H・C・ベイリー『死者の靴』(創元推理文庫)
風光明媚な田舎町キャルベイの海から、少年の死体が上がった。少年は州警察のユーヴデイル警部と密会しているのを目撃された後、行方がわからなくなっていたのだ。容疑者から依頼を受けた弁護士クランクは、百戦錬磨の曲者ぶりを発揮して、事件に当たる。『フォーチュン氏の事件簿』で名高いベイリーは、一九二○年、クリスティ、クロフツらと共に黄金時代の幕開けを飾り、英国推理小説界の巨匠の一人に数えられた。本書は、その持ち味が十分に発揮された長編であり、著書のもう一人の名探偵、ジョシュア・クランク弁護士の本法初紹介作でもある。(粗筋紹介より引用)
1942年作。2000年翻訳。ジョシュア・クランク弁護士シリーズの長編第7作。
H・C・ベイリーといえばフォーチュン氏しか知らない。言語が難しくて翻訳しにくいと書かれていた記憶があったか、本作を読んでもよくわからない。ただ、小説や劇などからの引用が多いから、調べる方は大変だろうなとは思った。
内容としては正直微妙。事件が起き、容疑者から依頼を受けたクランク弁護士が死因審問で無罪を勝ち取るまではわからないでもないのだが、そこから部下のホプリーを派遣してその町に住まわせ、1年近く人間ドラマがが描写されるという展開は、読んでいてもやっぱり退屈。最後に浮かび上がる犯人像から作者の意図を推察するしかないのだが、ここまで来るともう作風としか言い様がないんだろうな。クランク弁護士シリーズってみんなこんな作品なのだろうか。確かにこれだったら、日本の読者には受けないだろうと判断されてもおかしくないかも。
訳者あとがきで、クランク弁護士やこのシリーズの背景を初めて知ったのだが、これは先にこの背景を知っておくべきだったのかなと思ってしまう。クランク弁護士というキャラクターも好きになれないな。何を考えているのか、さっぱりわからない。よりによってなぜ第7作を訳したのだろう。やはり最初から訳すべきだったのではないだろうか?
クランク弁護士シリーズは1930年から1950年まで長編計11冊が執筆されている。最後の長編"Shrouded Death"は遺作らしい。クランク弁護士シリーズに限らず、ベイリー作品はこの後も全く訳されていない。やっぱり訳すのは難しいんだろうか。それとも日本受けしないと思われているのだろうか。
コリン・ホルト・ソーヤー『メリー殺しマス』(創元推理文庫)
高級老人ホーム〈海の上のカムデン〉に12月がやってきた。毎年、入居者たちは用意されたクリスマスの催しをそれなりに楽しんで過ごす。だが今年の聖なる季節は、ちびっこ合唱団の絶叫で幕が開いた。はた迷惑にも、ロビーの大ツリーの下に、プレゼントならぬ入居者の死体が置かれていたのだ。カムデンで知らぬ者はない名物コンビ、アンジェラとキャレドニアは、はなからこの一件を殺人だと決めつける。ほかの事件で大忙しなマーティネス警部補からの協力依頼を都合よく拡大解釈しふたりは、独自の捜査を開始するが……。人気シリーズ、第6弾。(粗筋紹介より引用)
〈海の上のカムデン〉シリーズ第6作目。1995年作品、2009年翻訳。
頂き物です、有り難うございます。
シリーズ6作目をいきなり読んでも大丈夫かと思ったが、とりあえずはそれほど戸惑わずに読み終わることができたのでホッとした。とはいえ、これはやっぱり第1作から読むべきだったな。アンジェラたちとマーティネス警部補のやり取りなんかは今までの経緯があるからこそ笑えるものだったろうし、それ以前に登場人物の細かい関係についてもちょっとピンと来ない部分があった。
訳者あとがきにもかいているけれど、このシリーズはやっぱり登場人物の日常を愉しむ作品なんだろう。殺人事件はあくまで日常に舞い込んだアクシデントというか、インパクトというか。この作品でもそうだが、基本的にはハッピーエンドで終わるらしいので、殺人事件が混じるとはいえ、ほのぼのとしたやり取りを愉しみたい人にはお勧めかもしれない。
フランシス・アイルズ『被告の女性に関しては』(晶文社)
肺の病を得て海辺の村に保養にやって来た学生アランは、滞在先の医師の妻イヴリンと親しくなり、ついに関係を結んでしまう。自信家の医師に反感をつのらせながら、秘密の関係に深入りしていくアランだが、その先には思わぬ事件が待ち受けていた…。優柔不断な青年の揺れ動く心理と、不可解な女の性を辛辣なユーモアをまじえて描いた本書は、人間の「性格」の謎を追究し、探偵小説の枠組みから一歩踏み出したアイルズ=バークリーの到達点ともいうべき傑作である。(粗筋紹介より引用)
1939年作品。2002年翻訳。
フランシス・アイルズ、というかアントニイ・バークリーが再評価された2000年頃、未訳だった作品が次々に刊行されていったが、本書もそんな一冊。アイルズ名義としては『殺意』『レディに捧げる殺人物語』に続く一冊であり、バークリー名義も含め、作者にとって最後の長編となった。
本作品は前二作と同様、実在の事件にヒントを得ているという。1920年代初めに起きたトンプソン夫人とバイウォーターズの事件、そして1930年代のラッテンペリー夫妻とストーナーの事件をモデルにしている。いずれも妻の年若い愛人が夫を殺害したものであり、作中で話題になった公判記録はトンプソン事件のもの。タイトルも、その記録の中にある裁判官の発言からとられている。
本書は詩を愛する学生が美しい人妻と恋に堕ち、徐々に破滅していく顛末を書いたもの。破滅と書いたが、途中でのやり取りは悲劇というよりも、世間知らずな若者が振り回されたりオロオロしたりするのを遠くから見てニヤニヤしてしまう喜劇という感がしなくもない。しかし実際のところは、単に不倫カップルがいつ夫にばれるのか、そしてばれたときにどうするかといった、特に若い燕がオロオロしているだけの作品にしか見えなかった。犯罪に至るまでの心理を巧みに書いた前二作に比べると、出来の悪いメロドラマにしか思えない。ミステリと思えるような展開になるのも最後の方だし、結末に至っては作者の悪趣味と言ってもいいんじゃないだろうか。不倫関係に堕ちた世間知らずな若者の心理描写を綿密に書きすぎたせいで、かえって「うざい」作品で終わってしまっている。解説の真田啓介はこの作品を前二作と同等に位置づけた評価をしているけれど、売れなかったという事実が正当な評価じゃないのかな。
本作品は、「性格の自然の成り行きとしての殺人」を扱う三部作の第一作として構想されたものだったそうだ。しかし批評家の反応は芳しいものではなく、第二次世界大戦の勃発による用紙事情の悪化も災いして、本書の売れ行きは惨めなものであったらしい。第二作は同じジャロルズ社より1941年に刊行を予告されていたが、出版されていない。
ドナルド・E・ウェストレイク『踊る黄金像』(ハヤカワ・ミステリアス・プレス文庫)
頼むから話しかけないでくれ。おれ、急いでいるんだ。何でかって? 実は、南米某国から盗まれた黄金像の行方を追っているんだ。そいつを狙って悪党どもが争奪戦を繰り広げててさ。しかも、複製品が十五台あって本物がどれだかわからない。もう大混乱さ――。ま、詳しくは中身を読んでくれ。ミステリ史に残る大傑作だってことは保証するよ。じゃあ、おれ、急ぐから。(粗筋紹介より引用)
1976年、アメリカで刊行。1994年翻訳。
いやあ、ミステリアス・プレス文庫ってあったね。懐かしいわあ。ミステリアス・プレス・グループという名前も、ちょっと惹かれたあのロゴも懐かしい。最初に日本で出版されたのって、ウールリッチの長編だったっけか。ハードカバーで。文庫の最初はエルキンズの『古い骨』だった。どっちも読んだ記憶がある。もう20年以上も前の話だった。
オレンジ色の背表紙が懐かしいこの文庫だが、ウェストレイク名義の長編を読むのは初めて。「悪党パーカー」ものは何冊か読んだことがあるけれど。テーマとしては、コナン・ドイルの某短編にあるようなあのネタだが、内容は完全なドタバタもの。スラップスティックといった方が正しいか。全部で16体のアステカ僧侶像が出てくるので、登場人物も最初から結構多い。そして結構長い。正直なことを言うと、最初で「ハッスル」しすぎて、途中でだれてしまった感がある。登場人物表がなかったら、誰だかわからなくなって途中で投げ出していたかもしれない。まあ、結末の方はお約束とはいえ笑えたが。
時間のあるときに一気に読むべき本。細切れに読んだら、何がなんだかさっぱりわからない。私も一度はそう読んで途中で放棄し、後日出張の新幹線の中で読んだクチ。
光原百合『扉守』(文藝春秋)
瀬戸の海と山に囲まれている潮ノ道を舞台とした、小さな奇跡の物語集。副題は「潮の道の旅人」。
伯母の七重が店主の小さな飲み屋でアルバイトをしている大学生の由布。店の常連客である浜中が、息子が建てた茨城の新築へ引っ越すこととなった。七重はもう一度潮ノ道に戻ってこられる言い伝えがある、店にある井戸の水を飲ませる。「帰去来の井戸」。
白球山の上にある古い洋館は、解体しようとすると必ず妨害が入る。その小幡屋敷にいるのは「畳たたき」という妖怪らしい。問題を解決するために呼ばれたのは、劇団天音の人たち。「天の音、地の声」。
女子高生の雪乃は不満がありながらも周囲に言い出せずにいた。ところが友人と映画を見た帰り道で立ち寄った雑貨屋で、不倫の末に刺し殺された女性の幽霊を見る。それ以降、雪乃は周囲に口答えをするようになり、周囲を驚かせる。「扉守」。
女子高生の早紀は、持福寺に滞在中の絵師・行雲が描いた桜の木の側で若い男の人影を見た。三日後、早紀がその絵を見たときは桜の花が増えていた。「桜絵師」。
結婚した友人の晃代から来るメールは、家庭での愚痴ばかり。そして必ず付け加えられる「独身のあなたが羨ましい」。そんな彼女のメールに苛立つ祥江の前に現れたのは、フォトアーティストと名乗る美貌の若者、菊川薫。「写想家」。
女子高生の友香は、手編みのマフラーを片思いの相手に渡せずにいた。そんなある日、新久嶺亜霧という編み物作家の袋から、赤ちゃん用の靴下が飛んで逃げていったのを目撃する。「旅の編み人」。
幻のピアニストと呼ばれる神崎零と、マネージャーで専属調律師の木戸柊が、再び潮ノ道でへコンサートを行った。神崎の演奏に魅入られ、潮ノ道で毎回スタッフを買って出ている静音は、弦を張っても翌日には切れてしまうピアノが自宅にあることを話してしまう。「ピアニシモより小さな祈り」。
『オール讀物』2003年~2009年に断続的に掲載(「桜絵師」のみ『小説現代』)された連作短編集。2009年11月刊行。
舞台となっている潮ノ道は、作者が今も住んでいる尾道がモデル。「おのみち」に「し」を付けただけで、海と坂のある町である「潮ノ道」をうまく表現したことには感心した。ここでつけられた「し」は、やっぱり「詩」なのかな。
いずれの作品も、ちょっと不思議な能力を持つ人たちが出てきて、ハートフルな物語が展開される。人によっては生ぬるさとか偽善さを感じるかもしれないが、個人的にはたまにこういう優しい物語を読むのも悪くないと思っている。
作品に独特の雰囲気をもたらせてくれている持福寺住職の了斎が全話登場。この"潮ノ道ファンタジー"シリーズは続くという作者の言葉があるので、できれば最後には了齋が主人公の話を読んでみたい。
まあ、できれば作者のミステリもたまには読んでみたいところだが。
高田郁『想い雲 みをつくし料理帖』(角川春樹事務所 時代小説文庫)
かつて芳が澪のために手放した珊瑚の簪を種市が買い戻した。ある日、戯作者の清右衛門が連れてきた版元坂村堂の店主は、澪が作った鮎飯を絶賛し、今度料理番を連れてくるから教えて欲しいと頼み込む。後日、坂村堂が連れてきた料理番は、芳の息子である佐兵衛が江戸で開いた天満一兆庵でかつて料理人を勤めていた富三だった。しかも富三は、役人や芳の旦那である嘉兵衛に、佐兵衛が吉原通いで借財を作って江戸店を手放したと証言した人物だった。「豊年星―「う」尽くし」。
源斉に頼まれ、吉原「翁屋」で鱧を料理することになった澪。鱧はあさひ太夫の客が用意したものだといわれ、張り切る美緒だったが、翁屋の主人伝右衛門は、女の作る料理をもてなしに出せるかと一度は断るが……。「想い雲―ふっくら鱧の葛叩き」。
澪の評判を聞き、幾つかの料理店では女料理人を置くようになった。味は澪に全く敵わないが、似たような名前の料理を出し、べらぼうな料金を取っていた。そしてかつて神田御台所町の「つる屋」があった更地に、新しく「つる屋」という名前の店が出た。しかも店主はかつて登龍楼で澪たちをひどい目に遭わせた板長・末松だった。しかもその店が事故を起こしたため、おなじ店だと思われたつる屋の客足もばったり途絶え……。「花一輪―ふわり菊花雪」。
登龍楼に奉公をしている健坊が叱られて、姉であるふきのところへ逃げてきた。しかしふきは、そんな健坊を叱り、追い返す。ところが健坊はそのまま行方不明となってしまった。必死に探し回るつる屋の面々。「初雁―こんがり焼き柿」。
シリーズ第三作。2010年3月刊行、書き下ろし。
本巻の第一作で、いきなり佐兵衛の消息の真相を知る人物が登場。物語が一気に進展するかと思ったら、そうは問屋が下ろさない。それでも個々の絆が深まるような話が続き、読者の心を暖まらせてくれる。澪を取り巻く恋模様に進展が視られなかったのは残念だが、どうなることやら。美味しそうな料理については相変わらず。料理にかける情熱と言うよりも、料理人としてのプライドが垣間見える作品が続いたのは嬉しかった。
だいたい半年に1冊のペースかな。続きが気になるところだが、こればかりは作者の筆を待つしかない。
高田郁『花散らしの雨 みをつくし料理帖』(角川春樹事務所 時代小説文庫)
神田御台所町にあった店が焼かれてしまったため、武家屋敷も近い元飯田町の九段坂に移った料理屋「つる屋」。酒が出ないのが難点だが、澪の作る料理が受け繁盛していた。主である種市、母代わりであるご寮さんこと芳、同じ長屋に住むおりょうだけでは忙しすぎるので、新たに下足番として「ふき」という少女を雇い入れた。真面目に働くふきは、澪をはじめとした皆に可愛がられる。しかし、かつて嫌がらせを仕掛けてきた「登龍楼」で、澪が創作中だった料理と同じものが出されるようになる。しかも「つる屋」より早く……。「俎橋から―ほろにが蕗ご飯」。
店の近くで倒れていた房州流山の酒屋・相模屋の奉公人留吉を助けた澪たち。主人紋次郎が作った白味醂の味を絶賛した芳は、上方で売ることを勧めるとともに、売り手先への紹介状を書く。是非とも礼をしたいという留吉に、澪はこぼれ梅と呼ぶ味醂粕を頼む。花見の時期、吉原「翁屋」の料理人である又次が澪のところへやってきて、あさひ太夫のために金柑の蜜煮を作ってほしいと頼む。もしかしたらあさひ太夫、幼なじみである野江に何かあったのではないか。「花散らしの雨―こぼれ梅」。
今でも神田金沢町に住んでいるため、半刻(1時間程度)もかかるつる屋から帰るためにはどうしても店を早仕舞いしてしまう澪。戯作者で馴染みの客でもある清右衛門は、店から近くて自分が持っている長屋への引越を勧めるが、江戸に来てようやく心を通わせるようになったおりょう達と離れるのを芳は嫌がるのだが……。そんなとき、おりょうの一人息子である太一が麻疹にかかった。おりょうは看病に専念し、店は口入れ屋の母である老婆・りうが手伝った。太一がようやく治りかかったと思ったら、今度はおりょうが麻疹にかかる。「一粒符―なめらか葛饅頭」。
江戸では珍しい夏の蛸と胡瓜を使った「ありえねえ」が評判になるが、逆に侍の客は足を運ばないようになっていった。不思議に思う澪達。馴染みであり、おりょう達も視ていた町医者永田源斉がつる屋に来ていたとき、自分のことを睨んでいる娘に澪は気付く。彼女は両替商「伊勢屋」の娘・美緒だった。伊勢屋の娘といえば、おりょうの旦那である大工の伊佐三が、縁談があるといって普請の初の棟梁仕事を頼まれたにもかかわらず、縁談が壊れたという話を聞いていたが……。「銀菊―忍び瓜」。
人気シリーズ第二弾。2009年10月、書き下ろし。
前作で火事にあったつる屋が店を移ったところから始まる。ふき、清右衛門、りう、美緒などの登場人物も増え、物語も料理中心の世界から、美緒を取り巻く人たちの流れに移りつつある。料理への情熱といった部分に筆が割かれなくなってきているのは残念だが、出てくる料理そのものの美味しさが伝わってくる点については変わらない。澪の成長も楽しみだが、それ以上に恋模様の方が気になる。謎の侍、小松原への恋慕に気付いた澪。澪に恋心を抱いていると思われる医師源斉。さてさて、どうなることやら。
大沢在昌『雪蛍』(講談社ノベルス)
薬物中毒患者の相互更生補助施設「セイル・オフ」に、あらゆる感情が「死んで」いる男が入所してきた。男と向き合おうとする佐久間公に、再び「探偵」としての依頼がなされる。十七歳の家出少女を捜して欲しいという。当然、ただの「家出」ではなかった。圧倒的な緊張感みなぎる、大沢ハードボイルドの到達点!!(粗筋紹介より引用)
1996年3月、単行本として出版された作品を1998年3月にノベルス化。
『追跡者の血統』以来10年ぶりの佐久間公シリーズと言えばいいのかな。タイトルのうち「雪」は十七歳の家出少女小暮雪華を探す話。祖母は女優小暮君子、母は実業家小暮冴子。旧知のフリー調査員岡江が殺害され、暴力団なども絡んでくる。「蛍」は「セイル・オフ」に入所してきた薬物中毒患者「ホタル」の話。二つの話が同時に進んでいく。佐久間は言う。探偵とは「職業」ではない。「生き方」だ。それが「生き方」だというのなら、正直寂しい気もするが。
「大沢ハードボイルドの到達点」などと書かれいているし、実際出版当時の評判もよかったことを覚えているのだが、こうして読んでみると無駄に長い気がして仕方がない。チャンドラーを読んでいて思ったことと同じ感想を抱いた。グダグダいうならさっさと仕事をしろと。実際は探偵としての仕事をしているのだが、どうも途中で生き方とかなんかにかかわるようなモノローグが入ると、虫唾が走るんだよな。短編なら許せるのだが、これぐらい長い長編で書かれるともうだめ。こればかりは好みとしか言いようがない。
背中をかきたくなるようなむず痒さを覚えながらも、最後の方はスピードアップして読むことができたから、やっぱりそういう点では一流作家なんだと思ってしまう。長さの割に読みやすいと言えば読みやすいけれどね。それだけかな。
今野敏『果断 隠蔽捜査2』(新潮文庫)
長男の不祥事により所轄へ左遷された竜崎伸也警視長は、着任早々、立てこもり事件に直面する。容疑者は拳銃を所持。事態の打開策をめぐり、現場に派遣されたSITとSATが対立する。異例ながら、彼は自ら指揮を執った。そして、この事案は解決したはずだったが――。警視長第二方面大森署署長・竜崎の新たな闘いが始まる。山本周五郎賞・日本推理作家協会賞に輝く、本格警察小説。(粗筋紹介より引用)
2007年4月、新潮社より刊行。2008年、第61回日本推理作家協会賞長編部門と第21回山本周五郎賞を受賞。『隠蔽捜査』に続く第二弾。
“隠蔽”していないからこの副題はおかしいんじゃないの、というアホらしい突っ込みはさておき、『隠蔽捜査』の竜崎伸也が帰ってきた。しかし、いつもの「正しいことを正しい」と言う竜崎節は健在。立てこもり事件からSATによる解決、そして意外な真相まで一気呵成に読ませる。途中竜崎の妻冴子が血を吐いて倒れたり、息子邦彦がアニメの仕事をやりたいと言い出すなど家庭内での問題も織り交ぜ、しかもそれが事件の流れと絡みつつ、竜崎の仕事のように何ら無駄のない展開が最後まで続く。これは協会賞や山本賞を取っても納得。警察小説の傑作に相応しい作品である。
このシリーズのすごさは、今まで多くの作品で悪役、もしくは無能として書かれてきた官僚のプロフェッショナルな実務能力を、読者の納得がいく形で表に浮かび上がらせたところだろう。「正しいことを正しい」という竜崎の言葉が、必要以上に人権を振り回すマスコミ、権利と義務をはき違える人たち、事なかれ主義な教育者などへ向けられるとき、多くの読者が喝采を挙げたに違いない。SIT(捜査一課特殊班)やSAT(特殊急襲部隊)、そして自分たちの部下など、プロが手掛けるべきところはプロを信頼して任せるその姿も、縄張り意識が強い日本人にとってはかえって共感を覚えるだろう。
ま、今頃読んで何を言うんだかと言われそうだけど、傑作。凄い作品だった。
帯にミステリーグランプリ2008(日本推理作家協会賞)なんて書かれているから、なんてまあセンスのないタイトルを勝手に付けたものだと怒りつつも念のため調べてみたら、他の本でも同じように書かれていた。どうも2008年からそういう風に併記しているらしい。大沢在昌理事長(当時)のセンスなの? それとも別の人?
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