ウォルター・サタスウェイト『名探偵登場』(創元推理文庫)

 稀代の脱出王フーディーニは、イギリス貴族の屋敷メープルホワイト荘を訪れた。知友コナン・ドイル卿も招かれて、降霊会が催されるのだ。その実、自分を恨んでつけ狙う奇術師チン・スーから身を隠すためでもあった。護衛はピンカートン社の探偵ボーモント。……が、十数人の男女が一堂に会するや、たちまち起こった幽霊騒ぎ、誰が標的か謎めいた狙撃、さらには密室での怪死、おまけに迫りくるチン・スーの影。事件につぐ事件に、ついにロンドン警視庁から敏腕警部が派遣される。かくして役者はそろった。推理合戦の果て、名探偵の栄誉に属するのはいったい誰か? かくも愉しき≪探偵小説≫の醍醐味を、とくとご賞味あれ!(粗筋紹介より引用)
 1995年、アメリカで発行。フランス冒険小説大賞受賞作。1999年翻訳。

 作者はハードボイルド作家として1980年にデビュー。サンタフェの私立探偵、ジョシュア・クロフトが主人公のシリーズがあるが、本作品以降はボーモントを主人公としたシリーズを書き続けるらしい。日本では歴史ミステリ『リジーが斧をふりおろす』が訳されている。
 自信過剰で傲慢な稀代の脱出王フーディニ。心霊術に凝っていた晩年のコナン・ドイル。さらにフーディニをつけ狙う謎の奇術師(そういえばピストルの弾を皿ではじき飛ばして口で受け取るといったマジックを得意にしていたインチキ中国人のマジシャンがいたな)、ピンカートン社の探偵、霊媒師に心理学者、傲慢な貴婦人と利発な小間使い、戦争未亡人とその友人貴族。迎える方も共産かぶれの貴族とその妻、やや色情狂なところがあるその娘、寝たきりの父親。そして裏事情のありそうな使用人たち。さらにはロンドン警視庁の敏腕警部。ちょっとおかしなところのあるような役者をこれだけそろえたものだ。しかも舞台がイギリスの片田舎にある貴族の屋敷。幽霊騒ぎに密室殺人。これだけの古めかしい設定の作品を、1995年のアメリカで発表できたんだから、それだけですごいとしか思えない(アメリカの出版事情なんか知らないけれど)。
 作者が古き良き探偵小説を意識して書いたのか、単にフーディニとドイルを絡ませた小説を書きたかったのかはわからない。事件のトリックそのものは単純というか、肩すかしに近いところはあるものの、昔読んだ探偵小説の雰囲気は十分に出ている。登場人物のいずれもエキセントリックなところがあるので、単なる捜査や会話を読むだけでも結構楽しい。過去に名探偵の冒険談を読んでわくわくした、そんな気分を思い出させてくれる作品である。それ以上のものはないけれど。
 本の厚さだけを見ると長い気はするが、それほど苦にならずに楽しく読めることができた。




大沢在昌『感傷の街角』(角川文庫)

 早川法律事務所の調査二課で失踪人調査を専門にしている佐久間公を探偵役とした短編集。
 26歳の不良青年が11年前に半年だけ付き合った2つ年上の女を捜す仕事を、ボトル1本の報酬で請け負った公。期限は仕事が休みの3日間。横浜の本牧まで車を飛ばしたが、女を知っていると思われた男は、公の隣の車で殺されていた。1979年、第1回小説推理新人賞受賞作「感傷の街角」。
 日本舞踏家元の一人娘が家出した。後継者である彼女を1週間後の名取式までに連れ返さなければいけない。そして彼女が出奔した理由は、映画俳優との不倫だった。「フィナーレの破片」。
 仕事が終わり、次の日は休みの夕方。公の車に無理矢理乗り込んできた少年の要請で、姉らしい女性が乗ったベンツを追いかけた。そして女性が消えたマンションに入った少年。公も入っていくと、呆然と立っている少年と、首を絞められた女性がいた。「晒された夜(ブリーチド・ナイト)」。
 家出をした少女を追って訪ねたのは、人気上昇中の小劇団。知り合いの脚本・演出家に聞いても芳しい結果は得られなかったが、そこで起きたのは大河ドラマ出演で人気になった俳優の殺人事件だった。「サンタクロースが見えない」。
 調査対象は家出をした病院の一人息子。ところがコヨーテと名乗る若い男が、どちらが先に息子を見つけることができるかという勝負を仕掛けてきた。「灰色の街」。
 依頼人は高級ゲイバーで働くで働く男性。探す対象は妹。捜査は途中まで順調だったが、やくざの彼だったという人物はすでに殺されていた。「風が醒めている」。
 大晦日になった夜中に公の部屋を訪ねてきたのは、腹を撃たれた友人の沢辺。軽傷だった沢辺は公とともに撃たれた場所である腹違いの妹の部屋を訪ねるが、そこにあったのは男の死体だった。「師走、探偵も走る」。
 1982年、双葉ノベルズより刊行。1991年6月、ケイブンシャ文庫として刊行。

 今をときめく人気作家、大沢在昌のデビュー作を含む短編集。作者の最初のシリーズ探偵でもある佐久間公シリーズの第1作。「小説推理」の新しい賞でいきなり大型新人登場、ということで騒がれたような記憶があるけれど、違ったかな。もっともしばらくは初版作家として不遇の時期を過ごすことになるのだが。
 「感傷の街角」はハードボイルドな部分とセンチメンタルな部分がうまくかみ合った作品として仕上がっているけれど、それ以降はセンチメンタルというか、甘い感傷が全面に出てしまっているというか。それが作者の狙いだったとはいえ、どことなくいびつな仕上がりになっていることは否めない。こういうのも嫌いじゃないけれど。
 佐久間公シリーズは一冊も読んでいなかったので、ここらで読んでみるつもりになったけれども、次はどうしようかちょっと迷うところ。甘い青春ものは嫌いじゃないので、このような作風が続くなら読んでみてもいいかなとは思う。




ミッチェル・スミス『ストーン・シティ』上下(新潮文庫)

 ミッドウェスト大学の教授だったバウマンは、酔っ払い運転で少女を轢き殺したため、二千人の凶悪犯が収容された州立刑務所に服役している。刑期を無事に終えることだけを考えていた彼だが、所内で起きた連続殺人の捜査をする羽目に…。暴力沙汰とドラッグが蔓延するこの世界で、バウマンは果たして真犯人を突き止め、生き残ることができるか? 迫真の超大型エンターテインメント。(上巻粗筋より引用)
 連続殺人の被害者メッツラーと親しかったゲイの青年、カズンズの助けを借り、事件の関係者を洗うバウマン。〈終身刑囚クラブ〉〈黒い国士軍〉など囚人グループ間の苛烈な抗争に巻き込まれつつ、捜査を進めた末に浮かび上がったのは驚くべき事実だった……。舞台は一つの街ほどの規模を持つ巨大な重警備刑務所、主人公は元大学教授。ミッチェル・スミスが圧倒的な迫力で描く問題作。(下巻粗筋より引用)
 1989年にアメリカで発表されたスミスの第二作。1993年8月翻訳。1993年「このミステリーがすごい!」海外部門第1位。

『エリー・クラインの収穫』は持っていたような記憶はあるが、読んだ記憶がない……。例によってとりあえず買うだけ買っておいたままになっていた作品。

 あなたは、この小説を読み通せるほどタフですか? 重警備警務署という閉ざされた非情の空間に踏み入っていけるほど、強い心臓を持っていますか? 世間からはじき出された男たちの恐怖と暴力と孤独と失われた夢を、そっくり受け入れる覚悟がありますか? それなら、どうぞ、この石の都(ストーン・シティ)へいらっしゃい。

 アメリカでペーパーバック化されたときの、版元シグネット社の挑戦的なキャッチコピーがこれ。はっきり言ってしまうと、私はそんな覚悟がないのでダメだった。いや、最後まで読んだのだが、結構後悔している。単に重苦しいだけならまだしも、そこに絶望というオーラがこれでもかとばかりに登場人物から発せられるのを読んでしまうと、こちらまで気分が重くなってしまう。それだけ作者の筆が凄いということなんだろうが。
 そもそも交通事故加害者と終身刑囚が同じ刑務所に入るということ自体、日本では信じられない。アメリカの刑務所内での殺人事件というのも何件か聞いたことがある(ジェフリー・ダーマーとか)ので、この小説のような事件が起きても不思議ではないのだが……。
 本題が始まるのは上巻の後半あたりから。それまでは“石の都市”の描写が延々と続く。本来だったら遅い、と文句を言っているところだが、この小説では逆にそれでよかったと思えてしまう。それぐらい何もかもが重い。いきなり事件から始まったら、とてもじゃないがついていけなかったところだ。
 それにしても最後の最後まで重苦しい展開である。ホラーやスプラッタを読んだときとは別の意味で魘されそうだ。所詮絵空事じゃん、といいとばすだけの余裕がある人にしか薦められないね、これは。



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