笹本稜平『相剋 越境捜査』(双葉社)

 神奈川県警管内で発見された腐乱死体が碌な捜査もされず自殺として処理された。不審に思った宮野が独自捜査をすると、その直後、何者かに襲われてしまう。鷺沼たちはカりスマ投資家の男に目を付けるが、その裏には政官界の巨大な権力が控えていた。(帯より引用)
 『小説推理』2019年7月号~2020年7月号連載。加筆訂正の上、2020年10月、単行本刊行。

 警視庁捜査一課特命捜査対策室特命捜査第二係の鷺沼友哉と神奈川県警瀬谷警察署の不良刑事、宮野裕之のコンビたちが挑むシリーズ第8作。今回はカリスマ投資家の身辺から見つかった2つの死体から政界の陰謀を暴く。
 さすがにここまでくるとパターン化してしまい、マンネリは免れない。どこかで見た風景がこれでもかとばかり続く。はっきり言ってこれだけ政治家たちを捕まえると、少しは警戒しないか?
 大物政治家が絡み、警察の上層部もからむのに、なぜか妨害が控えめ。それが最後のほうになると大きく動き出し、かえって墓穴を掘る。これもパターン化されてしまって、もう楽しめない。
 最後の展開を考えると、次作はもうちょっと違うストーリーを楽しめるかな。




若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(文春文庫)

 飛行機の空席は残り1席――芸人として多忙を極める著者は、何かに背中を押されるように一人キューバに旅立った。クラシックカーの排ガス、革命、ヘミングウェイ、青い海。「日本と逆のシステム」を生きる人々に心ほぐされた頃、隠された旅の目的が明らかに――落涙必至のベストセラー紀行文。書下ろし3編収録。(粗筋紹介より引用)
 2017年7月、KADOKAWAより単行本刊行。2018年、第3回斎藤茂太賞受賞。2020年10月、書き下ろし「モンゴル」「アイスランド」「コロナ後の東京」を収録して文庫本刊行。

 2000年に春日俊彰とナイスミドルを結成し、後にオードリーと改名。芸人として売れない9年を過ごし、2008年にM-1グランプリで準優勝してから売れっ子芸人となった若林正恭の紀行文。
 「じゃないほう芸人」と一時期言われ、どこか斜に構えながら物事を見て生きてきたというのが若林の印象なのだが、本作品ではやはり視点が独特なところがあるのだなと思わせる。それほど難しい言葉を使っているわけじゃない。だけど、なぜか心に残る言葉を残す。帯にもある「ぼくは今から5日間だけ、灰色の町と無関係になる」。なぜ深く心に突き刺さるのか。テレビの『たりないふたり』シリーズなんかを見ていて思うが、もどかしい様々な思いを抱き、それを少しずつ浄化し、そしてそれ以上の想いを重ねながら生きてきたのだろうと思わせる。新鮮な光景を、今までの光景と照らし合わせ、自らの心に広がる思いと相違点が紡ぎ出され、そして自らの立ち位置を確認する。旅ってこういうことだろうか。
 Creepy Nuts、DJ松永による解説も素晴らしい。『オードリーのオールナイトニッポン』のヘビーリスナーを指すリトルトゥースでもある彼は、若林のラジオに励まされ、若林と自分を照らし合わせることで生きてきた思いを率直に綴っている。
 読んで素直に良かったと思わせる一冊。そして思うのは、若林ってすごいな、ということだ。




ローリー・レーダー=デイ『最悪の館』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 夫を亡くして以来、不眠に苛まれているイーデンは、星空の保護区として有名なダークスカイ・パークを結婚記念日直前に訪れる。生前の夫が予約していたのだ。だがゲストハウスで別のグループと同宿を余儀なくされることに。彼らはマロイという魅力的な男性を中心とした面々だった。その夜、何者かに彼が殺され、疑心暗鬼に陥る宿泊者たち。そしてイーデンは思いがけないことを指摘される……ジェフリー・ディーヴァー絶賛の、誰一人として信じられないフーダニット。アンソニー賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2018年、発表。2019年、アンソニー賞最優秀ペイパーバック賞を受賞。2020年4月、邦訳刊行。

 作者はアメリカ、インディアナ州生まれで2014年デビュー。
 本作品の原題は"Under A Dark Sky"。舞台となっているダークスカイ・パークを指している。帯には「疑心暗鬼の極致に迫るフーダニット」とあるし、邦題を見た時は、まさかアメリカで館もの?なんて思ってしまったが、全然違った。
 数年前に交通事故で死亡した夫・ビックスが予約していたダークスカイ・パークの宿泊施設に一人で訪れたアマチュア写真家のイーデン・ウォーレスだったが、なぜか若者6人グループとダブル・ブッキングになっていた。その日は一緒に泊まるが、グループの中心だった酪農家のマロイが殺害される。
 誰がマロイを殺したのか、というのがもちろん主要なテーマであるが、話が進むうちに他のクエスチョンが登場し、イーデンとビッグスの関係や、マロイに対するグループ内の想いなどがどんどん明らかになってくる。
 確かにフーダニットだけど、本格ミステリではなくて心理サスペンスの要素が強い。なんか変にドロドロしていて、人間関係が色々と鬱陶しく、読んでいてもちょっと憂鬱になってくる。表面に見えていた内容と真実がガラッと変わるところは巧いとは思うけれど、あまり楽しいと思える内容じゃない。この辺はもう個人的な好みになってしまうけれど。ただ最後は意外とよかったかな。予想していた方向と違った。
 うーん、なんとも感想が書きづらい。まあ、好きになれない作風と内容だなと思った。読後感は悪くなかったけれど。




ザ・グレート・カブキ、タイガー戸口『毒虎シュート夜話 昭和プロレス暗黒対談』(徳間書店)

 「お前は戸口じゃなくて大口だ!」カブキの毒霧に、たじろぐタイガー戸口――日米マット界の裏と表を生きた同世代の2人の「記憶」は、きれい事だけで作られた「記録」よりも濃厚な昭和プロレスの闇に染まっていた!(帯より引用)
 2019年7月、刊行。

 ザ・グレート・カブキが店主を務める「BIG DADDY 酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」に、日本プロレス時代の後輩であるキム・ドクことタイガー戸口が来店し、当時のプロレスを語り合った、対談形式の一冊。構成の原彬が「本人たちの記憶は、史実と違う部分もある」と語る通り、史実と異なる部分もあるだろうが、本人たちの大法螺(特に戸口はビックマウスで知られる)も含め、楽しむのが粋というものだろう。
 アントニオ猪木やジャイアント馬場、それに馬場元子の悪口が多いのは、金や待遇に泣かされてきた彼らにとっては仕方がないだろう。海外の自慢話も、特にカブキについてはわからないでもない。実際、一世を風靡したと思うし。他にもサムソン・クツワダが小指を飛ばしていた話はちょっと怖かったな。百田義浩がマフィアに沈められそうになった話とかも。多分色々なところで語られているのだろうが、私は初めて読む話だったので。
 戸口はWWFも長かったが、そのほとんどがジョバーだったと思うのだが。鶴田とのシングルマッチはよかったけれどね。馬場・鶴田vs大木・キム・ドク時代は盛り上がっていたね。動ける鶴田とキム・ドクで試合を作っていたから。新日本に行ってからはほとんど目立たず(年末のタッグリーグ戦で準優勝したぐらいか)、WARなどではキノドクと揶揄されていたぐらいだし。あんないい体をしていたのに、もったいない。
 カブキも登場シーンは良かったけれど、やっぱり飽きが来ちゃうよね。勝利パターンはトラース・キックから、とても効いているとは思えない正拳突きだったし。地方巡業や、アメリカのように転戦すれば別だっただろうけれど。
 ハイスパート・レスリングや四天王プロレスなどを見ると、彼らのプロレスがスローモーで楽しめない、という意見が起きるのもわかる。その辺はプロレスに対する価値観としか言いようがない。
 盛っている話も結構あるだろうけれど、まとめて読むとやはり楽しい。日本の団体内で活躍していたプロレスラーとは、見る視点が異なるので。




結城真一郎『プロジェクト・インソムニア』(新潮社)

 「年齢・性別・属性の異なるメンバーが夢のなかで生活を共にする」。特殊睡眠導入剤〈フェリキタス〉の開発で莫大な財を成した、ソムニウム社による極秘人体実験、〈プロジェクト・インソムニア〉。被験者に選ばれた蝶野は、失意の日々から一転、自らの願望を具現化できる〈夢〉の世界に魅了されてゆく。しかし、とある〈疑念〉の発露が、完全なる理想郷を、突如おぞましい悪夢へと変貌させる。ここは夢か、それとも―――。蝶野のかつての盟友、蜂谷が囁く。「聞いたことないか? 夢の中で死ぬと、現実でも死ぬっていう都市伝説」。世間を震撼させたバラバラ殺人事件、消えた天才ピアニスト、口径が合わない大量の銃弾、そして、終わらない殺害予告。幾重にも張り巡らされた〈悪意〉の連鎖が前代未聞の惨劇を呼び起こす。期待の俊英による新感覚ミステリ。(帯より引用)
 2020年7月、書き下ろし刊行。

 作者は2018年、『名もなき星の哀歌』で第5回新潮ミステリー大賞を受賞してデビュー。本作は受賞後初の長編。
 前作を読んでいないので、作者は初めて。評判がよさそうだったので読んでみたのだったが、読み終わってみるとちょっと微妙。
 SF設定の特殊状況下での殺人事件。ある意味ルールを作者が好き勝手に決められるので、よほどうまく書かないと設定の説明ばかりで嫌になるし、仕掛けをうまくしないと読者は納得いかないだろうが、そこらはクリアしているかな。ただ、「もしあれがああだったら、どうするんだ?」と思った通りのネタだったので、がっくり来たというのが正直なところ。誰もが一度は考えないか? ネタをわかっていても面白い、というのが理想なのだが、そこまでの域には達していなかった。そもそも、文章がちょっと読みにくい。エピローグはちょっと良かったが。
 こういうミステリを読むと、作者にお疲れさまでした、と言いたくなるのだが、それ以上の感想はない。




アンソニー・ホロヴィッツ『その裁きは死』(創元推理文庫)

 実直さが評判の離婚専門の弁護士が殺害された。裁判の相手方だった人気作家が口走った脅しに似た方法で。現場の壁にはペンキで乱暴に描かれた数字“182”。被害者が殺される直前に残した謎の言葉。脚本を手がけた『刑事フォイル』の撮影に立ち会っていたわたし、アンソニー・ホロヴィッツは、元刑事の探偵ホーソーンによって、奇妙な事件の捜査にふたたび引きずりこまれて──。年末ミステリランキングを完全制覇した『メインテーマは殺人』に並ぶ、シリーズ第2弾! 驚嘆確実、完全無比の犯人当てミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2018年、発表。2020年9月、邦訳刊行。

 『メインテーマは殺人』に続くホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ第2作。作品中の時系列でも、ホロヴィッツが『メインテーマは殺人』を書き上げた直後の事件ということになっている。
 今回は謎のメッセージが残され、それは被害者が扱った裁判の相手である人気女流作家の句集の182番目「君が息 耳にぞ告ぐる 裁きは死」に繋がって本書のタイトルとなっている。前作同様フーダニットを扱った作品となっており、いかにもというような容疑者が出てくる。ホーソーンの名推理と、ホロヴィッツの迷推理を楽しむことはできるのだが、何もわざわざ自分をここまで落とさなくても、という気はする。それに、作者自身をワトソン役にする意味があまり感じなかった。この点に関しては、続編が出るともうちょっと明確に描かれるだろうか。
 ホーソーンもガラの悪いホームズという感じで相変わらずうざいのだが、それ以上に気になるのは、ここまで仲の悪いホームズ&ワトソン役も珍しいということ。この点についても、もうちょっと明確な狙いがあるのか、気にかかる。
 事件の謎よりも、ホーソーンとホロヴィッツの関係性に注目してしまい、肝心の事件が今一つというのはちょっと残念。面白いと言えば面白いが、前作に比べると目新しさが減った分、退屈な部分が増えたと言える。何も内輪ネタを連発しなくても、普通の本格ミステリに集中すればよいのに、と思ってしまう。まあ、なんだかんだ言いながら次作も読んでしまうだろうが。




生田直親『誘拐197X年』(徳間文庫)

 大阪・堂島の超一流ホテルの結婚披露宴会場から花嫁が誘拐された。皇族と財界の政略結婚と言われ、政財界のトップクラスが列席中であった。左翼組織から三億円の身代金が要求され、大阪、神戸を中心に張りめぐらした捜査網にもかかわらず、身代金はまんまと奪われてしまったが……。
 花嫁に加えられる奇妙な儀式。犯人と接触する新聞記者。救出か惨殺か。事件は栂池スキー場を背景に急展開した。(粗筋紹介より引用)
 1974年7月、産報より書下ろし単行本刊行。1985年5月、文庫化。

 作者はテレビ脚本家として活躍し、1962年には『煙の王様』(TBS)で第17回文部省芸術祭賞文部大臣賞を受賞している。本作品で小説家に転向した。
 脚本家が小説家に転向してデビューしたのだが、言い方は悪いが、テレビの脚本を書いた人らしいなあ、というのが読み終わった時の印象。場面場面はいいし、印象に残るシーンやせりふもあるのだが、全体的にどうもちぐはぐ。とにかく所々で山場を設け、それをつなぎ合わせたような作品になっているのだ。
 時代設定がちょっと不明だが、少なくとも1972年を超えているので、連合赤軍事件以降。すでに学生運動自体が下火だが、深化していたともいえ、事件を起こすというのはまだわかる。新聞記者と接触できる運動家がいたのかどうかはしらないが。まあそこはいいけれど、まず花嫁誘拐の手順がそれほど大掛かりなものでもないのに、こんなに簡単に成功してしまうなんて、大阪府警の警備体制、甘すぎるだろう、と言いたい。小説だから仕方がないかと思いながら読んでいくが、身代金の奪う方法なんて、某映画を車にしただけだし、予想つかなかったのかと言いたい。警察があまりにもお粗末すぎ。
 小説の展開もちぐはぐ。警備部と公安部で対立しそうな割には後半で公安は全然出てこない。花嫁へのわけのわからない儀式もその後の展開ではほとんど使われないので、拍子抜け。前半から後半への展開についてはもう滅茶苦茶。小さい子供がいるのに、犯罪に簡単に加わるか? 下手すれば命を失うし、そもそも生き延びる目算もないのに。新聞記者たちだってそう。いくらスクープ命とはいっても、こういう形で警察を出し抜こうと考えるかね。世間から批判浴びること必至なのに。
 所々のセリフは悪くないし、映像化したら映えるだろうなあ、というような場面が所々で出てくる。結局、読者に飽きがこないよう、無理やり派手な、意表を突く展開を一定間隔で入れていったから、辻褄の合わない小説が完成した、という印象。連載ならまだしも書きおろしなんだから、もう少し整合性について考えればよかったのにと思う。




櫻田智也『蝉かえる』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 ブラウン神父、亜愛一郎に続く、“とぼけた切れ者”名探偵である、昆虫好きの青年・エリ沢泉(えりさわせん。「エリ」は「魚」偏に「入」)。彼が解く事件の真相は、いつだって人間の悲しみや愛おしさを秘めていた――。十六年前、災害ボランティアの青年が目撃したのは、行方不明の少女の幽霊だったのか? エリ沢が意外な真相を語る「蝉かえる」。交差点での交通事故と団地で起きた負傷事件のつながりを解き明かす、第七十三回日本推理作家協会賞候補作「コマチグモ」など五編を収録。注目の若手実力派・ミステリーズ!新人賞作家が贈る、絶賛を浴びた『サーチライトと誘蛾灯』に続く連作集第二弾。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ!』掲載作品2編と、書き下ろし3編を加え、2020年7月刊行。“蝉”は本当は口二つの蝉だが、環境依存文字なのでここでは変えている。

 山形市の西溜村で糸瓜京介は、市で開かれていた学会で知り合った非常勤講師の鶴宮とエリ沢に出会う。糸瓜が二人に話したのは、16年前の震災後のボランティア時、池で行方不明の少女に会った話だった。「蝉かえる」。?沢の推理がなんとも哀しい。
 団地の一室で母親は頭を打って意識不明。通りかかった別室の女性がうろたえる声を聞き部屋に入ると、中学生の娘が呆然として立っていた。女性が声を掛けると娘は急に部屋を飛び出してゆき、数分後、交差点で車にひかれていた。二つを結ぶ意外な事実は何か。第73回日本推理作家協会賞候補作「コマチグモ」。卵から生まれた子供が、親の体を最初に餌として食べてしまうというコマチグモを事件に投影させたエリ沢の推理が哀れというか。それにしても、捜査する側の警察の人たちにも表情が出ているのが素晴らしい。
 奥羽山脈の北部の山麓に広がるクネト湿原にペンションをオープンした丸江は、2年前の事件で知り合ったエリ沢を招待する。丸江が運転する車のパンクを直してくれたアサルは、同じペンションに予約していた留学生だった。ところが翌日早朝、アサルは食事もせずにペンションを出て行き、クネト湿原で墜落死体となって発見された。「彼方の甲虫」。これは動機が悲しい。思わず涙を流してしまう結末。本作品集のベスト。
 一般向けサイエンス雑誌『アビエ』編集長の斎藤のところに、北海道に住む常連投稿者の中学生、ナニサマバッタから、昆虫を専門とするライター繭玉カイ子がいなくなったと電話連絡があった。カイ子の家で見つかったネガフィルムに写っていた長下部教授はつい最近、出張先で死亡していた。「ホタル計画」。行方不明事件から、意外な事件に発展するのだが、色々な意味で、好きなことを続けるのには犠牲と資本が必要なんだなと思わせる寂しさがある。
 <越境する医師たち>のメンバーとして8年間活動し、6年間いたナイロビから帰国した江口海は、研究用にツェツェバエのさなぎを持ち込んでいた。成田空港の税関で後ろに並んでいたのは、大学の同期で、同じ寮に住んでいたエリ沢だった。「サブサハラの蠅」。哀しさを柔らかく包む?沢の推理が心地よい。

 『サーチライトと誘蛾灯』に続くエリ沢シリーズ第2弾。昆虫好きの?沢泉が、今回もひょうひょうとしながら、切れ味鋭い推理を見せる。
 前作ではキャラクターの弱さが弱点となっていたが、本作品集では、エリ沢の過去が垣間見えるのが面白い。ようやくエリ沢がどういう人物かがわかるようになってきた。やはり探偵が記号になってはいけない。探偵に魅力がないと、物語の面白さが半減する。
 謎の方も、前作に比べて強烈な印象を与えるものが加えている。登場人物も描写が加わり、血が通うようになった。前作に比べ、明らかにレベルが上がっている。それが物語に厚みを与え、面白さを増す結果になっている。
 次が楽しみな作家がまた一人増えた。これで論理展開にお見事と唸る作品をひとつ書いてくれれば、もっと拡がると思うのだが。本格ミステリならベストに入りそう。




アンソニー・ホロヴィッツ『メインテーマは殺人』(創元推理文庫)

 自らの葬儀の手配をしたまさにその日、資産家の老婦人は絞殺された。彼女は自分が殺されると知っていたのか? 作家のわたし、アンソニー・ホロヴィッツは、ドラマ『インジャスティス』の脚本執筆で知りあったホーソーンという元刑事から連絡を受ける。この奇妙な事件を捜査する自分を本にしないかというのだ。かくしてわたしは、きわめて有能だが偏屈な男と行動をともにすることに……。ワトスン役は著者自身、謎解きの魅力全開の犯人当てミステリ! 7冠制覇『カササギ殺人事件』に並ぶ圧倒的な傑作登場。
 2017年、イギリスで発表。2019年9月、邦訳刊行。

 『カササギ殺人事件』の作者、ホロヴィッツによる元刑事ダニエル・ホーソーンを名探偵に据えたシリーズ第1作。
 自らの葬儀を手配した独り暮らしの老婦人が当日に殺される。過去に夫人が起こした10年前の交通死亡事故が関係するのか。ハリウッド俳優の息子が妻と子を連れて帰ってきて葬儀を行うが、さらなる事件が発生する。
 名探偵役のホーソーンはとにかく偏屈。自分のことはしゃべろうとしないし、ワトソン役に誘いながらもホロヴィッツのことは全然信用していない。読んでいていら立ってくるが、有能なのは間違いない。読者も見落としそうな小さな手がかりから推理を繰り広げ、真相を導き出す。単純にその点だけを見るならば、きわめて端正に書かれた本格ミステリだと言えるだろう。この点だけでも十分満足できる。
 しかし本書の特徴のひとつは、ワトソン役が作者自身なのだ。それも、作者の名前を使っている、というだけでなく、本当の作者の回りが出てくる。妻にしろ、エージェントにしろだ。自分自身を投影し、テレビ業界や自らの出版物など自分の周りに起きたことも書き記している。スピルバーグが出てきたときは、本当に大丈夫かと思ったぐらいだ。ある意味メタな内容なのだが、面白いかと聞かれた正直言って疑問だ。今後、そんな感想を裏切るような大掛かりなトリックや仕掛けが出てくることを祈る。自分自身をここまで間抜けに描いて楽しいか、とは思うが。
 本作も文春やこのミスなどで1位を取り4冠を達成している。いまどきこんな純粋な本格ミステリが出てくることにも驚きだが、その期待に十分こたえる内容とはなっているだろう。無理にホームズになぞらんでもいいだろうとは思ったが。



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