アントニイ・バークリー『トライアル&エラー』(創元推理文庫)

<ロンドン・レビュー>誌の寄稿家トッドハンター氏は、動脈瘤で主治医からあと数か月の寿命だと宣告された。そこで、彼は余命短い期間に有益なる殺人を犯そうという結論に達した。しかし、生と死に関して理論的だが異常な見解を持つ編集長や、アマチュア犯罪研究家、快楽のために一家を犠牲にする作家、犯人の告白を信じない捜査官などのまえに事態は従来の推理小説を皮肉るようなユーモアを交えながら意外な方向へと発展した。「殺意」につぐバークリーの畢生の大作。(粗筋紹介より引用)
 1937年刊行、バークリーの代表作。

 今頃読むのか、な一冊。これだけは、なぜか手を付けていなかった。今から70年も前の作品だけど、今読んでも十分に面白い。時代設定などは当然当時のものだが、このひねくれ度は今でも十分通用するものである。
 主人公や読者を皮肉るような展開の数々。そこにあるのは揶揄ではなくて、あくまで批判と風刺、そしてユーモアであるから、少々耳に痛いような言葉でも、読んでいて楽しい。倒叙作品ではあるが、『歌う白骨』などのような本格推理小説ではない。自身の「殺意」のようなサスペンスでもない。これは倒叙の形を使った、一種の風刺小説とでも評すればいいのだろう。
 それにしても、チタウィック氏が出てくる作品は、へんてこな、そして面白い作品ばかりだ。

 どうでもいいが、創元推理文庫の「倒叙」マークの時計は12時20分あたりをさしているのだが、これはいったいどういう意味があったのだろうか。クロフツの例の作品と関連があるのだろうか。




大阪ゲラゲラ学会編『もうひとつの上方演芸』(たちばな出版)

 ダウンタウン、ナイナイ、てんその成功――。本書は、吉本が席捲する大阪演芸会にかつを入れるべく、昨今の吉本ブームに隠れがちな大阪芸人にスポットをあて実地取材のもと、問題提起した。吉本にうんざりした演芸ファンに贈る、お笑い虎の巻!(帯より引用)

 いわゆる吉本以外の大阪芸人にスポットを当てた一冊。大阪ゲラゲラ学会を主催するのは、元ベジタブルの右尾祐佑である。ベジタブルは「テレビ演芸」で5週勝ち抜いたが、最後はピンクの電話に破れている。島朗の『将棋界がわかる本』もプロデュースしたから、お笑いファンばかりでなく、将棋ファンでも知っている人がいるかと思う。
 第1章は「もうひとつの上方演芸」と題して、今は亡き「浪速座」のレポートから、高石太、古川一郎・二三子、横山たかし・ひろし、若井ぼん、酒井くにお・とおる、パート2へのインタビュー、そして浪曲あれこれ、講談あれこれと題して浪曲や講談の現状を考察している。この章で一番面白いのは、好田タクトが吉本~フリー時代のギャラをあれこれ紹介したものである。若手芸人の悲惨さがよく出ている。この好田タクト、日本で唯一の「指揮者のものまね」で有名である。
 第2章は「在阪プロダクションの新人発掘」と題して、松竹芸能、ケーエープロダクション、大滝エージェンシー、ザ・ニュースを紹介している。
 続いて載っているのは、吉本以外のタレント名鑑。これが圧巻。大御所から若手まで、漫才、コント、ピン芸、落語、講談、浪曲などよくぞこれだけ集めたものだと感心してしまう。これだけでも徹夜する価値有り。
 本書の初版は1997年。すでに10年が経っている。タレント名鑑のなかには、既に消えてしまった人たちも多い。吉本はどんどん肥大化していくが、松竹はなんとか頑張っている。できればここらで、改訂版を出してもらえないだろうか。
 個人的には、ポッキー掛布がまだ現役なのか確かめてみたい(笑)。




小杉健治『父と子の旅路』(双葉文庫)

 「君には難問だが、逃げずに立ち向かうんだ」弁護士の浅利祐介は所長の澤田からそう告げられた。その難問とは、祐介の両親を惨殺した死刑囚の再審を担当するという酷いものだった。その死刑囚は唯一生き残った祐介の行く末をことのほか案じていたという。それが何を意味するのか。驚倒の事実が……。(粗筋紹介より引用)
 2003年1月、双葉社より刊行された作品の文庫化。

 ジャンルとしてはごくわずかだろうが、再審ものの一冊。しかも死刑囚とはなかなか難しい課題である。警察・検察といった機関はもちろん、裁判所も再審の扉を開くことを極端に嫌っている。法廷ものを得意とする作者のことだから、それぐらいのことは百も承知だろう。ということで、その辺はうまくカバーできるように書いている。というか、現在の設定をほぼ無視しているというか(笑)。
 いつの時代なのかわからないが、執行の決定は三日前に伝えられているし、集団処遇でもやっているかのような「送別会」まで開かれているし。しかも執行決定の事実が部外者の、しかも再審を担当しようとしている弁護士にまでいつの間にか伝わっているという。今ではとてもとても考えられない話だ。まあ、ちょっと前までだったら、訳ありそうな死刑囚の執行なんかはなかったが、最近はそうともいえないので、執行決定の事実そのものはまだわからないでもないが。最後のスピーディーな流れは、お役所仕事とはとても思えないぐらいの素早さ。
 その辺の不可思議設定は置いておくとしたら、この作品はそれなりに感動できる仕上がりである。無実なはずの死刑囚が、なぜ口を閉ざしているのか。結局謎といえる部分はこの一点にかかっているのだが、これはうまいと思った。
 まあ、ご都合設定丸出しながら、読み終わってみれば素直に感動したね。お涙ちょうだいの物語としてはよくできている。




石崎幸二『首鳴き鬼の島』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 お知らせしたいのは、あなたのご両親のことです。施設で育ったあなたは、ご自分のご両親のことはご存知ないかもしれません。そのご両親のことで、大変重要なことをお知らせしたいのです。

 相模湾に浮かぶ、竜胆家の私有地・頸木島は「首鳴き鬼」の伝説から、首鳴き島と呼ばれていた。首を切られた鬼の身体が首を求めて鳴きながら彷徨うという伝説だ。若者向け情報誌の怪奇スポット特集の取材で、ガールフレンドの茜とともに島を訪れた編集者・稲口は、後継者問題で一族が集まる頸木島の頸木館で、伝説に見立てた連続殺人事件に巻き込まれた……。(粗筋紹介より引用)
 2007年7月刊行。メフィスト賞作家、久しぶりの書き下ろし。

 講談社ノベルスでは、女子高生コンビとの会話が無駄に楽しいシリーズが一部で好評の作者だが、本書は真正面から本格ミステリに挑んでいる。帯にもあるとおり、「孤島の館、嵐の夜、そして連続見立て殺人……」と、好きな人にはたまらない設定を用意してきた。
 読み終わって感心したのは、科学捜査が発達したこの現代で、あのトリックを成立させたことと、さらにそこから返しを成立させたことである。トリックそのものは予想できても、科学捜査をこううまく利用する方法があるとは思わなかった。もちろん、それを成立させるための準備もなかなか。見立て殺人の理由よりも、それを成立させるための仕掛けに思わずうなってしまった。犯人を追いつめるまでのロジックも悪くない。本格ミステリの“本格”部分は高得点を上げてもいいと思う。
 ただ、読み終わっても、面白かったという印象はあまりない。本格ミステリの“ミステリ”部分はペケである。
 舞台、背景、容疑者、犯人像、特にワトソン役や探偵役。いずれも、古典の本格ミステリそのままの姿である。なぜ21世紀の今頃になって、リバイバル作品のような新作を読まなければならないのだろうか。わかりやすすぎる伏線(これは長所ととらえる人がいるかも)、連続殺人が起きている中での緊迫感の無さ、暢気に繰り広げられる事件の検証(無意味なトリック論議や犯人当て合戦が起きなくてよかった)。孤島における嵐の館なのに、サスペンスが皆無というのはどういうことだ。本格ミステリの悪い部分を、そのまま引き継いで現代に甦らせてどうするのだ。先人が造ったレールの上を走るのではなくて、先人が造ったレールそのものを模倣してできあがったような感じだ。
 さて、この作品、どう評価すればいいんだろう。傑作とはまるで思えないけれど、駄作と切り捨てるにはもったいない。さりとて、万人に勧められる作品でもないし……。微妙な作品かな、色々な意味で。微妙ってなんだ、微妙って。よくわからないけれど、とにかく微妙なんだよ。




鮎川哲也『ヴィーナスの心臓』(集英社文庫)

 “本篇は、ある年の日本探偵作家クラブの七月例会の席上で、余興の犯人当てゲームとして朗読されたもののテキストであります” 日本の第一線推理作家たちが30分間に推理力をフルに活動させ、競い合ったが…、その結果は正解者なし。さて、読者のあなたは果して??(粗筋紹介より引用)
 「達也が嗤う」「ファラオの壺」「ヴィーナスの心臓」「実験室の悲劇」「薔薇荘殺人事件」「山荘の死」「悪魔はここに」の犯人当て小説7編を収録。1960年に講談社から出版された『薔薇荘殺人事件』の文庫化。

 昭和30年代は、犯人当て推理小説が結構盛んだったんだな、と思わせる一冊。鮎川哲也は最近、犯人当て推理小説集が3巻にまとめられたように、結構な数の作品を残している。元々の作風が、犯人当てに適していたんだろう。
 本作品は、傑作「達也が嗤う」「薔薇荘殺人事件」などが収録されている。単なる謎解きだけでなく、解答篇ではなぜ事件を起こしたかといった背景などもきっちりと書き込まれており、問題篇と解決篇に分かれていなかったら普通の本格ミステリ短編と言っても十分通用する仕上がりになっている。




逢坂剛『斜影はるかな国』(講談社文庫)

 一九三六年に勃発したスペイン内戦に身を投じた日本人義勇兵がいた。その名はギジェルモ・サトウ。彼はどんな使命を担っていたのか。謎を追ってスペインに渡った通信社特報部記者・龍門二郎はギジェルモを巡るラビリンスへと迷い込む。その目の前で暴かれていく意外な事実とは。迫力の長編サスペンス。(粗筋紹介より引用)
 1990年2月14日~1991年3月2日まで朝日新聞夕刊連載。1991年7月、朝日新聞社より刊行。

 逢坂剛お得意のスペインもの。今回は二つの物語が平行して書かれていく。一つは、マドリードに留学中の花形理絵が殺人事件に巻き込まれる。被害者が反政府のETA(バスク祖国と自由)と関わりがあったことから、治安警備隊内部に組織されたCEIAT(反テロ特捜隊)とETAの争いに巻き込まれていくもの。もう一つは、通信社特報部記者・龍門二郎がスペイン内線にいた義勇兵のその後を追ううちに、自らの過去と接点を持つことを知り、さらにかつて愛した女性と再会することによるロマンスを通しながら、意外な真実が目の前に現れていくものである。
 二つのストーリーが途中で重なり、物語は1936年のスペイン内戦時に隠された金塊の謎をも巻き込んでめまぐるしく変化し、登場人物たちを容赦なく翻弄する。
 スペイン内戦から現代までのスペイン史を包括した舞台背景。時代に隠された謎に翻弄される人たちの造形。己の正義と自由を信じて動き回る者たちの内面。謎の義勇兵たちの意外な正体。様々な謎と、時代の重みを重ね合わせながら繰り広げられるサスペンス。いずれをとっても一級品である。それら一級品の要素が巧みに重なり合っているのだから、素直に傑作と称するしかない。
 新聞連載のせいもあるかもしれないが、盛り上がるべきサスペンスの部分が短いスパンでこれでもかとばかりに並び立てられている。それでいて、その盛り上がりに食傷することない仕上がりになっているのも、作者の巧みな綱裁きといえよう。結末も、大演奏の終わりの静寂に匹敵する、素晴らしい余韻に浸ることができるものである。
 主人公ばかりでなく、脇役もしっかりと書き込まれているのが嬉しい。フラメンコ・ギタリストの風間新平など、もう一度会ってみたいキャラクターである。
 ヒロインの一人、花形理絵は『十字路に立つ女』のヒロイン。名前だけではあるが、逢坂剛のシリーズキャラクターの一人である岡坂神策が登場するのは、ファンサービスであろうか。
 逢坂剛のスペインものは外れがなく、いずれも素晴らしい仕上がりであるが、本作も傑作の名にふさわしい一品である。なーんて、今頃書かなくてもみんな知っていることだろうが。




ローリー・リン・ドラモンド『あなたに不利な証拠として』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 警官を志望する若きキャシーがマージョリーと出会ったとき、彼女の胸にはステーキナイフが深々と突き刺さっていた。何者かが彼女を差し、レイプしたのだ。怯え、傷ついた彼女を慰めるキャシー。だが捜査を担当したロビロ刑事は、事件を彼女の自作自演と断じる。マージョリーに友情めいた気持ちを抱いていたキャシーだったが、どうすることもできなかった。それから六年後、キャシーとマージョリー、そしてロビロの運命が再び交わるまでは……MWA賞最優秀短篇賞受賞の「傷痕」をはじめ男性社会の警察機構で生きる女性たちを描く十篇を収録。(粗筋紹介より引用)
 キャサリンが登場する「完全」「味、感触、視覚、音、匂い」「キャサリンへの挽歌」。リズが登場する「告白」「場所」。モナが登場する「制圧」「銃の掃除」。キャシーが登場する「傷痕」。サラが登場する「生きている死者」「わたしがいた場所」。
 十二年かけて書かれた10作を集めた、作者の処女短編集。2004年、ハーパー・コリンズ社より刊行。2006年2月、邦訳刊行。

 主人公はいずれもルイジアナ州バトンルージュ市警に勤める女性警官。作品によっては、彼女たちが別の短編に登場する。
 このミス1位作品ということで珍しく読んでみた(ポケミスそのものは時々買っている)けれど、退屈だった。彼女たち女性警官の日常と苦悩が主となっているため、盛り上がりに欠けるというか、地味というか。警官が主人公で、MWAを受賞しているからミステリに分類されているけれど、純文学に分類されても十分通用するんじゃないだろうか。この作品のどこがよいのか、さっぱりわからなかった。自分にはこういう作品を理解する感性がないんだろうな。



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