斎藤純『夜の森番たち』(双葉文庫)

 この小説は殺人事件も謎解きもサスペンスもない。ぼくが書きたかったのは、現代の民話とでもいうべき物語だ。ただし、民話は長大な時間を背負っているが、この物語の背後にあるのは、森への僕の憧憬と尊敬の念だけである。仕事を終えた今、ぼくは東北のブナ林に育てられた縄文人の末裔であることを強く意識するとともに、それを誇りに思っている。(斎藤純)(粗筋紹介より引用)
 『小説推理』連載。1997年6月、単行本刊行。2001年2月、文庫化。

 田坂萌実は自殺しようと、生まれ育った秋田県にある鬼石のブナの森に入る。登山道から外れ、雨に濡れ、体が冷え、寒気が襲い、目を閉じてしまったところに男が現れ、彼女の身体を肌で温めた。翌々日、病院で目が覚めた萌実。匿名の男に頼まれて迎えにきたペンション経営の七見に助けられたと思い、彼に魅かれていく。陸奥新報の新聞記者で、森林開発を巡る汚職事件を追って東京に飛ばされた小川祐臣は、ほとんど仕事もせず、写真家西善吉の娘であり大手出版社に勤務する夫を持つ奈良崎美枝との不倫関係にあった。
 わりと好きな作家の一人である斎藤純による、現代の民話。もっとも民話と主張しているのは、作者なのだが。林道開発にともなう自然破壊や、マダギにつながる狩猟生活と縄文文化、所々で流れてくるジャズ、そして山道を走るオフロードバイクなど、斎藤純らしさは満載。非常に面白いのだが、最後の展開はあまりにも駆け足で残念。山を通した心の触れ合いは面白いのだが、恋愛要素は必要だったかな。確かに心の触れ合いの終着点はそこに行き着くのだろうが。
 なんかまとまりのないまま終わってしまった感がある。書きたいことを書いていたら、終わりが見えなくなって無理矢理まとめてしまったのだろう。書き下ろしだったら、もう少し違ったラストになっていたと思う。




トム・ロブ・スミス『グラーグ57』上下(新潮文庫)

 運命の対決から3年――。レオ・デミドフは念願のモスクワ殺人課を創設したものの、一向に心を開こうとしない養女ゾーヤに手を焼いている。折しも、フルシチョフは激烈なスターリン批判を展開。投獄されていた者たちは続々と釈放され、かつての捜査官や密告者を地獄へと送り込む。そして、その魔手が今、レオにも忍び寄る……。世界を震撼させた『チャイルド44』の続編、怒濤の登場!(上巻粗筋紹介より引用)
 レオに突きつけられた要求は苛酷をきわめた。愛する家族を救うべく、彼は極寒の収容所に潜入して、自ら投獄した元司祭を奪還する。だが、彼を待っていたのは裏切りでしかなかった。絶望の淵に立たされ、敵に翻弄されながらも、レオは愛妻ライーサを伴って、ハンガリー動乱の危機が迫るブダペストへ――。国家の威信と個人の尊厳が火花を散らした末にもたらされる復讐の真実とは?(下巻粗筋紹介より引用)
 2009年、イギリスで刊行。『チャイルド44』に続くレオ・デミドフシリーズ第2作。2009年9月、新潮文庫より刊行。

 『チャイルド44』で世界中から高評価を得たトム・ロブ・スミスのシリーズ第2作で、前作の3年後が舞台となっている。ソ連の最高指導者、ニキータ・フルシチョフによるスターリン批判とその後のハンガリー動乱が背景となっている。
 ひとことで言ってしまうと、レオ・デミドフが家族を守るために奮闘する作品、なのだが、実際にはソ連という国の実像を浮き彫りにした作品である。レオに降りかかる難題やアクションシーンはやりすぎ、と言いたくなるぐらい展開が早すぎるのだが、だからこそ読める作品といえるだろう。どんだけ暴力を受けるんだ、というぐらいレオが痛めつけられるのだが、それでも愛する家族のために力を振り絞る姿に思わず共感してしまう。残酷すぎるぐらいの時代の流れに翻弄されながらも、それでも必死に生きようとする姿が感動を呼ぶ。
 表題の“グラーグ57”は、レオが潜入する第57強制労働収容所を指す。原題は"The Secret Speech"。1956年のソ連共産党第20回大会におけるフルシチョフによる秘密報告「個人崇拝とその結果について」のことである。




今村昌弘『魔眼の匣の殺人』(東京創元社)

 その日、“魔眼の匣"を九人が訪れた。人里離れた施設の孤独な主は予言者と恐れられる老女だ。彼女は葉村譲と剣崎比留子をはじめとする来訪者に「あと二日のうちに、この地で四人死ぬ」と告げた。外界と唯一繋がる橋が燃え落ちた直後、予言が成就するがごとく一人が死に、閉じ込められた葉村たちを混乱と恐怖が襲う。さらに客の一人である女子高生も予知能力を持つと告白し――。
 残り四十八時間。二人の予言に支配された匣のなかで、生き残り謎を解き明かせるか?!
 二十一世紀最高の大型新人による、待望のシリーズ第二弾。(粗筋紹介より引用)
 2019年2月、書き下ろし刊行。

 鮎川哲也賞、本格ミステリ大賞、年末ミステリーベスト三冠と、ミステリ界を席巻した『屍人荘の殺人』シリーズ第二弾。ミステリー愛好会を再建した葉村と、新たに入会した剣崎。班目機関がかかわった超能力研究所を訪れた葉村と剣崎が、外科医と連絡を取ることのできない施設で連続殺人事件に巻き込まれる。
 絶賛されすぎじゃないのと言いたくなるぐらい絶賛された『屍人荘の殺人』。これは第二作が非常に厳しい目で見られるだろうな、作者のプレッシャーは並大抵のものじゃないだろうなと思っていたのだが、1年半程度で第二作が出てくるとは思わなかった。
 前作はゾンビに襲われるというサスペンスの要素も強かったが、本作は予言通り四人が死ぬのか、という要素を除くと、淡々と物語が進んでいく。葉村と剣崎の関係にあったラノベ要素がかなり薄くなっており、作者が謎解きに重点を置いたのかな、という印象を受けた。
 犯人像が見えてこなかった部分ではやや中だるみを感じたものの、最後の剣崎による謎解きは圧巻。「予言」というキーワードを十分に生かした展開はお見事といっていいだろう。まあ、小説の世界ならでは、みたいな逆手の手法ではあったといえるが。
 作者のうまいところは、本格ミステリのお約束の扱い方かな。特に“お約束”の外し方がうまい。それも不自然でなく見せるところが。そこが意外性を生んでいると思う。
 前作ほどのインパクトはないものの、逆に論理性を重視した分、かえって読みやすくなったのではないだろうか。二作目を待っていた人の期待を裏切らない出来であったといってよいだろう。しかし、三作目のハードルは上がるだろうし、そしていずれ迎えるだろう班目機関の畳み方が大変そうだ。作者にはぜひ頑張ってもらいたいところである。




横山秀夫『ノースライト』(新潮社)

 一級建築士の青瀬は、信濃追分へ車を走らせていた。望まれて設計した新築の家。施主の一家も、新しい自宅を前に、あんなに喜んでいたのに……。Y邸は無人だった。そこに越してきたはずの家族の姿はなく、電話機以外に家具もない。ただ一つ、浅間山を望むように置かれた「タウトの椅子」を除けば……。このY邸でいったい何が起きたのか?(帯より引用)
 『旅』2004年5月号~6月号、11月号~2005年12月号、2006年2月号連載。全面改稿の上、2019年2月刊行。

 2012年刊行の『64』以来6年ぶりとなる刊行。主人公は一級建築士の青瀬稔。バブル期に結婚し、娘を儲けるものの、バブルが弾け、仕事がなくなりやがて離婚。3年前に小さい設計事務所を営む大学同期の岡嶋昭彦に拾われた。昨年、指名を受けて信濃追分に設計した木の家は、建築の常識を打ち破る北向きの家であり、北側からの採光、ノースライトが主役であった。施主からは喜ばれ、大手出版社から出た『平成すまい二○○選』にも選ばれた。ところがその家には誰も住んでいなかった。伝説的な建築家ブルーノ・タウトの椅子だけが残されて。
 一方、岡嶋は三年前に亡くなったパリ在住の画家、藤宮春子の記念館、「藤宮春子メモワール」の受注に力を入れていた。藤宮春子は作品を発表しなかったためほとんど知られていなかったが、死後に発見された油絵がフランス画壇の重鎮に絶賛され、注目を浴びていた。出身地であるS市の市長がメモワールの建設構想をぶち上げていたが、遺族との交渉がうまくいっていなかったとの噂が流れていた。大手建設事務所が有力視されていたが、岡嶋はコンペの指名業者に選ばれるべく、走り回っていた。
 警察小説の多い横山だが、本作では事件らしい事件がない。自らが設計した家の施主の正体を知るため、青瀬が奔走する姿がほとんどである。一方、岡嶋の方はきな臭い展開があるものの、本当のことをいえばここまで切羽詰まるほどの内容ではないだろうと思えてしまう。まあそこは新聞記者出身の作者のことだから、似たようなことがあったのかもしれないのだが。
 本作品で作者が訴えたかったのは、家族の絆だろうか。青瀬や岡嶋だけでなく、設計事務所の面々にも家族がある。事件にも密接にかかわるところだ。ナチスによる迫害を受け、ドイツに変えることのできなかったタウトも同様だろう。そこには必要とされていた「家」が浮かんでくる。家を設計する建築家が、望む「家」を作ることができず、そして再び探し始める姿はとても印象的だ。
 ただ、ちょっと文章がくどい気もする。特にタウトとかかわるところとか過去の部分とか、もう少しわかりやすくすっきりと書いてもよかったのではないだろうか。書きたいことが我慢できなくなって書いた印象を受けた。
 新作を待っただけの甲斐はあった、と言える力作である。ただ、ちょっと胃もたれしそう。それにこれは、おじさん向けの作品だな。若い人には理解できない感情の部分があるかもしれない。
 どうでもいいけれど、青瀬の父親はダム現場の型枠職人で、「転居は二十八回を数え、青瀬は小中学校九年間で七回も転校した」とのこと。9年間で7回転校ということは、1現場1年半足らず? 挙がっているダムのコンクリートの打設量を考えると、短い気がするな……。ダムの実名を挙げなくてもよかったのに、と思ってしまう。検証できていないけれど、施工時期、被っているみたいだし(違っていたらごめん)。




貴志祐介『ダークゾーン』(ノン・ノベル)

 「戦え。戦い続けろ」将棋プロ棋士の卵・塚田は、赤い異形の戦士と化した十七人の仲間と共に、闇の中で目覚めた。謎の廃墟を舞台に開始された青い軍団との闘い。敵として生き返る「駒」、戦果に応じた強力化など、奇妙なルールのもと、現実世界との繋がりが見えぬまま続く七番勝負。それは、まるで異次元の将棋だった。頭脳戦、心理戦、そして奇襲戦。コンクリートの要塞"軍艦島"で繰り広げられる地獄のバトル。これは神の仕掛けか、悪魔の所業か。エンターテインメント界の鬼才が、圧巻の世界観で贈る最強長編。(粗筋紹介より引用)
 『小説NON』平成20年11月号~22年3月号まで連載。連載時タイトル『ダーク・ゾーン』。加筆訂正後、2011年2月、単行本刊行。2011年、第23回将棋ペンクラブ大賞特別賞受賞。2012年9月、ノベルス化。

 ペンクラブ大賞特別賞を受賞したことから興味はあったのだが、ようやく手に取ることができた。奨励会三段の棋士の卵が主人公という点に興味を持っていたのだが、バトルシーンが将棋のようでちょっと違った点は個人的に残念。まあ、勝手に勘違いしていただけのことだが。
 それを抜きにしても、バトル物ってあんまり好きじゃないので、今一つのれなかったというのが本当のところ。現実世界とリンクしている部分だけ、楽しめたかな。途中で挟まれている「断章」の展開の方が気になって仕方がなかった。
 作者も書いているのだが、将棋界のシステムにケチをつけているけれども(このシステムに関する批判については昔から言われている事であり、目新しいものではない)、そういう作品に特別賞を与えた将棋ペンクラブ協会は懐が深いな。



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