トム・ロブ・スミス『チャイルド44』(新潮文庫)

 スターリン体制下のソ連。国家保安省の敏腕捜査官レオ・デミドフは、あるスパイ容疑者の拘束に成功する。だが、この機に乗じた狡猾な副官の計略にはまり、妻ともども片田舎の民警へと追放される。そこで発見された惨殺体の状況は、かつて彼が事故と遺族を説得した少年の遺体に酷似していた……。ソ連に実在した大量殺人犯に着想を得て、世界を震撼させた超新星の鮮烈なデビュー作! (上巻粗筋紹介より引用)
 少年少女が際限なく殺されてゆく。どの遺体にも共通の"しるし"を残して――。知的障害者、窃盗犯、レイプ犯と、国家から不要と断じられた者たちがそれぞれの容疑者として捕縛され、いとも簡単に処刑される。国家の威信とは? 組織の規律とは? 個人の尊厳とは? そして家族の絆とは? 葛藤を封じ込め、愛する者たちのすべてを危険にさらしながら、レオは真犯人に肉迫してゆく。(下巻粗筋紹介より引用)
 2008年、発表。2008年、CWA(英国推理作家協会)賞最優秀スパイ・冒険・スリラー賞(イアン・フレミング・スティール・ダガー賞)を受賞。2008年9月、翻訳。

 作者のトム・ロブ・スミスは、映画、ドラマのシナリオライター。本作は処女作で、刊行時点で29歳だった。
 全世界で注目を浴びた本作。刊行時点で20数か国での翻訳が決まりながらも、ロシアでは発禁書となっている。
 本作の元となったのは、1978年から1990年にかけ、52人の少年少女をレイプして殺害した、アンドレイ・チカチーロ事件である。それをスターリン死亡直前の1953年に移し、主人公をソ連国家保安省の若き敏腕捜査官、レオ・デミドフにしている。
 当時のソ連を舞台にした警察小説らしきものなのかと思いつつも読んでいたが、実際は当時のソ連の様相を克明に写し出した人間ドラマだった。「この国に犯罪は存在しない」という理想と現実、ちょっとしたことで逮捕され強制収容所に送り出される実態、密告や裏切り、足の引っ張り合いに満ちた日常などを映し出し、ソ連という国の矛盾と恐怖を浮かび上がらせている。こんな恐ろしい時代があったのかと思う人もいるだろうが、ナチス時代のドイツや敗戦以前の日本も似たようなものだったから、手段が異なるだけで、独裁者がいる国のやることは変わらないということだろうか。
 上巻のレオが策略にはまってどんどん転落していく姿は実に読み応えがあったのだが、下巻以降、特に強制収容所に送られるところからはあまりにもご都合主義でドタバタ感がひどい。前半の重厚さが台無しになっており、とても残念である。また連続殺人の動機が、報道のある民主主義国家ならいざ知らず、情報統制が当たり前のソ連でいったいどこまで届くのかかなり疑問であり、このようなことを考える犯人の精神構造がちょっとわからなかった。
 それでも上下巻の長さを一気読みさせるだけの筆力、迫力は十分な作品である。これが処女作だというのだから、大したもの。後半はやや残念だが、それでも傑作と言ってよい作品だと思う。




ジェレミー・ドロンフィールド『飛蝗の農場』(創元推理文庫)

 ヨークシャーの荒れ野で農場を営むキャロルのところに、謎めいた男が転がりこんできた。嵐の夜、雨宿りの場所を請う男を警戒してことわる一幕を経て、不幸な経緯から、キャロルはショットガンで男に怪我を負わせる。看護の心得のある彼女は応急処置をほどこし、回復までの宿を提供することにしたが、意識を取りもどした男は、過去の記憶がないと言う。何もかもが見かけどおりでないのかもしれない。そんな奇妙な不安のもとに始まる共同生活――背後で繰りひろげられる異様な逃避行! 幻惑的な冒頭から忘れがたい結末まで、圧倒的な筆力で紡がれる悪夢と戦慄の物語。驚嘆のデビュー長編。(粗筋紹介より引用)
 1998年、イギリスで発表。2002年3月、翻訳。

『このミステリーがすごい! 2003年版』海外編第1位、『週刊文春』2002年傑作ミステリーベスト10/海外部門第3位と評価された作品。ずっと気にはなっていたのだが、わずか3名という登場人物にやや恐れを抱いて、積ん読状態だった1冊。訳者あとがき、解説の冒頭で書かれている言葉を、私も書きたい。「なんだ、これは」。
 メインであるキャロルと、記憶喪失のゴールドクリフがメインのストーリーと並行し、登場人物欄には一切出てこない人物たちのサイドストーリーが時も場所もバラバラで挟まれている。これがメインとどう結びつくかと思ったら、いつしか「汚水溝の渉猟者」に追われる男の逃亡物語であることがわかり、そして過去の連続猟奇殺人事件がつながってくる。正直言って読んでいてもわかりにくい構成なのだが、ストレートに時系列を並べると簡単にわかってしまうので仕方がない。とはいえ、エロ成分が多いこともあり、苛立ったことも確かだが。
 ようやく物語の全貌が見え始めるとストーリーは一気に進むのだが、この展開が何ともサイコ。この狂気が苦手だなと思いながら読んでいくと、最後はなんとリドル・ストーリー。なんだ、これは。
 一応サイコ・スリラーなんだろうが、何がやりたいのかさっぱりわからない。私には理解不能な長編だったが、こういう作品が好きな人にはたまらないだろう、というだけの妙な迫力がある。主人公のキャロルの職業が、バッタの農場というのも不気味。ただ、バッタはもっと物語と絡むと思ったんだけどね……。個人的にはあまりお薦めしない。わけがわからなくなること、間違いなしだから。




三田佐代子『プロレスという生き方 平成のリングの主役たち』(中公新書クラレ)

 プロレスは幾多の困難な時期を乗り越えて、いま新たな黄金時代を迎えている。馬場・猪木の全盛期から時を経て、平成のプロレスラーは何を志し、何と戦っているのだろうか。メジャー、インディー、女子を問わず、裏方やメディアにも光を当て、その魅力を活写する。筆者はプロレス専門チャンネルに開局から携わるキャスターで、現在も年間120大会以上を観戦・取材中。(折り返しより引用)
 2016年5月、書き下ろし刊行。

 作者は元々はテレビ静岡のアナウンサー。東京に戻り古館プロジェクトに入社した。1996年、24時間プロレス・格闘技専門チャンネル「サムライTV」が衛星放送のパーフェクTV(現スカパー!)で始まると同時にサムライTVのニュースキャスターとなった。いわば「プロレス女子」の元祖ともいえる人物。以後20年、キャスターとして携わっている。
 まさに待ち望んだ一冊と言えるだろう。サムライTVのキャスターとして、そして新日本プロレスのようなメジャーから、大日本プロレスやDDTのようなインディー、それに専門誌ですら取り上げられないような弱小インディーにまで愛情を持って接してきており、ある意味頑固なプロレスファンにも認められてきた三田佐代子である。プロレスラー以上にプロレスラーを愛し、プロレスを知っている彼女の著書が面白くないわけがない。そして本書は予想通りの一冊となった。中央公論新社というまったくプロレスとは縁のない出版社から出されながらも、結構売れているという。
 本書に収録されているのは中邑真輔、飯伏幸太、高木三四郎、登坂栄児、丸藤正道、里村明衣子、さくらえみ、和田京平、若手のお仕事(橋本和樹)、棚橋弘至である。そこには作者が20年間接してきたからこそ描けるプロレスの内面がある。単なる人物紹介ではない。インタビューばかりの記事ではない。一個人のプロレスラーを、プロレスの内面と、そして表面に出てきている外面の両方に光を当てながら、プロレスラー個人の魅力と苦悩、そして希望に満ちた内容となっている。
 面白いのは、リングの上だけに焦点を当てているわけではないことだ。プロレス団体は会社であることから当然経営が必要であり、プライドと我の強いレスラーが集まる団体をまとめ上げるだけのリーダーシップも必要である。霞を食って生きていけるわけではないから、当然お金の話も重要だ。お金を得るためには、興業に客を呼び込まなければならない。客を呼ぶためには、プロレスそのものも魅力を伝える必要がある。興業にはリングが必要である。プロレスを広めるためには、報道に取り上げてもらわなければならない。プロレスラーはプロレスをするだけではいけない。
 本書で取り上げられた人物をみると、単純にプロレスをしているだけの人物は誰も取り上げられていない。中邑は猪木の呪縛に悩み、飯伏はやりたいことと周囲の期待とのギャップに苦悩する。高木三四郎は“ど”が付くほどのインディー団体だったDDTを、年1回両国国技館で満員の客を呼べるまでの団体にまで押し上げた「大社長」である。登坂栄児はプロレスラーではなく、これも解散寸前だった大日本プロレスをデスマッチとストロングの両輪で客を呼べるまでに押し上げた経営側の人物である。里村明衣子は最侠女子プロレスラーかつ仙台女子プロレスの社長として女子プロレスを引っ張っている。さくらえみは我闘姑娘を旗揚げして小学生女子プロレスラーという存在を業界に認めさせ、アイスリボンでは素人への女子プロレスの道をひろげ、さらに我闘雲舞をタイで旗揚げし、アイドルとしても活動している、女子プロレス界の異端児である。和田京平は業界一のレフェリーである。そして棚橋弘至は24時間365日プロレスラー棚橋としてファンに接し、プロレスの魅力を地道に伝えていくことによって、暗黒に沈み込んでいた新日本プロレスのV字回復の立役者となり、プロレスブームを牽引していった。
 残念ながら現在地上波で放映されているのは、深夜の新日本プロレスしかない。しかし会場では大勢のファンが押し掛け、熱気にあふれている。プロレス団体がいくつあるのかだれも把握できないぐらいに拡散化しているが、中心部分はより太くなり、今のプロレスブームをどっしりと支えている。そんな平成のプロレスラーたちを、作者は愛している。そして本書は、愛すべきプロレスラーへの応援歌であり、プロレスの魅力を知らない人へ伝えるための伝導書であり、プロレスファンに向けての解説書でもある。ぜひ第二弾に期待したい。




草野唯雄『みなごろしの寺』(双葉文庫)

 <ふり下ろす鉈の刃先と、ふり上げる腕がぶつかり、サッと血しぶきがとんだ。「ぎゃーっ!人殺しィ」――いく代が腕をかかえて転げまわる。その悲鳴が、松二郎に残っていた最後の理性をこっぱ微塵に打ち砕いた。>(表題作『みなごろしの寺』より)。当時、世間を騒がせた有名事件を、著者独自の視点から推理する、実録昭和猟奇ミステリー18篇。(粗筋紹介より引用)
 「困った同居人のもてなし方」「坂田山心中死体紛失事件」「みなごろしの寺」「お定・吉蔵・二人キリ」「博士と精子のない男」「心中マニヤ太宰治の謎」「殺意は看護婦を抱きながら」「おせんころがしの謎」「消えた殺人者」「岡崎バラバラ事件」「第5化学教室の白骨」「執念に賭けた女」「床下の見知らぬ屍体」「ある行李詰め事件の背景」「マダムの焦げていた部分」「ハレムと逃げる男」「血と策謀のトルコ」「知りすぎたホステスたち」を収録。
 1975年、潮出版社より『殺意は看護婦を抱きながら』のタイトルで単行本刊行。1986年4月、本書のタイトルに変更し、フタバノベルズより刊行。1988年3月、文庫化。

「困った同居人のもてなし方」
 母、妹、弟と一緒に暮らしている長谷川市太郎(39)は、浅草でルンペン父娘と知り合う。千葉竜太郎(30)というそのルンペンは郷里に山林田畑があると嘘を言い、二人の境遇に同情した市太郎一家は彼らを同居させるが、キャバレーで働いていた妹とみ(30)に挑みかかるようになり、家族に暴力を振るい、全く働こうとしなかった。父がわからない妹の生まれたばかりの男の子は衰弱死した。家は困窮し、我慢のできなくなった市太郎は、昭和7年2月11日、弟の長太郎(23)とともに千葉をスパナとバットで殴って殺害。死体は床下に隠し、9日後の20日より数日をかけ、遺体をバラバラにし、ハトロン紙で包んで一部を弟が働く東京大学内に隠し、一部は川に捨てた。3月7日、遺体の一部がどぶに浮かんでいるのを発見。顔はめちゃめちゃに潰されており、捜査は難航したが、生前の顔を復元したモンタージュ写真と聞き込みより被害者が千葉であるとわかり、10月19日、市太郎たちは逮捕された。市太郎たちは、助けたはずの千葉に苦しめられたと自白したが、後に市太郎は千葉の持つ「郷里の財産」に目がくらんだが、それが嘘だったことを知って殺したと告白した。世間は同情から一変して風当たりが強くなった。当初、最初の自白に基づいて河合映画『呪いの宿命』が作られたが、「真相」がわかると客足が止まった。新興キネマ『愛と憎しみ 涙の惨劇』は封切り予定が中止となり、日活『涙の一撃』は完成間際で中止になった。市太郎は懲役12年、長太郎懲役6年、とみに懲役6月が言い渡された。

「坂田山心中死体紛失事件」
 昭和7年5月8日、慶大生調所五郎(24)と良家の子女湯山八重子(21)が、神奈川県大磯町坂田山で心中した。発見当時は名前がわからず、いずれ身元がわかるだろうととりあえず無住寺の法善寺の共同墓地に浅く埋められた。その翌日、墓守の女性が墓地へ訪れると、八重子の遺体のみ掘り返され、持ち去られていた。同日、遺体の身元が判明。クリスチャンの二人は結婚の約束をしたが、八重子は家族に反対され、別の男性との見合いが進んでいたことから、将来を悲観したものだった。11日、約150m離れた海岸の船小屋から八重子の遺体が発見された。遺体が処女であったことから世間で評判となり、人気絶頂の清純派女優、川崎弘子主演の映画『天国に結ぶ恋』も大ヒットした。後に埋葬人夫頭、橋本長吉(65)が犯行を自供して逮捕された。もっとも記者たちは、橋本に変態歴等が無いことから強引に逮捕されたのではないかと疑った。また、最初に遺体を診た警察嘱託医は妊娠四か月であると話したとの記事も出た。いずれも政治的配慮による結果とも言われている。橋本は禁固8か月の判決が確定し、出所後すぐに亡くなった。事件後1年間で、坂田山では20件を超える心中情死が相次いだという。

「みなごろしの寺」
 福井県武生市のS寺の門前に住むやもめ暮らしの桶職人、田村松二郎(58)は、寺の女中であるいく代と関係を持っていた。いく代は他にも三人の男がいたが、松二郎は知らなかった。昭和10年3月24日、松二郎はいく代を誘ったが、寺に客が来ており断わっていたのに、無理やり来るよう約束した。しかしいく代は来ず、寺に行ってみるといく代は住職と寝ていた。一度家に戻って鉈を持ち出し、すでに男が帰ったあとのいく代に詰め寄るが、いく代は松二郎より前から住職と関係していた、寝たきりの奥さんが死んだら後釜に座る約束ができていると、松二郎を鼻で笑った。怒った松二郎は、鉈を振り回していく代を殺害。悲鳴を聞いて出てきた住職も殺害。さらに住職の養女(18)も顔を見たからと殺害。そして寺の中にいた住職の妻、娘二人(12,8)も殺害。本堂に火をつけ、いく代の体を抱いたまま死のうとしたが、火事だの声を聴いて恐ろしくなり、逃げ出した。武生署の増田警部補は当初失火による焼死として白木の棺に五人を納めたが、女中部屋のいく代の死体を見つけ、慌てて殺人事件だと判断。後に増田警部補は誤認が基で左遷させられた。すぐに松二郎に容疑がかけられ、翌日に自供。ところが公判で松二郎は、自白は拷問の結果だと主張。松二郎の家から見つかった鉈や焼け跡から出てきた出刃包丁には人血の反応が無く、物的証拠はほとんど無かった。結局松二郎は無罪となり、釈放された。事件は迷宮入りとなった。

「お定・吉蔵・二人キリ」
 昭和11年5月18日に起きた阿部定事件。昭和46年6月、千葉県市原で働いていたホテルから、置手紙を残して姿を消した。それ以後、行方は分からない。

「博士と精子のない男」
 昭和15年12月8日午前2時40分、宮崎県都城市の第十七部隊で不寝番勤務中、中尉の襟章だけを付けた男が、便所の下駄の整頓が悪い、古兵はいいが初年兵を全員連れて来いと命令した。中尉は盗難事件があったので貴重品を預かるといって持ち出し、姿を消した。その中尉は偽物だった。しかし遺留品の軍帽から熊本県上益城郡大島村の鍬本次男(26)であることが判明。4日後、憲兵隊は警察を出し抜き、鍬本を捕まえようとしたが、隙を見て逃走。以後、市内で盗難事件が相次いだ。熊本医大の世良博士は、障子紙の唾液から鍬本がAB型であるとつきとめた。昭和16年1月12日、大島村で強姦事件が発生。世良博士は残した精液や唾液からAB型の男であるとし、博士は犯人は鍬本ではないかと警察に伝えた。ただ、精液には精子が見つからなかった。3月28日、一週間前の盗難事件のことを聞きに来た刑事が娘の交換手(18)を連れ出したが、それは偽刑事だった。4月25日、娘の殺害死体が発見され、精液から血液型はAB型で、しかも精子が無かったことから、犯人は鍬本であると世良博士は判断した。しかし捜査本部は博士の見解を採り上げようとしなかった。5月24日、捜査本部は潜伏先の馬小屋に居た鍬本を逮捕。鍬本は殺人事件も自供し、博士の見解が正しかったことが明らかになった。鍬本は求刑通り死刑判決が確定し、昭和17年10月2日、浦上刑務所刑場で処刑された。

「心中マニヤ 太宰治の謎」
 昭和23年6月13日、太宰治は山崎富栄とともに入水自殺した。それ以前にも太宰は4回、自殺しようとして失敗している。そのうち2回は心中未遂で、1回は相手だけ死んだ。作者は、太宰は体験主義作家であり、過去4回の自殺未遂は太宰自身の演出による実験ではなかったかと推理する。そして富栄との入水もあくまで実験だったが、本気だった富栄によって死の淵に引きずり込まれたのではないだろうか。

「殺意は看護婦を抱きながら」
 昭和24年12月19日、東大医学部歯科副手の戸塚(25)は、指導教官である助教授で医学博士の沼井(39)に忘年会の帰りに呼び止められ、三重子という看護婦へ手切れ金を支払う約束をしながらも調達できず、それでいて別の看護婦の茂子も囲っていたことを責められ、もう面倒を見ないと告げ、行状を父親に話すと突き放された。戸塚は沼井の殺害を計画。自決用に持っていた青酸ソーダをウイスキーに入れ、ある化学工業会社からのお歳暮として沼井に渡され、福井へ帰郷する沼井の鞄に他のお歳暮のウイスキーとともに入れられた。沼井は行きや帰郷先では飲まなかったが、東京へ帰る際の列車の中でウイスキーを飲んで絶命。動機がないことから、殺人事件として捜査が始まった。戸塚は三重子と結婚するつもりだったが親に反対され別の女と結婚。三重子は沼井に近づき、自分を裏切った男を首にしてくれと泣きついていた。戸塚は逮捕された。

「おせんころがしの謎」
 昭和27年1月13日、千葉市検見川町で女世帯の叔母(63)、姪(24)が殺害され、姪は犯されており、衣類などが盗まれていた。目撃情報からその日のうちに犯人が、不良グループのリーダー格で、「はやぶさの源」こと栗田源蔵(26)が浮かび上がった。栗田は秋田生まれで窃盗の前科二犯、殺人未遂一犯、秋田の窃盗容疑で指名手配中だった。16日早朝、ねぐらである義弟の家を急襲して強制連行。栗田が寝ていた布団は姪が使っていたもので血が付いており、しかも綿の中から血に染まったアジ切り包丁が出てきた。栗田は当然逮捕されたが、犯行を認めようとしなかった。事件が公表されると、各地から栗田への問い合わせが相次いだ。そのうち、昭和26年8月に起きた栃木県小山市での強姦殺害事件について、指紋が一致した。宇都宮に身柄を移された栗田は、この事件については簡単に認めた。さらに10月10日に起きたおせんころがし事件なども自供した。ただしおせんころがし事件については、千葉の警察は最初信じようとしなかった。栃木側と千葉側で意見は真っ向から対立。千葉側は、栗田がおせんころがし事件当日、秋田で窃盗事件を起こしていたことを突き止めた。栗田は自白していたが、日付は二転三転していたため不明なものだった。栗田は千葉側が言う通りいったんシロとなったが、栃木側は窃盗事件を精査し、犯人が別人であることを突き止めた。結局栗田はこの事件でもクロとなった。栗田は後に記したざんげ録(後に昭和45年の『週刊サンケイ』が紹介した)にこの事件のみ、無実であると否定していた。栗田は昭和33年に宮城刑務所で処刑された。作者は、この事件だけ否認した理由は、子どもを殺すほどの鬼ではない、と言いたかったためではないかと推理した。

「消えた殺人者」
 昭和34年6月21日、Y氏の松山外科医院の松山院長の静枝夫人が、尻の腫物を摘出する手術の後、狭心症で死亡した。四十九日の日、松山院長と看護婦長の美代子は婚約を発表。翌年2月13日、結婚式が挙げられた。3月7日午前3時15分ごろ、医院に賊が侵入し、松山院長を傷つけ、美代子夫人が殺害された。容疑者にはアリバイがあり、事件は迷宮入りした。作者は、院長を傷つけたのは美代子夫人ではないかと推理する。美代子は院長と付き合いこそあったものの、美代子は別に男がおり、あくまで遊びだった。しかし美代子は、院長が手術中、わざとブドウ糖を注射し、死亡させたと思い込み、院長を脅して強引に妻の座に就いた。しかし互いに愛情があるわけでもなく、いつか殺されるかもしれないと思い込んで賊の姿に化けて院長を殺害しようとしたが院長に返り討ちにあい、院長は慌てて賊の変装を始末したのではないのだろうか。しかも犯人から声を掛けられた長男が気付かないはずがないという反論には、長男が父親と口裏を合わせたと推理した。

「岡崎バラバラ事件」
 昭和34年9月25日朝、両手両足が切断され、内臓を抜き取り、左乳房と陰部をえぐった胴体が愛知県の矢作川支流の鉄橋下の川岸で発見された。その後、台風下で捜査が強行され、頭部や手足の一部が発見された。頭部入りのポリ袋に被害者のワンピースが仕立て屋のマーク付きで残されており、遺体の身元が判明。佐賀県多久市の綾子(17)は見習い看護婦時代、入院していた男性と結婚。しかし男性は炭鉱の鉱員で生活が不規則であり、しかも給料が安かったことからけんかが絶えず、8月12日に家出。小倉市の喫茶店でウェイトレスをしていたが、8月31日に名古屋へ向かった。綾子は中学卒業の集団就職時に岡崎へ来ており、この時に食堂経営者の中年男性加藤と知り合った。9月2日、綾子は岡崎にいるはずの最も親しかった友人を訪ねたが、その友人はすでに辞めていた。そこで加藤(42)を訪ね、他の友人を探したが何れも辞めていた。結局綾子は佐賀へ帰る決心をしたが、一晩泊めてほしいと加藤に願い、家ではまずいと加藤は倉庫に連れて行った。しかし加藤は綾子に手を出そうとするも気の強い綾子は拒絶したため、加藤は激昂。強姦したものの、届けられることを恐れて殺害。あまりにも美しかったから、加藤は死体をドライアイス詰めにし、連日愛撫していたが、7日の夜に死体をバラバラにし、川に捨てた。左乳房と陰部をえぐったのは「出血の有無をためすため」と自供したが、食べたのではないかという疑惑も起こり、それだけは必死に否定した。加藤は西尾市の味噌醤油醸造業者の一人息子として盲愛され、20歳の時、17歳の美少女と見合いをして婚約。しかしそれを上回る美少女を見つけ、昭和19年8月、婚約を破棄してその美少女と結婚。新婚旅行の三日目、その若妻は全裸のまま浴槽で死亡。加藤は泥酔して熟睡していた。検視の結果、「激しい新婚の営みの疲労で入浴中、貧血を起こして溺死した」という理由で処理された。その後、加藤は岡崎市の資産家の19歳の娘と再婚。その姉は加藤の経営する食堂を手伝っていたが、昭和22年3月、失踪して行方不明。昭和29年に離婚するが、加藤はひどい変態だという噂が広がっていた。その翌年、元ウエイトレスの若い女と再再婚していた。

「第5化学教室の白骨」
 昭和35年6月11日、城山公園の福生稲荷神社の境内に両手と胴体の白骨が捨てられていた。6日後、鐘鋳川の線路わきの水門に頭蓋骨が浮かんでいるのが発見された。3日後、右大腿骨が発見された。警察は2年前から行方不明となっている信州大学の電話交換手の女性ではないかと見当を付けた。スーパーインポーズ法で生前の写真と頭蓋骨の写真が一致した。警察は6月21日早朝、立ち入り検査を行うと、骨の一部が数か所から見つかった。捜査員が第五化学教室の第一化学実験室に入り、揚げ蓋を上げ、床下を除くと、骨や赤い女物手袋が見つかり、実験台下の床板から多量の血痕が検出され、血液型は一致した。記録を調べると、行方不明となった2年前の4月3日に当直だったのは、教育学部の副手である田原。女性とは小中学校の同級生であり、好意を抱いていた。田原は重要参考人として呼ばれたが、事件のことは否定した。ただ、彼にはアリバイがあり、白骨をばらまく時間はなかったとも思われた。そして翌日、田原は睡眠薬を飲みガス自殺をした。遺書も、女性を殺した証拠も何一つ見つからなかった。警察は田原が犯人であると長野地検に報告したが、地検は白骨の発見場所が勤務先周辺という不自然さもあるので、再捜査を命じた。しかし、女性を殺害するほどの動機を持つ容疑者は他に見つからなかった。

「執念に賭けた女」
 いわゆるホテル日本閣殺人事件。ところで、小林カウ(この作品ではコウ)の共犯者で、遺体を埋めた伊藤という植木屋の愛人男性が出てくるのだが、こんな人物居たっけ。

「床下の見知らぬ屍体」
 昭和35年6月6日、神戸市のアパートの一室から腐臭が漂い、蛆虫が畳から這い出してきた。住人の女性と友人が二人がかりで畳を剥いで、床板をこじ開けると、無数の蛆がたかったビニル袋が三つあり、人間のバラバラ死体が入っていた。顔などはつぶされていた。行方不明の女性を探すうちに、遺体が生田区のバーのホステス(25)であることが判明。6月15日、同棲していた男が逮捕された。

「ある行李詰め事件の背景」
 昭和36年1月29日、神戸市に住む北田(21)は、愛人の女給・茂子(36)を殺害した。3年前のバーテンとホステスの関係から同棲をしていたが、実は茂子に子供がいることを知り、別れようとしていたが、茂子は離れようとしなかった。しかも茂子は結核にかかっていた。別れ話がこじれ殺害し、柳行李に詰め、東京汐留駅止めで発送。家具を売りとばして引っ越し、大阪を経由して東京の渋谷でボーイとして働いた。茂子の死体は4月28日に発見され、遺体の身元がすぐにわかり、翌日には北田の逮捕状を取り、全国手配の準備を進めていた。しかもその当日、金に困った北田は背広を質入れに来たが、ネームを削り取っていたのをあやしんで警官に報告。名前を念のため本庁に連絡すると、担当刑事がいたため、スピード逮捕となった。懲役20年の判決が言い渡された。

「マダムの焦げていた部分」
 昭和37年3月28日、渋谷区のバーで常連3人が飲んでいたが、2時40分ごろ、一軒おいた隣のバーのマダム(23)が酔って現れ、場は盛り上がった。4時過ぎ、マダムは寝てしまって解散となり、バーの経営者も含めた4人はマダムを自分のバーに連れて寝かせた。カメラ店の息子であった本田(21)はいったん家に帰ったがなかなか眠れず、こっそりバーに戻り、関係を結んだ。この時、本田の手が偶然首にかかり、力を入れていた。マダムは殺されると思ったのか本田を突き飛ばし、帯どめの金具で殴りかかった。カッとなった本田は帯どめを奪い、首に巻きつけて殺してしまった。証拠を消そうと、カウンターやドアなどをハンカチで拭き、マダムの身体に残した精液を念入りにふき取った。最後にマッチを出して顔を寄せて検査し、何もないことを確認した。この時、マッチの火で恥毛に焦げを作ったのだが、本田は気づかなかった。マダムのパトロンである弁護士、生活費まで貢いでいた劇作家、解雇した元雇人などの容疑者が上がったが、いずれもアリバイがあった。そこで最後に会った4人に容疑が絞られたが、そのうち2人はタクシー運転手の証言でシロとなり、残り2人に絞られた。マダムの膣内にあった精液から男の血液型はA型であることが分かり、それは本田だけであった。本田は最初こそ犯行を否定したものの、後に自供した。

「ハレムと逃げる男」
 四条畷のハーレム殺人事件。

「血と策謀のトルコ」
 昭和45年7月17日、名古屋市のトルコぶろのマネージャーである上尾は、社長である中国人女性初代(49)が姿を見せないことを不思議に思い、5階にある社長室に行ってみると社長は殺されていた。そして内縁の夫である北平(35)がすぐ容疑に挙がった。二人は昭和34年、売春宿の番頭と客引きという関係だった。北平は昭和37年、初代の長男が経営していたトルコを乗っ取り、瞬く間にトルコ風呂三軒、パチンコ店三軒を経営するようになった。初代は懲役刑を受けながら逃亡していたが、昭和40年に安心して出頭。1年後に出所して二人で暮らすようになったが、初代に厭きた北平は初代と別れ、若いパチンコ店員と結婚し、金を湯水のように使いだした。当然初代と売上金配分を巡って揉め、北平は三億円で営業権を初代に渡した。しかし借金で首の回らなくなった北平は初代を脅し、金をせびり続けていた。10月10日、警察は北平を殺人容疑で逮捕した。ところが北平には事件当日、三重県熊野市にクマ猟に行ったというアリバイがあった。しかし警察は捜査の結果、北平のアリバイ工作(別人を変装させ、北平と見誤らせた)を崩し、北平を逮捕した。

「知りすぎたホステスたち」
 昭和47年7月12日午前1時半ごろ、大阪キタの超高級クラブのナンバーワンホステス美佐子(35)は仲間のホステスと食事をし、マンションに帰った。しかし翌日、店には出てこなかった。14日、不信に思った同僚がマンションの管理人に部屋を開けてもらうと室内は荒らされ、血の付いたタオルなどがあった。16日、妙見山中で美佐子の絞殺死体が発見された。手がかりが多く、目撃証言から犯行は隣室に住むバーのマダムの愛人、島田(40)と、その友人南波(45)によるものであることが簡単にわかった。二人は金が目的だと自供した。そして四か月後の11月18日、同じクラブのホステスけい子(16)が暴行され、殺害された。犯人は挙がらなかった。いつしか、美佐子を殺害した島田と南波は殺し屋であるという説が湧きあがった。もちろん、警察は否定した。美佐子やけい子が働いていたクラブは、客のほとんどが政界人、財界人、高級官僚であり、夜の商工会議所であった。そのことから、二人のホステスは知ってはいけない事を聞いたのではないか、という噂が広がったのだった。

 草野唯雄が昭和期に実際に起きた事件を小説風に書いたもの。上に書いた通り、昭和7年から47年と、実に幅広い。週刊誌に連載されていたらしいのだが、それにしても1編あたりのページ数が20ページ以下と、実に短い。そのせいか、端折っているところが多い。例えば「おせんころがしの謎」の一節。

「当局は十七日、彼を真犯人と断定、千葉地裁も彼に死刑の判決を下した。発覚以来三日という超スピード解決だった」
(129ページ)

 これだと、真犯人だと断定してから(事件発覚してから)三日で死刑判決を下したとしか読めないのだが。もちろん、いくら昔でもそんなバカな話はない。
 おまけに扱った事件の動機が何れも男と女のもつれ話。最後だけちょっと違うけれど、男と女が絡むことに変わりはない。編集者に頼まれて書いたのか、自分から書きたいと言ったのかはわからないが、もう少し謎がありそうな事件を扱ってほしかったところ。ちなみに「著者独自の視点の推理」があるのは、「心中マニヤ 太宰治の謎」「おせんころがしの謎」「消えた殺人者」程度。特に「消えた殺人者」なんて、今書かれていたら間違いなく名誉棄損もの。証拠らしい証拠もなく、勝手な推理を書くなよと言いたい。
 まあ、珍品といえば珍品かもしれないが、ミステリファンにとっても、犯罪マニアにとっても、おススメできるような出来ではありません。下世話な週刊誌に載った穴埋め連載程度の内容ですよ、これは。まあ、有名どころだけではなく、(被害者には申し訳ないが)すぐに忘れ去られそうな事件もあるところだけは読める。ちょっとだけ面白かったのは、「血と策謀のトルコ」に出てくる犯人のアリバイトリック。ミステリなら大したことは無いが、実際にこんなトリックを使う犯人がいるんだと、ちょっと驚きかも。




トニー・ケンリック『俺たちには今日がある』(角川文庫)

 あと一か月の命…医者ははっきり宣言した。現代医学では完治不能の病をハリーは背負いこんでしまったのだ。茫然自失が自暴自棄へと変りはじめた頃、ハリーは同じ病を持つグレースという女性を紹介された。
 初めての出会いで二人は意気投合した。あと一か月を生きてゆける、わずかな希望が生まれた…その帰り、二人は大男に痛めつけられている一人の男を救った。男は店の乗っ取りを企むギャングの大ボスに脅されていたのだ。
 ハリーは男に力をかすことを決意した。あと一か月の命となれば、もう怖いものはない――暗黒街の大ボスと対決するため、ハリーはまず、奇妙な才能(・・)を持つ男女を集めはじめた。ハリーが編みだした奇策とは?(粗筋紹介より引用)
 1978年発表。ケンリック七作目の長編。1985年2月、翻訳刊行。

 『スカイジャック』『バーニーよ銃をとれ』など奇抜な設定とスラプスティックな作風が特徴のケンリック作品。手に取るのは久しぶりだが、本作のドタバタぶりはひどい(誉め言葉)。ギャングと対峙するためとはいえ、よくぞこんな計画を考え出したものだと感心する。ただ、「奇妙な才能」を持つ男女たちはとっくの昔に別の職業に転身しているとしか思えないし、そもそも暗黒街の大ボスが力しかないこんな大ボケでいいのかと突っ込みたくなる気もするが、まあ小説だから野暮な話。とはいえ、違和感を覚える人はいるかもしれない。
 小説だと思って割り切って読むと、ケンリックのドタバタな作風ぶりが健在だったというか、よりひどくなっていて面白い。もっとも、この手の作風が好きか嫌いかで、評価はガラッと変わるだろう。初期の作品はドタバタが嫌いな人でも楽しめる作品だったが、本作はかなり悪乗りすぎ。できれば最後はもうちょっとスッキリさせてほしかった。
 やっぱりこの人の作品は面白い、そう思わせた一作。もっとも次の『暗くなるまで待て』はシリアス路線に変わるらしい。しばらく手に取っていなかったが、他の作品も手を出してみようかと思う。




馬場啓一『ザ・ハードボイルド ものにこだわる探偵たち』(CBS・ソニー出版)

 探偵の中にはさまざまな経歴や人生をそのキャラクターに盛り込まれた男たちがいる。一人一人のキャラクターにこそ、まずその作者たちはストーリーを作っていくうえで最も心血を注いでいるはずである。そして、そのキャラクターは、心情やイデオロギーを語って出てくるものではなく、多くの場合、モノに託して表現される。酒の飲み方に男の人生を投影させ、選ぶ拳銃でその男の生き方の流儀をオーバーラップさせる。ハードボイルドの作者たちはこういう作法で、キャラクターを作りあげていっているのだ。(表紙より引用)
 1986年4月、刊行。

 「酒」「煙草」「遊戯」「道具と小物」「銃・武器」「車」「服装」「部屋」「食事」といったモノを通して語られるハードボイルド論。内藤陳、温水ゆかり、馬場啓一の座談会、さらに内藤陳、木村二郎、細越麟太郎、山口雅也、菅野國彦、河村要助、大沢在昌、温水ゆかり、東理夫によるハードボイルド論とおススメ10作の紹介が収録されている。
 言われてみると確かにハードボイルドの主人公って、モノにこだわっている気がする。そこに着目したのはさすが、『スペンサーの料理』の著者というべきか。ユニークなハードボイルド評論集であるが、作者の好みの作家が中心となっていることもあり、やや偏りがあるのは仕方がないところか。通俗ハードボイルドが少ない気がするし、日本の作品はほぼ皆無(あっても、海外が舞台の作品のみ)。日本作品が混じると、もう少しウェットな部分もピックアップされたかもしれない。まあ、気楽に読めるからいいか。おススメ10作も読んでいて楽しいし。




シリル・ヘアー『英国風の殺人』(国書刊行会 世界探偵小説全集6)

「ウォーベック邸に神のご加護を!」 クリスマスを言祝ぎ、シャンパンを飲み干した青年は、次の瞬間にその場に倒れ伏した……。
 雪に降り込められたカントリー・ハウス、一族を集めたクリスマス・パーティーの夜、事件は起った。病の床につく老貴族、ファシストの青年、左翼系の大蔵大臣、政治家の妻、伯爵令嬢、忠実な執事と野心家の娘、邸内には事件前から不穏な空気が流れていた。
 地域を襲った大雪のため、周囲から孤立した状況で、古文書の調査のため館に滞在していた歴史学者ボトウィンク博士は、この古典的英国殺人事件に如何なる解決を見いだすか。
 「クリスティーの最上作を思わせる」傑作と呼び声高い、英国ミステリの伝統を継ぐ正統派シリル・ヘアーの代表作。(粗筋紹介より引用)
 1951年、刊行。1995年1月、翻訳。

『法の悲劇』などの傑作で名高いシリル・ヘアーの1951年の作品。解説によると、元々はラジオ用の戯曲だったものを小説化したとのこと。舞台は第二次世界大戦直後で、被害者となるロバート・ウォーベックは、ネオ・ファシスト党(Wikipediaだとイギリス・ファシスト同盟)の指導者であるサー・オズワルド・モーズリーをモデルとしているとのこと。さらにウォーベックは、1490年代にリチャード四世を自称した詐称者のパーキン・ウォーベックが祖となっている。
 いわゆる「雪の山荘」もので、大雪で孤立した屋敷の中で事件が発生する。青酸カリを飲んで亡くなったのは、「自由と正義連盟」の指導者でウォーベック卿の一人息子であるロバート。もっとも事件が起きるのは話の中盤ぐらいで、それまでは人物紹介と人間関係の説明が中心となっており、退屈に思う人が居るかもしれない。この辺が「英国風」なのかな、などと最初は思っていたら、実は全然違うのだが、それは後の話。さらに病床のウォーベック卿は誰かに息子の死を知らされたためショックで亡くなってしまい、さらには来客である政治家の妻のカーステアズ夫人も青酸カリを飲んで亡くなってしまう。特に難しいトリックがあるわけでもなく、ロバートとカーステアズ夫人の死は他殺だとしたら誰でも殺害可能。いったいどうやって結末に持っていくのかと思ったら、最後に外国人の歴史学者、ボトウィンク博士が「英国風」な殺人の謎を解きあかす。この事件の動機には素直に感心した。ただ「英国風」とある通りある知識を必要とするため、日本人には説明されないとさっぱりわからないもの。その点をどう思うかがこの作品の評価の要だろうが、私は素直に面白く感じた。たぶんイギリスなら歓声を上げるところかもしれない。
 真相を知って改めて作品を振り返ってみると、実に巧妙に伏線が貼られていることに気付く。事件の謎を解いたのが、ヘアーのシリーズ探偵であるマレット警部や法廷弁護士フランシス・ペティグルーではなく、外国人のボトウィンク博士であるところも巧い。作品の視点はボトウィンク博士であり、外国人から英国らしさを語らせる構成が、より「英国風」を浮かび上がらせる。
 実のところ、犯人であるという証拠はほとんど無く、ほとんど動機だけで犯人を突き止めてしまっている。正直に言って、大きな弱点だろう。本格ミステリに、英国人以外にとっては特殊な知識を必要としている点については、アンフェアだという人が居るかもしれない。それでも面白い作品であることは疑いもない。ただ、『法の悲劇』と比べたら、そちらの方が上かな。



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