伊藤芳朗『「少年A」の告白』(小学館)
世間もマスコミも少年たちの問題をあまりに安直に考えすぎています。(中略)少年たちを理解できる大人が減った、つまり大人が未熟になったことこそが、「大人が子供を理解できない」原因ではないか。(中略)非行少年に必要なのは、罰ではありません。自分が人から見捨てられていない、自分が人から必要とされている、自分に価値がある、自分も人の役に立てることがある――そういう実感こそが、非行少年を立ち直らせるきっかけになるのです。(「あとがき」より抜粋)
『女性セブン』1998年11号~1999年1号まで連載したものを加筆、再構成。
弁護士である筆者が、自ら担当した少年事件の被告33人の素顔を明かした一冊。連載が始まったのは神戸連続児童殺傷事件から1年後。様々な少年事件が連続し、少年法改正で揺れていた時代である。
筆者は、家族や社会による重圧、不理解などを取り上げ、少年だけが悪いのではない、ということを訴えようとしている。まあわからないでもないが、それって大人の犯罪事件でも一緒なんだよな。普通の犯罪事件でも時々、少年時代の養育に不幸があったとか、家族からの要求に止むに止まれずとか、仕事がなくなって将来に不安があったとか、まあ色々と犯罪に至るまでの「原因」が語られる。しかし同じ状況下でも犯罪を犯していない人はいるわけだし、むしろそちらの方が圧倒的に多い。人の心に治すことのできないような傷を負わせておきながら、太陽のように温かく見守ってほしい、なんて言えるほど簡単ではない。結局それもただの甘えじゃないのか。
結局いちばん傷を負っているのは被害者やその遺族である。そんな単純な前提を忘れて、加害者をどうのこうのいうのは間違っている。本書では一応そのことに触れられているが、それでも立場は加害者側であり、被害者側を放っている。この手の本を読む度に、苛立ちを覚えるのは私だけだろうか。
稲垣高広『藤子不二雄AファンはここにいるBook.1 座談会編』(社会評論社)
子供の頃から30年以上も藤子不二雄Aファンである筆者を始めとする7人が、メーリングリストを使った座談会形式で、藤子Aの魅力を語り尽くそうとした一冊。主要な藤子A漫画を分野別(もしくは作品別)に区分して設定し、テーマ毎に語っている。テーマは『まんが道』、『少年時代』、「本格的ギャグマンガ」(『忍者ハットリくん』『怪物くん』『フータくん』など)、「先鋭的ギャグ漫画」(『黒ベエ』『仮面太郎』『マボロシ変太夫』など)、「ブラックユーモア短編」(「マグリットの石」「水中花」「ひっとらぁ伯父さん」など)、『劇画毛沢東伝』。
ビッグネームでありながら、同じトキワ荘仲間の石ノ森章太郎、赤塚不二夫、そして元相棒の藤子・F・不二雄と比較すると今ひとつ影の薄い感がある藤子不二雄A。その大きな原因は、ヒット作のほとんどが藤子不二雄時代に描かれた、ということが大きいだろう。藤子不二雄が二人いることは知っていても、誰がどの作品を描いた、ということは案外知られていないのではないだろうか。もしくはどっちが描いたかなどということには興味がないのではないだろうか。そしてそれは、二人がコンビ解消した後も変わらない一般認識ではないだろうか。何も知らない人から見たら、確かに藤子不二雄Aは『笑うせぇるすまん』の作者かもしれないが、結局は『ドラえもん』の作者とほとんど同一視されているのではないだろうか。
ヒット作は多いものの、そのいずれもが『ドラえもん』の陰に隠れていることは、本人はどうとも思っていないにしろ、ファンにとっては大いなる不幸である。藤子Aは「無冠の帝王」とも一部で呼ばれていた。コンビ解消前に受賞した小学館漫画賞はいずれも藤子F作品であるし、その後も漫画関連の賞は一つも受賞していなかった。初めての受賞は2005年の第34回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞である。デビュー50年目にして初の受賞である。
話が横道に逸れてしまったので元に戻すが、本書は藤子Aファン7人がテーマ毎にその魅力をたっぷりと語った1冊である。メーリングリストを使った座談会形式になっているので、所々行ったり戻ったりしている部分があるのはもどかしいが、ファンならではの熱さとディープさは十分感じられる。藤子Aのギャグ漫画が赤塚不二夫全盛期と重なっており、競い合っていたという事実はなるほどと唸らされた。
残念なことと言えば、最初の『まんが道』あたりではまだ手探り状態だったのか、今ひとつ議論が噛み合わず、そしてディープさが足りなかったこと。そしてあとがきでも書かれているが、『プロゴルファー猿』といったスポ根もの、『魔太郎が来る』『ブラック商会変奇郎』のような長編ブラックもの、『笑うせぇるすまん』『憂夢』のような連作ブラックもの、『シルバークロス』のようなアクションものなどについて語られていないことだ。次を予定しているのであれば、PARマンシリーズのエッセイなどにも触れてほしいところだ。
それと座談会形式では話題が拡散してしまうので、ご本人による評論集もお願いしたい。
西澤保彦『身代わり』(幻冬舎)
安槻大の高瀬千帆と匠千暁は元同級生の巡査の葬式に出席していた。高校二年生、鯉登あかりが自宅で殺害され、だが、おかしなことに彼女の遺体のすぐ脇に巡回中の明瀬巡査の遺体があったのだ。二人の死亡推定時刻には四時間の差があり、殺害方法は共に後頭部殴打の後に絞殺。あかりは妊娠三ヶ月だった。警察が調べを進めると、彼女は成績もよく、作家志望で『身代わり』というポルノまがいの作品を書き、小説のモデルと見なされる図書館司書・芳谷朔美とトラブルを抱えていた――。
一方、その五日前の深夜、辺見祐輔の後輩・曾根崎洋が公園で女性を包丁で脅かしながら性的暴行を加えようと襲いかかったが反撃され、その羽住で自分の腹部を指して死亡する事件があった。女性の行方は不明。曾根崎をよく知る辺見はなにか腑に落ちないものを感じた。(帯より引用)
タック&タカチシリーズ最新刊。2009年書き下ろし。
ファンが待ち焦がれていたタック&タカチシリーズ長編である。シリーズとしては2003年の『黒の貴婦人』(幻冬舎)以来。長編となると2000年『依存』(幻冬舎)以来となる。
作品の舞台は『依存』の後で、タックたちが三回生の夏休みである。タックとタカチはボアン先輩の車に乗ったまま安槻を離れているため、話は主にボアン先輩の目を通して描かれている。キャンパス四人組の進捗状況としては、『依存』からの立ち直りが描かれているのみ。それはそれで大きなテーマであるのだが、9年待ってそれだけ、という肩すかしなところがあるのも事実。さっさと続きを書いてよと言いたい。
事件の方は、二つの殺人事件の謎を、いつものように様々な仮説を立てながら推理するストーリー。事件の絡み具合は結構凝っているが、推理の方は相変わらず出てきた事象をパズルのように組み合わせるだけでそこに絶対的な証拠があるわけではなく、結局はワンオブゼムな解答にしかなっていない。まあ、それが西澤作品だと言ってしまえばそれまでであり、厳密に本格ミステリを定義しようという人でない限り、十分楽しめるパズルストーリーになっている。久しぶりに西澤保彦を読んだが、健在なり、と言い切っていいかな。『依存』を読んでいないと何がなんだかわからない、という話なのだが、シリーズものなのでそこは仕方がない。
『仔羊たちの聖夜』に出てきた安槻署の佐伯刑事、七瀬刑事が再登場。さらに平塚総一郎刑事がシリーズ長編初登場。今後色々と絡みそうな感じですな。次の長編は9年も待たせるようなことはしないでほしい。
綾辻行人『どんどん橋、落ちた』(講談社)
1991年大晦日の夜、作家綾辻行人のところへ訪れた青年Uは、綾辻へ“読者への挑戦”が載った本格ミステリ短編を突きつける。どんどん橋で起きた不可能犯罪の結末とは。「どんどん橋、落ちた」
1994年元旦の夜、再び作家綾辻行人のところへ訪れた青年Uは、綾辻へ“読者への挑戦”が載った本格ミステリ短編を再度突きつける。ぼうぼう森で起きた不可能犯罪の結末とは。「ぼうぼう森、燃えた」
K談社U山氏宅で、作家綾辻行人はU山夫人K子さんから聞いた不可能事件。葛西氏宅で猿を殺害したのは誰か。「フェラーリは見ていた」
4年前、家を建て直してから“明るく平和な家庭”であった伊園家は崩壊の一途を辿るばかりであった。そしてとどめを刺すかのように、刃物で刺された笹枝の死体が発見された。しかし刃物はどこにもない。「伊園家の崩壊」
1998年12月23日の夜、作家綾辻行人のところへまたもや訪れた青年Uは、綾辻が原案を書いたという深夜ドラマのビデオを一緒に見ようと誘う。フロア内で起きた連続殺人事件の犯人は。「意外な犯人」
1992年から1999年に発表した本格ミステリ短編5本を収録。
表題作だけはアンソロジー『奇想の復活』で読んでいたが、単行本自体は読んでいなかったなと思って手に取ってみた。あとがきにあるとおり、1996年春に発表した『フリークス』以来3年半ぶり、1999年10月の新刊。この頃といえば、綾辻の新刊出ないねえ、と一部で騒がれていた頃。ああ、懐かしい。
こうやってまとめて読んでみると、つまらない作品集である。普通にトリックを使ったり、一般的な謎を提供することができないから、“ダブル・ミーニング”を駆使して誤魔化しているとしか思えない。“ダブル・ミーニング”なんて、1作だけならまだしも、続けてみせられると「またか」という印象しか与えないんだが。「こっちへ行こう」と右を指すから右へ行こうとしたら左へ行き出すので、「お前違うじゃないか」と怒ったら「こうやってました!」と指先だけを反対に向けているようなせこさしか思い浮かばない。
「どんどん橋、落ちた」は、とある点で作者から読者への了解事項が確認されていない時点でアンフェア。「ぼうぼう森、燃えた」もそれに近い。わざわざタケマルとか使う意味も不明。「フェラーリは見ていた」になると、あっそ、というしかない程度。楽屋落ちの発想しかないのか、綾辻は。
「伊園家の崩壊」は悪趣味としかいいようがない。同人誌のヒロイン凌辱ものと変わらないグロである。こういうのが好きな人もいるということを否定するつもりはないが、一般誌でやることじゃないだろう。不愉快さしか残らない。扱っているトリックは古典もいいところだし、わざわざ伊園家を持ち出す必然性もない。
「意外な犯人」って意外か? 同人誌レベルの本格ミステリにはよくあるパロディだと思うが。
今更ながら、本格ミステリ作家綾辻行人の限界を知らしめた一冊。「新本格の先頭」じゃなかったら読まれなかっただろうなあと思ってしまう。なんとかならなかったのかね、この人は。
東川篤哉『ここに死体を捨てないでください!』(光文社)
有坂香織は、妹の部屋で見知らぬ女性の死体に遭遇する。動揺のあまり逃亡してしまった妹から連絡があったのだ。彼女のかわりに、事件を隠蔽しようとする香織だが、死体があってはどうにもならない。どこかに捨てなきゃ。誰にも知られないようにこっそりと。そのためには協力してくれる人と、死体を隠す入れ物がいる。考えあぐねて、窓から外を眺めた香織は、うってつけの人物をみつけたのであった……。(帯より引用)
「烏賊川市シリーズ」5作目。2009年、書き下ろし。
今までカッパ・ノベルスで出ていた烏賊川市シリーズだが、今回は単行本ソフトカバーで登場。今までの売れ行きが良かったから格上げなのか、単にカッパ・ノベルスが売れなくなったからか。カッパの失敗は、装丁を変えたことだよな、絶対。余談だけど。
出だしこそちょっと奇妙な死体遺棄劇が繰り広げられるが、第二章からは私立探偵鵜飼杜夫、弟子(で大学生だっけ?)の戸村流平、鵜飼が入っているビルの管理人二宮朱美といったレギュラー陣が登場。留守番電話に入っていた女性からの謎の依頼に応える(という名目)のために、猪鹿村のペンションクレセント荘へ。死体を湖に捨てたはいいが、載ってきた死体の車まで捨ててしまったために歩く羽目になり、しかも道に迷ってクレセント荘へ泊まることになった有坂香織と手伝わされた馬場鉄男。クレメント荘ではリゾート開発をたくらむ不動産会社の課長が来たため不穏な空気が流れる。そして翌日、夜釣りに出かけていたオーナーが川に落ちた死体となって発見される。捜査にはあの砂川警部と志木刑事も現れた。
十乗寺さくらが出てこないのは残念だが、レギュラー陣に登場人物を交えてのドタバタコメディは健在。緊迫した場面でもコメディと化してしまうところは、この作者ならではの面白さ。レギュラー陣に対したバックボーンがあるわけではないので、この本を読んだだけでも十分に楽しむことはできるが、やはりこのシリーズは最初から読んだ方がより楽しめるだろう。
ドタバタコメディながら骨組みはしっかりとした本格ミステリというのが本シリーズの大きな特徴だが、本作ではかなり大がかりなトリックが使用されている。結末を聞くと実際に可能なの?と思ってしまう部分はあるし、それ以前に舞台の位置関係がちょっとわかりづらいため、せっかくの驚きが半減してしまうのはマイナスポイント。それでも最初から散りばめられていた伏線がエピローグまでキッチリ収まったのはお見事。ラストも悪くないし、結構高い評価を得てもおかしくはないと思う。
作者に足りないのは、代表作かな。佳作を連発するのもいいが、ここらで傑作を書いてほしいと思うのは私だけではないはず。
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