京極夏彦『覘き小平次』(中央公論新社)

 一日中押入棚に閉じこもり、戸襖をわずかに開いて世間を覘く売れない役者木幡小平次。そんな小平次を嫌悪し、罵倒する妻のお塚。囃子方である安達多九郎が仕事を持ってきた。禰宜町の玉川座が、奥州でやる狂言怪談の幽霊役に小平次を使いたいという。幽霊の芝居だけは絶品の小平次を、一座の立女形、玉川歌仙が座元に推したという。
 幸い、興業はそこそこの当たりをおさめ、小平次の幽霊の演技も好評であった。しかし、この興業にはある裏があった。
 山東京伝の『復讐奇談安積沼』を題材とし、現代に甦らせた京極怪談書き下ろしの一冊。第16回山本周五郎賞受賞作。

 京極夏彦が江戸時代の怪談を新たに調理し直した、『嗤う伊右衛門』に続く一冊。申し訳ないのは、肝心の『復讐奇談安積沼』を知らないことである。巻末にある関連文献を読むと、小平次を扱った怪談は他の作家も書いているようなので、結構有名なのかも知れない。
 生きているか死んでいるかどうかもわからない幽霊役者小平次と、嫌悪しながらも分かれようとしない妻お塚。二人をとりまく様々な人物の思惑と思いを巻き込み、不気味な愛憎劇を繰り広げることとなる。怖いのは死者か生者か。
 凄惨なラストシーンの後に流れる静寂が、かえって不気味さを増す。怪談を書かせれば、天下一品の作者だろう。できれば、現代流の怪談落語を書いてもらいたいところだが。




詠坂雄二『リロ・グラ・シスタ』(光文社 カッパノベルス)

 吏塚高校の屋上で発見された、在校生の墜落死体。同じ頃、校内では名高い「吏塚の名探偵」が受けた、奇妙な依頼。それは、この事件での依頼人の無実を証明すること……。独特の文体、凝りまくった趣向。“青春彷徨推理小説(イミテーションハードボイルド)”を自称して、ずいぶんと奇妙な才能が出現した!(帯より引用)
 登竜門Kappa-Oneレーベルから久々登場。書き下ろしデビュー作。

 奇妙なタイトルだが、the little glass sister の略らしい。作者の名前をironic bomberと英訳しているのはどうかと思うが。
 推薦文は綾辻行人と佳多山大地。綾辻推薦ということで、少なくとも無難なものではないことはすぐにわかる。問題はこれが吉と出るか、凶と出るかであるのだが。
 高校を舞台とした学園小説。それでいながら、文体は一人称ハードボイルド。語り手は「吏塚の名探偵」と呼ばれているらしいが、過去や名前が出てくるわけではない。ハードボイルドの文体なのに、事件はなぜか「屋上で発見された墜落死体」という一昔前の不可能謎。おまけになぜか4色に分かれた装丁。胡散臭さがぷんぷんと漂ってくる。
 設定は不協和音の塊だが、中身は一応ハードボイルド。それでいて最後は物理トリックが解明され、綾辻曰く「ぎりぎりの綱渡り(アクロバット)」が展開される。
 墜落死体を屋上に上げるトリック。屋上に上げる動機。いずれも過去の作品で見られるものだが、ハードボイルドな文体も含め、それら全てを融合させることにより、何とか見られる作品には仕上がっている。その仕上がりは、「本格ミステリを土台にした、本格ミステリではない作品」((C)T氏)である。ただ、よくわからない色分けのページも含め、腹を立てる人は腹を立てるだろう。
 まあ、少し勘のいい人なら作者の仕掛けを見破るのは容易い。そして今のところ、仕掛け以上のものを書けていない事に気付くに違いない。二作目が書ける作者のようには思えないが、大丈夫だろうか。




皆川博子『ゆめこ縮緬』(集英社文庫)

 蛇屋に里子に出された少女の幼い頃の記憶は、すべて幻だったのか、物語と夢の記憶のはざまにたゆたう表題作「ゆめこ縮緬」。挿絵画家と軍人の若い妻の戯れを濃密なイメージで描き出す「青火童女」。惚れた男を慕って女の黒髪がまとわりつく、生者と死者の怪しの恋を綴る「文月の使者」他、大正から昭和初期を舞台に、官能と禁忌の中に咲く、美しくて怖い物語八編。(粗筋紹介より引用)
 1995年から98年まで、「小説すばる」に掲載された作品を収録。1998年、集英社より単行本として出版された作品の文庫化。「文月の使者」「影つづれ」「桔梗闇」「花溶け」「玉虫抄」「胡蝶塚」「青火童女」「ゆめこ縮緬」の八編。

 本を読む人なら、肌が合わない作家の一人や二人は必ずいるだろうが、私にとっては皆川博子がその一人。一応何冊か読んでいるのだが、どこが面白いのかさっぱりわからない。作風そのものは、どちらかといえば好みのはずなのだが。
 今回の短編集を読んでも、その印象は変わらず。設定は悪くないと思いつつも、読むのがどうしても苦痛。本来だったら怪しさにつながる結末が、ただの中途半端なイメージとしかとらえられない。
 解説だけを読むと、この作品集の面白さが伝わってくるんだがね。もうこればっかりはどうしようもない。苦手なものは苦手。だったら読むなといわれそうだが、買ってあるんだから仕方がない。




高田侑『顔なし子』(幻冬舎)

 年老いた父と同居するため、妻と息子を連れて故郷に戻った美笹修司。その帰郷を待ちわびたように次々と発生する怪事件。恐怖のどん底に突き落とされる村。その時、修司の脳裏には、ある少年の姿が浮かんでいた。父・和郎が再婚相手といって突然連れてきた絶世の美女・セリと、連れ子の少年・桐也。再婚前にセリは、村の元大地主で実力者の武石貫一郎の手にかかる。愛人となったセリをいじめる貫一郎の妻やその取り巻きたち。ある日、セリは自殺をし、やがて桐也は姿を消してしまった。一連の事件は、桐也の犯行なのか。(一部帯より引用)
 2007年8月、書き下ろし。

 帯にあった北上次郎の「親と子の、それぞれの生き方について描かれた胸に残る物語だ」という一文と、冒頭に書かれた「顔なし子」の言い伝えが面白そうで、とりあえず買ってみたのだが。「現代社会の歪みを描き切った」という帯の言葉がかなりむなしく響いた読後であった。
 怪事件が発生するのは、物語の三分の一を過ぎてから。それも、本格的な事件が起きるのはもっと先の話である。それまでは、修司や桐也たちの過去の話が中心である。作者は過去の因縁などを丁寧に書こうと思ったのだろうが、いつまでたっても事件がおきないのだから、どうもまどろっこしい。それでも過去の話が面白ければまだ救いがあるのだが、寂れた村の類型的ないじめの話が主であり、面白さも恐怖感も何も味わえない。これだったらもっとスピーディーな展開を書くべきだっただろう。
 事件が起きても、サスペンスをまるで感じさせない書き方がどうにも困りもの。「顔なし子」というせっかくの題材があるのなら、もっと生かすことは出来たはず。「顔なし子」がもたらす恐怖を物語に生かすことが出来ないから、何もかもが浮いたままで終わってしまっている。
 親と子の生き方、というモチーフも中途半端。年老いた父親と子供の関係をもっと徹底的に書き込むべき。結局物語に没頭できるようになるのが最後も最後。親子の生き方の路線をもっと突き詰めてもよかったのではないだろうか。修司と和郎が交わす会話など、ところどころでは面白い部分もあったのがもったいない。
 過去の話で埋め尽くされた前半部をもっと整理し、登場人物を減らせばもう少し何とかなっただろう。ホラーな要素であるはずの「顔なし子」。そしてサスペンス要素であるはずの連続怪事件。父と子のつながり。いずれも言葉が足りず、つながりが薄い。全てにおいて中途半端、という印象は最後まで変わらなかった。




祐光正『浅草色つき不良少年団』(文藝春秋)

 昭和の初め、帝都最大の歓楽地であった浅草。当時の浅草には、色の名前を付けた不良少年団が、三つあった。後に小説や映画のモデルとなり、美少女を頭目に置いたという『浅草紅色団』。別名、暗黒団とも云われ、かなり際どくあくどいこともやっていたという話の『浅草黒色団』。そして、二つに比べて規模が小さく、十数人が集まっただけだが、一番まとまっていた『浅草黄色団』。黄色団を率いていたのは、似顔絵ジョージこと、神名火譲二少年であった。
 昭和の終わり頃、売れない漫画家だった作者が、神名火老人から当時の話を聞きだすシリーズ5編を収録。
 弟分の辰吉が十二で殺された。かわいそうで一晩添い寝をし、目を覚ますと女の死体も転がっていた。2005年、第44回オール讀物推理小説新人賞を受賞した「幻影浅草色付不良少年團(あさくさカラー・ギャング)」(発表時のタイトルは「浅草色つき不良少年団」)。
 黄色団員のジャンケン雅が惚れた名も知らぬ女性。似顔絵を書いてみると、二年前の鬼啖事件で殺された娘にそっくりだった。江戸川乱歩も登場する「墨東鬼啖事件」。
 乱歩の家に招かれたのは、譲二と、『浅草紅色団』の頭目、冬瓜の百合子。そこで知り合った彫刻家の家に招かれ行ってみれば、あったのは大きな透明の瓶に入った14,5ぐらいの美少女。びっくりして交番に行き、警官を呼んできたが、家があったはずの場所は更地であった。「瓶詰少女」。
 黄色団の天狗小僧の長吉と、里村せんという女の子が決闘をすることになった。長吉の匕首がおせんの胸に刺さる。慌てた立会人の六が医者を呼んできたが、帰ってくると長吉もおせんもいなかった。「イーストサイド物語」。
 関東大震災のときの、譲二たちの物語。「二つの墓」。

 作者は久保田眞二名義で漫画を描いていた。ホームズの贋作物『ホームズ』を「ビジネスジャンプ」に連載していたことがある。
 元漫画家ということもあってか、昭和初期の浅草の情景や雰囲気をうまく描き出している。それ以上にすばらしいのは、『浅草黄色団』という設定だろう。当時ならではの設定で、リアリティも十分。どことなくノスタルジーをかもし出す文章といい、仕上がりは見事なもの。事件から解決までの流れもスピーディーである。
 それでも読んでいて、今一歩かなと思うのは何なのだろう。何が悪いというわけではないのだが、読んでいてそれほど面白さを感じないのは、ややくどいかなと思われる文章にあるのだろうか。
 出来は見事と思うが、自分としては楽しめなかった。表紙を見たときは、面白そうだと思っていたのだが。




笹本稜平『越境捜査』(双葉社)

 警視庁捜査一課の特別捜査一係に移った鷺沼友哉は、手が空いていたため、かつて自分が手がけた森脇康則殺害事件の再捜査を一人で行うこととした。森脇は警視庁捜査二課が追っていた巨額詐欺事件の被疑者だったが、殺害され迷宮入り直前だった。犯人も、そして森脇が受け取った総額12億円の札束も不明のまま。遺体が発見されたのは横浜港ということで、殺人事件そのものの捜査の主体は神奈川県警だった。警視庁と神奈川県警は犬猿の中。鷺沼が捜査を開始した瞬間、鷺沼は三人の男に痛めつけられる。神奈川県警は事件の迷宮入りを願っているのか。鷺沼のもとに近づいてきたのは、県警の不良刑事、宮野。宮野は、ナンバーが知れているかつての12億円の札束の一枚を偶然入手していた。さらに鷺沼の元上司である、神奈川県警警務部監察官室長の韮沼からも、同事件の捜査を依頼される。
 「小説推理」2006年2月号~2007年3月号に連載された作品を加筆・訂正。

 ここのところ「駐在刑事」「不正侵入」と警察小説を書き続けている笹本稜平の最新作。最初は警察組織の裏金システムや犬猿の仲である警視庁vs神奈川県警を背景とした捜査が続くが、途中からは消えた12億円と、迷宮直前の事件の真相そのものの方に主眼が置かれるようになる。
 帯にも「神奈川県警vs警視庁」と書かれているのだが、先にも書いたとおり、話の流れは中盤から大きく変わってしまう。県警vs警視庁という観点は全く消え去ってしまう。これは作者の当初の目論見が異なってしまったのか、それとも最初からの流れなのかは不明であるのだが、多分前者の意見のほうが正解だと思う。宮野や暴力団の福富の言動や行動など、力の使い方はともあれ、夢見る冒険家のイメージしか浮かんでこない。
 前半はどちらかといえばシリアスで重いムードなのだが、後半になると、警察の膿を表に出す要素があるとはいえ、コンゲームに近い雰囲気の作品となってしまう。結末直前の、あまりにもご都合主義的な展開は目を覆いたくなるところがあるものの、それでも悲壮感のない明るい結末が清清しい。
 はっきり云ってしまえば、連載ならではの失敗作だろう。前半と後半の流れの違いは、作品の完成度といった面からすれば壮絶なくらいのミステイクである。ただ、読んでいる分には楽しい。失敗作と思われるのに、この面白さはいったい何なのだろう。変梃りんな作品である。



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