ウィリアム・ブリテン『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』(論創社)

 巨匠J・D・カーに憧れ、自ら密室殺人を企てる青年。クイーン顔負けの論理で謎を解く老人。身に覚えのない手紙を受け取ったアメリカ在住のワトスン。ユーモラスな結末の表題作をはじめ、「エラリー・クイーンを読んだ男」、「コナン・ドイルを読んだ男」等、ミステリへの深い愛情とあざやかな謎解き、溢れるユーモアで贈る〈~を読んだ~〉シリーズ全十一編。付録として、チャールズ・ディケンズの愛読者が探偵として事件に挑む「うそつき」等三編を収録。EQMMの常連作家ブリテンによる、珠玉のパロディ群をご堪能あれ。(粗筋紹介より引用)
 『EQMM』1965年~1978年掲載のシリーズ11編他3編を収録した、日本独自編纂本。2007年9月刊行。

 巨匠J・D・カーに憧れた青年は密室トリックを考案し、遺言状を書き換えようとする叔父を殺害する。「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」。
 老人ホームでイーグル謹賀が盗まれた事件を解く、クイーンマニアの老人。「エラリー・クイーンを読んだ男」。
 巡回ショーの余興をやる一座で働くガート・ジェリスンは500ポンドを超す体重の持ち主。スタウトの本を読んでから、ネロ・ウルフを真似るようになった。「レックス・スタウトを読んだ女」。
 ポアロに心酔した少年が、村のあちこちでおかしな行動をとる青年たちの目的を推理する。「アガサ・クリスティを読んだ少年」。
 小さな新聞社の社長兼編集長兼スタッフを独りでこなしている男に、あて先はあっているが中身は身に覚えのない手紙が届く。「コナン・ドイルを読んだ男」。
 ブラウン神父を愛読する神父が、自殺として片づけられそうな事件に異議を申し立てる。「G・K・チェスタトンを読んだ男」。
 図書館に勤める70歳のミステリ好きの老人は、ただ一つの手がかりを基に、1時間以内に図書館の書棚に隠した『マルタの鷹』初版本を探す賭けに応じる。「ダシール・ハメットを読んだ男」。
 シムノン好きの大型トラック運転手は、相方と一緒にある屋敷へ美術コレクションを届ける。「ジョルジュ・シムノンを読んだ男」。
 15歳の少女は、捜査から帰ってきた父が手掛けている事件のダイイング・メッセージの謎を解く。「ジョン・クリーシーを読んだ少女」。クリーシーのペンネームの一つは、J・J・マリック。
 「黒後家蜘蛛の会」に合わせて居酒屋に集まった5人に新聞記者は、百貨店に置かれた金庫の5つの数字の組み合わせを解いてほしいと依頼する。「アイザック・アシモフを読んだ男」。
 交通事故で妻を亡くした男は、車を運転していた男にコンクリートブロックを持ってきてもらう。男は酒を勧めた後、手伝いを頼む。「読まなかった男」。
 金持ちの男が、脱出専門のマジシャン兼捕まったことのない犯罪者の男と、彼をずっと追いかけてきた元警官で私立探偵の男。金持ちの男は、かつての偉大なマジシャンが使っていたザレツキーの鎖からの脱出ができるかを持ち掛ける。「ザレツキーの鎖」。
 研究所設立から務めている老人の所員が、ワトキンズ少佐に研究所の仕事から外してほしいと依頼する。「うそつき」。
 低所得者層がほとんどのブラット街は、今まで犯罪とはほとんど無縁だった。ところが4月上旬のある晩、質店から何者かが逃げて、店主が泥棒に入られたと叫んだ。「ブラット街いレギュラーズ」。

 表題作「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」は密室パロディの傑作で、しかもブリテンには他にも「~を読んだ」というタイトルの作品が多くあることを知っていたので、この短編集が出た時はとてもうれしかった。なのに今頃読むというのは……何回これを書いただろう。
 なんかほとんど余技みたいなイメージがあったけれど、作者は教職の傍ら1964年にミステリ作家としてデビューし、ジュブナイルファンタジーの作品も複数あるそうだ。
 表題作が倒叙もののパロディだったから、他も似たようなものだと思ったら、意外と本格ミステリばかりでちょっと拍子抜け。全部パロディと思っていたのになあ。ただ真似して推理するだけじゃ、つまらないじゃない。いや、実際にはそんなにつまらないわけではないんだけど、まあ期待と違った方向の作品集だったな、というわけで。
 一番面白かったのは、シリーズ外の「ザレツキーの鎖」。本作品集中一番ページ数が多いが、内容もかけの内容からの意外な展開で読みごたえがある。むしろこういう風の作品、他のもないのかなあ……。それにこのマジシャンと元刑事も他にシリーズ作品があったらなんて思ってしまった。
 ということで時間のできた時に一気に読んだんだけど、まあ、こんなものも時には面白いかな、という感じでした。




松本清張『日光中宮祠事件』(角川文庫)

 1946年5月4日、日光市中宮祠で旅館が全焼し、中から一家六人の死体が発見された。死体に切り傷などがあったことから、日光警察署では主人が家族全員を殺害の上、自宅に火をつけたのち、包丁で喉を突き刺して自殺したとして捜査を終了させた。1955年夏、埼玉県の強盗傷害事件で逮捕された男が、過去の強姦事件や強盗殺人事件を「自供」。その記事を見た日光市の住職が、男が姉弟を殺害して放火したと自供した事件の手口が旅館全焼事件の手口とそっくりなので調べてほしいと訴えた。「日光中宮祠事件」。これは実話だが、一部アレンジされている。これが清張の初めてのノンフィクション・ノベルになるのかな。まだ書き込みが甘いと感じた。
 松本清張はかつて、阿蘇山で茶店を開き、自殺者を多数救っている老人から、以前飛び込み自殺を救ったカップルの女性が、別の男性とともに阿蘇山に来たのを見てびっくりした話を小説にして書いたら、その女性から清張のもとに手紙が届いた。「情死傍観」。女性って怖いなと思わせる短編だが、こういう発想は逆に男性のもののような気がする。女性って、実はけっこうさばさばしているんじゃないかな。
 1543年に日本に鉄砲が伝来してから三十数年、稲富伊賀直家という鉄砲の名人がいた。直家は丹後の一色氏の家臣だったが、後に細川藤孝、忠興に仕え、厚遇される。「特技」。実在の人物で稲富流砲術の開祖である稲富祐直の話。特技を持つが故の真実に気付く様が恐ろしい。後に『火の縄』のタイトルで長編化されている。
 徳川家康が豊臣秀吉から関八州を与えられて江戸に居を構えて3年。人を多く持ち、金銀も多く持つ工夫はないかと嘆く家康の前に、大蔵藤十郎が訪ねてくる。後の大久保長安であった。「山師」。長安と家康の葛藤を描いた作品。家康なら実際に考えていそうな内容である。
 翻訳家の男は一緒に住む妻の母親に嫌悪感を抱き、とうとう殺害を企てる。「部分」。小品ではあるが、好き嫌いに関する人の感情の取り上げ方が巧い。
 九州の山中にある佐平窟という洞穴には、ある伝承がある。秀吉の朝鮮役で藩主とともに朝鮮に渡った針尾佐平という男が戦場で俘囚になり、妻子が磔にされたという話と、佐平が朝鮮の間諜をしていたことが発覚し磔にされたという話である。どちらも洞穴の中に佐平が隠れ、妻子が食事を運んでいたことは一致している。作者は兵隊時代を思い起こしながら調査する。「厭戦」。英雄として見知らぬ地で死ぬか、それとも家族とともに死ぬか。難しい問題である。
 長女の婿養子は、女遊びが大好きなくずだった。このままでは財産も奪われてしまう。耐えきれなくなった私は、婿の殺害計画を立てる。完全犯罪は成功するかに見えたが。「小さな旅館」。意外なところから犯行がばれる話。警察も馬鹿じゃないぞって言いたいんだろうな。
 雑貨問屋を営む栄造は、年老いた父がお気に入りだった女中を追いかけることに頭を悩ませていた。「老春」。年をとっても人は恋をするのだろうか。年をとっても男は女を求めるものなのだろうか。私にはわからないが、ありそうな話である。
 中堅電機メーカーに勤める浜島正作は仕事ができず隅に追いやられていた。そんな正作が労組の代議員になると、会社へのベースアップを求め強硬な態度を取り続けた。「鴉」。冒頭の新聞記事が、物語にどう結びつくのか。そんな楽しみを持たせてくれる作品。最後のキーワードをタイトルにしなくてもいいと思うのだが。
 1974年4月、角川文庫より刊行。

 推理小説、歴史小説、現代小説など幅広いジャンルの作品が集められた短編集。他社から出版された短編集に収録された作品ばかりであり、角川書店オリジナルの編集と思われる。1950年代から1960年ごろの作品であり、清張が作家としてデビューしてから数多くの作品を出版していた時期に書かれたものである。
 松本清張は多彩だなと思わせる作品集であるが、そんなことは今更言うまでもない。代表作と呼ばれるほどの作品はないが、どれも一定の水準は満たしており、少なくとも読んでいるときに退屈することはない。




キャロル・オコンネル『クリスマスに少女は還る』(創元推理文庫)

 クリスマスも近いある日、二人の少女が町から姿を消した。州副知事の娘と、その親友でホラーマニアの問題児だ。誘拐か? 刑事ルージュにとって、これは悪夢の再開だった。十五年前のこの季節に誘拐され殺されたもう一人の少女――双子の妹。さが、あの時の犯人はいまも刑務所の中だ。まさか……。そんなとき、顔に傷痕のある女が彼の前に現れて言う。「わたしはあなたの過去を知っている」。一方、何者かに監禁された少女たちは、奇妙な地下室に潜み、力を合わせて脱出のチャンスをうかがっていた……。一読するや衝撃と感動が走り、再読しては巧緻なプロットに唸る。では、新鋭が放つ超絶の問題作をどうぞ!(粗筋紹介より引用)
 1998年発表。1999年9月、邦訳刊行。

 「巧緻を極めたプロット」と書かれている割に600ページを超える厚さだから、正直どうなんだろうと思いながら読み進める。だって、厚ければ厚いほど、「巧緻を極めた」という言葉が似合わないじゃないですか。すごい偏見かもしれませんが、プロットに技を仕掛けた作品って、そんなに長いイメージがないんですよ。長ければ長いほど筆を費やすことができる分、描写が詳細になっていって、つまらなくなっていくんですよね。ということでそんな偏見な予想、当たっていました。長すぎます。
 正直ホラー映画が苦手なので、その辺の描写も苦手なんですが、まあそれは置いておくとしても、もっと簡潔に描くことができたんじゃないですかね。その方が、ラストはよっぽど驚いたと思うんですが。
 ごめん、長すぎたという印象しかない。評価されている作品だとは知っているけれど。




高原弘吉『まぼろしの腕』(新潮ポケット・ライブラリ)

 九月八日は土曜日、ジャガースのフランチャイズ球場であるH球場のナイター、対ユニオンズ二十回戦は、満員の観客を集めていた。イーグルズ球団所属のベテランスカウト津川も密かな目的のためにこの球場に来ていた。
 K工業高校のエース浦上をめぐる激しいスカウト戦がジャガース球団の千々和スカウトとの間に起こっていたのだが、千々和がある取引きのために指定する場所で会いたいというのだ。その場所へは今日このナイターで三塁側内野スタンドの中央で赤いネッカチーフを被った若い女が案内してくれることになっていたのだが……
 翌日、H球場の西側およそ百メートルの松林の中で千々和スカウトの死体が発見された。……
 「あるスカウトの死」によって第一回「オール読物」推理小説新人賞第一位を得た著者が、受賞後初めて書下ろした本格推理長編。
 巧妙なトリックによって殺人容疑者にされた一人のスカウトの必死の真犯人追及を新鮮な構想とスタイルで描いた野心作。(粗筋紹介より引用)
 1963年6月、書き下ろし刊行。

 「あるスカウトの死」は結構面白かったが、長編はほとんど書いていないはず。そう思って国会図書館のページで調べてみると、20冊近く出版していた。しかも1981年まで。自分の記憶も当てにならないものだ。
 本作は第一回「オール読物」推理小説新人賞受賞後の長編第一作。気合が入っているのわかるのだが、読んでみるとちょっとちぐはぐ。まだドラフト制度がなく、直接選手と契約していた時代だから、スカウトの暗躍も多かったのだろうと思う。だからこそ、スカウトをめぐっての殺人事件ですら起こってもおかしくはないと思うのだが。正直言って、警察の動きが鈍すぎる。短編ならよくある展開であるが、長編でこれをやられるのはちょっと、と思ってしまう。結末、拍子抜けしてしまったな。あまりにもお粗末すぎて。
 文体が古いのは仕方ないが、まあ読むことはできる。ただ、当時の時代性を読み取れないと、今読むにはきついかな。スカウトが容疑者に上がっているのに、マスコミもあまり騒いでいないし、球団自体も全然出てこないのは非常に気になる。言い方は悪いけれど、よくある推理小説。どうせなら、もっとドロドロとした選手の引き抜き合戦ぐらい書いてほしかった。




辻真先『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』(東京創元社)

 昭和二四年、ミステリ作家を目指しているカツ丼こと風早勝利は、名古屋市内の新制高校三年生になった。旧制中学卒業後の、たった一年だけの男女共学の高校生活。そんな中、顧問の勧めで勝利たち推理小説研究会は、映画研究会と合同で一泊旅行を計画する。顧問と男女生徒五名で湯谷温泉へ、修学旅行代わりの小旅行だった――。そこで巻き込まれた密室殺人事件。さらに夏休み最終日の夜、キティ台風が襲来する中で起きた廃墟での首切り殺人事件! 二つの不可解な事件に遭遇した勝利たちは果たして……。著者自らが経験した戦後日本の混乱期と、青春の日々をみずみずしく描き出す。『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』に続く"昭和ミステリ"第二弾。(粗筋紹介より引用)
 2020年5月、書き下ろし刊行。

 出版されていたことは知っていたが、当時は忙しかったこともあり、ノーマーク。まさかこのミス、文春、みすよみで第1位を取るとは思わなかった。慌てて購入することにした。
 舞台は名古屋市で、主要登場人物は料亭の息子で新制高校三年生の推理小説研究会の部長・カツ丼こと風早勝利、実家は老舗のパン屋で映画研究会の部長・トーストこと大杉日出夫。没落子爵家の娘である姫こと薬師寺弥生、推理小説界研究会の級長こと神北礼子、そして上海からの引揚者で両方の研究会に入る転校生のクーニャンこと咲原鏡子、の合計5人。そして二つの研究会の顧問であり家系は尾張徳川家の別式女であるの巴御前こと別宮操。探偵役は那珂一兵で、こちらは辻作品のレギュラーキャラクターである漫画家。本作品ではまだ映画館の看板絵描きである。スターシステムを今でも採用しているところは嬉しい。前作を読んでいないのでよくわからないが、那珂一兵、操、そして県警本部の犬飼警部補は前作にも出ていたようだ。そのことを知らなくても素直に読むことはできたが。
 制度の移行期で、旧姓中学生卒業者が一年だけ高校三年生になるという措置が取られていたことは全く知らなかった。戦後日本の混乱期ならではのエピソードだ。「男女七歳にして席を同じゅうせず」の時代の子供たちがいきなり共学になるというのだから、驚きだろうなあ。
 そういう時代の青春学園ミステリという、今考えてみると珍しい設定なんだろうと思う。戦争という狂乱と暗黒の時代、そして戦後すぐの荒廃した時代を通り過ぎつつも、はつらつした若さは抑えきれないという、複雑だが純粋な時代のような気がする。自身も知っている時代だからか、描写が臨場感に溢れているのはさすが。それでいて高校生の描写が瑞々しいのはなんでだろう。とても88歳の筆とは思えない。
 トリックや動機が当時の時代と密接に絡んでいるところはうまいし、それでいて冒頭から結末までの作者ならではの遊び心は、変な言い方だが「雀百まで踊り忘れず」だなあと微笑ましくなってしまった。伏線の張り方は見事だし、表題も章タイトルも考え抜かれているし、本格ミステリの技巧を隅から隅まで楽しめる作品になっている。さらに、物語として胸打たれるものもある。凄いね。88歳で代表作を書いてしまうところが本当に凄い。
 面白かったし、素直に感心しました。これは前作も読まないとならないな。来月に文庫本が出るからすぐに購入しよう。それに次作も楽しみ。次作も本作の登場人物の誰かが出るのかな。それに探偵小説→推理小説と来ると、次はミステリ? 風早勝利が作家になっていると面白いだろうな。彼らの後日譚を読んでみたい。
 どうでもいいが、風早勝利が誰かのアナグラムになっているのじゃないかと思って並び変えてみたことは内緒だ。




大阪圭吉『死の快走船』(創元推理文庫)

 岬の端に立つ白堊館の主人キャプテン深谷は、愛用のヨットで脱走に仕掛けた翌朝、無残な死体となって発見された……堂々たる本格中篇「死の快走船」をはじめ、猟奇的エロティシズムを湛えた犯罪奇譚「水族館異変」、東京駅のホームを舞台に三の字づくしの謎に隠された意外な犯罪をあばく「三の字旅行会」、アパートの謎の住人“香水夫人”の正体とは? ユーモア探偵小説「愛情盗難」ほか、防諜探偵横川禎介物、弓太郎捕物帖など、戦前随一の本格派、大阪圭吉の知られざる多彩な魅力を網羅した傑作選。(粗筋紹介より引用)
 中編「死の快走船」、短編「なこうど名探偵」「塑像」「人喰い風呂」「水族館異変」「求婚広告」「三の字旅行会」「愛情盗難」「正札騒動」「告知板の女」「香水紳士」「空中の散歩者」「氷河婆さん」「夏芝居四谷怪談」「ちくてん奇談」に随筆・アンケート回答「小栗さんの印象など」「犯罪時代と探偵小説」「鱒を吊る探偵」「巻末に」「怒れる山(日立鉱山錬成行)」「アンケート回答」を収録。2020年8月刊行。

 創元推理文庫からはかつて『とむらい機関車』『銀座幽霊』が出ていたが、それに続く第三作品集。大坂圭吉は昔から「大坂圭吉研究」という研究書誌が出ているし、いくつかの出版社からも著書は出ているので、発表作品数から比較すると全貌がわかりやすい作家になるのだろうか。本作品集は、本格探偵小説もあるが、戦時体制下で本格が書きずらくなったために書かれたユーモア小説、防諜小説、捕物帳も収録されている。
 ただ、作者自身も乗り気じゃなかったんだろうなあ、という気がしなくもない。ユーモア物、防諜小説、捕物帳についていえば、ページの制限も大きな原因ともいえるだろうが、本当に小品というレベルで終わっている。
 中編「死の快走船」は力作。初期の作品「白鮫号の殺人事件」を改題改稿加筆。これが読めたからよしとするか。やはり作者の長編本格探偵小説を読んでみたかった。




斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)

 二人以上殺した者は"天使"によって即座に地獄に引き摺り込まれるようになった世界。細々と探偵業を営む青岸焦(あおぎしこがれ)は「天国が存在するか知りたくないか」という大富豪・常木王凱(つねきおうがい)に誘われ、天使が集まる常世島(とこよじま)を訪れる。そこで青岸を待っていたのは、起きるはずのない連続殺人事件だった。かつて無慈悲な喪失を経験した青岸は、過去にとらわれつつ調査を始めるが、そんな彼を嘲笑うかのように事件は続く。犯人はなぜ、そしてどのように地獄に堕ちずに殺人を続けているのか。最注目の新鋭による、孤島×館の本格ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2020年8月、書き下ろし刊行。

 全く聞いたことのない作者だったが、帯を見て購入。2016年に第23回電撃小説大賞メディアワークス文庫賞を受賞してデビューしたとのこと。
 二人殺せば地獄に落ちる世界で連続殺人をどうやって行うのか。無理難題のように見えるのだが、結局はルール設定をどのようにするか、ということでしかなく、後は作者がどのようにカモフラージュしながら書いているかを楽しむことになる。
 個人的には探偵役の青岸焦が気に入らない。2人以上殺せば犯人は天使によって地獄に引きずり込まれるのだが、1人殺したって罪は罪である。何も連続殺人、大量殺人を解くばかりが探偵の仕事じゃないだろう。もちろん青岸の過去がやる気をなくしている要因なのだが、あまりにも引きずりすぎ。なんかその時点で感情移入ができなくなってしまった。
 それにしてもこのルール、確かに適用可能なのだが、反則じゃないか、と思ってしまった。まあ、作者が設定した問題に対し、一つの解を示した、そんな作品。せっかくの設定、もっと使いようがあったと思うけれどね。




奥泉光『シューマンの指』(講談社)

 シューマンに憑かれた天才美少年ピアニスト、永嶺修人。彼に焦がれる音大受験生の「私」。卒業式の夜、彼らが通う高校で女子生徒が殺害された。現場に居合わせた修人はその後、指にピアニストとして致命的な怪我を負い、事件は未解決のまま30年の年月が流れる。そんなある日「私」の元に修人が外国でシューマンを弾いていたという「ありえない」噂が伝わる。修人の指に、いったいなにが起きたのか。鮮やかな手さばきで奏でる“書き下ろし”長篇小説。(BOOKデータサービスより引用)
 2010年、講談社より書き下ろし刊行。

 奥泉光は肌が合わないってわかっているのに、段ボールの底からこの本が出てきたときはびっくりした。うーん、なぜ買ったんだろう。このミスと文春に入ったからかな。
 いやあ、読みづらかった。なんだ、この独りよがりな文章は。いや、そういう設定の主人公だから仕方がないんだが。読んでいても登場人物や情景が全然浮かんでこない。途中のシューマン諭は、興味がなかったから全然面白くなかった。こういうのでも面白く引きずり込むのが、作者の力じゃないんだろうか。
 ミステリとしても今一つ、いや、今二つぐらいだった(そんな表現ないけれど)。もう何をしたかったのか、さっぱりわからない。
 全く理解できなかった。それだけ。




イーアン・ペアーズ『指差す標識の事例』上下(創元推理文庫)

 1663年、クロムウェルが没してのち、王政復古によりチャールズ二世の統べるイングランド。医学を学ぶヴェネツィア人のコーラは、訪れたオックスフォードで、大学教師の毒殺事件に遭遇する。誰が被害者の酒に砒素を混入させたのか? 犯人は貧しい雑役婦で、怨恨が動機の単純な殺人事件と目されたが――。衝撃的な結末の第一部に続き、その事件を別の人物が語る第二部の幕が開き、物語はまったく異なる様相を呈していく――。『薔薇の名前』とアガサ・クリスティの名作が融合したかのごとき、至高の傑作!(上巻粗筋紹介より引用)
 1663年、チャールズ二世が復位を果たすも、いまだ動揺の続く英国。ヴェネツィア人の医学徒、父の汚名を雪ごうと逸やる学生、暗号解読の達人にして幾何学教授、そして歴史学者の四人が綴る、オックスフォード大学で勃発した毒殺事件。事件の真相が語られたと思ったのもつかの間、別の人物が語る事件の様相は、まったく違うものになっていき……。相矛盾する記述、あえて隠された事実、そしてそれぞれの真実――。四部構成の稀代の歴史ミステリを、四人の最高の翻訳家が手掛ける、至高の傑作がついに登場!(下巻粗筋紹介より引用)
 1997年、発表。2020年8月、創元推理文庫より邦訳刊行。

 帯には「『薔薇の名前』×アガサ・クリスティ! ミステリの醍醐味溢れる至高の傑作」と書かれた大作。4人の翻訳家は、池央耿、東江一紀、宮脇孝雄、日暮雅通。東江一紀って亡くなられたはず、と思って巻末を見たら、2014年6月死去とあった。何で出版にここまでかかったんだろう? 読むのにも時間がかかる作品ではあったからなあ。
 舞台は1663年、王政復古でチャールズ二世が復位を果たしたイングランド。読んでいると、世界史が苦手な私ですら知っている偉人が色々と出てくる。当時の情勢をわかっていれば、面白さがだいぶ変わっていただろうなあ、と不勉強な自分を公開しながら読み進めていたが、いつしか作品世界に没頭していた。
 事件自体は、大学教師が砒素で毒殺され、怨恨のある雑役婦が捕まるという単純な話。ヴェネツィア人のコーラが後にこの時の手記(第一部)を書くのだが、それを入手した別の人物が実は、ということで事件そのものの様相がガラッと変わる趣向。これがなんとも巧みというか。人物や社会、世界情勢など、当時の状況に対する各人の立場からの見解が面白い。歴史って、別の角度から見たら全然違うんだよな、と思わせる。さらに事件にまつわる様々な事象が徐々に明らかになっていく筆の運び方が絶妙。いつしか、夢中になってしまいました。それにしても、ヒロインのサラ・ブランディに対する印象が手記によって全然違うのだが、ここまで見方が変わる女性ってどんな人物なんだろうと思ってしまった。
 しかしこれって、歴史小説の面白さだよな、とは思ってしまった。殺人事件があるし、解決もあるけれど、謎解きの面白さはほとんど感じなかった。まあ、面白さにジャンル分けする必要は全くないんだけど。傑作、大作であることは間違いない。




ジャスト日本『インディペンデント・ブルース』(彩図社)

 メジャーが光り輝く太陽だとしたら、闇夜に輝く月のような存在がインディー。本書は、インディペンデントなプロレス団体で生きるレスラーを取材し、彼らがなぜ戦い続けるのかを解き明かそうとするものである。インディーの最前線で異彩を放つ若き天才、メジャーに通用する潜在能力を持ちながら団体愛を貫く逸材、格闘技と強さに対し異常なまでの執着心を抱く「変態」、世界最高峰のプロレス団体をはじめ世界中のマットに上がったレスリング・マスター、ズルいヒールを目指してインディー街道をひた走る〝その日暮らし〟の男、いまはなき伝説の団体の魂を背負いリングに上がり続けるベテラン、海外にもその名を轟かせるデスマッチの雄、熱い全力ファイトでインディーの壁を乗り越えた弾丸戦士……。彼らが闘い続ける理由とは? プロレスの見方が変わるノンフィクション!(帯より引用)
 2020年3月、刊行。

 主にインディペンデントを中心として活躍するプロレスラー8人へのインタビューをまとめたもの。登場するレスラーは、阿部史典(プロレスリングBASARA)、吉田綾斗(2AW)、佐藤光留(フリー)、ディック東郷(みちのくプロレス)、新井健一郎(DRAGON GATE)、マンモス佐々木(FREEDOMS)、竹田誠志(フリー)、田中将斗(プロレスリングZERO1)。本をまとめた作者は、プロレスブロガーで本書が初めての著書となる。
 登場するレスラーは、日本のメジャー団体や海外団体でも活躍したベテランレスラーから、インディーONLYなレスラーまで幅広い。ただいずれもプロレス専門誌には取り上げられるレスラー。そんな彼らが、一部にはメジャーからの誘いを断り、インディペンデントとは何か、生き続ける理由を作者は探し続ける。実際は知らないけれど、彼らはいずれも一度はインディーのままメジャーの団体(新日本 or 全日本 or NOAH or DRAGON GATE)に上がったレスラーばかりである。その気になれば、メジャー団体の一員となることもできただろう。実際、誘われたレスラーも多い。そんな彼らがインディーとして生きる理由は、読んでいて胸を打たれるものがある。
 ただこれって、ただのインタビューだよな、とは思ってしまう。タイトル通りの内容にすべきなら、もっとインディーの光と影に踏み込むべきだったんじゃないかと思う。インディーのまま20年以上を迎えたレスラーだっている(ウルトラマンロビン、リッキー・フジ、吉田和則、松崎和彦、黒田哲広、バファローなど多数)。光をあまり浴びないレスラーや、アルバイトの合間にプロレスをやっているレスラーなんかも今後は取り上げてほしいものだ。それこそが、インディペンデントの意味を知るうえで重要だと思う。




方丈貴恵『孤島の来訪者』(東京創元社)

 謀殺された幼馴染の復讐を誓い、ターゲットに近づくためテレビ番組制作会社のADとなった竜泉佑樹は、標的の三名とともに無人島でのロケに参加していた。島の名は幽世島――秘祭伝承が残る曰くつきの場所だ。撮影の一方で復讐計画を進めようとした佑樹だったが、あろうことか、自ら手を下す前にターゲットの一人が殺されてしまう。一体何者の仕業なのか? しかも、犯行には人ではない何かが絡み、その何かは残る撮影メンバーに紛れ込んでしまった!? 疑心暗鬼の中、またしても佑樹のターゲットが殺され……。第二十九回鮎川哲也賞受賞作『時空旅行者の砂時計』で話題を攫った著者が贈る“竜泉家の一族”シリーズ第二弾、予測不能な本格ミステリ長編。(粗筋紹介より引用)
 2020年11月、書き下ろし刊行。

 2019年の鮎川賞作家の第二作長編。まさか「竜泉家の一族」というシリーズになるとは思わなかった。とはいえ、前作との関りは、前作の舞台となった竜泉家の一人が出てくることと、冒頭と事件解決前に砂時計の「マイスター・ホラ」が語り手として登場するだけであり、前作を読まなくても十分に楽しむことができる。
 前作の感想で、、「SF要素ががっちりとトリックや事件の謎に組み込まれると、自分が作ったルールで考えることになるので、たとえ伏線が張られていたとしても一般的には及びもつかない部分で謎解きされてしまうことになる」なんて書いたけれど、ごめんなさい、謝ります。特殊設定を用い、ここまでシンプルかつ大胆な本格ミステリを書くことができるとは思いませんでした。
 特殊設定が何かを書くことはネタバレになるのでここでは書かないが、その特殊設定そのものがただのルール説明になっているのではなく、事件を解く謎になっているのは見事と思った。これだけ目の前に堂々と出されても、設定の説明なんだよなと思ってしまうと、事件の鍵を取り逃がしてしまう。秘祭伝承も事件に絡んでくるし、何気ない会話の中に事件の鍵が隠れているところもうまい。物語の最初から最後まで、伏線が張られているのには驚いた。最後の一文、してやられたと思ったね。
 主人公の竜泉佑樹が想像力強すぎる点がちょっと不思議。普通だったら考えもしない設定だよな、これ。ただ、マイスター・ホラによる読者への挑戦状は、特殊設定のすべてが明かされた以降になるので、問題ない。もしかして竜泉家、何か能力でもあるのだろうか。
 素直に脱帽です、ハイ。早くも来年度の本格ミステリベスト候補、出ましたね。傑作でした。



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