたヤクザは、石坂警視の友人である元大学教授の一人娘をたぶらかしてボロボロにし、死なせた憎い男であった。元教授は車椅子生活なので、勿論犯人ではない。その後犯人が自首し、正当防衛を主張。捜査は終わるかと思ったが、意外な展開が待ち受けていた。「懸賞」。
 人気のある産婦人科医長のもとへ送られてきた宅急便の中には、女性の死体が入っていた。女性は多額の資産を持っていた。犯人は女性の夫か、それとも医長か。「宅配便の女」。
 抵当証券会社を営んでいた大友が53歳の若さでガンで死んだ。助手であった広橋は、偶然通りかかった女性の車に乗って火葬場まで行くが……。「カビ」。
 銀行の古参行員だった富佐子は、三つ下の鍵谷と不倫していた。やがて鍵谷は、富佐子との二重生活を送るために、マンションを購入した。その金は、横領して得た金だった。しかし横領の事実がばれそうになった。「一瞬の魔」。
 青酸ソーダを飲んで、女性が死んだ。自殺・他殺両面で捜査をしていた警察だったが、女性が死ぬ直前に大物元衆議院議員の妻の元を訪ねていたことを突き止めた。「罪深き血」。
 1994年5月、文藝春秋より単行本化。1997年の文庫化にあたり、「懸賞」「宅配便の女」を他作品と入れ替えた。

 ミステリ界の第一線を走り続けてきた夏樹静子のベスト短編集。さすがに傑作と言われる作品そろいである。サスペンスあり、女性心理ものあり、本格ミステリあり、裁判ものあり……。トリックに唸るものもあれば、意外な展開に驚くものもある。哀しき女性心理にホロリとさせられるものもある。男女の愛の結末に愕然とさせられるものもある。派手な事件が起きなくても、そこに人間がいて、ドラマがある。人生の一瞬を切り取り、文章として鮮やかに描き出すその腕は、作者ならではである。
 何れも逸品ぞろいであるが、特にこれは、となると、裁判の意外な盲点をついた「二つの真実」と、アリバイトリックを考案した犯人の狼狽えぶりが楽しくも哀しい「特急夕月」、自殺の意外な真相を書いた「足の裏」を選びたい。




有栖川有栖『乱鴉の島』(新潮社)

 友人の作家・有栖川有栖と休養に出かけた臨床犯罪学者・火村英生は、手違いから目的地とは違う島に連れてこられてしまう。通称・烏島と呼ばれるそこは、その名の通り、数多の烏が乱舞する絶海の孤島だった。集まる来る人々。癖のある住人。奇怪な殺人事件。精緻なロジックの導き出す、エレガントかつアクロバティックな結末。(紹介文より引用)
 火村シリーズ4年ぶりの新作長編で、初の孤島もの。電子書籍配信サイト「TIMEBOOK TOWN」で2005年5月~2006年4月にかけて連載したものを加筆・訂正。

 「本格ミステリ・ベスト」で第1位を取ったので、読んでみることにした。
 烏が乱れ飛ぶ絶海の孤島に集まる人々。伝説の詩人であり英米文学者でもある老人と、彼を慕う人々。さらに、ある目的のためにヘリコプターで押し掛けてきた若き辣腕起業家。閉ざされた島で起きる殺人事件。うーん、これだけの舞台設定に一癖も二癖もある登場人物が出てくれば、絶対に面白くなりそうなのに、読み終わった後に感じるぎくしゃく感、違和感は何だろう。
 よくある孤島もののような、派手なトリックや舞台、奇抜な仕掛けは存在しない。それでも、孤島に集まった「理由」は充分意外性のあるものだったし、ある一点から火村が最後に犯人を突き止める推理も昔のクイーンを思い出す鮮やかさがある。それなのに、それなのに、このもどかしさは一体なんだろう。一部では世俗的な動機が問題ではないかという意見もあるが、最後になって明かされる動機をこの全体的なぎくしゃく感の全ての原因とみるのは難しい。
 先に読んでいた同居人がうまいことを言っていた。「火村シリーズでなければ、もっと面白いのに」。この一言が全ての答えではないだろうか。この作品、火村が出てきてはいけなかったのだ。彼は孤島における招かれざる客であると同時に、この作品においても招かれざる客だったのだ。もしこの事件の謎を解いたのが別の人物だったら、もっと面白くなっていたと確信する。
 有栖川有栖は、本格ミステリ作家としてとてもうまい作家だと思う。文章が、というわけじゃなくて、わかりやすい本格ミステリを書くという意味でだが。彼は火村シリーズで多くのファンを獲得することに成功したが、逆に一部のマニアからは遠ざけられるようになった。火村という存在は、あまりにも使い勝手がよすぎる。そろそろ、江神を復活させるべきではないか。



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