ドン・ウィンズロウ『仏陀の鏡への道』(創元推理文庫)

 ヨークシャーの荒れ野に隠栖するニールの日課はめったに変化しない。夜明けとともに起きて入浴、戸外で一杯目のコーヒーを飲みながら、日が昇るのを眺める。ここは心臓の鼓動が聞こえる場所だ。静寂を乱すものは、なんであれ歓迎されない。だが、探偵稼業に引き戻すべく、グレアムが米国からやってきた。示された仕事は、中国娘に心を奪われた有能な研究者を正気に返すこと。香港、そして大陸へ、文化大革命の余人さめやらぬ中国で、傷だらけのニールが見たものとは? 胎動する夢の行方を追った、好評『ストリート・キッズ』に続く、骨太の逸品!(粗筋紹介より引用)
 1992年作品。1997年翻訳。

 そういえばこれも評判が良かったから買ったんだよな、などと昔を思い出しながら読んでみた。
 前作では傷つきながらも胸のすくような活躍を見せたニールだったが、本作ではサンフランシスコから香港、中国まで流れることとなる。事件を解決する、というよりも事件の鍵を握る中国娘を追うことと周囲の状況によって、という結果ではあるが。いくら仕込まれているとはいえ、二十代の青年にここまでの活躍が可能なのか、と思っちゃダメなんだろうな。色々な方面からの思惑があったとはいえ、減らず口をたたきながらも一途な活動を続けるニールに共感したところで、作者の勝ちなんだろう。
 中国に関して述べている部分は、作者が興味のあったところを生でぶつけてきた感があったので、話の流れを損なわないようにスマートな描き方をしてほしかったと思うが、それを除けば十分楽しめる作品。解説の茶木則雄がいうような、ベストテンは決まり、というには荒唐無稽なところがあったかとは思うが。
 どうでもいいが、茶木の解説のタイトルを目次で見たときは、またこの人の芸風が始まったかと思った。しかし、本文を読んだらニールの台詞の引用だったことがわかり一安心。




クレイトン・ロースン『柩のない死体』(創元推理文庫)

 「世に不可能なるものなし」のスローガンを掲げる大奇術師兼探偵のグレート・マリーニが手掛けた最大の難事件。巨大な権力を有する実業家が殺され、マリーニの親友に、その容疑が降りかかった。なんど死んでも生き返るという「死なない男」の不気味な存在、白魔術と黒魔術、生霊と死霊の跳梁など、超現実の世界と密室殺人の謎が複雑に絡み合って、目に見えぬ魔手はマリーニに迫ってくる。カーと並ぶ密室本格派の巨匠が、二重三重のトリックを考案した謎解き推理長編!(粗筋紹介より引用)
 ロースンの第四長編、1942年作品。1959年に世界推理小説全集54として翻訳。1961年文庫化。長らく絶版だったが、1994年に再版。

 復刊フェアで購入した一冊。ロースン作品を読むのは『帽子から飛び出した死』以来20数年ぶり。というか、ロースン作品はこれしか読んだことがなかった。カーと並ぶ密室本格派といわれながらも、日本で読める作品はごく僅かだったと記憶している。『帽子から飛び出した死』については例の密室トリックしか覚えておらず、つまらなかったという印象しかない。
 ということで久しぶりに読んだロースンだが、面白かったとはとうてい言えなかった。容疑が降りかかった新聞記者のロス・ハートは、これまでの作品の語り手である。粗筋紹介にもあるとおり、実際の密室殺人に超現実の謎までが降りかかってくるのだが、それが逆にドタバタな印象ばかりを与えており、読んでいても腰が落ち着かない。カーの作風を下手に取り入れたかのようだ。そもそもマリーニの一人称って「俺」だったっけ? 自分のイメージからは「私」なのだが。
 あちらこちら走り回ってばかりいるうちに気がついたら推理が繰り広げられ、事件は解決するのだが、謎が解けた、という爽快感はまったく得られず。とりあえず絶版作品を読むことができてよかった、以上の感想はなし。ロースンの長編作品はこれが最後らしいが、結局長編を書くだけの筆力がなかったんじゃないの? 言い過ぎかもしれないが。




光原百合『イオニアの風』(中央公論新社)

 偶然の悪戯で<意志>を得た人間たちは、長きにわたり互いに争い血を流し続けていた。時に罰し、時に救い、人間の歴史に介入してきたオリュンポスの神々は、ついに、人間に三つの試練を与え自らの道を選ばせることを決める。運命が用意した試練は、トロイア戦争をめぐるふたつ。そして、強大な魔物をめぐる一つ――。人間の未来を招くため、最後にして最大の難関に挑む、英雄の子テレマコスと美しき吟遊詩人ナウシカアの運命は!? 神々の時代から人間の時代へと移りゆく世界を舞台に描く、壮大な愛と冒険の物語。(帯より引用)
 2009年、書き下ろし。

 作者が長年暖めており、毎年のように完成させたいと言っていた、ギリシア神話を題材とした長編ファンタジー。登場人物は当然ギリシア神話から採られているが、内容は作者が考え出した物語であり、実在するギリシア神話とはまったく関係がない。個人的には舞台にも人物にも内容にもオリジナルが感じられない、ギリシア神話の二次創作だな、というイメージである。プラトニックラブやヒロイックファンタジーが好きな女の子の描くファンタジー、とでも言えばよいだろうか。このヒーローと、このヒロインを結びつけたら素敵だな、というロマンティックな思考しか見えてこない。主人公にオデュッセウスと結ばれないナウシカアと、オデュッセウスの息子テレマコスを選ぶあたりがいかにもという気がする。
 三つの試練の選ばれ方は内容の困難さが違いすぎて、なぜこれが同列になるのかさっぱりわからないし、神々は介入してはいけない決まりなのにとことん介入するなどルールの線引きの曖昧さが不明であることなど、どうも設定に甘さが見られるのは気になった。いっそのこと、テレマコスとナウシカアの話に絞った方がよかったんじゃないのかね。途中から登場するから、今一つ感情移入しにくいし。もっとも「全能の神々」がこんなルールで運命を決めさせること自体がおかしいと思うのだが、まあそれは気にしないこととしよう。
 はっきり言ってしまうと、ギリシア神話をアレンジするなら、和田慎二『ピグマリオ』ぐらい徹底的にやってほしい。作品規模の割に、甘さしか感じなかった作品。




ヘンリイ・スレッサー『グレイ・フラノの屍衣』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 特定の新婚夫婦を選んで、その赤ん坊を<バーク・ベビイ>と名付け大々的に幼児食品を売り出す――ある広告代理店が考案したバーク食品の広告に関する新企画は、健康な赤ん坊に恵まれ順調に進むかに思えた。しかし、専属カメラマンの突然の解雇と死に始まる不可解な事件が続発するに及び、この新企画はにわかに暗雲に覆われ始めた。
 熾烈な広告戦がつづくニューヨークを舞台に、著者自身の広告マンとしての経験を活かし、凝った構成と巧みな語り口で贈る長編力作。1959年度アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀処女長編賞受賞作!(粗筋紹介より引用)
 1958年1月、アメリカのランダム・ハウス社から出版。1960年、ハヤカワ・ポケット・ミステリに収録。1978年に文庫化。

 短編作家として有名なスレッサーの処女長編。広告代理店勤務の経験を活かした作品であり、各章のタイトルも広告から採られたものとなっている。その辺の設定や登場人物はうまく書かれていると思うけれど、内容となるとどうも軽い。なんか簡単に真相が証されるのはどうだろうか。まあそういう意味では手軽に読めるという見方が出きるかもしれないけれど、短編の味付けのまま長編を作ってしまったための薄さしか感じられないのは困ったものである。
 うーん、今一つだったかな。




奥田英朗『オリンピックの身代金』(角川書店)

 昭和39年夏。10月に開催されるオリンピックに向け、世界に冠たる大都市に変貌を遂げつつある首都・東京。この戦後最大のイベントの成功を望まない国民は誰一人としていない。そんな機運が高まるなか、警察を狙った爆破事件が発生。同時に「東京オリンピックを妨害する」という脅迫状が当局に届けられた! しかし、この事件は国民に知らされることがなかった。警視庁の刑事たちが極秘裏に事件を追うと、一人の東大生の存在が捜査線上に浮かぶ……。(帯より引用)
 『野性時代』2006年7月号~2008年10月号掲載作品を加筆・修正し2008年11月に刊行。2009年、第43回吉川英治文学賞受賞作。

 奥田英朗が久しぶりに執筆した本格長編社会派サスペンス。昭和39年(ここは西暦より和暦で書くべきだろう)の東京オリンピックを舞台にしている。作者は文献や映像など多くの資料に当たっている。また元警視庁捜査一課課長・田宮榮一氏へインタビューして当時の警察組織図、捜査方法、警備体制を取材するとともに、当時の警察官や婦人警官にも現場の雰囲気を取材している。舞台となる東京国立競技場も、日本スポーツ振興会の協力を得て実地取材。また当日の天候なども具体的に調査して記載している。作者のこだわりが、昭和という時代を、東京という背景を、オリンピックという世界的イベントを、リアリスティックに描写している。
 当然のことであるが、ここで書かれた事件はフィクションである。しかし、作者の徹底したこだわりが、歴史の表舞台に出てこなかった(とされた)事件とストーリーにリアリティと緊張感を与えている。もちろん実際の歴史で、東京オリンピックは無事に開催され、そして終了している。この東京オリンピックの妨害が成功しないことは読者にもわかっている。それでいて、この緊張感は何だろう。作者の意気込みと情熱が、この作品に迫力を与えている。
 東大でマルクス主義を勉強していた秋田の寒村出身である優秀な大学院生島崎国男が、日雇いの出稼ぎ人夫だった兄が命を落としたことを発端とし、夏休みの期間を兄と同じ飯場でアルバイトをしていく内に、社会の不平等さと理不尽さ、東京への一極集中などに怒りを感じ、その矛先をオリンピックに向ける。島崎、そして事件を捜査する警視庁刑事部捜査一課五係の落合昌夫刑事の視点で主に話は進み、途中で狂言回し的な存在でもあるテレビマンで島崎と同窓である須賀正の視点が入り込む。それぞれの時間軸が少しずつずれているところが、本事件の背景と捜査を対比させる形で浮き彫りにし、島崎のたくらみが成功するかどうかというサスペンス感を盛り上げている。不思議な因縁で協力することになるスリの村田とか、キザで飄々としているくせになんだかんだ言って有能な仁井刑事なんかはもっと描いて欲しかったところ。ストーリーを全面に押し出した分、登場人物の心理描写がもうちょっと欲しかった。
 島崎の発想がどことなく新左翼に似通っているかなあ、などと思っていたら、本当に新左翼が出てきたところは笑ってしまった。作中での批判には納得。とはいえ、島崎にヒロポンを打たせたのはちょっと残念。落合刑事も似たような印象を持っていたが、やっぱりここはヒロポンなどに逃げず、自らの強靱な意志を持った人間としての行動をもっているように描いてほしかったところ。ここだけが残念だった。
 奥田にはもっとミステリ作品を書いてほしい。そう思わせる一冊だった。この五係のメンバーだけで、もう一冊書いて欲しい。個性的な刑事がそろっているし、落合の家族風景ももっと読みたいところだ。これだけで終わるには惜しい。



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