斎藤栄『犯人を捜せ』(ベストブック社 Big Bird Novels)

 アメリカ大統領選挙予備選挙。共和党内では、フーバー前カリフォルニア州知事が現職のモード大統領をリードしていた。焦った悪名高きモードは、側近にフーバーを暗殺するよう指令した。秘密指令を受けた側近が選んだケネス・タイナン、ジャニス・ジョブリン、オーガスタス・アウズリー、ダニエル・カスリール、マリー・ドーソンの5人は一見すると日本人に見えることから、フーバー側の目を避けるため、あえて江の島で打ち合わせを行った。そして打ち合わせを終え、計画書類の入った革製のグラッドストン(旅行ケース)を持ってモノレールで大船に出て、東京に戻る予定だった。ところが電気系統の事故によるモノレールからの脱出時、日本人5人グループが持っていた同じグラッドストンと取り違えてしまった。5人の奪還作戦が始まる。
 1977年1月、書き下ろし刊行。

 荷物の取り違えで計画文書の入ったケースが一般人に持ち去られたため、取り返そうとする5人の工作員。ケースに入っていたパズルや5人の目撃内容などを基に5人の日本人の身許を探り出す。一方日本人5人組は鞄の書類を知り、捕まるのを避けバラバラで逃げ出すも、あっという間に捕まってしまう。残された手掛かりを基に、攫われた5人の日本人の知人たち(親や結婚相手など)による捜索が始まる。
 粗筋だけ読むと普通の推理小説に見えるけれど、表紙のタイトルの上に「書き下ろしパズルミステリー」、下に「あなたが推理する本」とある。そう、これは読者がパズルを解きながら先に進む本なのである。作者はあとがきで「パズルミステリーは、ミステリーを読む楽しさに加え、パズル解きの興味を加えた、日本では初めての推理小説として書き下ろしたものだ」と書いている。特に「刺客パズルによる謎の提出は、これまでのミステリーにはなかった方法で、テレビ時代、劇画時代の若い読者には、新しい楽しみの手段として受け取られるものと確信している」とまで自負している。なお表紙にはルパンを似せたような怪盗らしき人物のイラストがあるものの、ストーリーには全く関係ない。
 小説の中に30問のパズルが織り込まれている。このパズルはどうも作者の自作のようだ。これがとてつもなくつまらない。暗号とか間違い探しとか隠し文字とかクロスワードなどのパズルで、しかもレベルが低いから、解く気が全く起きない。さらに言えば、パズルを解かなくても話はどんどん先に進んでいるので、解く必要すらない。どの問題も4つのヒントが書かれているのだが、4番目は作者だけ上から目線のような薀蓄らしきものが書かれているにすぎず、ヒントに全くなっていない。これだけでもげんなりしてしまう。
 肝心の物語の筋も面白くない。そもそもこれだけの計画を文書に残す方がどうかしているし、まだ文書に残すならまず暗号化してから持ち運びするだろう。暗殺計画そのものを書いた書類をそのまま持ち運びするなんて、あまりにもお粗末なので呆れてしまう。その後の顛末もひど過ぎ。書類のありかを白状させ、さっさと殺すのが普通だろう。喜劇でもこんなひどくないぞと言いたくなるようなドタバタなのである。ただでさえサスペンス感がかけらもないのに、途中でパズルが挟まるから間延び感が余計に強くなる。
 はっきり言って、企画倒れの駄作。確かに日本初かも知れないけれど、それは単にそんなことを考えたって面白くなるはずがない、ということをよくわかっているからにすぎない。ストーリーに合わせるようにパズルまで作ってくれてご苦労様でしたとは言いたいが、それだけである。
 この本、その後『大統領候補暗殺計画』と改題されて1984年にケイブンシャブックスから出ている。さらに『湘南モノレール誘拐事件』と改題されてケイブンシャから文庫化されている。このとき、普通の小説に直されたらしい。




ピエール・ルメートル『その女アレックス』(文春文庫)

 おまえが死ぬのを見たい――男はそう言ってアレックスを監禁した。檻に幽閉され、衰弱した彼女は死を目前に脱出を図るが……しかし、ここまでは序章にすぎない。孤独な女アレックスの壮絶な秘密が明かされるや、物語は大逆転を繰り返し、最後に待ち受ける慟哭と驚愕へと突進するのだ。イギリス推理作家協会賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2011年、フランスのEditions Albin Michelより発表。2012年、リーヴル・ド・ポッシュ読者大賞ミステリ部門受賞。2013年、英国推理作家協会のCWA賞インターナショナル・ダガー賞受賞。2014年9月、翻訳。『このミステリーがすごい!』『週刊文春ミステリーベスト10』『ミステリが読みたい!』『IN POCKET 文庫翻訳ミステリー・ベスト10』第1位。

 あれだけ騒がれたんだから読んでみよう、と思って手に取った1冊。そういえばフランス・ミステリの新刊を読むなんて久しぶりだと思いつつ。
 第1部は監禁され虐待されるアレックスと、拉致された目撃証言から事件を追うパリ警視庁犯罪捜査部のカミーユ・ヴェルーヴェン警部ら捜査陣が交互に書かれる。「101ページ以降の展開は、誰にも話さないでください」と帯にあるからそれ以上は書かないけれど、確かに「物語は大逆転を繰り返す」。
 読み終わってみると、確かに評価が高い理由もうなずける。第1部はアレックス側から見たら脱出サスペンス、捜査側から見たら誘拐捜査小説である。しかし当然ながらそれだけではない。ネタバレは嫌いなのでこれ以上は書かないが、昔のフランス・ミステリにあったようなトリッキーな展開が待ち受けている。読者が翻弄されることは間違いない。昔懐かしい「ネガがポジに反転する」という言葉を思い出した。
 しかしこの作品のよいところは、トリッキーな部分だけではない。アレックスという人物の造形は素晴らしいし、低身長にコンプレックスを抱くカミーユ警部や上司のジャン・ル・グエン部長、部下のルイやアルマンといった捜査陣もよく描けている。判事と警察の対立といった警察小説ならではの要素もよいスパイスだ。詳しくは触れないが現代小説らしい要素も加味されている。つまり、さまざまな要素が噛み合い、奇跡のブレンドによって素晴らしい作品に仕上がっているのだ。第3部まで読み終えたときの満足感は、読了した人にだけわかるものだろう。
 確かに細かい矛盾点は結構ある。終わり方に疑問を抱く人もいるだろう。しかし、そういった要素も含めて傑作、といってしまっていいと思う。そんな作品だと思う。
 この作品、カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの2作目とのこと。これは当然1作目も読んでみたいし、3作目も2012年に出ている。いずれ翻訳されることを期待しよう。また、映画化も企画されているというけれど、こちらは見ない方がよさそうだ(もともと映画はほとんど見ないけれど)。




樋口明雄『許されざるもの』(光文社)

 「オオカミ=悪」というイメージ。政治家の利権。野生動物の襲撃。クリアすべき問題は、尽きない。
 食物連鎖の頂上に立つニホンオオカミが日本で最後に確認されたのは一九○五年。絶滅したオオカミを外国から移入し、健全な生態系を取り戻す「ネオウルフ・プロジェクト」の試験放獣の地に南アルプスが選ばれた。反対派や地元民の説得、プロジェクトを町おこし程度にしか考えない政治家、中国奥地のオオカミ探索決死行など、環境省・野生鳥獣保全管理官の七倉は幾多の困難に立ち向かう。しかし――。(帯より引用)
 2014年7月、書き下ろし刊行。

 大藪賞等を受賞した『約束の地』の続編。大いに期待して読んだのだが、読み終えてしまうとやや微妙。力が入っていることはわかるし、個々のシーンは面白いのだが、印象がやや散漫な何というかまとまりのない作品に仕上がっている。
 外国の狼を日本に移住させようというオオカミ復活プロジェクトが実際にあるのは知っているのだが、それを実現するためにはあまりにも壁が高い。それに立ち向かうというのはわかるし、それを利用しようとする政治家たちや反対の声をあげる人たちがいるのもわかる。それらを丁寧に描こうとして、本来の冒険小説や前作にあったような小説のリズムが狂っており、力が入りすぎた印象は否めない。「これはロマンではない。リアルだ」と帯に描かれているのだが、やっぱりロマンの要素ももっと欲しかった。
 七倉航の娘、羽純に関わるストーリーの前半が、「ネオウルフ・プロジェクト」とあまり関わらなかった、というかちょっと解離している部分があるのも気になった。フリーライターの飯島卓は暴走するマスコミの代表格として登場させたのだろうが、読み終えてみると不必要だった気もする。たとえそれが、羽純という存在を光らせるためにあったとしても。
 そして本作の残念な部分は、前作の敵獣側である熊の「稲妻」やカガミジシの「三本足」のような存在がなかったこと。もちろんそれに位置するのが、中国から輸入されたオオカミ一家になるのだろうが、登場するのは物語後半から。これが最初から登場していれば、もう少し話の流れが違ったかもしれない。ただそうすると、中国でのオオカミ探索が無くなるわけだし、難しいところかなあ。
 南アルプスの麓に住む作者だからなのか、自分の立場に固執する人間のエゴがよく見えるのだろう。自らの考えこそ絶対と考える人たちほど、迷惑な存在はない。そんな立場に振り回されつつも己を生きようとする生き物たち、そして時には人につきあい時には人に逆らいながらも絶対的な存在である自然というものの美しさがはっきり表れた作品。ただ、作者の思いが走りすぎているように思えたのが残念だった。



【元に戻る】