パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』(河出文庫)
息子を呼びもどしてほしいという、富豪グリーンリーフの頼みを引き受け、トム・リプリーはイタリアへと旅立った。
息子のディッキーに羨望と友情という二つの交錯する感情を抱きながら、トムはまばゆい地中海の陽の光の中で完全犯罪を計画するが……。
精致で冷徹な心理描写により、映画『太陽がいっぱい』の感動が蘇るハイスミスの出世作。(粗筋紹介より引用)
1955年、アメリカで発表されたハイスミスの第3長編。フランス推理小説大賞受賞作。1993年8月、新訳で文庫化。
ハイスミスの出世作というよりも、ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演のフランス映画『太陽がいっぱい』(1960年)の原作といった方が有名。1999年にはアンソニー・ミンゲラ監督、マット・デイモン主演のアメリカ映画『リプリー』のタイトルで再映画化されている。
角川で文庫化された後、入手するのが困難(かどうかはわからないが、簡単には手に入らなかった)だったのだが、ハイスミス作品が河出文庫で複数出版された流れに乗っかって出版されたものを購入。以後はダンボールの奥深く……。
映画を見たことはないが、アラン・ドロン主演ということで主人公が格好良く完全犯罪をやり遂げるものだと勝手なイメージを抱いて読んだ。ところが主人公のトム・リプリーに、タイトルにあるようなTalented(才能のある)のイメージが結びつかない。異国の地で遊び暮らす富豪の息子になりすまして新しい自分に生まれ変わりたい、という動機はわかるのだが、肝心の犯行やその後の行動が行き当たりばったりであるように見えてしまうのは気のせいか。リプリーが右往左往する姿を作者が笑いながら書いているような気がしてたまらない。追う方も追われる方も間抜けにしか見えなかったし、追われる方の不安とか恐怖とかもさっぱり伝わってこなかった。
サスペンスというよりはクライムノベルと呼んだ方が近いのだろうが、いったいどこが面白いんだろう、これ。もしかして、映画を見てから読むべきだった?
【元に戻る】