鮎川哲也『鮎川哲也探偵小説選』(論創社 (論創ミステリ叢書106)
戦後推理小説文壇の巨匠、鮎川哲也の知られざる作品がよみがえる! 未完の遺稿「白樺荘事件」、ファン待望の単行本初収録。雪の山荘を舞台にした連続殺人事件に名探偵・星影龍三が挑む「白の恐怖」を半世紀に復刻し、アリバイトリックを扱った「青いネッカチーフ」、ロマンチシズムの色気が漂う「寒椿」、無邪気さの中に恐怖を描いた掌編「草が茂った頃に」など、単行本未収録作品を一挙集成。別名義で発表された十二作の絵物語も挿絵付きで収録。(作品紹介より引用)
2017年7月、刊行。
本格ミステリファンからは神のように扱われている鮎川哲也だが、私自身はそこまで好きにはなれない。というか、それほど評価もしていない(苦笑)。とはいえ、あの『白の恐怖』が復刻されるとなればさすがに読んでみようと思った。実物は見せてもらったことがあるものの、読んだことはない。
【第一部】は長編『白の恐怖』。鮎川哲也の長編で唯一文庫化されなかった作品。何故復刻されなかったのかというと、版元だった桃源社の編集者に「講談社のような大出版社には力作を渡すのに、うちが小さいから手を抜きましたね」と嫌味を言われて嫌になったということ。そんなことを言う編集者もどうかと思うし、もともと桃源社の「書下し推理小説全集」が300枚程度の短めの叢書だったというのも手抜きに見られた一つだろう。そういう意味では、不幸な出来事だった。
本作は、星影龍三が出てくるわずか3作の長編の一つ。本作も最後に登場し、あっという間に事件を解決していく。雪の山荘もので、しかも6人が殺されるというのだから、300枚では短すぎて、内容も駆け足になっている。もっと筆を費やして書くべき作品であったことには間違いない。編集者云々も言っていたが、作者本人も筆足らずだと思っていたことが、文庫化されなかった本当の原因ではないだろうか。
ちょっと飛ぶが、【第四部】は未刊長編『白樺荘事件』。東京創元社の「鮎川哲也と十三の謎」において書下ろし出版される予定だった作品で、結局未完のまま作者が亡くなってしまったという経緯がある。『白の恐怖』を書き直すという話は伝わっていたが、読んでみると『白の恐怖』の前段階の部分を大幅に書き足した時点で止まっている。しかも、「三番館シリーズ」に出てくる私立探偵の「わたし」や弁護士が登場するという話に変わっている。第一部で遺産相続人を訪問し、第二部でようやく白樺荘に全員が集まり事件が起きたところで筆は途絶えている。このあと、バーテンは出てくるのか。星影はどうなるのか。鮎川作品の集大成と言う気がしなくもないが、どうせだったら鬼貫警部も出してもらえると面白かっただろうに。完成品が読めなかったのは、日本のミステリ界にとって本当に悔やまれることである。
【第二部】夜の演出は、別名義で発表された探偵絵物語「最後の接吻」「退屈なエマ子」「アドバルーン殺人事件」「舞踏会の盗賊」「出獄第一歩」「処刑の広場」「激闘の島」「ヨットの野獣」「無人艇タラント号」「九時○七分の恐怖」「湖泥のギャング」「エミの復讐」に、短編「寒椿」「黒い雌蕊」「草が茂った頃に」「殺し屋ジョオ」「青いネッカチーフ」「お年玉を探しましょう」を収録。
【第三部】海彦山彦では、探偵クイズ「海彦山彦」と掌編「遺書」「ガーゼのハンカチ」「殺し屋の悲劇」「酒場にて」を収録。
【第五部】は別名義で書かれたノンフィクションものの邦訳「地底の王国」「恐竜を追って」を収録。
『白の恐怖』『白樺荘事件』を除くと、別名義を含む掌編、短編であり、今まで鮎川個人の名前では収められなかったものばかりである。作者からしたらあまり表に出したくなかったのかもしれないが、ファンからしたらなんでも読んでみたいと思うのであり、嬉しい収録だろう。もっとも、ファンではなく思い入れもない読者からしたら、単なる暇つぶしにしか思えなかったものばかりであることも事実。まあ、論創ミステリ叢書自体がファン向けの作品集であり、そのことにとやかく言う必要はない。
ところで、『幻の探偵作家を尋ねて 完全版』って出るんですかね。これは楽しみにしたいところだが。
藤原宰太郎『藤原宰太郎探偵小説選』(論創社 論叢ミステリ叢書113)
短編ミステリの精髄を知り尽くした推理小説研究家による珠玉の作品集! 久我京介シリーズの第一長編『密室の死重奏』が32年ぶりに復刊。短編デビュー作『千にひとつの偶然』のほか、著者自身の意見も反映させた作品選択による初の探偵小説セレクション。巻末には初めて語られるエピソード満載の著者インタビューを付す。(帯より引用)
2018年5月、刊行。
大学生の西川明夫が連絡の取れない異母姉・中根美和子のマンションを訪ねると、大学の助教授・白石正彦とともに死んでいた。美和子は花瓶で後頭部を殴られて殺され、白石はタイムスイッチを用いた毛布を用いた感電死だった。そして美和子は白石の子供を妊娠していた。花瓶には白石の指紋が残されていたことから無理心中かと思われたが遺書が残っていないことから、建設会社の社長である父は久我京介に事件を調べてもらうよう依頼する。久我はドアチェーンを使った密室トリックを見破り、山下警部は殺人事件として捜査を始める。明夫は、山下の娘である女子大生の洋子とともに事件の真相を追う。『密室の死重奏』。ライフワークである『トリック百科事典』を執筆中の久我京介シリーズ第一作。藤原宰太郎初の長編ミステリでもある。アルバイトで推理小説を読んでレポートを纏める助手の西川明夫とその友人である山下洋子、その父親の山下警部がレギュラー、ということでいいのかな。所々で見慣れた宰太郎節が炸裂しているのはご愛嬌だが、冒頭で予告されているとはいえいきなりマイケル・ボイヤー『ドアの死角』のトリックのネタバレがあるなどはちょっと問題だろう。まあ、それがトリック研究家ならではなのだろうが。わずか2年しか付き合いがなかったとはいえ、姉が殺されたわりには明るい明夫の態度にはやや疑問。大学生同士のちょっぴりエッチな他愛ない展開など、読者を意識した通俗的な雰囲気が漂っているが、ボンネットから容疑者の証言の嘘を見破るなどミステリー研究家ならではの展開もあり、本格推理小説としての体裁は整っている。メインとなる密室トリックはあっさり明かされるし、犯人も気が付いたら出てくるしといった状態で、流れるままに事件が終わってしまうのは頂けない。
ベストに選ばれるような出来ではないが、退屈な時間を過ごす程度には楽しめる。
三島氏は妻を殺害し、昼間の間に掘っておいた穴に埋め終わったら、警察が訪ねてきた。三島氏は何を失敗したのか。「千にひとつの偶然」。『探偵倶楽部』昭和32年12月号に掲載されたデビュー作。宰太郎の推理クイズでよく見る電話トリックが出てくる。掌編に近い分量なので、それ以上は書きようがない。
「週刊ニッポン」のベテラン記者でデブのオールドミスの花子と、小柄なカメラマンの太郎は、女優・有島美代子の家を訪ねようとすると、東洋映画の社長の御曹司・矢代正彦の乗ったスポーツカーが走ってきた。家を訪ねると、庭で美代子がピストルで撃たれて死んでいた。弾は下から上へ向かって撃たれていた。そして二階にはビキニ姿の女優・白川ナオミがいた。美代子とナオミは矢代を巡って三角関係にあった。花子は従兄の久我警部に電話する。「日光浴の殺人」。クール&ラムみたいなコンビの二人が出てくるが、シリーズキャラクターというわけではない。しかもトリックを解き明かすのは花子の方である。キャラクターは強烈だが、今から見たらプライバシー侵害と訴えられそうだ。藤原宰太郎は自作のトリックについていずれもオリジナルとインタビューで語っているが、本作のトリックは海外の某長編のトリックと同じである。
横浜の麻薬密売団のボスが射殺された。そして現場には警察の他に、麻薬取締官の赤尾もいた。実はボスは情報提供者であり、そのことが組織に知られ、命を狙われていた。「白い悪徳」。『別冊宝石』の新人二十五人集に応募するも落選した短編。選考委員からは辛口の評が多いが、推理する手がかりも無く、本格ミステリとしては物足りない。
キャバレーのホステスが殺害され、服が脱がされていた。容疑者は、貢ぐために会社の金を使い込んだ元パトロン、そのことを知って洋服をずたずたにした過去がある妻、従姉、その同棲相手のバンドマン。犯人はいったい誰か。「ミニ・ドレスの女」。扇情的な描写が目立つが、本格ミステリに慣れた人にとっては分かりやすいか。作者は後に同じトリックを使った推理クイズ掌編を書いている。
3か月前に参議院選挙で当選した国会議員が殺害された。被害者は112という数字を血で描き残していた。しかし捜査でもそのナンバーに関連したものは出てこなかった。最初は金を横領した元秘書が盗んだ宝石や現金を持っていたことから捕まるも、残された足跡より、国会議員の息子が運転してた車両の欠陥から起きた自動車事故で妻を亡くした中学教師が容疑者として浮上。鬼丸警部の息子の担任だった。「血ぬられた“112”」。『中学一年コース』昭和46年10月号別冊付録に掲載された短編。足あとのトリックはクロフツの某長編からの引用だが、蛍光灯の手がかりやダイイング・メッセージはオリジナルだろう。トリックの豊富さといい、意外な展開や犯人といい、収録された作品で、一番の出来じゃないだろうか。
ルポライターの上杉が殺害された。強請られて当日金を払いに来た三人の独白から、犯人を当てる。「停電の夜の殺人」。『微笑』昭和54年5月12日号、26日号に問題編と解答編が掲載された検証犯人当て。何も同じトリックの作品を並べなくてもいいと思うのだが。三人の独白から犯人を当てるという形式は、『拝啓 名探偵殿』でも使われており、作者のお手の物だろう。
72歳の資産家の老人が階段から足を滑らせて転落し、後頭部を強く打って死亡しているのを訪ねてきた娘が発見した。手につかんでいた髪の毛から、警察は三年前に再婚した妻を逮捕。24歳で検事となった千羽不二子が妻を訊問するも、妻は頑なに否認した。「コスモスの鉢」。藤原遊子名義で『新・本格推理05』に掲載された。せっかくの女性検事なのだから、女性ならではの苦労や艶などをもう少し絡められそうな気もするが、本格ミステリには邪魔なだけだと思ったのだろうか。コスモスの鉢を使った手がかりは平凡で、しかも本人の推理クイズでも用いられているもの。むしろ否認しながらも自殺を図ろうとした容疑者の動機の方が面白い。
暴力団幹部と愛人がタクシーから降りてマンションへ向かう途中、愛人の元同棲相手がサバイバルナイフで襲い、女性を指して殺害した。幹部は持っていた杖で襲った男を殴り続け、男は死んでしまった。幹部は傷害致死で捕まったが、正当防衛を主張。目撃者は二人いたが、証言に異なりがあった。しかし、その証言者の一人である大学生が、幻覚キノコの保持で捕まった。「手のひらの名前」。藤原遊子名義で『新・本格推理06』に掲載された千羽不二子シリーズ二作目。ただの人情話で終わっており、本格ミステリの要素が全然ない。証言のずれの問題はどこへ消えたんだ? 暴力団相手の司法取引など、将来的に強請られそうなネタを持ちかけるなど、話に矛盾がある。
発掘現場の事務所の仮眠室でスチール製の収納棚が倒れ、助教授が下敷きになって死亡した。部屋は密室で、男性のシンボルをかたどった石棒とノギスが落ちていた。「密室の石棒」。藤原遊子名義で『新・本格推理07』に掲載された。作者の最後の作品となる。密室トリックはあまりにも古いものを応用しているが、実際にはこんな都合よくいくわけがなく、不可能だろう。巧くいったとしても、痕が残るに違いない。その後の展開についても、今一つ。これ、シリーズ化するつもりだったのだろうか。
〈評論・随筆篇〉では「まえがき(日本文芸社『5分間ミステリー』)」「『グリーン家殺人事件』」「リヤカーのおじさん」「収録作家に訊く」「白い小石」「本格推理のトリックについて」「密室悲観論」を収録。「リヤカーのおじさん」「白い小石」はエッセイで、藤原の過去に関わっている。
正直言って、一体誰が企画したのかが不思議なくらい、藤原宰太郎と「探偵小説」という言葉が一致しない。「推理小説」「ミステリー」ならわかるのだが。この人の創作に期待する人はまずいないだろう。ただし、推理クイズ作家としての作者はまさに草分けであり、数多くのネタバレという「罪」の部分も大きいだろうが、やはり少年少女へミステリやトリックの面白さを紹介し続けてきたという「功」も大きいことは誰も否定できない。そんな藤原宰太郎がどんな小説を書いて来たのか、という怖いもの見たさがあることも事実である。残念ながら傑作といえる作品は無かったが。
本作品集で最も貴重なのは、やはり巻末のインタビューだろう。あまり伝えられることのない推理クイズ本の編集の世界や裏話は、読んでいて非常に楽しかった。個人的にはこのインタビューだけで4,000円を出した価値がある(そんなのは私ぐらいかもしれない)。雑誌付録などもそうだが、現在でも空白の部分が多い分野だと思うので、今こそもっと語り継がれるべき話があったと思う。
推理クイズ本が出版されなくなったのは、単に依頼が来なかったから、という理由にはかなりびっくりした。それなりに一定の需要があると思っていたからだ。実際に2000年以降も推理クイズ本は数こそ少ないものの出版されている。ケン・ウェバーの「5分間ミステリー」が復活したころなんかは、藤原本が出るチャンスだっただろうにと思うと、非常に残念である。
小説については、幻の短編群が収録されたことに満足するしかないかな。先にも書いた通り、インタビュー等はとても貴重。そういう意味では、出版されただけで満足。できたら単行本未収録の推理クイズをもっと載せてほしかったな。
最後になりますが、解題の呉明夫様。名前を挙げていただき、またホームページを紹介していただき、有難うございました。改めまして、お礼申し上げます。
米澤穂信『王とサーカス』(東京創元社)
二○○一年、新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智は、知人の雑誌編集者から海外旅行特集の仕事を受け、事前取材のためネパールに向かった。現地で知り合った少年にガイドを頼み、穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先、王宮で国王をはじめとする王族殺害事件が勃発する。太刀洗はジャーナリストとして早速取材を開始したが、そんな彼女を嘲笑うかのように、彼女の前にはひとつの死体が転がり……。「この男は、わたしのために殺されたのか?あるいは―」疑問と苦悩の果てに、太刀洗が辿り着いた痛切な真実とは? 『さよなら妖精』の出来事から十年の時を経て、太刀洗万智は異邦でふたたび、自らの人生をも左右するような大事件に遭遇する。二○○一年に実際に起きた王宮事件を取り込んで描いた壮大なフィクションにして、米澤ミステリの記念碑的傑作!(粗筋紹介より引用)
2015年7月、書き下ろし刊行。
主人公の太刀洗万智は『さよなら妖精』の登場人物の一人とのことだが、『さよなら妖精』はまだ読んでいない。もっとも読んでいなくても全く問題は無かったが。
2001年6月1日に実際に起きたネパール王族殺害事件を舞台としつつも、万智が巻き込まれた殺人事件の方に視点は移っていく。
殺人事件の方はそれほど深い謎というわけでもない。ある登場人物のやり方があまりにも露骨だし、万智が気付くのがあまりにも遅いと思ったぐらいだ。ただ、万智が導かれた謎の方は、結構重いテーマを持っている。割と露骨に書かれているので何となくそうなんだろうなあ、とは途中で思ったものの、実際に活字で見せつけられると、ちょっと考えるものがある。
本作品の主題となるテーマはメディア・リテラシーであり、万智がそれにどう向かうかと言ったことにある。タイトルの「王とサーカス」はなかなかうまい表現だと思った。
ただ、それを前面に出すためとはいえ、実際の、しかも未だに謎が残っている事件を導入部にすべきではなかったと思う。読者にとっての大きな謎はやはりこちらだろう。いくら作者の筆がうまく誘導しているとはいえ、読み終わってみても大きな謎の方が取り残されている違和感は拭えない。私が単に無知なせいかもしれないが、ネパール王族殺害事件があまり知られていない事件であったため、フィクションなのかどうかがわからない読者はどうしてもそちらの謎に引っ張られてしまう。もちろん実際の事件であり、おいそれと解答を出すわけにはいかないのはわかっているのだが。だからこそ編集部も、粗筋の部分でわざわざ「実際に起きた」と注釈を入れているのであろう。
悪くはないのだが、どことなくちぐはぐな感じを抱いた作品だった。やはりジャーナリストは、でかい事件の方を追いかけるのではないか。そんな単純な疑問が、最後まで解消されなかった。
米澤穂信『満願』(新潮社)
人生を賭けた激しい願いが、6つの謎を呼び起こす。人を殺め、静かに刑期を終えた妻の本当の動機とは――。驚愕の結末で唸らせる表題作はじめ、交番勤務の警官や在外ビジネスマン、美しき中学生姉妹、フリーライターなど、切実に生きる人々が遭遇する6つの奇妙な事件。入念に磨き上げられた流麗な文章と精緻なロジックで魅せる、ミステリ短篇集の新たな傑作誕生! (「BOOK」データベースより引用)
『小説新潮』『小説すばる』等に掲載。2014年3月、単行本刊行。同年、第27回山本周五郎賞受賞。
緑1交番所属の川藤浩志巡査は、夫の田原勝が暴れていると110番通報があったため上司2人とともに駆けつけると、田原が短刀で切りかかったため、拳銃で発砲。田原は死亡し、そして切り付けられた川藤も殉死した。普通の殉職事件に見えたが、上司の柳岡は葬儀場でつぶやく。「あいつは警察には向かない男だった」と。「夜警」。発砲事件の思いがけない真相を書いた一幕。意外な真相は思わず膝を打ったものの、伏線の張り方はちょっとやりすぎという気がしなくもない。
職場の人間関係の不調で姿を消した彼女の佐和子は、実家がある栃木の山奥の温泉宿で働いていた。近くに火山ガスが溜まりやすい窪地があるため、自殺志願者が楽に、綺麗に死ねるということから宿の客は途切れず、死人宿と呼ばれている。佐和子は宿泊しに来た私に、脱衣場に遺書があったと告げる。他に泊まっているのは3人。果たして誰の遺書か。「死人宿」。発想は面白いが、推理の面白さには欠けている。そもそも、女主人公の感性に着いていけない。
美人で評判のさおりは、大学のゼミで知り合った佐原成海をめぐる女性同士の争いに勝ち、在学中に婚約。父親は「あの男は駄目だ」と反対するも、子供ができたことから結婚。夕子という娘が生まれた。二年後には月子という娘も生まれた。しかし父の言葉は正しかった。成海は大学卒業後も定職に就かず、胡散臭い人たちと付き合っていた。夕子が高校受験を迎えた年、さおりは離婚を決意した。「柘榴」。個人的には一番好きな作品。恋するときはロマンチストで、結婚したらリアリスト、というわけですか、女性というものは。男として、こういう男はどうかと思うが。
商事会社に就職した伊丹は、希望通り東南アジアの天然ガス開発のプロジェクトに参加し続けた。そして二年前、部長待遇の室長としてバングラディッシュに派遣された。物資集積拠点としてボイシャク村に目を付けたが、村の者は交渉を拒否し、交渉に行った部下はリンチに遭った。しかし伊丹は豊富な資源を持つこのプロジェクトを成功させたかった。「万灯」。本短編集で一番長い作品。ええっと、肝心なところでミスがあるのが残念。そもそも、いくらジャパニーズビジネスマンとは言え、ここまで強引な人物がいるかね。もうちょっと説得力があるような書き方をしてほしかった。
伊豆にある桂谷峠ではこの四年、峠道から崖の下に転落する事故が四件発生し、五人が死亡していた。何でも屋ライターの俺は先輩から紹介され、この崖で転落死する都市伝説を書くために、峠を訪れた。そして途中、寂れたドライブインを発見する。「関守」。ありきたりな話で、面白みに欠ける。
夫を殺害して服役していた鵜川妙子が満期出所した。弁護士の私は学生時代、鵜川夫婦の畳屋に下宿させてもらっていた。私は弁護士となって初めて担当したこの殺人事件のことを思いだす。一審で懲役八年を言い渡され、控訴審の途中で妙子は控訴を取り下げた。それはいったいなぜだったのか。「満願」。肝の部分で法律的なミスがあることが残念。そもそも動機も今一つだし。
山本賞を受賞したということで期待していたのだが、残念ながら今一つ。読んでいてつまらないということは無いのだけれど、どうも詰めが甘いというか。わざと寸止めするのが作者の美学なのかな。
米澤穂信『儚い羊たちの祝宴』(新潮社)
ミステリの醍醐味と言えば、終盤のどんでん返し。中でも、「最後の一撃」と呼ばれる、ラストで鮮やかに真相を引っ繰り返す技は、短編の華であり至芸でもある。本書は、更にその上をいく、「ラスト一行の衝撃」に徹底的にこだわった連作集。古今東西、短編集は数あれど、収録作すべてがラスト一行で落ちるミステリは本書だけ。(「BOOK」データベースより引用)
『小説新潮』他に掲載。書下ろし1編を加え、2008年11月、単行本刊行。
5歳の時の孤児院から丹沢家に引き取られた村里夕日は、令嬢の吹子のお世話をする。読書家の吹子に引き寄せられるように、夕日も隠し書棚にあるミステリ等を読むようになる。吹子は大学入学後、「バベルの会」という読書会に入る。秘書を兼ねての泊りがけの読書会がある2日前、素行不良で勘当された兄・宗太が邸を襲撃する。「身内に不幸がありまして」。
六綱家前当主・虎一郎の愛人だった母が死に、内名あまりは六綱家の別巻、通称「北の館」に住み、当主・光次の兄、早太郎の世話をすることになる。早太郎は部屋を出ることを許されていなかった。三か月後、あまりは外に出ることを許されるようになると、早太郎はビネガー一瓶、画鋲、糸鋸など、何に使うかわからない物を買物に頼む。「北の館の罪人」。
貿易商、辰野家が八垣内に持つ別荘「飛鶏館」の管理人として雇われる。しかし辰野の妻が病死したため、飛鶏館には誰も客が訪れなかった。厚保日、猟銃を持って熊の見回りに出ている途中、崖下に倒れていた登山者を救出する。「山荘秘聞」。
高大寺の権力者である小栗家のたった一人の子供である純香は15歳になった時、玉野五十鈴という使用人を与えられた。純香は大学へ進み、バベルの会に属するも、婿養子である父の伯父が強盗殺人事件を犯したため、絶対権力者である祖母によって両親は離縁させられ、純香は家に引き取られる。「玉野五十鈴の誉れ」。
サンルームに残されていた日記には、「バベルの会はこうして消滅した」と書かれていた。伝説の相場師と呼ばれた祖父によって財を築いた大寺家の娘・鞠絵は、バベルの会に入るものの、会費未払いという理由で辞めさせられる。5月、見栄っ張りの父により、大寺家に宴の料理を専門に作る厨娘の夏が雇われる。夏は見習いで文という女の子を連れていた。「儚い羊たちの晩餐」。
時代設定は書かれていないが、昭和三十年代あたりだろうか。「バベルの会」に関連する人物が全編登場するが、「バベルの会」自体が話の主眼となっているわけではない。いずれも上流階級が舞台となっている。
必ずしもラスト一行で落ちるわけではないが、確かにラスト一行のインパクトはなかなか。ブラックユーモアというか、奇妙な味というか、藤子不二雄Aのブラック短編に通じるエンディングの切れ味はかなりのもの。特に「儚い羊たちの晩餐」は怖い。これ、スタンリイ・エリンを知っていたら、より恐怖が倍増するかも(知らなくても十分怖いが)。
登場人物を皆上流階級にすることで、少々突飛な行動や思考などもストレートに入ってくるところも巧い。どれも結末をぼかしながらも、頭の中で想像できるようになっているところも流石。これは傑作短編集だった。
考えてみると、米澤穂信作品で、初めて素直に面白いと思ったぞ。
葉真中顕『絶叫』(光文社文庫)
マンションで孤独死体となって発見された女性の名は、鈴木陽子。刑事の綾乃は彼女の足跡を追うほどにその壮絶な半生を知る。平凡な人生を送るはずが、無縁社会、ブラック企業、そしてより深い闇の世界へ……。辿り着いた先に待ち受ける予測不能の真実とは!? ミステリー、社会派サスペンス、エンタテインメント。小説の魅力を存分に注ぎ込み、さらなる高みに到達した衝撃作!(粗筋紹介より引用)
2014年10月、光文社より単行本刊行。2017年3月、文庫化。
日本ミステリー文学大賞新人賞史上、最も傑作と思える『ロスト・ケア』で第16回新人賞受賞後の第1作。
平凡すぎる平凡な女性、鈴木陽子。マンションで孤独死体となって発見された鈴木陽子の足跡を追う国分寺警察署刑事課の奥貫綾子。NPO法人代表理事の神代武が殺害された事件の証言。3つのストーリーが並行して進んでいく。
親子関係、いじめ、バブル崩壊、失踪、生活保護行政の闇、保険業界の裏側、インチキNPO法人、売春、DV、セクハラ、縦割り行政、警察の地域連携不足、家族……ええっと、他に何があったかな。とにかく、社会問題をこれでもかとつっこみ、かつサスペンスあふれるエンタテイメントに仕立て上げたのはお見事としか言いようがない。それなりに厚い本だが、全然苦にならなかった。
気になるのは、印象のギャップかな。あそこだけはどうしてもつながらなかった。それでも、これだけの作品を作ってくれたのであれば満足。
ジェフリー・ディーヴァー『コフィン・ダンサー』上下(文春文庫)
FBIの重要証人が殺された。四肢麻痺の科学捜査専門家リンカーン・ライムは、「棺の前で踊る男(コフィン・ダンサー)」と呼ばれる殺し屋の逮捕に協力を要請される。巧みな陽動作戦で警察を翻弄するこの男に、ライムは部下を殺された苦い経験がある。今度こそ……ダンサーとライムの知力をつくした闘いが始まる。(上巻粗筋紹介より引用)
殺し屋「コフィン・ダンサー」は執拗に証人の命を狙う。科学捜査専門家リンカーン・ライムは罠を張って待ち構えるが、ダンサーは思いもよらぬところから現れる。その素顔とは。そして四肢麻痺のライムと、その手足となって働くアメリア・サックス巡査の間には愛情が育っていくが……。サックスにダンサーの魔手が迫る!(下巻粗筋紹介より引用)
1998年、発表。2000年10月、文藝春秋より邦訳単行本刊行。2004年10月、文庫化。
リンカーン・ライムシリーズ第2作。今回は、「棺の前で踊る男(コフィン・ダンサー)」と呼ばれる殺し屋が相手。互いに知力を振り絞り、これでもかというぐらいに相手の裏をかこうとする。そのどんでん返しの連続は、本作でも健在。よくぞまあ、ここまでというぐらいに相手の手を読もうとする対決には感心する。もっとも本当にこれでいいのかというぐらいに強引なところ(一つの仮説からスタートするあたりなど)があるものの、展開が早すぎて読んでいる分には全然気にならない。手に汗握るサスペンスと、まさかと思わせる手口、そして意外な結末など、読みどころ満載である。
シリーズ2作目ということもあって登場人物の造形が固まってきており、慣れてきた彼らのやり取りもまた楽しむことができる。ライムとサックスの仲が深まる過程もまた楽しめる。
これだけ面白ければ、シリーズが続くのも当然と言えよう。ということで、もう少しシリーズを追ってみようと思う。
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