若竹七海『ヴィラ・マグノリアの殺人』(カッパ・ノベルス)

 海に臨む瀟洒な邸宅、十棟が並ぶ「ヴィラ・葉崎マグノリア」。その一棟、密室状況の空き家で死体が発見された。所持品もなく、顔と手が潰され、身元の特定は困難。聞き込みに懸ける葉崎署員だが、ヴィラの住人は皆、一癖も二癖もある人間ばかり……。聞き込みのたびに、担当の一ツ橋巡査部長と駒持警部補の眉間の縦皺が増えていく。そんなおり、さらにヴィラ内である人物が殺害される!連続殺人により、住人たちの秘められた事実が次々と明らかになり……!?
 洒脱な語り口で、ミステリーの縦糸とユーモアの横糸とで織りあげる、著者会心の書下ろしミステリー快作!
 1999年6月、書き下ろし刊行。

 若竹の葉崎市シリーズ、第一弾らしい。もっともシリーズといっても架空の葉崎市を舞台にしているというだけのことだが。
 殺人事件そのものよりも、事件を巡る登場人物たちのドタバタを楽しむ作品。ドタバタと言っても単なるユーモアだけではなく、人の底に潜む暗い部分が混じっているところが作者らしいというか。結局そこばかりに目を取られてしまって、肝心の殺人事件の謎のほうがあまり気にならなかったというのが、問題点かな。単に個人的な読み方の姿勢の問題だろうけれど。いや、本当に気にしていなかったから、結末を読んで、こんな真相?という驚きはあったかな。
 まあ、楽しめたといえば楽しめたけれど、何か残るか、と言われると微妙。そういう作品だから、それでいいんだと思う。




市川憂人『神とさざなみの密室』(新潮社)

 和田政権打倒を標榜する若者団体「コスモス」で活動する凛は、気付くと薄暗い部屋にいた。両手首を縛られ動けない。一方隣の部屋では、外国人排斥をうたう「AFPU」のメンバー大輝が目を覚ましていた。二人に直前の記憶はなく、眼前には横たわる死体。誰が、何のために、敵対する二人を密室に閉じ込めたのか? そして、この身元不明死体の正体は? 真の民主主義とは何か? 人は正しい道を選べるのか? 日本はどこへ向かっているのか?(帯より引用)
 2019年9月、新潮社より書き下ろし刊行。

 国民黎明党の和田要吾が首相になって8年。悲願の憲法改定に向け、国民投票法を改定しようとしていた。反対運動を続ける「コスモス」の主要メンバー、大学二回生の三廻部凜。在日外国人を糾弾する「AFPU」のメンバーでありネトウヨでもある渕大輝。二人は隣り合う密室に閉じ込められていた。それぞれの目の前には、顔の焼けただれた、身元不明の死体。
 〈マリア&漣〉シリーズとは異なり、現実に即した世界観。モデルはあの人でしょ、というのがすぐにわかってしまう世界観もどうかと思うし政治団体にしても同様。登場人物の思想にしても薄っぺらさしか見えてこないのだが、まあ政治小説ではないし、今時の若者を取り上げるのなら逆にこれぐらいのほうがいいのか。だけどそれが小説の半分ぐらいまで読まされるのはきつすぎる。もっと手短にまとめられなかったのか。帯の「この部屋と、民主主義という密室から脱出せよ!」は煽りすぎ。作者の意図は入っていないと信じたいが、民主主義が密室なら、社会主義になるしかないんだぞ(ってのも違うか)。
 密室の謎については、偶然の要素に頼っていて面白くない。犯人の設定もどうかと思うが、スマホがつながっていて、凜のフォロー相手で顔も素性も知らないネット論客が事件の謎を解くという設定も、不確実すぎる。まあ犯人から見たら凜や大輝がどうなるかなんて考えているわけでもないだろうし、“本格ミステリの謎解き”のようになってしまうのも意図しないことだろうから、それを言っちゃおしまいなんだろうが。謎を解く人物も消去法で予想がつくのだが、違和感しか残らないのも残念。あえて皮肉な部分を足そうとしたのだろうけれども。
 言っちゃえば、こんな本格ミステリは読みたくなかった。なんというか、痛い。それもミステリ以外の部分が特に。シチュエーションの選択ミス。それに尽きる。




トム・ロブ・スミス『エージェント6』(新潮文庫)

 運命の出会いから15年。レオの妻ライーサは教育界で名を成し、養女のゾーヤとエレナを含むソ連の友好使節団を率いて一路ニューヨークへと向かう。同行を許されなかったレオの懸念をよそに、国連本部で催された米ソの少年少女によるコンサートは大成功。だが、一行が会場を出た刹那に惨劇は起きた――。両大国の思惑に翻弄されながら、真実を求めるレオの旅が始まる。驚愕の完結編。(上巻粗筋紹介より引用)
 1980年。ニューヨーク行きの野望を断たれたレオは、ソ連軍の侵攻したカブールで、設立間もないアフガニスタン秘密警察の教官という職に甘んじている。アヘンに溺れる無為な日々がつづくが、訓練生ナラを伴ったある捜査で彼女とともにムジャヒディン・ゲリラに囚われてしまう。ここにいたって、レオは捨て身の賭けに出た。惜しみない愛を貫く男は何を奪われ、何を与えられるのか?(下巻粗筋紹介より引用)
 2011年7月、イギリスで刊行。2011年9月、新潮文庫より翻訳刊行。

 『チャイルド44』『グラーグ57』に続くレオ・デミドフ三部作完結編。1950年のレオとライーサの出会い。15年後のニューヨークで発生したある事件。さらに15年後、アフガニスタン紛争が始まったカブールでアフガニスタン秘密警察の教官として働くレオに降りかかる事件。大国の思惑に振り回されるレオ。
 この三部作を通して読むと、よくぞまあレオ・デミドフが粛清されなかったものだと驚くばかり。当時のソ連なんて、ちょっとした反乱分子でもすぐに処刑していたようなイメージがある。小説上の都合はともかく、本作ではソ連以外にもアフガニスタンやニューヨークまで舞台が飛び、大国の思惑に翻弄されるレオ・デミドフの数奇な運命が描かれる。とっくの昔にくたばっていてもおかしくないレオが生き続けるのは、ライーサへの愛。そして家族への想い。ソ連という国の表と裏を描きつつ、家族愛というテーマで壮大な三部作を書いたことは素直に評価されるべきだろう。
 それ以外の点については、ご都合主義というしかないけれど、もうここまで来ればそれでいいよ、とは言いたくなる。ここまで国に振り回されて、生き延びたのだから。




稲見一良『男は旗』(光文社文庫)

 かつて“七つの海の白い女王”と歌われたシリウス号。客船としての使命を終え、今は船上ホテルとして第二の人生を送っていた。ところが経営難から悪徳企業に買収される羽目に。しかしひと癖もふた癖もあるクルーたちが納得するはずがない。やがて謎の古地図に示された黄金のありかを捜し求めて、ふたたび大海原へと出航! 爽快かつファンタジックな冒険譚。(粗筋紹介より引用)
 前半「男は旗――プレス・ギャングの巻」は『小説新潮』1991年11月号掲載。後編「宝島の巻」を書き下ろし、1994年2月、新潮社より単行本刊行。1996年12月、新潮文庫化。2007年3月、光文社文庫化。

 解説を読むと、もともとは前半の「プレス・ギャングの巻」だけで完結させる予定だったらしい。ところが編集者が作者の了解を得ず、副題の「プレス・ギャングの巻」を付けたとのことである。そんな勝手が許されるのか、ということはともかく、これに関してはよくやったといいたい。おかげでさらに面白い物語を読むことができたのだから。作者は出版された9日後に亡くなっている。船のモデルは、沼津に係留されている船上ホテル兼レストラン、スカンジナビア号とのこと。主役の船長・安楽も、実在の人物がモデルである。
 はっきり言ってしまえば、ファンタジー冒険。こんなに都合よく物事が進むはずもないし、うまくいくはずもない。それでも読者は物語に酔いしれる。ロマンを求めたクルーたちの冒険を。もうこればかりは、素直に小説世界に没頭すればよい。そしてスカッとすればよい。現実の鬱陶しさを忘れ、楽しめればよい。大藪春彦のユートピア願望に近い気がするけれど。
 魅力的な登場人物、魅力的な舞台、そして魅力的な船と海。世界はまだまだロマンと冒険に満ち溢れ、生きることの楽しさと充実感を教えてくれる一冊である。あとはもう、余計な言葉はいらないかな。



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