阿津川辰海『透明人間は密室に潜む』(光文社)

 透明人間による不可能犯罪計画。裁判員裁判×アイドルオタクの法廷ミステリ。録音された犯行現場の謎。クルーズ船内、イベントが進行する中での拉致監禁──。絢爛多彩、高密度。注目の新鋭が贈る、本格ミステリの魅力と可能性に肉薄する4編。(帯より引用)
 『ジャーロ』2017~2019年に掲載。改稿の上、2020年4月、単行本刊行。

 透明人間病が流行り、全身が透明になってしまう人が増えた世界。透明人間病にかかっている内藤彩子は、透明人間病研究の大家である川路昌正教授による新薬開発の記事を読み、川路教授を殺害する。「透明人間は密室に潜む」。SF設定条件下の殺人というのは、かつての西澤保彦作品を思い出す。透明人間による殺人なんて簡単だと思うが、こうやって書かれてみると意外と難しい。倒叙設定がうまく働いている。犯人を追い詰める論理は面白いが、捕まった後は完全な蛇足。作者だって『パノラマ島奇談』を読んだことがあるんじゃないの?
 人気アイドルグループCutie Girlsのライブのために山梨から東京に来た二人。口論で一人がもう一人を殴り殺してしまった。犯人は自白して罪を認め、証拠もそろい、何の問題もないはずの裁判員裁判。ところが、銀行員である6番の裁判員が評議の場でいきなりCutie GirlsのTシャツに着替えて登場。全員が有罪の意見を言うまではよかったが、6番が被告は死刑と行ってから評議は紛糾する。「六人の熱狂する日本人」。アイドルオタクによる密室推理劇『キサラギ』に挑戦した作品。裁判員制度を利用したこの設定と結末には、大いに笑わせてもらった(不謹慎なんだけど)。いや、ここまで制度を有効に利用した作品は初めてじゃないか? 見事としか言いようがない。唸りましたよ。個人的に本作品集のベスト。
 耳が良すぎてどんなわずかな音でも聞き分けられる山口美々香は、大学の先輩であり推理能力のある大野糺が興した探偵事務所に勤めており、コンビで事件を解決している。1年前の最初の事件はこうだった。夫の依頼で妻の浮気を調査するために、テディベアに盗聴器を仕掛けてリビングに置いていた。そこで妻が殺害され、宝石やアクセサリーが盗まれる強盗殺人事件が発生。盗聴器のデータを別のUSBメモリに保存していた大野は、事件を解決するために録音データを山口に聞かせ、手がかりを探る。「盗聴された殺人」。どんな細かな音でも聞き分けられる特殊能力が事件のカギを握っているが、男女コンビの互いにちょっと抜けている部分の補い方と会話が非常に面白い。短編1本で終わらせるには惜しい。このコンビでシリーズ化してほしい。
 推理小説家の人気名探偵シリーズとコラボした一泊二日の東京湾クルーズにおける客船での脱出ゲーム。高校生のカイトは招待プレーヤーとして参加。同級生でライバル視されている大富豪の息子のマサルは、弟で小学生のスグルと参加した。順調に謎解きは進んでいたが、気が付くとカイトはスグルと一緒に船室に閉じ込められていた。「第13号船室からの脱出」。フットレル「十三語独房の問題」に触発された作品。脱獄ミステリってほとんど絶滅していたかと思ったけれど、脱出ゲームを絡めたりすればできるんだな。まだまだミステリは色々な応用ができそうだ。船室の位置関係を把握するのがちょっと面倒だったが、それ以外は楽しむことができた。
 阿津川辰海の作品を読むのは初めてだったが、タイトルにひかれて購入。結果として、表題作が一番つまらなかったけれど、他の三作品が面白かったので満足。奇抜な設定ながらも論理を重視した作品に仕上がっており、楽しむことができた。筆致にやや軽さを感じるが、本作品集の内容なら問題がない。今年の本格ベスト10には入るだろう。




ジョージ・P. ペレケーノス『俺たちの日』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 ギャングのボスのために借金を取りたてる――どんな危険も顧みない幼なじみのジョーとピートにとって、それは簡単な仕事だった。が、非情になりきれないピートは取り立てを見送り、見せしめのためギャングの手下に脚を折られてしまう。三年後、小さな食堂の店員として働くピートのまえに、いまやボスの片腕となったジョーが現われ…… “ハードボイルドの次代を担う”と絶賛される著者が贈る、心を震わせる男たちの物語。(粗筋紹介より引用)
 1996年、アメリカで発表。1998年9月、邦訳刊行。1999年、ファルコン賞(マルタの鷹協会日本支部)受賞。

 作者はギリシャ系アメリカ人とのことなので、本作の主人公ビート・カラスと同じ。私立探偵ニック・ステファノス(本書で出てくる食堂経営者ニック・ステファノスの孫)を主人公とした『硝煙に消える』で1992年にデビュー。ニック三部作、単発作品『野獣よ牙を研げ』を経て、本書でブレイクしたとのこと。本書は、ワシントンD.C.を舞台とした「D.C.カルテット」の第1作となる。映画やテレビのプロデューサーやテレビの脚本家としても活躍している。
 文春東西ミステリーベスト2012年版全読破用に購入。リストを見るまで、まったく知らなかった作家。この頃は今よりも極端なぐらい国産物中心だったこともあり、海外物の情報がほとんど耳にしていないころだったが、それでも東西ベストに入るぐらいの本なら少しは記憶していてもおかしくはないはず。そう思って調べてみたが、本家の文春ベスト10にも入っていない。帯を見ると、ミステリチャンネルでは第1位を取っているとのこと。ミステリチャンネル、あったね。全然見ていなかったけれど。
 ギリシャ系移民の二世であるビート・カラスが主人公。イタリア系のジョー・レセポ、アイルランド系のジミー・ボイルは子供のころからの友人付き合い。戦争から帰ってきて、ギャングのバークの下のチンピラをしている。端正な顔立ちで、結婚しているが、女にはモテる。しかし非常になり切れず仕事に失敗したビートは、見せしめで手下たちに足を折られ、不自然に曲がってしまった。それから三年後、ビートはバークの片腕となったジョーと対面する。
 第一章は1933年のワシントンD.C.。メインの舞台となる第五章は1949年。エピローグは1959年。当時のアメリカを駆け抜けていったような作品である。移民であふれかえったあの頃のアメリカの描写が抜群にうまい。いや、正しいかどうかなんてのは知らないのだが、読んでいるうちに情景が浮かび上がってくる。そしてビートやジョー、ジミーなどの当時の幼馴染たちが物語と密接に絡み、駆け抜けてゆく。
 メインはバークが用心棒代として、ビートが働いているレストランのオーナーであるニック・ステファノス(ニック三部作の主人公の祖父に当たるとのこと)のところに脅しに来るところなのだが、他に連続して発生した娼婦連続殺人事件が絡んでくる。物語の展開にも気を取られるし、ビートやジョーたちとのやり取りにも心を奪われる。前半でじっくりと筆を費やされている分、登場人物の造形がはっきりしており、感情移入しやすい。薬づけにされて売春婦となったローラを探しに来た少年マイクも含め、どの登場人物にも目が離せなくなるのだ。すごい巧い。さらに骨太のハードボイルドなのに、どこか哀愁漂うムードが素晴らしい。読み終わって、思わずうなってしまった。
 なんでこんな傑作を今まで知らなかったのだろう。すごいわ、これは。続編も邦訳されているので、早く読みたい。




櫻田智也『サーチライトと誘蛾灯』(創元推理文庫)

 ホームレスを強制退去させた公園の治安を守るため、ボランティアで見回り隊が結成された。ある夜、見回り中の吉森は、公園にいた奇妙な来訪者たちを追い出す。ところが翌朝、そのうちのひとりが死体で発見された! 事件が気になる吉森に、公園で出会った昆虫オタクのとぼけた青年・?沢(えりさわ)が、真相を解き明かす。観光地化に失敗した高原でのひそかな計画、<ナナフシ>というバーの常連客を襲った悲劇の謎。5つの事件の構図は、?沢の名推理で鮮やかに反転する! 第10回ミステリーズ!新人賞を受賞した表題作を含む、軽快な筆致で描くミステリ連作集。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ!』掲載作品に書き下ろし2編を加え、2017年11月、東京創元社のミステリ・フロンティアより単行本刊行。2020年4月、文庫化。

 探偵役は?沢泉(えりさわ せん)。「えり」は魚編に入と書く。見た目は三十代半ば。昆虫採集で色々なところを回っている。頼むから、環境依存文字を名前に使うのはやめてくれ。書きづらいったらありゃしない。
 公園にホームレスを居つかせないための見回り隊の吉村はその夜、公園にいた年齢差カップル、私立探偵、そしてカブトムシを採集しようとした?沢と名乗る青年を追い出す。ところが次の日の朝、私立探偵が公園で殺されているのが発見された。2013年、第10回ミステリーズ!新人賞を受賞作「サーチライトと誘蛾灯」。探偵役?沢のとぼけた味は、確かに亜愛一郎につながるものはあるが、デビュー作である「DL2号機事件」と比べると事件や謎は平凡だし、論理性の面白さもない。まあ、味がよい作品ではあった。
 奥羽山脈北部のアマクナイ高原に5年ぶりに訪れた瀬能丸江。そこでは5年前、観光地化の方向性をめぐってボランティアが分裂してしまった過去があった。瀬能にはある目的と計画があったが、?沢と出会ったことで予想もしない方向へ流れていく。「ホバリング・バタフライ」。意外な方向へ物語が流れていく展開は面白く、最後の余韻が美しい。
 バー「ナナフシ」で倉田詠一が会ったのは、常連客の保科敏之、そして初めて会った?沢。遅れてきたのは敏之の妻、結。二人は一緒に帰っていったが、翌日、敏之が殺され、妻が取り調べを受ける。「ナナフシの夜」。手がかりの出し方がちょっと露骨。愛のむなしさを語る作品なんだろうが。
 旅館の主人である兼城譲吉は、夜に近所で起きた火事の現場で、客の?沢と出会う。不意に35年前を思い起こした兼城は、?沢と宿に戻り酒を飲みながら、写真家希望の青年が起こした火事と、玄関に飾ってある見事な昆虫の標本の関係について話す。第71回日本推理作家協会賞短編部門候補作「火事と標本」。少年時代の悲しい思い出が、?沢の一言でガラッと様変わりする結末は圧巻。あまりにも哀しいトーンも含め、本作品集中のベスト。
 教会で牧師が殺害され、中学三年生の息子が行方不明となった。教会にいた?沢が、謎解きをする。「アドベントの繭」。謎解きがそのまま救いになるパターン。ちょっとした手掛かりから犯人を導き出す論理性は良かった。
 確かにブラウン神父、亜愛一郎の系統を引き継いでいるとはいえるが、二人と違うところは探偵役である?沢泉のキャラクターが弱いところ。とぼけた味は面白いところあるが、突飛な動きをするわけでもなく、印象が希薄なのである。それ以上に、解決した事件の印象が弱い。不可思議な事件と、アッという奇抜な論理性、そして意外な結末。これらがそろわないと、後継ぎといわれるにはちょっと荷が重いだろう。
 所々はおっと思わせるものがあったので、次に期待したい。ということで、早速『蝉かえる』を手に取ったのだが、こちらは非常に満足した。




ロバート・ゴダード『蒼穹のかなたへ』上下(文春文庫)

 讒言で会社を追われ、元の部下で現国防次官ダイサートの世話でロードス島の別荘番として酒と倦怠の日々を送る中年男ハリーの前に現れたのは清楚な娘ヘザー。ギリシャの風に吹かれる夢のような毎日。だがヘザーの突然の失踪。なぜなのだ? 苦しい疑問を解くべく祖国イギリスに立ち帰ったハリーを待ち受けていた大いなる陰謀。(上巻粗筋紹介より引用)
 ギリシャのロードス島山頂付近で姿を消した娘ヘザーの謎を解くべくイギリスへ戻ったハリーの前に立ちはだかる疑惑の壁。だが、戦友にだまされ、上司の息子の讒言で会社を追われ、酒に溺れる冴えない中年男にも骨はあった。次第に明らかになる大いなる陰謀とは? 人の善意の恐さを語って尽きない鬼才が展開するゴシック・ロマン。(下巻粗筋紹介より引用)
 1990年、イギリスで発表。1997年8月、邦訳刊行。

 久方ぶりのゴダードの傑作をダンボールの奥底から取り出す。もう20年以上前になるので、毎度のことながら、いつなぜ買ったのかの記憶すらない。
 9年前から英国の下院議員の別荘の管理人としてギリシャに住む53歳、独身のハリー・バーネットの元へ、27歳のヘザー・マレンダーが現れる。ハリーはかつて、ヘザーの父と友人で、一緒に働いていた。数日後、ドライブの途中でヘザーが失踪した。警察はハリーを疑うも、証拠がなく放免される。ハリーは疑問を解くため、イギリスに戻る。
 まあ、ここまではいいんだけど、こんな冴えない中年男に色々と話すかね……。訪問した瞬間に追い出されるとしか思えないのだが。それは冗談として、上巻はひたすらハリーが動き回るだけで、会話や説明がくどく、なんとももどかしい。まあこれぐらい長い方が、背景の複雑さを現している感があるのも事実だが。絡まっている人間関係が、ハリーの行動で少しずつほどけていくうちに、大きな陰謀が明らかになってくる。この辺りの見せ方は、さすがゴダードと言わせる巧さである。
 ただね、似たような中年男の私としては、ハリーにあまり共感しないんだよな(別に飲んだくれているわけではないけれど)。なんかみじめさについては鏡で見ているようだし、ハリーほどの行動力と意地はないので絶望感を感じるし。主人公に感情移入できなかった分、ちょっと冗長に感じたな。まあ、単純に私的な理由でだけど。
 ゴダードのうまさを十分発揮した作品だとは思う。ごめん、自分勝手な部分でちょっと楽しめなかった。




石沢英太郎『21人の視点』(光文社文庫)

 「彼」の許に届いた一通の手紙。それは、17年まえの国有地払い下げにからむ汚職事件の真相を暴いた親書だった。K省の課長補佐だった「彼」の父に責任を負わせ、自殺に至らせた殺される価値のある成功者たち! 「彼」の復讐計画は静かに進行する……。
 新しい多元的描写を推理小説にとりいれた長編意欲作!(粗筋紹介より引用)
 『赤旗』日曜版1975年1月~12月連載。連載時タイトル「石の怒り」。大幅な補訂を施し、1978年9月、カッパノベルスより刊行。1985年7月、光文社文庫化。

 タイトルにある通り、21人の視点から語られるエピソードにより、復讐譚が浮かび上がる構成となっている。解説の土屋隆夫が言うように、多シーン描写という表現のほうがぴったり来る。一番短いのは、わずか2ページ。こういう手法を使うと、徐々に事件の全貌が明らかになっていき、その過程は楽しめる。復讐譚とは関係のない事件が絡んだりするところは面白い。こういう手法ならでは、といったところだろう。
 ただ、肝心の復讐譚が面白くない。序盤の脅迫部分なんて、本当に実行可能なのかどうか疑問に思うところもあるのだが、そういったところはスルーされている。中盤が面白い分、逆にがっかりしてしまった。多分、そういう整合性について作者はあまり気にしていないのだろう。あくまで事件で通り過ぎた多くの視点を絡める方に重点を置いている。こういう構成だったら、最後に鮮やかな解決シーンがあった方が、より映えると思うのだが、どうだろうか。
 作者の長編はあまり読んでいないのだが、やっぱり短編のほうが面白いかな。狙いすぎて、仕上がりが今一つだった。
 作者の短編集、復刊しませんかね。創元推理文庫あたりで。




林泰広『オレだけが名探偵を知っている』(光文社)

 新川綾が事故に遭い手術をした。綾には幼い娘・青葉がいるが父親である新川昭男は仕事でまったく連絡が取れない。青葉の叔父、秋山礼人は新川が重役を務める会社「ブッシュワッカー」に行くが、社長の城之内は新川への連絡自体を拒否する。絶対的独裁者の会長・座主の命令で、会社の地下の巨大な密室と化した迷宮で何かが行われており、新川はそこにいるらしい。すったもんだの末に、中に入ると、五人の男女の遺体が発見された。そして密室の中の密室、外側から鍵のかかったコンテナから、唯一の生存者が発見された。この事件はいったい何だったのか――秋山は独自に事件の再検討を行うが……。奇才が仕掛けるトリッキーな罠、罠、罠。真相に呆然となる野心溢れるミステリーの傑作!(帯より引用)
 2020年6月、書き下ろし刊行。

 2002年に光文社の新人発掘プロジェクト「カッパ・ワン」の4人いた第一弾として『The unseen 見えない精霊』で長編デビュー。短編は発表していたものの、2017年に連作短編集を刊行したのみであり、長編は18年ぶりとなる。
 デビュー作がほとんどパズル作品だったこともあり、どうなるかと思ったら、やっぱりパズル作品だった……(泣)。最初は警察の捜査が始まると思ったら、わけのわからない元山賊の男が造った世間のルール無視な会社の話が出てきて目が点。こんな会社、最初っから公安あたりに目を付けられてそう。いや、こんな現実な話、出しちゃあかんのよな、本格ミステリは(すごい偏見)。
 わけのわからない地下二階の部屋で殺人事件は起きるし、存在自体が希薄な名探偵は出てくるわ、なんだこいつはみたいな万能女性ハッカーは出てくるわ。おまけに結末は滅茶苦茶だし。名探偵やマスコミへの皮肉ともいえるような茶化しは大笑いしたが、さすがに結末は口あんぐり。よくよく見たら、本格ミステリですらないよね。なに、これ。確かに真相には呆然となるけれど、感心は全くしないな。後出しじゃんけんばかりだし。いや、本格ミステリじゃないから、別にいいのか。
 結局何、これとしか言いようがない作品。読み終わった自分にお疲れさまといいたい。




ピーター・ラヴゼイ『マダム・タッソーがお待ちかね』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 1888年3月、ロンドンの高級写真館で助手をつとめる男が毒殺された。警察の入念な捜査の結果、彼に恐喝されていた館主の妻が逮補される。彼女は公判を前に自らの罪を告白し、判決は絞首刑と決したが――三カ月後、内務大臣の許へ届いた一枚の写真がすべてをくつがえした。そこには彼女の犯行を不可能たらしめる重要な鍵が写っていたのだ! 彼女は無実なのか? ではなぜ自白を? 死刑は12日後に迫っている。警視総監の命をうけたクリップ部長刑事は極秘の捜査を開始するが……英国推理作家協会賞シルヴァー・ダガー受賞に輝く本格推理傑作。(粗筋紹介より引用)
 1978年、発表。1983年4月、邦訳単行本刊行。1986年7月、文庫化。

 デビュー作から続くクリップ部長刑事シリーズ。これがシリーズ最後の作品かな。タイトルのマダム・タッソーは、イギリスの蝋人形彫刻家が建てた「マダム・タッソー館」のこと。女性死刑囚の蝋人形が飾られており、本事件の死刑囚であるミリアムも蝋人形になる運命が待ち構えていた。原題は"WAXWORK"(蝋人形)。邦訳のタイトルのほうが洒落ている。
 死刑が絡んだタイムリミットサスペンスに、ヴィクトリア朝時代を背景とした本格ミステリ要素も加えた作品。道具立てだけ考えれば派手になってもおかしくないのに、地味な捜査が続くところがなんとも。それでも時代背景を考えた描写は読んでいて楽しいし、当時の時代が浮かび上がる筆致もお見事。写真師という職業の当時の立ち位置が興味深かった。絞首刑が当時の民衆の娯楽の一つであったことは知っていたが、マダム・タッソー館との関連性は初めて知り、面白かった。
 ことを穏便に済ませるための隠密捜査という点は地味であるし、登場人物が少ないこともあって意外性という点では今一つではあるものの、当時の時代背景を隠し味に使っているところはお見事。最後の描写がいいんだよな。時代ミステリとしての面白さを十分に堪能することができた。さすが、作者の代表作だけはある。




ドナルド・E・ウェストレイク『嘘じゃないんだ!』(ミステリアス・プレス文庫)

 もちろんサラだって、自分が入社したのがゴシップ新聞社なのは知っていた。けれど、彼女が目撃した他殺死体の話がボツにされ、かわりにポテトチップ・ダイエット法を取材させらえるとは――殺人なんてそっちのけ、イカレた業界でオカシな取材に東奔西走する女新米記者の活躍やいかに? 鬼才がそのエンターテイナーぶりを存分に発揮した超オモシロイ最新作。(粗筋紹介より引用)
 1988年、発表。1991年2月、邦訳刊行。

 久しぶりにウェストレイクの本を手に取った。それにしても、カバーと内容が全然一致しない。
 主人公のサラ・ジョスリンといい、上司のジャック・インガーソルといい、どっかぶっ飛んでいる。そりゃゴシップ紙とトンデモネタがメインテーマだから当然と言えば当然なんだが。それでもここまで暴走する、という展開が面白いんだが、ちょっと胃もたれしたかな。ドタバタというよりも悪乗りという表現のほうがあっているか。作者も好き放題やっているなあ、という印象を持った。
 内容はとんでもないけれど、生活描写がやけにリアルなのには笑えた。主人公なのにここまで突き放す作者というのも笑っちゃうというか。いや、本当、作者がやりたい放題。サラとジャックの関係性も変化も楽しいし。二人の暴走からの逆転劇を楽しみゃいいというのはわかるんだけどね。記事ごとに小分けした構成も連絡短編集ぽくって面白かったし。
 エンターテイメントに徹した作品という印象。作者、書いていて楽しかっただろうなあ。




小泉悦次『史論―力道山道場三羽烏』(辰巳出版)

 力道山が産み落とした3人の弟子が織りなす“冷戦時代の日・米・韓プロレス史”。馬場vs猪木vs大木の20年戦争「力道山の後継者」は誰だ?
 「アメリカマット界のレスリングウォー」、「極秘裏に行われた力道山の登韓」、「世界3大王座連続挑戦」、「ヒューストンの惨劇」、「最初の目玉くり抜きマッチ」、「日韓国交正常化」、「大熊元司リンチ事件」、「グレート東郷殴打事件」、「日本プロレスのクーデター未遂騒動」、「韓国大統領・朴正煕の暗殺」――複雑に絡み合う物語を紐解きながら、隠された史実を読み解く。(帯より引用)
 『Gスピリッツ』に連載された「ショーヘイ・ババのアメリカ武者修行」「キンタロウ・オオキのアメリカ武者修行」「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」を大幅に加筆修正し、新たな書下ろしを加え、2020年6月刊行。

 「力道山道場三羽烏」と称されたのはジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎の3人である。ちなみにデビューは、大木が1959年9月4日(樋口寛治に負け)、馬場と猪木が1960年9月30日である(馬場は田中米太郎に勝ち、猪木は大木に負け)。最も三羽烏と呼ばれるようになったのは後年の話らしい。1960年時点で馬場は22歳、猪木は19歳、大木は27歳(サバを読んでいて、実際は30歳)だった。
 日本プロレスの頃は様々な証言がなされ、出版物も多いが、当時は記録が完全ではなかったこともあり、また記憶違いなどもあって不完全な部分も多い。当時の日本プロレスは暴力団が絡んでいた(これは当時の芸能界なども同じ)こともあり、表に出せない部分も多かったと思われる。記憶違いや自分に都合の良い発言もあるため、食い違っている部分も多い。作者は丹念に記録を追い、プロレス史の実像に迫っている。
 海外にもプロレスマニアがいて、様々な記録を保管、公開しているのは知っているが、それにしても馬場、猪木、大木のアメリカ武者修行時代の全試合記録を負うのは相当なことだっただろう。また韓国時代の大木のプロレスの記録を追うのも大変だったと思われる。特に韓国は朴正煕大統領時代であり、政権にとって都合の悪い部分など簡単に消されていた時代だ。まずその労力に拍手を送りたいし、辻褄の合わないデータの取捨選択の確かさに感嘆するばかりである。
 馬場の世界三大タイトル挑戦の「真相」、意外と活躍していた渡米時代の猪木など、アメリカレスリングウォーや日本プロレスとの絡み方が、知らなかった一面を見せてくれた。
 特に本書は、馬場と猪木の下に着くしかなかった大木金太郎の悲劇と密接につながっている。早期帰国やヒューストンの惨劇(ルー・テーズにセメントを挑んで返り討ち)、日韓国交正常化など、力道山になりたくて、とうとうなれなかった大木金太郎と時代の移り変わりの絡み方が泣けてくる。この本ではほとんど触れられていないが、猪木と馬場が去り、ようやく日本プロレスのトップになったと思ったら人気が急落してあっという間につぶれたという残酷さと、大木の時代の読めなさが悲しい。もちろんこういう事態になったのも、大木自身に原因があるのだが。もし力道山が生きていたら、大木は韓国で力道山の名をついてでいただろうか。それとも日本でトップを取っていただろうか。
 プロレスが政治や世間と密接につながっていたことを示すデータになっていることも興味深い。日米間のプロレス史を知るうえで、貴重な一冊だろう。それにしてもプロレスは、いつの時代でも語るものがあって、そして現代につながっていることが実に興味深い。




越中詩郎・小林邦昭・木村健悟・ザ・グレート・カブキ・青柳政司・齋藤彰俊・AKIRA『平成維震軍 「覇」道に生きた男たち』(辰巳出版)

 誠心会館との抗争、選手会vs犯選手会同盟、WARとの対抗戦、頓挫した2部リーグ構想、そして、現場監督・長州力と俺たちの関係…“本隊”とは真逆の視点から90年代の新日本プロレスを紐解く。(帯より引用)
 2020年1月、刊行。

 武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の「闘魂三銃士」、さらに佐々木健介や馳浩が出てきて、新日本プロレスの中心に躍り出て、長州力や藤波辰巳、ビッグバン・ベイダーなどと激闘を繰り広げる1990年代前半。旧世代と三銃士世代の間に挟まれて燻っていた中堅レスラーたち。しかしそんな彼らが、団体から見たら全くのアクシデントともいえる誠心会館との抗争から表舞台に出てきて、一大ムーブメントとなる。それが平成維震群。メンバーを見れば、かつてはメインに出ながらも、その頃は中堅と呼ばれて第三試合あたりで言い方が悪いがお茶を濁さざるを得なかったレスラーが多い。しかし昭和を生きたレスラーたちは、簡単には引き下がらなかった。隙があればトップに出ようとし、チャンスは見逃さない。小林邦明と齋藤彰俊の一騎打ちは、あまりにも殺伐としていて興奮したものだ。今の新日本プロレスはスポーツライクになったが、当時は創設者アントニオ猪木のころからの殺伐した雰囲気も時に求められていた。
 そんな時代を駆け抜けた男たちの証言がここにある。小林・斎藤・越中・青柳・木村・カブキ・AKIRAの順に書かれ、当時のことを証言している。考えてみると、最初から最後まで通して活躍したメンバーがいないことに驚く。リーダーだった越中にしても、途中長期欠場している。1990年代後半になると初期の輝きも薄れ、存在価値が見いだせなくなっているところもあるが、1992年の半選手会同盟から1999年の解散までの7年間、これだけ長期のユニットが活躍したのは、新日本プロレスでは初めてといっていいだろう。今でも「マスターズ」でその雄姿を見ることができるのが凄い。ファンたちにも忘れられないユニットなのだと思う。
 中身を読むと、当時の臨場感が伝わってくる。WINGでメインを張っていたとはいえ、プロレスラーのキャリアはほとんどない齋藤彰俊の緊張感が凄い。また生き馬の目を抜く様な当時の新日本で、戦いを求めてチャンスを逃さない小林邦昭はさすがとしか言いようがない。小林から見たら、新日本と全日本のレスラーの違いも興味深い。受けが最初の全日本と、攻めが最初の新日本の違いがよく出てきている。越中・小林と、本体のメンバーが対立したのがガチだった部分も、今読むと改めて感慨深い。若いレスラーたちから見たら、やっとメインで戦えるようになったのに、燻っていた面々がしゃしゃり出てきて、という印象なのだろう。また、特に小林が現場監督の長州力と深い関係にあったことから、選手会と経営者サイドとの疑心暗鬼な部分が興味深い。WARとの対抗戦の裏話も興味深い。また、長州力という男のレスラーを守ろうとする姿は心打たれる。色々言われたこともあったが、自分の団体のレスラーだけは守ろうとする姿は本当に美しい。
 カブキがプロレス生活で最も楽しかった、というのもわかる気がする。言い方は悪いが、メインは張れてもスターにはなれない職人レスラーと不器用なレスラーが集まったからこそ、ファンの支持を受けたのだろう。齋藤彰俊なんて、もっと表に出してもよかったと思うけれどね。当時はスターになれる面構えをしていた。
 メンバーの中で、後藤達俊と小原道由が執筆陣に加わっていない。小原は一般人となったからだろうが、後藤の名前がないのは残念だ。後藤は今は行方不明で、プロレスラー仲間でさえも連絡がつけられない状況らしい。
 1990年代の黄金期の新日本の、闘魂三銃士たちとは違うもう一つの新日本プロレスを証言する貴重な一冊。できれば経営サイドからの証言も欲しかったが、それはいずれ書かれるだろう。




ジャン=クリストフ・グランジェ『クリムゾン・リバー』(創元推理文庫)

 山間の大学町周辺で次々に発見される惨殺死体。拷問され、両眼をえぐられ、あるいは両手を切断され……。別の町でその頃、謎の墓荒らしがあった。前後して小学校に入った賊は何を盗み出したのか? まるで無関係に見える二つの町の事件を担当するのが、司法警察の花形と、自動車泥棒で学費を稼ぎ警察学校を出た裏街道に精通する若き警部。なぜ大学関係者が不可解な殺人事件に巻き込まれたのか? 埋葬されていた少年はなぜ死んでからも何者かに追われているのか? 「我らは緋色の川(クリムゾン・リバー)を制す」というメッセージの意味は? 二人の捜査がすべての謎をひとつに結び合わせる。フランス・ミステリ界を震撼させた大型新人登場!(粗筋紹介より引用)
 1998年、フランスで刊行。2001年1月、邦訳刊行。

 ジャン=クリストフ・グランジェの第二作。フランスで数か月にわたりベストセラーの上位を占める。書評誌の「リール」とラジオ・テレ・リュクサンブールが主催し、百人の読者審査員によって選ばれるRTL-Lire文学賞受賞。、2000年にマチュー・カソヴィッツ監督で映画化され、大ヒットした。2001年に公開されたとのことだが、まったく記憶がない。
 主人公は二人の警察官。一人はフランス司法警察組織犯罪対策班の元花形刑事、ピエール・ニエマンス警視正。犯人をあぶりだす能力には長けているが、激昂すると度を越した暴力を振るう癖があり、第一線からは外れている。実際本書でも、サッカーに興奮したフーリガンを叩きのめして重体という状態である。もう一人はパリ郊外の町ナンテールの孤児院で育ったアラブ人二世のカリム・アブドゥツ警部。自動車泥棒で大学を出て警察学校を優秀な成績で卒業するも、上層部に逆らって田舎に飛ばされた状態。一筋縄ではいかない二人の警察官が、別々の方向から事件にアプローチし、二人が出会ったときに、全ての謎が一つに集約され、恐ろしい真相があぶり出される。
 フランスミステリらしいしゃれた部分(そういう印象なんですよ、私にとって)は感じられないが、フランスミステリらしいノワールな雰囲気は十分。事件自体も暗いものだが、主人公をはじめとして出てくる登場人物も影を背負っている人たちばかり。それも尋常じゃない闇を背負っているし。暗い闇の奥底に流れる歪んだ情念が恐ろしい。
 そこそこの長さはあるが、謎が謎を呼ぶ展開は読者を飽きさせない。この謎がどう結びつくのだろうという興味もある。特にクライマックスへの展開は恐ろしく哀しく、そして引き付けられる。こんなの、よく考えつくなと思った。描き方を間違えると、痛いものになってしまうのだが、筆がそれを許さない。
 描写がちょっと残虐なのは苦手なのでしんどかったが、読んでいて面白かった。映画化されたのもわかる。




戸田義長『雪旅籠』(創元推理文庫)

 江戸時代末期、北町奉行所定町廻り同心の戸田惣左衛門は、若かりし日より悪人の捕縛や吟味に辣腕を振るい、『八丁堀の鷹』と謳われてきた。妻に先立たれ、園芸と囲碁を趣味する惣左衛門と、やり手の父親を持ちながらどうにも気弱な息子清之介。対象的な同心親子が、時代に翻弄されながらも、遭遇した謎に真摯に対峙する。大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変を題材にした「逃げ水」、雪に閉ざされた旅籠での殺人事件の謎を描く表題作「雪旅籠」など全八編。惣左衛門親子に加え、惣左衛門の後添えとなる花魁お糸の推理もますます冴え渡る。時代ミステリ『恋牡丹』姉妹編、登場。(粗筋紹介より引用)
 『WEBミステリーズ』に掲載された「神隠し」、書き下ろし七編の計八編の短編集。2020年7月、刊行。

 大工の豊吉が毎晩外へ出かける。気になった娘が後をつけると、おしまという夜鷹に逢っているよう。寝言でおしまやおしげという名前が出てくる。豊吉は二十日ほど前、路上でおしげという夜鷹に襲われ、危ういところで難を逃れていた。「埋み火」。二人の悲しい過去が涙を誘う人情物。
 桜田門外の変時、井伊直弼の駕籠に銃弾の跡がなかった。直弼に短銃を撃つことができたのは、馬廻りで駕籠のすぐ側を歩いていた今村右馬助しかいない。目付にそう決めつけられ、右馬助の姉である美輪は、右馬助が親しく交わっていた惣左衛門に助けを求めた。「逃げ水」。不可能状況下の犯罪の謎解きだが、ものすごい肩透かし。何も実在の事件を出さなくてもと思う。
 越前屋の新右衛門が節分の舞台の跡片付け中に姿を消した。出入口は妻のおたきがずっと見ていたので、まるで神隠しにあったようだった。「神隠し」。これまた謎が解き明かされるとがっかりしますが、本題は別。夫婦の形に惣左衛門が悩む。
 かつての夜盗一味の一人で、5年前に惣左衛門が捕まえ島流しになったおもんが島抜けをした。垂れ込みに書かれた出会茶屋で惣左衛門は張っていると、確かにおもんはいた。茶屋を出たおもんは駒込の仕舞屋に入る。そこは夜盗の長であった巳之助が借りていた。5年前は口を割らずに放免となったが、今度はそうはいかない。惣左衛門は見張っていたが、突如男の悲鳴が。中に入ると、血だらけで巳之助は死ぬ直前だった。しかし中には誰もいないし、見張っていた部下はだれも出ていないという。おもんはどこに消えたのか。「島抜け」。本作品集で一番本格ミステリ度が高い作品。真相はわかりやすいけれど。囲碁が事件の謎を解くヒントになっているのは嬉しい。
 正月、惣左衛門はお糸の元を訪れた。隣の寮に住む錦屋の売れっ子花魁、浮舟は3か月前、元御家人で馴染み客の小島太一郎に無理心中を図られ、重傷を負った。小島は重追放となったが、同じく馴染みである三千石の旗本の嫡男である加藤篤之丞は他にも熱心な馴染み客が浮舟に心中を迫らないかを心配し、寮の門前で手下と一緒に見張っていた。すると寮から浮舟を呼ぶ男の声。少ししたら女の悲鳴が聞こえてきた。惣左衛門が縁側から覗くと、部屋の中が血まみれ。慌てて惣左衛門が表に駆け付けると、玄関から門に向かって雪の上に足跡が残っている。だが門前にいた加藤たちは、人など通っていないという。しかし中に浮舟はいなかった。他にいたのは下女と寮番の老人だけ。他の入り口は閂がかかっていた。そして浮舟は近くの地蔵堂で死んでいた。犯行が行えたのは加藤たちしかいないが、返り血など見当たらなかったので違う。「出養生」。お糸の安楽椅子探偵ぶりが楽しめる一編。ただ、某有名トリックが見え見え。まあ、時代錯誤ぶりを浮き上がらせるための処置なんだろうが。
 先輩同心の岩崎と一緒に内藤新宿にて下手人安蔵を捕まえた清之介。帰る途中、かつて商売のいざこざでイギリス人に刺された小間物商の兼八と出会う。大雪と成り行きで兼八と一緒に旅籠の離れで泊まることとなった清之介。深酒で二日酔いの清之介は旅籠の主人が屋外から呼ぶ声で目覚める。起きてこない兼八の部屋のふすまを開けると、兼八が刺されて死んでいた。離れは戸締りをしてあり、周りは旅籠の主人の足跡しかない。旅籠の主人は兼八が叫び声をあげているのを聞いていて、それは雪がやんだ後だった。出入り口には内側から心張棒がしてある。旅籠には兼八を敵と狙う男と女はいたが、犯行は不可能。これでは犯人は清之介しかいない。自宅謹慎中の清之介は、お糸に助けを求める。「雪旅籠」。これまた不可能犯罪もの。某有名トリックを丸々使っているが、ちょっと特殊なネタを使っており、これを推理だけで解くのは難しいだろう。
 博打で負けた地回りの青吉が難癖をつけて壺振りなどを殺害して金子を奪い、逃走。目黒の高台の廃寺にいるとの情報が入った。管轄である寺社奉行方が向かうため、清之介と老同心の西村が境内の外で後詰をすることとなった。清之介は女坂、西村は男坂の入り口で見張りをしていた。寺社方が廃寺に踏み込むも、青吉は逃走。清之介は構えていたが、誰も来ないので加勢に行こうと男坂のほうへ向かうが、西村はだれも来ていないという。そして天狗に拐かされるという伝説を持つ天狗松に、青吉の手ぬぐいがかかっていた。青吉はどこへ消えたのか。「天狗松」。犯人消失もの。これまたお糸の安楽椅子探偵ぶりが楽しめる。消失の謎はすぐに解けるだろうが、その背後にある真相はあまりにも切ない。
 岡崎藩で歩行目付を務める佐川慎之助は、明治維新後に移り住んだ戸田惣左衛門と碁会所で仲が良くなる。維新時の藩内のごたごたの尻拭いで、大納戸役の長尾半兵衛が詰め腹を切らされることとなった。家老たちの計らいで、切腹の前日に家にいた半兵衛は、夜中に裏庭で刀で切られて死んでいた。妻と息子は、こそ泥が入ってきて立ち向かった半兵衛が返り討ちにあったという。しかし二人の証言に首をひねった慎之助は、惣左衛門に相談する。「夕間暮」。事件を見破るヒントは見え見えなものの、明日(というかもう今日)に切腹を迎える男がなぜ殺されたのか。その動機があまりにも哀しい。

 処女作『恋牡丹』の続編。前作では時の流れが速すぎるという感想を書いたのだが、他にも同意見があったようで、作者が後書きで「本作の八つの短編は『恋牡丹』の四つの短編のいわば間隙を埋めるような位置づけにあります」と書いている。
 前作と同じような厚さで、収録作品は倍になっているのだから、一編あたりの描写が薄くなっているのは仕方のないところ。もう少し書き込んで、謎解きに徹すればよかったと思うのだが、それは作者の望む意図ではなかったのだろう。
 前半の短編は、男と女の愛の形、夫婦の形について惣左衛門が悩む展開。後半は清之介がお糸にひそかな恋慕を抱くところと、武士の時代の終わりの断末魔みたいな一面を見せた展開が続く。こちらももっと書き込めば読みごたえのある作品に仕上がったと思うのだが。いずれもあっさりと書きすぎて、流してしまった仕上がりになっているのが残念である。
 希望通りの続編を書いてくれたことには満足。惣左衛門、清之介、お糸というキャラクターは悪くない。だからこそ、もう少し活躍を読んでみたかった気がする。一冊にするのではなく、もう少し書き込めばミステリとしても時代小説としても読み応えのある作品に仕上がる可能性があったかと思うと、非常に残念である。それなりに面白かったし、軽く読み流すにはいいかもしれないが。



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