J.J.マリック『ギデオンの一日』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
ロンドン警視庁にその人ありと知られた犯罪捜査部長ジョージ・ギデオンは、続発する犯罪に体の休まる時がない。きょうも、麻薬密売人の賄賂をうけた部下の一人が何者かにひき逃げされるという事件が起った。一方、ロンドン市内では、最近頻繁に郵便車が襲撃されてるし、さらには憎むべき少女殺しの容疑者も緊急手配しなければならない。強盗、殺人、麻薬密売と果しない犯罪の後を追ってギデオンの一日は暮れる。事件の中には解決されるものもあれば、未解決に終るものもあるというミステリの新しい行き方を示した警察小説の古典的名篇。(粗筋紹介より引用)
21のペンネームを用い、600冊近くを出版した大変な多作家として知られるジョン・クリーシーが、J.J.マリック名義で書いて人気を博したギデオン警視シリーズの第1作。1955年、アメリカのハーパー・アンド・ロウ社から、少し遅れてイギリスのホッダー・アンド・スタウトン社から出版された。
ロンドン警視庁のギデオン警視を主人公とした人気警察小説シリーズの第1作。このシリーズの特徴は、複数の事件が同時に発生、進行する「モジュラー型」であること。いくつもの事件が発生し、報告を受けたギデオン自らが捜査に乗り出すものもあれば、指示を出すだけのものもあり、時には何もしないまま事件が解決されているものもあり、そして事件が解決しないまま物語が終わってしまうこともある。こうした多数の事件を同時進行させることにより、多忙である警察組織のリアリティを生み出している。
本作はギデオンものの第1作ということもあるためか、ギデオンの一日を写実する形式となっている。ギデオンの元に報告される事件の数が半端でなく、またいくつかは絡み合っているため、読者は追いかけていくのに精一杯であるが、物語のテンポがよいため、物語の把握に苦労することはなく、楽しく読むことができる。
途中では事件の被害者側、犯人側の描写も挟まれており、短調になりがちな事件捜査の進行にアクセントを加える役割を果たしている。この辺りの緩急の付け方は、多作によって培われた作者の技術だろう。ギデオンの妻との微妙な会話、上司や部下とのやり取りなども、物語に深みを与える役目を果たしており、さすがといえる。
このシリーズが人気を得たというのは当然の結果だと思える面白さだが、今ではあまり入手できないというのは残念なことである。全部で22作ということだが、全ての翻訳はされないだろうな……。
解説では、警察小説の歴史について簡単に書かれており、こちらも勉強になった。
スチュアート・ウッズ『湖底の家』(文春文庫)
新聞社を辞め、作家修業中のハウエルは湖畔の町にやってきた。彼はそこで、ダム建設の際最後まで立ち退き要求に応じず、消息を断った家族がいたことを知る。彼らはどこへ消えたのか? そして、湖底にたゆたう影の謎は? 非協力的な住民たちをまえにハウエルの疑念は深まっていく。現実と幻影が錯綜するゴシック・サスペンス。(粗筋紹介より引用)
1987年の作品を同年に邦訳単行本で刊行。1993年に文庫化。
処女作の『警察署長』は面白かったので、期待して読む。とはいえ、新刊で買いながら今頃読むのもどうかと思うが。そういえば『潜行』も買ったままにしていたような気がする。
ジャンル分けすればホラーになるのだが、この作品の場合は粗筋紹介にあるように、ゴシック・サスペンスとした方がしっくり来る。恐い、というよりは頭に靄がかかったまま映画を見せられるような、不思議な感覚を味わった。特に、湖底に沈んでいるという家のイメージがその象徴である。
俗すぎる現実と幻影の狭間を漂いながら、それでいて明快な結末を付けてしまうところはこの人らしいところなのだろうか。ゴシックものにこういう結末を付けるのはどうかと思うときもあるのだが、本作では正解だろう。夢から覚めたような、という言葉がぴったり来る結末であり、面白く読むことができた。
ちなみに主人公のハウエルはピュリッツァー賞を受賞しているのだが、その時の事件が『警察署長』の第三部である。このようなお遊びは読んでいて楽しい。
大倉崇裕『聖域』(東京創元社)
安西おまえはなぜ死んだ? マッキンリーを極めたほどの男が、なぜ難易度の低い塩尻岳で滑落したのか。事故か、自殺か、それとも――三年前のある事故以来、山に背を向けて生きていた草庭は、好敵手であり親友だった安西の死の謎を解き明かすため、再び山と向き合うことを決意する。すべてが山へと繋がる、悲劇の鎖を断ち切るために――。
「山岳ミステリを書くのは、私の目標でもあり願いでもあった」と語る気鋭が放つ、全編山の匂いに満ちた渾身の力作。著者の新境地にして新たな代表作登場!!(粗筋紹介より引用)
2008年、書き下ろし。
作者がようやく山岳ミステリを書いてくれた、というのが最初の印象。東京にいた頃(作者のデビュー前)にお付き合いさせてもらったことがあったので、山岳系の同好会に所属していたことは聞いていたし、投稿時代には確か山岳ものの短編をいくつか書いていたはず。『天空への回廊』が出たときは、かなり気にされていた。それがいつまで経っても書かれなかったので、すっかり諦めていたところだった。あとがきには「試行錯誤をくり返すうちに、あっという間に十年がたってしまった」と書かれているので、作者も相当苦労したことが伺える。
それにしても、山岳ミステリと本格ミステリを融合させるというのは、かなり難しい試み。それも冬山を舞台にしているのである。証拠はみな雪に埋もれてしまう。捜査もままならない。目撃者等も期待できない。証拠が残らないように機械的なトリックを仕掛けるのも難しい。梓林太郎のように山岳ミステリを得意にしている作家もいるが、かなりの至難の業だろう。作者はそれを楽々とクリアしている。まあ、「楽々と」なんて書いてしまうと作者に怒られるだろうが、少なくとも文章からは苦労の跡が全く見られない。苦労の跡が残っている小説は、読んでいて結構苦痛になるものだ。
本格ミステリとしての楽しさばかりでなく、現在の登山の背景、登山の素晴らしさ、山に登る人たちの魅力を十分に描ききっているのだから、面白くないはずがない。感動の一冊、まさに脱帽である。ただ、エピローグだけはちょっとありきたりすぎないかな……などと思ってしまうとき、自分はひねくれているなと感じてしまうが(苦笑)。
器用貧乏なところがあるため、面白さほどの評価が得られなかった作者ではあったが、本作は代表作となるにふさわしい力作である。今年のベスト戦線を賑わすことになるだろう。
乾ルカ『夏光』(文藝春秋)
「第一部 め・くち・みみ」には「夏光」「夜鷹の朝」「百焔(もものほむら)」を収録。現代より古い時代を扱っている。
「第二部 は・みみ・はな」では「は」「Out of This World」「風、檸檬、冬の終わり」を収録。
哲彦が疎開先で仲良くなったのは、顔の左半分が黒い痣で覆われている喬史。村人は、スメナリの祟りだと、喬史のことを忌み嫌う。しかし哲彦は、青い光が時に輝く喬史の眼が好きだった。第86回オール讀物新人賞受賞作「夏光」。
健康を害し、ある屋敷で静養することになった私。ある日、私はマスクで口を隠した少女と出会う。しかし、屋敷のものは少女の存在をひた隠す。「夜鷹の朝」。
醜い姉のキミと、美しい妹のマチ。キミはいつも比べられるマチのことが大嫌いだった。キミはある日、街で出会った鶴乃に、あることを教えてもらう。「百焔(もものほむら)」。
右腕を失った友人、熊埜御堂の快気祝いに招かれた、長谷川。刺身や鍋をいつまでも食べながら、熊埜の話は少しずつ核心へ近づいていく。「は」。
転校生のタクの父はマジシャンである。しかし、タクを脱出させるマジックを失敗してしまい、テレビから干されていた。タクは父親から虐待を受けているが、タクは父のことを尊敬していた。「Out of This World」。
私は、左右の鼻から感じる匂いが一致しなかった。左の穴から感じる匂いは、他人の感情が発する匂いだった。死期が迫った恩人から感じた匂い。それは風と、レモン、そして冬の終わりの匂いだった。「風、檸檬、冬の終わり」。
「オール讀物」掲載作品に書き下ろしを加えて2007年刊行。
帯にはホラーと書かれているけれど、ホラーと一括りにしてしまうのはもったいないような話ばかり。特に「夏光」の描写力と、鮮烈なイメージはすごい。至る処で絶賛されたというのも納得できる出来だ。結末までの展開は、どんな読者の想像をも超えたものだろう。素晴らしい。
表題作のイメージが強すぎて、他の作品が一歩劣ったように見えてしまうのは残念。確かに「夜鷹の朝」「百焔(もものほむら)」「は」は、「夏光」に比べるとちょっと劣るだろう。それでも、グロテスクな題材をセンチメンタルに仕上げた「夜鷹の朝」「百焔(もものほむら)」の出来は悪くない。「は」はありきたりなストーリーで終わってしまっているが。
「Out of This World」は子供の虐待という凄惨な話を、子供の視点から描いたことで逆にひと夏の友情物語になっているところがうまい。実際の出来事と、少年からの視点のギャップの大きさが、読後に不思議な余韻と切なさ、やるせなさを漂わせる。
「風、檸檬、冬の終わり」もまた不思議な話。タイトルは爽やかなのに、扱っているのは東南アジア系少女の人身売買。それでも読後に不思議な爽やかさを感じてしまうのは、私だけだろうか。
この人はいずれ直木賞を取るだろうね。それに、直木賞より権威がある(と私が勝手に思っている)泉鏡花文学賞も。作家としての実力は文句なし。出版社が下手な方向付けをせずに、うまく育ててほしいと祈るばかり。
ジョナサン・ラティマー『シカゴの事件記者』(創元推理文庫)
泥酔した新聞記者サム・クレイは、ベッドの中で目をさました。それは自分の部屋ではなかったし、隣に眠っているのは全裸の血まみれの美女だった。その時けたたましく鳴りひびく電話のベル……。殺人事件の巧妙な罠におちたサムは、皮肉なことにその事件を担当して取材することになった。凶悪犯として捜査の対象になっている自分を救うためにも、一刻も早く真犯人をつかまえなければならない。シカゴの大新聞社を舞台に、命がけで奮闘する事件記者の生態をハードボイルド・タッチで描くラティマーの代表作!(粗筋紹介より引用)
1955年の作品。邦訳は1965年。
『モルグの女』『死刑六日前』で有名なラティマーの事件記者もの。とはいえ、シリーズにはならず、本作のみで終わっている。
主人公が目を覚ますと横に死体が転がっており、警察に怪しまれながらも、自らの疑惑を晴らすために必至に事件の真相を追いかける内に、被害者の隠された過去が徐々に明らかになるという展開は、ハードボイルドの型の一つといってもいい。やや軽めのタッチで書かれ、途中の登場人物たちとのユーモアあふれる掛け合いや主人公のどたばた振りなどは軽ハードボイルドっぽく見えるのだが、最後に意外な謎解きを用意しているところはさすがというべきか。ただ、その軽さはテンポよく読ませる効果こそあるものの、緊迫感を削ぐという意味ではマイナスであったと思う。
もっと面白くなるはずなのに、とにかくその場のノリとリズムを優先させてしまった感のある作品。サスペンスに徹した方がよかったとは思うのだが。向こうでの人気はどうだったんだろう。シリーズ化されなかったのは、やはり人気が今ひとつだったからか。それとも、組織に縛られた記者より、もっと自由に動ける私立探偵の方に人気が集まったからか。
1994年の復刊フェアで購入したもの。相馬浩次の解説は、このときに書き下ろされたものだろう、多分。
水上勉『死火山系』(光文社文庫)
山林王にして大富豪の檜山財閥。その経営会議の翌日、浅間山が大爆発、事務所員二人が巻き込まれた。運良く助かった一人は数日後、東北の山中で死体で発見され、さらに当主の修平まで行方不明となり……。一族の暗い歴史が横たわる複雑な事件の渦中に、陸稲の研究者・江田とその恋人で檜山家の長女・絵理子は引きずり込まれていく。文豪の筆が冴える迫真の展開。(粗筋紹介より引用)
「大阪新聞」夕刊に1962年9月4日~1963年5月15日連載。150枚加筆語、角川書店から1963年11月に単行本化。1960年に訂正・削除・加筆の上、カッパ・ノベルスより刊行。水上勉ミステリーセレクション。
水上勉ミステリーセレクションは全冊(といっても、今のところ4冊だが)買っているのだが、読み始めたのは本書が最初。2008年1月に本書が出てから止まっているから、売れ行きが悪かったのかな。まあ、確かに読んでみても、つまらないわ。
作者はあとがきで「山林未解放の悲劇のありさまを、わかりやすい推理小説の中にとけ込ませてみようとした作者の意図は、これで、かなえられたであろうか」と書いているのだが、残念ながら触れただけ、というのが正直なところか。とりあえず殺人事件をいくつか起こして、山林業界に少し触れ、読者受けしやすいように恋愛部分を盛り込んで、といったような、社会派推理小説である。悪い意味で、社会的な問題を背景とした殺人があるだけ、の作品でしかない。それでも、問題の捉え方に訴えるものがあればまだ救いがあるのだが、問題部分に触れてみただけ、というのでは話にならない。新聞連載ということもあるせいか、とりあえず場面場面で盛り上がればいいや、みたいなところしか感じられない作品で、読んでいても苦痛だった。
社会派推理小説がアッという間に衰退したのは、こういう作品を推理小説として取り上げて大量生産した結果なんだろうなということを再認識させられた。つまらなかったが、とりあえず残り3冊も読んでみることにしよう。
ウィルバー・スミス『虎の眼』(文春文庫)
モザンビーク沖の小さな島国セント・メアリー。かつてはヤバい渡世をしていたハリーも、いまはおとなしく優雅な愛艇を操ってチャーター船業にいそしんでいる。ある日、怪しげな雰囲気の二人組が現われ、危険な岩礁の島へ案内させて海中から何かを引き揚げる。この謎の品物は何なのか? 息つくひまもない危機と冒険の連続。(粗筋紹介より引用)
1975年、ロンドンのウィリアム・ハイネマン社から単行本で出版。翌年、パンブックスからペーパーバック版が刊行。1990年週刊文春ベスト第5位、このミス第7位。
ウィルバー・スミスは、アフリカ在住の人気作家。1987年時点で20冊を著し、16ヶ国語で紹介されているからかなりの人気だと思うが、日本では1990年時点で本作を含めて7作しか翻訳されておらず、現在でもあまり評判になっていない。検索してみたら、現時点で14作翻訳されているが、いずれも絶版状態のようだ。例によって例のごとく、買うだけ買って放置したままになっていたのを引っぱり出した。
本作は、宝探しをベースに置いた古典的な冒険小説。一つ危険をクリアすれば、すぐに次の危険が差し迫るという展開は、あまりにも常套手段ではあるものの、特に海における描写が素晴らしいせいか、それほど気にならない。息もつかせぬ展開を、素直に楽しむことができる。まあ、主人公の頑丈さと強運については、この手の冒険小説ではお約束と思いこんだ方がよさそうだが。
娯楽として冒険小説を楽しみたい人にはうってつけの一冊。それ以上でもそれ以下でもない。面白かったけれどね。
東野圭吾『流星の絆』(講談社)
流星群を見に家を抜け出した功一、泰輔、静奈の兄妹を待ち受けていたのは、洋食屋である両親の殺された姿だった。捕まらぬ犯人に、復讐を誓う3人。そして14年後、詐欺集団となっていた3人が最後のターゲットを選んだとき、泰輔は事件当日目撃した男を見つけた。功一は綿密な復習計画を立てるが、ある誤算が生じてしまった。
「週刊現代」2006年9月16日号~2007年9月15日号連載。2008年3月刊行。
東野圭吾の新刊は復讐サスペンスもの。これだけの古典的な道具立てで、なぜ面白いストーリーを書くことができるのか、素直に尊敬してしまう。お涙頂戴の大時代な筋立てであるし、設定が現代というだけで特にエッセンスを加味しているようにも思えないのに、ページをめくる手が止まらないというのは、作者の実力以外の何ものでもない。
結末になるにつれ、展開がスピードアップしすぎるところと、少々都合よすぎるところが気になるが、いずれにしてもエンターテイメントとしては一級品である。もっとも、後に残ることはないだろうが。読んで面白く、誰かに語った後は忘れてしまう、そういう面白さである。多分作者の狙いもそんなところだろう。東野圭吾だったら、3人の心理面を深く掘り下げることも可能だっただろうが、面白さに徹することで、余韻をあえて犠牲にしたのである。
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