田辺青蛙『魂追い』(角川ホラー文庫)

 県境を守る妖鬼の皐月(さつき)は、森に漂う"生き物の魂魄(たましい)"を捕らえることを生業とする"魂追(たまお)い"の少年・(えにし)と出会う。あるとき、魂魄が漂う"道"に入り込んでしまったことをきっかけに、皐月と相棒の馬・布団の体に変調が!? 皐月は縁とともに、変異を食い止める力があるという妖虫・火喰い虫が棲む"火の山"をめざし旅立つことになるが……行く先々で待ち受ける怪異と事件、2人の旅路の行く末は―!?不思議な魅力の妖怪小説、再び。(粗筋紹介より引用)
 2009年12月刊行。第15回日本ホラー小説大賞短編賞受賞作「生き屏風」を含む短編集『生き屏風』の続編。

 県境で里の守り神として暮らしている妖鬼の皐月を狂言回しとしたシリーズ第2弾。「魂魄の道」「鬼遣いの子」「落ち星」「火の山のねねこ」を収録。
 今回の連作短編集では、魂追いの少年、縁が登場する。はっきり言って、彼が主人公で、皐月は脇役。魂追いとは、死んで体から出た魂魄を捕まえて売る商売。魂魄はこの世界から続く道を通って、常世へ去っていくのだが、去る前に捕まえるのが彼らの商売。とはいえ、売ってどうなるのかがよくわからない。鯉の魂魄は「凍らせて砕いたものを椀の中に入れればコクが出るし、絵師が顔料に混ぜて魚の鱗でも描けば、それはもう生きているような艶やかな鯉の絵になる」とあるが、他の魂だとどうなんだろう。今ひとつピンとこないまま読み始め、なんとなく皐月が前作より頼りなさ過ぎると思いつつ、後半の作品になるほど展開が急になる。前作に比べ、伝わってくるものが少なかった。設定を説明しきれていない分、独りよがりになっている感がある。オリジナルな設定は悪くないのだが、もっとゆっくり背景を説明してもよかったと思う。
 それでも続きがあるような終わり方。だから余計にもどかしい。




中島河太郎編『ハードボイルド傑作選1』(ベストブック社 Big Bird Novels)

 ハードボイルド推理小説の誕生から、ほぼ半世紀も経ようとしているのに、わが国への移植はだいぶ遅れた。ひとつには大戦を挟んだせいもあるが、日本の土壌に馴染みにくいのではないかと懸念された。
 そういう危惧を一掃したのは、それぞれ個性的なスタイルをもつ作家が、つぎつぎに登場したからである。おかげで閉鎖的だったミステリー界が、広汎な読者と直結した。
 リアリズムと非情と、それに感傷をまじえたこの現代的な作風は、ことに若い世代をとらえずにはおかなかった。日本に根を貼りはじめた「ハードボイルド傑作選」の試みは、はじめてのものだけに、大いに楽しんでいただけると確信している。(裏表紙より引用)
 1976年12月刊行。

 芸能界の紛争解決者とか、私立探偵とか呼ばれている俺は、人気歌手の白石阿梨子より、明後日の夜から翌朝九時まで身辺を防護してほしいと報酬20万円で依頼される。そして当日、暴力団らしき人物たちに彼女は襲撃され、俺は撃退した。命までは狙われていないとのことだが、いったい理由は何か。大谷羊太郎「非常な睡り」。本格ミステリが多い作者にしては珍しいハードボイルドものだが、歌手を狙う真相やその結末が結構意外なものに仕上がっている。私立探偵の俺が実は悪徳恐喝者であったという設定や書き方がテンプレートなものに見え、おまけに不用意にベッドシーンがあるのは通俗ハードボイルドを誤解しているようでいただけない。
 NBAL航空の整備員である黒人ハーフのギルは、新宿の暴力団と繋がって麻薬を密売していた。ある日、分解したマシンガンを懐に隠し、有楽町駅に降りてジャズコンサートに行ったが、追っ手が来ていると言われ慌てて逃げ出した。忠告してくれたのは、同じハーフで麻薬密売人の三郎だった。河野典生「腐ったオリーブ」。ハードボイルドを書き続けた作者の初期の作品。酒、麻薬、ジャズ、機銃など様々なハードボイルドらしきアイテムが散りばめられ、街中でぶち放したいという暴力衝動が広がる。テンポの良さに反比例して情景が浮かび上がらず、それほど面白い作品とも思えない。1964年に『黒い太陽』というタイトルで映画化されている。
 ある男が地方銀行に100万円の小切手を持ち込み、95万円を引き出した。しかしその小切手は偽造だった。そして10か月後、当時の窓口だった稲垣雅子は、婚約者とのデート中、その男を見つける。婚約者が後をつけると、その男は資本金1200億円の大企業の副社長の息子であり、系列親銀行の銀行員だった。清水一行「石の条理」。信用第一という銀行の論理が、世間の常識や善悪を超えてしまうということを書きあらわした作品。ハードボイルドとはあまり思えないが。ただ、結婚まで純潔を保とうした女性が、何もかも信じられなくなり、婚約者の男に縋ろうとした心情はよく伝わってくる。
 飯島組の親分の情婦でクラブのホステスかつ会計だったルミは、金庫から数百万円を奪って逃走、同じクラブに情婦がいた次郎に助けを求めた。ルミの北海道時代の恋人、真崎は単身で親分のところにルミを取り戻しに行ったが、数日後、海岸に打ち上げられた。そして次郎はルミの依頼である女のところに行ったが、女は殺されていた。中田耕治「風のバラード」。スピレーンやロス・マクドナルドなどを訳し、評論家、演出家としても活動していた作者の短編。作者は通俗ハードボイルドを自認していたらしい。なぜこのような無鉄砲な行動に出ているのかわけがわからないまま物語が終わってしまうので、呆気にとられる。
 ディスコのクロークを務めるあたしは、オーディションに来たアマチュアのコピーバンド、<地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)>と知り合う。二回目のオーディションで、ヘル・ハウンドは合格し、ディスコで演奏するようになった。あたしはボーカル・バードの情婦となり、一緒に倉庫の地下室を借り、マネージャーとして料理などの世話を始める。バードの夢は、メジャーになること。アルバムを出し、リヴァプール音楽祭に出場することだった。皆川博子「地獄の猟犬」。これもハードボイルドかどうかは疑問だが、栄光を求めようとする男の非情さが興味深い一品。それにしても皆川博子には、ときどきこれでもかというぐらい女性が不幸になる作品があるけれど、なんでかね。
 旭川に住む夫婦がドライブで星の岬を訪れた。男は女に別れを申し出る。理由を尋ねる女に、男はかつて犯罪組織に属し、失敗をしたため組織の金と書類を持ち出して逃げ出していた。そしてとうとう、組織の追っ手を旭川で見かけたのだ。高城高「星の岬」。ハードボイルドの嚆矢であった高城高の短編。北の町を舞台にした独特のムードが、何とも言えぬムードを醸し出す。ほとんどが会話で構成された短い作品だが、中身が凝縮された逸品。本作品中のベスト。
 映画監督の江森は、グアムへ向かう飛行機の中で見かけた女性が気になった。島へ上陸後、ボクシングの会場で彼女を見かける。さらに次の日、レンタカー会社で彼女と出会った。車が無かった彼女を同乗させ、メリソまで向かう。彼女の名は、浦本乃里子といった。菊村到「グアム島」。本作品中では一番長い。事件に巻き込まれる乃里子と、それを追う江森が巻き込まれるサスペンスもの。女性の非情さを描いた一編だが、なんとなくページを埋めただけの作品にも思える。
 学生運動が騒がしい時代。横浜の私立大学の英文科四回生である糸川和郎は、同じ四回生の村上伊三次と知り合う。村上は東大理学部を卒業後、学士入学をしたという変わり者だった。糸川は村上に不快感を持ちながらも交際するようになり、頭が上がらなかった。ある日、糸川は村上の紹介でスリーFという組織の一員であるアメリカ人から仕事を頼まれる。それは糸川の趣味である射撃の腕を生かし、全学連の三派の書記長の暗殺するものであり、糸川は1000ドルで引き受ける。村上はおどおどするようになり、逆に糸川は自信を深めるようになった。生島治郎「死者たちの祭り」。銃に魅せられ非情に変貌していく若者の姿が美しい。これは読みごたえがあった。

 ハードボイルドのみのアンソロジーはあまりないが、正直に言ってもっと良い作品はまだまだあるのではないか。そう思わせるような編集だった。そもそもハードボイルドとは思えない「石の条理」や「地獄の猟犬」を収録する(作品自体が悪いというつもりはない)ところは首をひねる。変わったアンソロジーではあったが、今一つであった。




別冊宝島編集部編『プロレス引退劇の全真相 総力取材108人の引退後』(別冊宝島 2446)

 「徹底追跡! あのプロレスラーは今?」ということで、108人の引退後について書かれている。天龍源一郎の引退についてはページが多く割かれている。インタビューも大仁田厚、船木誠勝、ブル中野、木戸修、松永光弘、保永昇男、安田忠夫、谷津嘉章、木村健悟、白鳥智香子、風間ルミ、府川唯未、バッドナース中村、マキ上田と盛り沢山。一人あたりのページ数はもうちょっと欲しかったところだが。ただ、巻頭の「プロレス・スーパースター引退列伝」は写真が大きいだけで文章が足りない。橋本真也、小橋建太はもっと突っ込んでほしかったところ。長州力の漫画については、絵が下手すぎて今三つぐらい。それでもここまではいいが、肝心の81人の「あのレスラーは今?」については、インターネットで検索すればわかるんじゃないの、という人物も多い。まあ、ちょっとは重宝するが。残念ながら国際プロレスとインディー系は人数が少ない。アポロ菅原とかフェードアウトした人物がどうなっているかなど、もっと調べてほしかった。「プロレスラー引退リスト」なんかは、後に復活した人も多く、今一つ。引退してもすぐに復活すると皮肉を言いたかったとしか思えない(一、二試合程度リングに上がった程度なら、復帰と書く必要はなかったと思うのだが)。それに、ここに書かれているサムソン・クツワダとか肥後宗典、畑浩和などがどうしているかなども書いてほしかった(野次馬趣味だが)。
 なぜかこっそりと「中邑真輔新日本電撃離脱! その全内幕」が入っているところが姑息というか、逆に書き時を失いたくなかったと開き直ったのか。新日本プロレスの内膜を書くだけで一冊作れると思うのだが。
 まだまだここに書かれなかったプロレスラーはいっぱいいるだろう。第二弾を作ってほしいところだが、宝島じゃ無理だろう。せめて色々な人のインタビューをもっとじっくりやってほしい。




ダフネ・デュ・モーリア『鳥―デュ・モーリア傑作集』(創元推理文庫)

 六羽、七羽、いや十二羽……鳥たちが、つぎつぎ襲いかかってくる。バタバタと恐ろしいはばたきの音だけを響かせて。両手が、首が血に濡れていく……。ある日突然、人間を攻撃しはじめた鳥の群れ。彼らに何が起こったのか? ヒッチコックの映画で有名な表題作をはじめ、恐ろしくも哀切なラヴ・ストーリー「恋人」、妻を亡くした男をたてつづけに見舞う不幸な運命を描く奇譚「林檎の木」、まもなく母親になるはずの女性が自殺し、探偵がその理由をさがし求める「動機」など、物語の醍醐味溢れる傑作八編を収録。デュ・モーリアの代表作として『レベッカ』と並び称される短編集、初の完訳。(粗筋紹介より引用)
 1952年、『The Apple Tree』のタイトルで刊行。2000年11月、翻訳、刊行。収録作はいずれも過去に翻訳されたことはあるが、こうして1冊にまとめられたのは日本では初めてである。

 デュ・モーリアといえば『レベッカ』の作者であり、ヒッチコックの名作『鳥』の原作者、というイメージしかない。三笠書房から長編が多く出ていたようだが、当然手に取ることは叶わず、唯一読めた『レベッカ』が肌に合わなかったこともあり、購入したまま積ん読状態だった1冊。うーん、早く読むべきだった。

 自動車工の若者は、一人で行った映画館に居た案内嬢に心を惹かれる。彼女の後を追いかけ同じバスに乗り、そして二人は屋台で一緒にコーヒーを飲み、キスをして別れた。「恋人」。単なる恋愛ものかと思ったら、意外な結末が待っている。通り魔事件がストーリーに絡むのは想像できたが、その絡み方がかなり意外だった。読者をも包み込む物悲しいムードが実にいい。米題のタイトルはこちら。最初から読者を惹きこむにはうってつけの短編である。
 傷痍軍人で農場で働くナット・ホッキンは、窓をたたく音で夜中に目を覚ます。それは鳥だった。子供たちの部屋で窓が開いて鳥が襲いかかり、ナットは必死で追い払う。そして翌日以降、群れをなした鳥が人間を襲うようになる。「鳥」。ヒッチコックの映画は見たことがない。それでも本作を読むと、恐ろしい映像が目に浮かぶようだ。抑制の効いた筆致が、余計に恐怖を増幅させる。映画とは違うエンディングらしいが、私はこちらの方が好きだ。
 子供2人と海辺のホテルへ休暇に来た侯爵夫人。仕事が忙しくて来ることができない夫・エドワルドとの単調な生活に退屈していた若い夫人は、地元の青年写真家とのアバンチュールを楽しむようになる。「写真家」。事件が起きるまでは少々退屈だったが、青年が態度を一変させた後の展開は見物。ありきたりなストーリーで、オチが予想つきながらも、文章がよければこうも読めるのかと思わせる作品。
 同じ登山を趣味に持つ親友・ヴィクターが、美しい女性・アンナと結婚した。ある日、2人は登山に出かけるが、アンナは山から下りずに消えてしまった。その山の頂にはモンテ・ヴェリタという閉ざされた僧院があり、麓の村の女性もたびたびそこへ行っては消えていたという。「モンテ・ヴェリタ」。本短編集で一番長い作品。モンテ・ヴェリタとは、「真実の山」という意味である。冒頭から結末は明かされている。山に人のいた痕跡は何もなかったと。どちらかといえば幻想小説に近い味わいの作品だが、男と女の恋愛観というものも何となく窺えて非常に興味深い。宗教、神などの題材も加わり、哲学的要素も加わった傑作。
 押しつけがましく陰気な妻・ミッジが死んで解放感を味わう夫。ある日、夫は痩せこけたリンゴの木が庭にあることに気づく。まるで妻のような萎れた老木に身震いした夫は、庭師にリンゴの木を切ってしまえと命令するが、その年に限って芽を出し、花が咲いて、そして実がなった。「林檎の木」。解放されたと思う夫の気持ちもわかるけれど、それは単に夫がわがままで妻に甘えていただけだったのかもしれない。男だから主人公の気持ちに同感してしまうけれど、女性から見たら逆なんじゃないだろうか。主人公にだけ不気味な林檎が徐々に家庭へ入り込んでいく恐怖はなかなかのものだが、結末がちょっと物足りないか。なおイギリスでの表題は「鳥」ではなく本作となっている。作者の最も愛着のある作品なのかもしれない。
 湖のほとりに住む名物の「爺さん」とその家族にまつわる話。「(つがい)」。これは息抜き。この邦題のタイトルはミスだろう。原題通り「爺さん(Old man)」でよかったのではないか。
 数か月前に夫を亡くしたミセス・エリスが散歩から帰ってくると、自宅には見知らぬ人たちがおり、室内の様子も変わっていた。ショックを受けたエリスは警察に事情を話すも、警察はエリスの言うことを信用しなかった。「裂けた時間」。いわゆるタイムスリップもの。今となっては古典だが、当時としては斬新なアイデアだったのかも。何もわからないエリスの絶望はよく書けていると思う。最後のところにはちょっと違和感があった。それと未来に行ってからの展開がちょっと冗長である。
 裕福な家庭に嫁ぎ、夫との仲も良好、もう少しで子供も生まれるという幸せ絶頂のはずのメアリー・ファーレンが突然自殺した。夫のサー・ジョンは、探偵のブラックに自殺の原因を探るよう依頼する。ブラックが突き止めた悲しい真実とは。「動機」。探偵が過去を探るうちに、関わった人物の意外な姿が浮かび上がってくる。しかし謎自体はなかなか解けない、という展開。意外な、そして悲しい真相も見所の一つだが、探偵のブラックが実に魅力的。この人物を主人公にしたハードボイルドが1編書けるぐらい、造形がよく出来ている。台詞も格好良い。

 いやあ、驚いた。サスペンス、ホラー、ファンタジー、ミステリなど複数のジャンルで、これだけ読み応えのある短編がそろっている短編集に久しぶりに出会った。小説を読むことがどれだけ魅力のあることか、それを証明するような一冊。「モンテ・ヴェリタ」にはちょっと難解なところがあるけれど、基本的に平易な文章、内容で語られている。それなのになぜこれだけ面白いのか。デュ・モーリアという作家の素晴らしさが浮かび上がる作品集である。是非読んでほしい。ただ、まとめ読みすると濃度の高さにちょっと疲れるかもしれない。



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