貫井徳郎『愚行録』(創元推理文庫)

 ええ、はい。あの事件のことでしょ? えっ? どうしてわかるのかって? そりゃあ、わかりますよ。だってあの事件が起きてからの一年間、訪ねてくる人来る人みんな同じことを訊くんですから。――幸せを絵に描いたような家族に、突如として訪れた悲劇。池袋からほんの数駅の、閑静な住宅街にあるその家に忍び込んだ何者かによって、深夜一家が惨殺された。数多のエピソードを通して浮かび上がる、人間たちの愚行のカタログ。『慟哭』の作者が放つ新たなる傑作!(粗筋紹介より引用)
 2006年3月、単行本刊行。第135回直木賞候補。2009年4月、文庫化。

 買ったまま積ん読状態だった一冊。なんで買ったのだろうと思っていたら、映画化されていたからだった。そのくせ、映画は見ていないけれど。
 エリートサラリーマン一家だった日向家の夫婦、子供2人が惨殺されてから1年。取材を始めた記者が被害者夫婦の知人たちにインタビューを始めると、理想の夫婦に見えた2人の真の姿が現れる。
 インタビューを続けるうちに被害者の真の姿が見えてくるという手法は、過去のミステリにもよく出てくる。表では善人に見えても、その裏では……というのはよくある話だ。被害者の夫婦も最初のほうから根は嫌な奴だ、と感じさせるものがある。ただ最初に出てくる新聞記事と、各章末に挟まれる妹から兄への独白が一家惨殺事件とどう絡んでくるのか。
 ミステリの仕掛け的にはわりとシンプル。本格ミステリではないので犯人を推理するというものはないが、結末で明かされる犯人像は、動機の唐突さは抜きにして、意外性はない。もちろんこの作品の主眼は“愚行”であり、最後に明かされる真相でさらなる愚行が出てくるのだが、うーん、なんかもやもやが残る終わり方。別に謎が残されているわけでもないのに、人が持つ嫌な部分をあからさまにされてしまった恐怖が霧にかかった感じ。底が見えない、救いようのない心理というか。
 もともとリーダビリティがある作家だから、読んでいる分には面白い。人が持つ打算の多様さがよく書けている。正直なことを言えば、もう二三人、取材を受ける人を増やしてもよかったと思う。もうちょっと凝った書き方もできたのではないか。そう考えるとちょっと惜しい気がする。



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