石崎幸二『復讐者の棺』(講談社ノベルス)
大手スーパーKONO堂は、伊豆沖の孤島にある、経営破綻したテーマパークを買収。その再建のため、本社から島に派遣されたスタッフが惨殺された! 死体は棺に入れられ、そこには一通の封筒が。手紙の主は、10年前にKONO堂で起きた殺人事件の復讐者を名乗る。孤島を舞台に巻き起こる連続不可能殺人! 事件の背後にある深い闇とは!?(粗筋紹介より引用)
ミリア&ユリシリーズ最新刊、書き下ろし。
前作『袋綴じ事件』から6年ぶりになるミリア&ユリシリーズ。しかし作中では、3週間しか経っていないというギャップに大笑い。しかもそのことをしっかりネタにするあたりはさすが石崎というべきか。ただ、自虐ネタと内輪ネタを多用しすぎているのはどうかとも思うが。どうでもいいが、斉藤瞳刑事って誰だっけ?
裏表紙にある紹介文だけを読むと、深刻そうな話に見えるが、それが全く感じられないというのはもはや芸と言ってよいのだろうか。孤島で1日の間に続けて殺人事件が、しかも顔が焼かれているという残酷な事件が起きているのに、緊迫感も何もありゃしない。まあ、それがこのシリーズのいいところなのだろう(誉め言葉、一応)。
使われているトリックは結構大掛かりだが、本格ミステリ慣れしている人なら、ある程度真相にたどり着くものと思われる。ついでにトリックが見破られるところまでも含めて。手がかりの提示など、書き方があからさまではあるが、これぐらいのページ数ならじれったさは感じない。ミリア&ユリや石崎幸二といったキャラクターに惑わされがちだけど、骨格や構成そのものは本格ミステリの定式通りなので、謎解きを楽しみたいという人にとってはそれなりに満足できるものだろう。
まあ、普通に会社に勤務しているのなら、いくら独身とはいっても執筆に時間を割くのは難しいだろうから、刊行間隔が延びていくのは仕方ないのだろうが、このシリーズのファンとしては、できれば1年に1作ぐらいは書いてほしいところである。
どうでもいいけれど、個人的にはこのシリーズを2時間ドラマで見てみたい。ミリア&ユリを演じることができるのは誰だろう。
以下は野暮すぎるネタバレ突っ込み。
今回のトリックが体力的・物理的に実現可能かどうかは別問題としても、以下の一点だけはちゃんと計算されていたのかどうか聞いてみたいところ。
「犯人」が「自白」しているのだから、証拠はないとしても10年前の殺人事件は被疑者死亡として書類送検されることになると思う。となると、書類を作るためにも補充捜査は行われるはず。今回は、容疑者としてあがっていなかった5人を送検することになるのだから、5人が10年前に交友関係があったかどうかぐらいは調べると思うのだが、その辺を真犯人は考慮していたのかな。1人が10年前、物理的に有り得ないような場所に住んでいたらどうするのだろう、とか考えてしまうけれどね、私は。書類送検される側の家族だって寝耳に水の話だろうから、色々と警察に訴えるだろうし。送検されなくても、報道で10年前の事件の加害者なんて書かれたら無罪を訴えるはずなのだが、どうだろう。
笹本稜平『還るべき場所』(文藝春秋)
4年前、標高8611mのK2を誰もが達成したことのない東壁からの登頂を目指していた矢代翔平は、頂上目前での背ラック(氷塔)の崩壊から生じた雪崩により、パートナーで恋人の栗本聖美とともに宙吊りになった。下にいた聖美がロープを切ることにより、翔平は助かることができた。全員が助かる道をいつも選んでいた聖美がなぜ自らロープを切ったのか。そして今でも聖美の遺体は見つかっていない。
聖美を失ったことで山から遠ざかり、燻る隠遁生活を送っていた翔平だったが、なぜか冬の八ヶ岳に上ろうと思い立った。赤岳の頂上で、聖美の従兄妹で親友の板倉亮太から電話がかかってきた。亮太が社長を務める会社で企画したブロードピーク(K2を間近に望める8000メートル級の高峰)公募登山における頂上への案内スタッフとして誘われたのだ。さらに亮太はこう言った。ブロードピークへ客を登らせた直後に、二人でK2へ東壁から仕掛けるというのだ。亮太は人生に区切りをつけるためにその誘いを受け、再びK2を目指すことにした。
「別冊文藝春秋」266~274号掲載。笹本稜平、渾身の山岳小説の傑作。
様々なジャンルに挑戦中である笹本稜平の最新刊は、久しぶりの山岳小説。出世作ともいえる『天空への回廊』は標高第1位であるエベレストを舞台にした冒険小説の傑作であったが、本作は標高第2位であるK2が重要な舞台となる。
本作は登山時の迫力ある描写が当然最大の魅力なのであるが、それと同時に登場する人物たちがとても魅力的である。主人公である翔平、パートナーの聖美はもちろんのこと、亮太、そして翔平たちと高校・大学で登山パーティーを組んでいた弁護士の宮森祐一といった友人たち。翔平がいつか気力を取り戻すことを信じて疑わない両親。彼らの視線はとても暖かい。翔平を甘えさせるのではなく、あくまで自らの力で立ち直らせようとサポートするそのスタンスがとても心地よい。そして、改めて明らかとなった翔平と聖美の愛を越えた深い繋がりが感動的である。
さらに本作では、主人公である翔平と同じくらい、もしくはそれ以上に魅力的な人物が登場している。公募登山に参加している神津邦正だ。
医療用電子機器では国内トップ、世界シェアでも五指に入る会社を一大で築き上げた神津は、すでに還暦を過ぎているのに、自らの会社が開発し、かつ自らの心臓にも植え込んでいるた心臓ペースメーカーを宣伝するため、会社で働いていた元山岳部の竹原充明をコーチ兼サポート役として、エベレスト公募登山客の一員として登頂に成功したのだ。そして今、新製品のPRを兼ねてブロードピークの公募登山に参加している。常に困難に立ち向かう姿、突飛ながらもユーモアあふれる言動、そして自らの非は正しても己の意志は絶対曲げない力強さ。遙か年下である竹原に教えを請う姿を見ても、立場にはとらわれない相手の本質を見抜く力がある。もちろん、ただ闇雲に走るだけではない。会社の内紛で自らが会長を追われるかもしれないというのにツアーへの参加をやめようとしない意志もさることながら、先を見通した行動を常にとり続けつつも、常に夢を追いかけるその姿が美しい。かつてK2登頂時に雪崩で仲間4人を失って以来登山をやめていた竹原も、そんな神津の姿を見続け、ともに行動することにより山への魅力を取り戻し、そして神津の人間性に惚れることとなる。
他にも魅力的な登場人物は多い。4年前に聖美に命を助けられ、今では立派な高所ポーターであるイクバル。リエゾンオフィサーであるナジブ・カーン。コックのナワン。公募登山の仲間達。まだまだ他にもいる。自分の目で確かめてもらいたい。
先にも書いたとおり登山における描写の迫力は満点である。そびえ立つ山の厳しさ、美しさ、暖かさは、どんなものにも変えられない。専門家から見たら間違っている箇所があるかもしれないが、そんなことは全く気にならない。山に立ち向かう人々の力強さと、人々の全ての思いを飲み込んで悠然とそびえ立つ山の美しさには、間違いなどないはずである。現在の登山界を取り巻く状況についても、様々な視点や意見を書くことにより、片一方だけが正しいという胡散臭さを取り除いている。どんな活動にも光と影があるが、両方を正しく書くことで、読者に判断を与えようとするその姿勢は正しいものと思う。
山岳小説を多く読み込んでいるわけではないが、読者へすばらしい感動を与えてくれる骨太のこの作品は、山岳小説の傑作である。そう言い切ってよいと思う。最近は器用すぎて今ひとつ物足りなかった笹本だが、ここに完全復活と書いてよいと思う。
ここからは無粋すぎる話。これをミステリのベストに入れるかどうか、という話になるとちょっと首をひねってしまう。冒険小説とも言いづらいんだよな。こればかりは読んだ感覚だけで書いており、言葉にはうまくできないことだけれども。
高木彬光『黒白の囮 新装版』(光文社文庫 高木彬光コレクション)
深夜の雨の中、名神高速で自動車事故が起き、運転中の商事会社・社長は即死した。その後、社長夫人が病死し、娘が自宅で絞殺される。ただ一人、アリバイのない社長秘書が逮捕されたが…。冤罪を嫌い"グズ茂"の異名を持つ検事・近松茂道が一歩一歩真犯人に迫るシリーズ第一長編。最初期の短編「殺人へのよろめき」「殺意の審判」を収録。(粗筋紹介より引用)
1967年5月、「新本格推理小説全集」第8巻として読売新聞社より書き下ろし刊行。他に1960年11月「講談倶楽部」掲載の「殺人へのよろめき」と、1961年11月「週刊朝日別冊」掲載の「殺意の審判」を収録。
“グズ茂”こと近松茂道検事シリーズ。第一長編と粗筋では書かれているけれど、1963年の『黒白の虹』にも出ている。解説には当時のあとがきが載っており、「彼は副主人公として、後半で活躍するが、全編の主人公として、長編に登場するのもそう遠くないだろう」と書かれているから、シリーズものとしてはカウントされていない、ということでいいのかな。短編集ではすでに1964年に『捜査検事』としてカッパ・ノベルスから出版されている。
“黒白”とあるとおり、容疑者が黒か白かで二転三転。いくつかの状況証拠が出てきて、これは犯人に間違いないと思ったら犯人ではない証拠が出てきて、という手に汗握る展開である。様々な情報に振り回される警察だが、グズ茂こと近松検事の慎重すぎるぐらい慎重な判断と、ここぞというときの迅速な動きが、ついに真犯人を突き止める。「挑戦状」とは謳われていないものの、読者へ「真犯人を指摘されてはいかがでしょうか」と書いているあたり、かなりの自信作であったと思われる。新しい探偵役を使った書き下ろしということで、相当力を入れて書いたのだろう。最後の方で1箇所首をひねるところはあるけれど、よく考えられたトリックである。高木彬光1960年代の代表作の一つであり、現在の視点からでも充分面白く読むことができる一冊である。20年ぶりくらいに読んだけれど、その面白さは代わらなかった。
松本清張が責任監修であったこの「新本格推理小説全集」については、いずれ全10冊を読んでから思うところを書いてみたいと思う。
「殺人へのよろめき」「殺意の審判」は近松検事ものの短編。手堅くまとまった作品である。
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