平光琢也『怪物ランドの生涯』(河出書房新社)

 1983年、「お笑いスター誕生!!」でアッという間の10週勝ち抜き、グランプリを獲得。その後「ウソップランド」などで人気を獲得したが、いつの間にかソロ活動が中心となってしまった怪物ランド。今でも一部に熱狂的なファンを持ち、再活動が期待されながらも、未だその動きが見られない。
 本著は怪物ランドが結成から解散するまでの足どりを書いたもの……ではない(笑)。一応1983年の結成から2000年の解散までの章が書かれているが、実際の執筆は1985年であるし、はっきりいってしまえばネタ本。怪物ランドリーダー平光琢也が書き下ろした、「怪物ランドの生涯」をネタにした本である。彼らのコントと同様、やや斜め視線から見た面白さとナンセンス、楽屋落ちと内輪受けをネタにした笑い満載である。
 結構探していたのだが、ようやく入手することができた。もう1回、彼らのコントを見てみたいんだけどね。もう無理かなあ。




古処誠二『分岐点』(双葉社)

 戦争も終末を迎えつつあった1945年8月。中学生の対馬智も勤労動員として駆り出され、陸軍中隊の築城要員として同級生とともに分隊に入れられた。すでに本土決戦が当たり前のことと認識され、あとはいつ米軍が上陸してくるかという状況。大陸帰りの軍人に虐められ、ひもじさに耐えつつ働く少年たち。すでに敗戦ムードが漂うなか、成瀬憲之だけは皇国民として教え通りの行動をとっていた。そんな彼の態度は、他の中学生から見たら反発を招くだけだった。ある日、壕を掘っているときに空襲警報が鳴った。そして成瀬は、一緒にいた伍長を刺し殺した。
 「自分の意思で殺した。後悔はしていない」という13歳の皇国民。彼はなぜ、伍長を刺し殺したのか。そして戦争は終わりを迎えつつあった。
 「小説推理」2002年2月号~12月号連載作品を加筆・訂正。

 新刊で買って、今頃読む。いつものことだ(なら書くなって)。
 『ルール』に続く戦争を舞台にした作品。戦争という時代を知らない我々にとって、戦争を知らない世代である作者が書いた作品をどう読みとるべきか。答えは非常に難しいと思う。一部の人は、戦争を知らない人が書いた作品など、現実と違うから意味がない、みたいなことを言っていた。本当にそうだろうか。それだったら、体験しないことは小説に書くことができなくなってしまう。第二次世界大戦における日本の悲惨さを伝え続けるためにも、このような戦争小説は必要であると考える。
 純粋な、あまりにも純粋すぎる少年。それが成瀬の姿である。国の教え通りの思想を持ち、国の教え通りに動く姿。これを今の我々は笑うことが出来るだろうか。これが昔、日本で本当にあった姿であり、模範とされるべき美しい姿であるといわれたのだ。戦争が終われば、思想は180度変わってしまう。成瀬のような少年たちは、いったいどんな思いを抱いたのか。今でも戦争は正しかったと訴える人たちは、戦争によってもたらされた悲劇を見ようとはしない。
 この作品をミステリとして読むことは出来なかったが、戦争末期の悲惨さや情けなさ、当時の日本の狂気が伝わってくる切ない作品である。あのころに時代を戻してはいけない。このような発言はいつまでできるだろうか。いつしか日本は、当時のあのころのように戻ってしまうのではないだろうか。そんな恐ろしいことを考えながら、読んでしまった。




亜木冬彦『殺人の駒音』(毎日コミュニケーションズ MYCOM将棋文庫EX)

 奨励会で若き日の谷山龍将に敗れ、プロ棋士の道を断たれた八神香介。将棋界から一度は消えるが、16年後に突如谷山がタイトルを持つ龍将戦に現れた。真剣師として「死神」の異名を持つ程に成長した香介。しかしその第一回戦の相手は対局当日、自宅で何者かに殺されていた。
 卓越したストーリーとリアルな描写で読者を魅了し、横溝正史賞史上初の特別賞に選ばれた傑作。短編将棋ロマン「榊秋介シリーズ」より、「盲目の勝負師」「子連れ狼」を同時初収録。(粗筋紹介より引用)
 毎日コミュニケーションズが発行する「週刊将棋」に、本作をマンガ化した「輪廻の香車」が連載されたことから、本作品が改めて出版された。

 アマ龍将戦で優勝し、プロの龍将戦トーナメントに参加した八神。しかしその対局相手が次々に殺されるというショッキングな展開。実在の人物が簡単に浮かび上がる描写や、どこかで読んだことのあるエピソードが続くという欠点はあるものの、将棋を取り扱ったミステリとしてはベスト3に入る面白さだと思う。特に対局風景の臨場感は、今までのミステリ作家では書けなかった素晴らしさである。大衆小説的な面白さを持ち合わせるこの作品については、横溝正史賞の正賞よりも、特別賞の方がふさわしいと思われる。
 何回目の再読かは覚えていないが、何度読んでも面白い。まあ、ミステリそのものとしては手垢のついたトリックが使われているかもしれないし、「意外な犯人」像も想像つくところかもしれない。どこかの名探偵に似た登場人物の名前にあざとさを感じる人がいるかもしれない。それでも、面白いものは面白いのだ。大衆娯楽将棋ミステリの傑作として、本作品はミステリ史に名を残すであろう。
 以前読み終わった感想として、この作者は将棋をよく知らないのでは、と書いた。その根拠は、最後の対局で、▲7六歩△8四歩に、「▲6六歩と角道を止めれば振り飛車模様になる」と書いてあったからである。この局面で三手目に▲6六歩と指す手はあまりない。だから将棋をよく知らないのでは、などと書いたのであったが、本作のあとがきを読むと将棋サークルに入っていたと書いてあった。対局風景の臨場感は、やはり将棋を指したことのある人でなければ書けないものだったのだ。甘い推理を恥じるばかりである。
 せっかくこれだけ面白い将棋ミステリを書いたのに、他に将棋を取り扱った作品はなぜないのだろうと残念に思っていたのだったが、実は「小説NON」に真剣師、というか大阪風にくすぼりと表現しようか。くすぼりである榊秋介を主人公とした短編を書いていたのだった。それが今回収録された二作。他にあと二作、発表されているという。ぜひとも本一冊になるぐらいまで書いてほしいものだ。




大原健士郎『精神鑑定、18人の犯罪病理』(講談社)

 精神科医として、数多くの精神鑑定を行ってきた著者が、現代社会の病理に迫る!! 通常の感覚では理解できない事件の真相を分析!!(帯より引用)
 幼児を凌辱、妻の不倫の子供殺害、愛人の子供殺害、母殺害、子供道連れ放火、無理心中、病気の娘殺害、薬物常用者のストーカー、フラッシュバック、逆恨み、アル中、薬物依存など、様々な18の事件の精神鑑定結果を基に、現代の闇を暴く。

 作者は浜松医科大学名誉教授で、精神鑑定を永年行ってきた。精神病関連の著書が多数ある。
 裁判ではよく心神喪失、心神耗弱という言葉が出てくる。酒や薬物、躁鬱病などの病気などによって、犯行当時の精神状態が通常のものではなかったため、刑を軽くすべきだ、という主張が弁護側からなされることが多い。
 個人的には心神喪失だろうが心神耗弱だろうが、刑は刑として裁くべきだと思っているのだが、中にはやっぱり例外もあるんだな、と思ってしまう。例えば二番目に報告されている、妻が永年不倫をし、しかも不倫相手の子供を夫の子供だと偽っていたケースなんかは、さすがに同情してしまうよ。ただ、そういう場合は情状酌量で裁くべきであるというのが自分の持論。勿論、いろいろと調べればそう簡単に言えなくなるのかもしれない。どちらにしても、心神喪失だから刑に問わないというのは、被害者遺族にとっては口惜しくてたまらないことだと思う。何か、良い解決策はないものだろうか。




柴田錬三郎『幽霊紳士』(春陽文庫)

 頭髪も、ネクタイも洋服も、みんなグレー、そして顔色さえもグレーと思えるような、特徴のない風貌である立派な紳士。事件が解決したかと思えたとき、幽霊紳士がどこからともなく現れて、事件の真相を伝え、事件の中心人物を嘲笑する。全ては鏡で反転したように、事実が異なっていた……。
 女傑と呼ばれる女社長心中事件を解決したかに思えた敏腕刑事だったが……「女社長が心中した」。
 私立探偵は以前調査をした老俳優の変死事件を他殺とにらんだが……「老優が自殺した」。
 女子大生は付き合っている三人の男のうち、賭をして一人を選ぶのだが……「女子大生が賭けをした」
 ヤクザの抗争決着として決闘が行われた。しかしその犯人にはアリバイがあった……「不貞の妻が去った」
 ジゴロは安息所を求めてバーの年増女と籍を入れた。そして女を殺そうと企むが……「毒薬は二個残った」
 心中に見せかけて二人を殺そうとした男は、新聞社に電話を入れた……「カナリヤが犯人を捕らえた」
 人気カメラマンは借金をしていた不動産周旋業の女を殺してしまった……「黒い白鳥が殺された」
 海水浴場で不倫カップルが死んだ。女は暴行されて、男は溺死して……「愛人は生きていた」
 自分の夫は殺人犯? その秘密を握るのは居候である夫の元上官?……「人妻は薔薇を怖れた」
 銀座で有名な乞食が愚連隊に襲われて殺された。そして年上妻は……「乞食の義足が狙われた」
 無名詩人が惚れたのは、ファニーフェイスのモデルだった……「詩人は恋を捨てた」
 孤独な老嬢は、飼い猫を探してくれた青年と親しくなるが……「猫の爪はとがっていた」
 大衆文壇が誇る鬼才、柴田錬三郎の手による短編小説集。大坪砂男がかなり協力していたと、伝えられている。

 ミステリファンには結構有名な一品。主要登場人物によりAという解決がなされた後に幽霊紳士がどこからともなく登場。Aという事実は間違いで、真相はBであることを伝え、そのまま去って行く。その結果、悪人と思っていた人物が実は善人、いい人と思っていた人が実は黒幕、騙したと思っていたら実は騙されていた、などと全てが反転する。この展開と構成は見事。主人公と読者をアッと言わせることに成功している。
 幽霊紳士の推理に根拠や証拠があるわけではない。推理とあるが、実際のところは想像と創造と言った方が正しいかもしれない。幽霊紳士の語ることは全て真実。それはあくまで本の中のお約束である。このAは偽の解決、実はBが真の解決。だけど直接的な証拠があるわけではなく、いくつかの出来事から組み立てた推理のみ、という形は、近年の本格ミステリ、とくに日常の謎系の本格ミステリにおける主流といってもいいかもしれない。どんな事象でも、角度を変えることによって姿を変えてみせる。そういう点を先取りしているということについても、凄い作品である。
 前作の主要登場人物が、次作において導入役を務めるという形式も、ミステリ好きを喜ばせる遊び心。12編で終わってしまったのが勿体ない、傑作短編集である。



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