石持浅海『わたしたちが少女と呼ばれていた頃』(祥伝社 ノン・ノベル)

 横浜にある中高一貫校、私立碩徳横浜女子高等学校の特進理系クラスで上杉小春は、碓氷優佳という美少女と知り合う。超難関クラスに外部から入った優秀でクールな優佳と、おしゃべりな小春とクールな優佳はやがて親友になる。教室のどこかで、生まれ続ける秘密。少女と大人の間を揺れ動きながら成長していくきらめきに満ちた3年間を描く青春ミステリー。(一部、粗筋紹介より引用)
 受験を間近にした生徒が、学校近くで赤信号に引っかかると、その子は不合格になる、という言い伝えがあった。高校に伝わるそんな言い伝えを、小春の姉が小春に話した本当の理由は何か。「赤信号」。
 いままで下位グループにいたクラスメイトの東海林奈美絵が、十月の二学期中間試験で急に成績が上がった。夏休み、彼氏と一緒に勉強していたかららしい。しかし拘束で、男女交際は停学処分と決められている。気をもむ小春だった。「夏休み」。
 優等生で学級委員長の岬ひなのは、時々白い顔に隈を作って登校する。本を読みながら酒を飲むので二日酔いだ、という言葉の裏にある真実は。「彼女の朝」。
 クラスに溶けこまず、いつも二人きりでいる平塚真菜と堀口久美は、常に手を握り合っていた。彼女たちは本当に同性愛者なのか。「握られた手」。
 漫画家志望ながら、家を継ぐ理由で医学部を受ける予定の柿本千早だったが、志望校を最低ランクから超難関校に突然切り替えた。しかし当然、合格判定は最低ランク。「夢に向かって」。
 センター試験直前の初詣で右腕を骨折してしまったクラスメートのサッサ。しばらく落ち込んでいたのだが、ある日を境に急に元気になった。「災い転じて」。
 卒業式を迎えた優佳たち。式後に小春の仲間達はサッサの家に集合したが、岬ひなのだけは来なかった。帰り道で、小春が気付いてしまった真実とは。「優佳と、わたしの未来」。
 『小説NON』に2012年~2013年に掲載された連作短編集。2013年4月、刊行。

 『扉は閉ざされたまま』などに登場する碓氷優佳の高校生時代を描いた連作短編集。入学から卒業までの3年間に起きた「日常の謎」を優佳が解き明かしていく。
 優佳の周囲はともかく、我々読者は優佳の「本性」を知っているため、普通に高校生活を送るはずがない、などと考えてしまうため、どうしても裏を疑りながら読んでいってしまう。最初の「赤信号」でちょっと首をひねるところはあったものの、その後の作品では普通の高校生らしい高校生の日常が描かれており、友情や恋愛、将来、受験など普通の高校生の悩みとそれに纏わる謎が主題となっていることから、いつしか普通の「女子高生日常の謎」ものと思い込んでしまいましたが、やっぱりそうは問屋が卸しませんでした。所々の伏線に気付かなかった。これこそが連作短編集ならでは、の醍醐味を味わえた。
 その理由は書いてしまうと勿体ないぐらい。まあ、優佳の本性を知っていれば想像が付くとは思うが。それにしてもこの構成とラストは見事、と何度でも言いたくなってしまう。「日常の謎」そのものはどれも他愛のないものばかりだったが、全てが最終話でひっくり返ってしまった。
 作者は「著者のことば」で、「知らない方は、ごく普通の学園日常の謎ミステリですので、安心してお読みください」と書いているけれど、こればっかりは優佳シリーズを読んでいた方がより驚かされる。『扉は閉ざされたまま』につながるエピソードも出てくるし、再読してみたくなった。
 タイトルもいいけれど、この帯の台詞が最高。本文中には出てこなかったから、多分編集者が考えたんだろうけれど、よくぞ付けてくれた、と言いたくなる。ベスト帯賞だね、これは。




別冊宝島編集部『プロ野球 永久欠番タブーの真相』(宝島SUGOI文庫)

 日本プロ野球界で永久欠番となった選手は全部で14人。王貞治、長嶋茂雄など、一時代を築いた錚々たる顔ぶれだが、その舞台裏には、球団のさまざまな事情が隠されていた! 生え抜き主義の巨人で、なぜ金田正一は永久欠番を与えられたのか。金本知憲に永久欠番が与えられなかった阪神の事情とは。永久欠番になっても監督になれない衣笠祥雄……など永久欠番にまつわるウラ話が明かされる。(粗筋紹介より引用)
 文庫オリジナルで2013年4月刊行。

 読む本が全くなかったときに、キオスクで選んで買ったもの。小説を買えよ、といわれそうだが、そこまでの気力がなかったんだよなあ……。どこまで本当か分からないが、裏話そのものは結構面白かった。とはいえ、読み終わったら忘れる類のものだなあ……、野球にそれほど興味がない人間にとっては。まあ、気楽に読んでさっさと忘れるにはちょうどお手頃だった。




花村萬月『ブルース』(カドカワノベルズ)

 南シナ海の烈風。眼下で砕ける三角波。激しい時化に呻く25万トンの巨大タンカーの中で、元ギタリスト村上の友人崔は死んだ……。仕事中の事故とはいえ、崔を死に至らしめた原因は、日本刀を片手に彼らを監督する徳山の執拗ないたぶりにあった。徳山は同性愛者であった。そして村上を愛していた。村上と親しかった崔の死は、徳山の嫉妬であり、愛の形であった――。歪な愛と過剰な暴力。濃密で過激な男の生きざまを描く、著者渾身の一冊!(粗筋紹介より引用)
 1992年8月、書き下ろし刊行。

 個人的に、花村萬月という名前を知ったのは本作品。このミスなどで選ばれて、一気にブレイクした感があった。とはいえ、読むのは今更かいと言われそうだ。『笑う山崎』とかは面白かったら、そのとき一気に読めばよかったとちょっと後悔している。
 関西系暴力団に属し、港湾関係作業全般を取り仕切る会社、山野興業の専務取締役であり、何かあったら日本刀を振り回す同性愛者の徳山。アメリカでギタリストをしていたが酒で身を崩した後に強制送還され、今では横浜のドヤ街に住みながら巨大タンカーのスラッジ清掃に従事する村上、そして横浜の店でブルースを歌うハーフの美女、綾。徳山は村上のことが好きで、綾は徳山のことがお気に入りだった。しかし始めて入った店で徳山は綾を知り、綾は村上のギターを知り、二人は恋に堕ちる。
 ここにあるのは暴力で彩られ、ブルースが奏でる愛の形。
 暴力シーンが多く、その描写は濃密。理不尽な暴力行為も多く、読んでいて不愉快になるような場面ばかりなのだが、読んでいるとその魅力に引き込まれ、ついページをめくってしまう、そんな小説。出てくる登場人物のみんなが自分勝手なのに、なぜか共感してしまう部分もあり、そんな自分に少々苛立ちを覚えたりもしてしまった。
 ブルースを作品世界へ十分に浸透させ、歪な愛の形を表現しきった傑作であった。ただ、こういう作品を何冊も読みたいとは思わない。ある意味、中毒になってしまいそうな作品であり、これ以上摂取すると堕ちてしまうような作品でもある。




水上勉『爪』(カッパ・ノベルス)

 小石川初音町の兄の家に住む笹本暁子は、兄嫁に出かけてくると言い残し、そのまま帰ってこなかった。20日後、暁子は琵琶湖で殺人死体として発見される。暁子は近くの旅館に男性と夫婦と偽って泊まりに来ていたが、暁子の周辺を調べてもそのような男性は出てこなかった。ただ、兄が死体の身元確認で滋賀へ出かけている途中、兄が商う洋品店に二人の外国人が現れ、兄嫁に「アキコサンニアイタイ」と言ってきた。さらに「タケスエジュンコサン、シリマセンカ」と問いかけた。竹末順子が、暁子の故郷である足利市での同級生で友人であることが分かった。順子は定時制高校を中退して東京へ出て、外国人相手のオンリーをしていた。ところが、順子は千葉県でバラバラ死体となって発見された。暁子と共通するのは、爪に塗られた赤いマニキュア……。富阪警察署の曽根川刑事は、事件の謎を追う。
 1960年12月、カッパ・ノベルスより刊行。

 水上勉が売れっ子となっていたころに書かれた社会派推理小説。戦争の傷跡がまだまだ残っている時代という点を考慮しないと、今ひとつピンとこないところがあるかもしれない。そうでないと「事件が外国の兵隊に囲われねば生きてゆけなかった女の貧しさに端を発している」という言葉の意味がわからないだろう。
 ただ、「推理」小説という点の面白さはほとんどない。事件が発生し、刑事が発見された新事実と勘に従って動くうちに犯人の姿が見えてくるだけである。その背景に社会的な問題があるというのが社会派推理小説らしさであるとはいえるが、こういう小説を夢もロマンもないとばっさり切り捨ててしまいたくなるのもわからないではない。
 被害者の同僚とかがいて、もっとページを費やすことができれば、社会への訴えとなるような問題小説とはなったかもしれない。多分、そこまでの深みを持たせる余裕がなかったのだろう。言ってしまえば、この頃に量産された社会派推理小説の一つである。それだけ。




佐木隆三『組長狙撃 海燕ジョーの奇跡』(小学館文庫)

 組織に着せられた汚名をはらすため、沖縄の暴力団連合のドンを射殺した混血児・南風ジョー。島から島へと逃亡を繰り返し、父のいるマニラにたどり着いたジョーは、麻薬組織の一員となり、恋人も日本からやってきて、つかの間の幸せを手に入れる。しかし連合の手が伸び、日本に舞い戻ったジョーの行く手に待ち受けるものは……。
 海燕のようにすばしこく、大胆なジョーの逃避行と、緊張感あふれる銃撃シーンをリアルに描いたクライムノベルの名作ここに復活。
 佐木隆三「隣りの殺人者」シリーズ完結の第5弾。(粗筋紹介より引用)
 1979年、季刊『小説新潮別冊』に連載。1980年2月、新潮社より『海燕ジョーの奇跡』のタイトルで単行本刊行。1983年9月、新潮文庫化。2000年8月、小学館文庫より現タイトルで刊行。

 個人的には、時任三郎主演で1984年に公開された映画の方が有名じゃないかと思っている作品。当時の沖縄の暴力団って、ここまで無法地帯だったんだろうかと思わせるぐらいなのだが、文庫版あとがきにある通りこの作品にはモデルが存在している。『殺人百科I』の第十三話「褐色の銃弾」に書かれた狙撃事件は実名で出てくる。本作品では「琉球連合」のコザ派、那覇派の理事長をどちらもジョーが射殺してしまうのがこの作品だが、実際には狙撃犯は別々。ジョーのモデルとされている人物は、理事長を射殺した後に警察に自首している。
 本作品では、海燕のように逃避行を続けるジョーの行動を「奇跡」と呼んでいる。確かに組織を相手にしてのジョーの活躍は、奇跡と呼ぶにふさわしいだろう。この辺は小説ならではと思わせるが、暴力団ならではのシーンばかりなのにスカッとしてしまうのは、このジョーの爽やかさならではだろう。射殺犯を爽やかと表現するのはどうも違和感があるのだが、実際にそう感じるのだから仕方がない。とはいえ、組織も個人も自分勝手だなあとしか思えないのも事実だが。
 シリーズに合わせるため、漢字四文字に改題しているが、やっぱりこれは元の題名の方がしっくりくる。




高木彬光『神津恭介、密室に挑む』(光文社文庫 神津恭介傑作セレクション1)

 青森の旧家で当主の双子の弟が、幽霊が出るという噂のある離れで絞殺された。離れの周りは、被害者の足跡しかなかった。「白雪姫」。
 「もうすぐ月へ帰る」という美人令嬢が満月の夜、松下が一瞬目を離したすきにホテルから姿を消してしまった。本当に月へ帰ってしまったのか。「月世界の女」。
 戦前は女魔術師が住んで姿を消したという伝説のある鏡の部屋から当主の妻が、本人の予言通り姿を消す魔術を見せた。そして家の外で叫び声が上がり、妻が殺害されていた。「鏡の部屋」。
 レストランで食事中の神津と松下の前に、四次元に足を踏み込んだという男が現れた。その男の予告通り、密室殺人事件が起きる。男には鉄壁のアリバイがあった。「四次元の男」。
 影なき女の予告通り、まったく同じ状況で連続密室殺人事件が発生する。悪徳高利貸し、その秘書、著名な探偵。被害者全員に接点がある人物はいなかった。「影なき女」。
 新興財閥の愛人である妖婦、八雲真利子が伊豆のホテルへやってきた。財閥当主だけでなく、二枚目俳優と美男子流行歌手という鳥巻きを連れて。ホテルへ送られてきたトランクの中には、胸にナイフの刺さった真利子そっくりの蝋人形が届けられた。ホテル支配人は、別名で泊まっていた神津恭介に事件の謎解きを依頼する。しかし真利子は蝋人形と同じようにナイフで刺されて殺された。密室の中で。「妖婦の宿」。
 眉目秀麗、頭脳明晰な名探偵、神津恭介の事件簿の中から、密室に挑んだ6編の短編を収録。

 神津恭介や高木彬光について今更何かを描く必要はないだろうが、帯の「イケメン、インテリ、エリート」と、スカイエマのカバーイラストはどうにかならなかったのだろうか。イラストレーターに罪はないが、やっぱりイメージが合わないなあ。この手のイラストに、今時の言葉を使った宣伝文句。何か間違っている気がすると思うのは、自分が古い人間である証拠だろうか。
 神津の短編はほとんど読んでいただろう、などと勝手に思っていたが、「鏡の部屋」「四次元の男」は初めて読んだ(か、全く記憶がないか)。
 名作「妖婦の宿」「影なき女」は文句なし。特に「妖婦の宿」は戦後本格ミステリ短編のベストに入れたいぐらいの傑作。一番トリッキーな「白雪姫」、とリックよりもその幻想的な拝啓が印象的な「月世界の女」も悪くない。ただ、「鏡の部屋」「四次元の男」は今一つ。特に「四次元の男」は警察が見つけないことが不思議なくらい。個人的には、密室は単純だけど他の殺人事件の謎が秀逸な「殺人シーン、本番」の方を選んでほしかった。
 今の若い読者がこれを読んでどう思うのだろう。古いと切り捨ててしまうのか、面白いと思うのか。色々と聞いてみたい気がする。




水上勉『その橋まで』上下(新潮文庫)

 殺人犯として刑に服し、17年ぶりで娑婆に出てきた名本登。仮釈放を許され、自由の身になったとはいえ、彼は厳重な保護観察を受けなければならず、どんな微罪でも犯せば最後、たちまち刑務所に逆戻りだった。地道な木工職人として社会復帰の道を踏み出した彼には、しかし、ひょっとした成り行きから、婦女暴行殺人の容疑がかけられる……。犯罪者の更生の苦しみを描く問題作。(上巻粗筋より引用)
 名本の幼なじみが連れこみ宿で死んでいた事件に続いて、今度は、モーテルの近くの山中で若い女が縊死体で発見されるという謎の事件が起こった。保護観察所の庇っている仮釈放者が、仮面をかぶって犯罪を重ねているのではないか――警察は前科者の名本に対する疑惑を深め、執拗に追及する。〈犯罪〉の虚実を探り、獣性と仏性をふたつながら内包する人間のかなしみを描く社会小説。(下巻粗筋より引用)
 「週刊新潮」昭和45年10月3日号~47年10月14日号にかけて連載。連載時タイトル「あの橋まで」。昭和47年、新潮社より単行本刊行。

 社会派推理小説『海の牙』で売れっ子になった水上勉だが、推理作家時代は数年というイメージしかない。そもそも探偵作家クラブ賞を受賞した年に『雁の寺』で直木賞を受賞しているぐらいだし、以後も推理小説というよりは社会的な問題や人間の姿を描くといったところに力点が置かれていることから、これは殺人事件を扱っているから推理小説、これは殺人事件がないから普通小説、みたいな捉え方しかされていなかったんじゃないかと思う。そのうちに大物作家となって、推理小説を書かなくなってしまったが、罪をテーマにした作品を何作も書いており、ミステリのカテゴリに入れても問題がないような作品もある。
 この作品は、殺人事件で無期懲役判決を受け仮釈放された男が、変わってしまった世の中に戸惑い、微罪でも刑務所に逆戻りしてしまうという保護観察の檻に縛られながらも更生しようともがき苦しむ姿が描かれている。喧嘩に巻き込まれても、交通事故を起こしても、下手をすれば職務質問をしてきた警官の挑発に乗っただけでも、仮釈放は取り消されて刑務所に逆戻りしてしまうのだ。しかし主人公の名本は、刑務所の外でも苦しみ続ける。前科者・殺人者という冷たい視線と偏見と、厳しすぎる遵守事項は、自業自得とはいえ苦しいものだろう。しかも本書では、幼なじみで刑務所で文通していた女性と再会して結ばれるが、その女性が死んでしまう。最初は自殺と思われたが、そのうちに名本が警察にマークされてしまうようになる。前科者が再び殺しに手を染めたと思われても、偏見とばかりはいえないだろう。こうして名本は勤め先を辞め、新しい場所で木工細工を手掛ける男に見込まれる。ところが男と年の離れた妻の誘惑に負けあやまちを犯してしまう。さらに別の連続暴行殺人事件の容疑までかけられる。行方不明だった父と再会し、亡くなった父の骨を母の里へ埋葬でき、さらに事件の真犯人は捕まった。しかし別の事件に巻き込まれて傷害事件を引き起こし、名本は保護観察を取り消されてしまう。名本は、社会には出たくない、刑務所に一生過ごしたいと言い残し、刑務所へ帰っていく。
 犯罪とは何か、罪とは何か、仮釈放とは何か、更生とは何か。水上勉は重い問いかけを私たちに投げつける。一人の男が社会に翻弄された姿を通し、様々な矛盾を描写する。更生しようともがくのに、社会の冷たさに絶望する名本の姿は、あまりにも哀しい。
 ただなあ……。名本がかつて殺した被害者については、ほとんど描かれることがなかった。きちんと冥福を祈っているようだが、ただ社会で真面目に生きることが更生なんだろうかと疑問に思ってしまうのも事実。かつての罪の重さに名本が引きずられていることは事実だし、過去にばかり目を向けていてはいけないこともわかるのだが、その辺の描写が少ないことには残念に思った。

 なお、2004年9月26日の読売新聞によると、この小説にはモデルがいる。強盗殺人罪で無期懲役を受け、仮釈放中の新潟県内の男性が、2004年9月8日に水上勉が亡くなった後に名乗り出た。富山県出身の男性は、戦後の混乱期で窃盗や恐喝を繰り返して少年院や刑務所を往復する。出所後の21歳の時、富山県内で母子を殺害する強盗殺人事件を犯し、無期懲役判決を受けた。15年後の1968年に仮釈放された後、服役中に自らの生い立ちをつづった15冊の大学ノートを何人かの作家に持ち込み、自分の人生に区切りをつけたいと訴えた。それに応えたのが水上勉だった。取材は2年間に及び、連載が始まったがこの小説だった。男性は刑務所で身に着けた印刷の技術を生かして社会復帰し、結婚して一児をもうけた。しかし印刷所での現金盗難事件で真っ先に疑われて、地方を転々。20年前には妻とも離婚し、以後は一人暮らしだった。水上との付き合いはずっと続いていた。



【元に戻る】