市川憂人『揺籠のアディポクル』(講談社)
半人形――それがコノハの最初の印象だ。隻腕義手の痩せた少女が、タケルのただひとりの同居人だった。医師の柳や看護師の若林とともに、病原体に弱い二人を守るはずだった無菌病棟、通称《クレイドル》。しかし、ある大嵐の日、《クレイドル》は貯水槽に通路を寸断され、外界から隔絶される。不安と焦燥を胸に、二人は眠りに就き、――そして翌日、コノハはメスを胸に突き立てられ、死んでいた。外気にすら触れられない彼女を、誰が殺した?(帯より引用)
2020年10月、書き下ろし刊行。
二人きりしかいない無菌病棟で少年と少女は出会った。淡い恋は、メスで刺された少女の死体で終わりを告げた。アディポクル、adipocereは死蝋を意味する。
うーん、なんとも感想が書きづらい話。序盤は悪くないんだけどね。病気の二人が互いに淡い思いを抱くという展開は、王道であるけれど、面白い。特に無菌病棟で二人きりしかいない、という状況は色々と期待したいんだけど、コノハが死んでからは予想を上回る展開。ただそれが、かえって物語をつまらなくしているのが残念。
作者が作者だから、本格ミステリを期待したのだが、これだけははっきり言うけれど、本格ミステリじゃない。うーん、一応は本格ミステリか。謎解きと推理と解決はあるから。ただ、読者の期待した方向ではない。そして、読者が望んだ方向でもないはず。「読者」と書くのは大げさすぎるか。私はこういうのを望んではいなかった。予想の斜め上を行って、しかもそれを知った瞬間にここまでがっかりするというのも珍しい。頑張って舞台を作って、色々と調べているんだろうなとは思うのだが。それでもあまりにも作り物めいていて、世界を楽しむこともできないが。
本格ミステリだと思わないで読んだら、少しは感想が違ったかもしれない。それが結論かな。感動系の物語にすべきだったんじゃないの。
ドナルド・E・ウエストレイク『ホット・ロック』(角川文庫)
長い刑期を終えて出所したばかりの盗みの天才ドートマンダーに、とてつもない仕事が舞い込んだ。それはアフリカの某国の国連大使の依頼で、コロシアムに展示されている大エメラルドを盗み出すというもの。報酬は15万ドル。彼は4人の仲間を使って、意表をつく数々の犯罪アイディアを練るが……。不運な泥棒ドートマンダーの奇怪で珍妙なスラプスティック・ミステリー。(粗筋紹介より引用)
1970年5月、アメリカで発表。ドートマンダーシリーズ第1作。1972年6月、邦訳刊行。1998年9月、新版刊行。
天才的犯罪プランナー。盗み専門の職人肌の男。イリノイ州生まれで孤児院育ちの37歳、ジョン・アーチボルド・ドートマンダー。二度目の刑務所暮らしが仮釈放になったばかり。そんなドートマンダーと義理のいとこで相棒のケルプは、アフリカの小国タラヴウォの国連大使に依頼され、イギリスからの独立の際に二つに分かれた相手の国に渡ったエメラルドを盗み出すことになる。成功報酬は1人3万ドル×5人で15万ドル。他に生活費として1人当たり週150ドル。他に3人の仲間を引き入れ、無事にエメラルドを盗み出したまではよかったが、予定外のことが続き、その都度犯罪計画を立てる羽目になる。
元々は悪党パーカーシリーズの新作を練っているときに生まれたがパーカーには似合わないと没にしたが、捨てるには惜しいアイディアとして新たに誕生したのがドートマンダー。『ルパン三世』を彷彿させる、奇想天外な犯行手段の数々(すみませんねえ、好きなもので)。どんどんエスカレートしていく犯罪が笑える。ドートマンダーを始めとする登場人物たちのやり取りも面白い。なんか最後のほうはもうやけくそみたいな感じが最高。
そんなことないだろう、などと思いながら何も考えずに笑えばいい作品。エンターテイメントに徹すると、本当に面白いな。いざとなると何でもやってしまうのが、アメリカの作家らしい(これって偏見か?)
矢作俊彦『ららら科學の子』(文春文庫)
男は殺人未遂に問われ、中国に密航した。文化大革命、下放をへて帰還した「彼」は30年ぶりの日本に何を見たのか。携帯電話に戸惑い、不思議な女子高生に付きまとわれ、変貌した街並をひたすら彷徨する。1968年の『今』から未来世紀の東京へ――。30年の時を超え50歳の少年は二本の足で飛翔する。覚醒の時が訪れるのを信じて。(粗筋紹介より引用)
『文學界』連載。2003年9月、文藝春秋より単行本刊行。2004年、第17回三島由紀夫賞受賞。2006年10月、文庫化。
1968年、大学生だった男は学生運動に加わり、学生会館の非常階段を上がってきたところに金庫を落とした殺人未遂の罪で指名手配され、そのまま誘われて中国に渡る。南の比較的温暖な土地へ送られ、農家として生きる。結婚し、そして妻が働きに出ていったまま帰らず、男は蛇頭と接触して30年ぶりに日本に帰り、全共闘時代の友人の世話になる。
浦島太郎が現代にいたら、みたいな感じの話だが、どちらかといえば刑務所に長くつながれていた人物が釈放されたら全然違っていたというイメージの方が強い。当時の日本はこうだった、といったノスタルジーと家族への想い、そして彼が中国で過ごしてきた生活が交差して、非常に読みづらい。
ちょっと変わった少女がまとわりついたり、行方のしれない妹探しといったアクセントはあるものの、自分の心の中での試行錯誤の繰り返しで、なんとももどかしい。何しに日本に戻ってきたんだ、と突っ込みたくなるのだが、30年ぶりだとそんなものなのかもしれない。
表題はもちろん『鉄腕アトム』のアニメ主題歌だが、主人公は人類のために太陽に飛び込むというアニメのラストが気に入らない。何だかなあという感じなんだが。
もっと短くてもいいんじゃない、というのが正直なところ。読んでいてじれったいだけ。
佐野洋『七色の密室』(文春文庫)
鍵の掛ったホテルの一室で、男が殺されていた。謎を追う刑事は、奇妙な話を聞く。以前ある女優が同じ部屋に泊った時、朝になるとどこからか、猫が一匹入り込んでいたという……。青、紫、赤、緑、紺、黄、白の七色の密室で起きた不思議な事件と意外な結末――。推理小説の巨匠が趣向を凝らした傑作短篇連作。(粗筋紹介より引用)
『週刊小説』(実業之日本社)1976年4月12,19合併号から12月27日号の間に発表。1977年5月、実業之日本社より単行本刊行。1980年5月、文春文庫化。
曲野温泉のホテル青海館で、中央日報の地方部長が殺害された。評判の悪い部長で動機はあるが、カギは部屋の中にある密室だった。この部屋では四年前、有名女優が鍵をかけて寝ていたのに、翌朝猫が入ってきたと大騒ぎしたことがあった。「青の断章」。トリックは単純だが、それを成立させる物語の見せ方が面白い。
新聞社に勤める田代靖子は、5年付き合っていた挿絵画家の山名孝夫を殺害し、部屋に鍵を残して密室にする。こうすれば鍵を持っている今の彼女が痴話喧嘩で彼を殺したと思うだろう。ところが山名の妹から、金を出してくれるパトロンに浮気がばれそうなのを隠すため、靖子の部屋へ遊び行っていたことにしてほしいというアリバイ工作を頼まれる。「紫の情熱」。これも既存の密室トリックを使っているが、倒叙ものにすることで読める短編に仕上がっている腕はさすが。
昨夜南青山のマンションでホステスが殺害された。死体を発見したのは彼女のパトロン。パトロンは浮気監視のためのカメラを入口にこっそり仕掛けていた。その日に出入りしていた人物は無関係。そして隣の部屋に住む評論家の早坂はホステスと関係があった。早坂は無実を説明するため、松原署の田部に事情を説明する。「赤の監視」。意外な形の密室だが、はっきり言えば警察側のミスだろう。こんな単純なことを調べない方がおかしい。そうすればトリックは簡単にわかったはずだ。
ホステスの島内多美子は、マンションの自室でもぐりの麻雀屋をしている。客は以前彼女が勤めていた会社の社員とその紹介。その日、仕事が終わって帰ってきたが、部屋に鍵がかかっていて、隠し場所にもない。管理人に頼んで部屋を開けてもらおうと、麻雀をしていた四人がビールに入っていた青酸カリを飲まされて死亡していた。「緑の幻想」。これはトリックとして成立しない、なんて記事をどこかで見たことがあったような気もするが、どうなんだろう。佐野洋は基本的に実現不可能なトリックは使わない主義だし。ちょっとした手掛かりを基に事件が解決されていく流れは面白かった。タイトルはかなり強引だが。
ある夫婦の離婚請求の裁判に証人として出廷した元刑事で私立探偵の私は、不貞を働いた妻側の弁護人から、ある事件について追及される。それは尾行していた男がある部屋に入って痴漢行為をしたというのだが、私が部屋を見張っていたのに男はいつの間にか消えていたのだ。「紺の反逆」。弁護士、ここまでやるか、と思わせる。消失トリックより、そちらの方が気になった。
ラブホテルで週刊誌の記者が殺害された。ホテルの支配人兼守衛は元警察官だった。彼は、これは密室殺人事件ではないかと、かつての上司である係長に訴える。男が呼んだと思われる、一人で来た女性は一人もいなかったからだ。「黄の誘惑」。トリックというほどのトリックはなく、密室というのはかなり苦しい。これもちょっとした手掛かりの発見から事件の真相に近づいていく展開が楽しい。
二日前、新米医師の所田が勤める病院の病室で患者が死亡し、発見したのが所田と看護婦の矢部則子だった。部屋に鍵がかかっていたため所田は自殺だと思っていたが、則子から、看護婦の津田久美子が患者から二百万円遺贈されることを聞かされる。そして久美子は、死亡推定時刻に夜の見回りをしていて、その時患者はいびきをかいて寝ていたと証言していた。「白の苦悩」。こちらもトリックは大したことはないが、隠された動機が物語に面白さを与えている。
佐野洋といえば短編の名手。そして意外にも数多くのトリックを案出している。本作品集も、そんな彼の名人芸を楽しめる一冊とはなっている。逆に言うと職人芸過ぎて、作者の情熱というか思い入れが感じられず、読み終わったらはいおしまい、という印象も与えている。もちろん作者はそういうつもりで書いてきたのだろうから、何ら問題はないはずなのだが、退屈を紛らわせてちょっと満足してそれまで、という読後感になりやすい。これで密室トリックがもっと複雑なものだったら、もう少し与える印象は違っていたのかもしれない。作者の意図する方向ではないことを承知の上で言っている。
単純なトリックでも物語がしっかりしていればミステリとして成立する。そんなことを教えてくれる一冊ではある。新人がこんな作品を書いたととしたら、つまらないと言われそうだが。
周浩暉『死亡通知書 暗黒者』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
2002年、省都A市でひとりのベテラン刑事が命を落とし、復讐の女神の名を冠す謎の人物〈エウメニデス〉による処刑の序曲は奏でられた。ネットで死すべき人物の名を募り、遊戯のごとく予告殺人を繰り返す〈エウメニデス〉から挑戦を受けた刑事の羅飛(ルオ・フェイ)は、省都警察に結成された専従班とともに、さらなる犯行を食い止めるべく奔走する。それは羅飛自身の過去――18年前の警察学校生爆殺事件の底知れぬ暗黒と相対することでもあった……。中国で圧倒的な人気を誇り、英米で激賞された華文ミステリ最高峰のシリーズ第1弾。(粗筋紹介より引用)
2009年、国際文化出版公司から『死亡通知書』のタイトルで刊行(あとがきの最初だと2008年になっているけれど、どっちが正解だろう? それとも中国ではなく別のところで出版されたのかな?)。2014年、ネットドラマ化に合わせ『死亡通知書:暗黒者』と改題して北京時代華文書局より刊行。2020年8月、邦訳刊行。
作者の周浩暉は1977年生まれ。精華大学修士。会社員や大学教員として働きながらインターネットや雑誌上で小説を発表し、2005年に『凶画』で単行本デビュー。本書の主人公羅飛(ルオ・フェイ)はこの作品から登場する。2009年から出版された本書をはじめとする〈エウメニデス〉との死闘を書いた「死亡通知書」三部作が大ヒットし、2018年に英訳版、2019年に仏語訳版が出版された。
ということで、初めて読む華文ミステリ。推理小説は民主主義の発達した国でのみ書かれる、なんて言った人がいたな、昔。不可能と思われる状況下での予告殺人を繰り返すエウメニデス(ギリシア神話に出てくる慈愛の女神たち)と省都警察との死闘が描かれる。龍州市公安局刑事隊長である羅飛は、個人的な用事で会いに来た省都A市の公安局刑事である鄭?明の死体を発見する。会いに来た理由は、羅飛が18年前の警察学校時代に遭遇した事件に関してだった。エウメニデス専従班が組まれ、羅飛が参加するも、エウメニデスは悪事を犯しながらも捕まらない者へネット上で殺人予告を行い、警察をあざ笑いながら殺人を繰り返す。
ここまで鮮やかに行くものかと思いながらも厳重な警戒態勢の中で予告殺人が繰り返される。さらに犯人たちとの追いつ追われつの死闘が加わる。羅飛の過去も絡み、いったい誰が本当の味方なのかわからない状況で、専従班は犯人を追い続ける。犯人を追いかける専従班の面々も癖のある人物ばかりで、彼らのやり取りも非常に面白い。中国の土地勘がなく、さらに人物名や役職を覚えるのに手間取り、背景が掴み切れない部分があったのは残念だが、それでもいかにして不可能犯罪を行うか、そして誰が犯人かという謎解き要素も加わり、サスペンスも加味された警察小説として非常に面白い。読み始めたら一気読み必死(名前や地名がこんがらがってくるので、一気読みした方がベストということもある)。映像化されたときは映えただろうなあ。
羅飛が登場していた過去の三作品を読んでいれば、もう少し思い入れが違ってきたのかな。その点はちょっと残念かも。不満といえばそんなところぐらいか。とにかく面白かった。傑作。これは早く続編が読みたい。
坂上泉『インビジブル』(文藝春秋)
昭和29年、大阪城付近で政治家秘書が頭を麻袋で覆われた刺殺体となって見つかる。大阪市警視庁が騒然とするなか、若手の新城は初めての殺人事件捜査に意気込むが、上層部の思惑により国警から派遣された警察官僚の守屋と組むはめに。帝大卒のエリートなのに聞き込みもできない守屋に、中卒叩き上げの新城は厄介者を押し付けられたと苛立ちを募らせるが――。はぐれ者バディVS猟奇殺人犯、戦後大阪の「闇」を圧倒的リアリティで描き切る傑作長篇。(帯より引用)
2020年8月、書き下ろし刊行。
本屋で見て一目ぼれした一冊。初めてみる作家だが、2019年の松本清張賞受賞作家。そういえば『へぼ侍』って本屋で見かけた記憶がある。
昭和24年の新警察法で、人口5千人以上の市町村が運営する自治体警察、通称「自治警」と、財力のない零細町村部を所管する国家地方警察、通称「国警」に再編された。大阪市警視庁も「自治警」の一つで、民主警察の象徴とされた代表格。しかし昭和29年、警察庁が全国都道府県警察を統括する改正案が国会に提出されていた。そんな時期の大阪市警視庁が舞台。
主人公は中卒で、東警察署の刑事課に4月に異動したばかりの最年少、新城洋。新城が組む相手は、帝大卒で国警大阪府本部警備部二課の守屋恒成警部補。方や中卒で警察4年目、方や帝大卒エリートで捜査は初めて。たたき上げとエリートがぶつかり合いながら捜査を進めていくというのは王道。相手の意見を聞くうちにいつの間にかお互いを認め合うようになるのも王道。エリートだが一本気な性格が捜査本部でも認められるようになるのも王道。言ってしまえばよくあるパターンなのだが、それでも面白いのは王道に忠実なことに加え、連続殺人事件の謎と捜査が面白いこと。麻袋を顔に被せさせれた死体が続けて発見されれば、背景に何があるのか気になるところ、各章の冒頭で犯罪に手を染める理由らしきことが匂わせられているし、その背景もすぐにピンと来るものなのだが、それでも少しずつ事件の全様が明らかになってくる展開は、これまた王道なれど面白い。
他の登場人物もよく描けている。特に新城の姉の冬子、本庁一課強行犯二班長の古市、同じく五班長の西村などは魅力的だ。また当時の大阪の街や人たちも目に浮かび上がるようだ。
この小説の凄いところは、新城たちが関わるエピソードのすべてが事件解決までつながっているところ。戦争の傷跡、時代に翻弄される人々、それでもたくましく生きる人々。そして傷つき打ちひしがれる人々。当時の時代背景が、そして傷跡がさらけ出され、事件に深くかかわっていく。若い作者なのに、よくぞここまで調べ、違和感なく小説世界に織り込むことができたものだと感心してしまった。すべてを計算し、無駄なくエピソードを鏤め、主人公やそれ以外の魅力的な登場人物たちを浮き彫りにしつつ、戦争の傷跡が残した連続殺人事件の謎をよくぞ書けたものだ。
警察小説の定型的なフォルムでも、時代背景と登場人物と事件の謎をしっかり書き込めば、これだけ面白くなるのだと、改めて筆の力はすごいと感じた。これは傑作。警察小説に新たな一ページが加わったと思う。問題は、シリーズ化できるのかといったところぐらいだろうか。新城たちにはもう一回会ってみたいものだが。作者の清張賞受賞作も読んでみたくなった。新刊が楽しみな作者が、また一人増えた。
スティーヴン・キング『シャイニング』上下(文春文庫)
《景観荘(オーバールック)》ホテルはコロラド山中にあり、世界で最も美しいたたずまいをもつリゾート・ホテルのひとつだが、冬季には零下25度の酷寒と積雪に閉ざされ、外界から完全に隔離される。そのホテルに一冬の管理人として住みこんだ、作家とその妻と5歳の少年。が、そこには、ひそかに爪をとぐ何かがいて、そのときを待ち受けるのだ!(上巻粗筋より引用)
すずめばちは何を予告する使者だったのか? 鏡の中に青火で燃えるREDRUMの文字の意味は?……小止みなく襲いかかる怪異の中で狂気の淵へ向かう父親と、もうひとつの世界へ行き来する少年、恐怖と憎しみが恐るべき惨劇へとのぼりつめ、そのあとに訪れる浄化――恐怖小説の第一人者による《幽霊屋敷》テーマの金字塔傑作。(下巻粗筋紹介より引用)
キングの第三長編。1977年、アメリカで発表。1978年3月、パシフィカより上下巻で邦訳単行本刊行。絶版になり、加筆修正のうえ、1986年11月、文春文庫化。
モダン・ホラーの第一人者であるキングの代表作の一つ。1980年、スタンリー・キューブリックが映画化して大ヒットしている(映画は全く見ていない。小説と映画で中身はだいぶ違うらしいが)。
主人公のジャック・トランスは元アル中で、教師を辞めたのも生徒に暴力を振るったからである。妻のウェンディは時々、ジャックが息子のダニエルに暴力を振るったことを持ち出す。そしてダニエル(ダニー)は未来を見る力や心を読みとったり送ったりできる「かがやき」と呼ばれる超能力を持っていが、両親には内緒にしている。
いわゆる幽霊屋敷ものであるが、ジャックの過去やダニーの力がプラスアルファされ、単純な幽霊屋敷ものとは違った形となっている。上巻の徐々にジャックが侵されていく描写は非常にうまいと思うし、下巻における屋敷の恐怖やジャックの狂気、さらにウェンディやダニーの必死の抵抗などのサスペンスな展開もよかったと思う。
ただね、根本的に苦手なんだよな、ホラーって。もうこればかりは生理的なものらしく、物語の成り行きには確かに興味があるのだけれども、それでも面白いとは思えない。途中で何度嫌になったことか。一気読みしたけれどさ、気になったから。
ということで、これ以上の感想は無し。キングは読んでいない作品が多いので、もう少し頑張ってみようかとは思うけれど。体調の良い時に。
法月綸太郎『法月綸太郎の消息』(講談社)
ホームズ探偵譚の異色作「白面の兵士」と「ライオンのたてがみ」。この2作の裏に隠された、作者コナン・ドイルをめぐる意外なトラップを突き止める「白面のたてがみ」。
ポアロ最後の事件として名高い『カーテン』に仕組まれた、作者アガサ・クリスティーの入念な企みとは? 物語の背後(バックステージ)が息を呑むほど鮮やかに解読される「カーテンコール」。
父・法月警視が持ち出す不可解な謎を、息子・綸太郎が純粋な論理を駆使して真相に迫る、都筑道夫『退職刑事』シリーズの後継というべき2編「あべこべの遺書」「殺さぬ先の自首」。
スマートで知的で大胆不敵。本格ミステリの魅力に満ちた傑作作品集!(粗筋紹介より引用)
『メフィスト』2018~2019年に掲載された「殺さぬ先の自首」「カーテンコール」に、アンソロジー『7人の名探偵』に掲載された「あべこべの遺書」、書き下ろし「白面のたてがみ」を収録。加筆修正の上、2019年9月刊行。
シリーズ第一長編『雪密室』から30年目になる作品集。法月綸太郎(作中)の年齢がさっぱりわからないが、最初の短編集のころはさっさと結婚すればいいのに、なんて思っていたけれどな。この辺は、エラリー・クイーンと同じ道を歩むのか。
「白面のたてがみ」はドイルの異色作品2作の裏をめぐって推理する作品だが、肝心のドイル作品がまったく思い出せない。そのため、読んでいても全然面白くなかった。ドイルの過去は知らないこともあったのでちょっと楽しめたけれど。
「あべこべの遺書」「殺さぬ先の自首」は『退職刑事』シリーズよろしく、父親の法月警視の話を聞いただけで息子の綸太郎が謎を解く話。まあ『退職刑事』にそれほどの思い入れがないので、シリーズを意識したなんて言われてもどうでもいいのだが、淡々と話が進んで終わり、という印象しかない。二人が動かないと、物語に起伏が生じないんだよな。よっぽど謎が強くないと、枯れた作品という印象しか与えないから、隅の老人くらいキャラクターが強いと話は別だけど、よく考えてみると隅の老人って結構自分で手がかり探しに行っていたな。
「カーテンコール」は舞台化という名目で集まった登場人物たちによるクリスティ論を戦わせた作品。クリスティ作品への言及にネタバレがあるけれど、作品の性格上、仕方がない。『象は忘れない』は読んだことがないけれど、別にいいや。読むときには本作品の内容を忘れているだろうし。作品論を小説でやられてもなあ、というのが本音。
久しぶりの法月短編集だが、あまり楽しめなかったな。作者自身、探偵法月の扱いに苦労している気がする。
奥泉光『死神の棋譜』(新潮社)
――負けました。これをいうのは人生で何度目だろう。
将棋に魅入られ、頂点を目指し、深みへ潜ってしまった男。消えた棋士の行方を追って、北海道の廃坑から地下神殿の対局室までの旅が始まる。
芥川賞作家が描く傑作将棋エンタテインメント。(帯より引用)
『小説新潮』2019年2月号~2020年1月号連載。2020年8月、単行本刊行。
羽生善治名人に森内俊之九段が挑戦した第六九期名人戦第四局一日目の夜。三段リーグを突破できず、5年前に年齢制限で奨励会を退会した夏尾裕樹が、将棋会館の近くにある鳩森神社の将棋堂に刺さっていた弓矢に結ばれていた和紙に書かれていた詰将棋を会館に持ってきた。ただしその詰将棋は不詰めだった。コピーを棋士たちに見せ、オリジナルは夏尾が持って帰ったが、そのまま行方不明となる。そのコピーを見た元奨励会三段でライターの天谷敬太郎は、同じく元奨励会三段で観戦記者の北沢克弘に、22年前の退会の年に同じようなことがあったことを話す。その詰将棋を拾ったのは、三段リーグラス前の例会で、天谷と同門で17歳のホープだった十河樹生だった。十河はラス前で連敗し12勝4敗。天谷も連敗して11勝5敗となったが、他の昇段候補も敗れたため、最終日に連勝すれば自力で四段に、プロになることができた。そして三段リーグ最終日、一局目の相手は十河だったが、十河は現れず不戦勝。しかし逆にペースを崩した天谷は二局目に敗れ昇段できず、31歳の年齢制限で退会した。十河はそのまま退会した。1年半後、天谷は師匠佐治七段の同門である梁田八段より、昭和の初めのころに他の将棋団体に弓矢で挑戦状を送り付けた棋道会、別名魔道会の話を教えられる。手紙から十河が北海道空知郡にいることを知り、天谷が訪れると、そこはかつて棋道会を作った磐城家ならびに金剛龍神教の本拠である人がいなくなった鉱山町であった。天谷はそこで熱を出して十河に会えずに帰るが、熱の出した夜、天谷は十河に会って不詰めの詰将棋の解き方と、棋道会で修行している旨について話されたことを思い出す。
夏尾が失踪し、北沢は色々と尋ねまわる。そのことを聞きつけた、夏尾の妹弟子となる玖村麻里奈女流二段と一緒に酒を飲んでいた夏尾の行きつけの居酒屋で、亭主から夏尾が北海道の旅行について話を聞いていたことを知り、北沢と玖村はかつて天谷が行った鉱山を訪れる。
実名の棋士が最初から出てきて大丈夫かと思ったが、さすがに事件に絡んでいるのはみんな実在しない棋士ばかりだった(当たり前だ)。奥泉作品は久しぶり。まあはっきり言って苦手なので、敬遠していたというのが正直なところ。今回は将棋を取り扱っているというので、久しぶりに手に取ってみることにした。
最強の棋士を輩出する集まりとかが絡む将棋ネタは結構あると思うのだが、令和のこの時代にそんな作品を読むとは思わなかった。古臭いネタかなと思ったけれど、そこから独自の世界に引きずり込む筆の力は、さすが作者といったところか。現実と幻想としか思えない世界が交錯するところは好きになれないのだが、読みにくいというわけではなく、作品世界に浸ることはできた。ただ、これは末端とはいえ将棋の経験が私にあったからじゃないかと思うのだが、実際のところどうだろう。盤上の魔力に魅入られる様が、将棋未経験の人にどこまで納得させることができたのか、逆にわからない。それとは逆に将棋の知識があると、「麒麟」とかの駒が出てきてかえって戸惑うかもしれない。それに、棋士の凄味はあまり伝わっていないね。
将棋そのものの知識を知らなくても、本書を読んで楽しむことはできると思う。棋譜の中身はわからずとも、指し手のミスなどについてはわかるからだ。実際の詰将棋が出てくるわけでもない。最低限の将棋界の状況についてもさらっと述べられている。一方、実際に起きる失踪事件の真相については、一応の解決が示されているとはいえ、細部については触れられていないため、実際に可能なのかどうかはやや疑問が残るところ。この辺も、作者の計算なのだろうけれど。
昔に比べ、奥泉作品も読みやすくなったな、というのが読み終わった時の感想。あまり引き込まれるものはなかったかな。それは好みの問題だったと思うけれど。
作品とは別の感想になるが、実際の将棋世界の方が、よっぽどドラマ性があると思う。将棋の魔力と棋士の凄味が、本書からはあまり伝わらなかった。81の枡の上で、40枚の駒が舞わないと、将棋の本当の魅力は伝わらないのかもしれない。
南條範夫『三百年のベール』(学研M文庫)
静岡の県吏・平岡素一郎は、ふと目にした史書の一節をきっかけに、将軍徳川家康の出自と生涯の秘密を探りはじめる。やがて、驚愕の真相が浮かび上がった――。「家康は戦国大名松平家の嫡子ではない、流浪の願人坊主だったのだ」。そして、その隠された過去からは、さらに意外な歴史が明らかにされてゆく。明治に実際に刊行された幻の奇書『史疑・徳川家康事蹟』を素材に、大胆な構想で徳川家300年のタブーに挑んだ、禁断の歴史ミステリー。(粗筋紹介より引用)
『オール讀物』1958年12月号に掲載された短編「願人坊主家康」を長編化し、400枚の書き下ろし長編として1962年10月、文藝春秋より単行本刊行。差別的文言があるということで後に絶版となったが、一部表現を改め、1998年4月、批評社より刊行。2002年2月、学研M文庫より刊行。
南條範夫が神田古書店街を歩いていた時、一書店で偶然見つけた村岡素一郎『史疑 徳川家康事蹟』(民友社,1902)を購入して読み、興味を抱いて「願人坊主家康」を執筆している。民友社は徳富蘇峰が経営しており、南條は蘇峰が『近世日本國民史』の中で「家康は、家康である。新田義重の後と言うたとて、別段、名誉でなく、また、乞食坊主の子孫だと言うたとて、別段恥辱でもない」という記述を戦後間もなくに読み、徳川家康の出自に疑問を抱いていたため、その解答を与えられたと思ったという。
実際のところ、村岡素一郎『史疑 徳川家康事蹟』はほとんど黙殺され、話題にも上がらなかったらしい。1960年代に取り上げられたらしいが、結局は論破されているようである。とはいえ、家康影武者説はその後も取り上げられ、それを基にした作品も出版されるようになったため、そういう点では意味のある作品ではあったと思われる。
本書は平岡素一郎が『史疑』を書き上げるまでとその後の経緯を小説にして発表したものである。
賤民制が江戸時代からというのは不勉強ながら知らなかった。単に制度化されていなかっただけで、差別はずっと昔からあると勝手に思っていたのである。そこと家康入れ替わり説を結びつけたのは目から鱗だった。明治時代になり差別的呼称と待遇を廃止されても根強く残っていたのは島崎藤村『破戒』でよく知られていることだが、本書はその部落の話も物語に絡めている。家康影武者説を単純に小説にするだけではなく、それをまとめた平岡が不遇の目にあったり、当時も差別が残っていたこともさらっと書かれたり、さらに明治のころのまだ混乱した政治についても書かれており、読み応えのある作品に仕上がっている。
作品の中核をなす家康入れ替わり説がかなり突飛なもので、都合の良い部分をはぎ取り過ぎという印象を与えてしまうため、本書そのものの評価に影響を与えていることは否めないが、そこを無視して、明治時代という差別の残っている時代に困難に立ち向かって真実を追求しようした主人公の姿は、かなり強い印象を与えるのではないか。読んでいて面白かった。
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