高木彬光『能面殺人事件 新装版』(光文社文庫)

 資産家の当主が、寝室に置かれた安楽椅子で死んでいた。現場は完全な密室状態で、死体には外傷がなかった。傍らには呪いを宿すという鬼女の能面が残され、室内にはジャスミンの香りが妖しく漂っていた。デビュー第一作にして、新趣向に挑み、絶賛された第三回探偵作家クラブ賞受賞作。同時期の短編「第三の解答」「大鴉」を収録。(粗筋紹介より引用)
 1949年4月「宝石」に一挙掲載。1950年6月、岩谷選書の一冊として岩谷書店から刊行。高木彬光の長編二作目。第3回探偵作家クラブ賞受賞作。
 退官した鬼検事が語る過去の事件。それはポーの「盗まれた手紙」の理論を応用して犯人を指摘した青年の話だった。短編「第三の解答」(「別冊宝石」1949年1月掲載)。  10年ぶりに訪れたある村で作家が出会った一人の青年。彼が語ったのは、顔のない死体の殺人事件であった。短編「大鴉」(「新青年」1950年1月掲載)。

 懐かしくなって、高木作品を引き続き読む。『能面殺人事件』を読んだのはもう30年近く前の話。当時角川文庫で出ていた作品を読んだのだが、『刺青殺人事件』ほどの面白さを感じなかったことを覚えている。今考えると、私はこの頃からこのトリックが大嫌いだったのだろう。
 冒頭で『アクロイド殺し』の犯人をネタバレし、「探偵が自分で犯罪を解決しながら自分の行動を叙述していく」形式であると宣言。全編が手紙と手記だけで構成され、高木彬光が狂言回しで登場。名門千鶴井家の人物が次々と死んでいく。振り回される検事と警察。密室殺人。能面に関するペダントリー。大好評を得た『刺青殺人事件』に続く第二作ということで、かなり力が入っていることがわかる。
 ただ、力が入りすぎていて、トリックばかりが浮き上がってしまっている。作者のやりたいことばかりをこれでもかと詰め込んでしまい、それだけで推理小説を構成してしまったので、千鶴井家の人たちが次々に殺されていくというサスペンスが全く感じられない作品に仕上がってしまった。謎解きのカタルシスが全く感じられない。一部のトリックについては、怒る人は怒るだろうね。という私もその一人なんだが。トリックのための推理小説。アイディアだけにはお疲れさまでした、と言いたい。
 この作品が探偵作家クラブ賞を受賞したのは、多くの文章で書かれているように、前作『刺青殺人事件』のインパクトが強かったからとしか言い様がない。トリックも含め、推理小説の歴史上に残る作品ではあるが、傑作でも佳作でもない。力が入った失敗作である。
 短編2作に関しては、読むことができる、程度の作品である。よくあるパターンにポーの作品を絡めた、というだけだろう。発表された時代を考えれば、まあまあといえるだろうが。




高木彬光『誘拐 新装版』(光文社文庫)

 戦史を愛読し、実際の営利誘拐事件の裁判を傍聴する犯人。巧妙な手口を駆使する彼の完全犯罪計画に、突破口は見いだせるのか? 熱血弁護士・百谷泉一郎は妻・明子の助言で一大作戦を敢行する。刑法と刑事訴訟法に精通し、法廷に通いつめた著者の、時代を画した傑作。「本山裁判」の傍聴記や、誘拐事件にまつわるエッセイを収録。(粗筋紹介より引用)
 「宝石」1961年3月~7月まで掲載。8月にカッパ・ノベルスより刊行。日本における誘拐ミステリの最大傑作の一つ。
 他に「講談倶楽部」1960年12月に掲載された傍聴記「本山裁判」。「文藝春秋」1963年7月に掲載されたエッセイ「誘拐――二つの犯罪」。「幻影城」1975年9月増刊に掲載されたエッセイ「愚作を書け!」を収録。

 懐かしくなって、高木作品を引き続き読む。『誘拐』を読んだのはもう30年近く前の話。祖父の本棚になぜかカッパ・ノベルス版があったのだ。実家にはまだあるはず。当時の思い出としては、身代金受け渡し付近のサスペンス、そして意外な犯人像、さらに最後のドンデン返し、と三拍子そろった傑作に大満足した記憶がある。
 ということで久しぶりに読み返したのだが、いやあ、面白かった。さすがに古さは感じるものの、昔の印象と変わらない面白さを持っているというのは凄い。この誘拐の真相は今読んでも見事と言うしかないし、犯人を捕まえる一大作戦の奇抜さは素晴らしい。百谷が犯人を最後に嘲笑するところは、読者をアッと言わせるどんでん返しである。
 今でも法律問題、被害者対策問題の一つとなっているある条文について、最後にさらっと触れているのは、高木彬光に先見の明があったということだろう。
 『誘拐』は、今でも色褪せない誘拐ミステリの大傑作である。誘拐の規模やトリックなどはどんどん進化していったが、この作品の衝撃度にかなう作品はほとんどない。
 日本における誘拐事件のスタートともいえる“雅樹ちゃん誘拐殺人事件”の傍聴記「本山裁判」も非常に興味深い。当時の裁判における、有名人の傍聴記というのはちょっと珍しいのではないだろうか。




高木彬光『成吉思汗の秘密 新装版』(光文社文庫)

 兄・頼朝に追われ、あっけなく非業の死を遂げた、源義経。一方、成人し、出世するまでの生い立ちは謎に満ちた大陸の英雄・成吉思汗(ジンギスカン)。病床の神津恭介が、義経=成吉思汗という大胆な仮説を証明するべく、一人二役の大トリックに挑む、歴史推理小説の傑作。本編にまつわるエッセイの他、短編「ロンドン塔の判官」を併せて収録。(粗筋紹介より引用)
 「宝石」1958年5月~9月掲載、10月に光文社より単行本化。1960年のカッパノベルス版で最終章を加筆。
 「宝石」1959年1月掲載のエッセイ「成吉思汗余話」、「GALLANTMEN」1979年10月掲載のエッセイ「お忘れですか? モンゴルに渡った義経です」を収録。
 ロンドン塔を舞台にした短編「ロンドン塔の判官」を収録。

 本屋で見掛け、急に読みたくなり買った一冊。最初に読んだのはもう30年近くも前になる。あのころの記憶としては、歴史推理小説としては結構面白かったのだが、それよりもあの神津が結婚することの衝撃の方が強かったことを覚えている。
 久しぶりに読んでみると、思ったより面白くない(笑)。テンポがよすぎる分、あっさりしすぎなのである。実際はかなり苦労しているのだろうけれど、物語としての面白さを求めるためにそのあたりを数行しか書かなかったから、神津が大して苦労もせずに説を証明してしまった印象が強い。それにこの作品、最終章がなかったら平凡な作品で終わっていたと思う。最終章の衝撃があるからこそ、傑作として今まで読み継がれてきたのだろう。
 今のごちゃごちゃしすぎる作品を読み慣れてしまったせいか、こんな感想しか出てこなかった。国産歴史推理小説の傑作ではあるだろうが、嚆矢としての位置付け以上のものはない。多分初めて読んだときは、素直に感動したのだろう。こうして人は、オトナになってすれていく(って違うか)。




典厩五郎『探偵大杉栄の正月』(早川書房 ハヤカワ・ミステリワールド)

 大逆事件の判決が下ろうとしていた明治44年正月。出獄したばかりの大杉栄は、素寒貧のため大富豪婦人の失踪事件の調査を引き受けた。動き回っているうちに、何者かが東京各所にペスト菌をばら撒き、陸軍がその跡を密かに放火殺菌しているという謎の事件を嗅ぎつける。風前の灯火の同志の命を救わんと、帝都を揺るがす二事件に挑戦するアナーキスト大杉栄。その瑞々しい探偵ぶりを描く傑作歴史ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 サントリーミステリー大賞・読者賞受賞作家が構想・執筆に十年を掛けた書き下ろし。以前書いた短編を長編化したもの(とはいえ、似ても似つかないものになったとは、本人の弁)で、2003年10月発売。

 買うだけ買ってほったらかしにしていた一冊。読む気はあったのだが、表紙が気持ち悪くて何となく避けていた(って違うだろ)。
 関東大震災後の混乱時に憲兵隊に虐殺されたことで有名なアナーキスト、大杉栄を主人公にしたミステリ。素人探偵が失踪事件の謎を追っているうちに、時の首相桂太郎なども巻き込んだ事件を嗅ぎつけるというハードボイルド。とはいえ、大杉栄が全然格好良くないのは困ったもの。事件関係者の女性にデレデレしているところなど、アナーキストのイメージから大きくかけ離れたもの(勝手な決めつけかも知れないが)。
 失踪事件の謎、ペスト菌ばら撒きの謎も、真相を知ればそれほど意外なものではないし、面白いものでもない。この程度のことでここまで振り回されるのか、という印象もある。大逆事件で死刑判決を受けた幸徳秋水らを救おうと動きまわるのも、どこか真剣みが感じられない。
 当時の偉人、有名人らがこれでもかとばかり出てくるのは特筆ものといってもいいだろうか。これだけの人数を、紹介することばかりに振り回されず、物語を動かしたのは大したもの。とはいえ、物語にほとんど関係ない人物まで登場させ、背景を説明するものだから、流れが途切れてしまったなと思うところが何ヶ所もあった。
 明治末期の混乱した日本を、何十人もの人物を通すことで描いたのは実力がなせる業であろうが、それ以上の物語の面白さがなかったのが残念な作品である。



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