藤崎慎吾『鯨の王』(文藝春秋)
マリアナ諸島海域を航行中のアメリカ攻撃型原潜が何者かに外部から襲われ、館長を含む乗組員の半数近くが死んだ。頭から血を流したり、いきなり頭が爆発したり。毒物でも伝染病でもない、その攻撃方法とは何だったのか。そしてその正体は。
小笠原海域の水深4000mで発見された全長40mにもなる鯨の全身の骨。マッコウクジラのようにも見えるが、サイズがでかすぎた。新種か、それとも異常発達か。海洋研究開発機構の潜水調査船に乗った鯨類学者の須藤秀弘は、鯨の骨や腸内結石を採取する。数日後、調査船のパイロットから海底の鯨の骨が荒らされ、盗まれたことを聞かされる。気になってS大の自分の研究室に行くと、採取した骨や腸内結石が全て盗まれていた。
海底熱水鉱床探査基地ロレーヌクロスに着いた米海軍調査研究所のドナルド・ライス博士は、原潜が襲われた原因を探る。
アル中で学会からも嫌われ者である須藤助教授は、アメリカの製薬会社の誘いに乗り、大学を休んで新種の鯨探索に取り組んだ。
「別冊文藝春秋」2005年1月号~2006年11月号掲載。
巨大な鯨と聞くと、やはり最初に頭に浮かぶのは『白鯨』なのだが、読み終わった感想としては、藤子不二雄Aの『ビッグ1』にどことなく雰囲気が近いなと思った。ベタな展開だが、鯨と人間との友情などというテーマは、読んでいて盛り上がってしまうものである。
科学的なデータがきっちりと書き込まれているので、巨大鯨の設定や海底基地、原潜などの設定が荒唐無稽なものとならず、非常に説得力があり、情景が向かってくるようであった。
ただ科学的なデータが細心なものであるのに、登場人物の造形や物語展開は余りにも古典的で、王道なものであった。そのためか、意外性に欠けたのがちょっと気に掛かる。できれば読者を驚かせるような展開をもう一つ入れることができれば、傑作になったと思う。狂信的なテロリストの存在は、やや唐突であったようだが。
時代背景は最新技術を駆使した現代だが、古典海洋冒険小説を読んでいるような気分になった。
深谷忠記『傷』(徳間書店)
タイからの留学生、ウェラチャート・ヤンは、担当教授である針生田耕介に以前から肩を抱かれるなどのセクハラ行為を受けていたが、とうとう呼び出されたホテルで強姦されそうになった、と告発した。針生田は逮捕されたが冤罪を訴え、後に証拠不十分で釈放される。ヤンは同じ女子大学のフェミニズム研究会の面々の協力を受け、民事訴訟を起こすことを決めた。そして弁護士である香月佳美の元を訪れた。
入間市のはずれで、放火殺人事件が起きた。家の中にあった死体は、持ち主の息子と知り合いの女性。その女性の名前を聞いて、針生田耕介の妻、珠季は驚く。耕介の貸金庫にあった、200万円の振込金受取書。その宛先口座の女性の名前であったからだ。夫は放火殺人事件と関係があるのか。思いあまった珠季は、兄でありファミリーレストランチェーン店の社長である白井弘昭に相談する。
強姦未遂事件と放火殺人事件。二つの事件の接点はなにか。
2007年7月発売、書き下ろし。
ここのところ、力作を発表し続けている作者の最新刊。帯にある作者の言葉、「二重協奏曲」という言葉が、期待感を膨らませたのだが、読み終わるとそれは失望に変わった。
二つの事件をどう結びつけるか、というところが最大の楽しみになるのだが、その真相は平凡なもの。作者は自信があったのかも知れないが、読み終わっても歓喜や驚きの拍手を送るとまではとてもいかなかった。その仕掛けにかかっている本作品なので、それが失敗に終わると作品自体が平凡なもので終わってしまう。文庫本だったらこれでもよかったけれどね。ハードカバーで自信満々にやられると、その期待感が裏切られた分の愕然度はよけい高まってしまう(変な言葉だ)。
本作品の失敗したところはもう一つ、救いらしい救いが全くないところか。いくら小説とはいえ、もう少し書き方があっただろうと言いたくなってしまう。読者に不快感だけを持たせたまま終わってしまうのは、やはりマイナスだと思う。作者は最後にその不快感を払拭したのだと思っているのだろうが、期待したほどの効果は得られない結末であった。
期待していただけに残念。次作で頑張って下さい。
柄刀一『密室キングダム』(光文社)
1988年夏、札幌。伝説的な奇術師・吝一郎の復帰公演が事件の発端だった。次々と連続する、華美で妖艶な不可能犯罪! 吝家を襲う殺意に霧は、濃くなるばかり。心臓に持病を抱える、若き推理の天才・南美希風が、悪意に満ちた魔術師の殺人計画に挑む!(帯より引用)
2007年7月刊行、書き下ろし。
“壇上のメフィスト”と称された奇術師。明治時代に建てられた屋敷。“舞台部屋”に飾られた様々な奇術の道具。次々と起きる、五つの密室事件。道具立ては万全ともいえる。これで話が面白ければ文句無し、というところ。
密室が五つも出てくるが、はっきり言ってしまうと「どのようにして密室が作られたのか」という点についてはほとんど興味がない。作られた密室である以上、誰かによって解かれるのは当然のことである。特に機械トリックなら舞台を直に見ることのできない読者は推理する必要性も感じられないので、よほどのトリックが使われない限り、読者が驚くことはない。このあたりは、直に見ることのできるマジックと違うところ。密室は、作者が苦労する割に、得られるものは少ない、難しい題材である。
ここまで密室が並び立てられると、密室そのものを解こうという気持ちは余計失せる結果となる。読者が興味あるのは、「どのようにして」ではなくて、「なぜ」密室が作られたかということである。作者は本作品において、読者の興味に応える十分な回答を用意してくれたと思う。「なぜ」五つも密室が続いたか、という点も含め、密室の理由は十分納得いけるものであり、かつ面白いものであった。
先ほどから「なぜ」の部分だけを書いているが、「誰が」の部分も十分面白いと思う。犯人の隠し方には感心した。確かにヒントは散りばめられている。
920ページもある大作だが、定期的に事件が起きたり、秘密が暴露されたり、そして謎の一部解明があるためか、最後の方を除いてほとんどだれずに書ききっているのもなかなか。ちょっとくどいかなと思える文章もあるが、昔ほど読みづらくはなかったし、何より謎の面白さが文章のリズムの悪さを覆い隠してくれている。
では傑作か、と聞かれると、素直に肯定できないものもある。拍手を送ることができるのだが、拍手喝采とまではいかなかった。これだけページを使えば、これぐらい書けるだろう、という以上のものがなかったのがその原因ではないか。ページ量に比例した面白さはあるものの、相乗効果のあるトリックや物語がなかったのがその理由である。過去の傑作本格ミステリ作品と比較すると、枠を突き破った面白さがなかった。もちろん、現在の本格ミステリの枠は、過去の本格ミステリと比べて広がっており、かつ堅固になっていることをわかっている上での発言である。たった一つでいいから、なにかこれは、というものが欲しかった。
結構意地悪いことも書いたが、本作品が2007年度を代表する本格ミステリ作品であることに、間違いはないだろう。できれば、これを越える作品が出てきてほしいと思っているのも事実だが。
南美希風は『OZの迷宮』などに出てくる探偵役だということは、この作品を読み終わった後に知った。この人物がいつの間にか探偵役を務める流れになっていることは、特に気にならなかったな。
船戸与一『砂のクロニクル』上下(新潮文庫)
民族の悲願、独立国家の樹立を求めて暗躍する中東の少数民族クルド。かつて共和国が成立した聖地マハバードに集結して武装蜂起を企む彼らだったが、直面する問題は武器の決定的な欠乏だった。クルドがその命運を託したのは謎の日本人“ハジ”。武器の密輸を生業とする男だ。“ハジ”は2万梃のカラシニコフAKMをホメイニ体制下のイランに無事運び込むことができるのか?(上巻)
機は熟した。運命の糸に操られるかのようにマハバードには様々な人間が集まっていた。革命防衛隊副部長のガマル・ウラディ。隊員のサマル・セイフ、クルド・ゲリラのハッサン・ヘルムート、過去を抱えた女シーリーン、そして二人の“ハジ”も。それぞれの思惑が絡み合い、マハバードが今、燃え上がる――冒険小説の第一人者が渾身の力を込めて書く壮大な叙事詩。山本周五郎賞受賞作。(下巻)(粗筋紹介より引用)
「サンデー毎日」'89/6/10~'91/1/13号掲載稿に加筆修正を行って1991年11月に毎日新聞社より刊行。山本周五郎賞、日本冒険小説協会大賞受賞。
船戸与一は歴史の表舞台には絶対出てこない、時代の一断面をするどく切り開く事の出きる作家である。本書が舞台となっているのはクルド民族の聖地、マハバード。今も迷える民族であるクルド民族の悲劇と、ホメイニ体制下のイランを舞台に、様々な人物が運命の糸に操られて集結する。民族同士、宗派同士の対立、それに絡む政治的な思惑。共鳴と裏切り。誇りと腐敗。色々な要素と人物を船戸は自在に操り、各地で繰り広げられた想いが一点に集結するカタストロフィ。個々の想いなど、国家と時代の思惑に全て流されてしまい、跡形もなく散っていく。
この物語は、世界各地で起こっている様々な悲劇の、たった一つの断片でしかない。しかし、その断片にかかわる人たちの想いは本物である。そしてそんな想いを描ききることのできる作家、それが船戸与一なのである。
読者は、その悲劇と、壮大な物語に圧倒されていれば、それでよい。
木々高太郎・有馬頼義共編『推理小説入門 一度は書いてみたい人のために』(光文社文庫)
本書は、乱歩・清張共編の『推理小説作法』の姉妹編にあたる。
しかし、編者・木々高太郎と有馬頼義の主張は、前書と比べて個性的でユニーク。その魅力に加え、裁判、証拠、毒物、監察、捜査の専門家による基礎知識の「解説」を四編収める本巻は、実際ミステリーを書く上でも有益な構成となっている。さらに松本清張の秀逸な“文章論”を収録。現在でも貴重な示唆に富むものだ。(粗筋紹介より引用)
1960年3月、光文社より出版された一冊。
“入門”と書いているが、入門書らしいのは専門家の書かれた「裁判と証拠」(桐山隆彦)、「毒物の知識」(佐藤文一)、「監察医の話」(吉村三郎)、「犯罪捜査」(長谷川公之)の四編と、「推理小説の文章」(松本清張)である。木々と有馬の文章は、入門という言葉には不適当と思われる。
先の四編は、推理小説を書く上で必要となる警察捜査などについての話なので、リアリティを必要とするのなら絶対覚えておきたい基礎知識である。とはいえ、実際の捜査では有り得ない捜査(例えば、一警部が全国を飛び回ったりするとか)が書かれていても、そこに前提条件が記されている(もしくは読者が阿吽の呼吸で理解している)のであれば問題ない作品もあるだろうから、その辺はケースバイケースで考えていけばいいのだろう。それに警察が出てこない推理小説もあることだし。念のために書くが、この本は1960年に出版されているから、あくまで当時のデータということは割り引いて考えなければならない。
清張の論は、まったくもってその通り、というしかない。「推理小説といえども、一般の小説とは少しも変わりないのである。ただ、トリックという特殊性のみに依存して、文章を考慮しないのは大変な間違いである」(本編より引用)。
有馬の「私の推理小説論」は、論というよりも、自らがどういうことを意識して推理小説を書いているのか、という話になっている。ただ、有馬の考え方もまた、一つの推理小説論だろう。「謎解き」という要素でジレンマを持っている人には、特に有益な話かと思われる。
木々「探偵小説の諸問題」は、いったい何を問題にしたいのかわからない論である。自分のいいたいことだけを書いて、すぐに次の項へ移ってしまうから、読者は意味の通じない戯言を聞くばかりである。せめて、序と結ぐらいはきちんと書くべきだったのではないか。
1960年当時、という但し書きがつくものの、今読んでも面白いものも多い。「入門」という部分には首をひねる部分があるものの、探偵小説から推理小説へ移る時代に書かれたもの、ということで勉強になる。
西澤保彦『収穫祭』(幻冬舎)
1982年、8月17日、夜。暴風雨の首尾木村北西区で、ほとんどの住民が虐殺される大量殺人の発生が警察に伝えられる。しかし悪天候と現場に通じる2脚の橋が流れたため地区は孤立、警察の到着は翌日になってからだった。かろうじて生き延びたのは中学3年の少年少女3人と彼らが通う分校の教諭ひとり。被害者は、3人の家族ら14名で、そのうち11人が鎌で喉を掻き切られていた。不明な点もあったが、犯人は、事件当時、逃走後に事故死した英会話教室の外国人講師と断定された――。そして9年後、ひとりのフリーライターが生き残った者たちへの取材を開始するや、ふたたび猟奇的な殺人事件が起こる。(帯より引用)
1944枚、書き下ろし。
かなり力を入れて書いているという噂は聞いていたから、出てすぐ買ってみた。帯にある「こんなに殺していいものか!?」の一言。なんとなく不安になったのだが、読んでみてその予感はあたった。ダークな西澤節、満載である。今風の言葉で言えば、「黒西澤全開」となるのか。
1982年の大量殺人事件。そして9年後の1991年に起きた猟奇的な殺人事件。そして似たような手口の殺人事件が、94年、95年と続く。そして最後に2007年。30人以上が殺された勘定になる。名前だけの人物もいるし、こいつが殺されるのは理不尽だろう、という登場人物も多い。逆に殺されて当然、という登場人物もいる。軽々しく殺しすぎたんじゃないか、と思える部分もあるが、簡単に人を殺せる時代と運命を念頭に置いて書いているのだろうから、それほど気にはならない。殺人に至る動機は、色々な意味で感心した。呆れた、というのもちょっとは入っているが。
西澤の一面ともいえるパズル的部分はほとんどない。一応謎の解明はあるものの、推理らしい推理はごく一部である。じゃあこの作品、いったい何なのだろう。サスペンスやサイコ、スリラーとは違うと思うし、本格ミステリというのも無理がある。繰り広げられる殺人大河ドラマ、とでも名付ければよいのだろうか。なんとも形容しがたい大作なのである。ただ、これを傑作かどうかと聞かれたら、首をひねってしまう。少なくとも傑作ではないだろう。主要人物の描き方に深みが足りないなあ、と思える部分(特に繭子)があるのも事実だし、謎そのものなんとなく軽さを感じてしまう。猟奇的連続殺人という恐怖と、殺人を軸に据えた運命の歯車が、うまくかみ合っていない。所々が欠けて異音を発している、そんな印象を受ける。
多くの登場人物を自在に操るうまさ、端役の人物までその後を書き込んだ物語の引き、張り巡らせた伏線の巧みさなど、評価したいところも多いんだけどね。なんかもう一歩の大作、と評したい作品。褒めているのか、貶しているのか、自分でもよくわからないのだが。色々書いたのだが、読んでみるだけの価値はあると思う。
どうでもいい話だが、昔の自分だったら、警察はもっと突っ込んで調べるだろう、と文句を言っていたに違いない。今だったら、警察は一応の筋道が立った解決、しかも被疑者が死んでいるとわかっていれば多少の矛盾点があろうと捜査を取りやめるだろう、と思ってしまう。この変化はなんなのだろう。結局、警察を全く信用しなくなったということかな。犯罪ノンフィクションなどを多く読むようになって、考え方が変わってしまったようだ。
小林久三『皇帝のいない八月』(講談社文庫)
ブルートレイン「さくら」の切符をゆずれと脅迫した男たちは何者なのか。切符譲渡を拒んだ業界紙記者の石森は、異様な不安を覚えつつブルートレインの客となった。果して異常な雰囲気を発散させる男たちがいた。彼らの狙いは? 行先は? 大胆な構想と迫真のシチュエーションで世を震撼させた予見長篇ミステリー。(粗筋紹介より引用)
1978年に出版された、政治クーデターサスペンス小説の傑作!
たまたま古本屋で見つけたので、懐かしくなって買ってしまった。これで三度目の読了となる。
すでにこの作品は、日本におけるクーデターを取り扱った最初期の作品であり、政治サスペンス小説の傑作として高い評価を得ている。過去2回開いたときには、とても面白く読んだ。
久しぶりに読み返してみると、確かに面白いのだが、昔ほどの満足度が得られなかったのも事実である。それは結末を知っているという理由だけではない。厚い、厚い冒険小説の醍醐味を知ってしまうと、この作品程度の長さではどうしても物足りなさを感じてしまうのだ。もちろん、あまりにもだらだらと書かれるのも問題だが、政治サスペンスものだったらどうしてももっと背景を、人物を書き込んでほしい、という想いが生じてしまう。
時代を考えたら、贅沢な要求である。しかし傑作という傑作でも、時代が経ってしまうとやや色あせてしまう。そんな当たり前のことに、今更気付かされてしまった。
折原一『疑惑』(文藝春秋)
都心の一等地でひとり暮らしをしている房枝のところにかかってきたのはオレオレ詐欺の電話。息子の昌男と勘違いした房枝は500万円を出すことにしたが……。「偶然」。
後藤浩子は、彼女の家の周辺で続けて放火事件が集中しているため憂鬱だった。しかも夫はリストラ寸前、息子は高校入学後3年も引きこもりのまま。唯一まともなのは、高校1年の優秀な娘だけだった。浩子は、夜中にこっそり外出する息子が放火事件の犯人ではないかと考えるようになる。「疑惑」。
快速電車「ムーンライトえちご」に乗った彼女は、終点村上までの切符を買った。電車の中には様々な客がいた。そして隣に座った客は、私と同じくらいの年齢の女性で、なぜか血の臭いがする。「危険な乗客」。
辰巳博之は、サラ金からの借金に困っていた。手段は、父親を殺すしかない。血の繋がらない父は、この地方でも有数の建設会社の社長。秘書である榊原めぐみから情報を入手した博之は、自分が疑われない殺人計画を立てた。それは交換殺人だった。「交換殺人計画」。
津村泰造は二年前に妻に先立たれてからひとり暮らし。悩みは昼二時になると布団を叩き出し、ラジオのボリュームを最大にする隣のおばさんと、5年前に出ていった長男のこと。最近は、床下換気装置などリフォームを薦めてくれる親切な男が来てくれるので助かる。「津村泰造の優雅な生活」。
特別収録として、幻の画家石田黙の絵をめぐる「黙の家」ならびに特別エッセイ「石田黙への旅」を収録。
「小説新潮」「小説宝石」に掲載された作品に、書き下ろしを加えた作品集。
現実に起きた事件や犯罪を題材にし、日常に潜む悪意と狂気を鮮やかに表へ照らし出した作品集。現実の犯罪を料理し、新しい事件を作り出す能力はさすがとしか言いようがなく、その辺はさすが折原一、というところか。ただ、長編ならうまい目くらましを仕掛けることのできるのだが、短編では枚数の関係上、どうしても仕掛けに頁を費やすことができないため、作者の狙い、というか結末の付け方が何となく想像できてしまうため、驚いてしまうべきところで素直に驚けないまま終わってしまう。折原一という名前がすでにブランドとなってしまったが上の、皮肉な現象といっていいだろう。テクニックは抜群なのだが、どうしても物足りなさを覚えてしまう。
ボーナストラックとして加えられているのは、作者が積極的に情報を求めている無名の画家、石田黙についてのサスペンス短編と、エッセイである。図版も多数掲載されている。作者の情熱が窺われる一編である。
三津田信三『凶鳥の如き忌むもの』(講談社ノベルス)
怪異譚を求め日本中をたずねる小説家・刀城言耶は瀬戸内にある鳥坏島の秘儀を取材しに行く。島の断崖絶壁の上に造られた拝殿で執り行われる〈鳥人の儀〉とは何か? 儀礼中に消える巫女! 大鳥様の奇跡か? はたまた鳥女と呼ばれる化け物の仕業なのか? 本格ミステリーと民族ホラーを融合させた高密度推理小説。(粗筋紹介より引用)
『首無の如き祟るもの』が面白かったので、この人のシリーズを読んでみようと思ったのだが、予想以上に読みづらかった。何度投げ出そうと思ったことか。リズムが悪いのか、それとも交わされる会話に読者への配慮が全く感じられないのが原因なのか。作者に置いてけぼりにさせられそうなところを、必死に追いついた。それが読了後の第一印象である。
絶海の孤島という舞台で、18年前と今で繰り返される衆人環視の目から消えた巫女の謎。さらに続いた消失事件。謎としては非常に魅力的な設定であり、周りを取り巻く雰囲気も実に不気味。民族ホラーと本格ミステリの融合、という点においては成功しているといっていいだろう。ただ、事件の解決そのものは、興醒めする結果であったのが残念だったが。個人的には、そんな解決、想像できないよ、と言ったところか。衝撃の解決!、ではなくて、色々な意味で呆れた解決であった。
好き嫌いがはっきりと別れる作品。はまる人ははまるだろうねえ。自分には合わなかった、それだけです。
柳原慧『パーフェクト・プラン』(宝島社文庫)
第2回『このミス』大賞においてダントツで称賛を受けた大賞受賞作がついに文庫化! 代理母として生計を立てている良江は、かつて出産した息子を救うため、ある“犯罪”を企てる。そして始まる「身代金ゼロ! せしめる金は5億円!」という前代未聞の誘拐劇! 幼児虐待、オンライントレード、ES細胞、美容整形……現代社会の危うさを暴きつつ、一気に読める面白さ。予想を裏切り続けるノンストップ・誘拐ミステリー、ここに登場!(粗筋紹介より引用)
2004年、第2回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。
身代金を奪わずに現金をせしめる誘拐劇。これだけなら手段の差こそあれ、過去の作品にも前例がある。この作品の凄いところは、代理母、幼児虐待、老人介護、オンライントレード、ES細胞、美容整形などといった現代社会を代表するような素材をこれでもかとばかりに押し詰め、それでいて素材に振り回されることなく、超弩級ノンストップミステリとして仕立ててしまったところにある。しかもその背景として全体的なテーマとなっているのが「家族の絆」という古典的な題材であるところがまた面白い。
あまりにも素材を詰め込みすぎたため、いったい何が話の焦点だったかわからなくなってしまったきらいはあるが、それでも立て続けに降りかかる事件の面白さが、そんな不満を吹き飛ばしてしまう。まあ、とばしすぎてスピードオーバーの反則を犯しているんじゃないかという気がしないでもないが……。
とにかく面白い、というだけなら一級の作品。矛盾点なんか吹き飛ばしてしまう、ジェットコースター・サスペンスを堪能することができた。
笹本稜平『恋する組長』(光文社)
探偵事務所を開いている「俺」のもとを訪れるのは、やくざと、やくざよりタチの悪い悪徳刑事ばかり。「極道は飯の種」と割り切って、今日も探偵家業に精を出すが、あまりにも奇妙で無茶な依頼が持ち込まれて……。風変わりな事件を、軽快な筆致と生き生きとした人物描写で書き上げる、極上のハードボイルド探偵小説、登場!(帯より引用)
年始明けで5日ぶりに立ち寄った事務所には、あこぎな街金を営んでいる男が部屋の真ん中でぶら下がっていた。しかも過去に因縁のある相手だから始末が悪い。アリバイも根石、悪徳刑事のゴリラには目を付けられる。そこへ死んだ男の女房が現れて、犯人であるはずの実の息子を高飛びさせてくれと依頼してきた。「死人の逆恨み」。
地場の暴力団山藤組組長が泣きながらおれに電話をしてきた。飼い犬がいなくなったので探してほしいという。電話番の由子とともに探索を始めるおれ。見つけた犬が入り浸っていた家は、ひとり暮らしの老婆で、しかも事故で死んでいた。一件落着かと思ったら、1週間後再び組長に呼び出された。犬が加えていたのは人間の頭蓋骨だった。「犬も歩けば」。
山藤組の若頭、近眼のマサが消息を絶った。組長の命令でマサを探すことになったおれ。ところが由子がマサを偶然見掛けていた。隠れているラブホテルの部屋に押し掛けると、そこにあったのは別人の男の射殺死体。あわてて逃げ出したおれたち。マサが見つからないので、手がかりを探しに部屋へ戻ると、そこにいたのはマサだった。「幽霊同好会」。
悪徳刑事のゴリラこと門倉が、おれの事務所にやってきた。門倉の妻であるフィリピン美女の愛が、まずまず知られた油絵画家と浮気しているかもしれないので、調べてほしいというのだ。調査を開始したが、浮気らしい様子は見あたらない。ところがその画家から門倉へ名指しで依頼をあった。最新作の絵が盗まれたらしい。「ゴリラの春」。
近眼のマサが由子に縁談を持ってきた。相手はIT関係の会社社長でカジノ解禁論者。しかも郷里のS市で選挙に出馬する予定であった。そして地場の血縁関係を深めるために調べているうちに、由子が清和源氏の血筋を引く血統書付のお姫様であったことを調べたらしい。そこで由子の身辺を綺麗にするというのが、おれへの依頼ということだ。「五月のシンデレラ」。
ゴジラが入院することになった。実際はただのポリープなのだが、本人はガンだと思いこんで沈み込んでいる。そんなある日、橋爪組の組長がおれに依頼を頼んできた。偶然見掛けて一目惚れした女性の身元を探って気持を伝えてほしいというのだ。その女性というのが、ゴジラの恋女房、愛ちゃんだった。「恋する組長」。
「小説宝石」に掲載された、連作短編集。
名前のない私立探偵ものを読むのは久しぶり。昔はよくあった設定だが、最近では珍しいのではないか。しかも依頼主が暴力団の人たちに特化されているのも魅力的だ。
最初の「死人の逆恨み」は割とスタンダードな話だが、その後は結構凄い。組長の飼い犬探し、幽霊探し、フィリピン妻の浮気調査、IT社長妻候補の身辺整理、組長の一目惚れ相手探しなど、極道相手なのに笑ってしまう話ばかりである。そして調査の結果で巻き込まれてしまう事件と、その結末も意外性がありなかなかのもの。「軽快で洒脱なハードボイルド探偵小説」という帯の言葉に偽りはない。
冒険小説ばかりでなく、最近は警察小説など色々なジャンルを書くようになった作者だが、こんなお洒落なハードボイルドが書けるとは思わなかった。ベストには選ばれないだろうが、個人的には大満足。私立探偵小説が好きな方以外にもお薦めしたい。
東野圭吾『たぶん最後の御挨拶』(文藝春秋)
東野圭吾5冊目のエッセイ集。年譜、自作解説など、現時点における東野圭吾の総決算、といった趣のエッセイ集である。
年譜や自作解説などを読むと、読者と作者の間、そして作者と書評家の間って大きな溝があるんだなと感じてしまう。作者の自信作がまったく評価されなかったり、軽い気持で書いた作品が評判になったり。まあ、全てが作者の思い通りに事が進んだら、全ての作品がベストセラーになるわけなんだが。
このエッセイを読むと、どこか客観的で冷めた視線で自分を見つめている東野圭吾がうっすらと見えてくる。文学賞に落選してがっかりしているのは確かだろう。受賞して喜んでいるのも確かだろう。編集者や仲間たちから祝福されて喜んでいるのも真実だろう。それでもどこか、遠くから自分を見つめているのが東野圭吾という人物のように思えるし、だからこそあれだけの作品が書けるんだろうと思ってしまう。
自作解説以外にも、収録されたエッセイはどれも面白い。本人はタイトル通り、これが最後のエッセイ集だと書いているが、何とも勿体ない話だ。
【元に戻る】